06/07/16 21:02:29
>>721
『差異と反復』は私は完全にパス。どうしてそうなるのか私も解らない。
『ニーチェと哲学』についてはそれなりにコメントできるが……。
>>708
についてコメントがしたかったのは実存伝達の理解についてではないが、
発言を見返すと私の説明が悪かったらしい。
まず西尾-柄谷とニーチェ-キルケゴールを分けるのは
実存伝達の有無だとしたのは私の誤り(実はそうだと言い切れないけど)。
実際は西尾-柄谷とニーチェ-キルケゴールを分けるのは、
著者の時間と読者の時間が一段ずれざるを得ない事を
彼らが受け入れているか否かであると言った方が良く、
講話「罪ある女」はその違いを示す例として挙げた。
実存伝達については『倫理的伝達の、また倫理-宗教的伝達の弁証法』
『結びとしての後書き』に詳しい。
自己(伝達者)のあり方を通じて、他者(受領者)のあり方に作用を及ぼすのが実存伝達。
ソクラテスの産婆術が一例だが、この伝達においては伝達者の実存と受領者の実存以外のもの、例えば
広汎な学識といったものは一切必要ない。
キリスト教徒が隣人に対してなすべき伝達もそれに近いのだが、伝達者と受領者の間にある知識が挟まる。
その知識を通じて自分自身のあり方をそれまでとは違ったものに変化させ、
自分の変化を通じて受領者のあり方も変化させる。
「罪ある女」はこちらの例だね。時間のずれは伝達者-知識-受領者の関係から生じるのだろう。
ニーチェのアフォリズム集は前者、『ツァラトゥストラ』は後者の機能を果たしているのではないかな。
どなたか訂正があれば宜しく。