06/07/06 16:16:31
>>518
もうニーチェとショーペンハウアーの
概念を使っているから、ラカンの語彙は必要ないね。
でも反応をしてくれた人がいるのでもう少し。
永遠についてはまた後で。読んでてかなり疲れた。
>>530
518の私の発言を見て欲しい。私も現実界を主客未分化の状態の意味で
使っている。でもそれは対他的な関係の中ではじめて見いだされる
ものだろう、という事。この「他」は大文字の他者でも小文字の他者でもない。
ショーペンハウアーの意志をニーチェが権力への意志に造り替えた理由
の一つはそこ。で、現実界が意志界に相当する(違うの?)としたら
ラカンがどうであろうと、ショーペンハウアーに対するニーチェ
みたいな人がでて「それ」を二人称と結ぶだろうな、と思っていたら、
ジュパンチッチがよりにもよってニーチェ論の中でそんな事をいっていたから、
あ~あ、やっぱりね、と思ったの。
>>531
いや、それが違う。501の発言を見て欲しい。二人称はそのままでは
誰にも結びつかない愛で、これは普通の愛ではない神的愛なのね。
特定の誰かとは、一旦切り離して考えて欲しい。
で、にも関わらずそれが特定の誰かに向けられているから
少し話がややこしくなるんだ。でもこれは彼らの間にツァラ
トゥストラが幼子として挟まっている事を考えれば理解できる。
「幼児」はニーチェにあっては主客未分化の状態である事より
それが夫婦の間に生まれる点が重要になる。