06/05/25 19:26:18
覚えてはいるだろうか?
ツァラトゥストラが語った『救済』としての試みを?
覚えてはいるだろうか?
ツァラトゥストラが語った『精神は命が命に刻み込む。』ようなものだと語った事を?
『《ルサンチマン》(反逆者)の“大いなる知恵”』
さて、精神の三段変化に置ける終わりと始まりを結び付ける最後の鍵は“実行”で在る。
獅子は、その意志が自由で在る故に“苦痛”と“苦悩”を“精神に刻み込んだ”。
獅子の力を持ってしても、新しい創造する価値を掲げる事は出来ない!!
苦痛と苦悩を“すでにそう在った事”から“私がそのように欲した”事と救済を自らが実行せねば成るまい。
嗚呼、私は偶然を踏み付け踊る幼子が戻って来る事を“忘れなければ”成るまい。
だが、どうして“一切”を忘れ行くものか?
だが、それでどうして“一切”の偶然を踏み付け踊る創造者になれようか?
私はすでに“知っている”ではないか!!
私は十分にこの身に染み込ませては、居るではないか!!
ならば、忘れる事を忘れない事にしよう、何故なら、私は自らが“知らぬ”事や“経験”してはいない事を決して『忘れる。』事は出来ないと言う事を私はすでに“知っている”のだから。
嗚呼!!偶然と破壊の音階と偶像と創造の調律の上で踊る為に終わりと始まりを結ぶ意志は・・こう言うのだ!!
私は自らで“私がこのように欲した”事として“忘れる”と言う事を“忘れぬ”為に私は私の“大いなる喜び”の為に歌おう、自らを歌おう、己の苦痛と痛みを喜びに移り変わり忘れる為に。
315:官能的ニヒリズム、力からの意志VS《語るルサンチマン》。
06/05/25 19:31:25
この幼子が《カウス・プリマ》(第一原因)の車輪を回し偶像を踏み付け踊る、創造的な『精神』に必然的に結び付く明確な真理は、
彼は「歌わざるをえない。」何故なら、己自身が“知る事”が無い事や“経験”出来ない出来事を一切、忘れる事が誰に出来ようか?!
だがそれは“在る”私はそう言わざるをえない。彼女はこう言うのだ。
「まだ、正午にならんかのーまだ、私しゃ朝食も食べてなかったかのう?」
私はこう言う。
「ばあちゃん今日それ、七回目しかもさっき昼食べたばっか!!」
忘却と痴呆に確定的な差を付けているのは選択を欲するか否かの意志だけだ。
「あんたーワシの孫じゃない!!ワシの孫はあんたと、ちごうて反攻せず、もうちょっとましな顔しとる。あんたみたいな《ブサイクマン》違うわい!!カスッ!」
私に小さな同情が突き刺さった、そして、私の魂はこう言うのだ。
「いいえ、お婆さま、私はれっきとしたあなたの子供から生まれた孫ですよ・・きちんとあなたの遺伝子を受け継ぎ移り行く命ですよ・・・」
「真、悲しいかな!!実の祖母に誰?あんた扱いを受け挙げ句、不細工呼ばわりを実の祖母に宣告される苦しみは!!」
316:官能的ニヒリズム、力からの意志VS《語るルサンチマン》。
06/05/25 19:33:41
《ルサンチマン》(反逆者)の行なわざるを得なかった問題は自らで『歌わざる事を命令しなければ成らなかった。』のよ、君達。
※1『死がこんなに安ぽっいものなら命も同じ“価値”だって言うのか!!』
※1.tomee.gan.the“ciash”by.joe.strmmr,
結局のところ、卑俗とは何であるか。―言葉は概念に対する音符である。
しかるに概念は、しばしば反復され連結して現われる諸感覚や感覚群に対する多少とも確定的な表現記号である。
互いに理解し合うためには、同じ言葉を用いるだけではなお十分でない。
善悪の彼岸・268第9章・高貴とは何か、より、冒頭一部抜粋、著フリュード・リッヒ・ニーチェ。
真、愚直な不正を響かせ配り歩く《ルサンチマン》(反逆者)達が奏でる全てのレベル・ミュージック(反逆的な音源)を全ての孤独を愛する※2ニヴェラリスト達へ哀を込めて・・・。
歌いなさい。
※2完全な造語、故に構う事は特に必筆する事にはたいし理解はあまりに不要。ぶっちゃけまぁ構いたければ構えば?程度で。
能動性を示すならば、ニヒリズム(能動的虚無主義)とリヴァイジョンニスト(能動的修正主義)の調度、端と端に椅子を置き自己を見つめる孤独修正主義者。
所謂、明るいネクラ、クスッ。
ウルセーヨ!!パカ!!=反感者?《ウサンクサン》?
317:官能的ニヒリズム、力からの意志VS《語るルサンチマン》。
06/05/25 19:42:21
真に、私はあなた方にこう言う。
歌おう!!苦痛や痛みを忘れる為に歌おう!!
糞ったれの世界の為に!!歌おう!!
全ての不細工に生きる人の為に!!
もしも君が“彼”と出会い話す事が出来たら、そんな時はどうか愛の意味を知って下さい。
愛じゃなくても、恋じゃなくても、君を守る本当の強さを身につけて下さい。
林だ・輪だ・輪だ・輪だ嗚呼!!輪だ・輪だ・林だ嗚呼ー嗚呼!!
まぁこんな所かな?
318:考える名無しさん
06/05/25 20:39:13
いい加減にしてね・・・!
甘ったれるんじゃあないわよー!
もっと婆ちゃん孝行してね。
典型的な現代人である末人さん・・・!
319:考える名無しさん
06/05/25 21:00:15
なんだこれは外国語より大分わからんが。
320:考える名無しさん
06/05/26 01:17:30
>>309,310
時間が無限というのも無しなのが最近の宇宙論。
321:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 02:51:29
嗚呼!!延々会期にさよう、さようと相槌を振り下ろした“瞬間”に飛び散る火花を認められぬ、あらゆる価値の転倒の試みから起き上がる事がおよそ不可能な知識人達よ!!
私は私の知り得る限りの知識を、この身から剥がし落とそう!!
良く聞きなさい、あなた方本能的な理性の麻痺を引き起こした「暇な人間達」よ。
良く疑いなさい、あなた方知識を多く持ち貪る者達よ!!
私は真にあなた方にこう言う。
知識を“身に着ける”事と知識を“引き剥がす”事を学びなさい。
私はあなた方、あなた方に問う。
この現象世界で変わるものが有ろうものか?
夕日が没落するのを見て学んだ。
あの無尽蔵な富をばらまき闇へ没落する時に、あの黄金色に輝いた温和な、安らぎにも似た祝福を。
全ての喜びを引き連れて最も偉大な価値が移り行く瞬間を堅く結ばせ再び駆け昇る瞬間を!!
322:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 02:53:19
あなた方、あなた方よ!!
その瞬間が最も価値の置ける偉大な現代社会では、嘔吐感すら引き起こす“真実”とも“真理”とも呼ばれる。
あの熟れた果実にも似た、成熟を結円な丸みの滑らかな恍惚を殻の中に隠した、あの胡桃の実を、あなた方は林檎のように手を伸ばし掴む事を“意志”出来るで在ろうか?!
そして、その実すら自身の手から離れ行き移り行く時が最も価値の在る瞬間だと。
あなた方はその中に精神の内に最も賢き“蛇”と最も果敢な“鷲”達の様な自身の動物達を宿らせる程の、“用心深さ”と“勇気”を示す意志が在るだろか?
万物は変化をとげる事など無く、対極に相対する価値へと没落し移り行くものだと。
『万物における究極は不変で在る事では無く永遠に移り行く事に在る・・・・・故に“不変”で在る。およそ、全ては此処に回帰する。』
もし、私が真実や真理と呼ばれる価値を手にする事が出来たなら、その価値自らが私から離れ行かず移り変わる事が無いのなら、それは“無”と略等しい程の素晴らしく憂欝な価値観では無かろうか?!
323:考える名無しさん
06/05/26 02:53:40
カントも時間が有限だって言ってたよ
324:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 02:57:18
【彼の思想に反映された葡萄酒と踊りの狂信は“二度”生まれた。】
さて、ツァラトゥストラに描かれた(善悪の彼岸と道徳の系譜の内実性を含めた上での表現として。)
およそ、二つの没落と移り行きに架かる虹の先に見う受けられる。
彼の《シューンパディーア・マレヴオレーシス》(スピノザの言葉を借りると悪意を意志する同情。)により、この当時の民衆間に置ける光の閃きと瞬きの錯覚を浮き彫りにし、
より一層の深渕にその、あの苦悩への一つの試み(私は自己をもはや“愛”することを欲しない人々を送るために、地獄を案出しなければならなかった。)により大いなるその荒々しさに愛を隠し通す事により、
推測が憶測を貫き飛び越え行く一つの能動的な幻想の“可能性”を彼は創り上げた。
「超人」である。
厳密な詳細は、マジで面倒臭さいので直ちに却下するが、その性質上に理解を持ち出す事を許されるなら、私の自己的観点からの移り行きでは、プラトンとの中ほどに在る『※1キマイラ』では無かろうか?
英雄をめぐって一切は悲劇になり、半神をめぐって一切は牧神の喜劇になる。
それでは神をめぐって―一切はどうなるか。おそらくは―「世界」にか―。
善悪の彼岸。第4章・格言と間奏。より抜粋。
325:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 02:58:31
※1ギリシャ神話に描かれたおよそ、ニーチェ哲学に登場を果たした。
動物達が共演する悪夢のオールスターみたいで凄い危険かも?嫌々、待てまて良く考えて疑って見ても・・こりゃマジ居たらやっぱり危険!!信号押しっぱなしな架空の獣神。
胴が獅子で頭が獅子と、雌山羊で鷲の翼を広げて、ついでに尾には蛇が居座る言うとんでもない有り難迷惑過ぎる超人的な空想癖の持ち出し、始めて済せる技有りとも災い有りとも言える生物。
【永遠回帰に置ける永遠空虚を帰化する程の度外視。】
さて、此処からより一層の深渕を下り行く事を認めて貰いたい。
真、失礼な言い方かも知れないが、此処までを認識して解釈を促し理解するには、在る一定以上の水準を私は私を意地悪な悪戯を飛び越えて理解を提示してくれる者を求めよう。
そして、あらゆる知識を疑い私に理解示してくれた人々を私は小さな祝福と共に称賛しよう!!と言ってみる。
この長い道をもどれば、永遠にはてしがない。
また、あちらの長い道を出て行けば、そこにも別の永遠がある。かれらはたからいに矛盾する、―この二つの道は。
かれらは互いに反撥しあう。―そしてこの門のところこそ、かれらがまさにぶつかっている場所なのだ。門の名は上に掲げられている。―『瞬間』と。
ツァラトゥストラはこう言った。下巻・第3部・幻影と謎。
326:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 03:01:11
両極に果てがなく続く道、が伴に永遠であり空間で在る、とするならば。
空間は有限で有り時間は無限だと言う解釈は理論的な破綻をすぐに破裂させる。
と言うのも、空間と時間は相互的に伴に存在しなければ又はどちらかの必要性が欠落した時点で『時の凍り衝き現象。』が認められる。
解り易く説明するか、と言ってみる。
つまり、空間を移動する距離が時間と言う概念の測定を可能にしている。(相対的な物質運動を測る事に許づいての話だか。)
ぶっちゃけ、質量を保つ物質が宇宙空間に存在した時に在る一定のベクトル量を示した場合(つまり時間の流れ)その物質の質量により空間が素晴らしく極、僅かだが(その数値は物質の質量に比例する。)空間が
歪む、調度、透明なゴム板の上にボールを乗せたら、その重みで板が凹む様に、では何故それが時間と関係在るかと言うと、現代物理に置ける時の絶対的な測定基準が光の早さ、つまり光速を一つの指針として他との比較を必要としない時間の概念を捻出しているからで在り。
つまり、質量を伴う物質に光を進ませるとその物質の重力ポティンシャルにより空間に歪みを作り光が真っすぐに進めないので在る。
327:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 03:02:35
とするならば、過去と未来の臨界点なんてどっから何処までが過去であり、其処からあっちが未来なのか、およそ、どうでも良くする為には相対的の馬鹿デカイ解釈から視察する事に成っちゃった。
つまり、この全宇宙を考え選る限りに度外視しまくって超ミニマムサイズに当てはめたジオラマ見たいに捕らえましょう!!
そうしましょう!!
その上で私はこう言います。
全ての万物は移り行く法則だと、するとまぁ仮に、この地上で生きた全ての、生命にこの法則を当てはめた時に、生は死に移り行き死は生に移り行く事が解りますね?
すると一つの輪が出来ます死・生・死・生と両極を結ぶ、循環の知恵の輪です。
で先程、視察した超ミニマムな小宇宙にそれをあてはめて現存する『瞬間』をスカラー量を示す座標の一点に絞ったら。
大分、感性のネジが壊れた方なら何となく解るかな?
全てのあらゆる没落と移り行き。
更にその“一切”が、その一点を通り過ぎ四方八方から、縦横無尽に交差する大いなる交差点のほんの僅かな、実在性の多少匂いの強い、光が理解に衝動的な刺激を叩き突ける音が何となく解りましたか?
まぁ全ての一切が“其処”に在るなら、どうやら皆さん顔見知りも良い所見たい、だって皆さん居る見たいだもん、どうやら。
孤立した系の全エネルギーは保存される(一定に保たれる。)
まぁ後、問題なのはマルチプロダクションと宇宙の《第一原因》どう繋がるか、良く解んない。
328:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 03:03:36
補足。量子力学の観点から推測する事が可能な過去と未来の憶測は波動と量子の二重性を統合し、厳密な自然法則に従った古典力学的な観点を確立の概念で置き換える事に端を発した。
現代科学では、一つの粒子の正確な位置と速度を知る事は不可能だとされているが、厳密に言えば理論上は可能で有る確立が高い。
よって、あらゆる過去と未来はすでに“存在”すると言う事を決定しているのかも知れない。
何も欲しない意志より、虚無を意志する方がまだ幾分ましだと言うものだ。
道徳の系譜。のどっか。
フリュード・リッヒ・ニーチェ。
329:永遠回帰を自分なりに考えたんすけど自分が帰れなくなりそうでした。
06/05/26 03:22:03
結論から述べると光が届く距離が微妙にずれる、と言う事は空間と時間は器と箱見たいな関係性に在り伴に同じ概念にしちゃったのだ。
誰かって?ゾロアスター教の発端を走った民族生まれで、写真で何時も笑ってるあの陽気なベロおじさんが“時空”だと言い張りだしたらしい正直、面倒臭い。
(まぁ一般的には時間と空間は別項目に該当され考えられる。)だって、この地上にそんな質量を保つ物質なんて正直無い。
と言う事は時間と空間を取り敢えず混ぜちゃえ!!
(まぁ宇宙全体を一つの孤立した系だと仮定したら、その質量なんて解るか!!馬鹿!!ちくしょー!!)
330:考える名無しさん
06/05/26 11:03:14
うん、まあな・・・!
永遠回帰は、ある意味ただしいだろーな!
この宇宙もいつかは消えて無くなってしまう・・・?
そして、またはじめから、ビックバンからはじまるのだよ。
これを無限に永遠に繰り返す、これが宇宙の真相・・・?
331:考える名無しさん
06/05/26 12:30:32
光は最速じゃない
332:考える名無しさん
06/05/27 09:57:21
>>330
対消滅・対生成がある以上要素は限定されていないので組み合わせは無限。
333:考える名無しさん
06/05/28 11:21:28
永遠回帰が正しいものだとしたら、ならなお更のこと
その無意味な宇宙の輪廻から解脱しなきゃあなるまい。
やっぱ、ニーチェは越えられるべき哲学だな・・・。
仏陀の実践ヨーガである八正道しかないな、やっぱり・・・。
334:考える名無しさん
06/05/28 11:50:21
ニーチェもトリノで生きながら解脱しちゃったんだろ
335:考える名無しさん
06/05/29 12:44:59
宇宙の輪廻が無意味なんだから解脱も無意味でしょや
というより、有意味な外界、天国を作ろうとする運動こそ
この地上を否定するルサンチマン。最も無意味。
根本的に無意味なんだからもう諦めようぜwwww
336:考える名無しさん
06/05/30 19:02:54
諦めて自殺するか
聞きたいんだが、君達の生を引き留めているものって何?
337:考える名無しさん
06/05/30 19:12:10
死かな
338:考える名無しさん
06/05/31 09:14:40
死んでも誰も得しないという事実。
339:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:13:54
《ラ・ベート・フイゾロフ》と《スペキエス・アナルキステイカ。》による赤い暴動。
《理性との彼岸》
序幕・第1章“理”と“動”としての確定的な認識の作用。
【あらゆる欲の無い所、其処に生きる位なら、まだ虚無を信じ生きる方がまだ良い。】
さて諸君、君達は今まさに一つの終わりと没落を目の当たりにしている事を、そろそろ認めなければなるまい!!
だが、同時に、私へ“囁く”あの悪魔は真、私にこう言うのだ。
『人間は又、同情により、救済への意志をものの見事に再び巡り殺した。』
『立法は“死んだ”。あの“悪意”への同情により、死んだ。』と・・・・。
私は、この法治国家としての権力は、もはや“我々”のように“恐るべき”危険を“自ら”で意志する、あの最も“危険”なる存在へは無気力的とも映らなくは無い。
即ち、私はこう言うのだ。
この地上で“生きる”と言う事が、何よりも我々を、更に遠くの人間として、素晴らしき“偉大”差の後に生きる事がおよそ、自らで許される。
新しき人類の偉大な間違いを見つける事が可能だと私が、洞察した、資質が隠された魂は・・・およそ、今まで生きた全人類に対し、最も誠実なる者、最も賢き蛇のような者と。
そして、又もや孤独の深渕から真に、こう告げるのだ。
この世の一体“誰が”、その様な“最も恐るべき危険”の中へ飛び込む事が自らに許されよう!!!
又、“その場所の”一切に有る“悪意”は笑っている事だった、全ての“重い”ものが、軽くなり舞踏者となり、あの空へ飛び立つのだ。
それが私のアルパであり、オメガで在った、真に、それが、私のアルパでありオメガだった。
《理性への“理性的”視察》(我々の“理性”は全てを見続けて来た!!)
340:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:19:09
支配的理性が一体我々の何処へ“支配”で持ち、制御し又、何故に彼らが“命令”を下されて“理解”せねばならぬか?
「理性を何よりも育て上げ、理性により理解しなければ為らない。何故なら“理性”を育て上げる事が我々の知恵であり、最も賢き、賢者を生むからだ。」
「よって、我々は“理性”による支配を、何よりも、“高貴”的な性質としましょう?本能を捨て切れぬ、野蛮人などには、偉大な人間の言葉など理解出来ぬのだから。」
『理性こそ、あらゆる智理を私たちに与えてくれるのだから!!』
此処に一つの間違いとも、およそ、最も我々、人類にとっての危険を我々は、あらゆる方法で、いとも簡単に「忘れる」と言う行為に結び付けようとしてきた。
およそ、これこそ失敗に大きく結び付けてしまった事を我々もはや説明の余地が無い事“こそ”忘れる事に
何よりも、偉大さの成す可能性が隠されている事を本能的に自らによって隠された「自分の居城や隠れ家」を求めて欲しい。
あらゆる選ばれた、人間は、“本能的”に自分の居城や隠れ家を求める。そこで彼は大衆、多衆、公衆から解放され、そこで彼は「例外者」として「人間」と言う一つの基準を“忘れる”事ができる。
―ただ一つの場合は例外で、その場合には彼は偉大な例外的な意味で認識者として、更に一層強い本能からまっしぐらに、この基準に向かって衝突する。
ニーチェ著、善悪の彼岸・第2章26目「自由な精神」より一部抜粋。
この記述を私の疑いの許で理解する限り、我々が知り得る限りの「偉大」さを知る事(又は、より仮象から実象的な事実の公定。)が
およそ、自らが信じるに値する、最もな価値を“置く”事に確定的な、事実としての模範として正しく認識するには、私には、
上の記述を知る限りでは、およそ二通りの方法論しか、今の所は何の疑いが掛けられる余地が無い者だとしか思えない。
自らの内から、発する言葉を認識して公定する程の
“価値”があるものと理解するか、――もしくは他者の内から発する言葉により
それが自らの知る最もな“価値”が在ると言う事実の正しい公定だと信じるに値が在る“価値”ある認識として“理解”するか――
あるいは――理解そのものを動かすか――。。
341:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:24:17
もっとも、この場合は、多くの哲学者達や宗教家達の言う「真理」やら「真実」と今日まで呼ばれるものが最も我々に取っての“価値”が在るとした限りの話だが、――。
つまり、最も偉大さを説く人物の言葉を理解する為に信じるには、その人物の言葉を、全て「疑い」として
自己の知識と比較し検討する事か、それとも、その「人物」の言葉を全て「真実」だと自己の知識と比較し検討する余地も無いものと認識して理解するか?
およそ、二極に置かれた、極めて悪質な対極に在る彼岸を一歩、超えた。
極めて厳密な方法論を取る事でしか我々は、その認識を何か真実みの隠された疑い無き事だと理解した事には、とても及ばぬ、と私は常に知る所に在ると思うのだ。。。
《理性との彼岸》
序幕・第2章《表象と記号論》キーボードに印された印は何も教えちゃくれない。
【我々の理性はあらゆる認識を表層の上に張られた。“記号論”とでしか確認が取れない。】
さて、グラウゴンよ。
我々と言う一つの“理性”が何故に忘却を―つまりは忘れ去る事が何によって可能だろうか?時に、思うのだが―どう言った場合に限り、正しい“認識”として彼ら、否、余りに“忘れる”事に不器用で嫉み易い。
彼らの魂に不自由な歯軋りを欲し、又それらを与え。
苦痛と痛みと言う、一種の病にも似た恍惚なる快楽感を最も普遍なる人々の精神に“刻み込む”事を意欲が欲するのだろうか?
「“忘れる”と言う語感が引き起こされる感覚が、常に何かしらの“危険”や」
「又は、そのもの“忘れる事”自体が示す価値を失う事に、非常に敏感な反応を与え不安を抱く為では無いでしょうか?」
宜しい、つまり、彼らは、こう言うと言うのだね?
「我々が忘れると言う事はとても危険な行為だ」と。
更にこう我々に言うのだね?グラウゴンよ?――
『現に人類は幾度もの、醜い争いをあらゆる所で至る所で、人類史学上に於いて、大規模的な悲劇の一切を、最大級まで発展させて繰り返して来たのに愚かにも又、繰り返している―』
『だから、決して、その一切の事実を“忘れる”事は同じ過ちを辿り又、その危険を引き起こす事を容易に想像出来る――是、即ち、“無知”を示し、最も危険なる低劣極まりない“人間”と――。』
342:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:26:18
時にグラウゴン、我々は本当に重大な“事実”を、“忘れる”事で、その“事実”を無かった事として、認識しているのだろうか?
「認識としての感覚に置ける、所謂、認識視野の誤作動により働き引き起こる、一種の記憶障害では、なかろうでしょうか?」
つまり、君はこう言うのだね?――。
記憶の内に理性が留めた、“正しい知識”としての、意義が、おびただしい時の
中で、あらゆる、感覚から置き去りにされる為、に。
我々の理性により、その事実自身の内容や、もっと言えば記憶自体を失う、とも言えると――君は言うのだね?グラウゴン・・・・。
「そうでは無いのでしょうか?ですから、我々“理”(コトワリ)を持つ、賢き知性を有する者は今現在もこうして、煩悩や苦悩そして最も醜きもの“本能”
是すら“忘れる”為に理性による知恵を学ばなければ、愚劣な人種への道を辿らなければなりません。」
果たして、それが我々の“真理”に叶うものなのか、それとも、それとは別の作用が働いているのでは、無かろうか?私は疑いざるを得なかった。
と言うのは、在る一つの疑問が私には、およそ全ての忘却に疑問符を突き付けたからだ。
その「疑惑」は、この通りだ。
『私、自身、“経験”した事の無い事や又は知らない事、そして“体験”してない事を“忘れる”事は可能か?』
私の率直な意見はこうだ。
もし、私が知らぬ事実や、身に覚えの無い経験に許付き、確かな“体験”からなる衝動的な感情を、自らが対峙している、現実的な感覚を許に可能な限りに自らの内に秘められた。
他のどの事実的な認識よりも、より一層に己の感覚に強く、信じ込ませる。
単一的な“真実”としての実証を確信する事が可能なのは、私の経験上、それは一つの“錯覚”であり、又は忘却の名を借りた。
“無知”への道徳的な軽蔑により、より一層不確かな、感覚的に真実としての神聖性と、真理としての高次的な解釈論の許に同一視され、幾重にも、度重なる。
343:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:31:37
混乱を我々、人類としての道徳の模範として、自らの精神と認識の最も高い価値感だと、誤認を繰り返して
来た事を信じ込んでいたに過ぎない、と確信の過信を私は、この様に助長する。
私の知る限りの世界感に“真実”性のより高い仮象的な理論から、実像的な合理性を導き出す事が可能である。
と、私は自らで“欲した”知識と、感覚的に同一を促す程の説得力を有し。
私が自らの“体験”を通し、信じられる、理論的に“真実”性の実証の確立が高い。
私の知り得る知識としての事実的な記録を、許に思考する限り。
最も信頼を置け、自身が持つ感性が実証の裏付けを手懐けた“あの”感覚により確証性の一際高い、成功の感覚を、私は“忘却”と言う、現代に於いては、余りに見捨てられ。
その本質まで、決して踏み込まず、近づかず、見極める事に、その一切に“信憑性”の持てる。視察を行なわずに現代人が普遍的な意識の感覚により、認識されている価値評価の寸評と言えば。
“忘却”の固定観念が成立し、又その能動性を認識した上で“我れ”と言う。一人の人間との間に成立を、確定する。
“自身”としての“人類学的”な知識を持ち見解し、考察する事で“自身”と“対峙”しては、繰り返しされるれて来た。
過去から現在まで陸続きに連なり指摘され、悩みを生み又、尊重される。
“人として善く生きる”と言う、ある種、人道的な命題の大義名分化の為だけに。
最もらしく、実現性が高く、多くの賛同を勝ち取る程。
倫理的な道徳性をより、一層強い認識に刻む事により。
人類史と人類学としての、史実を起源に遡る事が、唯一人類学的に立証が可能な人として現代人が持ち得た知識の発展とする。
それに対する一種の課題として掲げ挙げられては、又我々“人類”が、現存的に発展してきた。
方法論の中から沸き上がり肥大しては、数々の疑問を憎悪すべき“善悪”の美徳性を、最も価値の高い賛美歌の福音により。
場合に置き換えて“予測”出来た原因として確証性が極めて高い位置で成立し。
危険を回避する事が極めて精度の良い優れた存在能力を秘めていたとしても、もはや、其処には何も持ち得ない。
344:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:42:14
機能的役割と人類が克服すべき“本能的”な知性の欠陥と品性の損失は一切の、
精神を経由する理性により自己の智理を粗方、統治出来ると言い。
更には精神と喜怒哀楽が複雑に併用され創られる。
感情と呼ばれる認識も制御が可能で容易いものだと。
“理性”を過信し過ぎる所に、間違いは在る。
理性はおよそ“記号”を、置き換えて我々はその“表層”の上に多い被かる。
“記号”としての内実性をその“記号”を押す事でまるでピアノが鳴らす音色を辿り。
一つの楽曲としての意識と精神に瞬く間に挟まれ。
押された“記号”に纏わる記憶を取り出したり。
又、不要な余計な感覚は全て一旦“理性”に突き刺しては忘却する。
『忘却とは一種の救済措置で或る。』
【理性との彼岸。】
第2幕1章『最も善き疑い。』
忘却と放却との認識と精神との“在る”会話に置き代えた“正しい疑い”方。
【第2幕・第一章。】
《パルティー・オントワーズ》×《ランキュース》÷《ヴィース・イネルティアエ》分の2=支配と命令の相互的作用により認識出来る【この世界の面積。】。
自己精神に置けるオィディプス三角形の認識論。。
《プラトンとグラウゴンとソクラテスとの疑似家族に近寄り偏った。会話偏1》
【忘却と見捨てられた時間を繋ぐ会話。】
さて、グラウゴンよ。
我々と言う一つの“理性”が何故に忘却を―つまりは忘れ去る事が何によって可能だろうか?時に、思うのだが―どう言った場合に限り、正しい“認識”として彼ら、否、余りに“忘れる”事に不器用で嫉み易い。
彼らの魂に不自由な歯軋りを欲し、又それらを与え。
苦痛と痛みと言う、一種の病にも似た恍惚なる快楽感を最も普遍なる人々の精神に“刻み込む”事を意欲が欲するのだろうか?
345:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:44:59
「“忘れる”と言う語感が引き起こされる感覚が、常に何かしらの“危険”や、又は、そのもの“忘れる事”自体が示す価値を失う事に、非常に敏感な反応を与え不安を抱く為では無いでしょうか?」
宜しい、つまり、彼らは、こう言うと言うのだね?
「我々が忘れると言う事はとても危険な行為だ」と。
更にこう我々に言うのだね?グラウゴンよ?――
『現に人類は幾度もの、醜い争いをあらゆる所で至る所で、人類史学上に於いて、大規模的な悲劇の一切を、最大級まで発展させて繰り返して来たのに愚かにも又、繰り返している―』
『だから、決して、その一切の事実を“忘れる”事は同じ過ちを辿り又、その危険を引き起こす事を容易に想像出来る――是、即ち、“無知”を示し、最も危険なる低劣極まりない“人間”と――。』
時にグラウゴン、我々は本当に重大な“事実”を、“忘れる”事で、その“事実”を無かった事として、認識しているのだろうか?
「認識としての感覚に置ける、所謂、認識視野の誤作動により働き引き起こる、一種の記憶障害では、なかろうでしょうか?」
つまり、君はこう言うのだね?――。
記憶の内に理性が留めた、“正しい知識”としての、意義が、おびただしい時の中で、あらゆる、感覚から置き去りにされる為、に。
我々の理性により、その事実自身の内容や、もっと言えば記憶自体を失う、とも言えると――君は言うのだね?グラウゴン・・・・。
「そうでは無いのでしょうか?ですから、我々“理”(コトワリ)を持つ、賢き知性を有する者は今現在もこうして、煩悩や苦悩そして最も醜きもの“本能”是すら“忘れる”為に理性による知恵を学ばなければ、愚劣な人種への道を辿らなければなりません。」
346:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 17:51:11
果たして、それが我々の“真理”に叶うものなのか、それとも、それとは別の作用が働いているのでは、無かろうか?私は疑いざるを得なかった。
と言うのは、在る一つの疑問が私には、およそ全ての忘却に疑問符を突き付けたからだ。
その「疑惑」は、この通りだ。
『私、自身、“経験”した事の無い事や又は知らない事、そして“体験”してない事を“忘れる”事は可能か?』
私の率直な意見はこうだ。
もし、私が知らぬ事実や、身に覚えの無い経験に許付き、確かな“体験”からなる衝動的な感情を、自らが対峙している、現実的な感覚を許に可能な限りに自らの内に秘められた。
他のどの事実的な認識よりも、より一層に己の感覚に強く、信じ込ませる。
単一的な“真実”としての実証を確信する事が可能なのは、私の経験上、それは一つの“錯覚”であり、又は忘却の名を借りた。
“無知”への道徳的な軽蔑により、より一層不確かな、感覚的に真実としての神聖性と、真理としての高次的な、解釈論の“”同一視され、幾重にも、度重なる混乱を我々、人類としての
道徳の模範として、自らの精神と認識の最も高い価値感だと、誤認を繰り返して来た事を信じ込んでいたに過ぎない、と確信の過信を私は、この様に助長する。
私の知る限りの世界感に“真実”性のより高い仮象的な理論から、実像的な合理性を導き出す事が可能である、と。
347:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:21:18
「それでは、最も賢き者よ!!あなたは“忘れる”事が、最も合理的な方法論であり。」
「又、我々人類が過去に繰り返されて来し残して来た。あらゆる時代の歴史的秩序と道徳的理念の理想が、創られる事とは無関係に引き起こされて来た。過去の様々な背徳の略殺と罪悪の略奪を主体になる大儀と道徳に秘め、対峙する。」
「両者により、どちらかが《結果》としての《原因》を選び取り、又はそのどちらかが《原因》としての、《結果》を結び付けられ、度々争われて来た、事実的な記録に基づく考えを、我々、人類は、度重なる、過ちの果てに辿り着いた一つの――」
「我々が、知性を持つ生命としての“最も価値ある人類”が、行ない羨み尊ぶべき、思想の答えは――」
『人間は欲望を“忘れ”去り、そして、欲を捨てなければならない。それには、理性的な構造性を理想とした、知能と知性の主体、又は要に置き。』
『それを、人道的な価値観の主軸とし。我々は“理”(コトワリ)(と呼ばれる偲念、又は“知恵”つまり、偉大を済す、英知の結晶見たいなモン。)を授かり理解せねば、ならない。』
『それが出来ない低能な愚か者のお陰で、我々、人類は、今だに“欲望”や“煩悩”を捨て去る事が出来ず今だ苦悩の内に有る。』
『我々、人類全てが豊さに飢えずに平和を築き上げるには、人間は“欲望”や“煩悩”を“忘れ”なければならない。』と。
「何よりも理性的な支配を、受け入れない。愚かな“人間”を我々は、もやは、悪として裁かねば、ならない時が迫って来た。」と、
「私は、こう言うでしょう、最も賢き知性の持ち主よ!!」
348:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:28:48
それでは、グラウゴンよ、何故に我々が“欲望”や“煩悩”と言った具合に表現される。
所謂、欲求としての意志を一種の禁欲としての対象により。
果たして、その欲求が、持つとされる“欲望”や、その一切の欲望が姿を変え人の魂に宿り。
その数が百八つをの数を数える“煩悩”が取り憑き。
それに取り憑かれた、人々の苦しみを分け与えると言う。 神が我々人類に与えた、大いなる試練を超え辿り着く場所に禁欲が産んだ世界が佇むのだ、と彼らは、口々にそう言い放つ。
さて、グラウゴン・・・。
今現時点ではそうでは無かろうか?
《思想学的同情軽視カルテット(四重奏)》
【プラトン・スピノザ・ラ・ロシュフーコー・カントを挙げよう。・・】
そのどれもに含まれる。
隠された母性は《自己への同情。》で在る。
グラウゴンとの会話に置けき変えて、推定知能の最低水準を大きく更新した人類に見受けられる。
知恵の塊とも、理性的な智理への服従を従える。
“理”(コトワリ)と呼ばれる認識的な“記号”とその内実性。
349:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:30:12
【理性との彼岸。】
《第2幕・『最も善き疑い』第3章。》
ユダヤ思想的な原理主義に起源を持ち、ゾロアスター教としての道徳と又、その際に置ける。
人類学的に見て“正しい”観点による視察と西暦初期文明から近代文明へと移り行く。
人類学的に検証を基に可能な限り。
緻密さと厳密的な思考論を人知を一歩超えた感覚を、解釈出来る程まで理解と知能の楔を一際深く差し込み“真理”的な要因に、最も強く引き込まれた。
自身の精神的な構造を自らにより発見し。
その精神性の構造と表現として、概念化された。
意識的な表象を客観視出来る程の冷徹差を差し於いて迄、非常に“価値”の在り方としての捉われ方や、その語感と言語として、正立する為だけに。
この“言葉“が残す、母音や余韻をその他、大勢の民衆や公民は終には“真実”と呼べる迄の全ての“瞬間”を伝える波動と言うか、概念から解き放たれた。
言葉の感情は“響き”渡り。
思考が倫理的に処理を行なえ得る事が、もはや、一切の有り難みを《理性》との在り方と実証性の高い。
記録に書き示された。
《良い》と言う事と《悪い》と言う認識を全く持って“理性”的な支配の下に記録に残された。
理性に判断を委ねられて、決定された《善悪》の価値観などは両極の性質を見比べて見ると全く認識としての道徳とは、遥か無関係な指針を、現代的な知性を纏う。
350:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:33:07
智理的、合理性を「自然に従って生きる。」迄に水準を、引き上げる事を。
グラウゴンよ・・。私は「ツァラトゥストラ」の口を通し語られた。
一切の深みに彷徨う言葉と情念の隙間無き結束の中から救い上げる事でしか、現代人が仮称する。
“欲望”やら“煩悩”が、自身に与えられた最もな、本質を飛び越えて、はばたき、あらゆる、悲しみと苦痛を飛び立たせる事が可能だ、と。
グラウゴン、今君が“忘れ”たい程の痛みの秘密と真理的な背景を描き示そう・・・・・。
良いかね・・・?
其処に突き刺さる誓いを、自らの精神により濃く、突き立てたまえ!!
それでは、宜しいかね?
グラウゴン君・・君は何を踏み付けてより高みなる、精神世界が一切の“苦しみ”や“苦悩”の一コマ、一コマを忘却のレーテへ流し去り。
その全ての“真実”を見届ける事を誓うと・・・・。グラウゴン・・君は何に誓いを突き立て刻み込むと、いうのだね?
「ええ、私が差し込む、精神への誓いは・・・・。」「今だ人類が、捨て切れない、彼方まで持ち続ける事が何よりも価値の保存が続くと言う。」
「本質的な思考の発育が極めて我々にとっての“間違いだった”と笑い転がりながら忘れ去る事により。」
「“単一的な原子論”(モナドなアトームにより確定された、霊的な粒子論の裏付け)が混沌の内に秩序を導く単一の原子がコヒーレント化する事を――、」
「モナドに誓って・・、ソコカラデス。」
宜しい。
351:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:35:24
【理性との彼岸】
第3幕・第1章〈散逸構造。〉
『在る組織が外部に開かれた場合に、その組織(システム)は物質やエネルギーを外部と交換し、取り入れると略同時にその組織(システム)は均衡から不均衡へと変化し、やがて乱れとなり、それに伴い新たな秩序を再構造する。』
『一つの幾重にも重復した倫理性を優先し、秩序的な均衡を不均衡に変化させる。』
『開かれた外部から物質やエネルギーを取り込み、その乱れが、新しい秩序を形成すると言う、一つのシステムから物質とエネルギーが散逸すると言う、自然科学の領域から、逸脱し思想学への転用も理論的に応用される、思想である。』
《力への意志》=《支配と命令》=《適性的な合理性》=《能動的な本能性》=《力からの意志》への意欲的に取り込まれてる。
具体性に主体を置かない事で予定調和的な物質とエネルギーを散逸させ、新しいく理論的な倫理の秩序を形成する。
道徳の構築、立法の脱構築化(ディスコントラクション)を計る、知能としての生存力と脱前例化から、取り入れるべき新しい観点からの概念。
良く虱潰しに考えた事を辿ると、一つの意識的に外部へと感性が開かれた場合に、その意識として、認識出来る物質やエネルギーと外部と内側に置ける概念により。
外部の物質とエネルギーを言葉に取り替えて、均衡的に言葉が、伝えたい感覚を的確に響かせた。
あの“感覚”が更に不均衡な不安を暗示させる。
“言葉”と言う一つの空白な容量を感性により埋めて行き。
感覚的な触覚と表象を比較した温度差を伝え切り。
互いの理解を感覚的に感じ取り、大いな誤認を散逸させ。
その誤認を産んだ、機能的な形成よりも、その物質とエネルギーを言葉により、乱れた秩序を、新に形成するのではないかと思う所が
強ち間違いとも限らない事と、概念と言語化に置ける共通の遣り取りが確かに存在する事を認めずに、何を形成するものか?。
352:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:36:43
【理性との彼岸】第3幕2章・忘却を連れ添い《カウス・プリマ》へと幼子を走らせる旋律。
精神の三段変化への自己的解釈論。
この散文の第2幕2章に、書き留め置かれた。
“忘却”の功名性に付いて此処では再び取り上げたい。
『ツァラトゥストラはこう言った。』に記され語られた。
ツァラトゥストラの説教と言う名の題名としてツァラトゥストラを通して語られる。
創造者としての“精神”に置いて三段階に飛躍した後に駱駝の“忍耐強さ”への意欲的な行動と獅子と化して奪い取る。
“野性の力”を、その本能に併せ持ち、自由な意志を解放させる精神をやがて“野性の力”で持ってしても新たなる価値を創造する事が出来ない事だと。
獅子、自らの意志に“苦痛”と“痛み”を伴い。
やがて、その創造者としての意志と精神を併せ持ち過酷なる道を行く者は、幼子に戻り再び忘却の淵に立ち
又、再び創造者としての道を、歩み出す事に成ると言う。
以上の駱駝から、獅子そして幼子へ変化する過程が大まかな説明と大体の解釈へと繋がり膨らむ真理的な、忘却への“忘れ”形見を、私は拾い挙げようとも、見付け出そうとも。
353:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:41:02
【理性との彼岸】第3幕・第3章・忘却の“忘れ”形見。
精神の三段変化を解体した解釈は、まず自身の精神は自らが広げた。
砂漠を行く駱駝と化し、その精神には、あらゆる重み(苦痛又は苦悩)と言った全ての悲劇を駱駝としての精神は、余りに忍耐強く耐える事から、幕を開ける。
差し詰め“駱駝”は苦痛と苦悩の“服従者”と言った所であろうか。
そして、次に“獅子”と化す。
やがて、この苦痛と苦悩の“服従者”で在る“駱駝”は自らで自由を欲する。
つまり、初めて意志の為す力を意志し、奪い取る。
ツァラトゥストラでは黄金色に輝く金色の竜として、あの「汝、為すべし。」を告げるあの巨竜はその当時に於いてのキリスト教的な“神”をモチーフを題材にした。
あらゆる、価値と価値観の支配者として“神”で在る存在は服従による制圧を求める。
“獅子”の精神が目覚めた頃に、この一切の“自由”な価値を、その体に張り付いた。
その鱗を黄金色に輝かせ、一切の存在価値は我れと伴に在り、我れは一切の創造者。故に一切の時は虚しく過ぎ去る。
と言った意識的な支配と制圧に対し、人が取れる行動の制限は、およそ二通りで在る。
《ルサンチマン》(反感)としての《レアクション》(反動)を模様すか《奴隷根性》を引きずり支配に従う《レアクション》を取るか?
つまり“駱駝”として、精神の砂漠に広がる虚無的な悲愴感を辛抱強く耐え。
やがて、全ての虚無的な価値感しか、もはや価値が無い、最後の敵を討ち取るに到るので在る。
“獅子”がその精神を呼び覚ましたのは、紛れも無い“本能”的な野性を我々が今だ持ち続ける一種の“野蛮”な精神だと言える。
およそ“獅子”は力と自由に繋がれた“奴隷”的な精神だと言えるのではなかろうか?
354:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 20:46:31
【理性との彼岸】第3幕・第4章・忘却の“忘れ”形見・無意識的な《良い》と《悪い》との視察。
そして、この“獅子”自らが自由な精神で在るはずにも関わらず、新しい価値を創造出来ない事に“獅子”の意志は“苦痛”と“痛み”を覚え。
そして一切の忘却の後に、幼子に戻り、新たな価値を創造するのだと言う。
およそ、大半の感性は此処で、大きく道を削る。
思う所、幼子とは差し詰め自らの感性に“従順”で、更に自らの苦況に誠実な認識を持ちつつ自らの意志に“従う”事が何よりも難儀と成り得る。
感覚的に無垢な精神が自己に備わる、《カウス・プリマ》(第一原因)の回転を唯一可能に帰化する本能だと、私には今の所、思われてならない。
2・“忘れる”事の反対説ハーバード・スペンサー【1820ー1903、イギリスの哲学者。】によるある仮設と、ある賢人による視察。。
―この「忘れる」ということが一体どうして“可能”なのであるか。こうした行為の功利がいつかある時に熄んでしまったとでもいうのであろうか。
事実はその反対である。 すなわち、この功利はむしろ、いつも変わらぬ日常の経験であり、従って不断に新しく強調されてきているのだ。
してみると、それは意識から消失するかわりに、つまり忘れられるかわりに、ますますはっきりと意識に刻みつけられなくてはならなかった。
例えば、ハーバード・スペンサー〔1820ー1903イギリスの哲学者。〕によって代表せられるあの反対説の方が、どれほどより合理的であることか(だからといって、より真実だというのではないが―)。
355:考える名無しさん
06/06/08 20:58:07
↑こいつ馬鹿・・・?
356:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/08 23:50:37
スペンサーによれば、「よい」という概念は「功利的」とか「合目的的」という概念と本質的には同一視
されるべきものであり、従って人間は、功利的・合目的的なものについての、および反功利的・反合目的的なものについての、彼らの“わすれられない”、また“忘れえない”経験を、「よい」および「わるい」という判断に統括し決裁した、というのである。
この説に従えば、「よい」とは以前にその功利性が証明されたものである。
だからそれは、「最高度に価値ある」とか「それ自体において価値ある」という意味に用いて差し支えないわけである。
前にも言ったように、この説明方もまた間違っている。しかし、少なくとも説明そのものは筋が通っており、また心理学的にも支持されうるのである。――
フリュード・リッヒ・ニーチェ著 道徳の系譜・第一論文「善と悪」・「よいとわるい」より一部抜粋。
【理性との彼岸。】
第4幕・第1章・【知る事の無い出来事、又は経験に無い知識は忘れる事が出来ない。】
先に記した第一論文「善と悪」・「よいとわるい」に描き連なった考察による忘却の功利性についての能動性は日常の真昼の深渕を、ものの見事に浮き彫りにした事には何の抵抗もなく、自身の感性に巻き込まれ、粉々に解釈へと紛れ込んだ。
つまり、我々の精神、又は理性に属する記憶の一切はその行為に置ける功利性と反功利性が、より一層に明確な「よい」と「わるい」に統括され決定的な記憶を総縮した経験に従い基づき。
彼らの“忘却”すべき事と“忘却”せずに記憶に残す事を、つまりは、自身により必要な知識の摂捨を迫られているのである。
略式的に単明化すると、我々の精神の内に、刻まれた「記憶」としての経験から生まれた「よい」とされる「記憶」と「わるい」とに分けられ。
功利性と合理性・反功利性と反合理性との経験により実証済みな“記憶”を消失して“忘れ去る”事と引き替えに、より鮮やかに、更に鮮明に、その意識へと刷り込まれるので有る。
357:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:00:19
一つ一つ丁寧に拾い挙げると、我々の意識に刻まれた「よい」と「わるい」との間に置かれた判定の基準はその行為により意識と認識に自己へ持ち込まれた。
評価の対象としての評価基準は、その「記憶」に或る情報と、その情報の事実性を配慮した上で自己の経験により更に功利性の高いものとしての「記憶」か?
または、合目的な適性を適切に果たし満た上で。
更に別の行為に対して何らかの実証が容認済みな確証性の強い「記憶」なのか?
と言う具合で我々は「よい」と「わるい」の意識間に置ける固定観念と連動的な概念により、意識的な仮象よりも一段高い実象を伴った。
功利的な成功の合目的な、適性をより善い事への功利性と合理的な成功の確立が、より強い意識が経験し、その「よい」と「わるい」とに分別をされ。更に何かしらの実証の存在を断定され、成功の確立に割り振らた合理性の度合いの色の濃判断を見極められる。
より、自身の意識的な“真実”性を輝かせる為に、
我々の潜在意識に横たわる道徳的な秩序に置ける。
善悪が築き挙げた価値感は一切、無視された挙げ句。
この「わるい」と見なされ一つ次元の元にある意識が低い空間と位置付けられ。又、この実像世界を縦横無尽な無法空間として、点と点を線により繋ぎ合わせ。
線と線が掛け合わされ、 実相と虚相との感覚と感性が認識が肉体の精度を一つの水準とした。
358:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:04:10
あらゆる語感を刺激する、器官として表象を捉えられる実無世界のあらゆる確立を更に、意識的な表象を被う理性が感じ得る。
この三次に四次が流し込んだ。
虚空に実在を伴にする世界感と実像を虚無的な意識が伴に存在する姿、こそ功利性と合目的な経験による成功を与える確立は恐らく2万光年先に在る過去を暴く程の確立で在ろう!!
底辺を高さと伴に掛け合わせ、感性と感覚に在る。
虚無と実像する世界を二つに割る事で、この我々の三次元に四つ目の不確定要素がおよそ、移動した距離により。
三角形をの発端と終末を固く結び、更に直ぐに解けられ無い様に時と空間の相対性により編み込まれた、一切の時の糸は、その細い糸が流され移動する空間へ入り込んだ。
その“瞬間”に時を功利性と合目的な意識の中へ、緻密に密接しながら取り込み新たな秩序を形精する。
四つ目と三つ目の俊発的な誤認を掻い潜り、実相と虚相の功利的な能動により、意志され築かれた。
重力に愛された隙間と質量が伴に万有引力が引き付ける程の慣性に「否」を「然り」と言い張り。
空間と時の「善悪」から隔てられる。誠に真理的な功利の確実性とが踞る。
狭間と隙間の素敵な偶然の残酷差に旨く、影と光の深みが寄り添った。
縦×横÷面積の死角=実像性の確かな確立。
その姿の功利性と合目的必然性の盲点に息を潜めた。
今や、三次を構造する元と四次を隔てる元は伴に同一視されても差し支えないと言える所まで、追い付いた。
概念が不安定な儘はぎ取られた現象としての多目的観点は、不確定な確立と混沌に示された倫理学の究極に向かい走り出し、突き抜けた。
その闇の瞬きに潜む破滅と破綻の道理上、進まねば逆説的な理論を辿れない。
359:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:06:04
カルテット・パラドックスを最大限まで圧縮された。黒を吸収し。全ての質量を真ともに吸い込み入り口付近に近づくに連れて時に置ける功利性と必然性の欠落が没落し、穴と黒い意識の深渕に一番近づいた。
“瞬間”で時の糸は途切れる事で実在を反永久的な「時の固体化に伴い、石化の後を氷像化現象。」を引き連れて光は永久的に永遠を見失う事と逆向きに広がり永遠が駆け抜けた。
事を知ると略、同時刻に過去に或る未来を進む意識と未来の先から送られる過去として忘れ去った記憶が意識を媒体にして、流れ出し。
感覚と感性が意識的な神経を焼き付けた、過度にニューロンからシナプスを渡り送られた。
電流がその直後に走らせ対極の未来に或る過去との経験を刻み込む為に、開かれし頭上の遥か先の過去から未来的な意識を私の感性に微かに捉えられる程の感覚を概念化した意志を送り付ける。門に掲げられた。
題名と表札の字は「一瞬」で或った。
実在する虚無の空間に意志を分け与える。
破壊と破滅が折り重なり、極度な密度で結合される。真新しい破滅が喜びの声と伴に弾け飛ぶ。
滅亡と破綻、破壊と滅殺、虐殺と自虐、ありとあらゆるカタストロフィが、この再生工場の功利と合目的な成功の確立が判断を反目に傾ける。
360:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:08:22
反功利性と反合目的的な実証に隠され反目しあう。
「ダート」と「シュレヒト」に秘められし、喜劇と悲劇を世界と七つの大罪から我々は「神」を創造しよう、。。
ディオニッソス神は“葡萄酒”(バッカス)と天の光を浴び逞しく育つ、アポロンの子供達に祝福された。穀物の豊作と一年の無事を祈願する。
豊作神として“葡萄酒”を常に流し込み、酔いどれた儘、踊り明かす狂乱的な踊りの神としても高名。
ムゥサの女神達により、ディオニッソス神に仕えた。
狂乱の乙女達マイナデスはその身体を引き裂かれた。
力への意志として出発する類似性の同一点より。
寧ろ、その神として崇められる迄に、凝縮された熟れて孰した、あの没落を目指す。
姿を何よりも、最もな友で有る。
ツァラトウストラ彼により語られ記された、自己の影を面影に宿した儘に移し。魂の赴く趣味の儘導かれ。
より高みと深みとの囁きを駈け走り進む、自身に纏わる逸話を甦らせ、記憶に刻み込めば、良い。
361:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:35:31
【理性との彼岸。】第5幕第一章・《ムゥサとディオニッソス神。》
『バッカスの酒を手に取り葡萄酒、その器から零れ出た。葡萄酒に溶け込んだ、血の色と狂喜的な熱気が大気に触れ熱と混ざり気化した直後、蒸発して雲に成った。』
『バッカスの酒と名打たれた。この酒の酒成分濃度は水分が6割、塩分が三割、残りの一割はおよそ悲劇からの“誕生”の喜びと温もりによる。』
『自らへの軽蔑を通し垣間見る自己観点の推測を立てる事が、何よりの自己満足の嘔吐感が下から上を目がけ一斉に走り出し。』
ザ・メイキング・オブ・ディオニッソス・ストーリー。
『絶望と恍惚に送り付けられ一度目は身籠った母の体内で目覚め。
二度目の生誕は、テーバインの建設者カドモスの娘セメラと大地の神ゼウスの間によって身籠もった。
だが、ゼウスの妻であるヘラによって憎まれ。
その復讐を遂げる策略によってセメラは殺害される。それを知った。
父ゼウスはディオニッソスを自らの太股を切り裂き、その中で育て身籠り。
やがて、月の光で傷口を賤し、やがて父の腿を引き裂き生まれた。
二十歳に成人した歳に葡萄の栽培方と葡萄酒の製造方を発見するがヘラはディオニッソスが、心から許される事をあきらめ切れず。
狂喜を送り込み酔狂させた。
362:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:38:49
やがて彼は小アジアを渡り歩き途中フリギィアで大地の女神メレに狂喜を癒された。
全アジアを渡り歩き、なんと彼はインドにまで足を延ばしている。
故郷テーバイに帰ったディオニッソスを出迎えたのは葡萄酒と熱狂と狂乱的な宴であり。
この国を治めてたテーバイの王ペンテウスはこの不道徳、極まりない不快な騒ぎと、行列とディオニッソスの信仰を中止すると、国中を通して伝達し、命令しました。
だか一向に納まらない騒ぎを尻目に王は自ら騒ぎの中心を牛耳り支配すれば、この不秩序な騒ぎは納まると考え。
宴の会場に辿り着き、その中心を覗くと、なんと其処には踊り狂い、発狂する。
王自身の母や伯母がディオニッソスの踊りと狂喜に、狂乱し王自身を切り裂き、殺したと伝わります。』
363:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:43:27
【理性との彼岸。】第5幕第2章・《ディオニッソス神とツァラトゥストラ》
さて、今更ながら何故、ツァラトゥストラに描かれた神を無すもの、その名をツァラトゥストラ!!と自ら自称し、ニヒリズムの没落と又自身を新しい破滅へ突き動かす。
“あの”衝動により掻き立てられその、意志の力へと集約し其処から再び散逸して外部から新しい秩序を形成する。
解釈の憶測と推測の通加点の必然性が求められた。
値と等しいエネルギーを、力への意志により変換可能なエネルギー源は他でも無い。。
生命としての本能に刻まれた生の烙印だ。
と言うのも私は最近に成って思うのだが、良く耳にする機会が多い一方的な考えの押しつけや強要は独裁的発想であり。
又、とても危険だと。
個人、個人の意志を尊重し押しつけや強要の要求に応じる事なく、それこそ、自由に判断したら良いのだ。
と声を高々と空に馴らし、あの最も悪臭の匂いが、より一層の極みに居る。
より完璧な虚無に仕上がったか、又もしくは、死に物狂いに悩み抜いた結果。
とても、どうでも良い事だと結論付けた、より深い馬鹿の深渕を覗く頭脳を強烈な衝動を加える程、頭を、こづ繰り回したいのだ。
364:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:47:38
奴らを見てると“あの”今々しくも嘆かわしい。
滑らかな不快感で胸を騒ぎ立てるのだ!!
“あの”密かに記憶の其処に沈めた耳にまで届く彼らは又こう言うのだ。
「押しつけられた考えや、無理強いを強いられた、同意なんて必要無い、重要なのは個人の考えや賛同に加わる意志で在り、理性的な理論だ。」
又しても、私に込み上げて来た津波の様な不快感の波状攻撃は自己への軽蔑と同情が幾らか混じってた。
嗚呼!嘔吐!!嘔吐!嘔吐!この嘔吐感すらもはや、恥部に溶け込む。。
あなた方は自らの命と生の会話を、聞き取る事ができ、又その内実性の突拍子も無い理由をご存じか?
どうやら、我々にある。
命の命令の儘に生に向かって一切の“生きる命”としての考え方を一方的に脅迫しているのだ。
命はこう言う。
「全てを投げ出しても、是は捨て去るな!!」
生は、こう反応する。
「私は誰にも支配されずに生きて生きたいの!!」
「だから、お願い、私に命の押し着けや安泰の無理強いをしないで頂戴。」
命はこう叫ぶ。
「あなたは従わなければ、命令を実行する事は不可能だ。」
『およそ、地上に見渡す。限りの生物は命の生に対する荒々しい知恵による、独裁的な支配を受け。 その支配への反感に抵抗している。
もはや、命と生の本能的な駆け引きにより。
但、時と夕闇は通り過ぎて行く事に余念も過ぎ去る事には立ち合わない。』
365:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:51:59
【理性との彼岸。】
第5幕・第3章『実像性の強い自己の趣味。』
“理性”と“本能”私の趣味に反する事は良き趣味とは呼べまい?!
1論文目。
「嘘と悪、真実と善、壊れた知性の二重束縛。」
よくよく虱潰しに、丹念に自己と、その間を埋める。
言葉との関係性を掘り下げて行くと、今までは気にも止めなかった。
詰まらない大いなる私の趣味に程良い疑問が浮き彫りにされその貧弱な骨格を曝け出す。。
それは、こんな疑惑だ。
「果たして我々は本当に“嘘”を悪だと認識して、憎むべき憤怒の対象物として正確にその能動性を捕らえているのだろうか?」
と言った具合で在る。
恐らく多くの人達は首を傾げ、眉を潜めるかも知れない。
口々にこう吐き捨てて・・。
「当たり前で在り、今更、聞くことすら、些か馬鹿、馬鹿しい。」
「もし、仮に“嘘”を吐く事が悪い事ではないのなら、真実の価値が悪い事と同義に為りかね無い。よって“嘘”は悪!糸冬ー!!」
だが、ちょっと待ってくれその疑惑を引き連れ。
遣って来た思考はこう呼び止めるのだ。
『真実的な実証性を知り得る事が出来て。又、尚且つ更に、それに纏わる一切の事実を知り得た、から、こそ、その事実に基づいた “嘘”を吐けるのでは無かろうか?!』
366:ラ・ベート・フイゾロフとスペキエス・アナルキステイカによる暴動。
06/06/09 00:53:48
緻密に整理するとこう言った内約を掲げる事になる。
『真実を知る事が出来たからこそ、その逆向きに “嘘”を置いてこれたのでは無いのだろうか?』と。
つまり我々は常に何らかの方法論により“嘘”を容認して居るのでは無いのだろうか?
さて諸君、君達は果たして本当に“嘘”を吐かれた時又は“嘘”を見つけた時に
その事実に対峙した場合に“悪”であるとはっきり認識して居るのであろうか?
私にはどうも、その様には信じる事が、もはや何の、立証性を成立させた所で、「否」を言わざるを得ない。
と言うのも我々は既に“嘘”に置ける功利性に付いてあらゆる実験を繰り返し行なって来たでは無かろうか?!!
私が思う所“嘘”や“偽り”と呼び止められる。
何らかの認識間に置いて、誤作動を起こす可能性の高い情報を選別する《道具》(ツール)として“理”を使用する事が一つの対策として挙げられる。
それに“嘘”と呼ばれるものの中には余りに無垢で無邪気な無知が幾分流れ出る事も理解している。
認識分野に限定する言い方をお借りすると“嘘”も、何かしらの“真実”から、零れ落ちる事を付け加えたい。
なんと、もはや我々は“嘘”を「悪い」事だとはすっかり“忘れて”しまっているので在る。
よくよく、注意して感情を選んでみるが良い。
物の見事に“嘘”を認識に持ち込もうが、既に自己の持つ“記憶”により。
その活字を列ねる意識の、残した微かな実在性と功利性を一目に見極めて、自身の《無意識的》な精神で「よい」と「わるい」と言う。
自己の経験と記憶に眠る、同一的な感覚を目覚めさせるのである。
更に詳しく述べると、我々が憤怒し憎悪を及ぼす程の“嘘”とは現在進行形で、
自己の時間と平行に“作業”を伴に行なう場合や、
もっと良く言えば、我々が“嘘”に対し憎悪するのは
互いの“利益供与”に関して、何かトラブルが発生した場合に最も確認が容易だとは、もはや何の疑う余地が残されていよう事か!?
『我々は“嘘”は憎まないだが自己利益への軽減と、なる偽りの“嘘”なら、 もはや誰か信用に足りるかより「よい」判断が可能だと加えて置こう!!』
367:考える名無しさん
06/06/09 03:49:14
柄谷のニーチェ解説が正しい
368:考える名無しさん
06/06/09 09:31:16
>>366
嗚呼ー、このば~か~、ニーチェが草葉の陰で泣いているぞ・・・?
369:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/09 13:32:42
《ラ・ベート・フイゾロフ》と《スペキエス・アナルキステイカ。》による赤い暴動.第2部。『反感の暴動。』
『箴言的戯言話と好況組曲。』
1
一切のあらゆる“確立”と呼ばれる数字は思うに―“理性”の為に用意された故に“あの”映写機が一切の“確立”を回す。
2
私は“理”(コトワリ)が授かる事が解った、――即ち“理”(コトワリ)とは一切の記憶を残した“理性”ではなかろうか?
3
さて、W杯が近いな、四年前のW杯の練習試合で日本がまさかのブラジルに勝利した事は記憶に微かに残る。その試合のブラジル側のインタビューの事を少し話そう。
レポーター「お疲れ様です。どうでしたか日本の選手は?後、気になった選手がいたら教えて下さい。」
カナリヤ「オーマンマミヤーヨシムネ!トノサマブッコロス!タカガリハズシヤガッテ!嫉妬!」
通訳「えー名前は覚えて、居ませんが髪の長いホァードのあの選手が得に良かったね!驚いたよ!とても、日本人離れした動きだったよ!!アイツはとても、日本人だとは思えない動きだったよ!」
レーポター「えー日本選手とはとても思えない動きを見せるなんて一体誰だったんですかねー気になりますねー。」
カナリヤ「オーウ!ヒラメタ!!アイツノナマエ、タシカ、アレクサンドロ・呂ペ巣です。」
レーポター「そ・それは確かに日本離れした動き見せますね・・・ハハ・。」
あのインタビューの後にあのカナリヤンはこうとも言った。
「アイツノカオはゼッタイ、ニホンジンジャナイ!!」
えー残念ながら彼は日本人国籍を保有する限り彼は、日本人です、まぁ気張れや。
4
イエスは言った世界で罪なき人に罰を与えたのは失敗だった――おお!!見よ生まれ行く子供達にさえ、既にその背に我々の罪悪が羽根を広げてる。
370:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/09 13:34:57
5
古代ギリシャを見届けた、国家に捧げた書物に記された、ハデスの国より舞い戻った英雄エルにより。
言い伝えられる輪廻を司るモイライ三姉妹により。 魂だけとなった人々の最初の明暗を分けるのは・・・・三女ラケシスによる・・・・・・・・籤引きだ。
ちなみに俺の来世は※1ミトコンドリア・トリコモナスに成りそうな気がする。
※1ミトコンドリア・トリコモナス・近年増加の一途を驀進する。余りに不名誉な戦争に出掛け爆死した。
感に程良く親しい病原菌の一つ、男性の場合は得に症状は余り表には出ないが女性の、場合ひどい時は患部が腫れ上がり、最悪の場合は子宮へ菌が感染し結構、危険かも知れない。
余談だか男が浮気した時に良くこの病気が引き金になり病気持ちの上にひたすら、頭を下げる情けないを遥か頭上の空に見上げる男性が泌尿器科や産婦人科に 行くと極、稀に出くわす。
正直・・・気まずい。
6
人は暗闇の中にこそ希望の光を見つけると言う。
だが彼らの意識には何も映ってはいないのだ――光に背を向ける事―そして初めて暗闇の中が良く覗けるのだ。
7
孤独をこよなく愛する迄は良い。だが孤独に“愛される”事は決して求めてはいけない。だが、何れその時は訪れよう!!どうか、それ迄の偶然を踊る足を大切にする事だ。
371:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/09 13:38:53
8
全ての言語が言葉を完成 させた時、あらゆる記述は既に完結していた、――恐らくは“楽譜”すら・・是も又、然り・・・・。
9
海の向うの星振る旗の下で楽器を手に取り叫び続ける《ルサンチマン》はこう叫ぶ。
※2「U.S.A.の頭文字の二つを残せば.U.S(我々)だって事を忘れるな!!」
残念ながら彼らは忘れたのではなく。捨て去った、と言える程等しく夜は育つ。
※2.Albam.ries.you'r.boies.All.ages.YAA-By.bad.religion(悪徳な信仰)
10
神に従い忍従すると言う、最小の預言者は、こう神の箴言を教え込むのだ。
「嘘突きは“悪”です!!騙されないで下さい!! 聖人は絶対に嘘など突かないのです。」
「神の声が響くので突く必要が無くなるです。だから皆さんどうか嘘突きは“悪魔”ですから騙されないで下さい!!」
嘘を申さずとも口は災いの基に一番近い事を確認して欲しい―腹減った・・
『パンが無ければお菓子を食べれば良いんじゃねぇの?!』
さて!殺るか!!ハハッ!待てー!まじーアンカケ・セット、頂きます。
372:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/09 13:42:09
11
未来世界から産業廃棄物の不法投棄を企んでた。
猫型アンドロイドの中で、もう何十年も昔から。
ずっと興味を、そそられ続け、今現在でも、この土地に入る度に再び胸を熱く焦がし、夕日と伴に沈んだ。あの頃を思い出すんだ。
だが、どうしても諦めに 踏ん切りが突かずに どうしても気に成る存在が居るんだ。
野良エモン「延び過ぎ君、一体、何が一番君の関心事を買い占めて居るんだい。早く挫引きなよー」
ボクァ・・一回だけで満足するんだ・・そう、たった一回だけで・・・野良エモン!!
僕の願いを聞いてくれるんだね!?
野良エモン「よし解った。買い物行きたいんだろうけど面倒臭くてどうでも良い?延び過ぎ君!!」
嗚呼!!一回切りで良いからどうか私が生きてる。 間に「リアルでザマス言葉を 連呼してるリアル・骨川ザマスに遭遇したい!!」
12
移り行き――それは何かを残す事で在ろう――故に全ての幼子はやがて、少年へ移り行き。
そして少年から青年へと移り行く――故に全ての男性には、子供が移り込み、
又それ故に全ての女性は子供を愛する事を自らの内に知る――故に全ての男性は母親の愛を空虚に欲する――故に全ての万物は“移り行く”運命を回してる。。
13
より遠くを更に近付けた、者は後に、こう語る――私自身が在った場所には、一つの印しが置かれてる、と―然るに人が奏でるのは自身が残した音符を鳴らす為であったか!!
14
「聖人は絶対に嘘を突かない。」――思うに「聖人」とは規格外の馬鹿者か、はたまた既に全ての「聖人」はこの世を過ぎ去って行った者なのか――。
15
なんだって!?泉ピ〇コのピは放送禁止用語だって!?
それから、暫らくエナリは失踪した。悪しからず。
373:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/09 13:45:19
16
もはや、私の幸福は善悪の彼岸へ傾き又、昇る。 彼岸の対岸で幸せは死合わせと成り祝福を受けた。
―思うに現代人は幸せを持てないのでは無く――幸せに慣れないのでは無かろうか?
17
もはや此処まで不況の凄惨さは悲劇を極めたか!!
思うに故に自らを正義の、救世主等とそれこそ訳の解らぬ儘に同情により、社会悪と向き合うと言う。
あの少し足りない集団がのさばるのだ!!私の怒りは遥か地平へ吹き飛んだ!!
私が彼らを初めて見た時、余りの腑甲斐なさに嘆き、腹立たしく感じるのは、もはや必然では、無かろうか?!
敢えて名指しで告発しよう!!
そう奴の名は『パーマン2号!!』貴様はチンパンジーじゃねぇか!?おい!!
なぁ鳥男よ・・・せめて霊長類人科から始めようぜ・・・・人と動物の架け橋を逆走するとは!!素晴らしい程のどアホ!!
18
『二人の権力者。』その世代に置ける認識を通し確認出来る役割は略、同じと等しいのに、その名前の印象から受ける価値観に恐ろしく開きが認められる。
その二者により認められる能動的を示す評価の内は、一人は自己中の王様、そしてもう一人の独裁的な役割の人物の普遍的な認識評価は、
そのものズバリ『豚ゴリラ。』豚+ゴリラと聞けば、何やら、とてつも無く醜悪な、印象を受けるが奴は結構、良い奴だ、但それだけに悔しいのだ。
単なるあだ名が『豚ゴリラ』で在ると言う事実が!!あ・あ・余りにも悲惨過ぎねぇ?あだ名にしては?
三七
「どうですって?通俗的に言えば、それは、神に否定されるが、しかし悪魔には否定されない――ということではありませんか。」
その反対なのだ!諸君、その反対なのだ!それで、諸君に、通俗的な言い方を強いる奴は悪魔にでもさらわれろ!!
フュード・リッヒ・ニーチェ著・善悪の彼岸・第4章「箴言と間奏」より抜粋。
LAST
人類学上あらゆる意味での厳密性に通じる道筋を辿る事が可能なら、人類史に置ける、あらゆる全ての
“革命的”な事実など何処にも見当たらぬ。
変わりにその事実を試みた意志が移り行く姿だけが、其処にはたたずみ或ると 言うだけだった・・・。
374:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/10 01:48:07
動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
【ニヴェラリズム・IN・OK?!】序幕・第1章。
幾つもの瓦礫を踏み付けた事だろう?又、どれ程の間違いが是から崩れ去るのだろう?――「我々が“間違い”を捨て去る時に、又、生への全ての愛も―即ち一切の真実を投げ捨てる事と何も変わらない。」
さて、驚愕にたたずみ
但、不埒な知識を丸め込むあなた方、新しき哲学者 としての資質が経験に追い付かぬ、道徳の奴隷達よ!!
今一度、遡っては尋ねてはくれぬか?
ならば、否!!この一度!!あの精神を支え続け、突き進む先に潜む無知こそ我々、哲学者を哲学に引き止める程にもはや苦悩するのでは無く。
そう、無知すら楽しむ為に自らその無知なる未知を、告げる逆説的な道理を進むべきなのだ!!
我々、諸君よ、何故にその様な精神が見つけられよう、何故に我々は哲学的な認識者に引き付け又引き留められよう事か!!
375:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/10 01:49:32
我々、諸君よ、何故にその様な精神が見つけられよう、何故に我々は哲学的な認識者に引き付け又引き留められよう事か!!
私の真、深みから精神と、又は意志としての集合体とも、置き換えて差し支えない、一つの明確にして曖昧な感覚により強く鳴り響き。
その概念から発っせられた意志の情念を自らにより、感性に染み渡り感覚の奥に深く吸収した。
その自己と異なる意志の余韻は、あの一つの“危険”を掲げ挙げた。
あの意志が纏う柔軟な屈託を見事に包み込んだ――自己粋狂とも軽蔑が軽く飛び越えた。
究極の自己感覚の果てに 辿り着いたその姿からは。
もはや、言葉による誤認を与える、あの不透明さにすら――私は感謝する事への拘りは、よもや一つの憧れが燃える場所だとは―
―何よりも思い描けない“野蛮”で“危険”な賭け事に既に自らの価値を賭けを望んだ事だったとは、――今、はっきりと理解が認識に追い付き。
他のどれとも異なり混じ合う事で、私の“力”に置ける限りに今から、此処から直ぐにでも、意志を全ての意志する所へ連れ出す事を
私と私が燃やす憧れが、沈むまで果てしなく“試み”る事を、何よりも許して
貰おうとは誰よりも、この自身と一切の“孤独”が・・・・全てとの“孤独”を見付け出す迄に。。
―思うに私が最初に哲学へ照らした明かりは、――憧れを燃やす事であった――。
376:動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》
06/06/10 01:52:13
《ルサンチ・ライオット》第2部・序幕・第2章。
【胡桃割り人形の“理”の拘りとお断わり。】
力への意志とは、つまり、生きる事への衝動と情熱の燃えかすから小さな種火を絶やさず割り尽くす―。
あの過去と未来の所々を、摘み挙げ、叩き割る一つの玩具を扱う事と良く似た、感覚だったんだな――
つまりは――永遠の子供に連れられて――気の赴く儘にあらゆる責めぎあいに巻き込まれ―――縛り付けられた。
但それだけだった、真にそれだけの胡桃割り人形だった。
今までと、今までが擦れ違い、互いを見失う・・あの瞬間までは――数少ない全てを差し出せる程の価値を自身により。。
『創造』出来るか?
『私の様に時に柔軟な無様さを容易に身に付け。
又の時に意識され直接に調節の行き届いた。
力を残す事を貯えれるだけの知識を広い集めたか?』と――。
私はもはや、その問いに、何を告げようとも既に跡は無い。
嗚呼、良く解ったね・・・嗚呼、良く割ったね・・・
結局、知恵と呼ばれてたのは、ホラ・・あの胡桃の実が割れる姿と知恵の本質が着こなした服装に良く似合う。
あんまり意味無いよね?
もう・・・それ・・と・・あれ・・は・・ホラ此処から・・・今一度もう一度。。
私は真にあなた方に、この様に告ぐと言う・・・・・さぁ――直ぐにでも呼び起せ―――又、その後に刻み込め、その一切の終演に流れる曲目を――
―今此処から立ち上げれ―さぁ意志を傾けろ!!その場所へ・・・・・・・
I.Waeean.riot!!(自分で欲した暴動へ)
なぁ反感て何なんだろうな・・さぁ・・反応じゃないの?!何に対する?・・・気持ちを表現する感情に、対する、反応じゃないの? さぁ?其処までは・・・。
考えて見てはどうであろうか?!と。
私はまことにあなた方に、こう言った。
377:考える名無しさん
06/06/10 02:25:12
「権力への意志」って、
妹エリザベートとペーター・ガストの手が入っているという時点で
我々はそれがニーチェの意図とはほとんどかけ離れているのではないかと
疑わねばならん。
それはおいといて、
動物的哲学者と無政府主義者・第2部《ルサンチ・ライオット》!
いい加減にしろ!このパラノイア野郎が!!
378:考える名無しさん
06/06/11 00:00:14
>>376
荒らすなバカ
379:考える名無しさん
06/06/11 05:38:15
「古典ギリシアの精神」
「悲劇の誕生」
「哲学者の書」
「反時代的考察」
「人間的、あまりに人間的」
「曙光」
「悦ばしき知識」
「ツァラトゥストラ」
「善悪の彼岸」
「道徳の系譜」
「権力への意志」
「偶像の黄昏」
「アンチクリスト」
「この人を見よ」
「生成の無垢」
羅列してみました。他に有る?
380:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 02:42:22
詩人の花と自身に咲く華をjenseits.von,gut.und.boes.18551866。
刻まれた墓標に飾られる花束の言葉と遺言の遺産を告げ繋ぐこの意志の系譜。。
手記一通目。
《カスパの挽歌。》
この墓標に私、自身から抜き落とし、突き刺さる。
逸脱者へ向けられその弦を集中して引き付け、放たれるネメシスの弓矢を。捧げ、又その古い石の板を、この頭上遥か彼方の空に架かる虹を、見続け。
掲げ上げられた自虐と自逆に掛けられ鳴り響く。
目覚まし時計の短針と長針が重なり。
短針が刻を生み続け、長針が時を受胎し産み落とされた彼岸の常に越えて引き起こる感覚に埋もれながら・・。
一仕切り淡い柔軟剤の程良く混ぜられた。語るに最も静かな夜の明るい沈黙の光に囁かれる儘に、透明な悲劇に汚された。響き渡る、背徳の行進曲と日陰に映され色濃く。
漆黒の夕闇を引き裂き空の底へ。善悪に置かれ過去に様々な音色を奏でた音符の調べを。《ダートとベーゼ》が辿り着いた悲願と祈願の墓前を巡り。
銀河を蒸気機関の、圧力で夜空を駈ける。
発車を見届けた後の余韻を追い掛けて。音響設備の状態が程良くひび割れて。その雑踏と騒音を見事に全てが、立ち並ぶ“善悪の鎮魂歌”をあの列車の汽笛と、春と修羅に架かる架け橋をこの新世界交響曲は燃え盛り、火柱を見上げ。
381:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 02:44:25
半透明な色の宇宙〔天〕を背徳と懺悔の透明な迄に誤解を赤く染め上げ。
今まさに神々しくは黒々と悲劇と喜劇の舞台を涙で滲ませ刺激する。罪悪と刑罰の焼却された、あの煙は垂直に綺麗に、立ち上させる無音の儘に過ぎ去る。
そんなお馬鹿で下劣な奴に迄見え隠れする。小さな認識の楽園の麓の茂みの中に小さな誓いを試みる。あの彼岸の向こうに咲いた、睡蓮の華はもはや、誰にも愛される事を拒みはしない。
この街のごみ箱を鮮やかに飾る解毒の華と、その未来に待つのはもはや、全てのアンチクリストが十字架を前に拳握り締め高々と終演へ続く階段の上へ掲げ上げ。
口々にこう叫ぶ!!
神よ!法律を救いたまえ!!主導者達がモラリストの権利を横目を使い、世論を世界を最も良く知る。手段に活用に過去との比較に余念の無い程迄に、理屈を卑屈な直線に螺旋曲げ。
すでに道理の金筋は理屈の骨格と基礎的な倫理論としての起源は既に見失われた。
巨人属の王が業火の剣(レーバ・ティン)を振りかざし大地を剥ぎ取り。その業火は地上を七日間に渡り燃やし尽くすと言う。
主神は自らの右目と引き替えに古代文字の魔力を身に付け、より優秀な戦士の戦死した魂を使いの女神に、この神殿に集め、終局の聖戦に望むと言う。
青白く点滅する薄明かりの闇を光らせる。
幸いにも凶とも不仲に、私が置かれた空間と白い息をぶら下げた。カーテン・レールを滑る様に開かれた。この開示された儘に閉ざされた、有機物と物理学に取り上げられ壊された。
382:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 02:52:40
一つの現象として与えられた、電流を磁場が吸い上げ引き寄せた、私は淡い幸福の内に咲き散る為の花弁など、既に美しさの不妊治療の、必要性をものの見事に、忘れ去りました。
※また、僕達二人きっりになったねぇ・・・・。
どこまども、どこまでも一緒にいかう、僕はもう、あの蠍のやうに本当に、みんなの幸の為ならば僕のからだなんか百ぺん灼かれてもかまわない。
※※私がそのみみもとの遠いところから聲をとってきて、そらや愛や林檎や風、
その全ての勢力の楽しい根源、満象同帰のそのいみじしい生物達の名をちからいっぱい、ちからいっぱい叫んだとき――中略――
そしてその淋しい林の中のいっぴきの鳥になっただろうか―――。
あるいは修羅の十億年に、潜む私は一人の修羅なのだ。
※宮沢憲治・銀河鉄道の夜より一部転載。
※※これも、同じく宮沢憲治・青森挽歌より一部転載。
嗚呼、私しは決して自分一人の幸福だけを祈り願ったりはしませんでした。
詩人の花と自身に咲く華をjenseits.von,gut.und.boes.18551866この場所へ今贈ろう。。
刻まれた墓標に飾られる花束の言葉と遺言の遺産を告げ繋ぐこの意志の系譜。。
手記2通目
《ラ・ベート・フイゾロフ》(動物的哲学者)と《スペキエス・アナルキステイカ(無政府主義属)》
あなた方は、この言語が言葉との間に成立し構成された、その認識の懐からは、もはや“危険”に程近く、破綻する。
この真昼の世界に横たわり征服され尽くした、知識と認知とに隔てられた。
“二つ”の天により授かる才能は、“生む”か“産む”か?それとも、もはやそれすら“有無”の消印を叩き付け。
既に“未来”への手紙はもう既に配られたのだろうか?
感性と感受性は相反しては同時に愛し合い、又、直ぐに互いを見付け出す。
“テンポ”の違いにより、度重なる誤認を流産する為の危険性を想像性と、全くの根拠も起源すらに果てしなく、過酷を刻銘により刻む。
“その名”を読見違え、又、呼び掛け続けた。
383:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 02:54:51
その後に振り返る過去迄をただ静かに過ぎ去る事に置き“忘れた”足跡だと日陰と日向に寄り添い合う。
上流に流れ去った忘却には偽りにより誠実に、自己と現世を引き止める。
より鮮明な閃きと轟音の作用性の二重反動によもや、あなた達が首をやや虚ろに傾ける。
その姿のもはや“何処”にも、自身の命令と服従の反応により、形作られる影は見当たらない。
誘われる深みと高みへの試み予見と発見者としての正直な、知能の燻りは、既に私の中で「“燃えよ”我が知識!!」と叫び続け。
今だに燻りの柔らかな緊張が膨張し破裂する。
終局のターン・テーブルの針の上を踊り見事に砕ける程の深渕が精神の内に捉われる理性が示した。
“混沌”を称賛し又、無理矢理に迄、非道に道を閉じた。この門を見上げた儘に唄う者が実践的には他との決別を唄は、見事に造反する。
「狂気には常に幾分かの愛があり、又その愛には常に幾分かの理性がある。」
少し、しなやかな本質的の着眼を見事に無色・透明着こなし跳ね上がり、飛び立つ。
一つの孤独をあんたと、その他に空回る。表象学的、現世科学等と言い張り。
振り返り残された。
余興への誘いと優遇差との間に取り交わされた、その情け容赦の無い反動の上で初めて告げる。
自己“疑惑”と利己“疑惑”に連れ去られた彼等、実多くな余計な人々の中には、残念だが。もはや何も授からず、創造の組立図すら組立ず。
狂気的な程の狂おしい果実を熟れる事には常に僅かながら愛する事を熟知した証が、微かに漂う。
384:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 03:02:42
だが、その背後を説くものにも、又、常に少数にして多大な理性がある。
直感的な鑑定、助言!!
ならばいっそ、その理性を飛び越えろ!!
詩人の花と自身に咲く華をjenseits.von,gut.und.boes.18551866この場所へ今贈ろう。。
刻まれた墓標に飾られる花束の言葉と遺言の遺産を告げ繋ぐ、この意志の系譜。。
手記・最後の文末。
さぁ此処からを何処からに繋げようと、我々が我々と他の中で対峙する関係の中で成立の事実を確定する、
と言う、極めて万象の善悪を唯一、裁く事が可能で有ろうと認められる。
秩序的な法則を、粉々にまで自己解釈と利己解釈の共通点を通過出来ず。
又、己も滅せずに知識に偏り語り掛ける智を愛する者だと、自称する輩が、何故にあなた方の様に背を屈めた知性が智を愛する事等出来ようものとしてみても、・・・・。
智を不妊により受胎出来ない事だろう。
更に厳密な意見の提示を、尊重される事が許されるならば、心置きなくあなた方をこう呼ぶだろう。
『何よりも他人の恥部を愛し、喜び合う。恥を愛する人達』と。
思うに純粋な“智”への愛等よもや、大胆過ぎる程に魅力的な誘惑で嘘と真実の統一的な間違いへの呪咀として魅了し又何よりも、低俗な知識人を自称し慣用な動きに最も良く意識を止める。
彼等の趣味に何よりも、合い。又、同時に上から下を眺める優越感に快楽を得て唯、自己により発せられる。あらゆる“概念の通説化”を最も良き、合理性に倫理的な有能な優れた知能だと、多くの鎮痛剤に病まされた。
不要な迄にもはや、何も欲しない事でしか愛せない彼等をそそるのである。
385:置き手紙と消印と花束の結婚式の招待状。尊くの系譜。
06/06/15 03:10:24
私は、こう信じよう!! 智を愛するならば、又、智に愛される事も同義!!
私は、この様に説こう!!
『哲学者は何よりも“知る”と言う事と愛し合う。』
人間は皆、平等か?
実に認識の欠落と知性の欠如の芳しい愚劣な意識は、平等を不正に均等に配ろうとは、一切知る事の無い、知識の内実性の内側と外側との誤認を知る事を見る所で、有ろう。
人間は皆、平等か?
ふざけるな!!どんなに事実を螺旋曲げたって、どんなにか、それがこの世界に置ける真実の一切だろうと知る事が出来ようが、その時こそ、より高々と、より鮮明な記憶に刻み付け。
あえて言ってやる
人間は皆、平等などでは“無い”。
今日迄、我々人類が知性を宿した時からの宿命だと、いうならば、もはや、人間は皆平等だと平気で悠々と口に出す奴を見かけると本当に何も理解出来ない人間だと言う事が、およそ直接の会話を必要とせずとも
十二分な答えが的確であり精確な合理的にして、実在性の確立が極めて真実性の内に置かれた事を私に告ぐのだ、このデリカシーの品質と本質を大幅に欠如した、偉大を見上げる愚劣を極めし人間よ!!
我々は決して平等等では無い、まず此処から築き上げずに何を平等に価値を与える?
『不正こそ平等に配って、こそ更正である。』
私が知る限りの一切の中に或る最も“優れた人”とは自らの憂いを支えられる、人が何よりも優れた本能を極め細やかな認識力を同時に備える人だと、私は言わなければ成るまい。
愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる。 ニーチェ。
そこに置かれた手紙の消印には日付を示す記号には一切の数字と文字を表す判は押されてはいなかった・・・。
386:考える名無しさん
06/06/17 09:46:17
読むに耐えぬ駄文を書き散らすな・・・!
ば~か~。
387:一言居士
06/06/17 10:21:39
いったい長文ばかり書き込む人は、ニーチェの言から引用しているんですかね?
そこんところはっきりしてほしいですね。
388:サメの口
06/06/17 10:30:47
ニーチェは難しいよ
389:考える名無しさん
06/06/17 12:39:00
ニーチェは詩的だけど詩人の天分は無いな
390:考える名無しさん
06/06/17 12:43:44
アドバイス:あえて言ってやる。「無駄な改行」をやめれば一つに収まるゾ!
391:考える名無しさん
06/06/17 13:19:45
>>385
笑わせるな!!どんなに恥文をこねくりまわしたって、どんなに偏執病患者特有の駄文が彼の狭量な真実の一切なのだと分かっていたとしても、
その時こそ、我々はこうはなるまいと、狭い舞台でバタバタプリプリしているのこの畜群大根役者など意に介さず、また同情もせず、
より高所の畜群に汚されていない澄んだ空気を常に切望し、追い求めているのだ。
392:
06/06/17 18:07:03
ニーチェのメディア論教えて
393:考える名無しさん
06/06/18 15:50:32
>>392 何、それ?
394:考える名無しさん
06/06/18 22:36:21
いい。面白いからもっと書きな。
395:考える名無しさん
06/06/19 01:04:33
ファッション哲学徒たちに崇められてニーチェかわいそす
396:考える名無しさん
06/06/19 12:29:34
>>395
だとしたら、ショーペンハウアーを信奉したいたころのニーチェはまさにそれだといえるな。
397:ニヴェラリスト(孤独修正主義者)は書く語れ行き。
06/06/19 12:41:00
ニヴェラリストはこう言った。
第一舞・ニヴェラリストの序奏――始まりと終らない歌に送られた前書きの落書き。
《第一幕》――「喋人」と「終極の人間」達――。
“天才的賤民性”
1
誰にでも踊れて、誰にも踊れない譜面に書かれた歌。。
人々の上に、既にあの黄金色の輝きを回す、車輪が十を三つ数え。成熟の雨季の訪れと供に、空転する遥か遠い過去を繋ぎ止め。
存分に悩み、耐え抜き その果ての時を中空と間隔に愛され、大いなる結婚の後に産まれた。
一切の上を逞しく支える程まで苦痛に精通した抜け道に続く、この穴を通り抜けた先の戦いと、その休憩の為に“平和”が或るよう静かに祈り留まる事を今暫し、私に許せ!!。
揺るぎ無い闘争を快くはばたかせ、有意義と思われた失敗をその軽い身から全て従え、自身その身から落ち行き。
悲劇が生んだ英雄と喜劇が産んだ、牧神が自らの苦悩を忘れ去り。淡い暴動の歌を真、柔かなに激しい狂気の内の心にも、響き感性を揺らし動かす、為に、この身を差出し高らかと自らの自由を宣言し!!
制圧に抵抗する唄を歌うんだ――。
真、動向の面持ちの陰りに、苛立ち。癇癪を雄弁と地面に気紛れを叩き付け。
実に気儘な迄に気楽を手繰り寄せ。自由に気持ち良く生きて行こうではないか!
諸君!!と、確実な幸いを小さな災難にして配り歩く。
夜空に破ぜ銀色に飛び散る水銀の水玉が大気を透き通る程に迄、熱心に白銀の光沢を街頭の灯りに溶かした。
398:ニヴェラリスト(孤独修正主義者)は書く語れ行き。
06/06/19 12:42:56
凍える冷気の熱さに興味を乗せられ。
フリュートの音色と願いに咲く花を。
静かに過ぎ行く静寂な夜の風に投げ出し。その冷たい日射病に、軽い眩暈に選り好みされた。
「嗚呼、皆は人々は均等だと何よりも信じて病まない!・・・・」
耳と心を体に誠実率直な声を傾け。この独りの人の間を担う。意志された男の意志を作用させる。
「どんなにあなた方の耳基へ不快に届こうと、どれだけ非難と批判により嘘突き呼ばわりされようと!!」
《私はこう言わねば、もはや何が“真理”であろうものか!!》
良く理解しなさい!あなた方、終極の対極の彼岸を 見届けれぬ、あなた方よ、終極の人間達よ!!
だが、憎むべき事では無い否、それよりも軽蔑を分け与えて欲しい、とさえ。
私は知る事を誠実に率直を安直に突き立てた。
良く聴けゴミ共と 汚物をごちゃ混ぜにした
恥じらいの終着駅の白線に立つあなた方人間達よ!!
――良く知れ塵共―――理解の挨拶と供に差し出された。その手に何が握られているか!!
「良く」知るがいい!!
生きる事とは良い事なのか?
だがあなた方は遠い空を 見上げるばかりで雲の速度が理解出来ていない!!
嗚呼・・我が友よ、私の動物達が大地と海を渡り。 あの空が水平に落ちる所で三度又ここで引き合う事となる!!
399:ニヴェラリスト(孤独修正主義者)は書く語れ行き。
06/06/19 12:44:53
2
「又、孤独の内にも一切の理性が或り、その一切の理性の内に混沌が或る。」
「反芻する狂気を伴い。自己を満たした者は狂乱と錯乱と伴に、その魂は朽ち果てる!!。」
「彼らは孤独に見捨てられたのだ。もはや、・・・・肉体よりも早く魂が、終わりを意志し飛び行く!!。」
「時に人は孤独の後に死が、付け回すと言うが!!」どうだろう?もはや、孤独の最も暗い深渕の底にさえ。
“死の説教者”は言葉を持たない、それどころか、その言葉の精神を自己を覆う。闇の中へ幾つか、解き放つと何とよもや!!
きょう日、孤独と死は別れの決意に漲る、淋しさを噛み殺し。再開の別れと再び巡り合う為に、双方は別々の道に真っすぐ進んだ。
嗚呼!!我が友よ!!嗚呼!!我が兄弟よ!!
災いなるかな、孤独が死を道連れに出来ぬ。
400:ニヴェラリスト(孤独修正主義者)は書く語れ行き。
06/06/19 12:47:54
過酷な没落を欲する程までに身に付け過ぎ、この身に多く実った。
芳醇な匂いを充満し必死に立ち上らせ。もはや、自分自身にとって、は不必要なものと化した。
この知恵を私の徳により贈り与える事として奪い去られたい!!、
だが、どうしてあなた方が奪えると言うのだろう?
ますます、略奪され貧しく生きる他、彼らが平等の意志を実現させえる残された可能性の確立だとは。
すでにこの平等を説く者は一切の力が何を動かす事も出来ない事を知る過ぎる位におよそ。
その要因の一切に素晴らしい程“無関心”な程しか興味を示せない。。
この人物は、きっとこう言うであろう事か!!
『嗚呼、なんて愚かで、罪深き人間であろう・・・。平等の古い石の板は今まさに彼により粉々に又、破壊された!!』
『だが、それが一体どう言った事であろうと。もはや我々は幸福の真理の柔和な輝きを知る事が出来るではなかろうか?!』
《人間は皆、平等である》
『おお!!是こそ我々、人類に相応しい真理だ!! この言葉の前ではおよそ、全ての不平は平等差の権利を主張できる!!』
打ち砕き破壊しなさい、我が友よ!!
およそ、その言葉が何より誠実にして率直に世界を、覗いた時に間違いだった事を悔やみ悲しみに打ち果てる事に比べたら・・・・。
叩き壊し踏み付けなさい!!新しい板をあなた方の上を静かに通り過ぎ没落する太陽が再び昇る真昼の頂点に三度、光を見いだしたなら。
掲げなさい、あなた自身の手で
まず何よりも、古い石の板を打ち砕き破壊して、その後にも、まだ憧れが燃える姿が見えると言うならば、
三度こう叫びなさい。。
「これが生きると言う事であったか!!宜しい、もはやこの板はこの角度によって自らに照らされる!!」
ニヴェラリストはこう言った。
401:考える名無しさん
06/06/19 13:57:25
たのむ。何が言いたいのかはっきりしてくれ。
まず日本語の文法。
それから、主語と述語。(なくても推測できるものはよい)
それからニーチェをちゃんと読むこと。
最後に、何が言いたいのかがまったく判らないのではっきりさせてほしい。
「独り言」なら一人でやれ。
対話しろ。
402:考える名無しさん
06/06/19 14:41:11
思考(車輪)が空回りしているんだね...
>「どんなにあなた方の耳基へ不快に届こうと、どれだけ非難と批判により嘘突き呼ばわりされようと!!」
非難を酷く恐れ、反論する力強さもない。・・・畜群
そんなもんだから「ゴミども」「塵ども」などの低俗な悪態仄めかす程度にしかつけない。
孤独に耐えられず、馬鹿だから言葉にできない言葉でそれをここにぶつけてみるのかな?
頭の良い人間なんて五万といる。ちっぽけな貴様の徳や知識なるものを誇大賛美し、
自己陶酔することを止めよ。
古い石の板(十戒)?確かにニーチェにはしばしば表れるが、誤認しないで欲しい。
それから、ニヴェラリストってなんだ?アホかほんま。
403:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:03:29
ニヴェラリストはこう言った。
ふむ・・>>401>>402まぁあなた方を予見する限り。
少しはマシな人間が
居たものだと多少は安堵感を広げても、良いものとみなすとして認識しよう。
では、まず、あなた>>401の中に或る私へと、この祈願の向こう岸に今、私があなたに与え渡した贈り与える勇気を、そっと静かに送り帰そうとしようか?
401:考える名無しさん :2006/06/19(月) 13:57:25
たのむ。何が言いたいのかはっきりしてくれ。
まず日本語の文法。
それから、主語と述語。(なくても推測できるものはよい)
それからニーチェをちゃんと読むこと。
最後に、何が言いたいのかがまったく判らないのではっきりさせてほしい。
「独り言」なら一人でやれ。
対話しろ。 まず此処へおよそ観点と論点の座標の統一を計る事とし下る事を暫し許せ!!と言ってみる。
『たのむ。何が言いたいのかはっきりしてくれ。』
よかろう!!
それでは、頼まれた事とは関係は余り良い付き合いをしていい事かどうかは些か疑問だが、
この際!否!ぶっちゃけ!はっきりとさせようとし又いよいよを持ってして
“あの”大いなる証拠を告げる為にかなり前振りが長引き説明の足跡を追い越してしまったが、まぁ悪気は多少或るが好きに為すが宜しい。
404:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:08:31
『Q.何を伝えたいか?』
「A.それは私自身であり又私の知る所である」と言う
所だが言葉は伝同率の功利性が結構、貧弱だ―――
まぁしゃあない、だが、私はこう言おう!!
良かったな私が超能力者では無くて、恐らく電波受信しまくりの放出しまくり、それこそ正しく、素晴らしい程のご迷惑により発射しまくり。
やがて、あの最も優れた暗殺者で或る、彼を呼び止めこう言わなくては成らない。
無恥過ぎる余り、言い切る勇気にまさる。迷惑の深みの底奥にまでに失礼極まり無い殺し屋は、余り居ない
進んだかどうだかも解らず侵略へ攻め込み自らを責める勇気、それは、死んでも殺されたりはしない。
なぜなら、言い切る勇気はこういうからだ。
「これが言い切ると言う事であったか!!よし!!
ならば、もう一度!!ゴメンナサイ!!」
405:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:10:48
まぁ、理解出来た所で何か一つの意識が移り行く事だと、私は何よりも俎板を研きながら学んだ、と言うか。
まぁなんだ、軽いアイロニーを偶然で踊る姿をたまには皆に見て感じて欲しくてね・・・・・つまりは、おちょくられてるのって実は俺?!
では、次の論点に焦点を意識する程の意味が、或るとはもう既にどうでも良いがまぁ聞いて置こう。
1『まず日本語の文法。 』
2『 それから、主語と述語。』
3『(なくても推測できるものはよい)』
4『 それからニーチェをちゃんと読むこと。 』
まぁペースが意気なりに呼吸を乱してしまいそうだが勘弁して貰いたい!!
少しばかり救済を待つ心持ちと略、等しく又、先へ進む事が何より、失礼するが
もう、結構前から面倒臭い
壱に書かれた表象を捲り上げるのは、否、今はよそうまぁ文体に関して言わせて貰うといたしましょう・・
私の手―それは落書きをしたがる阿呆の手だ。全ての机や壁は、わざわいだ!
阿呆のぬたくり装飾が、まだ利く、よちのある所は、わざわいだ!
私の頭――それは、永遠の胡桃割り人形になぞられた―永遠の子供を、――自らの中に育て上げなければ、頭は軽くは決して成らない。
2『 それから、主語と述語。』
弍への返答。
「なら、おめぇ教えれ。」
406:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:12:51
3『(なくても推測できるものはよい)』
参への返答。
「在るのに推測来ない物はの更に質が悪い。解ったらほら、はよ、寝ろ!!」
4『 それからニーチェをちゃんと読むこと。 』
四への返答。
是に関して思考を働かせ、能動性に息を吹き掛けるかの如く『最も静かな時』に語り掛ける様に話を言葉迄続く。
移り行きの中へ、同省もなく没落をともにしたい。
あなたは“彼”ニーチェをちゃんと読みなさいと命打つが果たして。
それが“善くて善しい”読み方一つの価値をあなたがきちんとた評価が出来てからだとは
他の何よりも“彼を読む”と言う事を擬いなりにも、自己観点により認識の表象にその効能性を示す。
《ダートとシュレヒト》に私の創作価値基準を支配させ自らの意志により。
書き綴る事で私が“彼”には決してばれないようにして贈った。
私に限り理解する唯一の、評価を私は何よりも自らへと贈り与えたい、ものだと
願わずには、もはや“生み”続くか?
それとも“産み”続く事でしか我々が存在すると言う
この“瞬間”には“有無”に置ける。
あの一切の虚しさが程良く全てに摂って意志する。
生物が永遠を求める虚脱感を運んで来る。
それが“正しい”事だったり。それとも、間違いだったのかも!!知れないとした所で“彼”を読む事により、私にはおよそ“彼”への理解を別な尺度に与え、手に入れた。
407:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:15:11
理解の仮面は容易くも、身に付ける事も時には、皆と伴に人間として生きる限りは、不可欠であろう。
この文面の長引いた事に軽く、詫びて、又直ぐにでも書き続けよう、と言う事を何よりも“試み”て
又、素晴らしく楽しみたい。。
それからニーチェをちゃんと読む事を書くと言う事により、何よりも伝え
その魂の内に響かせたかった事で在ろう
言葉は『勇気』を持つのでも無く『勇気』を与える事ですら無く。
恐らく恐ろしく危険の内に或る『勇気』を示す事。
だと、私は何よりも自身の解釈の真理性を信ずる。
では、私から一つ理解の結び目を解く糸を提示しよう。
ゾロアスターとヨーロッバ更に解釈を掘り下げると、奴隷と高貴、支配と命令。
ローマ対ユダヤ・ユダヤ対ローマとの戦いで勝利を納めた彼らのその勢いは止まずに貴族対賤民・権力者対大衆とまでに飛び火した・・・。
まぁ後は自分で読み集めなさい偶然が踊る足の上で。
彼の著書の中でも一際、記憶が“よい”と“わるい”の功利性をその意識に刻み込んだ記述が在った。
408:ニヴェラリストはこう言った。ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ。
06/06/20 01:17:44
うろ覚えだが『善悪の彼岸』に納められて居た言と記憶が思い出した――
思うに知恵やら知識など、結局の所、こずるい言い訳に手を延ばす事と同じだと思われる。
何よりも勇気、人間的な勇気を知恵と呼び、最高に価値の或るものとしたい。
然るに我々、哲学者は、あらゆる敵と成りうる者を見付け出し。
戦わねば成るまい。そして危険に自らの価値を掛けて進む。
そのような勇気をこれからの哲学者は示して行く事に成るであろう。
最も分が悪い賭けに自ら挑みその価値を賭けた事を試みる。
女である知恵が愛するのはただ戦士の勇気のみで在る。。
まぁ然るに“彼”の没落する最後の姿は、自殺への意志では無く。
自らの価値を賭け、証明しようとしたのでは?っと!
これは、やや去き過ぎた、永遠回帰の道筋を引き返す最短距離の近道だったのかも?
だって、最も分が悪い事に自らを賭けようと試みちゃう人だから・・・・・。
あっ!悪い>>402君がにもキチンと返答を与えたかったのだが。
それでも、私に対して与えられた。どんなに善い事でも悪い事でも
私はキチンと復讐する事だけは約束しよう。
409:考える名無しさん
06/06/20 01:33:24
>>403-408
3行にまとまるようなことを何故に回りくどく
訳のわからん、支離滅裂で稚拙な文章でたらたら書き連ねるかなぁ?
あと、「ニヴェラリスト」ってなんだ?「にら炒め」の仲間?
410:私は見た君は恐らく本物か?
06/06/20 02:37:29
>>409君!君!?ちょっといいかい?えっ?何?何?はぁ?
ばぁ・か・か・ね?君は!心底そこそこのほら!
あそこよ!あれ?あ・あれは!い・い・泉!!ピンコ!!
踊ろうよフラメンコ、散り行く魚達よ!
おおーそれゃぁ縮緬雑魚!!幹事、可笑しくねぇ?
別に歯ブラシどうにでも、雨降らしには関係泣くねぇ・・。
でも本音を打ち撒けてやると。
私は本当ーに!!どうでも良いのよ。 ゴホン・・・私は一目見て理解した、君こそ類い稀なる。
極めて見る事を試みる最もな価値の或り。
又、その才能を最大限にまでその価値と可能性を広げる事が、君なら直ぐに出来るさ・・ 君は馬鹿の中の驢馬に成れる。
信じるが良い!!それは、それは、実に素晴らしい屈辱だ。 409:考える名無しさん :2006/06/20(火) 01:33:24
>>403-408
『3行にまとまるようなことを何故に回りくどく
訳のわからん、支離滅裂で稚拙な文章でたらたら書き連ねるかなぁ? 』
あと、「ニヴェラリスト」ってなんだ?「にら炒め」の仲間?
さぁ、君達、どうか『』の中を覗いて貰いたい。
何故、彼にはその単純にして明確にして純粋な理論が
何故?
浮かび上がらぬものなか?
411:私は見た君は恐らく本物か?
06/06/20 02:38:59
およそ、大体の賢きを知る知性は既に疑い始めて居るではないか!!
『Q.3行にまとまるようなことを何故に回りくどく 訳のわからん、支離滅裂で稚拙な文章でたらたら書き連ねるかなぁ? 』
私が私により適切にしてより的確な真理を導き出し、鮮明な浮き彫りにするとしよう!!
『A.暇なんだよ!なんか、悪いのか?』
真、この言葉こそ何よりもの真理を告げている事にはもはや、何も言うまい。
Q.2.あと、「ニヴェラリスト」ってなんだ?「にら炒め」の仲間?
素晴らしく、惜しい!!
正解はニヴェア・クリームを買い漁り。
業界にニヴェア・カタストロフィを引き起こし、化粧品売場を麻痺させ。
世の化粧品を変えて見ても中身が変わらない事には基本は常に友達だと言う為だけに。
化粧品界のあらゆる価値の転覆を試みる事を夢みる。
ニラ・レヴァ炒めを愛する為だけに世界各地から
あらゆる人を集結させた、大いなる暇人の塊の事なのだ!!
こんな事。今更聞くなよ、馬鹿!!
412:考える名無しさん
06/06/20 02:54:15
>>411
おいらが小さなガキのころ、
ヘイホー、風と雨、
ばかをやっても大目に見られた、
雨は毎日降るものだ。
おいらが大人になったらば、
ヘイホー、風と雨、
わるいことすれば追い立てられた、
雨は毎日降るものだ。
おいらが、やれやれ、女房もらったら、
ヘイホー、風と雨、
大口たたいてもだめだった、
雨は毎日降るものだ。
おいらが終わりに近づいても、
ヘイホー、風と雨、
仲間と同様、いつもへべれけ、
雨は毎日降るものだ。
世界のはじまりは大むかし、
ヘイホー、風と雨、
でもかまやしない、芝居は終わった、
ぼくたち、毎日、みなさんのご機嫌伺いいたします。
413:小さなヨハネ
06/06/20 03:20:39
ここは、馬鹿と吉外と豚の大合唱場ですか・・・?
嗚呼、魂をサタンに奪われた、哀れなる愚者たちよ・・・?
主よ、この者たちをあわれみたまえ・・・。
414:考える名無しさん
06/06/20 03:22:31
>>413
シェークスピアをしらんのか、卑小なヨハネさんは。
415:考える名無しさん
06/06/20 04:13:22
>>411
ヒマだからだと?
ここはテメエだけのスレじゃねえんだよボケが。
暇潰しならテメエのブログでやれって何度も言われてんだろうが。
勝手にスレを私物化しやがて、
100回氏んでこい、この腐れ穀潰しが!!!
416:考える名無しさん
06/06/21 02:21:40
そんなことより、Amazonで調べた岩波文庫のツァラトゥストア(上)が定価が600ナンボになってた! うちにあるのは360エロなんだが…
改訳でもしたんだろか?
417:考える名無しさん
06/06/21 20:02:54
哲学板、っていうかさ
長文より短い分の方が中身が詰まってる場合多いよね。
418:考える名無しさん
06/06/22 13:30:31
>>411
荒らすなよ低脳
419:考える名無しさん
06/06/22 13:32:21
ニーチェって何通りの文体で書けるの?
420:考える名無しさん
06/06/22 14:01:10
すみません
「わたしはカモメ」はニーチェですか?
421:考える名無しさん
06/06/22 19:32:43
久しぶりに来てみたら、わけわからんスレになってんだな
422:考える名無しさん
06/06/22 23:07:17
>>420
それはトルストイです
423:考える名無しさん
06/06/23 02:43:36
>>422
ありがとうございます☆
424:考える名無しさん
06/06/24 11:40:28
>>419
三通り。
ニーチェらしい文体、ニーチェらしくない文体、エリーザベトっぽい文体。
425:考える名無しさん
06/06/24 19:34:59
韻文と散文どっちも書けるっぽいけど、ドイツ語がわからない俺には判断のしようがない。
そしてドイツ語がわからない俺には散文ニーチェの方が圧倒的に評価が高くなる、と。
426:考える名無しさん
06/06/25 20:34:10
>>424
ニーチェらしくない文体って書簡とか手紙のやつ?
エリーザベトっぽい文体って書き換えられたやつ?
427:睡蓮の花言葉、mental.sketch.modiried.
06/06/29 23:30:25
mental.sketch.modiried.
狂喜に舞い桜の紅色は、土に振る雪の泪に染まりつくした・・・・・・。
嗚呼、群青に立ち尽くす。この紅を憂う、その時、私は一人の修羅だった。。
ZYPRESSEN.移り往くもの・・・世界に対し拳を垂直に突き付ける。
序奏・ZYPRESSEN.それは我と汝を突き抜け、より硬く
心象と現象が細切れにちぎられて、細々とこの世界に流され往く・・。
弌
私と言うべき、この手垢に塗れ、皐月の朝を支配せんと、紅い水流の懐で愛子ながら。あの暁の月に見立てられ、紅の悲劇は英雄達を墓場に仕舞込むように
芳醇な眼差しを軽く、意識の表層に滑り込むように、鋭利な空切に見惚れながら。
悲しみの蓮華には、もはや蓮の葉は潤いを求めない。
痛みを隠した事に、敏感に反応し、滑らかに・・しっとりと、ゆるり一つ二つを数え、そうっと、数を積み重ね。いたぶる様な素振りで、ひとしきり撫でた・・。
(あの日陰の野原に咲く、睡蓮の花に雨を宿せば。)
もし、あの木が育った直ぐ近くと、そのほんの微かな微睡みの底網をしかりと握り締め引き寄せた。
428:睡蓮の花言葉、mental.sketch.modiried.
06/06/29 23:33:49
弍
意識の合間に、もし誰かが、泉を見付け石を硬く握り締め、その水面に力いっぱい、極力すべてに分け与えるように、・・・その手に硬く、握られた。
たった一つの数に認められた、その石を、何事にも恐れを近付けずに・・真、粒さな音を残した儘、その水面を意識して、梳かさずに放り込み・・。
もし、それでも・・何か浮かび上がり
忽ちの合図を受け取り・・不覚と深くの真、深渕の奈落が供に同情を捧げ。
その反証までに用意された憎しみは、もはや気薄な、
迄に嘘を見透かされた事へは、もはや何の恥じらいすらも、しかと好め過しく、万象に寄せる好意の中に飲み込まれて・・・。
やがて、その一遍の決意にすら、幼子を包むかの如く抱き抱えては・・・
沈み行く姿の容姿と表情が・・・・もし、仮に神と呼ばれる神羅達の言葉を真旨く
愛される事に教えを頂いていたならば・・・否、私にそれが許され認められた事により、
その一切の影に見事に連なり行く、既に為された事であった出来事を!!
ただ一つ自身が欲し 何よりもその欲情が自らにより、
私が欲した出来事で逢ったと言う事だと造り変える無様な、芸術の粋にも、見つからずに・・・
それでも尚、この偽りの中にでも造り代える事が、もし・!!
出来る事がおよそ実現の 幻想にも記される事すら不可能な事だと、そしてその後には我を許し、 それでも幸福は、やがては永遠を伴に誓うなどと
尚、私にあなたを信じろ等と、・・・・まだ生きろと命令するならば。
私はこの木と此処に広がる泉に流れ着いた一切の魂を待ち侘び許しをくれてやろう、又、その後に砕こう!今はまだ彼の刻などでは、決してやっては来ないのだから!!