ショーペンハウエル(ショーペンハウアー)についてat PHILOショーペンハウエル(ショーペンハウアー)について - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト963:考える名無しさん 06/08/26 23:41:02 ショ氏の生きざまは言行不一致などではなく、少なくともかなりのレベルに 達していたと思われる。 964:考える名無しさん 06/08/26 23:54:13 どうなってるんだ。怒らせては駄目なのはわかるが現実をしらなければ先へは進まんぞ 965:考える名無しさん 06/08/28 17:27:19 942のつづき これは、聖パウロ(『ローマ人への手紙』第三章二一以下)やアウグスティヌ スやルターが説いているように、ほんらいわれわれはすべて罪人(つみびと) であるがゆえに行いによって義とせられることはできない、ということは ――けっきょく次のことにもとづくのである。すなわち働き(オペラリ) 〔人の行い〕は存在(エッセ)〔その人となり〕より生ずるものであるから、 もしわれわれが行為すべきまさにそのとおりに行為するものであるとしたら、 われわれ自身がまた現実にまさにかくあるべきそのとおりのものである、 ということにならざるをえない、ということである。しかしもしわれわれ 自身がまさにあるべきそのとおりのものであるとしたら、われわれは、 われわれの現在の状態からの救済をもはや必要としなくなるであろう。 しかしながらこの救済こそ、ただにキリスト教のみならず、バラモン教 と仏教もまた(英語で究極の解放(ファイナル・エマンシペーション) とよばれている名のもとに)最高の目標として説くものなのである。 つまり、もし前述のとおりであるとしたら、われわれはまったく別のもの に、いな、われわれがまさにかくあるべきそのとおりのものでなければこ そ、為すべからざることをわれわれはまた為さざるをえないのである。 であるからこそわれわれは、われわれの志操と本質の完全な転換、 すなわち再生を要するのであり、救済はかかる再生の結果として現れき たるのである。罪は行為に、すなわち働き(オペラリ)にあるとはいえ、 その根はあくまでも本質(エッセンティア)と存在(エクシステンティア) にある。働き(オペラリ)は、わたしが『意志の自由について』の懸賞論文 で示したように、存在から必然的に生ずるからである。したがって原罪 こそ、ほんらいわれわれあの唯一の真の罪である。ところでキリスト教 の神話は、この原罪を人間がすでにこの世にうまれ出たのちはじめて生 じたものとし、そのために不可能な事であるにもかかわらず、 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch