私はサンカ? 二つ目の疑問at MIN
私はサンカ? 二つ目の疑問 - 暇つぶし2ch257:天之御名無主
06/04/07 23:06:42
まあサンカそのものさえ、三角寛という人物による全くの創作と言い切る学者も居る。全てが創作ではないにしろ どこまでが本当なのか今となっては既に判らなくなってしまった。
それから皆忘れているのかも知れないが三角寛は戦前「ひとのみち教団」(現在のPL教団の前身)の熱烈な信者、今で言う広告塔であり「ひとのみち教団」が当局の弾圧によって
壊滅した後は、戦時体制に積極的に賛同/協力した。風見鶏以下の御仁である。昭和17年には「皇国薬草研究所」を創立し「セブリイ」なる人を食った名前のシモヤケの薬
(三角寛子氏によるとミカンの皮らしい)を軍に売り込み一財産を作り、当時の刑事警察で山窩の講演をしている。講演の記録が残っているが、官憲相手の講演が「嬉しい」
と連発している。戦後になり その所業を憎まれたか小説では生活が立たず「人生座」「文芸座」などの映画館の経営をしたり埼玉県の桂木寺(母念寺)という良く判らない
寺の住職になったりしている。有名なS32年の「福田蘭童剽窃事件」では三角以外がサンカを扱うと「盗作」になるという とんでもない猛抗議をしている。つまりサンカ言葉
の幾つかは自分が作ったと自分で認めている。更に昭和37年に「山窩社会の研究」で東洋大学から文学博士号を受けている。良く知られた「作務衣もどき」でウメガイを持った
姿は この時期のもの。「山窩社会の研究」は論文名だが付録に「福田蘭童剽窃事件」の顛末を資料として延々と引用している。どこまでも食えない人である。奥さんが亡くな
った後二号三号が出現した為 版権に支障が出て しばらく復刊しなかったらしい。一代記は面白かろうが、とても書いた内容を全て信じるわけにはいかない。ここらへんは三角
の娘である三角寛子著「父・三角寛」に詳しい。或いは平凡社新書「サンカと三角寛」礫川(こいしかわ)全次著に新観点からの記載がある。

追記)後藤興善の「又鬼と山窩」(マタギとサンカ)もオリジナルそのままに復刻され書店で入手出来る。批評社刊ISBN4-8265-0289-3 オリジナル
は昭和15年刊であり本書も旧仮名遣いである。三角に胡散臭さを感じる人は必読の書である。3800円也、前述「山窩社会の研究」で引用?した部分が沢山見られる。



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