爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1at HISTORY
爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1 - 暇つぶし2ch222:日本@名無史さん
06/11/29 11:34:34
良スレあげ

223:日本@名無史さん
06/11/29 11:53:22
うちの母方はそれほど裕福な家庭でもなく
昭和のはじめだというのにうちの母親は奉公に出されている
小学校には通えたが奉公先の赤ん坊のお守りをしていたのでロクに授業など受けれず
いまだにアルファベットは読めない

スレ違いだと思いますが昭和の時代でもこんな感じです

224:日本@名無史さん
06/11/29 12:15:48
>>223
あんまり関係ない話ですが、戦前の教育を受けた人って
小学校ぐらいしかでてなくても、字がきれいな人が多いですよね。
やっぱり学ぶ機会が少ない分、それだけ授業にも身がはいっていたのかな。

225:日本@名無史さん
06/11/29 16:17:08
明治生まれの亡くなった祖母も小学校4年ぐらいまでしか通ってなかったみたい

226:日本@名無史さん
06/11/29 18:34:51
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。
地方や集落により様々だろうけど、
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで
最も忌み嫌われたらしいなぁ

227:日本@名無史さん
06/11/29 20:24:26
じいさんが大正4年生まれ。
生まれつき病弱で小学校には6年中5年しか通えなかったけど、算数(数学)と
習字が得意だったそうな。あと>>226にもある通り、じいさんの生まれ育った
中国地方某村でも双子はあまり歓迎されていなかった。ただし幼児死亡率が
高かったため、里子に出したり間引いたりという惨いことはせず、どちらか一方を
1年か2年若く戸籍に登録させたそうだ(母方の祖母の姉もこのケース)。

228:日本@名無史さん
06/11/29 21:28:11
うちのひいおじいちゃんは空襲で亡くなった。
当時の蘇我は川鉄があったからよく空襲にあったらしい。
空襲警報が鳴って、急いで近くの防空壕に入ったんだけど
その防空壕は狭くて、まだ子供だったおじいちゃんとその兄弟を押し込み
自分は入れなくて、外にはみ出ていたらしい。
そこに爆弾が命中。おじいちゃんやひいおばあちゃんは助かったけど
ひいおじいちゃんは亡くなった。
会ったことも、見たこともないひいおじいちゃんだけど
子を思う親の愛はすごいなって思って、涙が出た。

あと、おばあちゃんに聞いたんだけど
終戦の直後も米軍の飛行機が飛んでいて怖かったらしい。
しかも林の中とかに隠れていないと、米兵士に連れて行かれる。と言っていた。

貴重な話を聞けるこの時代に生まれてよかったと本当に思う。

229:日本@名無史さん
06/11/29 22:45:14
ばあさんが明治生まれ
本家の娘が高等女学校に逝ってて、許婚がいたのに好きな東大生と駆け落ちしたそうな
それで学問をすると不良になると、ばあさんの家では男は中等学校まで、女は尋常小学校までしかいかせてもらえなかった

230:日本@名無史さん
06/11/30 04:03:51
母親の爺ちゃんは明治初め生まれ。まぁ俺にとっては曾爺ちゃんだな。
爺ちゃんの家は四国の何処だか忘れたが結構な地主の長男だったらしいが遊び人だったそうな。
そんな爺ちゃんが九州に遊びに行った時に知り合って仲良くなって好きあった娘さんが、顔も知らない歳も
離れた人と結婚しなくてはいけなくなったそうで、爺ちゃんとその娘さんは結婚間際に夜逃げしたそうだ。
んでその娘さんと結婚して各地を点々としていたそうだが夜逃げから半年後に四国の実家に帰ると
実家の土地の山が一つ売られていたんだそうだ。理由は娘さんの結婚相手に対する侘びに必要な金を工面
する為に売ったんだそうだ。んで爺ちゃんは父親に勘当され家を追い出されたんだが、まぁ世間体を考え勘当
したんだそうで、その代わり結構な金額を手切れ金?としてもらったそうな。
その後爺ちゃんは遊び癖が治らず遊んでばっかだったそうだが、遊びで手に入れた金と婆ちゃんの働きで5人の
子供を自分の様な遊び人とは無縁の立派な人に育て上げた。
だけど死ぬまで遊び癖は治らず金は入っても直ぐ出て行くみたいで、死んだ時の遺品がひょうたん一個だけだったそうな。

豪快な生き様だとは思うが、マネはしたくないw
長文スマン

231:日本@名無史さん
06/11/30 09:33:08
うちの母方のおじいちゃんは徴兵されたが身長が足りなくて
兵隊じゃなく船の調理係として採用されたらしい。
でも行く途中の船が爆撃され上陸もしないままあぼーん。
フィリピンのミンダナオ島沖です。
ばあちゃん当時25歳で4人の子供を抱えた未亡人になってしまった。
でも散々苦労して4人をちゃんと育て上げました。
親戚も多かったからみんなから助けてもらってたみたいだけど。
でも私が1歳の時に62歳の若さで亡くなった。
乳がんだけどちょうど私も生まれて忙しくしてたから病院に行けなかったらしい。
(自主的に病院に行く人じゃないらしいけど)
おかんは今でもその事を悔やんでるけどおばあちゃんは愚痴とか人の悪口とか一切言わなかったらしい。
晩年はたくさん孫がいて幸せだったんじゃなかったのかなと思う。

あとうちの親父が長崎の原子雲を見たと言っていたが福岡の内陸部の筑後川沿いの村から見えたのかなー?
近所で大騒ぎになったそうです。


232:日本@名無史さん
06/11/30 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。

233:日本@名無史さん
06/11/30 16:51:52
>>232
リアルだな…


234:日本@名無史さん
06/12/01 00:09:03
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは

235:日本@名無史さん
06/12/01 00:38:41
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!

236:日本@名無史さん
06/12/01 01:10:24
>>235


 ウ ホ ッ !  や ら ま い か ?

237:日本@名無史さん
06/12/01 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい

238:日本@名無史さん
06/12/01 11:09:51
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ

239:日本@名無史さん
06/12/01 17:17:04
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた


240:日本@名無史さん
06/12/01 19:26:32
>>239
いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ

241:日本@名無史さん
06/12/01 22:54:03
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな~。

242:日本@名無史さん
06/12/02 11:05:26
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ


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