06/11/10 20:40:27
幕末の若いサムライの写真です
URLリンク(puka-world.com)
84:日本@名無史さん
06/11/10 21:36:05
>83
横浜鎖港談判使節団の一行をルイ・ルソーが撮影したものの一部ですね!
その写真よりも、外国奉行「池田筑後守」でしょう!かっこよすぎる!
URLリンク(www.lib.u-tokyo.ac.jp)
他の幕臣の写真が見たければ・・・。
URLリンク(www.lib.u-tokyo.ac.jp)
85:日本@名無史さん
06/11/10 21:56:05
>>83
筑後の守、池袋に出没しても違和感ないなw
86:1
06/11/10 22:03:23
予想外に面白くなってますねw
>>79
僕らって、現代の技術が進んだせいか、
どこかで過去の人よりも今の方がレベルが上、みたいな錯覚があると思う。
でも79の爺さんの話や他の話を読んでると
技術や便利さを得た分、人間として懸命さがたりないような
変な感じがしてる。。
今の自分だったら戦争体験の時点で鬱になって立ち直れない気がするし orz
87:日本@名無史さん
06/11/10 22:16:17
写真関係はこっちにスレがありますのでこちらでドゾー
【幕末】 古 写 真 【明治】
スレリンク(history板)
88:日本@名無史さん
06/11/10 22:35:51
うちのじいちゃんは蒲田にあった撮影所の話をよくしてたな。
あと、死んだあとに、川崎重工に勤めてて、優秀だから戦時中もすぐ呼び戻されたと聞いた。
高学歴とも聞いたことないし、家で機械を弄ってるのさえ見たことないのでかなりショックだった。
89:日本@名無史さん
06/11/11 04:10:47
83.84と同じページにお宝発見!
幕臣時代の福沢諭吉!けっこうかっこいい!
この頃、ガキだった人が俺が生まれた時、まだ何人か生きていたと
思うと、俺も年とったと思うよ・・・。
URLリンク(www.lib.u-tokyo.ac.jp)
90:日本@名無史さん
06/11/11 04:16:25
>>89
>>87
91:日本@名無史さん
06/11/11 06:13:29
12月4日新撰組ファンならみる【燃えよ剣】原作:司馬竜太郎(時代劇ちゃんねる)でやるぜ!
92:日本@名無史さん
06/11/11 09:02:12
司馬竜太郎
93:日本@名無史さん
06/11/11 10:00:30
いいスレですね。
でもさすがに昭和の話が多い・・・。
で、私もひとつごめんなさい。
先ごろ亡くなった知り合いのおばあさん、4人子どもがいるけど、
長男とえらく折り合いが悪い。
太平洋戦争の頃、医師をしていたご主人と満州に渡り、
そこで長男を含む子どもを持ったらしい。
終戦のドサクサ前に帰国を果たせたそうだけど、その後の
長男との仲悪さに「満州においてくれば良かった」と愚痴ってました。
でも、実際そういうことになったら、どれだけ辛いか、必死で探したか・・・。
94:OPS
06/11/11 17:29:26
>>12月4日ですね。
95:日本@名無史さん
06/11/11 19:37:35
ネタを垂れ流すのはかまわんが
ネタを信じ込む厨は痛々しいね
96:日本@名無史さん
06/11/11 21:03:59
明治時代に乱獲され絶滅した生物が多い
スレリンク(wild板)l50
97:日本@名無史さん
06/11/12 21:09:46
爺さん婆さんから聞いた日清日露第二次の話ってスレは無いのか
うちはみんな死んでしまってるから聞く相手が居ないんだが
98:日本@名無史さん
06/11/12 21:13:22
戊辰も入れてもいい
99:日本@名無しさん
06/11/13 01:04:53
私の親父の婆さん、つまり私の曾婆さんだが、
田舎では大正の初めごろに電化されて電球がつくようになったとか。
そうなったときの曾婆さんの一言「ああやっとランプを磨かなくて済む」と。
まあ磨くまではよいが、煤が手や服につくと取るのが面倒だしな。
そんな手で炊事洗濯をするわけにもいかんから、さらに大変だ。
100:日本@名無史さん
06/11/13 09:19:02
どうでもいい話だが
幕末の武士の写真てなんでヒゲ生やしてないんだ?
101:日本@名無史さん
06/11/13 09:53:30
明治時代の髭は欧米人の影響だ
江戸には髭生やす習慣はあまり無いな
居ないことも無いかもしれんが
102:日本@名無史さん
06/11/13 10:05:36
ヒゲは戦国時代までは武士の象徴で付けヒゲつけてるやつもいる(秀吉)
が、江戸の始め頃、土井利勝が何故かいきなりヒゲを落として登城した
家康の落胤とも噂され、一代で身を起こし老中、大老に上り詰めた人物だけに、
周囲が真似をしていつのまにかヒゲをはやす習慣が廃れたという説がある
家康と顔が似てるのを気にしてヒゲを落としたとも言う
103:日本@名無史さん
06/11/13 10:28:38
あ、なんだ
江戸時代の武士はヒゲ生やす習慣がなかったのか!
時代劇見ながらヒゲ生えてない武士なんて邪道だと思ってたオレが邪道だったか
104:日本@名無しさん
06/11/13 10:52:29
正保2年(1645)、大小刀の寸法、髪・頬髯の制を定める。
要するに風紀の為だが、これを切欠にエラそうな髯が衰退した。
でも従者は「髯奴」というくらいで、(頬)髯がないと貫禄が無いと
言われもしているが(笑)
105:日本@名無史さん
06/11/13 11:25:19
御家人とかにはヒゲ面も結構居たと思うんだ
106:日本@名無史さん
06/11/13 13:21:55
それは余裕が無いだけじゃあるまいかw
107:日本@名無史さん
06/11/13 14:02:59
曽祖父(鹿児島生まれ)が「せごどん(西郷隆盛)は本当は(西南)戦争をしたくなかったんだ」と言っていた。
あと、せごどんは鹿児島に帰ってきてから、川で着物を洗濯し、それを木に干して、
乾くまでその木の下で昼寝をするような呑気な生活を送っていたそうだ。
108:日本@名無史さん
06/11/13 14:12:43
鬼女板に書いたけれど、伏見宮博英王は、杉並区にあった別荘に200羽も鶏を
飼っていて、1日に16個も卵を食べていたそうだ。
109:日本@名無史さん
06/11/13 14:18:02
普段服を一枚しか持って無かったとか だから洗ってるときはいつも褌
これは鹿児島に帰ったときだけじゃなく、着る服が無くて会議に遅れたことも有ったらしい
110:日本@名無史さん
06/11/13 14:48:28
百年前…親戚の親戚の親戚に明治天皇がお泊まりになりました。
今は石碑が建ってます
111:日本@名無史さん
06/11/14 00:49:12
>>110それ何県??
112:日本@名無史さん
06/11/14 02:09:03
>>84
しかし皆老けてるなあ・・・
113:日本@名無史さん
06/11/14 06:50:23
死んだ爺さんはノモンハンに従軍して無傷で帰ってきたが、
(今ではソ連側の資料で双方大損害であることが明らかだが)
当事者として感じたのは、
「これだけ装備に差があって勝てるわけがね~」
だったそうです。
もう一方の爺さんはビルマから復員したが、死ぬ間際はうわごとで
「上官殿ォ~!我々はお国と銃後を守らねばならぬ~!」と何度も叫んでいた。。。
おそらくフルメタルジャケット的新兵教育を受けたのがよほど辛い経験
だったと思われる。
あと、さすが軍隊にいただけあって俺のおもちゃのピストルを
指でくるくる回してホルスターに入れるのが巧かったw
幕末でも明治でも大正でもない話ですまそ。
114:日本@名無史さん
06/11/14 12:44:38
>>113
かなりなごんだ
文才あるよ。
115:日本@名無史さん
06/11/14 13:33:04
俺が10才の時に死んだヒイ爺さんは、日露戦争開戦時に東京で学生してたが
第二軍第三師団(名古屋)の兵士として出征し、遼陽や奉天で戦っている。
大学の同級生の多くも志願したが、第三軍(旅順攻撃)に配属された
東京・北陸・四国・北海道出身者のほとんどは戦死したそうだ。だから
「乃木のせいでいい奴らが沢山死んだ」と乃木大将の事をひどく嫌っていた。
陸軍の兵士だったのに、海軍の東郷元帥のことを神のように崇めていて、
客間に東郷元帥の御真影が飾ってあった。
太平洋戦争時は「東條みたいなキチガイが起した戦争に勝てる訳がない」と
公言して、非翼賛候補を応援したり、自由主義者を家に匿ったりしたから、
警察に呼び出されたり、私服警官が家の廻りをウロウロしたりしていたそうだ。
もし在郷軍人会の役員じゃなかったら逮捕されていた。
でも戦後は在郷軍人会の役員してたのが仇になってパージ食らって、
共産主義者から吊し上げ食らってたそうだ。「折角戦争が終わったのに、
特高の嫌がらせよりも、アカの嫌がらせの方が陰湿だ」と嘆いていたそうだ。
朝鮮戦争が始まると今度はアカの連中がパージ食らって、ヒイ爺さん達が
復活し、昭和30年頃までは町中が落着かなかったらしい。
116:日本@名無史さん
06/11/14 18:51:13
うちの祖父はいまだに戦時中の悪夢にうなされる
117:日本@名無史さん
06/11/14 18:54:12
明治生まれの亡くなった祖母は自分の事をオレと呼んでいました
118:日本@名無史さん
06/11/14 19:00:01
>>115
わかる。
まだ日本男児の気概が残っていたんだろうな。
俺の母の爺ちゃんの話で戦時中でもそういう男気のある日本人がいたことは聞いているし。
119:日本@名無史さん
06/11/14 20:08:26
大正生まれの死んだ婆ちゃんは大阪のど真ん中に住んでたスーパーお嬢様。昭和の初期に宝塚観劇に日参し、神戸の外人が経営するケーキ屋やチョコレート屋に買い物に行っていたそうだ。
戦時中は別荘に疎開し、そこでもすき焼きやアイスクリームを食べていたという。弟は家にある砂糖や水飴を持ち出して、それを餌にナンパ三昧だったそうだ。
現代と変わらない生活をしていたが、死ぬまでヒトラーとムッソリーニは日本に味方をした素晴らしい人達だと言っていたのが、時代を感じる。
120:日本@名無史さん
06/11/14 20:18:23
親族じゃないんだけど、大学のゼミの教授の恩師のお爺さんは桜田門外の変を目撃したそうです。めちゃくちゃ寒い日だったので、襲う方も襲われた方も、手が震えて刀が全然抜けなかったので、見ていて面白かったそうです。
井伊直弼もほとんどされるがままに首を切られて持って行かれたそうです。
121:日本@名無史さん
06/11/14 21:27:15
120>
幕末いいね~!桜田門外の変!
まだ150年たってないんだよね。俺の爺さん(明治40年生まれ)
が若い頃は当時を知る人がいっぱい生きてたと思うと、江戸は遠くに
なかりけり。やな!(ちなみに俺31歳が生まれた1975年、まだ江戸時代
生まれが、かろうじて数人生きていた!)
122:日本@名無史さん
06/11/14 21:32:19
幕末・維新では捜したら下記を発見
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
123:日本@名無史さん
06/11/14 22:25:44
友達のひいじいさんが桜田門外の変で、井伊を襲った一人。
友達の苗字が『芹澤』だから、多分『芹澤』というのだろう。
井伊のお付は刀を布の入れ物に入れていて、その紐を解くのに手間取っていた。
だから襲った側の圧勝だったみたいだよ。
勝負って案外そんな所で決まるんだな。
124:日本@名無史さん
06/11/14 22:27:34
そうそう、徳川慶喜の乳母が、芹澤という侍の母親か何か近い親戚らしい。
125:日本@名無史さん
06/11/14 22:46:19
泉重千代以前の長寿日本一だった人に、「小林やと」というお婆さんがいた。
この人は弘化3年(1846)出生で、同い年には、徳川家茂、和宮などがいる。
昭和39年(1964)に死去。118歳。
126:日本@名無史さん
06/11/14 23:57:23
>>115
波乱万丈だなw
ちょうど、
日露から太平洋戦争跨いで終戦後までを生きた世代の人ってぜったい面白い話ゴロゴロ持ってるよな。
酸いも甘いも経験してるっつうか。
127:日本@名無史さん
06/11/15 00:02:13
>>119
船場のこいさんってやつかな。
当時砂糖は貴重品だったし、毎日宝塚観劇となると本当にお嬢って感じだね
128:日本@名無史さん
06/11/15 00:03:04
弘化3年(1846)生まれで昭和39年(1964)に死去か!
俺の定年まぎわの父親、就職活動しとる頃やな・・・。
ちなみに最後の江戸時代生まれ泉重千代は1986年まで生きとった。
泉重千代の前は「河本にわ」文久3年(1863)から昭和51年(1976)。
昭和51年(1976)ちゅうたら、をれ、生まれとるやないか!
129:日本@名無史さん
06/11/15 00:12:23
そこまで長寿でなくても、志賀直哉が昭和46年、武者小路実篤が51年まで
生きてたというのも何気に感動する。
志賀直哉の没した年は「仮面ライダー」や「帰ってきたウルトラマン」放送中、
実篤の没した年は「ゴレンジャー」放送中。
130:日本@名無史さん
06/11/15 00:15:21
で、志賀直哉の場合、幕末に二宮金次郎の弟子で維新期に相馬藩の重臣だった祖父の
薫陶を受けて育ってるわけで、そんな人が昭和46年まで健在だったってのも面白い。
131:日本@名無しさん
06/11/15 00:47:56
>>123
いわゆる「桜田十八士」のなかで生き延びたのは
海後磋磯之介と増子金八のみ。
132:日本@名無史さん
06/11/15 01:07:52
明治生まれの一番最後の人でも、いまや94歳。
明治も完全に歴史の彼方に去ってしまったな。
133:日本@名無史さん
06/11/15 01:42:30
>>132
その日本開闢以来の激動の時期に生きた人々が、
いまや世界一の長寿大国のトップランナーだと言う点が
実に不思議で興味深い。
死んでいった周囲の人々の分までも命を永らえているかのようだ。
俺たちはそこまで長生きできるかどうか疑問だからね
134:日本@名無史さん
06/11/15 02:21:42
>>123>>131
「桜田十八士」が正しいのなら
関鉄之介、稲田重蔵、山口辰之介、鯉淵要人、広岡子之治郎、黒沢忠三郎
斎藤監物、佐野竹之助、大関和七郎、森五六郎、蓮田市五郎、森山繁之介
海後磋磯之介、杉山弥一郎、岡部三十郎、広木松之介、増子金八、有村冶左衛門
「芹澤」はおらぬ
本当の話なら苗字が変わったんじゃないか
135:日本@名無史さん
06/11/15 03:13:21
>>123
桜田十八士は、自刃したり傷がもとで死んだり斬刑になったりで
海後磋磯之介(1903年死亡)と増子金八(1881年死亡)以外は翌年くらいまでに死んでる
襲撃の関与者では
金子孫二郎、高橋多一郎、高橋庄左衛門、有村雄介、佐藤鉄三郎、川崎孫四郎
小室治作、大貫多介、山崎猟蔵、島男也竜雄、小野寺慵斎、宮田瀬兵衛
が居るが、ほとんどが自刃、獄死、斬首
例外は追放刑の佐藤鉄三郎(1915年死亡)
ちなみに彦根藩側も全員、戦闘や傷で死ぬか無疵で帰邸したことを咎められ斬首だ
ただ襲撃関係のメンバーが20代~50代まで居て、結構歳の人間も多いから子孫自体は居るかもな
136:日本@名無史さん
06/11/15 06:28:30
おれの爺さんが大正のうまれですが、聞いてほしいこととかある?
ところであたりさわりない話ひとつ:
よく昔の川は本当にきれいで、どこでも魚が取れたって言っている
他の爺さんも揃いに揃ってみな全くおなじことを言うから
今の爺さんたちの目には、現在の環境汚染が相当に際立って映るのだろう。
137:日本@名無史さん
06/11/15 11:33:55
>>135
実は彦根藩士のなかに一人だけ寺に逃げ込んでそのまま坊主になり生き延びた人が居る
138:日本@名無史さん
06/11/15 17:03:43
大正生まれのうちの爺さん、戦争中は潜水艦にのってました。今でも酔っぱらうと当時の事を話ます。
追い詰められて、音をたてて敵にみつからないよう真っ暗な艦内の中、ただ耐え忍ぶ恐怖。
聞こえるのは敵がおとす機雷の爆発音だけ。極限の状態で思い出すのは母親の顔だったそうです。
こういった体験を自分の子供達に伝えていくことも、僕らの大切な役目だと考えます。
139:日本@名無史さん
06/11/15 18:08:06
>>138
Uボートの別名は鉄の棺桶。
日本軍のはそれに輪を掛けて酷かっただろうね・・・。
140:日本@名無史さん
06/11/15 18:14:03
山県有朋や松方正義と話したことのある人が生きている可能性はあるな。
141:日本@名無史さん
06/11/15 18:31:47
>>136
朝鮮人の密入国の状況、乱暴ぶりを聞いてほしい。
142:日本@名無史さん
06/11/15 18:41:19
陸軍の戦車部隊にいた祖父晩年まで整備の鬼だったそうだ。祖父の愛車はエンジンルームの中まで塵一つなくピカピカに輝いていて、陸軍でそうやって仕込まれたからと、さも当然のように語っていたらしい。
143:日本@名無史さん
06/11/15 18:47:04
>>136
あなたのおじいさんの幕末の好き志士、嫌いな志士を聞いてください
144:日本@名無史さん
06/11/15 18:50:55
極貧の集落に育った爺さんは、自分が尋常小学校で首席だったので、集落で唯一高等小学校に進学したのを死ぬまで誇りにしていた。下士官で勲章を貰ったのも自慢だった。
今ではどのくらいすごいことなのか図り知れないが、すごいことだったんだろうな。
145:日本@名無史さん
06/11/15 19:37:30
>>140
うちの婆ちゃんは91才だが、東郷平八郎と会っている。
どういう理由か、婆ちゃんが通っている女学校に来たそうだ。
生徒を代表して婆ちゃんが「閣下、揮毫して下さい」と言ったら、
気軽に一筆書いてくれたそうだ。それは今でも学校にあるらしい。
何か御言葉があるかと期待していたが、最初から最後まで一言も発せず
声は聴けなかったそうだ。最初耳が聞こえないのかと思ったが
「揮毫して下さい」と言ったら直ぐに書いてくれたので、
聞こえてたはずだとのこと。
146:日本@名無史さん
06/11/15 19:59:38
オレの曽祖父は大工だった(祖父も)。
その曽祖父が横浜の本牧に、ある政治家の肝煎りで遊郭のようなものを作り始めた。
ところが準備万端整えて建て前までしたのだが、突然打ち切りになった。
曽祖父は引くに引かれず仕方なく最後まで作ってしまったらしい。
曾祖母はそれいらい政治家のことが大嫌いになった。
その政治家とは尾崎咢堂である。
147:日本@名無史さん
06/11/15 20:15:13
>>146
貴重な話をありがとうございます。
素晴らしい!!
148:日本人
06/11/15 20:40:56
明治生まれのツネバーさん死ぬまでノーパンだった。
149:日本@名無史さん
06/11/15 21:14:00
>>145
薩摩隼人だからな、尋常じゃないくらい無口なんだろうw
150:日本人
06/11/15 21:55:04
小泉前首相。旧姓鮫島という薩摩隼人。よくしゃべった。
151:日本@名無史さん
06/11/15 22:51:59
明治30年代生まれだった祖母は洋服を「簡単服」と言っていました。
キセルで煙草をばんばん吸っていました。
152:日本@名無史さん
06/11/16 02:08:09
>>145
これ面白い逸話だね。アリガトン
153:日本@名無史さん
06/11/16 02:28:11
簡易服
ある意味なるほどと思った
154:日本@名無史さん
06/11/16 08:21:01
戦前は新潟でも指折りの金持ちだったという知人(70歳前)の叔父さんの家は、
新潟でも一番の大店で、長岡にあったそうだ。米騒動のときに
貧民が押しかけてきて、蔵の中に米がまったくなかったのを怒って放火し
屋敷は炎上したそうだ。米がなかったのは貧民に無料提供していたためだという。
その知人のお母さんも長岡出身で当時3歳、近所の家が炎上するのを覚えていて、
後にその知人の家に嫁入りし、「あの家の親戚だったのか」と驚いたとか。
その嫁入りは信濃川を延々と嫁入り道具を積んだ船が続き、有吉佐和子の
「紀の川」の冒頭のようだったと覚えている高齢者もいたそうだ。
富山でも富農の家が放火され、米騒動というのは実際には暴動だったとか。
この間の「そのとき歴史が動いた」は米騒動を美化していて、
全然あんなものじゃなかったと、その知人は怒っていた。
155:日本@名無史さん
06/11/16 09:13:06
証言スレなら東亜とかに逝けよ
あからさまな電波を突っ込んでも荒れるんだから
156:日本@名無史さん
06/11/16 09:50:12
俺の曾祖父さんは日露戦争に出征した時、上官が負傷して動けなくなったのを
背負って後方の基地まで運んで助けたそうな。
その事が手柄になったそうで、金鵄勲章と報奨金(当時で100円もの大金)をもらったそうな。
実際にその勲章を見た事あるんだけど、普通に上官助けたぐらいで金鵄勲章なんて凄い物もらえるものなのかな?
かなり上の人物を助けたのかな???
157:日本@名無史さん
06/11/16 10:11:13
俺の爺さんは童貞だった。
158:日本@名無史さん
06/11/16 13:13:02
ほーーー。
159:日本@名無しさん
06/11/16 15:52:37
>>156
金鵄勲章といってもピンキリ。
勲五、六等なら、状況次第では貰えるんじゃないか。
160:日本@名無史さん
06/11/16 20:25:02
157>
せっかく荒らしのない良スレだったのに・・・。(ま、これでこそ2ちゃん!)
145>
東郷平八郎か!すごいな!薩摩藩士として薩英戦争にも参加しとるし、
当然戊辰も・・・。(悪く言えば、倒幕の志士の端くれやが・・・。)
たしか、昭和9年まで生きていたはず!そんな人と会話した人がまだたくさん
生きているなんて、不思議なもんや!
161:日本@名無史さん
06/11/16 20:33:44
>160
ちなみに、158も連帯責任で同罪!
それにしても、139年前は、まだ江戸時代!
この国の発展はすごいよね!
162:日本@名無史さん
06/11/16 20:38:01
俺の爺さんも童貞だった。
163:日本@名無史さん
06/11/16 21:06:50
>>154
その事件で被害を受けた人にとってはそうだろ。
戊辰戦争で、官軍に火を点けられた町の人たちはいまだに薩長軍は強盗だと言ってるし
164::日本@名無史さん
06/11/16 21:29:30
関東じゃ有名な話だけど、薩長が日本中で嫌われてる本当の理由は九州や中国
の強盗まがいの在日部落民を戊辰であちこちに移住させたから。朝鮮系パチ屋
やサラ金やヤクザは皆その系統の移民。
165::日本@名無史さん
06/11/16 21:38:25
まさに隔離地域というかパンドラの箱・・・。
166::日本@名無史さん
06/11/16 21:52:32
>>164
つ山○組
167:日本@名無史さん
06/11/16 21:57:38
>160 東郷平八郎って幕末のときには名前も出てこないぞ・・
薩英に参加してたってマジですか・・初めて知った。そんな昔の人だったか。(べ、勉強します)
168:日本@名無史さん
06/11/16 22:40:27
>>164
好き勝手歴史を塗り替えたしな
169:日本@名無史さん
06/11/17 00:25:17
昔ばぁちゃんからこんなしりとり教えてもらった
ニッポンノ→ノギサンガ→ガッセンス→スズメ→メジロ→ロシヤ(ロシア)→ヤバンコク→クロバタキ→キン〇マ→マケテクヤシヤチャンチャンボウ→ボウシ→シリノワレメハジュウモンジ→ジイのアタマハハゲアタマ→マンジュウイッチョウ→チョウセンニ
ときどき解読不可能だけど(うろ覚え)日露戦争の歌だよな?
170:日本@名無史さん
06/11/17 02:14:58
薩長の最大の罪は、明治期以後江戸の町並みと文化を完全に破壊しつくしてカケラも残さなかったことじゃないだろうか
171:日本@名無史さん
06/11/17 07:17:21
俺は廃仏毀釈やら城郭の打ちこわしやらの文化財破壊が・・・ってスレチガウ
172:日本@名無史さん
06/11/17 09:25:26
五重の塔でさえ売りに出したんだもんな。馬鹿過ぎだよ
173:日本@名無史さん
06/11/17 11:35:27
>>170
関東大震災と東京大空襲で、江戸の街並は灰燼に帰した。
京都は1985年頃まで古い街並がよく残っていたが
バブルの地上げで見る影もなくなった。
174:日本@名無史さん
06/11/17 12:20:10
チュンやチョンの民度の低さを笑うやつがいるが、
程度の差こそあれ日本もたいしたことないな。
下がいない分、上もまったくいないからな。
175:日本@名無史さん
06/11/17 14:01:56
>>173
京都の惨状は世界的に有名らしいね。何故あんなに貴重な文化を破壊したんだ!ってさ。
アメリカのメル友に嘆かれた事ある。作り話じゃなくて。
176:日本@名無史さん
06/11/17 14:43:03
京の街並みの近くに高層マンションも建ってるし
177:日本@名無史さん
06/11/17 15:33:23
>>175
米軍も、京都と奈良は文化遺産保護のために爆撃しなかったからな。
戦争でも守られた文化遺産を、不動産屋やヤクザが次々に破壊しても
見て見ぬ振りをしているんだから、解同採用枠のある京都市役所らしいよw
178:日本@名無史さん
06/11/17 15:34:58
>>177
その文化遺産保護ってのは本当なんだっけ?
179:日本@名無史さん
06/11/17 15:44:48
>>178
湾岸戦争やイラク戦争でも、ウル、バビロン、ニネベといった遺跡を
米軍は爆撃しなかったから、良い悪いは別にして国民性だろう。
180:日本@名無史さん
06/11/17 18:12:17
>>179
でも占領政策で博物館、美術館放置で石油プラントのみ大事に保護して、
貴重な文化財や書物、骨董品が根こそぎ盗難にあってしまったんだよな。
爆撃の選別は建前で占領政策が本音のように思えた
181:日本@名無史さん
06/11/17 20:07:18
薩長人=朝鮮人には文化は全く理解できなかったのです
182:日本@名無史さん
06/11/17 20:45:41
廃仏毀釈はひどいよなあ
あれで貴重な自然もたくさん破壊されてしまった
183::日本@名無史さん
06/11/17 21:05:59
川崎や新宿、渋谷にもやつらが居座ってしまった。
男の居なくなった戦後も土地不法占有したり、女犯しまくったし。
184:日本@名無史さん
06/11/17 21:09:25
>>182
神社の御神体が仏だったり
神を拝む寺があったり
現世利益(密教)の神社があったり、
もう教義がグチャグチャだったからな。
今でもそれほど余り状況は変ってないが。
185:日本@名無史さん
06/11/17 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ
186:日本@名無史さん
06/11/17 22:03:08
>>185
トルコはイスラムの国だが、
欧州の影響が強く、クリスマスは盛大に祝う
187:日本@名無史さん
06/11/17 22:08:10
>>182
自然は破壊されてない。戦後の復興時と、それ以上に自然は自然のままが1番!と言う馬鹿な自然保護を訴えてる今が一番酷い。
188:日本@名無史さん
06/11/17 23:17:45
>>187
工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
熊楠の努力知らんのか
189:日本@名無史さん
06/11/18 08:02:43
>>188
製材業について詳しく調べてみるといいよ。
190:日本@名無史さん
06/11/18 08:13:51
その結果、鳥も動物も棲まない死の森が多数できたわけだが
191:日本@名無史さん
06/11/18 08:26:00
まぁどうだか知らんけど
とりあえずスレ違いだと思うんだ
192:日本@名無史さん
06/11/18 08:32:22
爺さんの戯言だ、そっとしておいてやれ。
193:日本@名無史さん
06/11/18 10:23:38
>>186
イスラムではキリストも予言者の一人だが・・・
194:日本@名無史さん
06/11/18 10:37:16
すれ違うってば
195:日本@名無史さん
06/11/18 12:10:28
廃仏毀釈もあったが、神社統合も酷いもんだ。
あれのお陰で鎮守の森が無くなったり、地元民に親しまれていた社が無くなったりな。
んで田舎の婆ちゃんに話を聞きたかったが、大正生まれだから幕末明治大正の話は聞けなかった。
聞けたのは、爺ちゃんが海軍呉工廠の職員で大和建造の工員だったとか、
第二次大戦での昭和20年の呉空襲で港にいた軍艦が次々に爆撃され哀しかったって事ぐらいだった。
スレ違いスマソ。
196:日本@名無史さん
06/11/18 15:11:12
>>193 ←このヴァカは、イスラムの国全てで
クリスマスを祝うとでも思っているのか?w
アラブの国じゃクリスマスは祝わないよ。
イスラムではトルコぐらい。
197:日本@名無史さん
06/11/18 15:15:21
>>196 ←このヴァカスレ違いだ
198:日本@名無史さん
06/11/18 17:50:42
>>196←このヴァカは、何一人で勝手に決めつけて一人で発狂しているんだ?
人が言っていないことがそんなに可笑しいのか?
可笑しいのはお前の頭だ
199:日本@名無史さん
06/11/18 18:07:47
馬鹿同士仲良くしろよ
ちなみに第三者には両方ともに朝鮮人並のオツムの持ち主にしか見えないよw
馬鹿は別の板に移住してくださいねw
200:日本@名無史さん
06/11/18 18:58:06
185 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ
これは明らかに間違い。
間違いを指摘された198は、逆切れしてしまった
201:日本@名無史さん
06/11/18 19:56:23
>>200
キリストはイスラムと全く無関係ではない。予言者の一人とされているからイスラム教徒が敬意を払うのは全く不自然というわけではない。
仏教や神道とキリスト教は何か関係あるのかな?
あなたが信じているカルト宗教では大ありかも知れないがw
202:日本@名無史さん
06/11/18 20:17:39
>>201
スレタイ嫁。
爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1
× 予言者
○ 預言者
203:日本@名無史さん
06/11/18 22:49:29
>>165
ばあちゃんから日清戦争の歌を聴いたことがある。
「にっしんだんぱんはれつして おにの~」までしか覚えてないが、全部聞きたかった
204:日本@名無史さん
06/11/18 23:40:38
>>201
しつこいぞ。お前の言う
「耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ」
は、明らかに間違い。
間違い指摘されたからって逆切れするな。チョンコか?
自分の間違いを認めろ。
205:日本@名無史さん
06/11/19 01:31:10
>>195
ぜんぜんスレ通りの内容ですよ。
軍艦が空襲で沈没するのが悲しかったという、
その時代の視点が平凡でも、今の世では確認すべきことだから
206:日本@名無史さん
06/11/19 02:40:05
近藤勇の処刑の場所は板橋の馬捨て場で当時は川が流れていたらしい
207:日本@名無史さん
06/11/19 04:15:45
たんなる情報ではなく当時の人間の息吹を感じる「人」の証言こそがこのスレの趣旨と思う
208:日本@名無史さん
06/11/19 11:35:56
>>207
同意
少々事実とのギャップがあっても、一つの物語として聴きたいね
209:日本@名無史さん
06/11/19 11:50:00
明治生まれの俺の爺さんが父親(俺のひい爺さん)から聞かされた話だが、
ひい爺さんは西南戦争に従軍していたらしい。西郷軍には戦国時代の鎧兜姿や
火縄銃を持って従軍した兵士がいたそうだ。そこらへんに腐乱死体が転がっていて
悪臭がひどかったとか聞かされた。
210:日本@名無史さん
06/11/19 18:35:48
あげ
211:日本@名無史さん
06/11/20 02:16:01
世の中あっという間に変わる。
戦争は嫌だね。
212:日本@名無史さん
06/11/20 07:27:05
他スレから拾ってきた
第二次の話だけどね
玉音放送が15日だから本当にぎりぎりだな
41 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 08:22:11
うちの祖父は軍属で樺太に派遣され、8月14日に引き上げたそうだ
終戦の混乱で帰宅が遅れ、家族が心配していたところある日の真夜中に帰ってきたらしい
祖母は深夜に目覚めたら枕元に祖父が立っていたので、死んで夢枕に立ったのかと思ったそうだ
祖父は帰宅まで8月16日のソ連侵攻を知らず、その後シベリア抑留があったことを知ったときには
正直肝が冷えたと言っていた
213:日本@名無史さん
06/11/20 18:50:48
なぜか西南戦争ものが多いな
語らなきゃという文化が残っていたからかなー
個人的には満州や東南アジアなどで生活した体験談とかも聞きたいね
214:日本@名無史さん
06/11/25 00:59:40
あげ
215:日本@名無史さん
06/11/26 18:53:06
祖母から聞いた歌が「クロポトキンの首をとり~」
日露戦争時にはやった歌の一部らしい
216:日本@名無史さん
06/11/26 22:40:33
うちの曾祖母が明治生まれだからいろいろ聞いてみるかな
217:日本@名無史さん
06/11/26 23:20:50
>>215
お手玉しながら唄うヤツだろ
漏れは母親から聞いたorz
ゲキレツランパン破裂して
日露戦争始まった
とっとと進むは日本の兵
さっさと逃げるはロシアの兵
クロポトキンの首を取り
東郷元帥万々歳
だったな。1行目は意味不明。なんでクロポトキンをやって東郷が万歳なのかもわからないし。
218:日本@名無史さん
06/11/26 23:34:20
うちの婆ちゃんのお手玉の歌はこれだった。
もちろん全然意味が判らなかったが、
ガキの時にさんざん聞いたから耳から離れない、今でも歌える。
文部省唱歌だったんだな。
旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処水師営
庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく
くづれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍
219:日本@名無史さん
06/11/27 02:17:17
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出すな
220:日本@名無史さん
06/11/27 09:43:27
うちの死んだ爺さんは明治30~40年ぐらいの生まれだが、学校を
出てから海軍に入隊するまでの間、帯刀してたらしい。曽祖父が60
ぐらいの時に生まれたそうで、その曽祖父は西南戦争で薩摩軍に参加
した郷士だったらしい。都城の戦いで負傷し、西郷隆盛と涙の別れを
したと聞き、色々調べたが、そんな史実はなかった(笑)
それと、話題の手毬歌だが、僕の聞いたのは、こうです。
にっぽんの 乃木さんが 凱旋す
すずめ めじろ ロシア
野蛮国 クロバタキン 金の玉
負けて逃げるは チャンチャン坊 棒で叩くは犬殺し
シベリア鉄道長けれど 土瓶の口からはきだせば
バルチック艦隊万々歳
221:日本@名無史さん
06/11/27 20:58:17
220>
すごいな!あんたの曽祖父!
おそらく天保とか弘化の生まれちゃうか!
もろ江戸時代をしっとる世代や!薩摩藩士か?
ちなみに俺の曽々祖父は、明治になっても新政府
に抵抗した備中松山藩士!田舎侍やが、俺は誇りに思っとる!
222:日本@名無史さん
06/11/29 11:34:34
良スレあげ
223:日本@名無史さん
06/11/29 11:53:22
うちの母方はそれほど裕福な家庭でもなく
昭和のはじめだというのにうちの母親は奉公に出されている
小学校には通えたが奉公先の赤ん坊のお守りをしていたのでロクに授業など受けれず
いまだにアルファベットは読めない
スレ違いだと思いますが昭和の時代でもこんな感じです
224:日本@名無史さん
06/11/29 12:15:48
>>223
あんまり関係ない話ですが、戦前の教育を受けた人って
小学校ぐらいしかでてなくても、字がきれいな人が多いですよね。
やっぱり学ぶ機会が少ない分、それだけ授業にも身がはいっていたのかな。
225:日本@名無史さん
06/11/29 16:17:08
明治生まれの亡くなった祖母も小学校4年ぐらいまでしか通ってなかったみたい
226:日本@名無史さん
06/11/29 18:34:51
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。
地方や集落により様々だろうけど、
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで
最も忌み嫌われたらしいなぁ
227:日本@名無史さん
06/11/29 20:24:26
じいさんが大正4年生まれ。
生まれつき病弱で小学校には6年中5年しか通えなかったけど、算数(数学)と
習字が得意だったそうな。あと>>226にもある通り、じいさんの生まれ育った
中国地方某村でも双子はあまり歓迎されていなかった。ただし幼児死亡率が
高かったため、里子に出したり間引いたりという惨いことはせず、どちらか一方を
1年か2年若く戸籍に登録させたそうだ(母方の祖母の姉もこのケース)。
228:日本@名無史さん
06/11/29 21:28:11
うちのひいおじいちゃんは空襲で亡くなった。
当時の蘇我は川鉄があったからよく空襲にあったらしい。
空襲警報が鳴って、急いで近くの防空壕に入ったんだけど
その防空壕は狭くて、まだ子供だったおじいちゃんとその兄弟を押し込み
自分は入れなくて、外にはみ出ていたらしい。
そこに爆弾が命中。おじいちゃんやひいおばあちゃんは助かったけど
ひいおじいちゃんは亡くなった。
会ったことも、見たこともないひいおじいちゃんだけど
子を思う親の愛はすごいなって思って、涙が出た。
あと、おばあちゃんに聞いたんだけど
終戦の直後も米軍の飛行機が飛んでいて怖かったらしい。
しかも林の中とかに隠れていないと、米兵士に連れて行かれる。と言っていた。
貴重な話を聞けるこの時代に生まれてよかったと本当に思う。
229:日本@名無史さん
06/11/29 22:45:14
ばあさんが明治生まれ
本家の娘が高等女学校に逝ってて、許婚がいたのに好きな東大生と駆け落ちしたそうな
それで学問をすると不良になると、ばあさんの家では男は中等学校まで、女は尋常小学校までしかいかせてもらえなかった
230:日本@名無史さん
06/11/30 04:03:51
母親の爺ちゃんは明治初め生まれ。まぁ俺にとっては曾爺ちゃんだな。
爺ちゃんの家は四国の何処だか忘れたが結構な地主の長男だったらしいが遊び人だったそうな。
そんな爺ちゃんが九州に遊びに行った時に知り合って仲良くなって好きあった娘さんが、顔も知らない歳も
離れた人と結婚しなくてはいけなくなったそうで、爺ちゃんとその娘さんは結婚間際に夜逃げしたそうだ。
んでその娘さんと結婚して各地を点々としていたそうだが夜逃げから半年後に四国の実家に帰ると
実家の土地の山が一つ売られていたんだそうだ。理由は娘さんの結婚相手に対する侘びに必要な金を工面
する為に売ったんだそうだ。んで爺ちゃんは父親に勘当され家を追い出されたんだが、まぁ世間体を考え勘当
したんだそうで、その代わり結構な金額を手切れ金?としてもらったそうな。
その後爺ちゃんは遊び癖が治らず遊んでばっかだったそうだが、遊びで手に入れた金と婆ちゃんの働きで5人の
子供を自分の様な遊び人とは無縁の立派な人に育て上げた。
だけど死ぬまで遊び癖は治らず金は入っても直ぐ出て行くみたいで、死んだ時の遺品がひょうたん一個だけだったそうな。
豪快な生き様だとは思うが、マネはしたくないw
長文スマン
231:日本@名無史さん
06/11/30 09:33:08
うちの母方のおじいちゃんは徴兵されたが身長が足りなくて
兵隊じゃなく船の調理係として採用されたらしい。
でも行く途中の船が爆撃され上陸もしないままあぼーん。
フィリピンのミンダナオ島沖です。
ばあちゃん当時25歳で4人の子供を抱えた未亡人になってしまった。
でも散々苦労して4人をちゃんと育て上げました。
親戚も多かったからみんなから助けてもらってたみたいだけど。
でも私が1歳の時に62歳の若さで亡くなった。
乳がんだけどちょうど私も生まれて忙しくしてたから病院に行けなかったらしい。
(自主的に病院に行く人じゃないらしいけど)
おかんは今でもその事を悔やんでるけどおばあちゃんは愚痴とか人の悪口とか一切言わなかったらしい。
晩年はたくさん孫がいて幸せだったんじゃなかったのかなと思う。
あとうちの親父が長崎の原子雲を見たと言っていたが福岡の内陸部の筑後川沿いの村から見えたのかなー?
近所で大騒ぎになったそうです。
232:日本@名無史さん
06/11/30 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。
233:日本@名無史さん
06/11/30 16:51:52
>>232
リアルだな…
234:日本@名無史さん
06/12/01 00:09:03
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは
235:日本@名無史さん
06/12/01 00:38:41
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!
236:日本@名無史さん
06/12/01 01:10:24
>>235
ウ ホ ッ ! や ら ま い か ?
237:日本@名無史さん
06/12/01 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい
238:日本@名無史さん
06/12/01 11:09:51
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ
239:日本@名無史さん
06/12/01 17:17:04
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた
240:日本@名無史さん
06/12/01 19:26:32
>>239
いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ
241:日本@名無史さん
06/12/01 22:54:03
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな~。
242:日本@名無史さん
06/12/02 11:05:26
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ