爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1at HISTORY
爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1 - 暇つぶし2ch193:日本@名無史さん
06/11/18 10:23:38
>>186
イスラムではキリストも予言者の一人だが・・・

194:日本@名無史さん
06/11/18 10:37:16
すれ違うってば

195:日本@名無史さん
06/11/18 12:10:28
廃仏毀釈もあったが、神社統合も酷いもんだ。
あれのお陰で鎮守の森が無くなったり、地元民に親しまれていた社が無くなったりな。

んで田舎の婆ちゃんに話を聞きたかったが、大正生まれだから幕末明治大正の話は聞けなかった。
聞けたのは、爺ちゃんが海軍呉工廠の職員で大和建造の工員だったとか、
第二次大戦での昭和20年の呉空襲で港にいた軍艦が次々に爆撃され哀しかったって事ぐらいだった。
スレ違いスマソ。

196:日本@名無史さん
06/11/18 15:11:12
>>193 ←このヴァカは、イスラムの国全てで
クリスマスを祝うとでも思っているのか?w
アラブの国じゃクリスマスは祝わないよ。
イスラムではトルコぐらい。

197:日本@名無史さん
06/11/18 15:15:21
>>196 ←このヴァカスレ違いだ

198:日本@名無史さん
06/11/18 17:50:42
>>196←このヴァカは、何一人で勝手に決めつけて一人で発狂しているんだ?
人が言っていないことがそんなに可笑しいのか?
可笑しいのはお前の頭だ

199:日本@名無史さん
06/11/18 18:07:47
馬鹿同士仲良くしろよ


ちなみに第三者には両方ともに朝鮮人並のオツムの持ち主にしか見えないよw

馬鹿は別の板に移住してくださいねw

200:日本@名無史さん
06/11/18 18:58:06
185 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ

これは明らかに間違い。
間違いを指摘された198は、逆切れしてしまった


201:日本@名無史さん
06/11/18 19:56:23
>>200
キリストはイスラムと全く無関係ではない。予言者の一人とされているからイスラム教徒が敬意を払うのは全く不自然というわけではない。
仏教や神道とキリスト教は何か関係あるのかな?
あなたが信じているカルト宗教では大ありかも知れないがw

202:日本@名無史さん
06/11/18 20:17:39
>>201

スレタイ嫁。

爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1

× 予言者
○ 預言者

203:日本@名無史さん
06/11/18 22:49:29
>>165
ばあちゃんから日清戦争の歌を聴いたことがある。
「にっしんだんぱんはれつして おにの~」までしか覚えてないが、全部聞きたかった

204:日本@名無史さん
06/11/18 23:40:38
>>201
しつこいぞ。お前の言う
「耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ」
は、明らかに間違い。

間違い指摘されたからって逆切れするな。チョンコか?
自分の間違いを認めろ。

205:日本@名無史さん
06/11/19 01:31:10
>>195
ぜんぜんスレ通りの内容ですよ。
軍艦が空襲で沈没するのが悲しかったという、
その時代の視点が平凡でも、今の世では確認すべきことだから

206:日本@名無史さん
06/11/19 02:40:05
近藤勇の処刑の場所は板橋の馬捨て場で当時は川が流れていたらしい

207:日本@名無史さん
06/11/19 04:15:45
たんなる情報ではなく当時の人間の息吹を感じる「人」の証言こそがこのスレの趣旨と思う

208:日本@名無史さん
06/11/19 11:35:56
>>207
同意
少々事実とのギャップがあっても、一つの物語として聴きたいね

209:日本@名無史さん
06/11/19 11:50:00
明治生まれの俺の爺さんが父親(俺のひい爺さん)から聞かされた話だが、
ひい爺さんは西南戦争に従軍していたらしい。西郷軍には戦国時代の鎧兜姿や
火縄銃を持って従軍した兵士がいたそうだ。そこらへんに腐乱死体が転がっていて
悪臭がひどかったとか聞かされた。

210:日本@名無史さん
06/11/19 18:35:48
あげ

211:日本@名無史さん
06/11/20 02:16:01
世の中あっという間に変わる。
戦争は嫌だね。

212:日本@名無史さん
06/11/20 07:27:05
他スレから拾ってきた
第二次の話だけどね
玉音放送が15日だから本当にぎりぎりだな

41 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 08:22:11
うちの祖父は軍属で樺太に派遣され、8月14日に引き上げたそうだ
終戦の混乱で帰宅が遅れ、家族が心配していたところある日の真夜中に帰ってきたらしい
祖母は深夜に目覚めたら枕元に祖父が立っていたので、死んで夢枕に立ったのかと思ったそうだ
祖父は帰宅まで8月16日のソ連侵攻を知らず、その後シベリア抑留があったことを知ったときには
正直肝が冷えたと言っていた

213:日本@名無史さん
06/11/20 18:50:48
なぜか西南戦争ものが多いな
語らなきゃという文化が残っていたからかなー

個人的には満州や東南アジアなどで生活した体験談とかも聞きたいね

214:日本@名無史さん
06/11/25 00:59:40
あげ


215:日本@名無史さん
06/11/26 18:53:06
祖母から聞いた歌が「クロポトキンの首をとり~」
日露戦争時にはやった歌の一部らしい



216:日本@名無史さん
06/11/26 22:40:33
うちの曾祖母が明治生まれだからいろいろ聞いてみるかな

217:日本@名無史さん
06/11/26 23:20:50
>>215
お手玉しながら唄うヤツだろ
漏れは母親から聞いたorz

ゲキレツランパン破裂して
日露戦争始まった
とっとと進むは日本の兵
さっさと逃げるはロシアの兵
クロポトキンの首を取り
東郷元帥万々歳

だったな。1行目は意味不明。なんでクロポトキンをやって東郷が万歳なのかもわからないし。

218:日本@名無史さん
06/11/26 23:34:20
うちの婆ちゃんのお手玉の歌はこれだった。
もちろん全然意味が判らなかったが、
ガキの時にさんざん聞いたから耳から離れない、今でも歌える。
文部省唱歌だったんだな。

旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処水師営
庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく
くづれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍

219:日本@名無史さん
06/11/27 02:17:17
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出すな

220:日本@名無史さん
06/11/27 09:43:27
うちの死んだ爺さんは明治30~40年ぐらいの生まれだが、学校を
出てから海軍に入隊するまでの間、帯刀してたらしい。曽祖父が60
ぐらいの時に生まれたそうで、その曽祖父は西南戦争で薩摩軍に参加
した郷士だったらしい。都城の戦いで負傷し、西郷隆盛と涙の別れを
したと聞き、色々調べたが、そんな史実はなかった(笑)
それと、話題の手毬歌だが、僕の聞いたのは、こうです。
 にっぽんの 乃木さんが 凱旋す
 すずめ めじろ ロシア
 野蛮国 クロバタキン 金の玉
 負けて逃げるは チャンチャン坊 棒で叩くは犬殺し
 シベリア鉄道長けれど 土瓶の口からはきだせば
 バルチック艦隊万々歳

221:日本@名無史さん
06/11/27 20:58:17
220>
すごいな!あんたの曽祖父!
おそらく天保とか弘化の生まれちゃうか!
もろ江戸時代をしっとる世代や!薩摩藩士か?
ちなみに俺の曽々祖父は、明治になっても新政府
に抵抗した備中松山藩士!田舎侍やが、俺は誇りに思っとる!

222:日本@名無史さん
06/11/29 11:34:34
良スレあげ

223:日本@名無史さん
06/11/29 11:53:22
うちの母方はそれほど裕福な家庭でもなく
昭和のはじめだというのにうちの母親は奉公に出されている
小学校には通えたが奉公先の赤ん坊のお守りをしていたのでロクに授業など受けれず
いまだにアルファベットは読めない

スレ違いだと思いますが昭和の時代でもこんな感じです

224:日本@名無史さん
06/11/29 12:15:48
>>223
あんまり関係ない話ですが、戦前の教育を受けた人って
小学校ぐらいしかでてなくても、字がきれいな人が多いですよね。
やっぱり学ぶ機会が少ない分、それだけ授業にも身がはいっていたのかな。

225:日本@名無史さん
06/11/29 16:17:08
明治生まれの亡くなった祖母も小学校4年ぐらいまでしか通ってなかったみたい

226:日本@名無史さん
06/11/29 18:34:51
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。
地方や集落により様々だろうけど、
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで
最も忌み嫌われたらしいなぁ

227:日本@名無史さん
06/11/29 20:24:26
じいさんが大正4年生まれ。
生まれつき病弱で小学校には6年中5年しか通えなかったけど、算数(数学)と
習字が得意だったそうな。あと>>226にもある通り、じいさんの生まれ育った
中国地方某村でも双子はあまり歓迎されていなかった。ただし幼児死亡率が
高かったため、里子に出したり間引いたりという惨いことはせず、どちらか一方を
1年か2年若く戸籍に登録させたそうだ(母方の祖母の姉もこのケース)。

228:日本@名無史さん
06/11/29 21:28:11
うちのひいおじいちゃんは空襲で亡くなった。
当時の蘇我は川鉄があったからよく空襲にあったらしい。
空襲警報が鳴って、急いで近くの防空壕に入ったんだけど
その防空壕は狭くて、まだ子供だったおじいちゃんとその兄弟を押し込み
自分は入れなくて、外にはみ出ていたらしい。
そこに爆弾が命中。おじいちゃんやひいおばあちゃんは助かったけど
ひいおじいちゃんは亡くなった。
会ったことも、見たこともないひいおじいちゃんだけど
子を思う親の愛はすごいなって思って、涙が出た。

あと、おばあちゃんに聞いたんだけど
終戦の直後も米軍の飛行機が飛んでいて怖かったらしい。
しかも林の中とかに隠れていないと、米兵士に連れて行かれる。と言っていた。

貴重な話を聞けるこの時代に生まれてよかったと本当に思う。

229:日本@名無史さん
06/11/29 22:45:14
ばあさんが明治生まれ
本家の娘が高等女学校に逝ってて、許婚がいたのに好きな東大生と駆け落ちしたそうな
それで学問をすると不良になると、ばあさんの家では男は中等学校まで、女は尋常小学校までしかいかせてもらえなかった

230:日本@名無史さん
06/11/30 04:03:51
母親の爺ちゃんは明治初め生まれ。まぁ俺にとっては曾爺ちゃんだな。
爺ちゃんの家は四国の何処だか忘れたが結構な地主の長男だったらしいが遊び人だったそうな。
そんな爺ちゃんが九州に遊びに行った時に知り合って仲良くなって好きあった娘さんが、顔も知らない歳も
離れた人と結婚しなくてはいけなくなったそうで、爺ちゃんとその娘さんは結婚間際に夜逃げしたそうだ。
んでその娘さんと結婚して各地を点々としていたそうだが夜逃げから半年後に四国の実家に帰ると
実家の土地の山が一つ売られていたんだそうだ。理由は娘さんの結婚相手に対する侘びに必要な金を工面
する為に売ったんだそうだ。んで爺ちゃんは父親に勘当され家を追い出されたんだが、まぁ世間体を考え勘当
したんだそうで、その代わり結構な金額を手切れ金?としてもらったそうな。
その後爺ちゃんは遊び癖が治らず遊んでばっかだったそうだが、遊びで手に入れた金と婆ちゃんの働きで5人の
子供を自分の様な遊び人とは無縁の立派な人に育て上げた。
だけど死ぬまで遊び癖は治らず金は入っても直ぐ出て行くみたいで、死んだ時の遺品がひょうたん一個だけだったそうな。

豪快な生き様だとは思うが、マネはしたくないw
長文スマン

231:日本@名無史さん
06/11/30 09:33:08
うちの母方のおじいちゃんは徴兵されたが身長が足りなくて
兵隊じゃなく船の調理係として採用されたらしい。
でも行く途中の船が爆撃され上陸もしないままあぼーん。
フィリピンのミンダナオ島沖です。
ばあちゃん当時25歳で4人の子供を抱えた未亡人になってしまった。
でも散々苦労して4人をちゃんと育て上げました。
親戚も多かったからみんなから助けてもらってたみたいだけど。
でも私が1歳の時に62歳の若さで亡くなった。
乳がんだけどちょうど私も生まれて忙しくしてたから病院に行けなかったらしい。
(自主的に病院に行く人じゃないらしいけど)
おかんは今でもその事を悔やんでるけどおばあちゃんは愚痴とか人の悪口とか一切言わなかったらしい。
晩年はたくさん孫がいて幸せだったんじゃなかったのかなと思う。

あとうちの親父が長崎の原子雲を見たと言っていたが福岡の内陸部の筑後川沿いの村から見えたのかなー?
近所で大騒ぎになったそうです。


232:日本@名無史さん
06/11/30 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。

233:日本@名無史さん
06/11/30 16:51:52
>>232
リアルだな…


234:日本@名無史さん
06/12/01 00:09:03
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは

235:日本@名無史さん
06/12/01 00:38:41
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!

236:日本@名無史さん
06/12/01 01:10:24
>>235


 ウ ホ ッ !  や ら ま い か ?

237:日本@名無史さん
06/12/01 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい

238:日本@名無史さん
06/12/01 11:09:51
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ

239:日本@名無史さん
06/12/01 17:17:04
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた


240:日本@名無史さん
06/12/01 19:26:32
>>239
いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ

241:日本@名無史さん
06/12/01 22:54:03
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな~。

242:日本@名無史さん
06/12/02 11:05:26
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch