06/12/17 13:25:20
>>652 >>653
どっちでも考えられていいんじゃない。
命名は大事なことだけど、
ほんとに各家庭の思惑によって・・・だろうからさ。
でも、五徳の場合は徳姫のほうが周知されてるな。
660:日本@名無史さん
06/12/17 13:58:38
姫の名前こそ信長の個性がでててもいいよね。
順番に一姫、二姫、とつけるとかさ。
そうしてくれれば冬姫が長女なのか、五徳が長女だったのか、
一目瞭然でわかったのに。
661:日本@名無史さん
06/12/17 15:12:50
でも姫の名前って気合入れて名づけてもあんまり意味がないのかもね。
この時代、夫や息子、住んでる場所なんかで女の呼称はころころ変わるし、
話題になってる五徳にしたって「岡崎殿」って呼ばれていたみたいだし。
昔は、近しい人物(両親、夫)などが本名(幼名?)で呼び、
それ以外の人物から「○○御前」「○○の御方様」「○○殿」みたいに
呼ばれていたのかと思っていたけど、
信長晩年の側室・興雲院(お鍋の方)なんかは、元夫の小倉実澄の姓から
信長に「小倉」と呼ばれていたようだし、親がつけた名があるとは思うんだけど
それは基本的に、夫などでも呼ばないものなんだろうか。
濃姫も信長がつけた名前という説があるけど、その辺どうなんだろう。
夫でも他人行儀な呼び方(本名ではない呼称)をするんだろうか。
662:日本@名無史さん
06/12/17 17:31:20
秀吉は手紙の中でねね様を「そち」という呼称を用いたいたので、
他のお殿様も普段は御台と相対の時はそう呼んでいたのかもしれませんね。
もしかしたら、お床の中では本名を呼んでたりして・・・ぽっ(恥)
663:日本@名無史さん
06/12/17 20:39:32
>>662
間違って側室の名を叫んで、正室にぶっ飛ばされないように、すべて「ソチ」で統一してました
664:日本@名無史さん
06/12/19 08:36:01
正室が側室にやきもちをやくとうのは現代人の感覚だよ。
大名のお姫様クラスなら、自分の親兄弟がみな多くの側室を持ち、
異母兄姉弟妹大勢の中で育っているから、側室がいるのが当たり前の環境だった。
正室、側室の立場も充分把握して育っているから、やきもちなんてそうそう
やかないと思うよ。
ねねは下級武士の出身だから大騒ぎしてたけど、
信長は「なんで正室なのにそんなことで大騒ぎしてるんだ?」と
半分理解できなかっんじゃないかな。
身分の高い女性のたしなみとして感情を露骨に出さないという
作法もあったから、少なくとも表面上は悠然とふるまってたと思うよ。
665:日本@名無史さん
06/12/19 13:46:37
当主のほうも正室は他家からのお預かりもの、側室は自分の子供を
産むもの、という一線をきちんと引いていたろうしね。
当時の婚姻は男女ともに若いから、信長&濃姫みたいなカップルは
幼馴染みたいな愛着も生まれてきたろうと思うな。
666:日本@名無史さん
06/12/19 21:42:12
徳姫は側室の子なのに、姑の讒言を行ったようだけども
当時の常識とは別に、個人の考え方もあるんじゃないかな
667:日本@名無史さん
06/12/19 22:07:05
>>666 姑の讒言はともかく、信長が激怒したのは武田との内通のことだから。
家康もグルだったのかもしれんが、とにかく母息子を粛清することで
信長の疑念を払拭した。
もし武田内通のことを父親に報告したとしたら、それはスパイでもある
正室の仕事だから当然なことをしたまでだな。
でも家康は徳姫を実家に返すときに化粧料を持たせたというし、
後年徳姫に1700石以上の所領を与えているし、恨んでいる様子はない。
信長に五徳がチクリの手紙を書いたなんていうのは嘘じゃないかと思ってるよ。
668:日本@名無史さん
06/12/20 05:12:57
>>667
自分らのトラブルを織田父娘になすりつけた可能性大
669:日本@名無史さん
06/12/20 09:50:15
>>666
築山殿の悪行申し立てといっても、
実のところはどれだけ徳姫の意志が動いた不明ではないかな。
政略婚の習いで、徳川家には姫付きの家来や侍女がともに入って
実家に情報を流していたわけで
讒言の件も姫の周囲が行ったものだとか、諸説あるではないか。
それに>側室の子なのに・・・というのは意味がわからない。
670:日本@名無史さん
06/12/20 20:03:32
そもそも、徳姫が出した手紙の現物どころか写しもないんだよね。
671:日本@名無史さん
06/12/20 20:35:15
将軍となったからには過去のダークな部分をなんとか偽装工作するに
かられて、信長や徳姫の死後、家康が悲劇の夫&父親、という
脚色がされたんじゃないか?
築山殿が家康の命で家臣に殺害されたのも、信康が自害しのは事実だから、
徳川家で一大事がおこり、家康の一存で粛清したが、正室と嫡男を死に追いやったというのは
世間体が悪いので、残虐というイメージがある信長に悪役になってもらい、
信長のせいでそのような無慈悲なことをやらざるを得なかった、
というのが真相だったりして。
だいたい娘が姑の愚痴を手紙でかいてよこしたら、
ねねの手紙にはあれだけ心温まることを書いてくれる信長様だから、
「姑殿と諍いをおこすな、敬いなさい、そなたは信康殿の正室だぞ、
次は徳川の世継ぎを産め、この手紙を家康殿にもみせなさい」
なんていう返事を書いてよこしそうだが。
672:日本@名無史さん
06/12/20 20:37:55
>>671
自分の娘は、ほとんど政略結婚にも使わず、近しい信頼おける家臣の子供辺りに
嫁がせている信長が、徳姫だけそんな謀略使わせるはずもないよな。
徳姫の不幸は、信長にとっても想定外だったんじゃないかな?
673:日本@名無史さん
06/12/20 21:05:08
そうそう、冬姫なんて安土城からわずか5~6キロしか離れてない日野城に
嫁いでる。しょっちゅう実家に入り浸ってたりして。
でもそのおかげで本能寺の変後濃姫以下信長の妻子が助かったんだよな。
674:日本@名無史さん
06/12/20 21:15:49
冬姫といえば、永禄元年生まれ説と、4年生まれ説のどっちが正しいんだろう?
675:日本@名無史さん
06/12/20 21:49:45
『氏郷記』では12才で輿入れ、『蒲生氏郷記』では9才で輿入れ
と記載されている。永禄元年説なら冬姫が長女となるけど、
徳川との婚儀が1567年、蒲生との婚儀が1570年ということを
考えると、順番からいって長女から嫁ぐだろうから、
やはり徳姫が長女だと思うな。
676:日本@名無史さん
06/12/20 22:03:10
>>673
嫁に行った時点ではまだ実家は岐阜城だから。
結婚後数年たって実家の方が近所に引っ越してきたの。
677:日本@名無史さん
06/12/20 22:09:32
嫡男を15歳で元服させた信長に順番通りを期待するのは難しいと思う。
純粋にどちらの史料が信頼性が高いかで決めた方が良い気がする。
678:日本@名無史さん
06/12/20 22:10:45
>>676 信長が娘かわいさに婿殿の家を実家近くに配置したとか?
679:日本@名無史さん
06/12/21 20:55:32
もともと氏郷の日野城の側に安土城を築いたんだよ。
偶然だろうけど。