06/10/17 19:50:12
>>1 武田も入れちゃうあたりがワロタw
とりあえず乙!
3:日本@名無史さん
06/10/17 19:52:45
勝手に松姫入れてんじゃねえよ馬鹿
4:日本@名無史さん
06/10/17 19:53:08
>>1 乙!
5:日本@名無史さん
06/10/17 19:54:08
>>3
乗っ取られるよりマシ。
6:日本@名無史さん
06/10/17 19:57:20
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7:日本@名無史さん
06/10/17 19:58:51
信忠⇔松姫vs家康
スレリンク(sengoku板)
8:日本@名無史さん
06/10/17 20:03:43
松姫が主流になりそうだ
9:日本@名無史さん
06/10/17 20:07:14
松姫イラネ
10:日本@名無史さん
06/10/17 20:08:27
スレ立て代行のスレがあるのに
前スレの1は相当なアホだな
11:日本@名無史さん
06/10/17 20:12:15
そしれこの結果
12:日本@名無史さん
06/10/17 20:13:49
すんごいブスだったから信忠が嫌って破談になったというのに。
武田に人質にいっていた勝長から松姫の容貌を聞かされていたそうだ。
ブスで後ろ盾もないいわくつきの貧乏姫なんて織田の嫡男が相手にするわけもない。
松姫は今でいうストーカーだな。
破談になったことを受け入れられずに「自分は信忠様の妻」と
粘着質に思い込んでいたのだろう。
キモイ姫様だ。
13:日本@名無史さん
06/10/17 20:14:20
マジで松姫もいれんのか勘弁してください
史板濃姫専用スレたてていいか
14:日本@名無史さん
06/10/17 20:15:08
>>13 真面目なスレタイでお願いします。
こっちははきだめスレになりそうなんで。
15:日本@名無史さん
06/10/17 20:15:53
>>12 今までの松姫論で一番説得力がある。
16:日本@名無史さん
06/10/17 20:16:16
>>13
お願いします。
まともなスレ立てようとしたら、自分もホスト規制でたてられなかったので。
17:日本@名無史さん
06/10/17 20:23:18
立てたぞ
誘導
URLリンク(ja.wikipedia.org)
18:日本@名無史さん
06/10/17 20:23:52
なんでwiki?w
19:日本@名無史さん
06/10/17 20:24:47
このスレの住人はわがまますぎ
20:日本@名無史さん
06/10/17 20:24:50
まちがったwww正しくはコッチ
スレリンク(history板)
21:日本@名無史さん
06/10/17 20:28:01
>>20 サンクス!GJ!!
22:日本@名無史さん
06/10/17 20:32:13
こっちのスレはどうなるの?
23:日本@名無史さん
06/10/17 21:07:53
\ /
\ /
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( `ー´) ( ´∀`) ( ゚ ∀゚ ) ( ^∀^)
( つ┳∪━∪━∪━∪━∪━∪━┳⊂ つ
| | | ┃ このスレは終了しました ┃ | | |
(__)_) ┻━━━━━━━┻ (__)_)
24:日本@名無史さん
06/10/17 21:15:03
本スレage
25:日本@名無史さん
06/10/17 21:17:43
いっそこっちを松姫専用スレにしちゃえばいいんじゃない?
26:日本@名無史さん
06/10/17 21:52:31
本家スレに必死で妨害しにくる松姫マンセーの馬鹿ども。
いい加減にあきらめろ。
誰一人相手にせずスルーされてるだけだぞw
27:日本@名無史さん
06/10/17 22:04:21
↑重複スレに必死に書き込み続ける馬鹿
28:日本@名無史さん
06/10/17 22:04:52
松姫ネタだけではもたんな。
倉庫行き決定。
29:日本@名無史さん
06/10/17 22:25:17
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆注意☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここは重複スレです。
濃姫について語りたい人は↓の本スレに移動してください。
【第二巻】信長の正室帰蝶・まむしの娘の謎
スレリンク(history板)
30:日本@名無史さん
06/10/17 22:30:06
>>29
やめろ。同類だと思われる。
31:日本@名無史さん
06/10/17 22:31:02
同類だもんwwwwwwww
オウム返ししかできない馬鹿wwww
32:日本@名無史さん
06/10/17 22:31:54
とりあえず、勝長が人質になった頃の織田と武田の考察でも
始めてみないか?
33:日本@名無史さん
06/10/17 22:35:13
>>32GJ
1572年あたりか
34:日本@名無史さん
06/10/17 23:12:45
もう少し遡って信友が岩村を攻めることになった
あたりからの方がよくね?
それから信友が岩村を攻めたのは信玄の命令と言う話と
信友が暴走して勝手にやったという話があって
暴走した理由が信友が家康から預かっていたの人質の
松平源三郎勝政(はて?)という人に逃げられたという
汚名返上のためらしいんだと。
汚名返上については人質になった経緯バージョンもあるんだけどね。
35:日本@名無史さん
06/10/17 23:19:41
逃げられたって猛牛マヌケすぎw
36:日本@名無史さん
06/10/17 23:31:19
>>34
信友が岩村に信長の息子が養子に入ったのを知って
奪いに行ったという話のことか?
だったら、まずは信玄に報告してどうするか指示を仰ぐだろう。
37:日本@名無史さん
06/10/17 23:35:25
信玄に報告しても奪いに行けだろうから結果は一緒だな。
38:日本@名無史さん
06/10/17 23:50:41
ん?奪いに行けとは限らないんじゃないのか?
あの頃の織田と武田はほぼ絶縁状態だから危険な思いをしてまで
わざわざ人質を取りに行く必要性なんて本来はないだろ?
当時の武田が劣勢ならまだしも。
39:日本@名無史さん
06/10/18 01:17:33
で、断絶はしたものの信玄からの打診もあって信忠と於松の文通は
許されたという話はどの程度信用できるものなの?
経緯はどうあれ甲府に連れて行かれたご坊の様子を知るためには
これってかなりの有効手段だから許したとかならありかなと思うけど。
でも、信玄死後は不可能だったともいうからそうなるとこの推測って
崩れ去ってしまうけど。
40:日本@名無史さん
06/10/18 02:17:34
>>39
許可を得て文のやりとりなんて、何に書いてあるんだ?
41:日本@名無史さん
06/10/18 02:41:44
信松尼の「信」は、信忠の「信」
42:日本@名無史さん
06/10/18 10:07:09
>>39
普通に考えて婚姻中でしか文通はありえないよ。
両家断絶となったのに敵方と文通していたら内通していたと
疑われる。信忠は廃嫡のどころか、下手したら
信康の運命をたどったぞ。
いいかげん信忠と松姫の悲恋伝説の線はあきらめないと。
信忠なんて嫡男といっても正室の実子ではなく、
立場は微妙だったんだから、信長の機嫌を損ねるような
真似は絶対しないよ。
松姫一人が勝手な妄想を抱いて脳内信忠の妻でいた可能性はあるけどな。
43:日本@名無史さん
06/10/18 11:24:01
>>42 信忠とのことは松姫の自作自演かもしれんと?
44:日本@名無史さん
06/10/18 11:57:42
>>42-43
あまりのバカさに晒しage
45:日本@名無史さん
06/10/18 12:20:55
そのうち信忠と松が婚約したという話も
松の自作自演による妄想だと言い出すぞw
何でもかんでも否定していたら史学なんて発展しない。
46:日本@名無史さん
06/10/18 14:04:42
>>44-45否定するわりには、否定するだけの根拠となる資料もないわけだよな?
だから濃姫軍団に馬鹿にされるんだよ。
47:日本@名無史さん
06/10/18 14:13:40
>>42
信忠の立場が微妙なわけないだろ。御台の養子になり嫡男として
周知されているしその立場が揺らぐことなんてまずない。
だからといって、二人が断絶後も密かに文通していたと
言っている訳じゃないぞ。
ただ、確かに敵対同士であるが故に情報収集のツールとして
この二人の文通を黙認して利用しようと考えていたのではないかという
推測が出るのは止むを得まいとは思う。
48:日本@名無史さん
06/10/18 14:56:26
>>47 手紙の内容を第3者に知れるという条件で文通していたなら
手紙に相手をかく乱するために偽情報を書いてくる可能性もでてくるぞ。
松姫もどきがなりすまして文通していたらどうすんだ?
そんな危険な情報網誰が信じるか!
信忠が養子になった時期はどの資料にも書いてないんだよ。
産まれて早々だったら問題ないが、後年である可能性もある。
もしそうなら非常に微妙で不安定な立場だったんだよ。
養子になる前にお濃に実子が産まれたら嫡男の席はなくなったわけだしな。
49:日本@名無史さん
06/10/18 15:22:43
ちなみに武田に人質になった勝長こそが濃姫と信長の実子である
とまことしやかに別スレで推測されている。
確かにそれなりに根拠のある資料も残ってはいるし、
織田に戻ってから勝長は信長に厚遇されている。
50:日本@名無史さん
06/10/18 15:39:42
誰かこいつに年表を教えてやれ
51:日本@名無史さん
06/10/18 15:49:03
アホに付ける薬はないからスルーするかいっそ弄んでみますかw
52:日本@名無史さん
06/10/18 15:52:46
>>50-51 馬鹿だな、お前らみたいなリアクションをするからますます馬鹿に
されるんだよ。悔しかったら年表と資料で詳細に反論してみろ。
ちなみに「武功夜話」「甲陽軍鑑」は資料ではなく、
創作歴史小説と見なされているから、それ以外の信憑性の高い資料で頼むぞ。
53:日本@名無史さん
06/10/18 15:56:02
こいつどこまで何様?
54:日本@名無史さん
06/10/18 16:16:47
つうか信玄が信長との同盟の証として娘を奇妙に嫁がせると
決めたということは、織田家内での奇妙の立場は明白。
それだけでも十分だろうに。
仮に勝長が濃の実子であったにしても、岩村に置かれた段階で
奇妙との差は付けられている。
55:日本@名無史さん
06/10/18 16:37:44
>>54 信忠と松姫との婚約直前に勝長が誕生。
したがってその頃はまだ嫡男に松姫をもらったという意味合いではなく、
同盟の証として信長長男に松姫をもらう、という認識であったことも大いに考えられる。
信玄の手前嫡男候補の実子が誕生したことを伏せておきたかったとも考えられる。
岩村の城主夫人(未亡人)は信長の実伯母。
養子にいったとはいえ、一族の伯母が女主人として采配をふるっていた
岩村に養子にだすのは、他の兄弟(乗っ取り目的)とは明らかに意味が違う。
その気になれば簡単に織田の支配下におけると想定し、
いずれ呼び戻すことも容易にできる。養子云々のことは実子ではありえないと
推論できるほど強い説得力はないんだな。
56:日本@名無史さん
06/10/18 16:48:39
勝長が永禄11年の生まれだったら、婚約直後に妊娠になるけどね。
57:日本@名無史さん
06/10/18 17:08:48
>>55
当時の岩村遠山氏は織田から遠山夫人が嫁いでいた関係もあって
武田方ともつなぎはあったようだが織田領内の国人扱いで
あのあたりは織田の支配下。
58:日本@名無史さん
06/10/18 17:48:36
>>46
そういう言い方は濃姫好きの一人として誤解されるから迷惑なんだけど。
第一、バカになんて私はしてないよ。
松姫を含めて武田家は良質な史料がほとんど残っていなくて
仕方ない部分があるんだから、甲陽軍鑑すら出すななんて言うのは
正直横暴なんじゃないのかな。
あとね、前スレに参加していて思ったんだけど、濃姫が好きなのはわかるけど
だからといって他の姫や女性のことについてバカにしたり、さげずんだりは
少しやりすぎなんじゃないのと思う。
59:日本@名無史さん
06/10/18 18:31:34
>>58
当時の生駒家や塩川家は織田家に比べて格が落ちる。
武田は没落したので織田とは釣りあわなくなった。
というのは客観的に見ても事実なのでバカにしてるわけじゃない。
でもブサイクだのどうだの言うのは、根拠がないから言いすぎだな。
60:日本@名無史さん
06/10/18 18:38:26
>>57
だからこそ内側から武田に寝返る国人が出ると困るということで
実子を送り込んだんだろうな。
簡単に支配下におけるなんて舐めてかかっているなら養子とって
その子を送れば言い訳なんだし。
舐めてかかるような場所でも城でもねーよ。岩村は。
でなくても武田には信勝というは苗木遠山の血を引いている
子もいるんだからさ、武田の方が若干有利だな。
61:日本@名無史さん
06/10/18 18:48:02
>>59
嫁取りに関しては家格の釣り合いばかりが条件ではない。
62:日本@名無史さん
06/10/18 18:50:06
>>58 甲陽軍鑑てまず山本勘助が架空の人物だということが明らかになってしまった
ので、信憑性が問われている。同姓同名の人はいたらしいんだけど
あんな天才軍師ではなかったらしい。名前だけ拝借した架空の人物なんだ。
だから甲陽軍鑑を持ち出すならその箇所に偽りがないか他の資料と
照らし合わせてからじゃないと信用できない。横暴でもなんでもないよ。
歴史考証では複数の資料を照らし合わせて、矛盾があるかないかを
調べ上げるのも仕事。一つの資料、それも後年編集されたような
甲陽軍鑑のようなものに固執すれば当然認識も偏り、誤った知識を
持つようになる。
松姫に関しても当時の武田と織田の関係をみても、婚約破棄後に
やり取りするわけがないだろう。同盟も破棄になり敵対国になったのに、
織田家の嫡男(に一番近い男)と敵国の姫が交渉を持つはずがない。
それぞれの家への裏切り行為だ。
愛だの恋だのと戦国時代に生きた二人のことを今の感覚で語るのは
愚かだと言っているんだよ。
63:日本@名無史さん
06/10/18 18:52:39
>>59 >>46だけど、俺はブサイクなんてどこにも書き込んでないが?
64:日本@名無史さん
06/10/18 19:11:38
>>60
信長の伯母が跡取りがいなくて困っており、信長の後押しも欲しいということから、
固辞し続けた信長にようやく了解をもらって勝長を養子にむかえた。
その伯母さんがどうしても信長の実子にこだわったんだよ。
その時の信長の手ごまは勝長しかいなかったので、必然的にそうなったわけ。
武田も徳川も狙っていたのは知っていたから実の伯母を信頼して実子を養子に
だしたら、まんまと裏切られたようなことになったので、のちにそお伯母は
逆さ磔にされるほど信長の怒りをかったわけだ。
65:日本@名無史さん
06/10/18 19:13:16
>>62
どうでもいいけど偉そうに講釈をいうなら史料と資料の
区別ぐらいいい加減使いわけろよ。
66:日本@名無史さん
06/10/18 19:16:37
>>64
ふ~ん、舐めてかかっていたという件は?
67:日本@名無史さん
06/10/18 19:19:17
>>65 史料→歴史研究の資料、文献資料 資料→研究、判断の材料
使い方に問題はありませんが?
68:日本@名無史さん
06/10/18 19:21:15
>>59
58の後半3行に対するレスだから、46の事を言ってるわけじゃないよ。
家の格が落ちるというのは客観的事実だから、
誹謗中傷の類ではないよってことを言いたかっただけ。
69:日本@名無史さん
06/10/18 19:29:17
>>66 勝長は養子に行って岩村城主となったものの、まだ幼かったため、
事実上この伯母さんが女城主として采配をふるってた。でもいずれ
勝長が元服を迎えれば伯母は一線を退くだろうから、そうなれば実父信長の
思うがままだよね。実の伯母だから北畠家みたいに皆殺しまでしなくても
他家よりは簡単に行くと思ったからしぶしぶながら承諾したんだと思う。
まさかあんな展開になるとは信長もさすがに読めなかったろうけど。
70:日本@名無史さん
06/10/18 19:35:57
読めなかったというより信玄を信頼していたんだろ。
信長は変に人を信じるところがあるからな。
71:日本@名無史さん
06/10/18 19:41:45
>>70 どちらかというと、伯母さんが城に攻め入った武田方の武将秋山信友と
結婚する、というのが想定外だったと思う。信玄も家康も突然何をしても
おかしくないという時代だけど、よりによって信頼していた身内の伯母さんが
まさかの再婚で寝返りなんて…と呆然となったと思うよ。
伯母さんといってもけっこう美人だったというけど、あり得ない展開。
しかも伯母さんの方から婚姻を申し入れたというだから。
72:日本@名無史さん
06/10/18 19:48:59
>>71
>しかも伯母さんの方から婚姻を申し入れたというだから
ソースは?
通説では信友から条件と言われているが…。
73:日本@名無史さん
06/10/18 20:00:20
>>72 この伯母さんの参謀みたいな存在だった織田掃部が秋山信友の
合戦をかわすため、伯母さんと信友を縁組し、勝長の養育を条件という
和睦を申し入れるように伯母さんに提案した。
最初は難色を示した伯母さんも城が耐え切れない状態になったので、
その案に従うことにしたそうだ。
正確には織田掃部の案に従って婚姻の申し入れをしたというわけだが、
秋山はその和睦の条件をのんだということ。
ソースはネット上のどっかの資料だったかな?
ごめんはっきりとは覚えてない。
74:日本@名無史さん
06/10/18 20:03:39
そして掃部助も粛正されたって訳か
75:日本@名無史さん
06/10/18 20:18:20
【おつやの呪い】
信長によって逆さ磔で処刑される時におつやは
「信長も必ずあっけない死に方にさせてやる」といったという。
事実信長は、本能寺の変であっけない最期を遂げた・・・
本能寺の変は明知光秀にとりついたおつやの怨霊のなせるわざ!?
76:日本@名無史さん
06/10/18 22:42:07
誰も>>73の意見に相違はないのけ?
77:日本@名無史さん
06/10/18 23:21:54
オレ様な奴と論議する気がないだけ
他の人間には史料どうのと言っておきながら自分のソースが
某サイトの参考資料とはちゃんちゃらおかしい話
あと、勝長が生まれたと推測される11年前後の奇妙について簡単に書いておく
永禄10年11月:武田松姫と婚約(総見記)
〃12年5月:信長がフロイスを饗応した時に信忠を隣に置いていた(日本史)
〃11月 :近江長命寺の保護と諸役を命じる(長命寺文書)
これを見てもわかるとおり、客のもてなしに同席させ、寺に対しての保護や諸役を
命じることが許されていたのだから嫡男とみなしても差し支えないし
たとえ11年にお濃が男児を産もうと、その後に寺へ命じていることから
その立場が不安定ということもまずない。
故にこの頃は既に正室養子としてまた嫡男として認識されていたのだろうから
わざわざそれを覆してお家騒動の火種を撒くようなこともまずないはず。
78:日本@名無史さん
06/10/18 23:50:46
長命寺諸役の命じたのではなく免じだぞ。
寺への諸役免じなら元亀2年に崇福寺にも出してるよ(崇福寺文書)。
同じ頃に西美濃の一部も貰っていなかったっけ?
79:日本@名無史さん
06/10/19 07:56:38
>>78
バテレンが残した記述がはっきりと誰かまでは書いていないから
それが信忠なのか信雄なのか別の子なのか断定はされていないけど
状況から信忠が一番妥当という見方が強いかなと。
信忠がちょくちょく文書に出てくるのが松姫との婚約が成立してから以降で
地盤固めや当面の実務面は河尻達が行っていた感じだろうけど徐々に
統治の基礎教育も始まっているから、武田との縁組が整ったことで
嫡男としての地位を確実にしていった感じも否めないかな。
嫁が決まったのだから当たり前ったら当たり前なんだが。
80:日本@名無史さん
06/10/19 08:33:10
嫡男との婚姻でなくても一時的な和睦を結ぶ事は可能だったから、
松姫との婚姻が信忠の嫡男説を強める根拠としては薄い。
たまたま松姫と似合う年恰好の男子が長男の信忠だったというだけとも
考えられる。もし信忠がすでにだれかを娶っていたら次男の信雄との
縁組になっていても、同盟成立したでしょ。
それから織田掃部の話は有名だぞ。
密かに織田と武田をてんびんにかけ、信長に揺さぶりをかけて
勝長を養子にむかえるように指示したのも織田掃部らしい。
武田と内通していたと疑われまさに粛清。
内通はありえるかもしれん。
81:日本@名無史さん
06/10/19 09:11:06
ところで松姫と信忠に関する記述のある史料を具体的に教えて欲しいんだけど。
82:日本@名無史さん
06/10/19 09:12:55
講談師見てきたような(ry
一時的な和睦ってこの頃は別に敵対関係だったわけではないんだが…。
婚約話を持ち出したのは織田方だろ。それではまるで武田方から
言ってきたような話しぶりだな。
いい加減、オレ様説をさも事実のように語るのはやめてくれないか?
83:日本@名無史さん
06/10/19 09:25:31
>>82 いい加減て?
自分は今回はじめて書き込んだのだが??
それに武田方からの申し出とどこを読んだらそうなる?
>>82はなんなんだ???
84:日本@名無史さん
06/10/19 09:41:49
>>83 気にするな、無視しろ。
だいたい* 織田信忠 * スレがすでにたっており、重複
しているのに無視して無理矢理嫌がらせで立てたアホスレにまともなやつが
レスしてはいかん。
>>82の思い込みと妄想ぶりは明らかだろ?
書いてることも妄想だらけの空想君だから相手にすんな。
85:日本@名無史さん
06/10/19 10:25:31
>>82みたいのはいつも幻聴や幻覚があるんだろうな・・・
86:日本@名無史さん
06/10/19 16:40:47
>>77-79
要するにみなさんは既に嫡男だったという推測なのでしょうか?
それとも限りなく嫡男に近いただの御台養子→確実な嫡男という感じに
変わっていったということなのでしょうか?
>>80
掃部が揺さぶりをかけれるほど権限があったとはとても思えません。
そんなことをしたらその場で首が飛んでいると思います。
信玄方の使者がこういう話を持ってきているがどうしたらと相談したというなら
わかりますけど。(こういう場合は揺さぶりとはいいませんよね?)
仮にご坊を養子にと彼が指示としたら、遠山夫人と一緒に処刑されていると
思いますよ。天正7年まで生かしておくことはまず無かったと思います。
87:日本@名無史さん
06/10/19 17:36:21
普通に考えて分国に対して織田方の一武将が指示なんぞできるわけなかろう。
それこそ遠山家臣にてめー何様だと思われるのがオチだ罠
88:日本@名無史さん
06/10/19 18:27:20
>> 信玄方の使者がこういう話を持ってきているがどうしたらと相談したというなら
わかりますけど。(こういう場合は揺さぶりとはいいませんよね?)
断固固辞の姿勢だった信長を口説き落とす手に、「実は武田方からも・・・」と
いう話をして、勝長を養子にだしてもらったという憶測はたつな。
その場合揺さぶりといえば揺さぶりじゃないか?
岩村城がどうでもよいところなら信長は絶対実子を養子に出すことはせず、
養子にした男子を養子として送り込んだと思うから。
89:日本@名無史さん
06/10/19 18:56:21
どこが揺さぶりなのかと小一時間
90:日本@名無史さん
06/10/19 19:09:17
>>89
どこが揺さぶりなのかと小一時間考えてもわからない馬鹿w
91:日本@名無史さん
06/10/19 19:14:20
スレリンク(sengoku板)
スレリンク(warhis板)
信忠、松姫関連なら↑の方がいい。
ここは昨日からの流れでまともなこと書いても荒らされるだけ。
92:日本@名無史さん
06/10/19 23:06:27
>>88
>岩村城がどうでもよいところなら信長は絶対実子を養子に出すことはせず、
>養子にした男子を養子として送り込んだと思うから。
では、信長は武田をどうでもいいと思っていたんですかね?なにしろ勝頼に
養女を娶わせていますから。
93:日本@名無史さん
06/10/19 23:18:50
岩村は絶対織田の所領にする気満々。
武田とは同盟関係が結べればOK。
その差がでただけ。
でもその養女は遠山勘太郎に嫁いだ信長の実妹が生んだ娘だから
信長の姪。信長が実子同然に手元で育てていたんだよ。
武田と岩村を同格に論じていることがボケ茄子。
94:日本@名無史さん
06/10/19 23:43:33
>>93
自分の言動がこれまでと振り返って、何箇所矛盾ダブスタを演じているか
数えてみなボケ茄子。
95:日本@名無史さん
06/10/19 23:45:18
>>92 信長の嫡男と信玄の娘が婚約してんじゃんよ。
どうでもいいと思ってるわけねぇだろ。
96:日本@名無史さん
06/10/19 23:48:07
>>94->>82は一緒の妄想野郎だな。
明日にでも精神科に行けや、池沼さん。
97:日本@名無史さん
06/10/19 23:56:17
>>94 ムキになってるw
98:日本@名無史さん
06/10/20 00:09:29
>>94は明らかに挑発するような発言だよね?
正直第三者が読んでも気分がいいものではない。
反論されれば感情的に反発するだけだし、
これでは前向きな情報交換できない。
ああいいうレスの書き方する方もどうかと思うよ。
99:日本@名無史さん
06/10/20 00:15:28
アンチや荒らしはスルーというルールを守りましょう。
100:日本@名無史さん
06/10/20 01:27:19
100
101:日本@名無史さん
06/10/20 02:05:57
>>98
それは>>93も同じ。
>>93
そう断定的に書くならソースを出した方がいいぞ。
武田は織田から見れば背後の位置関係だからこそ岩村は
大事だったとも言える。逆の言い方をすれば武田の脅威が
なければ岩村は重要視されることもなかっただろうに。
だから岩村城の攻防と武田は切っても切れない間柄。
100歩譲って君のいうとおり岩村を分国ではなく
直統治にすることさえできるなら武田は適当に同盟さえ組んでいれば
いい相手とタカをくくっていたのなら、信玄はそのあたりを
勘ぐって松の輿入れを伸ばしていたのかもしれないな。
1%でも負の恐れがあればそれに備えるのが信玄流だからね。
まっ、実際にはそんな甘い考えでは無かっただろうし
武田と織田の婚約が決まったころは遠山景任もまだピンピンしていたから
遠山家を乗っ取ろうなんて国人の離反を招くような愚考なんて
まず無かっただろうけどね。
102:日本@名無史さん
06/10/20 08:27:11
>>101 ソースソースと騒ぎながら自分も書いてること全て妄想と憶測だけの
見解について
しょせんここの住人の程度が知れるよ
103:日本@名無史さん
06/10/20 08:46:07
>>101 そう断定的に書くならソースを出した方がいいぞ。
104:日本@名無史さん
06/10/20 10:03:32
婚約した同じ月に勝頼に嫁いでた信長養女が出産後死亡or肥立ちが悪く
瀕死の重体になってますよね?
国の主なので割り切っていたとは思うのですが、養女とはいえ嫁いできていた
娘がそういう状態なのに、すぐさま次はと言ってきたことに信玄は何か
憂慮することが心の内にあったとは考えられないでしょうか?
105:日本@名無史さん
06/10/20 11:09:24
そういう親心はもちろんあったかもしれない。
大名と言えど人の子、子供の幸せを願うことは親としては
当たり前の心境だろうな。冨士御室浅間神社及び北口冨士浅間神社には
娘への親心を表す願文も残っているからね。
106:日本@名無史さん
06/10/20 12:28:46
信玄はすぐに輿入れさせても構わなかったけど甲斐の国人や家臣達が
それに猛反発した可能性はないのけ?勝頼の時と違って於松と奇妙の婚約には
かなり難色を示した者が多かったという話もあるぞよ。
107:日本@名無史さん
06/10/20 13:25:00
親心どうのというより106の推測の方が何かしっくりきますね。
108:日本@名無史さん
06/10/20 13:26:38
織田家だって同盟が結べればよかったわけだから急ぐ必要もなかったと思う。
現に同盟が破棄させるまで友好関係が続いたわけだし。
109:日本@名無史さん
06/10/20 14:43:40
>>104 信長お必死さが伝わっただけじゃないか?よほど武田が脅威なんだなと。
実際脅威だったろうから。この時代は縁組による同盟は一代限りという
決まりがあったから、いくら遠山夫人が子供を生んだところで、遠山夫人が
亡くなれば同盟も消滅する。間をあけずに武田とは同盟を結んでおきたかったんだ
ろうな。
110:日本@名無史さん
06/10/20 15:54:29
>>101 岩村城は1570年に信玄から攻められ信長の援護でなんとか持ちこたえている。
その翌年に当主の遠山景任が病死し、その年に御坊が養子に迎えられた。
この流れから信長がただ養子をあげて終わらせるはずがないと思わんか?
同盟関係にありながら、岩村を援護し御坊を養子にしたあたりから
信長の下心が見えてくるわけで、内心はどうだかしらんが、
御坊を犠牲にしても利のあるかけにでたように思う。
結果的に岩村城攻撃の立派な大義名分もでき、卑怯な手をつかったが
手中におさめ、勝頼から無事に御坊も取り戻してるしてるし、
結局は当初の狙いどおりいったのではないかな。
111:日本@名無史さん
06/10/20 16:28:22
別に思わん。
岩村が落ちれば尾張や美濃への道を開けることになるから
死守したかっただけじゃないかな。あの頃の信長に二兎を追うような余裕なんて
まずなかっただろうし、あのあたりは離合を繰り返す国人が多いから
一歩間違えば西に東に挟まれて最悪アボン
112:日本@名無史さん
06/10/20 16:38:32
岩村は東の岩村、西の大垣と俗称される軍事、交通の要衝だったから、
武田も織田も徳川も欲しかった。要となる陸路をおさえることは軍事的な
利益だけではなく、産業的な利益も生む。
>>111 少なくとも御坊が養子になって2年後には信玄死亡。
信玄亡き後は赤子の手をひねるレベルになった武田軍。
二兎追うどころか、一石二鳥であっという間に両方ゲット。
113:日本@名無史さん
06/10/20 16:45:45
信玄死後わずか2年後には長篠合戦で勝頼敗退。
その後すかさず岩村城を攻め落としたんだったな。
なんでも信玄が死んだ事を悟られないように
必死で隠そうとしていたそうだが、あっさり
ばれてたらしい。そのせいで信玄公の墓の謎が
生まれたのかな?
114:日本@名無史さん
06/10/20 17:02:25
東濃18城がガンガンに落とされたのは信玄死後だお
長篠の結果が同じ負けでも重臣があそこまで戦死しなければ
岩村は守り抜けたと思うお
勝頼は武将としてなら優秀だお
115:日本@名無史さん
06/10/20 17:09:16
重臣の死=大将の愚
116:日本@名無史さん
06/10/20 17:17:32
114 戦略に長けていても、大将の器ではなかったということだな。
でなきゃ、武田家があんな形で滅亡せん。
117:日本@名無史さん
06/10/20 17:25:05
それを言ったらみんな愚将だ罠。
勝頼は采配を持たすより戦わせた方が良いタイプだったとオモ。
そして高天神を落としたのは評価してあげるべきだな。
118:日本@名無史さん
06/10/20 17:33:03
確かに高天神城を落としたのは素直に凄いと思うよ。
119:日本@名無史さん
06/10/20 17:35:29
家の存続という一番大事な使命を果たせなかったことで、勝頼の評価が
悪くなっても仕方ないね。武将の評価って勝った負けただけでは
ないと思う。名門武田家を勝頼親子の代で終わらせちゃったのは本当に残念だ。
松姫なんか本当にかわいそうだよ。落ちに落ちて八王子でその日暮らし。
八王子に集まった武田衆も悔しかったろうに。
120:日本@名無史さん
06/10/20 17:39:55
>>118 では高天神城の戦いPartⅡの評価はいかに?
121:日本@名無史さん
06/10/20 17:48:15
勝頼と言うより信玄が残した負の遺産が
全てを決定づけていたようなもんじゃね?
勝頼に全ての責任を押し付けるのは酷というものだろう
松姫の場合も、信忠とのことは心痛察するに余るところだが
秀吉や家康の側室に強引にされることもなく
政治利用にも使われず、武田の遺臣達に囲まれて暮らしていたのだから
苦しくともこの時代の姫の中では幸せな方だろうて。
122:日本@名無史さん
06/10/20 18:18:07
>>121 でもさ、勝頼の母親は滅ぼされた諏訪氏の姫で信玄の側室になり
その子は諏訪氏継いだ。信玄公亡き後の武田家の当主は自分の孫。
諏訪御寮人は不幸ばかりとはいえないと思うけど。諏訪氏の血が武田家嫡流
になったわけだし、諏訪氏に生まれた姫として立派な仕事をしたよ。
茶々も秀吉の寵愛と嫡男を産んだことで浅井の血を持つ子を天下人に
することもできた(途中までだけど)。江与もまさに政治の道具
としてあちこちやられたけど、将軍家にも天皇家にも浅井の血を残した。
当時の側室って権力者の慰み者という認識ばかりではないと思うよ。
もし松姫が秀吉の側室にあがり、茶々よりも先に男子を授かれば、
嫡男のいない秀吉の寵愛を一身に受け、武田を何らかの形で復活
させるほどの力を持てたかもしれん。
松姫は最初は苦労したが、家康の保護のおかげで
晩年は穏やかに暮らせたようだし、旧武田衆の心の拠り所的存在だった
そうだから、それはそれで不幸だとは思わないけど。
123:日本@名無史さん
06/10/20 18:21:39
相変わらずな無茶苦茶な理論に萎え
124:日本@名無史さん
06/10/20 18:22:04
>>121 信玄の負の遺産というが、元々信玄の代から甲斐統治は不安定な
地盤だったんだからカリスマ信玄公が亡くなったらとたんにああいう形で滅亡した
のもうなずける。
125:日本@名無史さん
06/10/20 18:22:55
>>122 松姫は早々に出家したから手が出せなかったのだろう?
126:日本@名無史さん
06/10/20 18:23:46
>>123のような荒らしはスルーしましょう。せっかくレスが軌道に乗ってきたので
127:日本@名無史さん
06/10/20 18:27:55
>>125 というか、家康も後々家来から聞かされるまでその存在を把握して
いなかったから、意図的に敵から身を隠していたんじゃないか?
一緒に落ち延びた姫たちもいたそうだし。
128:日本@名無史さん
06/10/20 19:15:53
>>122 全て同意とはいわんが、手っ取り早く実家や自分の身を建て直す
手立てではあるな。城を攻め落とすこと同様、敵の大将の子供を産むというのも
戦略のうちかもしれない。
129:日本@名無史さん
06/10/20 19:25:18
秀吉は実子が一人もいなかったから、側室になった女性たちも実は野心満々
だったかもな。自分が男子を産めば豊臣家の嫡男生母。正室に次ぐ立場に
なれるからな。茶々なんて自分から色目を使って秀吉に取り入ってたりして。
130:日本@名無史さん
06/10/20 19:29:19
茶々の場合は復讐心も相まっていたかもしれない
131:日本@名無史さん
06/10/20 19:33:53
男子さえ産めばどうせ老い先短いじい様だと思えば、数年の信望だ罠。
132:日本@名無史さん
06/10/20 19:41:10
>>112
それは結果論にすぎない。ご坊を養子に出した時に信玄の死期を
わかっていたかのような推測はあまりにも都合が良すぎ。
133:日本@名無史さん
06/10/20 20:18:49
もし遠山夫人が信長実子だったら、実孫にあたる信勝を自殺に追いやるようなことを
したかな?いくら自分の養女の産んだ子とはいえ、義孫の首を京にさらすというのも
むごいな。(養女でも自分の実姪だったというのに)
134:日本@名無史さん
06/10/20 20:19:22
>>124
う~ん、自分も信玄の負の遺産だと思うな。
外交面ではあれだけ周りに敵を作りまくり、さらに駿河侵攻や
一方的な同盟破棄など信頼を失うような前科作り
家内では義信死後のしこり解消や長いこと跡目未決定、そして順番から
いえば跡目妥当と思われる勝頼に嫡男教育をすることもなく
立場も明確にせず、国人衆対策に有益かもしれなかった盛信の立場も
どうしたわけではない。
例え地盤が良かったとしても内外にこれだけ負の遺産が残っていれば
衰退するのは必然だよ。織田も力をつけだしていた時期でもあるし。
逆に言えば地盤が悪いところにとどめを刺すだけ刺して逝ってしまった
ようなもんじゃなかったのかな。
もちろん、勝頼にも非は多々あるけど・・・。
135:日本@名無史さん
06/10/20 20:39:13
>>134
勝頼は諏訪氏を継いだ信濃・伊奈谷の高遠城主。
そのため武田の家臣からよそものという違和感をもたれていたらしいけど、
結束の固かった武田家臣を上手く統率できなかったのは
勝頼の力量のなさだと思う。裏切り、寝返りが敗戦の要因ともいえる。
それに信玄の時代から武田氏自体が甲斐の絶対君主などではなく、
国人領主の盟主という不安定な基盤に立っていたわけで、つまり
武田氏と利益を共有する「利益集団」的な体制だった。
武田氏の勢いが萎えてくれば利益の共有が危うくなり、
その利害関係はあっという間に崩壊していく構図になっていた。
武田家崩壊は国内からの崩壊も原因の一つ。
負け戦よりもこっちが大きいかもしれない。
136:日本@名無史さん
06/10/20 21:58:47
>>133
信勝は信長の孫という織田方である前に勝頼の息子という武田方だから
両家が講和でもしない限り、戦となり劣勢となれば死に追いやられるのは
いか仕方ないことだったと思われ。
ただ、信長公記では信勝の最期を褒めたり面差しまで書いていたり、
関八州古戦録では滝川が勝頼父子を殺した他で出家したいと
申し出て信長が了解したと書いてあるのが何ともな…。
>>134
同意。三国同盟のドンだった今川を攻めたのはまずかったな。
甲斐は土地が貧しいから領民の生活のためにも仕方なかったと
いう見方もあるようだが、氏真を追っ払ったのはちとね・・・
137:日本@名無史さん
06/10/20 23:19:29
せめて北條に何かしらの配慮をしておけばなぁ~
執拗に今川に救援隊を送ってきているから氏康の怒りは
凄まじかったんだろうな…。
それから徳川との駿河-遠江割譲案の反故もかなり痛い
これで無用の恨みを買ったも同然だもんな。
駿河侵攻前後の信玄は血迷っていたとしか思えん。
138:日本@名無史さん
06/10/21 01:04:49
>>136
この部分だね。改めて読返してみるとベタ褒めだし勝長同様に
かなり詳細に書き残しているのが印象的だな。
勝頼の段もそうだけど武田方に同情的だったり褒めていたりもするから
牛一の目には信長の武田への思いはただ憎かったという側面なのではなく
真髄は可愛さ余って憎さ百倍みたいなもんのように写っていたのかもと
ちょっぴり思うよ。
(信長公記・武田滅亡より抜粋)
勝頼の子武田太郎信勝はこのとき齢十六、さすが名門の子とあって容貌美麗、
肌は白雪のごとくで、美しきこと余人に優れ、見る者であっと感じ入りつつ心を
奪われぬ者はなかったほどであった。しかし会者定離の悲しみ、老いたるを残して
若きが先立つ世の習いからは、この者とて無縁ではいられなかった。
まことに朝顔の夕べを待たぬがごとき、蜻蛉にも比する短き命であった。
信勝は家の名を惜しみ、けなげにも敵勢の中を切ってまわり、ひとかどの功名を
残して果てていったのだった。
(同・四郎勝頼の部分より抜粋)
天をも恨まず人をも咎めず、闇より闇道に迷い、苦より苦に沈む。
嗚呼、哀れなるは四郎勝頼。
139:日本@名無史さん
06/10/21 07:52:17
牛一は>>138の現場に居合わせたの?
牛一は信勝を実際見たことってあるのかな?
140:日本@名無史さん
06/10/21 08:35:19
>>138 内心そういう気持ちがあれば、京都に首を持っていってさらす
ような真似はしないと思うんだけど。討ち取ったという事実で充分。
孫(義理だけど)までさらし首にしたというのは、ちょっとなぁ。
141:日本@名無史さん
06/10/21 09:39:05
大田牛一は槍奉行として信長に仕えていた頃の日記を元に作ったのが信長公記。
年代的なことや事件、出来事など客観的な事実と思われることに関しては
かなり信憑性があると言われているけど、それ以外の主観的な感想と
思われる部分などは、参考程度。江戸初期に自分の日記を信長公記として編集
した時に、ある程度肉付けをする必用から付け足したとも考えられるので。
142:日本@名無史さん
06/10/21 09:43:36
自分も晒しただろうと思う。そのあたりは戦国大名だから非情に
割り切ったと思うし、それは仕方ないことじゃないかなと。
私情を挟む前に武田を滅ぼしたと言うことを確実に周囲に周知させて
織田の力を誇示させるには、獄門にかけるというのは必要なことだった
だろうから。京都に晒したのも方々から人が集まるというのを利用すれば
全国に知れ渡りやすくなるし公家や朝廷への牽制も兼ねていたと思うよ。
毛利に知れれば毛利家内の士気が下がる可能性も否めないし。
それと確かに身内に甘い感がある信長だけど136も言っているとおり
孫であっても信勝はあくまで武田の人間。そして長男にして嫡男で
年齢も元服の頃合だから、勝頼だけ晒して信勝を晒さないというのは
できることじゃないとオモ。
143:日本@名無史さん
06/10/21 10:10:55
>>138
>天をも恨まず人をも咎めず、闇より闇道に迷い、苦より苦に沈む。
>嗚呼、哀れなるは四郎勝頼。
天候をも恨まず穴山をとがめず、長篠敗退から家臣・家内・国内統制に迷い
御館の乱から外交オンチのドツボにはまり撃沈する。
バカ親父信玄のせいで・・・勝頼は被害者なんだよ、カワイソウニ・・・・
といった感じかな。
144:日本@名無史さん
06/10/21 10:31:24
>>143 つまり、信玄が悪い、勝頼親子は被害者、勝頼親子がさらし首になったのは
信玄の不徳の致すところで、信長様は悪くない・・・
と第3者に思わせたくて、牛一が書いたわけだ。
信長に早い段階で恭順の意を示し、一諸大名に甘んじても
武田家存続をはからなかっっておれば、信長死後またまた
戦局は変わったかもしれなかったのに。
145:日本@名無史さん
06/10/21 10:55:20
>>137
確かに北条との事前交渉は必要だっただろうが賭でもあるからな…。
だが、氏真が上杉と手を結びつつことなどを強調しつつ、
河東割譲や早川殿の出来る限りの保護などちらつかせれば、
北条も戦国大名、共闘は無理でも黙認くらいは取り付けられる
可能性は少なくないと見るから、やはり事前協議はすべきだった
のだろう。結局、北條に侵攻されて一時的だが駿河からの完全撤退を
余儀なくされているわけだから。
146:日本@名無史さん
06/10/21 10:59:13
北条・今川ネタは完全スレチ。
よそいってやっとくれ。
うっとうしくて邪魔。
147:143
06/10/21 11:32:25
>>144
>つまり、信玄が悪い、勝頼親子は被害者、勝頼親子がさらし首になったのは
>玄の不徳の致すところで、信長様は悪くない・・・と第3者に思わせたくて、
>牛一が書いたわけだ
そこまで言い切る気は自分には全く無い。
>>146
確かにスレチだけど自分の推測(妄想)を元に突っ走る奴よりよほどマシ
148:日本@名無史さん
06/10/21 11:46:15
>>147 スレチの方が明らかなルール違反。
2チャンルールで相当するレスに移動するのが当然だと思うが?
マシかどうかの問題ではない。
149:日本@名無史さん
06/10/21 11:54:11
>>146
私は鬱陶しくないですよ。このあたりは複雑に絡み合って
いるわけですし。かなり詳しそうな方々かなとも思うので
いろいろな視野で考察してくれそうかなという期待も。
もう少し様子見でもいいと思います。
150:日本@名無史さん
06/10/21 11:58:44
>>149 君一人の意見を通そうとするのは我侭だ。
少なくとも私は鬱陶しいし、今川、北条、武田の件で
情報交換したかったら、自分でスレをたてればいい。
信長、濃姫、松姫、信忠とはまったくかけ離れていくだけだし、
いくら関連者のことであっても、ある程度逸脱したら
レスの書き込みを遠慮するのが当然だ。
内容を批判しているのではなく、スレ違いはルール違反だと
言っているのだよ。
151:日本@名無史さん
06/10/21 12:06:36
元々松姫オタが濃姫スレの嫌がらせでたてたスレだから内容が武田がらみになるのは
当たり前。武田関係以外は無知丸出しなのでバレバレ。
152:日本@名無史さん
06/10/21 12:28:24
ここの住人から武田ネタをとりあげたら書き込むネタなしw
153:日本@名無史さん
06/10/21 12:33:27
確かに。人物像を追求するのもいいけど外交戦略等の側面から
二人の婚約や婚約破棄、それに付随する織田と武田の外交等を
語るのもまたいいのではないかな。
今川や北條も関係していないようでしているし
駿河侵攻の背景には甲尾同盟もあるのだから。
154:日本@名無史さん
06/10/21 12:40:27
>>153 言い訳がましい反論なんかしないで、スレチはスレチと認めて
しばらく話題を慎んだらどうだ?荒れて困るんだよ。
155:通りすがり
06/10/21 12:50:32
荒れている感じはしないな…。
ヲタ臭が漂いやすい姫スレに外交戦略などハード面での
考証をしそうな史板らしい雰囲気になってきたから
参加するのを楽しみに来てみたのだが、どうやら
私の勘違いだったようで残念だ。
156:日本@名無史さん
06/10/21 12:58:16
>>155 最初からよくロムるように。それにすでに今日荒れてるだろうに。
このむちゃくちゃなスレタイを見たってまともな情報交換なんて
期待するだけ無駄。残念がってないで、自分のお望み通りのスレをたてればよい。
157:通りすがり
06/10/21 13:54:22
単発スレは負担がかかるから遠慮しとく。
まともな情報交換ができるかどうかはスレタイ関係なく住民しだい。
それにむちゃくちゃでもないうな?
自分は信長父子に関する妻女と受け止めているが。
158:日本@名無史さん
06/10/21 14:01:02
>>157 遠慮しないでたてろ。
単発スレに何の負担があるのか疑問。
埋もれていくのを自演で必死でageするのが大変だからか?
ここが信長親子に関する妻女のスレと思うならならその話題限定で盛り上げろ。
ぐだぐだ武田家の滅亡のことで今川、北条の話まで持ち出すな。
それなら書き込んでもいいぞ。
159:日本@名無史さん
06/10/21 14:06:14
>>1に>>信長や信忠の奥に関係している人以外の話題はご遠慮ください。
とあるんだから、今後は↑をきちんと守りましょう。
武田家にまつわる話ばかりで濃姫のことも松姫のことも
まったく触れられていないけど?
160:通りすがり
06/10/21 14:11:19
サーバーに負担がかかることも知らず、急に自演とわめき
ageの意味すらわからないとは・・・もしや初心者坊やか?
161:日本@名無史さん
06/10/21 14:24:48
>>160 つか、それがすでにスレチの書き込みなんですけど?
心の中の声までいちいち書かないでくれる?迷惑なんですけど。
162:日本@名無史さん
06/10/21 14:58:02
一人で必死に暴れて荒らしているのがいるなw
163:日本@名無史さん
06/10/21 17:31:03
>>162 >>160のことだろ?もう病気だな。
164:日本@名無史さん
06/10/21 19:01:45
>>161
160ではないけど自分からもお濃なりお松について何か書いたらどうかな?
165:日本@名無史さん
06/10/21 19:34:51
>>164 そんなこと人に言う前におまえがまず書け
166:日本@名無史さん
06/10/21 19:39:59
分家のあの勢いはどうしたんだ?
本家は荒れずにちゃくちゃくとレスをのばしてるぞ。
167:日本@名無史さん
06/10/21 20:16:42
>>166 日本語でおK
書き込みたくてもむやみなことは書けんよここでは。
自分は織田・武田・(上杉も出るかな)・北條の外交や戦略側面から
松姫逃亡時~信忠の許に向かうまでのことで議論したいことがあるけど
結局松姫とは関係ないとか、他家話=荒らしだとい出だす人が
出てくるだろうからスレの雰囲気を壊さないためにも書き込まないでいる。
168:日本@名無史さん
06/10/21 20:26:25
>>167 書き込めないというなら、わざわざのぞいてちょこちょこ関係ない
レス書き込まないでくれる?非常に鬱陶しいんだけど。ここにいつまでも粘着せずに
信忠レスにでも好きなだけ書き込んでくれば?
169:日本@名無史さん
06/10/21 20:29:05
>>167 ここなら好きなだけ信忠&松姫に関して自分の妄想を書き込めるぞ。
とっとと移動しろ。
「もし本能寺の変で信忠が生き残ってたら?」
スレリンク(warhis板)
170:日本@名無史さん
06/10/21 20:38:57
>>166 分家にはまともに織田家のことを語れるやつがいないから仕方がない。
>>167のように、強引に武田や北条と結びつけることからしか導入できんのよ。
誰一人斉藤家と織田家から濃姫、信忠、松姫、と議論を進められるだけのやつが
いないくせに、このスレに粘着してしがみついている池沼ばかりさ。
171:日本@名無史さん
06/10/21 21:01:32
分家もまさに三日天下で終わったな・・・・・
武田の残党は松姫を追って八王子にでもいくのかな。
172:日本@名無史さん
06/10/21 21:27:20
本家か分家か知らんがはたから見ればどちらも一緒だ。
だが、外交政策や戦略など複雑に絡み合う当時の情勢も含めた
視野も含めて考察しようとする心意気があるだけでも、
濃姫のことさえ語れれば良しとする所よりかは何ぼかまともに感じる。
結局、語れる奴がいないんではなく語ろうとする芽を摘む人の方が
多いのがこのスレの問題点に思う。
議論なんていうのはどう発展していくかわからないのだから
頭ごなしに荒らしだと否定したら何にも話にならない。
173:日本@名無史さん
06/10/21 21:31:42
何がまともなんだか
174:日本@名無史さん
06/10/21 21:37:44
>>172
>>外交政策や戦略など複雑に絡み合う当時の情勢も含めた
視野も含めて考察しようとする心意気があるだけでも、
これは>>172の勝手な思い込み。
スレタイにも>>1にもどこにも書いてないよ。
>>1には>>信長や信忠の奥に関係している人以外の話題はご遠慮ください。
とあるじゃないか?
勝手にスレの主旨を勘違いするな。
それと>>濃姫のことさえ語れれば良しとする所よりかは何ぼかまともに感じる。
どこがいけないんだ?スレたてた人の勝手だろうに。
自分勝手な思い込みで他人の領土をけなしてんじゃないよ。
気に入らなければのぞかなきゃいいし、他のスレを非難する必要はないだろ?
自分がとことん納得できるようなスレを戦国版にでもたてればいいじゃん。
戦国版にはすでに武田家関連のスレがいくつもあるから重複しないようにな。
175:日本@名無史さん
06/10/21 21:39:54
>>172 ちょっと間をおいてみたら?
しばらくは何を書いても叩き返されるだけだと思うけど?
176:日本@名無史さん
06/10/21 22:24:10
>>172
僕も>>175に同意
言いたいことはよくわかるけどここはマジレスしても無意味。
あっちの隔離スレみたいなもんになっているから。
逃亡ルートとか討伐後の甲信統治の影響とか探るとおもしろそうな
話題が松姫にはあるけど、そういう話題も今の段階ではご法度らしい。
177:日本@名無史さん
06/10/21 22:38:50
>>172
何にしろ他スレを貶めて自分を持ち上げるのは見苦しいよ。
178:日本@名無史さん
06/10/21 22:55:53
はいはい。そうやって粘着してれば~?
ところで話題をそろそろ戻さない?
外交系だと反発でそうだから置いといて、例えば信松尼公記にある
松姫が向嶽寺に一ヶ月近く隠れ住んでいたと言われている期間は
正しいかとか高遠城に移ったのは実際にはいつ頃なのかとか
信忠の高遠城攻めの不可解な点とかそのあたりを仕切り直しも兼ねて
179:日本@名無史さん
06/10/21 23:11:01
>>178 GJ!
公記中にある向嶽寺滞在は2月下旬から3月24日と書かれているけど
信忠達が甲府入りしたのは信公では3月5日だから、信忠が甲斐入り
してから約19日、善光寺での一門仕置きや勝頼達が自刃してからは
13日~14日だから、その間に見つからなかったというのは
この寺の立地からして少し無理があるように思う。
実際はもう少し前倒しだったんじゃないのかなと。
180:日本@名無史さん
06/10/21 23:19:45
向嶽寺って恵林寺の隣だっけ?
181:日本@名無史さん
06/10/22 00:19:06
隣ではないけどこんな位置関係
URLリンク(maps.google.co.jp)
182:日本@名無史さん
06/10/22 00:26:51
ごめん、こっちの方だった。
URLリンク(map.livedoor.com)
183:日本@名無史さん
06/10/22 00:39:50
信松尼公記って、北島藤次郎さんの著作のこと指してるのか?
184:180
06/10/22 00:53:01
>>181-182
ありがと。位置関係がよくわかりました。
185:178
06/10/22 01:58:08
>>179
実は私もそこが引っかかっている。
もし、それが本当なら信忠にしても滝川や河尻にしても
一体どういう残党狩りをしてたの?状態かなって。
お寺側も隠すのに限界があるだろうし。
ただ、肝心の向嶽寺に以前問い合わせをしたら言葉を濁されたり
そんな話はないと怒られているような?返事だったりと
曖昧というか話したくないというかな感じで、お寺にはお寺の
事情もあるだろうからこれ以上確認のしようがない…。
>>183
そうですよ。今のところ逃亡関係についてはこの書籍が
良質史料と言われていますので。
186:日本@名無史さん
06/10/22 08:44:19
実際に伝わっていないのかあっても事情があって出さないのかは
定かではありませんが管理人さんがそこのお寺で松姫について聞いたみたら
門前払いされてしまいあれは一体何だろう?と書いてあるサイトもありますね。
素性の良く知らない来たり者にはむやみなことは言わない、教えないという
風潮がある山梨なのである意味らしいといえばらしいエピソードですね…orz
187:日本@名無史さん
06/10/22 09:43:57
>>185
牛一も残党狩りとは書いているけど実際はそんなに
熾烈を極めるような戦後処理では無かった感じは
否めないから結構抜けてたんじゃないかな。
織田側が処刑した人間も戦後処理なら仕方ない連中だし
荒木の時のような残酷な処理方法はしていない。極真っ当な方法。
188:日本@名無史さん
06/10/22 11:58:09
>>185
史料という言葉の用い方、間違っていないか?
自分も信松尼公記は持っている。
あれは松姫への愛情に満ちた好ましい著作で、今も大切にしている。
督姫や貞姫、香具姫のことについても丹念に訪問して聞き書きし、
本当に素晴らしい本を残されたと思っている。
だが、あれは「史料」ではないぞ。
(断っておくが、北島氏を貶めているわけだは全く無い)
あれは史学には全くの素人であった氏が、手探りで取材し
足を使って探索し、たくさんの史家や地元の方々から教えをうけ
聞き書き・研究した結果の労作で、個人の研究成果をまとめた本だろう。
たくさんの手がかりを後続の者に残してくれた愛すべき本、
だが、史料とは異なるものだ。
>>186
檀家でもなく、知己でもなく、紹介者もなく
突然に訪ねたきた者に色々と喋らない云々は、
別に山梨に限ったことじゃないよ。
(歴史好きなら経験はあると思うけどね)
189:日本@名無史さん
06/10/22 12:07:30
そうですね。良質な参考文献と書くべきでした。すみません。
190:日本@名無史さん
06/10/22 12:31:59
>>188 中には門外不出という史料もあるからね。
「信松尼公記」は自分も読んだ。松姫の生涯がよくわかって興味深かった。
ただわずかに残された史料や足跡を少し強引に自分の憶測に結び付けている
感はあったかな。
それと刊行されたのが1972年のためか、解釈の感覚が
現代的すぎるところがあったのも気になった。
大まかな松姫の足跡を知るのにはわかりやすい一冊だと思う。
松姫に関しては信忠との悲恋物語より、落ち延びて八王子で
必死で生き抜いて、元武田家臣たちの心の拠り所となる後半生が
素晴らしいと思った。
191:日本@名無史さん
06/10/22 12:34:02
>>188
186はそんなことは知った上で書いてると思われ
192:日本@名無史さん
06/10/22 13:02:12
残党狩りが抜けていたのか?
寺にいるのは知っていたが敢えて見て見ぬふりをしたのか?
同じく知っていたが何か目的があって逃がしたか?
(この場合は逃げれるよう風聞を流し領民を混乱させるなど
さりげなく助けた可能性もある)
さらにこれらを踏まえて、
松姫逃亡劇の信忠軍との共謀だったのか?
同じくこの逃亡劇は北條が一枚噛んでいたのか?・・・etcまで
いろいろと考察したらおもしろそうだね。
193:日本@名無史さん
06/10/22 13:36:35
>>189 >>190
きつい言い方をしてたかもしれないけど、レスありがとう。
「信松尼公記」は素人の方が信松院を通じて松姫に興味をもち、
伝承や故事を拾い集め、思いをめぐらすという視点もあり
また著者は学者ではないので検証に不十分な部分もあるのは当然なのに
「史料」扱いされると、
「でも、嘘書いてあるじゃん」的な見方をされることも起こり得て、
信松尼公記の前書で述べられた著者の思いが伝わらなくなる。
それも何だかなぁ、と思ったのできつい言い方したかもしれない。
話の流れを切って失礼しました。
194:日本@名無史さん
06/10/22 15:39:39
「信松尼公記」今度読んでみます。
ところでこの「信松尼公記」には松姫と信忠のことはどう解釈されていますか?
195:日本@名無史さん
06/10/22 18:13:02
通史どおりの解釈
196:日本@名無史さん
06/10/22 19:02:33
>>194『寛政重修諸家譜』 第十八巻の下嶋の政茂
武田信玄及び勝頼に仕へ、勝頼没落の後政茂信玄の女を携て、
織田信忠が許に送らんと尾張國に至る。
信忠害にあふてのち東照宮かの女をもつて大久保長安にあづけらる。
政茂これに属して長安が許にいたり、彼家にありて死す。法名蓮心。」
これをそのまんま。
しかし松姫は勝頼の娘、兄の娘、武田家臣の娘も連れての逃避行なので
敵の大将だった信忠のもとへ喜んでいくくつもりだったかどうかは疑問の残るところ。
197:日本@名無史さん
06/10/22 21:05:14
>>196 元婚約者という縁で自分と姫たちの命乞いをお願いし、
なんとか段取りがたったところで本能寺の変がおきたんじゃないか?
なんか再度結婚とかなんとかはあまりに信憑性がない話だけど、
姫たちの命乞いに一役買うぐらいの、そのぐらいの松姫への情が
信忠にあったと信じたいな。
198:日本@名無史さん
06/10/22 21:28:44
八王子に逃れたのが正解だったな。
家康は松姫の義姪の下山殿を側室にして、その間に生まれた
男子に武田姓を認めている。家康の側室の中ではもっとも血筋が
良かったし、武田の血筋を尊重してくれたのだろう。
家康が松姫を厚遇したのも、そんな背景があったかもしれない。
199:日本@名無史さん
06/10/22 21:47:25
信玄ブランドって戦国大名でもありがたがったのではない?
200:日本@名無史さん
06/10/23 00:21:59
どちらかというと甲斐武田家ブランドだと思われ
信玄だけが一人歩きして独立したのはどうも
家康の信玄loveが影響していると思う。
201:日本@名無史さん
06/10/23 12:48:10
>>197
小山田の娘→郡内と御師(修験)系も(?)
勝頼の娘→諏訪で周辺国人と諏訪大社大祝関係も(?)
盛信の娘→仁科で高遠周辺国人もしくは油川(川窪)で甲斐国人
松姫への情もだが、甲信はそれでなくても長いこと国人が強かった
地域だから、領国経営の面からも信忠は一役買ってくれたかもしれんし
そうなると、変な言い方になるが、人質みたいな感じで信忠の所に
行こうとしていたのかもしれんな。
で、ほとぼりが冷めた頃に養女にして嫁ぎ先の世話やお家再興をすれば
織田の株も上がる。
202:日本@名無史さん
06/10/23 13:10:42
下2行は養女にはしていないけど家康が使った手だね。
203:日本@名無史さん
06/10/23 22:14:06
>>201
松姫に託された姫三人、そんな思惑は無いだろう。
そのような痕跡や文献はなにも無いからな。
信忠を頼りにしようというなら、
織田の甲斐侵入時に投降することも可能。
信忠と松姫の関連をひきずりたい意識?で
想像しすぎなのではないかな。
204:日本@名無史さん
06/10/23 22:23:14
>>196 肝心の信忠はその頃京都にいて尾張にはいなかった。
知らなかったのか?
205:日本@名無史さん
06/10/23 22:46:15
滅ぼした後の領国経営や国人対策では血縁者を取り込むというのは
無難な方法の一つだから全く否定してしまうのもどうかと思うよ。
信忠がその姫たちを連れていることを知っていればの話だけど。
投降についても信長が甲斐から去った後なら兎も角甲斐入りする前に
投降したら下手したら殺されてるよ。高遠遺臣もいたのだし
仮に松は助かったとしても彼らは間違いなく処刑される。
高遠攻め前ならどうにか助かるかもしれないけどね。
206:日本@名無史さん
06/10/23 23:05:14
濃姫の「の」
207:日本@名無史さん
06/10/23 23:06:41
本能寺の変後旧武田領は家康の支配下になったから松姫や他の姫も家康の庇護を
受けることができたんだろうな。
松姫たちは明らかに命の危険から逃亡していたのだろうから、
俺もあの段階で織田方に捕まれば命の保証はなかったかも。
出家するからとか、それこそ織田家有力者の側室になるなどの
保身をはかる以外はそのまま生かしていくことはなかったろうな。
208:日本@名無史さん
06/10/23 23:07:16
濃姫の「う」
209:日本@名無史さん
06/10/23 23:13:12
>204
送ろうとして尾張に行ったという意味なのか、別に目的地があって
そこに送ろうとしていた道中に尾張があり入ったという
意味なのかでかなり違ってきますね。
210:日本@名無史さん
06/10/24 09:39:58
>>209 >>織田信忠が許に送らんと尾張國に至る。
(信忠は岐阜城主だったから)尾張國の信忠の許に送ろうと尾張國に到着した。
その前後を読んでも↑のようにし解釈できない。
信忠は武田攻めが終わり、信長が帰ったあとに武田家に加担した恵林寺を焼き討ち
するなど新領地の仕置を任され、信長に遅れること一ヵ月後に安土の信長のもとに
行き(5月14日)、その後信長より先に中国攻めのために5月27日に京にのぼり、
尾張には帰ってないんだ。
それなのに松姫を信忠の許に送ろうとして尾張国に来たというのは
不自然。信忠不在を松姫たちが知らないはずはないよ。手紙などでやり取りして、
信忠の承諾を得ていれば、尾張にはいないから京都に来るように
指示するはずだろうけど、でも京都に呼んだところで信忠は明日にも毛利攻めに
出立するかもしれない戦局で、その緊迫した状態でそんなやり取りができたかも
疑問。
まだ命を狙われている危険な身の上の姫を八王子から尾張にしろ京にしろ
呼び寄せるというのも松姫に愛情があればよけいあり得ない話。
その時松姫一行は北条氏照に保護されていたのだから、その時期あえてそんな
危険を冒す必要も無い。
なので頼る人もいなく、信忠になんと助けてもらおうと事情も知らずに尾張まで来て
本能寺の変を知ったという説も信憑性がなさすぎる。
これらの矛盾が下嶋の政茂の箇所は後年の捏造史料といわれる所以。
211:日本@名無史さん
06/10/24 11:43:28
>信長が帰ったあとに武田家に加担した恵林寺を焼き討ち
焼き討ちは4月3日、信長はその頃まだ山梨にいたよ。
信長が甲斐から出たのは4月10日頃。
>その時松姫一行は北条氏照に保護されていたのだから
保護まではしていない。
それと捏造するなら大久保長安の名はむやみに使わないと思われ。
212:日本@名無史さん
06/10/24 12:43:43
>>211 「信長公記」には4月2日に信長は諏訪を発ったとある。
信長が発った後に事後処理を全てまかされた信忠が恵林寺の焼き討ち等の
仕置きをしたということ。どっちにしても信忠はその後尾張には帰っていない。
松姫たちが当初八王子で身を落ち着けたのは心源寺の別院金照庵。
心源寺の住職のト山禅師は、城主北条氏照の禅の師でもあり、
氏照が一時養子に出た大石氏の家系でもある。
このような寺にかくまわれたのは明らかに氏照の保護下に置かれていないと不可能。
敵方松姫一行の存在は北条家にとって非常に危険なことにもかかわらず
氏照縁の寺でかくまったわけだから。
捏造となったら信憑性をだすためにどんな著名な人物でも名前を使う。
江戸期以降編纂の史料なんてひどいもんだ。
武功夜話の元本だってむちゃくちゃだぞ。甲陽軍鑑だって信玄と
山本勘助のやり取りは全て捏造。甲陽軍鑑の中の山本勘助は想像上の人物だから。
213:日本@名無史さん
06/10/24 12:54:03
松姫はえらい!
勝頼を裏切って寝返った家臣の娘まで面倒をみたなんて。
214:日本@名無史さん
06/10/24 13:07:10
考えてみたら武田の残党狩りの大将が信忠なわけで、その信忠の
誘いを信用して応じるかな?罠かもしれないのに・・・と思ってみた。
>>213 知らなかったけど、本当なんだ。優しい姫様だったんだな・・・
ええはなしや。
215:日本@名無史さん
06/10/24 13:53:24
>>212
諏訪を発った後に甲府に入ってんだろ
そして10日に甲府を発って大宮経由で13日に駿府入り(信長公記)
それと当時の寺は一種の治外法権。そこの住職に采配によることが
多いから氏照どうのはあんまり関係ないだろ。
氏照が逃亡の手引きをしていたというなら話は別だが。
216:日本@名無史さん
06/10/24 14:22:25
>>215 私が>>信長が帰ったあとに、と書いたのを、みなさん勝手に「安土に帰った」
と解釈しているようですが、信忠に事後処理を一任して信忠と別れて諏訪を発った、
という意味。どういう経路で帰ろうが、帰途についてることには違いないわけで
そのことについてなぜえんえんからまれのか理解できない。
どっちにしてもそれ以降信忠が尾張にいた事実がないわけで、
松姫が「尾張國に至った」という記述と矛盾するということが
わかってもらえればけっこう。
氏照が見てみぬ振りをしなければいくら住職に権限があっても無理なこと。
氏照が姫たちの引渡しを要求し、それを住職が拒めば、
信長の手前、心源寺も恵林寺同様焼き討ちをされてたかもな。
217:日本@名無史さん
06/10/24 15:19:36
『寛政重修諸家譜』の
信忠害にあふてのち東照宮かの女をもつて大久保長安にあづけらる。
ここも変なんだよな。
信忠は1982年に亡くなった。家康が江戸に入って八王子の支配についたのが
1591年。八王子に松姫や武田衆がいたのは大久保長安が北条の旧領地を
もらって赴任してくる前なのに?
>>政茂これに属して長安が許にいたり、彼家にありて死す。法名蓮心。
政茂は長安が赴任してくる10年近く松姫と行動をともにしたの?
218:日本@名無史さん
06/10/24 15:28:09
>>215 >>当時の寺は一種の治外法権。そこの住職に采配によることが
多いから氏照どうのはあんまり関係ないだろ。
治外法権の寺に身を寄せて庇護してもらっているならなおさら危険を冒して
信忠の許へ行く必要はない罠w
219:日本@名無史さん
06/10/24 15:29:48
下嶋は武田家臣だから守役として一緒にいても不思議ではあるまい。
220:日本@名無史さん
06/10/24 15:41:08
松姫が家康の意向で大久保長安の預かりとなったという事実はないんじゃないか?
八王子に赴任してきた大久保が松姫の存在を知り、個人の支援の後、
家康が知ることとなって、家康も松姫たちの面倒をみたんじゃなかったか?
寛政期からみたら結果的にそういう見解にしたのかもしれんが。
221:日本@名無史さん
06/10/24 15:48:19
てか、そもそもその尾張って戦国期の尾張?
江戸期の尾張?
222:日本@名無史さん
06/10/24 15:48:46
>>216
アジールってご存知?
当時寺社に逃げ込んだ存在は俗世権力は手が出せなかった。
これを否定したのが信長。しかしあくまで信長の権威権力が宗教を上回った
から可能になったのであって、全ての俗世権力(戦国大名、武将)がアジール
を否定できたわけでも、拒否られたら焼き討ちができるわけでもない。
223:日本@名無史さん
06/10/24 16:03:52
>>222 じゃあ信長軍がきて焼き討ちするだろう。見せしめにな。
恵林寺が焼き討ちされたの六角義弼の引渡しを寺が拒否したことに
かこつけた見せしめ。
224:日本@名無史さん
06/10/24 16:11:03
義経は寺にこもったけど、自害するまで追い込まれ、寺ごと焼かれたよな・・・
225:日本@名無史さん
06/10/24 16:15:12
>>221 どっちでもいい。どっちにしても信忠はいなかった。
226:日本@名無史さん
06/10/24 16:19:17
北條と織田を一緒に考えるとはめでてー頭をしてんだな。
227:日本@名無史さん
06/10/24 16:22:05
>>224 そうそう、延暦寺も信長に焼き討ちされる前に何度も時の権力者と
争い、焼失してる。細川政元も延暦寺を攻めて一部灰にしてるしな。
228:日本@名無史さん
06/10/24 16:24:37
>>226 北篠とはなんぞや?ひょっとして「北条」のこと?
かなーりめでてー頭をしてんだな。
229:日本@名無史さん
06/10/24 17:14:50
条の旧字体が條だし書簡でも両方が見受けられるから
後北条(便宜上そう呼ぶ)に変わりはないと思われ
寺の焼き討ちも個人の宗教観や情勢などが左右するから
やる人間もいればやらない人間もいた。
で、後北条の絡みだけど当時の織田と北条の関係からすると
織田から武田や小山田の残党を見つけたら出してねという
要請が出されていれば別だが、そういう話が無ければ
さして何をするわけもなかっただろう。あくまで北条領国内の
ことだからそこまで織田が干渉することもできない。
だから存在は知っていても氏照があっそと思えばそこまでの話。
自ら火種に近づくことも無かっただろうしさ。
230:日本@名無史さん
06/10/24 17:53:40
>>229 ぷぷっw 旧字体だってさ。負け惜しみばっかり。
結局のところ松姫は氏照に存在をスルーされ、織田家に密告されることもなく、
身の危険は回避されたわけだろ?「アジール」のおかげで。
ということは、危険を冒してまで信忠のいない尾張に行く用事はないわな?
つまり『寛政重修諸家譜』 第十八巻の下嶋の政茂 の箇所は
捏造だと思われても仕方ないなw
231:日本@名無史さん
06/10/24 17:59:08
織田方の連中が勝手に相模領にまで入って残党を追ってることを
氏照はよく思っていなかったという話があの周辺にはあるらしい。
真偽は全くの不明だけど。
北条も織田への接近については家内がまとまっていなかったり
実際北条に匿われた武田や小山田残党も少なくなかったらしいから
あながちかもなんて思ってみたりして。
232:日本@名無史さん
06/10/24 18:57:24
下嶋政茂って本当にいた人物?
くぐっても情報があまりに少ないんだが。
233:日本@名無史さん
06/10/24 23:54:25
軽輩のことだしなぁ・・・
234:日本@名無史さん
06/10/25 13:41:13
山本勘助同様創造上の人物と思われ
235:日本@名無史さん
06/10/25 14:02:29
「おんな風林火山」でしか出てこない人物だな。
236:日本@名無史さん
06/10/25 16:48:32
>>233
遺臣のほとんどは依田氏・保科氏など一部を除けば軽輩ばかり
237:日本@名無史さん
06/10/25 18:27:49
下嶋の行動なんて、自分の家の先祖自慢のための家系図箔付けだと
ずうっと思ってたけどね。
単純に考えて、あの混乱の時期にそんなドラマじみたことできるかよ。
街道はどこを通ったのか、供の人数、構成は? 松姫は徒歩?輿?
また、他にそれを示唆するような文献なり、
ましてや「伝説」さえも無いのに、その件がさもあったことのように
2ちゃんで語られ始めたのが不思議だったよ。
信忠と松姫の逢引にしたってそうだな。
三法師の母が松姫・・・なんて与太説も言語道断だ。
あの滅茶苦茶な説を必死になって唱えてた奴、今なにしてるんだろう。
238:日本@名無史さん
06/10/25 18:54:49
>>237 松姫と信忠の空想物語は、冗談ぬきで「おんな風林火山」の影響が大きかったのかも。
239:日本@名無史さん
06/10/25 20:38:32
松姫伝説自体は八王子~神奈川県北西部にかけてきちんとあるよ。
松姫のかは断定されていないけど桧原村では武田菱の入った
手鏡などが発掘されている。
下嶋については箔をつけるためにと思ったりもするけど
だったら保科正之につけられたといわれる高遠遺臣や千人同心の誰かを
使うんじゃないかなと思ったりして。大久保長安はその死体が磔に
されるほど家康の怒りを買った事件が有名だし連座して大久保家は
ほとんどが切腹させられてもいるから、汚名を晒すことはあっても箔を
つけることはまずないんじゃないかな。
240:日本@名無史さん
06/10/25 20:50:05
甲斐から八王子に落ち延びてきたのは事実なんだろ?
ただようやく落ち着いた八王子から、3ヶ月足らずでまた尾張に
旅立って信忠に会いに行くか?しかも信忠は尾張にいなかったぞ?
となるので、それは嘘なんだろうけど。
241:237
06/10/25 21:08:27
>>239
多摩地区の生まれ育ちなんで、甲武に残る松姫の逃亡路伝説は
承知してるよ。
ただ、下嶋氏の家伝承が胡散臭いという事。
242:日本@名無史さん
06/10/25 21:19:31
最終目的地が尾張じゃなかったらという選択はここの住民はないらしい。
243:日本@名無史さん
06/10/25 21:28:45
尾張まで行って本能寺を知ったとなっているだけで
尾張が目的地とは書いてないね。
また、信忠がきちんと自分の城の奥に話しを
通していたかどうかも分からない。
勝手に行ったのどうのといっているが、
もしも、信忠と打ち合わせの上で向かったのなら
信忠がいようがいまいが、城に迎えられて待っているという
手はずになっていたとも考えられる。
信忠が死んでしまったわ、戦になって織田家中混乱だわの中で
八王子に落ちたと考えられもする。
あと、八王子に落ちたあとに尾張に向かったという事も
書かれておらず、八王子に落ちる前に向かったという
説もあるので、その辺の事は分からない。
否定も肯定もしないが、ちょっと考えれば
この程度書けるくらいには、いくらでも選択肢があるだろうに。
244:日本@名無史さん
06/10/25 22:15:38
>>243
だいたい信忠が妻としてもらいたいというなら、織田家嫡男の正室に
相応しい待遇で迎えるのが普通だろうに。
当時の嫁取りは政治問題そのものだから、こそこそ奥だけで決められることじゃ
ないんだよ。
それに信忠は中国攻めに行くわけでいつ帰れるかもわからず、
自分の生死の保証もない戦にいくんだぞ?
そんな状態で松姫を無責任に呼び寄せたりするわけないだろうが。
しかも信忠がいつまで京都にいるかも自分自身だってわからん状態だったんだぞ。
すぐにでも秀吉の援軍に行く予定だったんだから。
尾張でなければどこに呼ぶつもりだったというんだ?
行く予定になっていた備中の高松か?
ちょっと考えろという前にもっと当時の織田の情勢を勉強しろ。
君の提案している選択肢はどれもこれもありえなさ過ぎる。
245:日本@名無史さん
06/10/25 22:51:36
普通に岐阜によびよせるつもりだった。
ふさわしい待遇で迎えるためにも、まず織田家の庇護下に入れる必要があった。
(身寄りのない女を仰々しく飾り立てるために)
別に想像でよければ、これくらは思いつく。ありえないというほどではない。
246:日本@名無史さん
06/10/25 23:19:50
尾張には犬山に顔見知りだっただろうにの勝長がいたし
犬山近郊には織田の奥向きに詳しかったと思われる信長乳母の
養徳院もいたから、庇護場所としてはここらは最適なんじゃないかな。
突然、岐阜城に入れるよりワンクッションがあった方が旅の疲れも
癒せるし、連れている遺臣(下嶋以外にもいたと思うんで)の
様子を見張れる。うまくすれば甲斐の国侍等情報も聞き出せるだろうし。
あくまで憶測の範囲だけどね。
247:日本@名無史さん
06/10/26 00:11:31
そういや勝長は信忠と違って尾張に戻っていたっぽいね。
信忠も安土に行く前に道すがら岐阜に立ち寄ってるだろうから
留守役にそれなりの話を通していても不思議ではない。
248:日本@名無史さん
06/10/26 10:09:23
まず、下嶋家の家伝に信憑性があるのかを考慮してから
行く先云々を考えるべきだな。
あと、織田家サイドに松姫を迎える用意があったような事跡も
見当たらず、八王子周辺や信松院にもそんな伝承が無い。
松姫とて旅程の危険を冒してまで信忠のもとへ向かう理由もないし。
>>245
>身寄りのない女
って、信玄の娘には変わりないぞ。その点についてなら・・・
嫁入りの支度をするなら、(本能寺の変の前なら)穴山梅雪も健在
異母姉の梅雪夫人もいる。話をとおすことも良かろう。
木曽義昌夫人とているんだ。
滅びた武田の娘といっても、時流にのった血縁者はいる。
信忠の庇護下の置くまでの事前の保護なら、依頼はできるだろう。
北条氏照は4月の時点で戦勝祝いに信長に鷹を贈っているぞ。
松姫を改めて正室にと思うならば、滅びた隣領の姫の保護くらい
容易に頼めるであろうし、もっと公にしたって不思議はないよな。
信長の後継者の妻になろうというなら、
他の記録に何も残されていないような供をつれてお忍び的にしなくても
方法はいろいろとあったはずだな。
憶測に憶測で応えてしまったけど、
なんで松姫と信忠をこうも繋ぎたがるのか不思議だ。
249:日本@名無史さん
06/10/26 10:33:42
信長が朝廷倒してどうのなんていう奇抜な政権構想ではなく
家康みたいに自分は後ろで糸を引けるような構想だとしたら
次代の嫁は変に力がある実家持ちより実家がないもしくは
しゃしゃり出てこれない、かつ、それなりの家格の方が
都合が良かったのではないかな。そういう意味では松は
最適の一人だと思う。腐っても鯛ならぬ滅んでも武田家。
立場は正室か側室かはわからなけど、実家没落どうのなら
庇護下においた後に信長と懇意だったと思われる三條西家を通じて
いろいろこじつけて三條家の養女にねじこみ、信忠に嫁がせるぐらいの
考えを信長なら考えそうにも思う。
250:日本@名無史さん
06/10/26 10:39:30
>>248
氏照(というか氏政)が鷹を贈ったけど不興を買っているんだが…。
251:日本@名無史さん
06/10/26 11:08:45
木曾夫人もこの頃はまだ旦那に抗議の意味合いも込めて
山中に籠っていたようだし、穴山がいても徳川配下でもはや
徳川家家臣みたいなもんだからな。芦名でいう小笠原みたいな
客人とは訳が違う。
252:日本@名無史さん
06/10/26 11:52:23
>>251
以下の推論は、松姫が織田家に向かうのだったら、
こういう方法も考えられるじゃないかと言う>248のレスへの
反レスについての応答レスのようなものとして書く。
自分は松姫の信忠行きは無かった、と思ってる者だからね。
穴山の正確な位置付けが徳川家家臣かどうかはともかく、
それならなお更、織田家の意向が浸透しやすい関係じゃないのかね。
安土、堺訪問は、家康の同行者としてでもあるけれど、信長の招きだろ。
梅雪といえば家康に差し出した下山殿・お都摩の方の例もあり、
自分の係累が織田家の室になるのだったら、
天下の権力者と繋がりが出来る、喜んで輿入れの準備しそうだが。
あと、木曽義昌夫人を頼るとは言っていない。
>身寄りのない女、という語彙に引っ掛かって
親類縁者ならまだまだ健在だろうということを言ったまでだよ。
それと、木曽義昌夫人が山中に篭る・・・という境遇は
下総での一万石没収後の晩年以外にもそういう行動が記録されてるのか?
その話は何に載っていたのだろうか。
253:日本@名無史さん
06/10/26 13:01:22
何かと言い訳がましい奴がいるな。ここにはw
254:日本@名無史さん
06/10/26 13:26:19
はい。うんざりして反論する気も起きません。
255:日本@名無史さん
06/10/26 13:50:01
塩川氏が正室だとか言ってたやつだったりして
256:日本@名無史さん
06/10/26 16:54:27
>>253
言い訳ととるならそれはそれで、
その言い訳者にも納得できる理由を呈して欲しいな。
わざわざ名の知れてない家臣が、あの混乱の時期に
武蔵から尾張方面まで連れて行こうという・・・
二人をとりまく当時の環境を踏まえて、
誰の主導で?何のために?疑問譜が多くつくのは当然だろう。
>>255
塩川氏に関しては信忠の子を産んだ側妾ととらえてるけど?
自分が塩川氏贔屓で正室にしたいがため、
松姫の尾張行きを否定していると思っているなら、了見違いだよ。
話の土台が違う問題にひっぱらないでくれ。
257:日本@名無史さん
06/10/26 17:06:23
>>249
確かに信忠で考えればそれもありかもね。
自分の血縁をどこかの家の養女にして自ら公家界に入り込むようなあからさまな態度に出て
公家達の反発を買うより大義名分というこじつけとはいえ比較的反発を買いにくい方法で
松姫が公家の養女にできるなら、それを利用して養女にしてから信忠に嫁がせれば
自然と公家界に信忠は入り込むわけだし。武家の名門と公家の名門、
両方取れて信忠の代にはウマーな状況かも。前例をかざして三条夫人が嫁いだ時みたいに
朝廷から勅使を出させればより箔もつくわけだし。
と過大な妄想をしてみました。
258:日本@名無史さん
06/10/26 22:19:04
なるほど。なかなかおもしろい。
259:日本@名無史さん
06/10/26 23:36:33
織田家が松姫の輿入れを望んでいたという仮定の上にたった妄想。
260:258
06/10/27 00:02:57
そんなことはわかりきった上での返レス。
261:日本@名無史さん
06/10/27 01:02:25
松の輿入れを望んでいたかいなかったかすら
分からないのに、望んでいた仮定の上に立ったら
駄目とする理由が分からんなぁ。
262:日本@名無史さん
06/10/27 08:22:54
ですよね。両方の見方があってもいいと私は思います。
これからどう動くかの直前に本能寺が起きてしまったのが
かなり痛いですね。
263:日本@名無史さん
06/10/27 14:55:10
信長にその気があったなら、織田家嫡男の正室に相応しい待遇で家来を付き従え
豪華な輿をやって丁重に迎え入れただろう。
それがこそこそ名もない侍従を連れ、こっそり安土の城の奥に迎える?
それだけでも松姫の輿入れを望むどころか頭の片隅にもなかったということさ。
戦国期の輿入れは家と家の問題。実家がなくなり、後ろ盾ののなくなった
松姫には正室になる資格すらなかったというのに、そういう武家の常識を
きちんと認識してから妄想してもらいたいもんだ。
当主である兄を京にさらし首にされた姫などではなく、これから反対勢力になりそうな
九州、中国の有力大名から信忠の正室を政略的にもらうつもりだったというなら
まだ妄想も理解できるがね。
ただ100歩譲って信忠が個人的に哀れんで側室にして面倒をみる
気があったという案は考えられなくもない。
でもその場合生涯松姫という身分を伏せ、どこぞで見初めた下級武士の
身寄りのない娘、という位置付けだったろうな。
両方の見方なんてありえないんだよ。
一方的な武田寄りの都合のいい妄想にすぎないのさ。
264:日本@名無史さん
06/10/27 15:29:00
本能寺の変の時三法師は2才だから、信忠がその後正妻をもち、その間に
男子が授かればそっちが嫡男になっただったろう。
そう考えると信忠の正室はそれなりの家柄からもらわないといかんな。
島津、毛利などの大名も考えられけど、奥州だって可能性は捨てきれない。
信忠には敵対勢力との縁組で、その子の代から摂関家や宮家との縁組で
嫁の実家に権力なし、しかし権威と格式はある、という図式の嫁鳥取り
になっていったように想像する。
ようするに、徳川将軍家とまったく一緒のパターン。
265:日本@名無史さん
06/10/27 15:52:44
【警告】
史料もとづく憶測、推測はOKですが、
たんなる希望的観測や妄想はなるべくご遠慮ください。
スレッドの主旨を守りましょう。
266:日本@名無史さん
06/10/27 15:53:40
そうなると佐竹とか最上あたりかな。
でも、そう考えるとなんだかんだ言っても一番無難なのは
とりあえず武田なんだよね。あの時点では結局ねw
滅んでいるからこんな都合がいいことはなし。
三條家との縁組とそれに伴う勅使を立てた前例もあるから
公家や朝廷へ前例ないとは言わせないという強みもあり
信玄の娘に変わりないと養女ねじ込みも十分可能。
267:日本@名無史さん
06/10/27 16:09:02
>>266 あの時点だったからこそ武田はありえない。
だってまだ天下統一してないから。
嫁取りは大事な戦の戦略。そんな大切な手を武田の姫につかう価値はない。
どうしても松姫を手元に置きたければ側室で迎えれば充分お互いの
利益を享受できたわけだから。正室と側室の意味合いが全然違うんだよね。
それと松姫を公家の養女にしてから娶るという考えもまったくのナンセンス。
いったん養女にしてしまったら、武田とは縁切りという立場での嫁入り。
それでは意味が無いんだろ?
武田の姫というところに価値をおくなら、その考えこそ否定するべきだよ。
養子縁組をするとあらたな養い親の家から嫁ぐことになり、
武田の血はつながっていても武田の姫扱いはされないから。
268:日本@名無史さん
06/10/27 16:16:18
>>257 >>266
公家との養女縁組にこだわりたいみたいだけど、
武田家と転法輪三条家の婚姻とは情勢も公家に対する考え方も違うだろ。
信長の行動からして、今さら公家の権威をありがたがると思う?
269:日本@名無史さん
06/10/27 16:41:05
「気の毒な松姫を側室にして庇護する」というありえそうな妄想ではなく、
まわりくどく「公家に養女にだしてから信忠の正室に迎える」という無理矢理な
妄想になるのだろう?
それと>>247では勝長が尾張に戻っていたっぽいということだが、
なんの史料にそう書いてあったのか知りたい。信忠付与力の勝長が
中国攻めを前に信忠の元を離れて単独行動をしたとは思えないのだが。
二人は二条御所で共に自刃しているわけだしな。
270:日本@名無史さん
06/10/27 17:35:33
史料、文献の提示を求めると、とたんに黙り込む妄想民。
反論できない場合に完スルーを決め込み、
うやむやに終わらせるパターンも有り。
271:日本@名無史さん
06/10/27 18:33:05
一文無しで実家がなくなり、何の後ろ盾もない貧乏姫様の松姫。
松姫ファンは苦肉の策で公家に養女という形で「公家の姫」の衣を羽織らせ、
時の最高権力者の嫡男の正室として結婚させたいわけよ。
そうそう、家系図で織田信忠の室と記載されていた件だけど、図書館で
織田家の家系図をいくつかみたが、どれもこれも違うんだ。
子供の数が違う、兄弟姉妹の順番が違う、信忠のところに「室松姫」
の記載がないものだった。
織田家だけでも10以上の家系図があるそうで(恐らくもっとたくさん)。
家系図は2級史料の参考程度のものでしかないということなんだな。
幕府公認の家系図だって格藩で江戸期に提出した資料をもとに作成した
わけだから、たまたま提出したのがその史料だったというだけだろう。
俺が見た史料のなかには勝長が信玄養子と記載されているものもあったが
その事実はない。勝長は遠山家の養子になったのは事実なのにその記載も
ないものもあった。
後年作ったような家系図はしょせんその程度の信憑性ということだ。
松姫ファンもそんなもので浮き足立つなよ。
272:日本@名無史さん
06/10/27 19:20:36
>>271
自分は松姫ファンwだけど、
彼女の人生に過剰な劇的さは求めていないよ。
むしろ、好きだからこそ信憑性の乏しい伝承や
悲恋話に疑問を持っている。
こういう松姫好きは他にもいると思うけど。
織田の家系図について、
色々と調べたことを書いてくれてありがたいです。
幕府に提出した家伝の系図といえど、
提出時の事情や背景で内容も違ってくるだろうし、
幕府側がいちいちその申請内容を検証してたわけでは無いよね。
その人物が好きゆえに飾りこみたい気持ちがあるのだろうけど、
一つの伝承や系図のみを頼みに、他系図には目を向けず
憶測ばかりで語るのはいただけないと思ってるよ。
273:日本@名無史さん
06/10/27 19:42:29
実家が滅び後ろ盾もないが名家というだけで生き延び
江戸時代には高家になった氏真という人もいるから
滅びたとか後ろ盾とかはあんま関係ないと思う。
274:日本@名無史さん
06/10/27 20:13:32
>>273 武家や貴族社会に限定すると、男と女では全然違う。
女は嫁ぐ前は家の父兄に庇護のもとにあり、嫁いだら夫と嫡男の庇護におかれる。
女の縁組は実家の格と経済状態で相手が決まり、父親や後継ぎの後ろ盾がない女は
嫁ぎ先も制限された。
こういった特権階級の女性の結婚事情は戦国期にかかわらず、戦前まで続いていた。
松姫のような女が表舞台で生き残るとしたら、それなりの権力者の側室となって
子供を産むことだけしか道は無かったろう。正室は家と家との縁組だが、
側室は正室に腹を貸すだけだから、名家だろうと卑しい出自だろうが
関係なくなれたから。
日本の歴史を語るには「家制度」「家長制度」ぬきに語れない。
関係ないどころか、日本の歴史はほとんどがその制度の上に
なりたっているんだから。
275:日本@名無史さん
06/10/27 20:22:29
今川氏真と松姫を同じレベルで語ってるやつがいてびっくりした・・・・・
276:日本@名無史さん
06/10/27 20:58:30
>>263
織田信長は、実家が滅ぼされて(正確には別流に支配されて)政治的後ろ盾を
失って価値のなくなった濃姫を正室として遇し続けてますよ。
277:日本@名無史さん
06/10/27 21:30:32
政治的後ろ盾も無くなってというなら上杉景勝もだな。伊達政宗も同じ。
278:日本@名無史さん
06/10/27 21:40:53
>>276
当たり前じゃん。信長正室として正式な婚姻関係があるんだから。
結婚後は織田家の庇護のもとに生きていくのは当たり前だ。
濃姫が信長と結婚した頃は圧倒的に斉藤家の方が勢力があっての縁組だったし、
織田家がぜひにと望んだ婚姻だったのは、全て斉藤家の後ろ盾あってのこと。
もし縁組前に武田家が滅んでいたら当然織田家との縁組はなかっただろう。
それに実家が滅んでも織田家嫡男を養子にしている濃姫は堂々と
織田家で女主人としての立場を維持できてたよ。
実家の後ろ盾のない松姫はまともな相手とは婚姻関係を結ぶ資格がないと
言ったつもりだけど理解してもらえないようだね。
仮に信忠の正室で織田家の人間だったら武田が滅ぼされても
織田家の正室として堂々と君臨し続けられただろうにな。
279:日本@名無史さん
06/10/27 21:44:40
>>277 大名夫人なら、築山殿、江与の方、ガラシャもだな。
江与は秀吉が後ろ盾になっているから徳川家に嫁げたんだろうけど。
280:日本@名無史さん
06/10/27 21:52:43
>>276
濃姫、築山、ガラシャ、景勝夫人、政宗夫人はいづれも嫁いだ時点では
実家に力があって婚姻をむすぶ意味があったが、松姫は嫁ぐ前に実家が滅びたんで
織田家からしてみればわざわざ嫡子の正室に迎えるだけの価値がなくなった。
濃姫は比較する対象にならない。
281:日本@名無史さん
06/10/27 21:54:10
これまた凄い断言だな。どこぞの家に養女という手もあるだろうに。
大名筋なら例えば佐竹、一門筋なら例えば穴山、秋山、逸見
母方実家の川窪等
平安あたりからそうだけど、実家が没落ないし後見がいない
家格が釣りあわない場合等は養女にして嫁がすという手を
まま使ったりしたそうだ。
282:日本@名無史さん
06/10/27 21:57:37
>>281はどれに対しての意見?
283:日本@名無史さん
06/10/27 22:03:14
>>281 そこまでして松姫にこだわる理由はあるか?
養女にしたら武田の姫が穴山に姫、秋山の姫、逸見の姫として輿入れになり、
格下扱い。せっかくの武田の血は無視される。
武田の姫が欲しかったら実家が武田を名乗ってなきゃだめなんだよ。
284:日本@名無史さん
06/10/27 22:04:09
>>280
いちいちageてんじゃねーよ。
価値がない?甲信を丸く治めることと武田遺臣集めとという
重要な役割があったんじゃねーか?
釣りであっても滅亡したり没落した家を再興させるっていうのも
統治する上に案外重要だったりするんだぞ。特に古くから長いことそこを
治めてきた国人集中地域はな。
285:日本@名無史さん
06/10/27 22:05:24
>>281
織田家にとってそこまでして松姫を迎える意思もその必要もない。
何で松姫オタは無理矢理でも信忠とくっつけようとするの?
286:日本@名無史さん
06/10/27 22:06:11
>>284
ageたぐらいでごちゃごちゃ言うな。
287:日本@名無史さん
06/10/27 22:12:43
実際のところわからないのに断言的に書くから突っつかれることに
いい加減に気づいたらどうですか?
288:日本@名無史さん
06/10/27 22:13:58
>>284 そんなこと言ったら、滅ぼした国の姫をその都度正室に迎えないと
その国は統治できないわけか?国人衆はね、利害関係で時の当主と
強く結びついたり、あっさり離れてりしてきたんだよ。信玄の時代から
そうだったろ?その後甲斐を治めた家康はどうだ?松姫がいなくても
立派におさめたぞ。武田家の姫を二人「側室」にしたが、どちらも
正室にはしらおらん。当時家康には正室がいなかったにもかかわらずだ。
松姫には織田家嫡男の正室になるだけの価値がないというのは
紛れもない事実だったんだからしょうがないだろ?
289:日本@名無史さん
06/10/27 22:14:42
>>287
実際のところわからないのに自分の妄想を書くから突っつかれることに
いい加減に気づいたらどうですか?
290:日本@名無史さん
06/10/27 22:20:46
>>280
景勝と政宗のかみさんの場合はどう考えても違うだろ。
特に政宗のかみさん実家なんて佐竹や芦名に押されまくって
実力があったとはとても思えん。
正直もっともらしいこと書く割りに(ry
291:日本@名無史さん
06/10/27 22:21:55
>>288
実際後に甲斐を治めた家康にしたって側室こそ迎えたが、そこまで気を使わなくても
うまく甲斐を統治してるぞ。武田遺臣にしたって織田に遺恨を持つものは
少なからずいるだろうが、より強い者が現れればそちらに靡くのが戦国の常。
すでに滅びた武田家に忠義立てする物好きはほとんどいないよ。
むしろこれから平定する中国以西や東北の大名、もしくは朝廷から迎えるという
選択肢の方が織田家にとってメリットがある。
亡国の姫をわざわざ正室にする意味なんてないんだよ。
292:日本@名無史さん
06/10/27 22:22:37
>>288
家康の側室になった「武田家」の姫って誰?
293:日本@名無史さん
06/10/27 22:25:04
>>291
ホント馬鹿なんだな。
まがいなりにも大名家として存在してるし、伊達家にとっても
葦名家に対抗する上で結ぶ政治的意味はあった。
この意味で家が滅亡した松姫よりも濃姫や景勝夫人に近いんだよ。
294:日本@名無史さん
06/10/27 22:25:59
>>288
>>291
295:日本@名無史さん
06/10/27 22:26:12
×>>291
○>>290だった
296:日本@名無史さん
06/10/27 22:27:55
本スレから来たけど荒れてるね
297:日本@名無史さん
06/10/27 22:29:23
だ・か・ら武田家の姫って誰?
298:日本@名無史さん
06/10/27 22:32:00
>>290 政略結婚は必ずしも対等な力関係から生じるとでも?
当時の伊達家は弱小大名を事実上の配下におくためにどんどん縁組してたんだよ。
愛姫の祖父母も伊達の先代の姫。当時の田村は伊達あってのお家存続だった。
だからぜ~んぜん不思議じゃない縁組だよ。
織田家だって濃姫との縁組の時点では圧倒的に斉藤家>>>織田家だぞ。
299:日本@名無史さん
06/10/27 22:33:17
>>297
武田信吉の母だな。
正確に言うと武田縁者の娘。
300:日本@名無史さん
06/10/27 22:36:00
>>297 武田家縁の姫だろ?下山殿とお牟須。正確には武田家臣の姫。
301:日本@名無史さん
06/10/27 22:39:08
武田新吉の母親は秋山の姫だったが穴山信君の養女になってた。
穴山の実母は武田信玄の姉で、妻は信玄の姫だったから
一応は武田の姫に準ずる立場だったのに、側室だったな。
下山殿の義母の穴山夫人のおかげで子供に武田姓を賜ったんだろうと思う。
302:日本史@名無史さん
06/10/27 22:43:49
滅びた家の姫は、いくら名家出身でも側室がせいぜいだろうね。
諏訪御寮人しかり、淀殿しかり、三の丸殿しかり……
信忠が生きていたとしても、松姫もそうなるだけ。
303:日本@名無史さん
06/10/27 22:44:36
それは武田家の姫とは言わないんですが?
304:日本@名無史さん
06/10/27 22:44:58
>>301 秋山の実子、穴山の養女でも家康の側室にしかなれんわけだな。
じゃあ>>281の案なんて無理じゃん。松姫が秋山の養女になっても
穴山の養女になっても、織田家嫡男の正室なんて絶対無理じゃん。
残念!
305:日本@名無史さん
06/10/27 22:45:45
303は>>299-301
306:日本@名無史さん
06/10/27 22:49:13
>>302 諏訪御寮人も淀君も三の丸も正室がいたから仕方ないというのも
あるけど、じゃあ正室がいなかったら正室になれたかというと無理だったろうな。
敗戦国の美女は勝者の側室としておかれることがお決まりだもんな。
307:日本@名無史さん
06/10/27 22:50:17
織田家内≠徳川家内他
何でもかんでも一緒にするのは良くないとオモ
諏訪も淀も三の丸も正妻がいたから側室なのは仕方なし。
いなかったらどうなっていたかはわからない。
308:日本@名無史さん
06/10/27 22:52:06
>>274 >>275
禿同。
れっきとした守護大名家の元当主と、姫一人では比較にならない。
>>281
281がどの意見に対するレスか不明だけど、
松姫に関しては養女云々の痕跡が無いから、仮定されてもな。
あと、家康側室の下山殿・お都摩の方(妙真院)は秋山虎康の女で
穴山家から家康のもとにいったことくらい、知ってる人は多いぞ。
>>284
285と288をよく嫁。
309:日本@名無史さん
06/10/27 22:55:11
>>307 ループするが、諏訪も浅井も京極もああなっちゃったら
大将の側室になれただけでもラッキーだったよ。
京極殿は秀吉に土下座して弟の命ごいと引き換えだぞ?
諏訪も淀も家臣や身内の保身のために側室になったようなもんだ。
正妻にしろという立場じゃない。