凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part7at HISTORY
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part7 - 暇つぶし2ch740:日本@名無史さん
06/10/02 09:21:51
>>721
出土した赤瓦は本当に天主の最上階に使われていたの?
月見櫓や天主の飾りの千鳥破風や唐破風に使われていた可能性は?

741:日本@名無史さん
06/10/02 11:19:40
バチカンに贈られた屏風の模写とされる木版画の内で天主と見られる方は入母屋、華燈窓に表現されているが最上階なのか?それとも下層のいずれかを抜き出して描いたものなのか?

742:日本@名無史さん
06/10/02 11:29:45
カルターリの木版画で最上階は切妻屋根になってるよ。
≡≡≡が3間四方であることを表してるらしい。
華燈窓は八角堂のものらしい。

743:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
06/10/02 15:49:30
>725 江戸城の黒いのは耐火、防弾の為に銅版を加工した銅版を貼ったものだから
逆行じゃないよ。

744:日本@名無史さん
06/10/02 16:02:35
>>702
できましたよ。
URLリンク(up.spawn.jp)

745:日本@名無史さん
06/10/02 16:12:18
彦根城みたい。
安土城の隣の彦根城は、安土城を参考にしたのかも。

746:日本@名無史さん
06/10/02 16:36:12
そう言えば安土城の最上層を切妻造りの屋根にした復元予想図見たことある。外国の木版画の影響かな。

747:日本@名無史さん
06/10/02 16:54:02
400年以上前の屏風絵が残っているかな?
屏風絵って傷みやすいよ。カビが生えたり、金箔が剥がれたり…etc
日本なら専門家がいるけど、ヴァチカンに日本の絵を修復する専門家がいるとは思えないし。
見つかったとしてもボロボロで見つかる可能性高し。見つかって欲しいけど。

748:日本@名無史さん
06/10/02 18:51:25
伏見城が一番好き
なぜなら文化的な面も実戦向きな面も備えている城だから

749: 
06/10/02 20:46:39
内藤安土城の屋根が素人目には不自然なんだが・・・。

修正を加えるという作業はやっているのだろうか?

暦博のCGや安土町の復元模型で固まっちゃったのか?

750:日本@名無史さん
06/10/02 21:05:07
>>649参照

751:日本@名無史さん
06/10/02 22:04:39
>>740
天主最上部が赤瓦と言う確たる証拠は無いので宣教師の報告と一級資料に偏見ですが
担当した瓦奉行らは、唐から来た一観と言う人物の指導を受けたのは確かなので
紫禁城などの高い位の建築に用いた赤黄瓦の黄色に近い色ではないかと推測します。
それと宣教師の記述に、瓦は青く見えると言う印象の殆どが碧瓦(青灰色)で葺かれ
最上部が全て金色だったと言う点から、金色に近い色の特別な赤黄瓦が七重目に
葺かれたのではないかというだけで、絶対的な信憑性がある訳ではないと思います。

752:日本@名無史さん
06/10/02 22:32:23
>>747
今まで何度かバチカンに屏風探しを頼んでいるけど本気さ感じられないね。
ベネディクト16世も不用意な発言で屏風探しどころじゃないと言う感じだし
実際、欧州の気候に和紙や金箔、色彩などは非常に厳しいらしいです。
金箔は剥離し、紙は虫に喰われたり、屏風と和紙の接着も剥がれてしまい
何のメンテナンスもされずに未だ何処かに眠っているのだとすれば痛みも激しく
もし見付ったとして、安土城の外観を確認する事は難しいかもしれない。

753:日本@名無史さん
06/10/02 22:44:23
安土城の赤瓦だけど火災の影響で赤くなったものばっかで
最初から赤く見せる目的で焼いたものとか大陸性のものは見つかってないって話を聞いたことがある。
でも資料にはそれっぽいものがあったような事が出てくるんだよね。
謎が多いな・・・・


754:日本@名無史さん
06/10/03 01:11:56
出土瓦の3分の1は赤瓦で、火災で変色していない綺麗な赤瓦も出ていると何か、城の本で呼んだことがあります
また宣教師も赤瓦について言及している節があります
「瓦は、大きさポルトガルの瓦に等しきが、製作巧みにして、外よりこれを見れば、薔薇又は花に、金を塗りたるが如し。」


安土城天主が宗教色の強い塔状の建築だとしたら南蛮寺との構造状の共通点はないのでしょうか?
白い壁に黒い窓というのは秀吉の大坂城(ねずみ色の漆喰)、聚楽第、名護屋城との関連性はないのでしょうか?

また、安土城と共に天皇行幸を考えていた永徳筆の聚楽第の天守の入り口は【付櫓】と【二階から御殿へ続く廊下】の
二ヶ所がみられますが、天守指図にある【地階の入口】と【東の御いえろうかのみち】に共通点がみられるような気がします



755:日本@名無史さん
06/10/03 11:08:32
安土城天主の外観についての宣教師たちの証言

>>702>>738>>754

【耶蘇会士 日本通信】1580年9月1日付
「外壁は、金色と青色を塗った最上階以外は、ことごとく白く、太陽に燦然と反射して信長の宮殿の中心部全体に驚くべき輝きを投げている」

【イエズス会日本年報】1582年2月15日付
「外部は各階異なった色で塗り分けられ、ある階は白色で日本風に黒漆を塗った窓を備え、ある階は赤と青、最上階は金色で塗ってある。
総て木造であるにもかかわらず、石および石灰で作ったもののように見える」

【日本の歴史】ルイスフロイス
「外壁は白壁で、日本で一般的に用いられてる漆塗り、すなわち黒漆を塗った窓を配している。
屋根瓦については、大きさはポルトガルの瓦と同じだが、作りが精巧で薔薇又は花に金を塗ったように見える」

「最上階には鬼瓦がいくつか載っていた。そのほかにもいたるところに奇人面の鬼瓦が使われていた」

756:日本@名無史さん
06/10/03 12:26:06
安土城もいいですが、隣の国宝・彦根城もいいですよ!
秋の旅行はぜひ滋賀県へ。
URLリンク(homepage2.nifty.com)

757:日本@名無史さん
06/10/03 17:49:51
信長が最上階の高欄から西湖の方を見てる!!
URLリンク(up.spawn.jp)

758:日本@名無史さん
06/10/03 18:39:59
宣教師の報告を参考にカータリーの木版画に色を塗ってみました
URLリンク(up.spawn.jp)

759:日本@名無史さん
06/10/03 21:33:52
>>757-758
うゎ~、カラフルで素敵!!
モノトーンで地味な江戸時代とは偉い違いだね。

760:日本@名無史さん
06/10/03 22:59:36
大手道から見上げた安土城天主(黒い部分は窓、白い部分が壁)
URLリンク(up.spawn.jp)


761:日本@名無史さん
06/10/03 23:50:18
真壁の方がやっぱり違和感ないね。木版画も真壁っぽく描かれているしね。
ついでに言えば軒下も塗込ではないだろうな。

>>754
大坂城が鼠漆喰というのは夏の陣図屏風を元にした宮上案の解釈?
鼠漆喰って比較的新しい印象があるけどこの時代からあったんだろうか。

762:日本@名無史さん
06/10/04 01:24:30
>>761
大坂城が鼠漆喰というのは夏の陣図屏風を元にした宮上案の解釈です
三浦氏の解釈だと銀箔だそうですが。

黒漆喰や赤漆喰は古くからあったそうですが、いつごろから使われていたのかは解りません
このような感じで部分的に使われていたのでしょうか?
URLリンク(www.shizuokasengen.net)

763:日本@名無史さん
06/10/04 01:54:16
そうそう銀箔って何かの本で読んでそれは無いだろうと思ったよ。
金箔瓦に銀箔の壁っていくらなんでも・・・
これも夏の陣図屏風からの推測かな?他に何か根拠があったんだろうか。
というか、わざわざ銀箔にする意味がわからない、それなら金箔でいいじゃんね。

764:日本@名無史さん
06/10/04 18:35:01
>>763
当時の技術では銀箔を使用した場合は汚い鼠色になってしまうと聞いたことがあります。
今の技術ならキレイな銀色になると思いますが。
そこから夏の陣図屏風に描かれている鼠色の大坂城天守の漆喰には銀ぱくが貼られていたと解釈したのではなのでしょうか?
しかし宣教師の報告には天守の壁は紺色とあります。黒い下見板が太陽の光を反射して紺色に見えたのかもしれませんが。

765:日本@名無史さん
06/10/04 18:50:26
銀食器を見よ、酸化で黒ずんてくる。漆喰に箔は押せないから板張りの上だろう。美観とはならないから鼠色の漆喰だと愚考する。但し駿府城天守の壁面は錫等の金属板張りに黒漆等で塗装していたと推察する。

766:日本@名無史さん
06/10/04 23:26:57
天候にもよるけど松本城天守なんかも紺色がかって見えるし
壁が紺色というのは黒漆塗りの下見板を指すと考えていいんじゃないかな。

駿府城は装飾に銀が使われていたとされるけど、実際はどうなんだろう?
安土城もそうだけど文献や絵画における誇張表現や誤った解釈を
言葉そのままに採用して復元案に盛り込むのは疑問だよね。
どこまでが誇張かを見極めるのが難しいとは思うけど。

767:日本@名無史さん
06/10/05 01:23:12
建築物に銀はありえないよ、酸化するから不向き。
銀閣寺なんかは創建当初は銀箔も使用したらしけど、今じゃ質素な佇まい…
足利義政ひんがしやま殿がいかにアレだったのかが伺える。

768:日本@名無史さん
06/10/05 09:22:23
銀閣こと慈照寺は最初から銀箔貼ってないよ。
金閣に対してそう呼ばれているが。
実際に行って見てみれば分かると思うが、禅宗文化の香り漂う侘びさびの世界だよ。

769:日本@名無史さん
06/10/05 12:06:45
その酸化した銀の鈍い光を愛でたものですが

770:日本@名無史さん
06/10/05 12:08:16
>>767
金閣・・・予定通り「金閣」。内部は神秘空間
銀閣・・・金閣と対比して「銀閣」と呼ばれていただけ


771:日本@名無史さん
06/10/05 21:58:47
>>768-770ご指摘忝い。
以前慈照寺の住職が、もしかすると創建当初には
一部に銀を使っていたのかもしれない様な事を耳にし
それをうろ覚えに、思い込んでいたのかもしれません。
もしかしたら聞き間違えたのかも(*ノ∀ノ)

772:日本@名無史さん
06/10/05 22:10:09
あの、金閣寺の金箔には表面の保護に漆を塗っている。銀箔も同じ加工すれば酸化はしにくいと思う。銀閣には銀箔を貼る予定だったが資金不足で果せなかったと聞いた気がするが真相は?

773:日本@名無史さん
06/10/05 22:41:00
そもそも銀閣ってどっかから移築してきたものだって聞いたことあるが

774:日本@名無史さん
06/10/05 23:07:34
北山鹿苑寺は金を使い金閣寺と称した分けでしょ
東山慈照寺は何故銀閣と言われる様になったのか
銀を使ってないのに、その辺に疑問を感じる…

775:日本@名無史さん
06/10/06 00:18:34
銀閣ってさあ、何かデザイン的に妙に不安定で変だよね

776:日本@名無史さん
06/10/06 00:53:43
いぶし銀

777:日本@名無史さん
06/10/06 01:09:39
むかし分厚い歴史の図鑑で宮上氏復元の銀閣、金閣イラストを見たことがある
何故、今の姿に改築されたかまでは読まなかったが東福寺開山堂みたいな安定感のある姿をしていた

宮上氏の安土城や大坂城に色々な問題点があるのは認めるが
最近の学研の出版物から徐々に宮上氏の復元案が消えていくのは見ていて寂しい
まだ城に興味が無かった当時、たまたま草思社の大坂城の絵本で宮上氏の
黒と鼠色の中に浮び上がる金飾を施された美しい大坂城天守を始めて見た時の衝撃はいまだに忘れられない

778:日本@名無史さん
06/10/06 01:43:09
今改めて見ると疑問点が多いからね、
故人だから修正も出来ないし消えて行くのは仕方がないかも。

大坂城天守の宮上案は圧倒的にかっこいいよね、
自分も子供の頃にあの復元イラストを見てから城に興味を持ったよ。
三浦氏の復元案(夏の陣図屏風を元にした方)を見た時はガッカリした。
美しさを競うものでもないけどね、、
実際は大坂城は三浦氏の冬の陣図を元にした案が真実に近いだろうね。

779:日本@名無史さん
06/10/06 01:59:31
伏見城どう思う?

780:日本@名無史さん
06/10/06 03:23:10
銀は使用してないって根拠も何処にも無いのに鵜呑みし過ぎなんだよな
住職さんが使った可能性は否定できないと言っている以上何とも言んだろ
見た聞いたと言うだけじゃなく自ら文献探したり絵画資料を確認しなきゃ

因みに宮上氏の復元案は根本から間違い、金閣も安土城も酷すぎて排除だろ
金閣は上杉本洛中洛外図を観れば一目瞭然なのに妄想で変なモノ作った辺りその
いい加減さが伺えるよ
城郭建築を無視した妙な安土城など不快感さえ覚えるし一体何考えてあんなモン
が生まれてくるか不思議でならないよ。

781:日本@名無史さん
06/10/06 03:58:31
>>779
伏見城天守は福山城伏見櫓や屏風絵などから推定すると
徳川期の壁は真壁かあるいは塗籠で柱型を出していたと思う。
豊臣期も聚楽第や名護屋城が塗籠と思われる事から下見板張りではないだろうし
徳川再建後に塗籠だった建築群を古式の真壁に戻すとは思えないから
豊臣期も同様に真壁(あるいは柱型を出した塗籠)だったんじゃないだろうか。
城郭全体も大坂城のように完全な再構築ではないしね。
まあ想像の域を出ないし、それ以上はわかりません。

>>780
上杉本の金閣は創建当時の姿じゃないのでは?
金閣(北山殿)復元案が正しいかどうかは別として。

782:日本@名無史さん
06/10/06 04:14:49
>>780
中井家の大坂城本丸図の一間は発掘調査の結果、六尺五寸と判明。
秀吉関係の本で中井家の大坂城本丸図の一間が六尺五寸であると三浦氏自身もそれを説明。
更に三浦氏は天下人の居城の柱間の一間が七尺である事を様々な本で解説している。
だとした場合一間六尺五寸で十二間と十一間の天守台に
一間が七尺で十二間と十一間の天守を建てる事は物理的に不可能。

しかし三浦研究室の大坂城天守の復元図は夏の陣バージョン、冬の陣バージョン共に十二間と十一間。

783:日本@名無史さん
06/10/06 05:39:32
張出してたんじゃね

784:日本@名無史さん
06/10/06 05:45:59
張出してたんじゃね(嘘)
と書こうと思ったら途中で押しちゃった w
天下人の居城の柱間の一間は基本的に七尺だとしても
大坂城は例外的に六尺五寸という解釈でいいんじゃない?
三浦研究室がどういう意図かしらんけど。
夏の陣バージョンはデタラメというか強引すぎるよね。

785:日本@名無史さん
06/10/06 06:38:11
備後福山城の天守って徳川伏見城か駿府城天守を模して建立したのではないかて考えてみました。

786:日本@名無史さん
06/10/06 23:39:54
城オタ同士の会話って妄想合戦って感じで面白い!

787:日本@名無史さん
06/10/06 23:51:58
こんなのを面白がる役立たずな低能もいるんだな。


788:日本@名無史さん
06/10/07 00:31:20
豊臣の大坂城天守は宣教師の報告「日本西教史」だと1596年の大地震で倒壊したそうです。
もしかしたら冬の陣屏風の天守、夏の陣屏風の両方とも真実の大坂城を描いてるのかもしれません。
倒壊する前の天守は聚楽第、岡山城、広島城に似ている初期望楼型で、
再建後は福井城や姫路城に似ていたスマートで華麗な後期望楼型の天守だったのではないでしょうか?

789:日本@名無史さん
06/10/07 00:37:18
URLリンク(www.joho-kyoto.or.jp)
>「ふしみ」という地名は相当古い時代の文書にも出てきますが、平安時代は「俯見」「臥身」あるいは「節身」という字が当てられており、
>伏見城が造られた中世末期頃から「伏見」という字が使われるようになりました。


↑↑↑
これが本当だとすると伏見天皇の表記は
俯見が正しいんじゃないの


790:日本@名無史さん
06/10/07 00:43:49
そんなこと、どーでもいじゃん。あほらし。

791:日本@名無史さん
06/10/07 01:00:22
すべてプラズマです(教授談

792:日本@名無史さん
06/10/07 01:47:22
まあアレだ、人それぞれな分けで
アホから生まれるモノがあるかも知れない
そんな可能性も否定出来ないジャマイカ

793:日本@名無史さん
06/10/07 01:48:55
>>788
その再建説知ってる、冬の陣図が古いスケッチを元に描いた事を前提にしてるんだよね
でも、冬の陣図は極楽橋の形態から慶長5年(1600年)以降の姿を描いてると思うよ。
慶長5年以前の姿を描いた大坂城図屏風の天守と夏の陣図屏風の天守は印象が似ているし、
大坂城図屏風と冬の陣図の天守も酷似してるから全て同じ天守を描いてるんじゃないかな。
おそらく倒壊後もほぼ同じ姿で再建されたと思う。
同じ地震で伏見城も倒壊してるからそれを勘違いした可能性もあるね。

794:日本@名無史さん
06/10/07 03:01:19
城って、昔の技術でどのくらいの年月で完成するものなんですか?
今の技術だと、どのくらいですか?
レベルの低い質問、すいません。

795:日本@名無史さん
06/10/07 14:00:14
時代にもよるし、規模にもよるし、掛けられる人、お金にもよるし、
秀吉なんて一晩で建てたぞ


796:藤本正行
06/10/07 19:44:42
秀吉の一夜城はデタラメです。

797:日本@名無史さん
06/10/07 20:06:56 BE:396909247-2BP(0)
日本史板で一夜城なんか信じてる馬鹿がいるとは
メンヘル板でも行けや

798:日本@名無史さん
06/10/08 09:01:09
名古屋城が最強だろ。最新の大筒の射程・破壊力に耐えうる抗堪性を持つの
は、ここと五稜郭だけ。

799:日本@名無史さん
06/10/08 10:30:34
>>798
お前のクソネタは飽きた。
誰もそんな比較してねえよ。

800:日本@名無史さん
06/10/10 15:54:55
>>798
今治城とかけっこういけてると思うよ。


ところで最新の大筒ってのは、いまの最新だからクラスター爆弾とか?

801:日本@名無史さん
06/10/10 15:56:49
誰か、金閣の内部写真、持ってない?
各層の。

外見は派手な、櫓建築に似てるけど、
内部は恐ろしいほど美しいんだよ。
あれは「瞑想状態の展示場」、「美の完成系のひとつ」だと思う。


802:日本@名無史さん
06/10/10 19:07:12
>>787
必死だなw

803:日本@名無史さん
06/10/10 19:28:03
金閣イコール天下人の象徴。信長岐阜城山麓天守、家康駿府城天守は下層は金閣に似た構成だな。聚楽第天守の下層も書院造りだったかもね。

804:日本@名無史さん
06/10/10 19:34:54
>>802
まぁ、オマイら喧嘩はやめて仲良くやろうぜ。
>>787は周囲から役立たずの低脳呼ばわりされてるからカチンと来たにすぎないんだ。

805:日本@名無史さん
06/10/10 22:10:55
>>787
普段から言われてないと出ない台詞だなw

806:日本@名無史さん
06/10/11 10:21:19
金閣は書院造じゃないんだけどな。

807:日本@名無史さん
06/10/11 13:45:36
>>803
そうそう。
安土や大坂、駿府といった天守閣が
金閣の影響をものすごく受けてると思うわけですよ。

内部構造だってもしかしたら、と

808:日本@名無史さん
06/10/11 14:44:32
金閣内部
URLリンク(www.hamajima.co.jp)

これしか、発見できなかった

809:日本@名無史さん
06/10/11 16:03:58
TVで見たことある
ものすごく美しかった。

810:日本@名無史さん
06/10/11 20:50:26
>>803
信長の岐阜城の山麓と山頂に天主、天守はあったのでしょうか?
山頂にあったのは上の権現という建物で、山麓の御殿は狭い割平地に数段に別れて建っていたと思うのですが。
特に山麓の御殿の一階には座敷が20程あり、安土城天主よりもり遥かに数が多いですよね
また、それぞれの階には前廊があったそうで、これは前廊という表現から城下に面した部分にあった廊下で廻縁とは違う感じがします。
瓦の出土状況から信忠の時代の山頂には金箔瓦の天守が有ったとされていますが。
信長の時代の清洲城に北櫓と南櫓、小牧城にも二層の櫓(偽書と言われてる武功夜話)が有ったそうなのでなんともいえませんが…

811:日本@名無史さん
06/10/11 23:24:33
信長の岐阜城時代の天守(山頂の方)は一階建てだったという見方があるって聞いたんですが
どうなんでしょう?

812:日本@名無史さん
06/10/12 21:30:59
>>808
URLリンク(www.shokoku-ji.or.jp)

813:日本@名無史さん
06/10/13 15:54:39
>>812
暗い室内に
・天井は極彩色の絵画
・床はどこまでも平面の、ぴかぴかの黒漆→永遠に広がっていくような空間
・その他調度も漆
・その中心に、シンプル構成の、極彩色の仏像群
・仏の顔方向の面の窓(空間)を全開に開け放ては、そこは東山の緑

TVではこんな感じだった。

814:日本@名無史さん
06/10/14 01:27:59
岐阜城で天守が確認できるのは池田輝政が天守を上げたという話が古く、
それ以前の信長の時代ともなるとなんら史料がありません。
もちろん、信長や信忠の時代に天守が存在した可能性はあるかもしれませんが。

815:日本@名無史さん
06/10/14 07:25:48
じゃ、宮上氏の、山頂山麓二つの天守説は…?

816:日本@名無史さん
06/10/14 08:53:42
>>815
なんら確証の無い話。ということです。


817:日本@名無史さん
06/10/14 18:09:06
城に天守を置くのは常套手段なので、稲葉山に天守は当然の如く存在した筈
土岐、斎藤、織田で天守閣の形の変化はあっただろうが、天守を2つ置く
ナンセンスな宮上案は悉く却下されて当然。小丸を天守と思い込んだのかな故人はw

818:日本@名無史さん
06/10/14 21:03:07


819:日本@名無史さん
06/10/14 22:08:29
誰か!日本史のいい勉強法教えてください。

820:日本@名無史さん
06/10/14 22:09:40
>>819
まずは古事記の原文を読め

821:日本@名無史さん
06/10/14 22:11:27
明後日からテストなんで↓↓↓
朝から勉強してるけどなかなかすすまなくて

822:日本@名無史さん
06/10/15 00:38:01
一昔前なら、教科書を暗唱するぐらい読めと勧めたけど
教科書は欺瞞に満ちてるて分かってからは、もう勧める気ないわ

823:日本@名無史さん
06/10/15 01:20:55
テスト目的なら欺瞞とか関係ないし暗唱するぐらい読むしかないんじゃね。
日本史はマンガのやつ読むと全体の流れをイメージで掴みやすいと思う。

岐阜城の時点ではまだ天守という定義自体が曖昧だったんじゃないかな。
岐阜城に天守が2つあったと言われると違和感があるけど、
天守建築の原型になる2種の建物があったと考えれば無理はないんじゃない?
山麓のは金閣や江戸城静勝軒の流れを汲むような楼閣(御殿)建築だっただろうし
それとは別に山上に櫓建築があるのは不思議ではないよね、重層かどうかは別として。
その2つを融合して安土で天守建築が明確に確立されたと考えたら違和感ないかも。
安土以前は発展途上の段階で多聞山城の四階櫓などのように様々な形態があって混沌としていたと思う。
後の聚楽第でも絵画資料を見ると大型の楼閣建築と天守建築が両立してたようにも思えるし
岐阜も天守が2つあったというより2つの象徴的な建物があったと考えれば自然だろうね。

824:日本@名無史さん
06/10/15 13:14:22
823も宮上案も可能性はあるが確証のない話。
可能性は823の方が高そうという印象。

825:日本@名無史さん
06/10/15 16:02:35
>江戸城静勝軒

これ、どんな姿だか分る史料ってるの?


















(天孫降臨から説き起こす歴史教科書がいいとは思えん。〕

826:日本@名無史さん
06/10/15 19:35:11
静勝軒についてはいくつか史料が残ってたと思うけど
それらから推測すると楼閣建築だったらしい、詳しくは忘れた。
あと、明治まで残っていた佐倉城の銅櫓は静勝軒を移築・改造したものだったとか。
櫓としては異例の宝形造だった事から考えるとあながち否定はできないね。
移築ではなかったとしても、そういった移築伝承が生まれたのは
当時、静勝軒が宝形造の楼閣建築として認識されていたからかもしれない。
移築伝承がいつからあったのかはわからないけど。

827:日本@名無史さん
06/10/16 20:21:44
あくまで伝承だからー
可能性は低いだろうね。
まして移築ともなるとねー

828:日本@名無史さん
06/10/17 07:21:45
銅櫓の所以は屋根が銅版葺にある。太田道灌の時代に銅板葺はありえたのか?資料には見当たらない。

829:日本@名無史さん
06/10/17 14:07:25
移築だと家庭すれば銅版葺にしたのは移築後の改造だと思うよ
いずれにしろ想像の域はでないけど現存してない以上否定も肯定も難しいんだよね。
そもそも家康入城時点まで静勝軒が残ってたかどうか疑問だし
移しではなくて外観の写しだったのかもしれない。
銅櫓がなぜ宝形造・銅版葺にしたのかの理由がわかればいいんだけど。
その理由が静勝軒に由来するものなのかどうか。
とりあえず銅櫓は静勝軒をイメージする参考にはなるとは思うよ。
まあ、それ以上にはならないけどね。

830:日本@名無史さん
06/10/17 15:34:38
佐倉市の歴・民館に佐倉城の復元模型があるけど本丸土塁に銅櫓がる。銅葺きの屋根は銅櫓だけ。下見板張の壁面と緑青はミスマッチだが味わいもある。

831:日本@名無史さん
06/10/18 00:56:10
道灌の時代と家康の時代とでは櫓の規格サイズ(間取りのサイズとか)が違うでしょ。
そのまま持ってきたよって話には無理があるね。


832:日本@名無史さん
06/10/18 02:23:59
さすがにそのままではないと思うよ。
城郭建築で移築とされている建造物の多くは改造されてるしね。
その後の修理の際に改築を重ねてたら本来の姿には直結しないだろうけど
一部の意匠を引き継いでる可能性はあるからその点は検証する価値があると思う
銅櫓の場合は移築だとしても楼閣から櫓へと大幅に変更されてるはずだし
重要なのは宝形造だった事くらいかもね。

833:日本@名無史さん
06/10/18 09:51:45
将軍家の拝領品は寸分たりとも改変していないと思う。備後福山城の伏見櫓も全く改変していなようだ。銅櫓が銅葺なのも徳川の嗜好だ。道灌時代の楼閣建築を櫓風改変したのは将軍家だと思う。

834:日本@名無史さん
06/10/18 22:08:44
まあ、銅櫓が改造されたかどうか立証できないと思うけど、明暦の大火で林大学頭羅山がとった行動が面白い。将軍から賜った銅書庫。江戸城内から移築したものから大火が迫るので書物を疎開させたいが書庫の安全性を疑う事になるからできないと言う話。

835:日本@名無史さん
06/10/18 22:16:25
834の続編 結局大火で銅書庫は全焼して羅山が生涯をかけて収集した稀少本は失われた。ショックで羅山は死去したが林家の忠義は認められ幕府滅亡まで家格を保った。拝領品は絶対だと推量する。

836:日本@名無史さん
06/10/18 22:19:34
URLリンク(hobby8.2ch.net)

837:日本@名無史さん
06/10/18 23:19:58
東京駅から丸の内まっすぐ歩いていると、
松ノ木取っ払って、富士見櫓もっと見せろと思う。

838:日本@名無史さん
06/10/19 03:12:00
おれもそう思う

839:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
06/10/19 06:09:04
オーストリアで見つかった大坂城の絵が結構保存状態
が良いから安土城も期待したい。

840:日本@名無史さん
06/10/19 10:24:35
>>839
徳川or豊臣?
詳細教えて。


841:日本@名無史さん
06/10/19 12:17:08
今日の朝日新聞の朝刊に出ている。過去に見いだされた豊臣大阪城の絵画では最悪の出来だ。天守は白亜総塗込、五階のみ黒く描かれているが写実性はゼロ。想像絵巻だ。

842:日本@名無史さん
06/10/19 12:55:21
え、、じゃあ復興天守みたいな感じ??


843:日本@名無史さん
06/10/19 13:27:02
ぱっと見は洛中洛外図の家康二条城の天守風。入母屋を交互に重ねて最上階に欄干を巡らしている。大阪落城後に伝承を元に想像して描いたのだろう。

844:日本@名無史さん
06/10/19 14:46:22
天守を考察する点ではあまり意味なさそうだね。
検索してみたけど画像が小さすぎてよくわからんね・・・
URLリンク(www.asahi.com)

845:日本@名無史さん
06/10/19 16:03:34
大阪城と大坂城くらい使い分けろよ。


846:日本@名無史さん
06/10/19 16:48:18
岸和田古城跡消滅の危機!!
URLリンク(www.asahi.com)

847:日本@名無史さん
06/10/19 19:18:21


848:日本@名無史さん
06/10/19 20:40:26
明治の西南戦争の後、武士の反乱に手を焼いた明治政府が大坂の坂の字が士が反すると忌み嫌い阪の字に改称した。

849:日本@名無史さん
06/10/19 22:07:25
林家の屏風絵のバリエーションじゃないの?

850:日本@名無史さん
06/10/20 10:07:09
安土屏風は信長が写実性に拘って何度も書き直させたから大坂城屏風の様に省略やパターン化されたものではないだろう。

851:日本@名無史さん
06/10/21 00:23:43
安土山屏風が未だヴァチカンに保存されてたとて
何らメンテナンスを受けてなくば保存状態は最悪かと
見付らないならグレゴリウス13世の棺開けてみそ~

852:日本@名無史さん
06/10/22 15:26:12
ひどすぎる公務員給与の実体↓
ぼう大な人員と過剰な給与で我々の税金を食い潰す。

URLリンク(www.geocities.jp)


853:日本@名無史さん
06/10/22 15:40:03
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+五島列島+男女群島+天草諸島
+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)=大本州 地続きになれ

854:日本@名無史さん
06/10/22 15:46:15
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+五島列島+男女群島+天草諸島
+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)=大本州 地続きになれ


855:日本@名無史さん
06/10/22 16:38:15

むしろ全部沈んでしまえ

856:日本@名無史さん
06/10/22 20:02:27
↑バンチョッパリ乙w

857:日本@名無史さん
06/10/23 10:26:20
市民による城の再建運動とか最近流行っているけど唯一再建反対の運動が盛んな地域がある。米子城の天守再建についてだ。

858:日本@名無史さん
06/10/23 22:54:37
どうして?


859:日本@名無史さん
06/10/23 23:03:57
模擬天守作るくらいなら作らないほうがいい


860:日本@名無史さん
06/10/24 00:57:09
一応は考証があるんでしょ? それとも3裏グループが気に入らないとか?
地元じゃ、復元図描いただけで、いろいろ吝つける人いるらしいが。

861:日本@名無史さん
06/10/24 04:17:56
再建が遺蹟と環境の破壊と言う考えがある。米子の預かり城主の荒尾氏は苛政に務めたため地元では不人気で城に対する愛着がわかないらしい。

862:日本@名無史さん
06/10/24 10:51:48
そりゃそうだ、本社しか目が向いていない
支店長みたいなものだ。

863:日本@名無史さん
06/10/25 09:27:10
例の掛川城の天守もかなり無理して建てたらしいな。再建ではなく木造新築だそうだ。

864:日本@名無史さん
06/10/25 15:17:37
再建された掛川城天守の、外観はともかく、天守台の形が古絵図と微妙に違うが、
あれは地震後に補強された物なのだろうか?
今の天守台の形は発掘によって確められた結果なのだろうか?

宮上茂隆氏案の掛川城天守は高知城天守を参考にしてるそうだけど、
現存の高知城天守は江戸時代の再建のなので、だとすればその外観は(以下省略

865:日本@名無史さん
06/10/25 17:23:46
>>864
URLリンク(castlet.net)

裏から見ると天守台はコンクリート製なので、
明治以降修復されたものだと思われ。

866:日本@名無史さん
06/10/25 20:20:05
>>865
天守曲輪の斜面を覆うコンクリート石垣の事ではなくて、天守曲輪の上に乗る天守台の形が、天守台とほぼ同じ大きさの宮上氏案と
天守より天守台が大きい松岡敏郎氏案、遠江国掛川城地震之節損所之覚図と違っていたので…

867:日本@名無史さん
06/10/25 21:42:29
故宮上氏は強引に再建をけしかけたので、辟易している研究者は多いらしい。

大洲の再建にGOサイン出したのも故宮上氏でしたな。

868:日本@名無史さん
06/10/26 05:33:48
掛川城の再建は資料も少ないのに自称創建時にしたのは危険過ぎる。これは想像新築だ。資料の整っている幕末の最終状態で復元すべきだった。

869:日本@名無史さん
06/10/26 06:12:09
市の担当者から聞いたんだけど、市長が大変な権威主義者で異論や反論を
受け付けなかったなしいね。

870:日本@名無史さん
06/10/26 08:22:13
せめて忍び返しの槍の穂とか最上階の欄干とか高知城の安易なコピーはやめて欲しかった。根拠は、すべて掛川の如しの一豊の一言。すべて高知の如しでは復元とは言えない。

871:日本@名無史さん
06/10/26 17:31:13
たしかに掛川城はもったいないね。
幕末期の外観の方が具体的にわかるのにわざわざ高知城のレプリカにしちゃって。
というか、高知が掛川を模したという割には高知城天守の方が古式に見えるし。
創建時というより正保城絵図に似せてるように思える。。
正保城絵図のは再建後の改変された姿だと思うんだけど。

872:日本@名無史さん
06/10/26 18:08:20
幕末期の掛川城天守の外観は一層目が土台と柱の型出しで、二層目は下見板貼りで復元天守より古式な外観なんですよね…
張出し部分の屋根も入り母屋ではなく、構造が簡単な切り妻なのも気になります
三層は米子城天守のように後に高欄を板で覆った姿が三間×四間なので母屋の寸法は復元天守の三間四方ではなくて二間と三間になるかと思います

正保城絵図の掛川城は櫓は板貼りで天守は大壁なので、
幕末期の掛川城天守の外観は財政が疲弊した状況下で補修を繰返していた結果の姿なのかもしれませんが

873:日本@名無史さん
06/10/26 23:00:53
雪害で床板が痛みやすい米子や松江は高欄を覆ったのは解りますが
温暖な掛川で高覧を覆う形にしたのか、興味あるところですね。

874:日本@名無史さん
06/10/26 23:26:36
雨だよ。

875:日本@名無史さん
06/10/27 07:37:50
でも結局欄干は取り込んでしまった。

876:日本@名無史さん
06/10/27 20:55:17
下見板張りが復活したのも漆喰が火に強くても水に弱いため。

877:日本@名無史さん
06/10/28 04:39:40
いっぱい写真が載ってるお薦めな本はありますか?

878:日本@名無史さん
06/10/28 11:17:58
下見板張りって焼けても内部に及ばない作りになっているらしいよ。

879:日本@名無史さん
06/10/28 11:19:05
っていうか、下見板張りって何の意味があるの?

880:日本@名無史さん
06/10/28 17:43:32
土壁の保護

881:日本@名無史さん
06/10/28 22:13:49
日本のモンサン・ミシェル、名古屋城について語ろう!

882:日本@名無史さん
06/10/28 22:18:30
ウンコ食え 下痢食え 肥溜めに頭から突っ込め

883:日本@名無史さん
06/10/28 22:22:04
(・@・) (・@・) 

884:日本@名無史さん
06/10/28 22:31:38
日本のマチュピチュ、竹田城について語ろう!

885:日本@名無史さん
06/10/28 23:46:23
石原氏の安土城天主の復元案の詳細をご存知の方はおられますか?
ぐぐっても出て来ません

 
石原守  安土御天主図象之記  平成12年  私家版





886:日本@名無史さん
06/10/30 01:27:15
みなさん。
日出城の鬼門櫓を知っていますか?
今は民家の土蔵になっていますが、壁は朽ち、瓦は落ち、と散々な状況です。
日出の役所にどうにかするようにみんなで頼みましょう。

887:日本@名無史さん
06/10/30 01:36:28
城下かれい

888:日本@名無史さん
06/10/30 14:31:27
>>886

民家(私有地)なのか。町並み保存とかやってないと、けっこう難しいかも。

889:日本@名無史さん
06/10/30 14:39:42
地元自治体も保存には消極的らしい。ただ飯食いが!

890:日本@名無史さん
06/10/30 20:29:09
国の出番じゃ

891:日本@名無史さん
06/10/30 23:19:02
宇都宮城がもうすぐ完成しそうですな

892:日本@名無史さん
06/10/31 08:55:11
模擬土塁w

893:日本@名無史さん
06/10/31 09:40:51
土塁の高さ位置は正確なの?櫓の寸法、意匠も正確な資料あったの?餃子の町の市民グループさん。

894:日本@名無史さん
06/10/31 15:09:10
土塁ですらないよね、コンクリ塁。
コンクリ天守と同じで何十年後に批判の対象になるんだろうね。
コンクリ天守はNGでコンクリ塁はOKって変な話。

895:日本@名無史さん
06/10/31 19:05:38
ほんで清明櫓とか木造なの?中入れんの?

896:日本@名無史さん
06/10/31 19:45:18
検索すれば出てくるじゃんよ。
URLリンク(www.city.utsunomiya.tochigi.jp)
清明台櫓・富士見櫓共に木造二階建,本瓦葺・壁 土壁白(油)漆喰塗り・床 板張り生地仕上げ
1 階内部を出入自由とし,櫓構造や歴史的な解説・・・・・だってさ。中入りたい?

史実通りかどうかは知らね、
『資料や発掘調査結果、将軍家仕様の城郭資料に基づ く想定復元』
という書き方からして正確なわけじゃなさそうだけど。

897:日本@名無史さん
06/10/31 21:25:48
土塁を築く技術が今に伝わっていない。>>892


898:日本@名無史さん
06/10/31 23:56:54
佐藤氏復元案の安土城天主のミニチュアが製品化されるお。
写真を見たが出来はいまいちだお。
安土城は好きなので、店で見かけたら買うつもりだお。

899:日本@名無史さん
06/11/01 00:19:33
佐藤氏復元案は下層部に対し極端に望楼部が小さく、正直言って不恰好だよ。
不確かな伝承から岡山城に似せすぎ。

900:日本@名無史さん
06/11/01 01:17:03
>>898
製品化って何?プラモデル?
どこで売ってるの??

901:日本@名無史さん
06/11/01 01:26:23
>>900
Quantoとかいうおもちゃの雑誌で見たお。
メーカーとか詳しい事はわからないお。

他に江戸城天守、大坂城天守もあたお。
値段は確か500円くらいだお。

902:日本@名無史さん
06/11/01 01:31:42
>>900
プラモデルじゃなくて100円ショップで売ってるミニチュアような何かの樹脂の塊みたいな感じだった

903:日本@名無史さん
06/11/01 05:45:04
金髪碧眼の姫君がわんさか居たら日本の城もエロゲでバンバン登場できたろうに。
ええい、口惜しや。

904:日本@名無史さん
06/11/01 11:40:07
>>901,902
じゃあ食玩みたいなやつだ、、期待できなそうだね。
大坂城が豊臣天守なら買ってみたい気もする。

905:日本@名無史さん
06/11/01 15:15:45
○○氏説天主とか、縄張り内の各櫓とか、軍艦みたいに15xx年改修後バージョンとか
色々あったりしたら神(資料なさ過ぎで余計な議論を呼びそうだが)

906:日本@名無史さん
06/11/01 19:51:54
いいねえ、おもちゃなら多少デタラメでも許せるから
米子城大小天守・高山城・大津城とかあれば欲しくなるね。
まあ普通に姫路城や松本城とかなんだろうけど
佐藤氏復元案入れてるのはちょっとマニアックな気もする。

907:日本@名無史さん
06/11/01 21:45:36
メーカーサイト
URLリンク(www.runat.co.jp)

第1段が江戸(家光)、大坂(秀忠)、安土
雑誌の製品紹介ページには第1段と書いてあったのでシリーズ化されるかのも試練


908:日本@名無史さん
06/11/01 21:47:50
本物の大阪城はもっと大きかったらしいけどね。
東大寺の両脇に100メートル級の七重塔を再建すれば。
外国人もびっくり

909:日本@名無史さん
06/11/01 21:51:51
日本が本気になれば核兵器を造ることぐらい楽勝だろ。
最高性能の核兵器を何百発造るくらい日本にとって簡単すぎて屁でもない。
あえてそれが当たり前。

910:日本@名無史さん
06/11/01 22:17:12
>>899
奈良の大仏と同じで、下から見上げた時のバランス重視じゃないかと思った

・・・・・・くらい、正面はアンバランスですね。

内藤説は、下層部の屋根のつき方が不自然で佐藤説はその矛盾を解消したと唄っているが・・・。

911:日本@名無史さん
06/11/01 22:19:07
>>909は文系の人? ホント無知だな(藁)

912:日本@名無史さん
06/11/01 22:20:59
それじゃ、911の脳内論理を教えてくれ

913:日本@名無史さん
06/11/01 22:26:16
あの手のアンバランスは福山城伏見櫓、岡山城大納戸櫓、津山城備中櫓、聚楽第天守とかにも見られる

あえて変な形にするのが歌舞伎者の好みだったんじゃなかろうか?

914:日本@名無史さん
06/11/01 23:02:20
>>907
ゲ、徳川大坂城なんだ・・・いらねえ。
なんでそんなパッとしないのを選んだんだろう。

915:日本@名無史さん
06/11/02 00:06:55
第1段じゃなくて第一弾だった・・・(///

916:日本@名無史さん
06/11/02 01:33:29
>>914
大体確実な資料が載っているから、かな? 


豊臣は宮上・三浦で2説あるでしょ。

917:日本@名無史さん
06/11/02 01:46:49
>>916
豊臣大坂城天守の復元案は桜井成広氏、大竹正芳氏、最近だと本山一城氏のもある

918:日本@名無史さん
06/11/02 08:06:18
名古屋城は出るんですか?

919:日本@名無史さん
06/11/02 08:35:16
>>909はスレ違いも甚だしいし、日本語の習得も足りない。
それを擁護する>>912
バカって気楽だねw



920:日本@名無史さん
06/11/02 09:38:28
日本の核ミサイルは広島の原爆ドームの中に格納され、有事の際に発射されるのだ。

921:日本@名無史さん
06/11/02 09:48:45
しかも核ミサイルの格納庫は近江穴生衆による切石積。ミサイル表面は真壁造りだ。最頂部には欄干を巡らし華灯窓を備える。ミサイルの運用金には奥州棚倉十万石を充てるのだ。

922:日本@名無史さん
06/11/02 18:05:48
明治の岐阜城模擬天守は面白い作りですね
プレハブ、トタン屋根みたいなのがツボです

923:日本@名無史さん
06/11/02 20:00:27
>>917
本山一城氏案ってどんな感じ?
どこかで見れる?

924:日本@名無史さん
06/11/02 20:20:40
>>923
この本にあります。
URLリンク(www.amazon.co.jp)

夏の陣屏風の天守を桁行き14間で中井家の本丸図の天守台イパーイに建てた感じ。
いろんな復元案の内容の賛否は別にして、読んでいて面白い本です。

925:日本@名無史さん
06/11/02 20:36:31
次スレッドです。スレッドの消費がはやいので立てました。
スレリンク(history板)l50

926:日本@名無史さん
06/11/02 21:14:15
>>924
ありがとー、
14間が?な感じもするけど読んだら納得できるかな w
気軽に読んでみるよ。

927:日本@名無史さん
06/11/02 21:29:56
>>925
久しぶりだな城壁厨w
まだ低脳なままなのか?

928:日本@名無史さん
06/11/02 21:51:54
熊本城あたりの過剰防備を、使われざる最終兵器という意味で
「核」に譬えていたのは、三浦教授だったね。

929:日本@名無史さん
06/11/03 01:18:02
早漏どもこっちを先っぽ使え

930:日本@名無史さん
06/11/03 01:37:23
本山 一城って漫画家だろ。
信用できるのか?

931:日本@名無史さん
06/11/03 02:53:39
信長の安土城・秀吉の大阪城を破壊したのは悲しい事に同じ日本人なんだな。
紫禁城やタージマハルが残っていると言うのに、
信長・秀吉・家康と言う日本史三大英傑の城が残ってないのは真に悲しいものだ。
東大寺を消失させたり日本人と言うのは外国人より文化財に対する保護意識がないな。

932:日本@名無史さん
06/11/03 04:10:27
名古屋、広島、岡山、福山は爆撃で壊しただろ

933:日本@名無史さん
06/11/03 20:22:41
政治の舞台てなった建造物は政権が衰退すれば焼かれるか取り壊されるか朽ちるかの何れかでしょ。

934:日本@名無史さん
06/11/03 22:31:29
>>933
京都御所は?

935:日本@名無史さん
06/11/03 22:59:28
近世の城下町の中の寺町って、
一種の砦の性格を帯びているよな。

936:日本@名無史さん
06/11/04 01:19:50
>>935
どーゆーところが?

937:日本@名無史さん
06/11/04 08:36:28
>>936
何のために寺町があるか考えてみろ。

938:日本@名無史さん
06/11/04 11:20:06
京都御所は里内裏の延長で天皇の個人的な施設です。かっての大内裏の一部にしか過ぎません。大極殿など公式な政治的な建築物は消滅してしまいました。

939:日本@名無史さん
06/11/04 14:26:07
平安神宮は、「外観復元」または「外観復興」?

平城宮跡は、「木造復元」(文化庁公認の)?

940:日本@名無史さん
06/11/04 16:37:05
>>938
里内裏はもともと貴族の邸宅に
天皇が住まいした仮内裏なのだが。
天皇の個人的な施設というのはおかしい。

941:日本@名無史さん
06/11/04 16:39:42
>>934
日頃から正確が悪いって言われてるだろw

942:日本@名無史さん
06/11/04 17:06:43
>>937
なんのために寺町があるの?

943:日本@名無史さん
06/11/04 18:56:49
>>942
坊主の袈裟がたまらないのじゃよ。ふぉっふぉっふぉっ

944:日本@名無史さん
06/11/04 19:33:26
>>942
寺町でググれ。
特に軍事面で調べろ。

945:日本@名無史さん
06/11/04 20:12:44
>>942
邪魔だから一つにまとめただけ。
たまに戦時に砦として使うことを考えているケースもあるにはあるが、
これはあくまで例外。
常識的に考えれば分かるが、寺がたくさん集まってたところで、
守る側としても壁やら建物やらがゴチャゴチャしすぎて守りにくい。
ほんとに砦として活用したければ、むしろ分散させて要所に配置するであろう。
ということで、>>944はどっかで拾ってきた知識を自慢げに披露して赤っ恥を曝した馬鹿。

946:日本@名無史さん
06/11/04 20:23:08
>>945
池沼乙w

947:日本@名無史さん
06/11/04 20:38:41
>>945の電波ぶりには非常に笑えるw

寺町にある寺院は高い塀で囲まれているのが常。
またそのような寺院が建てられても
難癖をつけられにくい。
高い塀で囲まれているので、兵員を
その中に隠すことができ、敵は容易に
早くには進攻できない。
また寺院には広場や庭園があるので、
ごちゃごちゃしている場合も少ない。
そのような建物を建てるには、
寺院が難癖をつけられにくい。

>>945は電波w

948:日本@名無史さん
06/11/04 21:03:37
ほんと電波がユンユンしてる板だな。
まだ袈裟が好きという方がいいな。

949:日本@名無史さん
06/11/04 21:35:37
>>947
堀で囲まれている寺院もあるね。

950:日本@名無史さん
06/11/04 21:45:59
950!

951:日本@名無史さん
06/11/04 21:48:38
ウンコ 下痢 チンチン 小便 尻の穴 クソ 下痢 金玉 肛門

952:日本@名無史さん
06/11/04 21:49:56
太閤秀吉軍 40万人

953:日本@名無史さん
06/11/04 22:19:03
んで、その寺町って戊辰戦争とか西南の役の時とかやっぱり役に立ったの?

954:日本@名無史さん
06/11/05 01:26:23
中世城郭・寺院は中世の戦争は想定していたとして、幕末は考えてないでしょうから、
中世の戦いの中で調べるべきでしょ。
幕末で調べたいのであれば五稜郭のような幕末に新造された城郭の寺町を調べるといいんだろうね。

中世で調べてみて、寺町があったから守りきれたとか効果を表す話は知らない。
しかし、城下を焼き討ちしたとかそういう話はよく聞くわけで、
城下の存在というのは寄せ手にとって排除すべき邪魔な存在であったと推測できるよね。


955:日本@名無史さん
06/11/05 01:26:52
>>947
電波乙

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺町は防衛施設としてはあまりに不適。

956:日本@名無史さん
06/11/05 08:46:53
>>955
電波乙

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としては極めて適格。


957:日本@名無史さん
06/11/05 10:07:48
>>956
電波乙

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。

958:日本@名無史さん
06/11/05 10:11:40
弘前の寺町は明らかに軍事的な意味合いを持っている。
出丸みたいなものだろう?

959:日本@名無史さん
06/11/05 11:18:34
弘前の寺町は、当初は寺院統制のために
城の近くにつくられた(元寺町)が、
火災と城下の発展にともなって、
城から離れた場所に移された(新寺町)。

960:日本@名無史さん
06/11/05 13:28:59
そもそも「寺町」は、
大抵の場合は、江戸時代に入って、
一国一城令によって一つしか城をもてなくなったから、
「寺」という名目で、幕府から文句をつけられない形で、
要塞として構築したものだからな。
代表的なのは、米子の寺町だろう。

961:日本@名無史さん
06/11/05 14:48:35
>>957
電波乙

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。

962:日本@名無史さん
06/11/05 16:15:27
>>961
電波乙

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。

963:日本@名無史さん
06/11/05 16:33:25
>>957
電波乙wwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。



964:日本@名無史さん
06/11/05 16:40:46
寺の鐘楼は、砦の櫓として扱えるからな。

965:日本@名無史さん
06/11/05 17:04:31
え?寺の鐘楼が櫓として使えるって?
意味がわからん・・・。
屋根によじ登って鉄砲でも撃つのか?
いい的になるだけだが。

966:日本@名無史さん
06/11/05 17:24:56
>>965
プププw
池沼だからそんな想像なんだねw

967:日本@名無史さん
06/11/05 17:42:54
>>966
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

968:日本@名無史さん
06/11/05 17:46:37
>>967
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

969:日本@名無史さん
06/11/05 17:53:20
>>963
電波乙wwwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。

970:日本@名無史さん
06/11/05 18:00:41
>>957
電波乙wwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。

971:日本@名無史さん
06/11/05 18:35:29
>>968
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

972:日本@名無史さん
06/11/05 18:39:39
>>971
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

973:日本@名無史さん
06/11/05 18:59:59
>>972
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

974:日本@名無史さん
06/11/05 19:14:20
>>673
池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。

975:日本@名無史さん
06/11/05 19:25:16
こうやって、またスレが荒廃していく

976:日本@名無史さん
06/11/05 19:31:05
キチガイ>>945が元凶だな。
>>945の無知は甚だしい。

977:日本@名無史さん
06/11/05 19:33:00
>>976
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw

978:日本@名無史さん
06/11/05 19:35:51
昔、近江八幡に行ったとき山麓の居館の前方の城下に出城たいな寺が何件かあった
通りに面した所に櫓みたいな鐘楼があった
近世の寺かもしれんけど

979:日本@名無史さん
06/11/05 19:35:55
>>977=945
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw

980:日本@名無史さん
06/11/05 19:36:07
>>977
キチガイだと自己紹介せんでいいだろうにw

981:日本@名無史さん
06/11/05 19:37:27
>>979>>976>>947
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw

982:日本@名無史さん
06/11/05 19:38:47
>>970
電波乙wwwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。

983:日本@名無史さん
06/11/05 19:42:41
>>945>>977>>981
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw

984:日本@名無史さん
06/11/05 19:42:50
>>982
電波乙wwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
当然のことながら、居住区かどうか関係がなく
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。

985:日本@名無史さん
06/11/05 19:43:37
>>981
キチガイ乙w

986:日本@名無史さん
06/11/05 19:43:51
>>983>>979>>976>>947
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのww

987:日本@名無史さん
06/11/05 19:44:30
>>984
電波乙wwwwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格

988:日本@名無史さん
06/11/05 19:45:04
>>985
厨房必死すぎw

989:日本@名無史さん
06/11/05 19:46:32
>>945>>977>>981>>986
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのww

990:日本@名無史さん
06/11/05 19:47:15
>>988
必死だなキチガイw

991:日本@名無史さん
06/11/05 19:47:31
>>987
電波乙wwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
当然のことながら、居住区かどうか関係がなく
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。

寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。

992:日本@名無史さん
06/11/05 19:47:55
>>945は電波

993:日本@名無史さん
06/11/05 19:48:19
>>984が正論。

994:日本@名無史さん
06/11/05 19:48:53
>>945の池沼さが笑えるwww

995:日本@名無史さん
06/11/05 19:49:20
995

996:日本@名無史さん
06/11/05 19:49:49
>>945は無知なだけw

997:日本@名無史さん
06/11/05 19:51:05
?

998:日本@名無史さん
06/11/05 19:51:46
>>991
電波乙wwwwwww

寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。

寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格

999:日本@名無史さん
06/11/05 19:51:53
>>945が敗走w

1000:日本@名無史さん
06/11/05 19:52:02
997

1001:1001
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。


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