06/06/23 19:29:45
>>108 いえそれでなくて安本美典「日本語の成立」の中にあるグリアソン
監修「インド言語調査」によるもの
日本語 足 目 口 歯 毛 頭 舌
ボド語 atheng megan khuga hathai khenai khara sila
のような単語です。
その他のビルマ語群に手、鼻、腹、背に類似するものもあるそうで。
110:がいやまん
06/06/23 20:15:43
>>106
馬家浜文化が喜界カルデラの影響を受けていないということが積極的に立証
することが重要になりますね。BP6300年の前後にかけて何の変化もなく継続して
いることの立証ですね。場所的に長江から何キロメータ程度で、海抜何メータ
程度のところであるか。Periodizationは国際機関によって確認を受けているか
も重要です。
111:日本@名無史さん
06/06/23 22:01:06
>>110
浙江省、嘉興県馬家宝は、上海の西南約100キロの揚子江デルタに位置していて、
海抜はかなり低そうですね。
嘉興県は、水が豊かで、まさに「水郷」といった風情です。
うーん…
年代としては、河娒渡→馬家浜ですからねぇ。河娒渡の文化を
受け継いだのが馬家浜になります。
当時の海抜がどうだったのか、また探してみます。
112:日本@名無史さん
06/06/23 22:07:58
>>109
これかな?
URLリンク(yamatai.cside.com)
日本語、ポド語群、ナガ語群、クチ・チン語群、ビルマ語群、
113:日本@名無史さん
06/06/23 23:13:46
>>112 yes.that's right.
マレー山地民の方では体 krad 肝 kemod などがあったように思う。多分、
大野晋の若い頃の本に出ていた。
114:がいやまん
06/06/24 11:21:19
BP6300年の喜界噴火の火山灰は東北までの日本全土を覆うものです。すまりこれは
ジェット気流に乗ったもので季節的に冬場であったのかもしれません。とすれば
日本で行われているようにアカホヤ(喜界テフラ/火山灰)層で長江河口デルタ
地帯を調査することは無理かもしれません。おまけに喜界カルデラは長江の
真正面ですからシミュレーションによれば九州南部でスマトラ沖の3倍の30m
の達した津波は長江下流では50M,上流では100Mをこえ、高山を崩しながら山峡
を重慶の方向に侵入していったものだと思われますが、このときほとんどの文明は
ノアの洪水神話のように水中に没したものと思われます。しかし、この津波の去った後
たとえば露呈した海底からの火砕流が上陸した鹿児島でも時をおかずに東北の
縄文人が入ってきています。これは照葉樹林の回復、成長が早かったことと、当時の
文化が照葉樹林と深く関係していたからで七以下と思っているんですが。
115:がいやまん
06/06/24 11:35:59
弥生時代に中国から朝鮮半島経由日本に流入する水稲文化はY-Hg O-47ですが、
これに先行してY-Hg YAP-Dが陸稲を持って日本に入ってきたということも考えられます。
栽培方法はかなり異なるんですが、陸稲の方はサルタヒコ神社の分布のように山奥に
向かっている。つまり、Y-Hg YAP-Dという受け皿があって、これが先兵となりY-Hg O-47
を導き、時の応じては種子を分け与えたり、協力したということではなかろうかとおもって
いるんですが。
116:日本@名無史さん
06/06/24 14:33:36
>>114
ここ↓では、7000~5000年前になってますが、河娒渡文化がBC6000~BC5000頃に
栄え、それを継承・発展させる形でBC5000~BC3000頃繁栄を極めたのが馬家浜文化
だとすると、時期が接近しているので、津波の影響がどの程度のものだったのかが
よく分からなくなるんですよね…
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
117:日本@名無史さん
06/06/24 14:40:44
喜界カルデラの爆発は、6300~7000年前ですよね?
118:がいやまん
06/06/24 15:09:28
URLリンク(www.volcano.si.edu)
6300年前、つまり、BC4300年頃でしょうか。日本中部、南部の無人化が数世紀
継続したとなってますね。
119:がいやまん
06/06/24 15:12:22
>>116
単なる中国発表資料であり、日本で喜界カルデラ影響をシミュレートして整合させた
ものではないですね。
120:がいやまん
06/06/24 15:24:04
ジーコさんに日本人は何をやらせても。国際的プロ精神とは何かがわかっていないよう
だといわれそうな木がする。
121:日本@名無史さん
06/06/24 18:25:12
>>119
長江流域の発掘調査には、日本の学者も調査協力しているので、どうなんでしょうね…
中国側が、諸般の事情により、遺物の年代などで明らかに間違っていても譲らない場合
があったと聞いています。後に少しずつ訂正して歩み寄ったようですが。
122:日本@名無史さん
06/06/24 18:45:45
何かあったじゃない。子供の頃読んだ日本の神話。
神さまが天からドロをポタポタと落として日本の国土ができたって。
どうせのことなら、もっと沢山ドロを落として、
もっと大きな国にしてくれたら良かったのに!
123:YAP?
06/06/24 19:57:27
HLAの話ですが、今月の『日本内科学会雑誌』(平成18年6月10日号)に
DPB(び漫性汎細気管支炎)の疾患感受性に関する記事が載っていました。
DPBは、日本人、韓国人、中国人などの東アジア人に多いことは知られていますが、
その原因遺伝子が、HLAのクラスⅠ抗原のA座とB座の間に存在するらしいとのこと
です。
問題は、日本人では,HLAーB54と関連が強く、韓国人ではHLAーA11との関連が
強いことであり、これによって、HLAのA11やB54が、原因遺伝子ではなく、その近傍
(A座とB座の中間領域のどこか)にDPB原因遺伝子が存在することが確認されたことです。
韓国人でDPB患者とHLAーB54とは無関係であった。
ただしこの論文で日本人では、HLAーA11とDPBの相関については記載されていません。
この論文の著者(土方美奈子、慶長直人)は、東アジア人,或いは日韓共通の祖先集団の中に、
HLAーA11-DPBにかからない正常遺伝子ーB54と言うHLAハプロタイプを持つ祖先が居り、
そのハプロタイプが突然変異により、HLAーA11-DPB感受性遺伝子-B54となり、更に、
遺伝子組み換えが日韓で別々に起こり、日本では、A24-B54に、韓国ではA11-B62に
DPB遺伝子が組み込まれているとかんがえています。
(実際には、B55も関係しているようで、話はもう少しややこしいですが、まあ、大略こんなものでしょう)
HLAーA24-B54-DR4(DRB1*0405)は、徳永勝士氏の昔の論文では、
日本人のHLAハプロタイプの第四位の頻度を占め、大体3、1%~3、7%と言った所です。
HLAーA11-B62-DR4(DRB1*0406)は、日本人の第8位の頻度で
1、2~1,9%とされています。
徳永氏のデータで、A11-B62-DR4もそこそこ日本に存在するので、これはかなり
後代からの半島からの移民でしょう。
それに比して、A24-B54-DR4は、基本的には、日本国内で組替えによって生じた
ハプロタイプでしょうから、北方出自ではあるが、長く日本に住んでいた集団と言うことになります。
124:日本@名無史さん
06/06/24 20:03:28
単純に昔の部族間抗争が負けた方皆殺しだったからじゃないのか
わずかな個体が
追われて島や高地へ逃げて細々と生き残ってるだけ
125:日本@名無史さん
06/06/24 22:28:36
>>114
喜界噴火による被害が甚大であったとすると、台湾や海南島の被害も、
甚大であったのだろうか?
126:がいやまん
06/06/24 22:40:52
火砕流が九州に到達するんだからね。しかし、台湾は地震の被害程度かな。
花蓮あたりでも岩壁が多いもんね。海南島はせいぜいスマトラ沖地震程度では
なかろうか。九州でスマトラ沖地震の3倍の30M程度の津波。沿岸部は全滅だろうね。
何メーターもの火山灰だ。北海道まで降ったんだから。四国は何世紀も死の島だろう。
127:日本@名無史さん
06/06/24 22:43:26
>>123
半島からの移民と言うより、最初からB52-DR15集団と混成していた
半島に定着せず素通りしてきた北方からの移民だろ。
128:日本@名無史さん
06/06/24 22:44:13
↑PU
129:日本@名無史さん
06/06/24 22:47:09
↑ニダ
130:日本@名無史さん
06/06/24 22:53:34
↑
ニダ
131:日本@名無史さん
06/06/24 23:01:46
↑
よりめビビンバ
132:日本@名無史さん
06/06/24 23:03:56
平安京は世界で何位の都市だったんですか?
133:日本@名無史さん
06/06/24 23:08:01
思いつくだけでもバグダード、長安、あとどこかあったっけ?
134:日本@名無史さん
06/06/24 23:16:09
平城京や平安京に病院、宿泊施設、市場、などの公共施設は
整ってたのかな?
135:日本@名無史さん
06/06/24 23:35:45
知ってる範囲内では、新益京(藤原京) 平城京 長岡京 平安京 太宰府
十三湊(西の博多に匹敵)くらいかな。
あと何か都市はあったっけ?
136:日本@名無史さん
06/06/25 07:09:39
>>126
スマトラ沖地震「程度」でもかなり巨大だよ。
海南島の風俗は、「魏志倭人伝」の倭人の風俗に似ていたそうだから、
海に面した場所に住んで、漁などをしていたのではないだろうか?
だとすると、かなり大きな被害を被った事になる。
壊滅的打撃を受けた部族がいた事は、想像に難くありません。
137:がいやまん
06/06/25 07:58:58
中国の伝承では揚子江は逆流し、不周山は崩れたという。揚子江はカイショウといって
毎日逆流するが、それを巨大化したようなものだね。ユカタン半島に天体が衝突した際
メキシコ湾」から北米を縦断した津波は1000Mの高さがあり、恐竜など地球生命の
一新があり鳥が生まれるというがよく似たものだ。
138:がいやまん
06/06/25 08:06:45
中国の伝承は地軸が傾いたようなことを書いてあるが、宇宙船の船室で巨大なおなら
をしたようなもんだから必ずそれは起こるだろう。ただし地球はジャイロだから自分で
調整するだろうが。
139:日本@名無史さん
06/06/25 09:51:51
>>137
古代史の嘘を見抜く必要がありそうだね。
140:がいやまん
06/06/25 10:53:30
もう、古代史ではないよね。非常に奥地の少数民族の伝承とかに頼るほかはないんじゃ
ない?
141:日本@名無史さん
06/06/26 18:24:15
「共工氏」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
羌族が、共工氏を信奉していたのではないかという話もある
そうです。
142:がいやまん
06/07/01 22:17:58
津波の破壊は揚子江と黄河の両方に及びヤンシャオ文明のテキ、羌の祖先
をしてチベット・雲南奥地に移動させたと考えると現在のYAP-Dの移動と
整合する。また、このときに内蒙・遼東へYAP-D倭人の移動が開始され、
これが三内丸山時代につながると想定してみたい。
143:日本@名無史さん
06/07/01 22:27:44
チベットが移住したのは、新勢力によって中原から追い出されたからでは?
144:がいやまん
06/07/01 22:40:04
中国PGFではおっしゃるような動きが内蒙からターリム盆地方面に向けてあったように
なっている。しかし、テキ、羌の祖先の南方への移動を5-6千年前のこととしている。
少なくとも中原ではなく楼蘭あたりのことのようだ。例の小河墓遺跡の下層にまだ何か
あるのかもしれない。
145:がいやまん
06/07/01 22:43:07
ソース
Wei Deng A Baochen Shi A Xiaoli He A Zhihua Zhang
Jun Xu A Biao Li A Jian Yang A Lunjiang Ling
Chengping Dai A Boqin Qiang A Yan Shen
Runsheng Chen
Evolution and migration history of the Chinese population
inferred from Chinese Y-chromosome evidence
Received: 1 December 2003 / Accepted: 19 March 2004 / Published online: 2 June 2004
The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag 2004
146:日本@名無史さん
06/07/02 07:18:02
↑
リンク先はどこでしょう?
147:がいやまん
06/07/02 07:55:06
URLリンク(library.ibp.ac.cn)
IE履歴に残ってました。↑
148:がいやまん
06/07/02 09:19:20
>>144
PDFと打ったつもりがミスタイプ。 DIは狄ではなく、テイ(氏に横棒)かもしれない。
中国語はアスキーではだめだな。
149:日本@名無史さん
06/07/02 10:04:00
>>148
氐族の事だろうか?
URLリンク(ja.wikipedia.org)
チベット系で、青海省周辺に存在、BC2C頃に遊牧するも、東へ移動。
150:がいやまん
06/07/02 10:37:56
なるほど、羌低族なら長城建設の苦役を強いられた挙句、秦氏の群れと共に
日本に入るというシナリオができますね。案外こんな時代のことをあたかも日本の
縄文時代に起きたかのように妄想している、つまり、何千年も続く何度にもわたる
分岐した、時代別に異なる、遺伝子の渡来を日本でのみ発生したと勘違いしている
筋があるんじゃなかろうかという気がしますね。
151:日本@名無史さん
06/07/02 10:48:49
辰韓(秦韓)は、秦・趙・斉・燕・韓などからの亡命者に与えられた国
でしょう。(後に一部が、新羅に発展)
縄文由来のYAP+とそれ以降の断続的な渡来によるYAP+があるんだろうか?
日本列島における遺伝子のタイプにバラつきがあるようならば、縄文由来の
ものと、断続的渡来(チベット系など)によるものが存在すると考えられる
かも知れない。
152:がいやまん
06/07/02 11:14:29
↑たとえば、支石墓の伝播を考えるときに、縄文末から飛鳥石舞台までの間のさまざま
な、現地においてすでに突然変異による枝分かれをしていた、同祖遺伝子が時間差進入
をしてきたということもありえるかなとおもいます。YAP+というのは羌・テイのような非農耕、
日本神話で言えば、サルタヒコ、天狗といった山岳関係と関係するのかもしれません。
153:がいやまん
06/07/02 11:22:45
宇宙から見える唯一の重厚長大設備、頂上とか、ナイルのピラミッドとかに動員される
非農耕マンパワーを事業終了後どのように収拾さすかを考えると、日本の古墳ぐらい
うってつけのものはなく、ピラミッド事業の収拾には欧州巨石文化があったのかもしれ
ません。韓国、中国にYAP+はまった残らず日本に飲み残る謎を解く鍵はこの辺にある
のかも。古墳も、長城も山岳、傾斜地土木という点では一致しています。古墳の始まる
前に日本では高地性集落が発展しましたが、これもそうした失業対策事業的要素がある
のかもしれません。弁辰の鉄生産も叱りです。
154:がいやまん
06/07/02 11:38:09
話は変わるが、喜界カルデラ爆発の津波はシミュレーションではインド洋の3倍の30M
というものですが、渤海湾は遠浅で、津波を上下に増幅した後、黄海でさらに縦横に増幅
広大な洪水をもたらし、それは神話に残るはず。ところがこれに関連しているのが羌族が
多いことより、YAP+保持者である羌族の山地への移動はすでに6300年前頃から始まって
いるともいえます。
155:日本@名無史さん
06/07/02 17:53:39
韓国映画よりも、香港映画の方が日本人っぽいというか
日本でよく見かける顔が多いと感じる。
156:がいやまん
06/07/03 11:23:34
>>145 >>147
この中国データには弥生時代に日本に入ったとされるO-47zについての記載が
全くないが、これは夏の時代に大陸にいたO-47z、倭人は中国に一切残らずに
日本に移住したということなのだろうか。するとこれは、中国人と祖先を同じくする
ものの別種であり、日本に移住した民族となる。
157:日本@名無史さん
06/07/03 12:00:09
>>155 広州へ行ったとき、おれが背広を着て人民帽を被っていると高校生
くらいの奴が指差しながら「ジンミンカイホーグン」とからかっていたが
日本人とまったく同じからかい方だったな。
158:日本@名無史さん
06/07/03 12:01:23
↑誘致チャンコロw
159:日本@名無史さん
06/07/03 13:13:10
>>156
一切かどうかはともかく、なんか中国側の政治的意図によるものじゃないか
という気すらしますねw;雲南とかは必死に調べていますが。
O-47zは、比較的重要な遺伝子だと思うんだけど…
160:日本@名無史さん
06/07/03 14:34:15
>>156
<<北大中文論壇>>
北京大学のブログですが、非常に有意義で興味深い議論がなされています。
(英文あり)Oの拡散についても触れていますね。
URLリンク(www.pkucn.com)
驚きなのは、赤の遺伝子図と科学博物館の「はるかなる旅展」の資料が
貼られている事。 ひょっとして、北大生は2ch見てるw?!
なんと「氐羌人后裔」(チベット系の末裔)と称する人が盛んに書き込んで
います!曰く「僕は、縄文人によくにている」そうです。
日本人とチベット人が分離したのはいつか?という事で大いに盛り上がっている
様子。北大生光臨しないかなぁ?
161:がいやまん
06/07/03 16:13:24
>>159
URLリンク(img438.imageshack.us)
これの日本22%、北東アジア0.7%、東南アジア0.6%で中国全体を織り込み済みというの
ならO-47zは根っから日本人のような中国系ということになりますか。案外マージャンの
配牌のようなもので最初の列島移住者から中国の牌もはいっていたということなん
かもね。
162:日本@名無史さん
06/07/03 16:17:08
まあ、チベット人は日本人と同じ呉服を着ているので近いのだろうな。
容貌は朝鮮人に似ていると思うが。
163:がいやまん
06/07/03 16:18:05
>>160
中国北西部と日本の旧石器時代の遺伝子構成が原始の形であり、それが
中国では歴史の波に洗われて日本的な構成がチベットとか雲南・四川方面に
残ったとも言えるのかも。
164:がいやまん
06/07/03 16:29:44
簡単に言えば、中国はOのチンイツで満貫を狙ったようなものとなりましょうか。
165:がいやまん
06/07/03 16:51:39
ただ、日本人、チベット人、中国南西部のYAP+のD型の欧州における兄弟分である
E型につき、最近、これのアフリカから欧州への拡大を新石器拡大、いわゆる、農業の
開始によるものではないかとする説があることで、そうしたイベントと同時期と考えると
細石刃という画期的技術革新が時代的の相当するのだが、現在ではどういうわけだか
日本のYAP+のD型は2万年前でその後細石刃時代、1.2万年前頃にC型が入ったのでは
とする説となっている。どうなっちゃってんの。
166:日本@名無史さん
06/07/03 17:51:10
>>163
件の北大生が、10000年前に、諸越(O1)、苗・瑶(O2)系の人口が急増、Oが拡散し、
この流れの延長線上に日本への上陸があったとしているようですね。諸説紛々
している印象ですけど。
>>162
いわゆる赤の遺伝子図ですが、中原に近いチベット人とラサのリアルチベタン
では、かなり異なってますね。ラサのチベタンは、日本人の構成比にそっくり
ですよ。中原に近いチベタンは、大方混血が進んだのでしょう。
167:日本@名無史さん
06/07/03 18:46:31
>>160
Q1(夏)、O2(商・楚)、O3(羌・周)、O1(夷・越)、D(氐・倭)、C(胡・狄)
と古代の呼び名で書いてある…
168:日本@名無史さん
06/07/04 00:17:57
北京大のは眉に唾つけて読まないといけないね。
169:がいやまん
06/07/04 05:57:14
とはいえ、Q1(夏)、O2(商・楚)、O3(羌・周)、O1(夷・越)、D(?・倭)、C(胡・狄)
これって傑作ですね。D倭とテイ、Cとはねー。ちょっと見直してみよう。
170:がいやまん
06/07/04 06:17:44
電波ごっこになるが、羌、テイ、倭はD、Cはマオリが東周文化と関係があり、
周、倭かなー。夢の世界のようなものだが。
171:がいやまん
06/07/04 06:23:33
C(胡・狄)、これは旧ソ連中央アジア、南シベリアのことであればわかる。
172:日本@名無史さん
06/07/04 07:06:52
>>168
無名の学生がバトルトークしているだけで、2chのこのスレとあまり
変わらない希ガスるんだけど(^^;)
173:日本@名無史さん
06/07/04 07:12:35
>>171
ちょっと考えたら、Cが胡・狄なのはいいんじゃないのしら…?
北狄は、北アジア系遊牧民だから。
174:がいやまん
06/07/04 07:58:03
Cは大洋州、北米北部、北アジアということだが、胡には多分にイラン的限定要素
があるのが難。狄のほうが近いかな。
175:日本@名無史さん
06/07/04 10:25:49
胡人
URLリンク(www.tabiken.com)
※イラン・ソグド系ばかりでなく、鮮卑、匈奴、柔然、勅勒などの外民族を
「胡人」と総称していたケースもあるらしいけど。
176:がいやまん
06/07/04 12:39:43
なるほど、日本語で言えば騎馬民族が近いのかも。ひょっとしてフンというのは
胡奴のことかも。
177:日本@名無史さん
06/07/04 14:16:09
古代の中国語の発音で、匈奴(フンヌ)でしょう。
178:日本@名無史さん
06/07/10 18:30:40
>>160
ブログというか掲示板が着々と更新している…
179:がいやまん
06/07/10 21:16:48
↑筒形罐、筒形圜底釜なんていってるが日本の古墳時代の特殊器台と関係ないの
かなー。
180:日本@名無史さん
06/07/10 21:51:57
特殊器台?
181:日本@名無史さん
06/07/10 22:06:26
>>179
個人的には、雲南省の青銅器に彫刻された帯羽人の方が興味深いです。
鳥取県淀江町角田遺跡の弥生土器に描かれた船+人物像にそっくり。
182:がいやまん
06/07/11 10:48:06
>>180
日本の建国は魏の建国とほぼ同じ頃ですが、それに先立って岡山県で
URLリンク(www.pref.okayama.jp)
こうした土器を供献する墳墓の建設があり、この集団が東海地方の集団と
合作で奈良県に巨大古墳箸墓の建設に着手するのは建国の直後と思われます。
筒状の宇宙像は夏・仰韶並行のアルタイ文化、ペトログリフに見られますが、
そうした思想が商末、周初内モンゴルにいた倭族に銅鐸等殷文化と共に吸収
され、その後九州に至るのかも。
183:日本@名無史さん
06/07/11 11:22:01
>>181
だったら雷文や龍文くらい伝えろやドアホ。
184:日本@名無史さん
06/08/07 19:12:47
がいやまんが来たら糞スレ化して終わり。
185:がいやまん
06/08/08 10:16:13
邪馬台国・大和朝廷以前の日本は世界史的レベル、それ以後は国際紛争を除いて
ほとんど日本史。世界史レベルの話でも日本としては何がおきたかと言うことが
世界にとって大事。日本の情報は世界史的にも貴重なものがある。特に北東アジア
全般に対してきわめて有益な情報源だと思う。漏れは、子供の教育もママならぬ
不完全な古代史をきれいにすることが何よりも先決と考えているんだが。
186:日本@名無史さん
06/08/11 01:26:15
何言ってるのかわからんし。
187:日本@名無史さん
06/08/11 16:53:26
BC11C頃の華中の長江流域はこんな有り様(嘲笑)
呉城文化 B1400?~B1000?
江西地方の文化はB3000年~B2500年頃の山背文化を最後に一時停滞していたが、
良渚文化や石家河文化の崩壊後に呉城文化が抬頭した。黄河流域とはまったく
異質の造形美術を特色とし、豊富な幾何学印文陶や釉陶のほか原始磁器も出土し、
中国磁器の源流に再考を促した。また符号を刻した土器や鋳型も発見され、
符号の総数は170を超え、12個を列記したものも出土している。隣接する湖南省
では1960年代に寧郷県で多数の貴重な青銅器が発見され、人面方鼎・四羊方尊など、
商文化を凌ぐ鋳造技術と独特の造詣を示していたが、このときには商文化の一分派
と認識された。1970年代に江西省樟樹市(旧清江)で発見された呉城遺跡の城壁址は
4万㎡で、地方的な政治中心のひとつに過ぎなかったと考えられる。
URLリンク(home.t02.itscom.net)
188:日本@名無史さん
06/08/11 17:22:45
>豊富な幾何学印文陶や釉陶のほか原始磁器も出土
>符号を刻した土器や鋳型も発見
>青銅器が発見され、人面方鼎・四羊方尊など、商文化を凌ぐ鋳造技術
印文陶、釉陶、原始磁器、鼎、尊・・・
BC11C頃の華中の長江流域の出土物は日本の弥生遺跡で
出土しないものばーっかり(嘲笑)
189:日本@名無史さん
06/08/11 18:13:56
日本史は2600年とか言う馬鹿が居ますが、
そもそも紀元前に「日本」と言う名称がなければ
紀元前の列島の人々は文字を使えなかった筈なので、
日本史と言う概念自体、成立しません。
日本と言う名称の由来は聖徳太子が隋の皇帝に送った国書、
日出処に由来するとされています。
つまり聖徳太子が生まれる前に日本と言う名称自体、成立していないのだから、
必然的に日本と言う国の存在も成り立たないのですね。
日本と言う名称を国号にした国が歴史上に初めて出現するのは、
大宝律令の時、西暦701年の頃だと言われています。
故に日本と言う国の歴史は1305年しかありません。
190:日本@名無史さん
06/08/11 18:16:17
ただ付け加えて置きますが、
日本は連合国に占領されていた時代がありますので、
連合国に占領されていた時代に国家の独立を失っていたのであれば、
日本史は空白の時代を抱えている事になります。
191:日本@名無史さん
06/08/11 18:20:02
では、日本と言う国が成立する以前、
つまり西暦701年以前には列島上には~国があったのか?
史記・漢書・後漢書・三国志・晋書・宋書には
「倭國」と言う名称の国があったと記されています。
しかしながら「倭國」は「Japan」のような他称でありますので、
西暦701年以前の列島上の人々の国の自称かどうかは解りません。
ただ「大和」と言う名称が存在するように、
自称でもある事は間違いないと存じます。
192:日本@名無史さん
06/08/11 18:22:02
古事記には「倭」と言う単語が使われていますから、
多分、自称でもあったと思うのですね。
193:日本@名無史さん
06/08/11 18:25:30
答え
Q.日本という国はいつ生まれたのか?
西暦701年。月日は解らない。
Q.日本という国を生んだ母体は何か?
史記・漢書・後漢書・三国志・晋書・宋書に見える倭國
Q.なぜ日本なのか?
東方の日の出る所と言う意味です。
194:日本@名無史さん
06/08/11 18:48:04
がいやまんってアホじゃないか?
第二次大戦の頃でさえ、日本は世界史の中で中心となれるような
存在だった訳ではない。
大体、倭国の時代は古代インドや古代ローマ、秦漢の方が
圧倒的な文明と国力を持っていた。
195:とりあえず
06/08/11 19:07:26
それが何か?
196:日本@名無史さん
06/08/11 19:19:07
倭国は独自の通貨を持たなかったが、
ローマ・秦漢隋は独自の通貨が既に流通していた。
特に古代ローマや中近東の古代通過を調べてみるといい。
人物の顔や動物がコインに彫られていて、
芸術性すらも高かった事が伺える。
当の倭国・日本はどうかと言うとコインに人物の顔を彫る以前に
独自通貨すら発行できていないまま・・・・。
秦の兵馬俑の圧倒的な造形技術の高さを考えると、
ハニワや土偶なんて小学生の図画工作の作品みたいなでき・・・・。
文明的に劣っていれば、独自通貨すら発行できてない訳だから、
倭国が凄かった訳ではない。
史記の成立が紀元前である事を考えると、
倭国が世界史の中に入るというのは一部の韓国人並みの妄言だといえる。
197:日本@名無史さん
06/08/11 19:41:01
取り敢えず2666年が経っているとしか言えんなぁ。
古代は紙媒体も貴重だったし、何より資料が少なすぎる。
それこそタイムスリップして神武天皇に話を聞かないとな
198:日本@名無史さん
06/08/11 19:58:13
以前から不思議に思っていたのだが、
なぜ神武天皇の即位を根拠に日本史が2600年以上と解釈できるのか謎。
神武天皇は即位しただけであって、
何らかの国を作った訳ではない。
大体、神武天皇が作った国の名称が解らないのがその証拠。
日本と言う名称が神武存命中に存在しなかった事を考えると、
日本など作ってないし、ましてや倭国が他称である事を考えると、
倭国自体も作ってない・・・。
天皇家の歴史が2600年以上と言うのならば支持できるが、
日本史2600年以上と言うのには矛盾が付きまとう・・・・。
199:日本@名無史さん
06/08/11 21:09:18
>>198 神武天皇が天下ったのはヤマトの国だろう。出発地は日向の国だった。
神武がハツクニシラススメラミコト(初めて国を支配した天皇)と名乗っ
ているのは国を作ったということだ。国名はヤマトで漢字では大倭を当てて
いる。
200:日本@名無史さん
06/08/12 02:54:27
そもそも支配と建国は違うのですが。日本語が解らないのですか?
神武天皇が平定して即位しただけを考えると、
神武天皇自体は建国も何もしてない。
建国した国の名称すら存在しないのだから、
神武天皇以前に国は既に存在していた事になる。
故に神武即位年を根拠に日本史の始まりと考えるのは誤りだな。
毛沢東のように国を作ったのなら話は別だがね。
201:とりあえず
06/08/12 07:36:59
196
そうだよね。日本の黎明期に強大な力持ってるわけ無いもんね
202:日本@名無史さん
06/08/12 07:58:55
>>189
「日本」という国号に正式に変わったのは、8世紀と新しい。
>紀元前の列島の人々は文字を使えなかった筈なので
ただ、1世紀には一部で使い始めていた可能性もある。
というのは、上表文を読み上げなければ、朝貢ができないからで、奴国の
使者もそうしたはずだからだ。(卑弥呼も魏に使いを送っている。)
倭人が「キンキラキンのハンコに彫ってある○○○○○って何て読むだ?」
と尋ねた記録は、無い。
203:日本@名無史さん
06/08/12 11:47:05
>>198
書紀の紀年は甚だ疑わしい。
崇神天皇が3世紀ごろだとすると、神武天皇は1世紀ごろと考えられる。
204:日本@名無史さん
06/08/12 14:23:04
>>200 毛沢東がシナを作ったのか?その語法から言えば、毛沢東は人民解放軍を
率いてシナを支配して中華人民共和国主席に即位しただけだろう。
神武も日向からヤマトに天下って、倭国を支配して王朝を開いたということだ。
205:日本@名無史さん
06/08/12 16:48:22
神武なんて100%嘘を信じれる人は悪徳商法の餌食にならないように気をつけてね
206:日本@名無史さん
06/08/12 17:01:14
>>205
寒い文章能力ですね。何が狙いか解らんけど、
サプライズならしっかり書けよ!
しかし此処の板全体に、レベル低くね?
馬鹿の自作が多いからな・・・
207:日本@名無史さん
06/08/12 17:58:05
神武を信じてるような程度のやつばっかだから..
歴史板なのに神話かよ..
208:日本@名無史さん
06/08/12 18:00:23
ちなみに天皇家の本当の先祖を追及するなら歴史
捏造の記紀の話は歴史じゃない
209:日本@名無史さん
06/08/12 18:12:42
奈良百済や朝鮮の先進文化などという捏造をいう朝鮮人といい勝負だ。
210:日本@名無史さん
06/08/12 18:27:21
東北に日の本の国ってのもあったぜ。
某電波によると日本の国名は「日の本の国」から来てるそうな。
211:日本@名無史さん
06/08/12 18:46:58
21:00 土曜プレミアム・特別企画・新グレートジャーニー・日本人の来た道
探検家関野が日本人のルーツを踏破▽悲運のモンゴル少女再訪…
アムール川の恐竜・凍結の間宮海峡サハリン残留日本女性の60年
壮絶!大自然の巣立ち・-40度感動のオーロラ・宗谷海峡
日本ではないが
日本人のルーツを知る手がかりとなる番組が今晩あるぞ、見れ。
212:日本@名無史さん
06/08/12 21:51:07
吉野ヶ里墳丘墓のルーツはどこなのか。中国・長江下流域の江南に多く見かけられる
土?墓(どとんぼ)(B.C.800~500)ではないかといわれている。(中略)
同じく「土?墓が墳丘墓の源流ではないか」という樋口隆康氏(参考文献5)が江南の
土?墓について書いている。少し長いが紹介したい。[江南の土?墓とは盛土墳で、
地上に埋葬したものである。中原の殷・周時代の墳墓は地下深く抗を掘って埋葬してあり、
墳丘を持たないのが通例である。墳丘は秦代以降に出現したとされるので、江南の土?墓
は中国における墳丘初現の例になるかもしれない]。「この土?墓は長江下流、特に
江蘇省南部の太湖周辺から浙江省杭州や安徽省屯渓までに分布している。すなわち呉越の地
である。丘陵から平野にかけて径15~30m、高さ2~3mほどの大小の塚が群在している」。
「この土?墓の盛土は版築ではなく一つの土?墓の中に数個の埋葬がなされている。それらは
地面に礫石を敷いたり、紅焼土を詰めたりして棺床としている。石を遺体のまわりに並べて
囲ったり、あるいは石室を築いたりしている。その石室も竪穴式と横穴式のタイプがある。
これらの土?墓はだいたい西周時代から春秋時代にかけてのものである」。「この墓から出土
する遺物は、印文硬陶と原始施釉陶が大半であり、また青銅器も出るが、中原の文物とは
異なった図文をもっており、銅剣は身柄一鋳のものである」。
URLリンク(www2.saganet.ne.jp)
213:日本@名無史さん
06/08/12 21:53:15
>この墓から出土する遺物は、印文硬陶と原始施釉陶が大半であり、
印文硬陶と原始施釉陶が伝わっていない事には一切触れない低脳学者のすっとぼけぶり(嘲笑)
214:日本@名無史さん
06/08/12 22:13:32
↑
9cmのチョン半島 火病中 凶暴に付き注意
215:日本@名無史さん
06/08/12 22:17:47
↑
実はコイツが江南誘致の南方人チャンコロ(大爆笑)
216:日本@名無史さん
06/08/12 22:24:20
うちの大学の中国人の教授がいってたけど
日本人てブータンに似てるらしい
確かにテレビでブータン人映ってたの見たら
朝鮮人や漢民族とちがって顔つきに違和感がナッシングだったw
こういうおっちゃん親戚にいるよなあって感じ
217:日本@名無史さん
06/08/12 22:34:37
中国人は日本人に似ているのは満州人だと言う人が多い。
218:日本@名無史さん
06/08/13 00:14:09
たまにインドネシア人やインド人に似ている日本人もいるが、シナ、朝鮮には
居ないな。
219:日本@名無史さん
06/08/13 00:44:43
>>217
北方誘導だなお前たちは、モンゴル人に近いと言ってやれ。
中共、ロシアぐるだからよ、またぞろロシア学者が何かぶち上げんでないのw
220:日本@名無史さん
06/08/13 02:48:22
日本にはパプアニューギニア人に似た天然パーマの人間も居るぞ。
221:日本@名無史さん
06/08/13 03:51:30
日本にはグリーンアイのモデルの子がいるよ
本人純粋な日本人だけどね!
222:日本@名無史さん
06/08/16 17:38:33
>>205-209
まだ神武が存在しないと確定したわけでもあるまいに。
「いない」「ない」と確定する事によって歴史を閉ざす事は愚考だと思うぞ
223:あぼーん
あぼーん
あぼーん
224:あぼーん
あぼーん
あぼーん
225:あぼーん
あぼーん
あぼーん
226:あぼーん
あぼーん
あぼーん
227:あぼーん
あぼーん
あぼーん
228:日本@名無史さん
06/08/16 18:27:55
>>1 日本だけでなくシナも朝鮮も起源などは分からない。ヨーロッパも
分からんだろう。
ヨーロッパ人にはホモサピエンスとネアンデルタール人の混血などという
説もあるらしいな。
229:あぼーん
あぼーん
あぼーん
230:あぼーん
あぼーん
あぼーん
231:あぼーん
あぼーん
あぼーん
232:あぼーん
あぼーん
あぼーん
233:あぼーん
あぼーん
あぼーん
234:あぼーん
あぼーん
あぼーん
235:あぼーん
あぼーん
あぼーん
236:あぼーん
あぼーん
あぼーん
237:”管理”人
06/08/20 13:29:29
暇なんだなあ、皆さん。
238:あぼーん
あぼーん
あぼーん
239:日本@名無史さん
06/10/10 18:31:11
URLリンク(www4.kcn.ne.jp)
240:日本@名無史さん
06/10/22 11:42:06
チョンコまるだしだから
241: ◆Fb4QGzCf6o
06/12/07 22:28:13
q
242: ◆Eqdq.7Hk3A
06/12/07 22:31:21
あ
243:日本@名無史さん
06/12/09 01:15:51
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、
何で印文陶や灰釉陶を含めた中国灰陶の技術が全く伝わっていないのかね?
何で中国青銅器に見られる篆書などの原始漢字の金文が一字も
伝わっていないのかね?
何で中国青銅器に見られる饕餮文、龍文、鳳凰文、雷文などの
文様の一つさえ伝わっていないのかね?
何で中国土器や中国青銅器を代表する鼎や鬲などの三足器形さえ
伝わっていないのかね?
その他、酒器も玉器も楽器も龍信仰も亀卜も何も伝わっていない。
渡海すると記憶喪失になって故郷の文化は全て忘れてしまうのかね?
何で弥生文化は朝鮮無文土器が影響した弥生土器と細型青銅武器と
支石墓なのかね?
これらは当時の満州を中心とした北方アジアから朝鮮半島にかけての
文化ですよ。
■弥生人中国説を瞬殺&再起不能するスレ■
スレリンク(geo板)l50
244:日本@名無史さん
06/12/17 22:54:58
245:日本@名無史さん
06/12/23 01:42:51
日本・オセアニア化政策 は韓国起源ニダ!<丶`∀´>
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)
246:日本@名無史さん
06/12/23 17:22:18
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
スレリンク(kyoto板)
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
スレリンク(history板)
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ
247:サガミハラハラ
06/12/23 20:21:29
従来は伊都国は糸島郡に存在し、平原あたりに王墓があったのではといわれている。
対して、伊都国は佐賀県多久市にあるとする派があり論争が続いている。
その論争の中で、糸島派は考古学に頼る傾向があり、対して多久派は文献にのみ頼ってきた。
これでは平行線をたどるばかりである。そこでどのようにしたら、相手を説得できるかと
考えてみたところ、多久派も遺跡等を捜せばよいと考えた。とはいっても、発掘を待つわけにも
いかず、かといって盗掘をするわけにもいかない。となれば、現地で遺跡と確認できるものを捜せばよいと考えた。
そこで多久盆地で伊都国王墓を捜し出せばよいと思いついた。
吉野ヶ里のような墳丘墓を多久盆地の中にみいだせばよいことに気づいたのである。(なぜもっと早く気づかなかったのであろうか)
そこで早速、多久伊都国王墓発掘プロジェクトを発足させることにした。
248:日本@名無史さん
06/12/23 20:58:09
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから有り難く思え。
太国語録
249:サガミハラハラ
06/12/23 21:57:17
多久伊都国王墓探索プロジェクトNO1
伊都国王の居館は判明しております。
多久市南多久町下多久字外廻庄集落延寿寺です。
墓はその周辺とも考えられます。