☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆at HISTORY
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆ - 暇つぶし2ch81:日本@名無史さん
05/10/17 11:53:26
鎌倉時代の話がしたいなぁ

82:日本@名無史さん
05/10/17 12:28:43
どうして荒れてるんだ?

83:日本@名無史さん
05/10/17 12:31:31
山野本人が立て逃げしたからだろ。
スレが軌道に乗るまでは、しっかり面倒みとけよ。

84:日本@名無史さん
05/10/17 13:20:25
鎌倉時代の開始は、1185年かな。

85:日本@名無史さん
05/10/17 13:54:45
いや、幕府成立は80年だろう

86:山野野衾代理
05/10/17 17:15:01
>>84>>85
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
>>1"時期は1192年~1333年ですが、"


87:日本@名無史さん
05/10/17 17:31:27
北条氏って優秀なの多いよな。


88:日本@名無史さん
05/10/17 17:51:02
まだ初々しいというか、擦れてないというか、バカ殿、暴君、色魔の類はいないですね。

89:日本@名無史さん
05/10/17 17:54:16
ごめん高時はいますたね

90:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/17 20:00:37
北条泰時は、『古今著聞集』では武内宿禰の生まれ変わりとされており、そ
の死が惜しまれていますね。『沙石集』では理想的裁判官。
時頼は、『徒然草』の逸話や『増鏡』などの廻国伝説で著名。
ほぼ同時代から、その才名と人格が好かれていたのでしょう。
どうも、時宗より父の方がこの手の逸話は多い様です。
高時は、元から犬を輸入する程の犬好きでしたが、それなりの教養はあった
様ですし、幕府が滅亡していなければ、ああまで言われなかったやも。

91:日本@名無史さん
05/10/17 22:46:13
何度更新ボタンを連打したって書き込みが無いものは無い。

仕方ないよね、誰も中世なんて興味ないし。

92:日本@名無史さん
05/10/18 11:23:41
中世は結構面白いと思うし、好きだけど?

高時は結構、政治にも取り組んでいたと思うけど。
北条一族があれだけ死んだのは、高時に求心力があったからだと思うが。

93:日本@名無史さん
05/10/18 11:28:43
敗軍の将は多くを語らず、いや語れないわけで、確かに集団自決は鎌倉武士の団結を物語る

94:日本@名無史さん
05/10/18 11:36:41
古代は全滅までは戦わない。
全滅まで、あるいは集団自決まで戦うのは中世的な現象。

95:日本@名無史さん
05/10/18 11:38:42
平安朝は死罪すらないわけで、北条はもののふらしい

96:日本@名無史さん
05/10/18 11:39:51
…馬鹿ばっかり。

おまいらもうちょっと歴史を学べと。

97:日本@名無史さん
05/10/18 11:43:50
>>96殿

貴殿の御高説を賜りたく存じます。。。

98:日本@名無史さん
05/10/18 11:44:33
平安時代は私的な死罪はあったぞ・・・

99:日本@名無史さん
05/10/18 11:48:29
無言で貼る

272 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/08/04 17:34


『拾遺往生伝』を見ると、地方で捕えた盗賊の首を刎ねるくらいの事は行われていたようですね。
他には手足の切断や投獄が行われました。 また『今昔物語集』などを見るに、郷・荘内での殺人には
地元民の意思による 処刑が行われたらしい。院政期の処刑の方法は、通常は木に縛り付けて射殺するもので、
武士であれば首を刎ねられたようです。 『今昔物語集』には参加を断るようなら首を刎ねるという主の命令に
逆らえず狩猟に参加して母の生まれ変わりであった鹿を射殺してしまった武士も登場しますが、掟は苛烈
であった模様。 『古事談』には、白河院が殺生禁断令を出していた時代に上からの命令で鳥を獲って捕まり、
「公の罰なら死罪にはなりませんが、私どもの間で重科といえば首を刎ねられることです。」と言った武士が
登場しますが、こちらは呆れた白河院の命によって流罪に処せられたそうです。『宇津保物語』には、
主の関白に「息子を見つけられなければ獄に下すぞ」と言 われた下人たちが「首を召されても構いません」と
答える場面がありますが、この辺りのやり取りは貴族と武士や庶民の意識の違いを示していて面白い。
公の死罪が無かったというのは仰る通りで、九条兼実もその日記『玉葉』の中で死罪を復活させた事が
信西の命を縮めたと述べています。もっとも頼長が勝利していてもやはり執行するつもりであったそうですが。

100:日本@名無史さん
05/10/18 11:55:06
鎌倉の切り通しには、武家の真骨頂が見える気がする。

101:日本@名無史さん
05/10/18 12:03:00
鎌倉は海に開いた港湾都市でもあった
実朝の大船はなぜ沈んだんだろうか?

102:日本@名無史さん
05/10/18 12:30:27
93 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/18(火) 11:28:43
敗軍の将は多くを語らず、いや語れないわけで、確かに集団自決は鎌倉武士の団結を物語る
94 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/10/18(火) 11:36:41
古代は全滅までは戦わない。
全滅まで、あるいは集団自決まで戦うのは中世的な現象。
95 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/18(火) 11:38:42
平安朝は死罪すらないわけで、北条はもののふらしい




さらしあげ

103:日本@名無史さん
05/10/18 12:32:09
投資顧問会社を経営している元彼Y(元暴力団員)との体験記です。
覚醒剤の売人・覚醒剤に溺れる人達・警察捜査情報横流し・未公開株詐欺の手口・二八商法に騙された人達・・・実話です。
URLリンク(hic.daa.jp)
人気WEBランキング日記部門1位
Yは、『俺は、綾瀬警察と、中央警察にスパイを置いているからな。情報
は、すぐに入ってくるんだよ。』
と、いっていました。
この後、Yは移動した覚醒剤を、他の暴力団員に売らせています。
その暴力団員も、また、会社の社員です。
私は、この時の出来事を、綾瀬署に確認しました。
確かに、誰か、Yに連絡した事実はあると、綾瀬署、捜査の高橋さんが
言っていました。
警察は、家宅捜査する前に、前もってYに情報を流していたのです。

104:日本@名無史さん
05/10/18 12:39:50
>>102
どこがさらしアゲなの?意味ワカメ

105:山野野衾代理
05/10/18 13:22:36
>>49
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
>>93
>敗軍の将は多くを語らず
『はじめてのことわざ』を購入されるか、国語の先生に伺って下さい。

>>95
>平安朝は死罪すらないわけで、
『嵯峨天皇の前も平安時代だよ』を購入されるか、歴史の先生に伺って下さい。


106:日本@名無史さん
05/10/18 13:29:35
山野が日本史を見捨ててたわけだ。
漫画レベルの知識しかない奴ばかり。

107:日本@名無史さん
05/10/18 13:30:22
山野さんはどうしたの?

108:北条高広
05/10/18 13:46:27
ごめんちゃい。

109: 
05/10/18 16:13:04
最近は漫画より大河のほうがひどいね・・・

110:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/18 17:45:28
集団自殺と言うと、平家・三浦・鎌倉幕府滅亡時が思い浮かびますね。
それ以前だと、『陸奥話記』の例もあります。
最後の一兵までという事であれば、『承久記』の伊賀光季や『義経記』の義経
一行が有名ですが(落伍者も相当いたとされている)、頼朝の挙兵後、衣笠
城にいた89歳の三浦義明が一人残って討死し、他の一族の者は逃れ出た
という話が『吾妻鏡』にもある様に、総力戦でも無い限り、城を死守する事
は無く、逃げるぐらいの柔軟性はあった様です。
一族滅亡時ともなれば、全員で死ぬしかありませんが、一行目に記した様
なそうした事態は、なかなかあるものではありません。
もっとも、全滅というか最後まで行動を共にしたのは一握りでしたが。
切腹の事例は、『続古事談』以降語られる様になりますが、鎌倉時代にはま
だ様式が定まっていなかったらしく、バリエーションが存在した様です。
平安時代も、院政期になるまでは無かったかもしれません。
胸を突いたり、首をくくったり、入水する方法もありました。
武士の刑罰として制定されたのは、伊勢貞丈も述べている通り意外と後に
なってからの事で、それこそ秀次あたりが古い例かもしれません。
家中の法として定めたのは、確認出来る限りでは加藤清正が最古らしい。

111:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/18 19:12:30
秀次より、信康の方が古いですね。この調子で遡れば面白そうです。

112:日本@名無史さん
05/10/19 10:47:04
切腹は中世からあったが、形式化したのは近世かららしい。
500石以上は大名などの屋敷内で、
それ以下は牢獄でしたとのこと。
木刀を腹にあて、その時介錯したようだ。

113:日本@名無史さん
05/10/19 10:53:53
平家は入水したが死に切れなかったものも多い。
女御たちはあの辺で売春を生業としたものも多かったとか

114:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/19 20:35:51
>>113
以前もそうした話を見た事がありますが、何が典拠なのですか。
近世の稗史か何かでしょうか。どうも売春(遊女カ)のイメージが、近世の
それという気がするのですが。それに、女御たちとは。

115:日本@名無史さん
05/10/19 21:15:35
典拠無しに妄想の翼を羽ばたかす香具師が
自分以外にもいるということが
それ程不思議なのか?

116:定 子
05/10/20 00:35:18
野衾さん。こんばんは!
質問ではなく、雑談のつもりなのですが、「姥捨て伝説」って実在したのでしょうか?山姥との関連は?
どう思われますか?

117:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/20 01:05:54
所謂「姥捨て」伝説には、難題を解いて解決する「難題型」と、
捨てに行った先で自分も捨てられると悟って止める「もっこ型」があります。
前者は『雑宝蔵経』に出て来る話で、『枕草子』が書かれた頃には、既に日本
の話として定着しており、その後も文芸の世界に行き続けました。
もっこ型の話も、『沙石集』に出て来ますが、やはり外来でしょうね。
実際に常態として行われた形跡は無い様ですよ。
山姥とは無関係かと。なお、山姥伝説は世阿弥の能に出て来るのが古い。

118:日本@名無史さん
05/10/20 13:05:56
日本は独鈷の形をした神国。

119:あぼーん
あぼーん
あぼーん

120:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/20 19:01:43
>>118
『沙石集』ですか。それとも、龍が支えていた当時の地図の解説ですか。
従来の蜻蛉説も歌論書などに出て来ますね。

121:日本@名無史さん
05/10/20 21:22:09
千鶴はどうよ?ネットで顔写真見ると座敷ワラシみたいだけど、動いてるところを見ると悪くない。

それどころか、愛撫を受けているときのウブな反応…頬を染めて肩ふるわせて、小さく「ン…」とあえぐ。
そして、スレンダーな裸体、薄い乳房!優しい固さを見せるクリがイイ!

イマイチだったのは喪失シーンだね。この手のアレにはありがちだけど、生理中でやんの。
痛がってたし血もたくさん出てたけど、破瓜血なのか生理血なのかわからん。処女でいてほしかった!

122:定 子
05/10/20 22:16:02
〉野衾さん
「姥捨て山」は、実在しなぃ。
。。していなぃ
と。思われますか?

123:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/20 22:32:46
>>122
そう思います。生活苦による捨て老人はありましたが。
生類哀れみの令が出た頃の何処か(仙台伊達家でしたか)ですから、時代は
ずっと下りますが、江戸の影響を受けてか、捨て親が禁止されています。
捨子や捨て馬を禁止した土地もありましたが、なんとか養える様であれば、
誰も最初から捨てはしません。

124:定 子
05/10/20 23:17:48
〉117
灰で縄をつくるエピソードですよね?釘とか ..
「楢山節考」って、読まれたコトありまつか?

125:日本@名無史さん
05/10/20 23:26:52
ん?

126:日本@名無史さん
05/10/21 00:04:05
スレ違い。

127:定 子
05/10/21 00:28:36
〉126
 
・・・
 

128:日本@名無史さん
05/10/21 00:40:45
>>127
嫌い。マジ!
大嫌い!
(`・π・)ノ⌒●
( σ ホンマニ キラィヤワ コノヒト

129:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/21 00:51:38
>>124
読んではおりません。まあ、この辺で。

130:山野野衾代理
05/10/21 06:15:26
>>129
”姥捨て”が実在しないというのならば、なぜ後世に逸話が残されるのだろう



131:日本@名無史さん
05/10/21 07:03:37
楢山節考の作者、草加市でダンゴ屋やってたなぁ。

132:定 子
05/10/21 07:03:55
〉130 代理どの
「姥捨て」のお話しは、定ちゃんのスレでしませんか?鎌倉あんま関係ないから ..

133:日本@名無史さん
05/10/21 12:22:24
>>120
行基地図。作られたのは鎌倉期か南北朝期。
日本は独鈷。中国は三叉独鈷。インドは五叉独鈷。

134:山野野衾代理
05/10/21 12:22:59
>>132
”定ちゃんのスレ”とは日本史板にあるんでしょうか?
もし日本史板にあるんだったら板の主旨としておかしいですね。
独善的なスレ運営はそれが許されている板でするべきです。

また話の流れでスレの方向性も変わるものです。
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆というスレタイで
いつの間にか新撰組の話になっていることだってあるわけで。
○○とは違うからと移動を勧めるのはどうか。

ということで、姥捨て山は私の祖母の実家に実在しましたので、
山野野衾 ◆a/lHDs2vKAさんはそれを論理的に否定して下さい^^

135:日本@名無史さん
05/10/21 13:17:50
3. 固定ハンドル(2ch内)に関して

スレッド
 固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、
自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板・PINKのなんでもあり板以外では、原則とし
て全て削除または移動対象にします。
URLリンク(info.2ch.net)

136:日本@名無史さん
05/10/21 13:57:02
姥捨山は、昔話・伝説の類じゃないの?

137:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/21 18:32:24
>>130
姥捨て伝承というのは、結局は老人を大切にするべきだという話です。
難題型は老人の智慧の大切さを、もっこ型は誰もが老いる事を述べている。
老人問題というのは、何も今認識され始めたものでは無い。

福祉関係で言うと、この時代には各寺院にも設けられていた悲田院が重要。
『徒然草』にも悲田院の上人が登場しますが、捨子や病人や老人を救済して
くれたものです。弱者を救う収入源を悲田、三宝の為のものを敬田と言う。
癩病患者の救済では、律宗の僧侶が有名。

>>133
金沢文庫や仁和寺にあるものが有名ですが、そうした説明は無かった様な。
独鈷云々は『渓嵐拾葉集』にも出て来ますが、それとも違う様です。
どれを参考になさったのか、お教え頂けませんか。

138:日本@名無史さん
05/10/21 18:54:20
山野もなんでこんなレベルの低い奴らの相手をしてるんだ…。

139:山野野衾代理
05/10/22 06:18:29
>>137
昔話の類を言っているわけではないです。
私の祖母の実家近くにある山に”姥捨て山”が実在したことを言っているのです。


140:日本@名無史さん
05/10/22 06:52:53
アホだこのこ

141:日本@名無史さん
05/10/22 09:50:21
井上三太さんとか山本英夫さんとか、一コマづつ写真を撮って描いてる作家さんも実際におられますよね。

名前: ももんじい | 2005年10月22日 午前 08時44分


142:日本@名無史さん
05/10/22 09:52:05
僕の先輩の先輩も死体洗いのバイトをしましたので実在します。

143:定 子
05/10/22 11:41:03
秋祭りの季節ですね。
近所の町内に「布団山車」という山車があって、(昨年の夏に越して来たので一回見ただけ ..)
この山車だけが、お御輿のかたちをしていて変わった動きをしていました。
お神酒だといって、道端で振る舞われていたビールを飲んで酔っていましたから、記憶が違うかも知れませんが ..
野衾さんも京都でしたよね?
布団山車をご覧になったコトがありますか?

144:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/22 13:47:13
>>139
貴方のお婆様の出身地や実態が分かりませんので、なんとも。

145:定 子
05/10/22 14:52:16
げっ!スルーされてる。
出禁っ?!
鎌倉しかダメなんかぁ~
ご自分のスレのスレ違いには、かなりお厳しぃのでつね ..

146:山野野衾代理
05/10/22 15:33:39
>>144
富山です。

147:日本@名無史さん
05/10/22 16:22:09
あんたねえもうちょっと民俗学とか勉強してきた方がいいぞ。
それともまさか、地名のことを言ってるのか?
そんなのなら、古くは古今和歌集に出てくる姥捨て山を始めとして日本全国にあるわい。

148:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/22 16:22:44
>>145
冨山ですか。ただ、具体的に町史などで確認がとれない事には。
あなたの仰る「習慣」の事実というものが、何時頃まであったのか、何によ
って知る事が出来るのかといった問題がありますので。

149:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/22 16:25:46
失礼。148は146氏宛てです。長野かと思いました。
147氏の指摘にもある通り、和歌で有名ですので。
それと、「具体的に」というのは希望であって、わざわざ貴方の個人的な情報
を暴こうというのではありません。
ただ、そうでなければ考えようもなく、なんと仰られましても「そうですか」
と申し上げる他無いのです。ご理解下さい。

150:定 子
05/10/22 16:49:55
山野野衾 先生。
さようなら ..
鎌倉総合スレのご繁栄を、お祈りしています。

151:日本@名無史さん
05/10/22 21:47:02
地獄の様相は「往生要集」のイメージと聞く。
源信はどこからそのイメージを持ちえたのか?

152:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/23 00:23:34
『往生要集』に、出典が記されています。
『智度論』、『瑜伽論』、『諸経要集』など。孫引きもしている。
しかし、名前の通りほとんどは浄土へ往生する要諦を記した書で、地獄に関
する記述は、ほんの一部に過ぎません。序盤だけです。
鎌倉時代の説話には、地獄までの距離を京都~鎌倉間と表現した例がありま
すが、地獄は十万億土の彼方の浄土よりは娑婆と近い世界と考えられており、
「他国」扱いされていた様です。これは中国の説話でもそうですが。

153:山野野衾代理
05/10/23 17:32:38
>>148
はぁ?
貴方は姥捨て山という存在を否定しているわけですよね?
町名を確認しようがしまいがまず姥捨て山の存在を否定しているわけですから、
そんなものを聞く必要があるのでしょうか?

祖母の実家である富山県の某地方で「姥捨て山」がありました。
はい、どうぞ。


154:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/23 17:55:08
>>153
実態も証拠も提出される事なく、その様に仰られましても。
それでは、「そうですか」としか申し上げられませんよ。
自分がそうだと言っているのだから認めろ、ではUFO談義と変わりありま
せん。否定も肯定も致しませんというか、私には出来ません。

155:山野野衾代理
05/10/23 18:26:26
>>154
仮にUFO否定論者なら
「それは○○であって、UFOではありません」と科学的に否定しますよ?
歴史は”科学的”に否定できないでしょう。
貴方の薄識分野で軽はずみに歴史を否定してもらいたくないだけです。


156:日本@名無史さん
05/10/23 18:34:20
山野もどうせならスルーすればいいのに。

どうせ富山の姥捨て伝説ってあれだろ、姥捨て駅があるところだろ。
典型的なもっこ型の伝説がある土地。
つーかこんなもん日本中にあるわアホ。
落ち武者伝説を真に受けるくらいのアホさ加減だな。

157:日本@名無史さん
05/10/23 21:08:37
山野野衾代理はよほど自分の祖母を山に捨てたいらしい

158:日本@名無史さん
05/10/24 01:36:21
おーれはあらしー

159:日本@名無史さん
05/10/24 01:36:51
でてこいさんや!
おれはここに居座ってるぞ!

160:日本@名無史さん
05/10/24 12:49:36
記紀を捏造したものとしての中世神話
海中の大日如来の印を独鈷の変じたもので探り当てる
最も記紀自体も胡散臭いがw

161:日本@名無史さん
05/10/24 13:44:36
●世界史雑談vs日本史雑談 お前らクタバレ●
スレリンク(whis板)


162:定 子
05/10/24 17:55:03
山野野衾 先生。
逃げたね ..

163:日本@名無史さん
05/10/24 19:24:43
>>162
逃げたのではないだろう。俺もスレッド立ててある程度まで行くと、流れに任せるよ。
あなたは >>143 で鎌倉とは関係ない話題を振って、山野から返事がないと、 >>145
もう少したおやかにすれば、山野も色々相手するだろうに。

山野も話題が姥捨て山になるとは思わなかったに違いない。
しかし姥捨て山の、山野の見解は出ているぞ。



154 名前: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日: 2005/10/23(日) 17:55:08 
>>153 
実態も証拠も提出される事なく、その様に仰られましても。 
それでは、「そうですか」としか申し上げられませんよ。 
自分がそうだと言っているのだから認めろ、ではUFO談義と変わりありません。
否定も肯定も致しませんというか、私には出来ません。

164:日本@名無史さん
05/10/24 19:32:26
山野は引退すればいいよ。

165:日本@名無史さん
05/10/24 19:45:40
とりあえず代理は氏ね

166:日本@名無史さん
05/10/24 20:03:10
>>162
あなた自身、碌に話題もふれない癖に「逃げたね」はないでしょうよw

167:日本@名無史さん
05/10/24 20:04:29
つーか、定は消えろ。

168:日本@名無史さん
05/10/24 20:26:36
おい山野、追い出された気分はどうだ?
悔しくて眠れないだろw

169:日本@名無史さん
05/10/24 20:27:44
世界史の雑談スレでは着々と日本史禁止の流れに向かってる。
もうお前の座る椅子は無い。

二度と帰ってくるな。




日本史ネタやめれw

170:日本@名無史さん
05/10/24 20:58:34
>>162
山野さんと祭りの話などをしたいのなら、雑談スレに行ったほうがよいと思います。
ただ、馴れ合いを過度に毛嫌いする人もいるので、その辺は気をつけて。


>>169
お前か。雑談スレなのに、日本史ネタ禁止など偏狭なことを言っているのは。

171:日本@名無史さん
05/10/24 21:02:09
>>170
別に俺だけじゃないし。

172:日本@名無史さん
05/10/24 21:29:51
荒らしてるのは山野信者だろ
いやっひーーーーー

173:日本@名無史さん
05/10/24 21:33:21
鎌倉幕府7代将軍源惟康は二度の元寇の時何やってたんですか?
北条氏って所詮は一御家人だよね。何故将軍が権力を行使出来なかったの?

174:日本@名無史さん
05/10/24 21:40:07
山野信者世界史雑談スレ荒らしにヒッシ!
これは報復措置と思え

175:日本@名無史さん
05/10/24 21:53:32
●山野信者の罪●

世界史板雑談スレにおいて…

日本史一色に染め、スレの荒廃を招いた
怒れる住民に追い出されたことを根にもちスレを荒らした
板違いなど存在しないと詭弁を吐いた


176:日本@名無史さん
05/10/24 22:14:51
ニュース議論板のサヨクコテハンで、天皇と上皇の区別がつかないアホがいた。

177:定 子
05/10/24 22:30:32
あの ..
〉162 が偽者なのですが ..
わたしは、その時間、残業してました 。。
ま。いぃけどw

178:163
05/10/24 22:43:19
>>177
そうだったのか


>>173
答えたいんだが分からない。蒙古襲来のときの執権は有名な北条時宗だよな。
執権政治とかいわれているけど、源氏将軍は何をしていたんだろうね。
って言うか、私は源氏将軍は3代で滅んで、将軍職もないと思っていたので、
鎌倉幕府7代将軍源惟康というのを見て、ビックリした。

179:やまんば
05/10/24 22:50:17
日本史板の住民を名乗る方が、私らの議論板に殴り込みに来ました。w

スレリンク(news2板)
>>370 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 01:03:01 ID:7NQafJV0
>>368
>幕府に反逆して島流しにあった天皇の事を知らないの?

>日本史板の者だけど、承久の乱で島流しになったのは、
>治天の君の後鳥羽と、順徳、土御門の3人の「上皇」だけで、
>当時在位していた仲恭天皇は島流しになっていないよ。

>あまり歴史には詳しくないみたいだけど、
>知ったかぶりや下品なレッテル貼りは止めた方がいいよ。

当時島流しにあったのは「上皇」だったから、「天皇が島流し
にあった歴史的事実はない」という珍しいご意見のようですが、
果たして、これは日本史専門の方々の「常識」なのでしょうか?

発言した方はすぐ逃亡した様なので、こちらの先生方のご意見を
お願いします。


180:やまんば
05/10/24 23:29:22
>>176
ああ、見落としていた。
「逃亡者」の方がこんな所でひっそり「sageて」いたのね。(藁

天皇と上皇の区別をどうぞ説明して下さい。



181:あぼーん
あぼーん
あぼーん

182:日本@名無史さん
05/10/25 00:44:24
現在6つの雑談スレが並立中
マジ笑えるwwwww

183:あぼーん
あぼーん
あぼーん

184:あぼーん
あぼーん
あぼーん

185:日本@名無史さん
05/10/25 11:29:46
鎌倉時代の話がしたいなぁ

186:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/25 18:48:03
>>160
とりあえず、『沙石集』巻1-1から。
「去し弘長年中に、太神宮に詣で侍りしに、ある神官の語りしは、
「当社には三宝の御名を言はず、御殿近くは僧なれども詣でざる事は、昔こ
の国いまだなかりける時、大海の底に大日の印文ありけるによりて、大神宮
鉾さしくだして探り給ひける。その鉾の滴り、露の如くなりける時、第六天
の魔王遥かに見て、『この滴り国と成りて、仏法流布し、人、生死を出づべ
き相あり』とて、失はんために下りけるを、大神宮、魔王にあひて、『我三
宝の名をも言はじ、身にも近けじ。とくとく帰り上り給へ』とこしらへ仰せ
られければ、返りにけり。(中略。それで伊勢では表向き仏を拝まない)
都ては大海の底の大日の印文より事興りて、内宮・外宮は両部の大日とこそ
申し侍れ。天磐戸と云ふは都卒天なり。たかまの原とも申す。」

こうした逸話のせいで、中世には天照を対象とした起請文が却下される事も
ありました。実際には、時折見かける事もありますが。
「そらごと」を口にした神とされた為です。

187:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/25 18:55:00
>>178
四代目の三寅(藤原頼経)は有名かと。寅の年・日・刻の生まれ。
源氏三代、藤原二代、親王四代です。惟康親王は、一時後嵯峨源氏。
執権としては、元々時宗より父時頼の方が「鉢の木」などで有名だったので
すが、分からないものですね。時宗の方が逸話に乏しい。
時頼の廻国伝説については詳細に記した『増鏡』も、元寇に関しては比較的
軽い扱いで済ませています。

突然ですが、悪口のお話を。鎌倉時代までに存在したものでは、ヲコノモノ、
シレモノ、ホンヂナシ、タワケモノなどがありました。
「馬鹿者」という言葉が出て来るのは、南北朝時代からですが、鎌倉時代末期
には、使用されていた可能性があります。
しかし、仏典に出て来る「莫迦」=痴愚が語源という説はどうもおかしい。
古くは近世の随筆『塩尻』などに出て来る説ですが、中世には今の様な頭が悪
いという意味では無く、「狼藉者」という意味で使用されていました。
近世の書で中世を語った時、両者の用法が混在している例もあります。
とにかく、「頭が悪い」という意味の仏典説は成立しません。
時々わざわざ「莫迦」の方を使用している物書きがいますが・・・。
秦の二世皇帝の時代に、馬と鹿を引き出してという逸話も有名ですが、これ
も「愚か者」という意味ですから、成立しません。
これに由来する言葉は『江談抄』に見える「馬鹿」で、読みはバロク。
物のあやめがつかないという他に、奸臣を指す場合にも用いられました。
では本当の起源は何かというと、これがまたはっきりしませんが、白居易の
詩に由来するとも、仏教説話の故事に由来するとも言います。
それで、物は相談なのですが、どなたか世界史板の劉邦スレの>99氏にこ
の事をお伝え頂けませんか。書き込めないもので。

188:やまんば
05/10/25 20:39:49
>>176
天皇と上皇の区別がつかない人間(日本人)はアホ、と言い切る以上は
それを説明できないこのスレの日本史の先生方は皆「アホ」という認定で
よいかな?(藁



189:日本@名無史さん
05/10/25 20:46:09
>>188
禿げしく桶!

190:日本@名無史さん
05/10/25 21:15:32
>>188
天皇が息子などに代を譲って、引退しすると上皇になるの。
上皇には「天皇より上」の意が含まれている。
妻の立場の人は「皇太后」と呼ばれる。



これぐらいは日本史研究者は必須のこと。
多分、質問スレで質問しなさいということでしょう。

191:やまんば
05/10/25 21:25:42
どうも回答を有り難う御座います。

では、その日本史研究者の中では、

<幕府に逆らって島流しにあったのは「上皇」であるから、
「天皇」が島流しにあった歴史的事実はない>

という事が一般常識なのでしょうか?

192:日本@名無史さん
05/10/25 22:11:09
>>191
まぁ、一般常識かどうか、はともかく、
無邪気に「島流しにあった天皇がいる」というと
叩かれるでしょうね。

検討の対象になるのは「元弘の乱で、鎌倉幕府に敗れた後醍醐天皇が
隠岐に配流された」ケース。
配流されるにあたって彼は退位させられ、光厳天皇が位についているので、
幕府により「天皇ではなく上皇として」配流された、ということができます。

しかし、後に鎌倉幕府は足利尊氏などによって滅び、
後醍醐が京都に還御したあとは、光厳天皇の即位は「なかったこと」と
されてしまっているので、後醍醐本人の主観と、その後の政治的建前からいうと、
「天皇が、隠岐島に行幸していた」という話になってしまったわけです。

この史実を牽強付会すれば、「天皇が島流しにあった例」とすることもできるでしょうが、
まぁ、島流しにあうようなときは、「天皇」ではいられず、「上皇」にされてしまう、
とするのが順当でしょう。



193:やまんば
05/10/25 22:53:04
>>192
どうも回答を有り難う御座います。

ふむ、そうすると私の「無邪気な」記述が2ちゃんらーの日本史専攻の
方々から「叩かれる」のは当然としてもw、大学入試の試験問題などでは、
「後醍醐天皇が元弘の乱の敗北によって隠岐島に配流された」とかいう記述は
間違いという事になり、「後醍醐<元>天皇(=上皇)が承久の乱の敗北によって
隠岐島に配流された」が唯一正しい記述という事になりますね。

う~ん、そっか、後醍醐上皇と書かなければやはり間違いだったのかあ??(w

194:やまんば
05/10/25 22:56:18
この記述↓も間違いですね?

>後醍醐天皇 ごだいごてんのう
>1288~1339 第96代とされる天皇。在位1318~39年。
>1321年(元亨元)には父の後宇多天皇の院政を廃して朝廷内での天皇親政
>を確立、公家社会の家格にとらわれず吉田定房・北畠親房・日野資朝(す
>けとも)らの人材を登用した。親政機関である記録所を復活するなど政治の
>革新につとめ、武芸や学問の振興をはかった。やがて鎌倉幕府の打倒を
>計画し、24年(正中元)正中の変、31年(元弘元・元徳3)元弘の乱に失敗して
>隠岐にながされたが、護良親王や楠木正成らの反幕勢力が力をえると脱
>出して討幕運動を指導。足利尊氏らの協力で幕府をほろぼすと、帰京して
>政権を樹立し、建武の新政を開始した。
"後醍醐天皇," Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2000. (C) 1993-1999
Microsoft Corporation. All rights reserved.

195:やまんば
05/10/25 23:12:17
>>192
>この史実を牽強付会すれば、「天皇が島流しにあった例」とすることもできるでしょうが、
>まぁ、島流しにあうようなときは、「天皇」ではいられず、「上皇」にされてしまう、
>とするのが順当でしょう。

ふむ、そうすると確かにある大統領が銃撃にあって暗殺された場合、その死亡確認と
時期大統領の指命によって、間もなく「元(前)大統領」の肩書きになることは間違いありませんが、
そうすると歴史書の記述でも、「ケネディ大統領は暗殺された」というのは誤りで、正確には
「ケネディ<元>大統領が暗殺された」と書くべきなのですね?(藁

196:日本@名無史さん
05/10/25 23:36:06
日本史板住人のひとりとして保証する。
この問題はやまんば氏の完全勝利。

197:日本@名無史さん
05/10/26 00:00:06
まぁ195をみるかぎりではパラノイア系だがな・・・
もうちっと弄ったらどうだろうか>ALL

198:日本@名無史さん
05/10/26 00:05:01
>>195
いや、ケネディ大統領は撃たれた時点でも「大統領」でしょ?
で、副大統領が一旦職務を代行して、その後大統領になる。

後醍醐天皇は一旦、上皇とされてから、配流されている。
配流されてるときには天皇は別にいる。
これは淡路廃帝といわれた淳仁天皇も同じ。
さらにいえば、後醍醐天皇は、「あれは配流ではない。行幸だった」
って言ってるわけで。

つまり、天皇はいきなり「配流させられる」のではなく
「退位させられる」→「配流される」という手順を踏むということ。
そういう厳密なことを言ってるんですよ。
この違いを「屁理屈」と笑うか、きちんと踏まえるか、は、
論ずるときのTPOによりますよ。

辞書の記述とか、試験の正解レベルでは「後醍醐天皇が配流された」で結構。
あなたの記述で正解です。
だが、天皇と上皇の違いを論ずる場合には、>>192でやはりそう間違ったことを
言っているとはおもえないんですがね。

荒しにマジレスしたのが失敗だったな。半年ロムってくるわ。

199:日本@名無史さん
05/10/26 00:09:46
北朝鮮による拉致被害者とその家族に
罵詈雑言浴びせて喜んでる左翼系の基地外コテハンらしい。
しかし、今時「藁」ってw

200:日本@名無史さん
05/10/26 00:12:27
>>198
横レスですまんが
最近の中学受験では
以前
十七条憲法を制定したのは  聖徳太子
だったのが、今年は     厩戸皇子
になってるらしいがそういうようなことか?

201:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/26 00:14:54
>>198
同じ行動はとれませんでしたが、貴方が行動をおこされた事を、賞賛致します。

>200
そもそも、十七条憲法自体後世の作と見做されるのでは。
しかし、変化するものですね。

202:日本@名無史さん
05/10/26 00:18:53
>>198
屁理屈

203:日本@名無史さん
05/10/26 00:22:08
>>201
学校の試験なんてものはそこまで踏み込んではいけないものなのかも
知れませんね。歴史マニアみたいな同級生が問いに対する回答が
間違っていないと日本史の先生に喰いついていたことがありましたが
結果却下されました。一般的にそうみなされているものが正解と
されるのもおかしな気がしますが、時代によって試験の内容も回答も
変遷してくるものなのですね。

204:日本@名無史さん
05/10/26 00:23:27
>>200
えっとですね。

受験とか試験とかは、もともと
「出題者の期待する正解」が存在するんですよ。
だから、その中学がいわゆる一般常識を期待しているなら、どっちも正解でしょうし、
その中学が、日本史の最新(?)かつ厳密(?)な知識を求めているなら、
聖徳太子と回答すると三角というか、減点するかもしれないですね。
しかし、赤本(中学受験であるのかなぁ)とか模試なんかでは、
後者を模範解答として記載しておくべきでしょうね。

>>201
スレ汚し、申し訳ございません。

>>202
確かに政治史的にみれば屁理屈として無視すべき場合もあるでしょうね。

205:日本@名無史さん
05/10/26 00:32:37
>>201>>204
解りやすい説明ありがとうございます。
>>203のように中学でもその時点での正確さで回答したのに×だった
生徒が先生に抗議したところ、目の前で解答用紙を破られ減点されたと
いう話も聞いたことがある(隣のクラスだった)
「なるほど」と○にする先生もいるから先生の器にもよるものかな。

206:やまんば
05/10/26 00:37:58
>>196
あ、どうも。有り難き御言葉、痛み入ります。w

まだこの後にもいろいろ反駁もありそうなので、「完全勝利」は後日の愉しみに
取っておきますよ。(まだまだやる気!藁
今晩はコレで寝ますので失礼致します。

207:日本@名無史さん
05/10/26 00:40:48
>>206
。のあとにwなんだ(何気にプ
しかも藁も忘れてはいないw

208:日本@名無史さん
05/10/26 00:43:30
荒しの相手をする人も、荒しです。

その伝なら、>>198なんかは究極の荒しだな。

209:やまんば
05/10/26 00:49:09
>>199

ニュース議論板方面から流れてくる学問板に無縁(「無用」)のアラシにご用心!!w

210:日本@名無史さん
05/10/26 02:43:24
>>208
オマエモナー

211:日本@名無史さん
05/10/26 07:03:48

「日本史で話題提起すんな。ここは世界史板だ」

おぎまる
「雑談スレでの日本史は板違い」 「テンプレで規制」

とてた
「このまま(山野派跋扈状態)であればIDを導入するべき」

犬童知遠
「日本史さんたち、やりすぎですね…」

カラジチ
「規制やむなし」

Ryuju
「山野さん達が追い出されるのは当たり前。ここは世界史板だ」


212:日本@名無史さん
05/10/26 07:07:53
残念ですが、山野は完全にコテハン連中に嫌われたようです。

ワロスワロス

213:日本@名無史さん
05/10/26 08:30:40
「後醍醐<元>天皇(=上皇)が承久の乱の敗北によって

じ、承久の乱はスルーなのかいな?皆様w

214:やまんば
05/10/26 09:12:36
>>213
済みません。訂正を忘れていました。
「元弘の乱」の間違いですね。

文脈的に言うと、以下の通りです。
>>193
>大学入試の試験問題などでは、
>「後醍醐天皇が元弘の乱の敗北によって隠岐島に配流された」とかいう記述は
>間違いという事になり、「後醍醐<元>天皇(=上皇)が元弘の乱の敗北によって
                                  ^^^^^^^^^^
>隠岐島に配流された」が唯一正しい記述という事になりますね。


215:日本@名無史さん
05/10/26 12:10:05
後醍醐なくして明治帝なし。
宋学の信奉者だが異形の王権でもある。
後醍醐がいなくて近代天皇制が生まれなければ良かった。
仏教天皇が一番親しみやすい。

216:日本@名無史さん
05/10/26 12:50:06
興福寺の神木である
春日大社の山が枯れる
これは、興福寺の作為か?

217:日本@名無史さん
05/10/26 16:38:32
日本はやっぱり仏教国だと今日再認識した。
性別に関する調査で、日本においては

「今度生まれ変わったら男が良いですか、女が良いですか」

という質問方法だった。
しかし、アメリカや韓国、中国、ヨーロッパでは

「生まれる前に性別を選べるとすれば、男がよかったですか、女がよかったですか」

という質問だった。

世界で同時に調査された社会調査だったが、日本だけリインカネーションを当然とした設問設定で、
これは完全に仏教的な思想が根付いているのだと思った。

218:日本@名無史さん
05/10/26 20:40:41
>>217
それは、出題者がリインカネーションを当然としているというだけの話でしょ。
回答者の立場から見れば、米韓中欧の方式の質問でも、別に違和感ない。

219:日本@名無史さん
05/10/26 23:04:17
まあもうちょっと社会調査を勉強してから来い。

220:定 子
05/10/27 00:01:19
>>217
日本は神の国...

221:日本@名無史さん
05/10/27 00:19:10
>日本は神の国
ありがとうございます。仏教国という意味ですね。


222:日本@名無史さん
05/10/27 00:31:58
こんな時になんだが・・・

君は・・・・・・・・・・・・・

説明しよう・・・・・・・・・!!

なんで誰も・・・・・・・ーーー!!!

223:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/27 00:53:26
この当時、神国といったら通常は「仏の垂迹たる神の恵みがある国」という
意味ではないかと。和光同塵の方便がどうのこうのと。

224:お 定
05/10/27 01:05:24
わたしの偽者のカキコ!
許すコトは出来ない。真似が上手過ぎるから ..わたしの独創性を侵すパターン!
のち程すぐ、トリップ アリにて訂正させて頂きたいです。
以降、偽者訂正の以外は、このスレに来ません!から!

225:日本@名無史さん
05/10/27 08:27:39
>>214
きみ、ものを知らんねー。
その程度のことで目くじらたてるなら、そもそも「後醍醐天皇」
という呼称はどうよ?後醍醐なんて名前が決まったのは、天皇没後だよ。
「元弘の乱に敗北した今上天皇を退位させ、新院として隠岐島に
 流した」と叙述するの?
「元弘の乱に敗北した後醍醐天皇を隠岐島に流した」で十分。

226:やまんば
05/10/27 10:54:11
>>225
あのおーー、折角の御言葉ですが<目くじらをたてた>のは、私やまんばではなくて
「日本史板」住民を名乗るこのお方↓ですね。

拉致事件を本音で語れ! 偽善排除 30スレ
スレリンク(news2板)
>>370 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 01:03:01 ID:7NQafJV0
>>幕府に反逆して島流しにあった天皇の事を知らないの?

>日本史板の者だけど、承久の乱で島流しになったのは、
>治天の君の後鳥羽と、順徳、土御門の3人の「上皇」だけで、
>当時在位していた仲恭天皇は島流しになっていないよ。

↓↓↓↓このスレ
>>176 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 22:14:51
>ニュース議論板のサヨクコテハンで、天皇と上皇の区別がつかないアホがいた。

↓↓↓↓
>>192 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/10/25(火) 22:11:09
>まぁ、一般常識かどうか、はともかく、
>無邪気に「島流しにあった天皇がいる」というと
>叩かれるでしょうね。

227:日本@名無史さん
05/10/27 14:03:03
煽りがループし始めてるぞ。
もっとがんばれ。

228:日本@名無史さん
05/10/27 23:10:44
後鳥羽や後醍醐が「天皇ではなく上皇」だとしたら、日本史上の天皇のだれひとりとして「天皇」と呼ぶことはできなくなるな。
「天皇」と呼べるのは今上天皇ただひとりということになる。

229:日本@名無史さん
05/10/27 23:13:28
>>228
屁リクツ。

つーか、上皇と天皇の違いを考察するにあたって
なんも生み出さない点で、学問板として意味のないレス。

230:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/27 23:16:32
そもそも、近代まで追号組は基本的に「○○院」と呼んでいましたが、学校
では何故か諡号・追号の区別を教えませんね。
しかし、光格天皇も諡号好きな方で(そんな軽い問題でもありませんが)。

231:日本@名無史さん
05/10/27 23:21:23
そもそも学校の歴史教育ではほとんどの天皇は脇役か端役。
実際脇役だから仕方ないけど。

232:日本@名無史さん
05/10/27 23:23:55
>>229
何も生み出していないという点ではこれまでの議論もおまえのレスも同様だが。
単に表面的な呼び方にこだわって屁理屈をこねまわしあっているだけで生産的な議論は何もなされていない。


233:日本@名無史さん
05/10/27 23:24:58
>>231
主役になれる天皇ってそもそも
ほとんどいないような。

鎌倉時代だと、後醍醐くらい。
上皇まで含めて、やっと後鳥羽くらいか。

234:日本@名無史さん
05/10/27 23:25:47
>>232
そう思ってるあたりがあなたのダメな点。

235:日本@名無史さん
05/10/27 23:29:45
>つまり、天皇はいきなり「配流させられる」のではなく
>「退位させられる」→「配流される」という手順を踏むということ。
>そういう厳密なことを言ってるんですよ。
>この違いを「屁理屈」と笑うか、きちんと踏まえるか、は、
>論ずるときのTPOによりますよ。

これが学問板として意味のあるレスなのか。ひでえ話だな。


236:やまんば
05/10/27 23:39:09
>>227
>煽りがループし始めてるぞ。
>もっとがんばれ。

ホンなら折角の御言葉なので、もう少し「煽り」ましょうか?(藁

本題からすると、「天皇が島流しにあったか、なかったか」、その「天皇は上皇であったか、文字通りの
天皇であったか」などという議論は<末節な話>であったわけだね。

問題は、当方のスレの常連バカコテが、いつもの如く、クサアアーーイ屁タレを思いっきりぶちかまして
以下の奇想天外な説をぶち挙げた事に始まっている。

>>366 名前:無用 ◆MUYOxpPRF. [sage] 投稿日:2005/10/23(日) 22:58:18 ID:CQMdwJXd
>ば~か

>合法も糞も幕府は政府ではないしぃ 藩の治領は「御上」からの預かり物だ

>所有者である朝廷の腹ひとつでどうにでもなるのが「当時の法則」だが

>また「現代の基準」で過去を語る「時空を超えたバカ発作」かしら?

すなわち、
①幕府は政府ではない
②藩(おそらく江戸時代の会津藩)の治領(→所領のこと?)は「所有者」である
朝廷からの「預かり物だ」
③従って藩の所領の取り上げ(会津藩の取り潰し)は朝廷の腹一つで決まった

という3つの文脈において、大珍説、大妄説を披露した事にはじまる。
(本人はもちろん、今でも真面目にその説を信じているらしい。)

237:やまんば
05/10/27 23:40:23
>>236
従って、その説を私が「奇想天外な知識」「お笑いネタ」「ウヨ漫画」等々と口汚く罵った事が、
「下品なレッテル貼り」(上記レス>>370)であったかどうかという問題はともかく(笑)、
少なくともその説への私の批判に理論的な反論を提示する以上は、上記の無用氏の大珍説
に対する「日本史板住民」氏の所見が、最初に述べられなければならなかったはずである。

わが「日本史板住民」氏が、単なる学術的な関心から(つまり聞きかじった知識を披瀝したい)、
議論の流れとは別に、私の単純な「天皇島流し論」につけ込めると勘違いして、スレ違いの
クレームをつけに来たというなら分からないでもない。

だがまた、この「日本史板住民」氏は、「天皇は島流しされた歴史的事実はない」という認識に
固執する事で、間接的に「天皇の絶対的権威」を擁護したかったのかも知れず、上記の
無用氏の主張と同様に、客観的歴史事実を180度ねじ曲げてまで、一体何の為にそんな
無益な珍説、妄説を吐き続けるのか、(今更、絶対的天皇の権威を擁護して一体何をやろう
というのか、)という疑惑も全く払拭されないまま残されたのである。
またいつもの、プチネットウヨの安っぽい愛国的夢物語の再版なのか?
天皇の責任を上皇にすり替えたところで、朝廷の権威が高まるとは思えず、「愛国度合い」も
深まるとは到底思えないが・・・。
一般民衆の意識では、上皇と天皇とはその肩書きで区別する理由など全くなかったであろう。
権威とはまさに実績であって、名目上の官位で決まるわけじゃない事は常識だ。
時の将軍より大御所さまの方がよほど偉い場合もある。(藁

238:日本@名無史さん
05/10/27 23:43:16
>>236
そんなよそのスレのバカコテの話なんぞ知るか。
つーか、なんで近世のバカコテの話を鎌倉時代スレで振るんだ。

>本題からすると、「天皇が島流しにあったか、なかったか」、その「天皇は上皇であったか、文字通りの
>天皇であったか」などという議論は<末節な話>であったわけだね。
そんなことひとことも言ってないだろ。

天皇と上皇の違い、を考える際には、意味が大きい。
政治史上の議論、たとえば「鎌倉幕府と朝廷の関係」を考える際には、
あまり意味がない。

そして、この話題のもともとは、>>176>>192が答えたのは>>188
つまり問題とされているのは「上皇と天皇の違い」ですね。

これでわからんようじゃ、どうしようもないね。
どうぞ、あなたの「完全勝利」ということでよろしいですよ。

どういったら満足して帰ってくれるかな。
「ぎゃふん。参った~、やまんばさん、ボクみたいな阿呆に
日本史を教えてくださって、ありがとうございました。」
これでどう?それとも、三遍まわってワンとなこうか。

見えないだろうけど、今、モニターの前で三遍まわったよ。
「わん!」
これなら十分だろう。

239:日本@名無史さん
05/10/27 23:49:32
>>192みたいな愚にもつかないクソヘリクツを日本史板住民の常識だと思われてよその板に持ち出されると困るんだが・・・

240:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/27 23:52:19
>>233
鎌倉時代前後は、かなり面白いと思いますよ。
後堀河院は、影の薄い方でしたが・・・。
前世は高僧、滑って転んで四条院。人妻大好き、『鳴門中将物語』の後嵯峨院。
『とはずがたり』で愛欲肯定、後深草院。子供多すぎ亀山院。
なんと、大阿闍梨にまで後宇多院。和歌がお上手、伏見院。
後伏見院、後二条院は確かに影が薄い。後はまた有名どころに。

241:日本@名無史さん
05/10/27 23:53:53
>>240
後宇多院のキャラクターはなんか興味ありますね。
後醍醐の行動に「父を超えたい」っていう要素を見出したのは
誰でしたっけ。

242:日本@名無史さん
05/10/27 23:54:20
>>240
見事なまでに政治史に関与してませんな。

243:日本@名無史さん
05/10/27 23:56:45
>>242
いやいや、「滑って転んで」は、ある意味、四条院が
政治的に行った最大の事績ではあるまいか、と思われ。

244:日本@名無史さん
05/10/28 00:04:16
山野氏は中世の天皇たちを政治史の文脈から読むことを故意に拒否しているのではないか?

245:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/28 00:05:10
>>241
誰でしたか・・・(申し訳ない)。
後宇多院は、前三者とは対照的です。以前、亀山院と間違えてしまうという
非常に失礼な真似(亀山院にも)をしてしまった事がありますが。

>242
私が政治史寄りではないものですから(笑)。
そう言えば、『増鏡』でも『とはずがたり』でも、元寇系の記事はほとんど
ありませんね。比較的詳細な前者も、逸話で済ませている。
戦闘描写は、『八幡愚童訓』など僅かな手がかりしかない。

246:日本@名無史さん
05/10/28 00:11:33
山野さんは明恵ファンクラブには入会されないんですか?

247:日本@名無史さん
05/10/28 00:17:31
後伏見院も実は2度にわたって院政を執っているのだが如何せん知名度が低い。

248:日本@名無史さん
05/10/28 00:19:29
後宇多ほかの理解から見て、山野氏はかなり年配の方とみた。

249:日本@名無史さん
05/10/28 00:21:30
年配の方なら、鎌倉時代の朝廷なんぞに興味はもたないかと。
幕府一辺倒のはず。
まぁ、年配の加減にもよりますな。さすがにネット使える人は
いなさそうな「年配」でありますが。

250:248
05/10/28 00:25:51
いや、肥後和男氏とかと同年配かと。

251:248
05/10/28 00:28:48
連続スマソ。
だって、後嵯峨上皇を人妻好き、で片づけてしまうんだから、
橋本義彦さんより年上だろー。

252:日本@名無史さん
05/10/28 00:31:08
>>250
うーん。なるほど、いわゆる「中世史家」ではなく、
民俗学とか、古代の方から入った方なら、ありうるかも
しれませんねぇ。

ま、しかし、ネットはつかえないでしょう、100歳前後の方は。
しかもこの時間に。


253:日本@名無史さん
05/10/28 00:39:39
>245
>戦闘描写は、『八幡愚童訓』など僅かな手がかりしかない。

↑この数年間にコレを書くのは何十回目?モウアキタヨ・・・
柞原文書の女武者なんかに萌えるのは漏れだけなのかな?
面白い逸話だと思うのだが何故スルーされているのだろうか(欝

とりあえず燃料投下(不発かw

254:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/28 00:44:42
>>251
「面白さ」を出そうと、ゴシップ系でまとめてみたのですが。
初心者の方も入り易い様にと思ったのでしたが、要らぬ世話でしたか。

>253
まあ、語って下さい。私は寺社縁起の方ばかりですので。

255:248
05/10/28 00:48:43
ゴシップ系なら、やっぱり大覚寺統のどろどろな女性問題
ださにゃいかんだろ。

256:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/28 00:59:25
>255
清少納言「駿馬之骨ヲバ不買ヤ。アリシ」ト云々。

257:日本@名無史さん
05/10/28 08:51:56
京と鎌倉、2つの王権

258:日本@名無史さん
05/10/28 08:59:49
王権と呼べるのは天皇だけなんじゃないかなあ。
公卿にもなれない北条氏の政権が王権のはずない。

259:日本@名無史さん
05/10/28 11:20:55
京と鎌倉、2つの政権

260:日本@名無史さん
05/10/28 12:43:33
政権と呼べるのは朝廷だけなんじゃないかなあ。
公卿にもなれない北条氏の談合が政権のはずない。

261:日本@名無史さん
05/10/28 13:18:15
政権と呼べるのは幕府だけなんじゃないかなあ。
幕府の意向次第で簡単に首をすげ替えられる治天や天皇が率いているのが政権のはずない。

262:やまんば
05/10/28 19:22:35
>>238
>そして、この話題のもともとは、>>176>>192が答えたのは>>188
>つまり問題とされているのは「上皇と天皇の違い」ですね。

まあ、その通りなのですが、お答えが当初から予想された内容なものでしたから
(「上皇と天皇の違い」なんて,、カレーライスかライスカレーの呼び名の違いに過ぎない。)
>>176氏(議論板にきた住民の方)への批判の矛先があなたに向けられたのですね。
勿論、>>176氏の様に逃げないで、真正直に回答を頂いたという点では評価し、
感謝しております。

ま、私は元来性格が淡泊なことで知られていますので(?)、折角作り上げたキャラクター
のイメージを壊すのも何ですから、ひっこく皆さんにまとわりついてこれ以上ご迷惑をおかけ
するつもりはありません。

これにて撤収致します。どうもお騒がせしました。(^_^)v


263:日本@名無史さん
05/10/28 19:29:47
>「上皇と天皇の違い」なんて、カレーライスかライスカレーの呼び名の違いに過ぎない。

なかなかうまいことを言う。まったくそのとおりだw

264:日本@名無史さん
05/10/28 20:11:51
>>262
やまんば=水w ●自慢のスネオ野郎!頭悪いノータリン嫌味ホモ!自称「ネ申」wwww

265:日本@名無史さん
05/10/28 20:53:38
生きる力。藁藁

266:日本@名無史さん
05/10/28 20:59:22
>>255
北朝の女性関係もどろどろでんがな。

叔父さんの息子を「ありゃ、実はわしの子や」って
置き文ものこってたりしますし。

267:日本@名無史さん
05/10/28 21:21:56
>>266
関西人氏ね!w

268:日本@名無史さん
05/10/28 23:11:31
中世史が専門の山野の正体は皇太子。広島ネタはカモフラージュにすぎない。

269:日本@名無史さん
05/10/28 23:12:15
光厳院の置文ね。自分の息子崇光院の系統は宮家に落として従弟直仁親王の系統を持明院統の嫡流に据えた謎の置文。
どこまでほんとうなのだろうか・・・

270:おぎまる先生と板の平和を考える市民の会 ◆IAbni.BnIA
05/10/30 00:04:30
> 474 名前: ?「水」員党銀鹿?( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY 投稿日: 2005/10/29(土) 23:34:41 0
> >>473
> 俺もうすぐ●の期限切れだから書けなくなるよ。
> 後1ヶ月くらいじゃね?クレジットカードないから更新できんのだよ。


───────────────


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美味しいタイフードや日本食、デザートなどを提供いたします。

271:日本@名無史さん
05/10/30 01:00:30
承久の乱の戦後処理って、後堀河天皇を即位させて後高倉院を治天の君にする事で三人の上皇を島流しにしたんでしょ?

>236
><末節な話>
新しい天皇と治天を据える事で乱を起した上皇たちを罰することができて
>237
>間接的に「天皇の絶対的権威」を擁護したかったのかも知れず
上皇という絶対権威を裁くために、新しい絶対権威を幕府が擁立したわけですよね?

272:日本@名無史さん
05/10/30 01:07:02
違うね。「新しい絶対権威」は鎌倉幕府自身。後高倉院は鎌倉幕府の傀儡に過ぎない。
承久の乱の結果、鎌倉幕府は、上皇さえも「謀反人」として処罰できる権限を獲得した。
元弘の乱に際しての後醍醐院の配流は、この権限の行使の結果。

273:日本@名無史さん
05/10/30 01:07:27
>180
>天皇と上皇の区別
現職=天皇
元職=上皇(天皇を任命できる)
これじゃやばい?

274:日本@名無史さん
05/10/30 01:23:35
やばくないけど学問的に意味があるかどうか疑問だ

275:日本@名無史さん
05/10/30 08:52:49
>273
やばすぎ。上皇は複数いることがしばしばある。
天皇の任命に関われない人がいるのは明白。

276:日本@名無史さん
05/10/30 09:00:50
>273
あと、これは細かいことだけど、
272に出てる後高倉上皇とか、
元職じゃない上皇も僅かながらいる。

277:日本@名無史さん
05/10/30 14:50:06
純粋な質問なのですが。

後高倉院は、
いわゆる「院号宣下」によって「後高倉院」になったのか
それとも「太上天皇」になって、崩御後に「後高倉院」と
追号されたのか、

どっちなのでしょうか。
ご教授いただければ幸いです。

278:日本@名無史さん
05/10/30 17:35:48
>>277
院号宣下後、生前はあくまで「太上天皇」です。
死後に「後高倉院」と追号されています。

279:日本@名無史さん
05/10/30 18:26:06
>>278
ありがとうございます。
「後高倉院」はあくまでも追号なのですね。
良くわかりました。


280:日本@名無史さん
05/10/30 18:46:33
>>272
>違うね。「新しい絶対権威」は鎌倉幕府自身。後高倉院は鎌倉幕府の傀儡に過ぎない。
>承久の乱の結果、鎌倉幕府は、上皇さえも「謀反人」として処罰できる権限を獲得した。
>元弘の乱に際しての後醍醐院の配流は、この権限の行使の結果。
朝廷から幕府への権限委譲ではないのでは?
幕府の意思に従って処置を決めたといえ決定権は朝廷にあるのでははないのですか?
権限委譲なら幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施出来ることになる。

>>273
>180
>天皇と上皇の区別
>現職=天皇
>元職=上皇(天皇を任命できる)
>これじゃやばい?
天皇を任命する人は治天の君(天皇家の当主) って感じが正しいのでは。

大抵の場合、治天の君は天皇を経て上皇となり権力を揮っているが天皇位に就くことは必要条件ではない。
天皇同時に一人しか存在しないけれども上皇には数の制限がなく、治天の君でない上皇もいる。

大覚寺統と持妙院統に分かれた後って治天の君は二人と考えていいんですかね?


281:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/30 19:19:58
>>275
例えば、承久の時には新院・中院・本院といらっしゃいましたからね。
なかなか盛り上がって来た(?)様で・・・。

282:日本@名無史さん
05/10/30 19:22:30
では盛り下げるか。


283:日本@名無史さん
05/10/30 20:09:42
>権限委譲なら幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施出来ることになる。

そのとおり。承久も元弘も幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施した。
決定権は朝廷にはない。

284:日本@名無史さん
05/10/30 21:12:08
>280
治天の君は一人だよ。天皇を出してる皇統のボスが
治天だ。

285:日本@名無史さん
05/10/30 22:04:55
(´・π・)ノ⌒▼
( σ ウッフン


286:日本@名無史さん
05/10/30 22:05:36
(´σπ・)ノ 
(  ユメ ノ ナカデ ナラ イィワ


287:日本@名無史さん
05/10/30 22:06:08
ヽ(・π・`)ノ
ヤマノシャン キテッ! ハヤクゥ )


288:日本@名無史さん
05/10/30 22:06:39
|π・`) ヤサシク シテネ
⊂      イツモ ..


289:日本@名無史さん
05/10/30 22:43:16
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆

ここは日本史板住民の鎌倉時代史理解の為のコミュニケーションの場である。
院政期、南北朝時代も含めてあらゆる情報交換に利用せよ。

ただし、経験上スレの荒れる原因はパターンが決まっている。
そこで、それを防ぐ為にスレ諸法度を定める。


    鎌倉時代史スレ諸法度

一、鎌倉時代史学問ネタを中心に熱心に打ち込むこと。
二、新しい鎌倉時代史スレ造りは、固く禁止する。テンプレ改変の場合も、必ず>>1に申し出ること。
三、スレが荒れた場合でも、相手にすることなくスルーすること。
四、住民は私闘をしてはならない。
五、>>1の許可なく結婚してはならない。
六、何事も>>1の決めた掟の通りに従わなくてはいけない。


290:日本@名無史さん
05/10/30 22:43:51
よし、ただ今よりこれを採用しよう。
山野さん、いいよね?

291:日本@名無史さん
05/10/30 23:04:26
>>1は、許可があっても結婚できない

292:日本@名無史さん
05/10/30 23:11:21
>>1の好みのタイプとの結婚は民法で禁じられているからねw
ロリとかショタが好いと言っている変態コテは世界史板へ逝け!

293:日本@名無史さん
05/10/30 23:18:07
★★★ロリ・ショタ・ペド野郎の歴史★★★
スレリンク(whis板)l50

>>292さんはこちらにお帰りです。

294:日本@名無史さん
05/10/30 23:29:48
お詳しいこと・・・

295:日本@名無史さん
05/10/30 23:32:40
>>289
横レス、失礼。趣旨にはげしく同意。

中世らしくちょっと文言改編してみますた。
みなさん、添削よろしゅうお願いします。

禁制        (花押)

条々

一、スレ内甲乙人等荒狼藉之事
一、スレ内押買喧嘩其外非分之事
一、竹木伐採並殺生之事
一、国質所質之事 付自作自演之事

右条々堅令停止畢、諸人弥可抽鎌倉時代史学問並書込等精誠、
若至違犯之輩者、削除人江可令注進交名者也、
為後日所定置如件、
 平成十七年 十月 日      


296:日本@名無史さん
05/10/30 23:33:56
読めないよ

297:日本@名無史さん
05/10/30 23:40:37
>>296
じゃぁ、書き下しを。
条文のとこはそのまんまだからいいよね。

「右の条々、堅く停止せしめおわんぬ。諸人、いよいよ
鎌倉時代史の学問、ならびに書込みの精誠をぬくべし。
もし、違犯の輩にいたりては、削除人へ交名を注進せしむべき
ものなり。後日のため定め置くところ、件の如し。」

298:日本@名無史さん
05/10/30 23:43:29
いいかんじ~

299:日本@名無史さん
05/10/30 23:44:45
白文と書き下しを併記すればいいよ。
あと、

> 五、>>1の許可なく結婚してはならない。

これは絶対入れてほしい。

300:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/30 23:49:29
>295
面白いので、こちらも。
鎌倉時代史摺(スレ)衆等可存知條々事
一、於摺在住者複数人者、一人不闕、皆共可盛上者、
一、於不知案内者并厨房之輩者、不可書込者、
一、荒煽等出来之時者、発見者最前可磨(スルー)者、
一、書込所可被儲置出典者、
右、各守此起請文、可令存知、若於此状違背之輩者、速可令改易摺住人之状如件、
  平成十七年九月廿八日始之、

301:日本@名無史さん
05/10/30 23:57:55
旧暦かよ、そこまでするかw

302:日本@名無史さん
05/10/31 00:00:16
>>299
結婚ねぇ、ちょっと待って。

一、スレ住人、濫娶妻妾事、
但、於>>1有免許者、不有其限」

「ひとつ、スレ住人、濫りに妻妾を娶ること、
但し、>>1の免許あるにおいては、その限りにあらず」

ちょっとしまらないなぁ。

>>300
そっちもいいですね。

やっぱり形式としては、禁制よりは、
起請文や一揆契状のほうがふさわしいですか。

「うん百万の毛穴より云々」って感じで。

303:日本@名無史さん
05/10/31 00:17:22
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆

鎌倉時代史ぷろふぃ~る♪

Q、いつ生まれたの?
A、鎌ちゃんは2005年10月14日生まれ、まだ零歳です!

Q、将来どんなスレになりたい?
A、鎌倉時代を中心として院政期、南北朝時代も語りたいな~。

Q、荒らしさんってどう思う?
A、寂しい人だなって思う。鎌ちゃんは真面目な人が好き!

Q、じゃあスレ違いの人は?
A、うーん、個別の専門スレを排除するつもりはないよ。

Q、荒らしさんに一言
A、スルーでおながいしまつ。

今日取材した鎌ちゃんは、デビューしたての新鮮ギャルだ!
とっても初々しかったぞ。
これから住民のみんなで応援してあげちゃおう!
鎌ちゃんへのファンレターはこちら
スレリンク(history板)l50



304:日本@名無史さん
05/10/31 00:24:56
303が一番良いですな。

305:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/31 00:30:16
>>301-302
ついでに、乙酉と記しておきましょうか。呵々。
>303と併用で、295がいいでしょうか。次スレがあれば、1に。

306:日本@名無史さん
05/10/31 00:32:40
ぼくは、歴史に疎いけど鎌倉の近くに生まれたのでこのスレにいたいです。
いいですか?鎌ちゃん、お願い!

307:日本@名無史さん
05/10/31 00:39:20
>>305
いやいや、>>300でよいでしょう。
なんといっても>>1(笑)が書いたわけで。

禁制よりも、起請文のほうが雰囲気もよさそうでつし。
>>303もギャップが大きくて笑えますから、まぁ、併用ということで。


308:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/10/31 00:54:29
>306
貴方の興味と精進次第と思われます。

>307
私は、追放されなければ後はスレがどう転んでも(まともな転がり方でした
ら)満足ですので。まあ、次スレはまだ先の話ですし、ぼちぼちと。

309:日本@名無史さん
05/10/31 01:09:31
303ですが、すんません、冗談なんで併記しなくてもいいです。
つか、しないで下さい…。

310:日本@名無史さん
05/10/31 01:12:15
>>309
え~面白いのにぃ~。

>Q、じゃあスレ違いの人は?
>A、うーん、個別の専門スレを排除するつもりはないよ。

このへんなんかサイコー。


311:日本@名無史さん
05/10/31 02:40:47
脇田さんの『日本中世商業発達史の研究』復刊してほしい。
高いよ。

312:日本@名無史さん
05/10/31 02:58:51
復刊してもそこそこ高いだろうなあ、あの厚さでは。
個人的にはもう読む必要ないと思う。一昔。二昔前の理論だし。
今となっては学説史的意味しかないと思う。もちろん名著ではあるが。

313:日本@名無史さん
05/10/31 13:44:01
脇田さんて表彰されてた?

314:日本@名無史さん
05/10/31 14:49:48
うん、勲章もらったんだっけ?

315:日本@名無史さん
05/10/31 17:24:14
アゲ

316:日本@名無史さん
05/10/31 20:14:08
脇田晴子さんが文化功労者になりましたがそのことですか?

317:日本@名無史さん
05/10/31 21:42:07
勲章と違うのか?

318:山野野禽 ◆XBusCUEzTA
05/11/01 05:13:16
私のいきつけの古書店では4万円です…。
買えません。絶対買えません…。

319:日本@名無史さん
05/11/01 12:12:39
図書館にないの?

320:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/11/01 21:07:45
某古書サイトで検索してみたところ、2万円で売っていましたよ。
今更無理をして購入される事も無いと思われますが。
今京都の百万遍知恩寺(ここも歴史がありますね)で古書市がありますが、
関西にお住いでしたら、日曜日までにお探しになるのも良いでしょう。

321:日本@名無史さん
05/11/01 21:17:45
夏と秋は埃っぽいから嫌い
つか初日にいかないと掘り出しもんなんか残ってねいしな

322:日本@名無史さん
05/11/01 22:38:13
初日初めに並んで並んで開いたと同時に走ってお目当てのちびまる子ちゃんの漫画を何故か買う快感。

一度こんな奴を見たなあ…。

323:日本@名無史さん
05/11/01 22:47:53
誰かが目の色変えて走り出すと追いかけずにはいられないって
馬かwおまいは・・・

文頭と文末の描写が妙なのはデフォ?

324:お 定 ◆e8G3HDKGd.
05/11/01 23:48:36
〉10は、
偽者ですが ..なんで?!

325:お 定 ◆e8G3HDKGd.
05/11/01 23:53:08
〉324
誤爆しました。すみません ..orz

326:定 子 ◆e8G3HDKGd.
05/11/02 00:15:00
誤爆ちがぅ 〉10は、わたしが書いてぃますた。スレごと勘違ぃでした。
少量のチューハイで泥酔してぃるみたぃで ..祝盃過ぎっ?!
では。また 。。

327:日本@名無史さん
05/11/02 00:33:37
結局山野の雑談スレになってるんでやんの

328:日本@名無史さん
05/11/02 12:30:01
日食月食には、天皇と将軍を筵で包み隠していた
王権の保護のため

329:日本@名無史さん
05/11/03 19:30:01
今日のNHKのPM7:00のニュース見てたら、
聖マリアンナ医大の研究で由比ヶ浜の遺跡調査の結果、
鎌倉時代の平均寿命は24歳だってやってたな。
もうちょっと、上だと思ってたんだが・・・。
まあ、平均寿命は幼児死亡率によってかなり左右されるからな。

330:日本@名無史さん
05/11/03 21:12:24
ということは、よく「得宗家の歴代はみな早死にだ」と言われるが当時としてはそうでもなかったのか

331:329
05/11/03 21:36:48
どうだろうねえ。今では欠かせない抗生剤が無い時代だからねえ。
前に読んだ本では、最古の癌患者は弥生時代の人骨から、結核の痕跡は古墳時代から、
と言うものがあったからねえ。

平安中期の藤原頼通なんか82歳まで生きてるし。
まあ、俗に平均気温が一番低かったのが江戸時代で、平均身長も一番低かったのは江戸時代という話があったな。

>>330
今の感覚では間違いなく早死にだけど、当時もそういう雰囲気・感覚があったのかね。
同時代の文献資料ではどういう風に思われてたんだろう?やっぱ因果律で説明されてんのかな?
ただ、一番高い乳幼児期の洗礼をくぐり抜けてきた中で、また10代・20代で落命するのも多い。
突飛な感染症でも平気で死に至る時代だからね。

332:日本@名無史さん
05/11/03 21:44:56
平均寿命24歳の社会ってどんなんだったんだろう? 子供が成人する(16歳?)まえに
親が死亡する場合が半数はありそうな余寒。そうすると、家族単位で一軒家に住んでたとも
思えない気がするし…。当時はどんなもの食って着て住んでたのか?

333:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/11/03 21:59:58
戦前の没年齢を調べたら、還暦ぐらいまでは生きているのが普通であったと
か、前近代もそう変化が無かったという話があります。
閑な時に六国史に出て来る没年齢を計算してみたことがありますが、若死に
(50歳以前の死)はあまり無く、割と高い数値が出ました。
角田文衛先生が紹介された通り、延喜年間の阿波や周防の戸籍を見ると65
歳以上の高齢者もおり、周防の玖珂郡には100歳以上が二人も。
角田先生は近世の『宗門改人別帳』も参照されたそうですが、こちらでもや
はり80代以上が割と見られました。
今より歳の数え方がいい加減だった可能性もありますが、『日本霊異記』や
『大鏡』を見る限り、年齢は誕生年の干支から算出した様です。
鎌倉時代の身長の件ですが、男性なら160~170cm代も割といた筈。
女性はそれよりやや低いくらいで、一番低かったのが幕末から明治まで。

>332
>平均寿命24歳
幼児の死亡率を除けば、それなりに長生きだった筈ですよ。
食物は、京なら(米)・麦・粟・大豆・ささげにおかず少々といったところ。
山間部であれば、粟が主食でした。庶民は近代までそう変化が無い。
問題が量の方で、一日六合は食べていました。

若さと言えば、『梁塵秘抄』に、女の盛りは14、15、16で、35、36にも
なれば、「紅葉の下葉に異ならず」とありますが、せいぜい18歳までが女
盛りと見做されていました。これは『新猿楽記』などからも推測出来る。
無住も『沙石集』の中で、年齢を聞かれた女性が、
「18で御座います。40年前は」と答えたという話を紹介しています。

334:日本@名無史さん
05/11/04 00:52:48
>>329
骨?だったら合戦に駆り出された働き盛りだったとかは?

335:日本@名無史さん
05/11/04 01:19:10
──世界史板山野問題をご存じない日本史板住民のみなさまへ──

山野野衾というコテハンは、かつて日本史板の住民でした。
しかし、「日本史は厨房が多すぎる」という彼の考えにより、世界史板へと流れてきました。
世界史板で山野は日本史の話題を続け、ウザがられ、とうとう先日追い出されました。
現在では、仕方なく古巣の日本史板に住居を構えているようです。

つまり、山野から日本史板住民は見下され、世界史板住民からはウザがられているという構図なのです。

336:日本@名無史さん
05/11/04 01:52:41
>>335
ごく一部の人間が彼の知識に嫉妬して、うざがっていただけ。 
慕っている人がたくさんいる。 
追い出したのは強硬派の犯行。



337:日本@名無史さん
05/11/04 02:11:20
>>334
俺もそう思ったよ。
記事を見ていないのでよくわからんけど、
由比ケ浜といえば、和田合戦とか新田義貞の鎌倉攻めなんかの戦死者の骨が多い気がするしな。
てか、そもそもなんで由比ケ浜の骨だけで鎌倉時代全体の「平均」寿命まで分かるんだろう?

338:日本@名無史さん
05/11/04 02:24:45
>337
URLリンク(www.yurindo.co.jp)

339:日本@名無史さん
05/11/04 04:36:22
犯行だって…プ

340:日本@名無史さん
05/11/04 09:03:37
ニュー速+では、相変わらず厨な話が続いているが、一つ面白いデータがあった。

24.0歳 (32.9%) 帝政ローマ支配下のエジプト 33-258 Bagnall & Frier
24.3歳 (21.8%) イングランド 1301-1425 Russell
33.7歳 (n.a) イングランド 1541-1556 Wrigley
37.7歳 (17.1%) イングランド 1620-1626 Wrigley
34.6歳 (19.5%) イングランド 1726-1751 Wrigley
40.8歳 (14.4%) イングランド 1801-1826 Wrigley
24.8歳 (29.6%) フランス 1740-1749 Blayo
38.8歳 (18.1%) フランス 1820-1829 Blayo
37.8歳 (20.3%) スウェーデン 1751-1755 Gille
32.2歳 (27.7%) 日本 1776-1875 Jannetta
33.7歳 (29.5%) 日本 1800-1850 Yasuda
37.4歳 (21.6%) 日本 1751-1869 Saito

これをみると特に低いというわけじゃないな。

341:日本@名無史さん
05/11/04 13:51:49
乳幼児死亡率が高かったという話
今でもそういう国はある

342:日本@名無史さん
05/11/04 23:06:01
>336
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。

山野さん名前欄書き忘れてますってば


343:日本@名無史さん
05/11/05 08:32:31
鎌倉時代の平均寿命は、死亡率の高い乳幼児を引けば、
50歳くらいじゃないか?

344:日本@名無史さん
05/11/05 08:52:41
どうでもいいよね。

345:お 定 ◆e8G3HDKGd.
05/11/05 09:01:13
山野先生おはようございます。
頼朝の愛妾だった、「亀の前(亀御前)」には、官位てか肩書きがあったのでしょうか?
あと ..

346:お 定
05/11/05 09:05:41
あと。
「御所」っていうのは、位階でしょうか?
位でしたら、かなーり偉いのでしょうか?
例えば、岩倉具視よりは↑ですか?
(カサノヴァ以降、肩書きづいてます ..)

347:海野
05/11/05 09:55:35
亀の前には官位ない。
御所は尊称。鎌倉幕府関係だと「竹の御所」なんてのがいて、
これは源頼家の娘。もっと勉強汁。


348:日本@名無史さん
05/11/05 10:06:34
ちょっと辞書をひけばわかることなのに・・・ものぐさなやつだ

349:日本@名無史さん
05/11/05 11:53:19
どうでもいいよね。

350:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/11/05 14:37:44
>>345
前者(というか北条政子についてですが)については、アエラムックの
『日本史がわかる』をお奨め致します。初心者向き。
後者については、やはり辞書ですね。天皇や将軍を指す事もありましたが。

>348
餅ぐらい拾えと言われますよ。・・・あれは室町時代ですが。

351:日本@名無史さん
05/11/05 15:23:39
家臣が主君の一字を拝領するということが始まったのは鎌倉時代(頼朝あたり)からですか? 
平家の家人に盛が付くのがいるけど平家が始めなんでしょうか。

以前、北条泰時は何故頼朝からせっかく貰った頼時から改名したのかって聞いたら
戦国時代あたりと違って鎌倉時代は名前を拝領するという行為がそれほど重視視されていなかったので
変えても別に不思議はないというようなお話を聞いたのですが。



352:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/11/05 20:49:48
偏諱を賜る話ですか?簡単なことなら出て来るかもしれませんが、詳しい
論文については、今は心当たりがありません。申し訳ありませんが。

353:定ちゃん
05/11/05 21:52:51
山野しゃんとセックスしたぃデチ..

354:お 定
05/11/05 21:55:06
わたしは..真剣です...

355:お 定 ◆e8G3HDKGd.
05/11/05 22:08:00
>>353>>354
偽者です。
すみません。実はネカマなので ..

356:海野
05/11/05 22:18:23
偏諱はあくまでも「ものしり」に類する話で、
論文になるほどの深みは期待できない。やめとけ。

357:お 定
05/11/05 22:22:00
山野氏と結婚したい..

358:お 定 ◆e8G3HDKGd.
05/11/05 22:26:04
>>357
偽者です。
今後は、否定カキコしません。
トリップがない「定」カキコはすべて偽者です。

359:らら
05/11/05 22:28:12
おちんこちょうだい..ダレか..

360:ジョーカー
05/11/05 22:35:20
・・・・・

361:らら ◆e8G3HDKGd.
05/11/05 22:43:58
>>359
コテハン「らら」に関しましても、このレスと同なじトリップがない方は偽者です。

362: ◆vnP7OkJTv2
05/11/06 05:39:31
山野ここはお前の日記じゃねえんだ
わかんねえなら黙ってろキモイ

>家臣が主君の一字を拝領するということが始まったのは鎌倉時代(頼朝あたり)からですか? 
まずは以下を参照
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

親>子へ一字を継承していくのは遅くとも平安時代から確認できる
藤原摂関家や成和源氏の系図がよくわかるんじゃないかな
URLリンク(page.freett.com)
URLリンク(page.freett.com)

11世紀には一般化した風習と言えると思います

>平家の家人に盛が付くのがいるけど平家が始めなんでしょうか。
名前どころか
伊藤(藤原)景清>平景清
なんて例もあります
(彼の場合後世創作が多く例としては不適切かもしれませんが)

拙考ですが烏帽子親から字を取る例が多いことからも
養子、猶子に類する家臣取り込みの手段だったとも言えるかもしれません


363:352
05/11/06 10:27:10
>>362
情報ありがとうございます。
親子や兄弟で共通の字を使う風習は平安初期からありますよね。(兄弟全員ではないにしろ)
平将門兄弟の「将」とか、その父親達の「良」とか。
高級貴族でも藤原良房・良門の「良」とか。

戦国時代だと賜った一字を捨てる(変える)のは主君を変えたりしたときに行う結構重要な決断ですよね。
松平元康から家康(今川から独立)、浅井賢政から長政(六角から織田への陣営変更でいいのかな?)など。

北条泰時の場合は何故なのかなと不思議です。
頼朝の「朝」は結構貰っている人が多いですが「頼」は少ないですよね、貴重だと思わなかったのかな。





364: ◆vnP7OkJTv2
05/11/06 11:23:45
泰時の改名ですが「北条氏系譜人名辞典」を引いても
1194有力御家人が居並ぶ中で元服、頼朝が烏帽子親を勤め
「頼」の一字を与えられて時頼と名乗る(13歳)
泰時への改名の時期は未詳だが1201頃には改名した

とあるだけです。具体的なことは未詳でしょう
しかし、同時に改名した北条一族がいます時房(時連)です。
こちらは時期がわかっています
1202年6月です、理由ははっきりしませんが、小説や漫画だと
(頼家の側近であり)頼家から改名を促されそれに従いながらも心の中では
不満を抱えていたってことにされてますね。

結構、的を得た推論ではないないかと思います

でいくつか説を
1、頼家が自分の世代になったことを主張するために子飼いの家臣に改名を迫った
2、泰時自身が頼家をはばかって改名

2は「そもそも頼朝から賜ったものだろ」と言われそうですが
それは 頼朝>頼家 という価値観であり
頼家は別の価値観を持っていそうな気がします

推論ばっかりでごめんなさい

ついでに誤字訂正
×成和源氏
○清和源氏


365:日本@名無史さん
05/11/06 15:00:48
山野しゃん..

366:日本@名無史さん
05/11/06 15:02:35
定ちゃんゎ、山野しゃんと鎌倉デートしたいデチ..

367:日本@名無史さん
05/11/06 15:04:04
そして、山野しゃんのおちんこを..

368:日本@名無史さん
05/11/06 15:07:38
本田美奈子さん死去 ミュージカルで活躍
「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍
した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが
6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。
東京都出身。
葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259ノ1、朝霞市斎場で。
葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。
喪主は母美枝子(みえこ)さん。(共同通信)

369:日本@名無史さん
05/11/06 16:18:13
頼朝の正四位下は参議相当、従二位は(権)大納言相当って言う含みがあったのでしょうか?
上洛していないから議政官の地位は与えられないけどそれ相当だよって言う含みが。

370: ◆vnP7OkJTv2
05/11/06 18:02:59
>369
頼朝は権大納言に任命されて返上していますが?

今ひとつ質問の意図がわかりかねるので噛み砕いてよろしく

371:日本@名無史さん
05/11/06 19:04:42
権大納言、それと右大将も上洛時ですよね。
つまり聞きたいのは上洛前の有位無官の時期の話なんです。
本位に復した後、義仲追討で正四位下、平家追討で従二位。しかし無官の前兵衛佐のまま。
これは在京でないと議政官・近衛武官としての任が果たせないから官は与えないって言う
朝廷側の意向なんでしょうけど、正四位下、従二位と言う位階自体に準議政官の含みが
有ったのかな?と言う疑問なわけです。

372:日本@名無史さん
05/11/07 14:06:16
別に頼朝は欲しがってないよ。
任命されても返上してるし。

373: ◆vnP7OkJTv2
05/11/07 21:24:04
いやいや、>371 は
頼朝は一代で覆される貴族的権力よりも
関東武士を基盤とした新権力の獲得を目指した
対して後白河法皇は名を与えて実を与えぬ目的で
右大将、権大納言を与えたが、頼朝は関東武士を統括しするのに
ふさわしい征夷大将軍の地位にこだわったため返上した

という従来の説は頼朝視点であり、当時の朝廷側では別の意図もあったのでは
と聞きたいわけだ、
官位はあくまで実よりも名にあたる部分であり、それほど裏の意味は無いんじゃないかな
鎌倉時代の貴族研究は今ひとつなので今後に期待かな


374:日本@名無史さん
05/11/07 21:27:47
にゃん

375:日本@名無史さん
05/11/07 21:34:55
美奈子カワイソス

376:日本@名無史さん
05/11/08 08:27:43
>>373
>鎌倉時代の貴族研究は今ひとつ
373の勉強がたりないだけ。

377:日本@名無史さん
05/11/08 09:48:23
↑以上、夜勤のコメントでした。

378:日本@名無史さん
05/11/08 11:57:18
中世の貴族は、文化が武器

379:日本@名無史さん
05/11/09 09:25:46
和歌どころか連歌までも武器にした。
家職の成立の関係かな?

380:日本@名無史さん
05/11/09 13:37:29
>>363
兄弟が同じ字を使うのは、中国に起源がありそうな気がしますが…

381:日本@名無史さん
05/11/09 19:56:06
院、将軍、執権、北条家得宗、内管領
偉い人が多すぎて誰が偉いのかがさっぱりわかりません。
執権までの権力の下降は仕方がなかったような気がしますが、
得宗、内管領に至っては意味がわかりません。
他の御家人と軋轢を抱えてでも執権権力の強化を目指した方が有利だったんではないかと思いますが、
鎌倉最高権力史について詳しい本の紹介キボンヌ

382:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/11/09 20:57:37
>>380
名前に関しては、
飯沼賢治「女性名から見た中世の女性の社会的位置」(『歴史評論』443号、1987年)
同「人名小考―中世の身分・イエ・社会をめぐって―」(『荘園制と中世社会』、1984年)
郭明昆『中国の家族制および言語の研究』東方学会、1962年
以上を参照されるとよろしいかと。

383: ◆vnP7OkJTv2
05/11/09 23:35:24
>380
おそらくそうでしょうね
URLリンク(www.japanology.cn)
ここの「7.実名と通字」で触れられています

余談ですが「源」は源が同じ、という意味の中国故事に由来します
親子で同じ字を避けるという風習はなぜ伝わらなかったのかが不思議ですね


384: ◆vnP7OkJTv2
05/11/10 00:19:04
>>381
執権までの権力の流れは理解されているようですね
有力御家人を次々と倒していった北条氏は幕閣内の重要職をほぼ占めるようになります
そうなると一族内での権力争いの芽が出てくるため
時頼は執権職を表向きは引退し、息子時宗の後継者としての地位を固めるべく奔走します
いわば、院政に似た形態です
こうして北条宗家が得宗として一族を統括する得宗制度ができあがったのですが
次に得宗家の内部を取り仕きる身内人がそれに伴って権力を強化します

参考資料としては「鎌倉執権政治ーその展開と構造」安田元久 
なんて簡単に読めて私的にはお勧めです

385:日本@名無史さん
05/11/10 09:43:20
>>384
>そうなると一族内での権力争いの芽が出てくるため
>時頼は執権職を表向きは引退し、息子時宗の後継者としての地位を固めるべく奔走します
>いわば、院政に似た形態です

時頼が執権を引退して赤橋流の長時に譲ったのは、大病を患ったのに後継者の時宗が幼少という状況での
緊急避難的処置ではなく、ある程度計画的だったということですか?

天皇と上皇の立場の違いのように、執権だと幕府の組織にある程度掣肘されるけど
執権職を離れて得宗という立場になると自由に活動活動出来ると考えたのでしょうか。


386:日本@名無史さん
05/11/10 19:52:28
実朝暗殺後、政子が頼朝の末子貞暁(母常陸介藤原時長の娘)に将軍にならないかと声をかける一方、
血の繋がった頼家の子供たちは殺害されたり自害しています。
実の孫を差し置いて、なさぬ仲の子を後継ぎに据えようとは、随分おかしな話に思えますが。
これって貞暁については断られることを予想して格好つけに声をかけただけで、
源氏の子孫は抹殺(少なくとも政治的には)してしまうつもりだったのでしょうか?

387:日本@名無史さん
05/11/10 20:09:46
>>384
古すぎ。
>>386
そうだろうね。

388:日本@名無史さん
05/11/10 20:31:31
>>386-387
>源氏の子孫は抹殺(少なくとも政治的には)
ほほぅ。
じゃあ竹御所についての政子の対応はどう説明しますね?(変化球だけど)

389: ◆vnP7OkJTv2
05/11/10 21:34:31
>緊急避難的処置ではなく、ある程度計画的だったということですか?
もちろん30歳で執権職を退いたのは赤痢をわずらったためという理由もありますが
時頼自身が前執権の兄経時の遺児を出家させて時宗の障害を排除しています
そのあたりは計画的といってもいいのではないでしょうか

さらに吾妻鏡「執権職を武州(長時)に譲らる・・・但し、家督(時宗)幼稚の眼代なり」
とこの記述をそのまま受け取れば
「俺の後継者は時宗だ、それまでの中継ぎだってことを覚えておけ」
と解釈されていますね

その後病から回復した時頼は37歳まで得宗政権の基盤を固めることになります
結果論と言えばそうですが

390:日本@名無史さん
05/11/10 23:52:09
一度執権を退いた時頼が、再度執権に就こうとしなかったのも不思議ですね。
というか執権に2回就任した人がいませんね。
室町時代の管領だと何回も就任・辞任することが珍しくないのに。
最も室町後期の管領は儀式の際など必要なときに短期間だけ就任しているようですが。

長時没後に時頼が執権に返り咲こうとしなかったのは何故でしょうね。



391:┐(゚~゚)┌
05/11/11 00:43:00
>>390
長時:文永元年(1264)政村に執権職を譲り出家→死去
時頼:弘長三年(1263)死去

392:日本@名無史さん
05/11/11 09:26:32
>>391
あれ、失礼しました。
長時は早死にというイメージで、時頼より先に死んだと思い込んで書き込みしてしまいました。


393:日本@名無史さん
05/11/11 09:34:54
北条氏は初期に郎等を侍に準じさせようとして失敗したようです。
一方御内人は侍身分ですよね。
系譜的に繋がるかどうかはともかく、御内人は明らかに北条家郎等の後継ですよね。
そうすると、結局なしくずしに北条宗家郎等の侍化が進行したのでしょうか?
あるいは元々侍身分だった者達を御内人に組織していったのでしょうか?

394:日本@名無史さん
05/11/11 09:44:20
ヒント:細川重男の仕事

395:日本@名無史さん
05/11/11 10:46:42
>>393
>御内人は明らかに北条家郎等の後継
という理解は現在では否定されてる。
御内人の大半は御家人でもある。

396:日本@名無史さん
05/11/11 12:06:32
京と鎌倉の2つの王権のあった鎌倉時代

397:日本@名無史さん
05/11/14 10:31:45
頼朝の天下草創

398:日本@名無史さん
05/11/14 12:19:44
九代将軍守邦親王の幕府滅亡直後の死って、すごく怪しげ。
単なる偶然で病死なのか、なにか事情があったのだろうか?

399:日本@名無史さん
05/11/14 13:49:54
殺されたのか?

400:日本@名無史さん
05/11/14 18:33:41
わざわざ殺されるほどの重要人物ではない

401:日本@名無史さん
05/11/14 18:54:31
しかし、あのタイミングで死ぬってのは怪しい

402:日本@名無史さん
05/11/14 19:07:08
北条高時があのタイミングで死ぬのも怪しい

403:日本@名無史さん
05/11/14 19:21:08
>わざわざ殺されるほどの重要人物ではない
そこが源家滅亡後の鎌倉幕府のすごいところだな。
ところで、源氏は3名中2名(1人は退位後だが、もしかすると3名とも)、
足利は15名中2名が殺されている。
徳川は一応みんな少なくとも表向きは畳の上で死んでるな。
やはりだんだん平和になっていくのか。

404:日本@名無史さん
05/11/15 09:07:45
>>403
足利は3名

405:北条高広
05/11/15 09:12:19
義教と義輝あと誰だっけ?

406:日本@名無史さん
05/11/15 09:49:05
>>405
つ義満。



407:北条高広
05/11/15 10:46:26
ああそういう説ってことですか。。。

408:日本@名無史さん
05/11/15 12:24:00
義満の暗殺者は一休宗純

409:日本@名無史さん
05/11/15 12:35:03
蜷川新右衛門はどっちの見方でふかね?

410:日本@名無史さん
05/11/15 12:42:28
山野氏はどうしたん?

411:日本@名無史さん
05/11/15 18:19:29
あっちで寝惚けてる

412:日本@名無史さん
05/11/15 23:21:41
定ちゃんの。日本史板【雑談スレ】もどき。パート2
スレリンク(history板)l50


413:日本@名無史さん
05/11/17 11:18:28
鎌倉時代は1185年から

414:日本@名無史さん
05/11/17 16:42:23
>>413
何をもって幕府開幕の年にしているのですか。

415:日本@名無史さん
05/11/17 20:08:41
幕府開幕か・・・馬から落馬だな

416:日本@名無史さん
05/11/18 10:49:12
普通は1185年じゃないの?

417:山野野衾 ◆a/lHrXCS16
05/11/18 11:44:41
>>414>>416
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
『征夷大将軍』を理解されるか、図書館で『吾妻鏡』ではない『東鏡』を御覧なさって下さい。

418:日本@名無史さん
05/11/18 12:27:20
幕府の成立時期については,
(1)92年の頼朝の征夷大将軍就任に求める伝統的見解は,今はほとんど
  支持されておらず,
(2)80年の東国における独立国家の成立,
(3)83年の〈寿永二年十月宣旨〉による東国支配権の公認,
(4)85年の守護・地頭設置の勅許,
(5)90年の日本国惣追捕使の地位確認,諸国守護権の付与,
などの時期に求める諸説がある。

419:日本@名無史さん
05/11/18 12:27:54
幕府の成立時期については,
(1)92年の頼朝の征夷大将軍就任に求める伝統的見解は,今はほとんど
  支持されておらず,
(2)80年の東国における独立国家の成立,
(3)83年の〈寿永二年十月宣旨〉による東国支配権の公認,
(4)85年の守護・地頭設置の勅許,
(5)90年の日本国惣追捕使の地位確認,諸国守護権の付与,
などの時期に求める諸説がある。

420:日本@名無史さん
05/11/18 14:52:40
(2)~(5)の段階的成立説ってもなかったけ?

421:日本@名無史さん
05/11/18 16:18:08
1183年がいいんじゃないか?

422:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
05/11/18 18:22:36
もう少し数を加えてみると、
①1180年 頼朝挙兵→地域支配
②同年末   南関東軍事政権成立
③1183年 十月宣旨による東国支配権の公認
④1184年 公文所・問注所の開始
⑤1185年 「守護・地頭設置の勅許」
⑥1190年 頼朝が右近衛大将に
⑦同年末   頼朝が日本国惣地頭・惣追捕使に
⑧1192年 説明不要
⑨1221年 承久の乱

423:日本@名無史さん
05/11/18 19:10:44
結局幕府そのもの定義が統一されていない以上、
成立時期が特定されないのは当然としか言いようがない。

424:日本@名無史さん
05/11/18 23:48:54
鎌倉幕府と室町幕府と江戸幕府はそれぞれ別物。それぞれ異質。
いっしょに論じること自体まちがい。

425:日蓮
05/11/20 13:12:49
題目を唱えてりゃいいんだよ、ヴォケども

426:日本@名無史さん
05/11/21 11:40:35
承久の乱以降の鎌倉幕府に朝廷は擦り寄っていった
室町幕府は朝廷の権限を吸収していった

427:日本@名無史さん
05/11/21 11:49:41
>>417
東鑑じゃだめなのかい

428:日本@名無史さん
05/11/21 13:19:42
江戸幕府は朝廷を押し込めた

429:日本@名無史さん
05/11/21 19:11:09
>>415
「ばくふかいまく」じゃないの?
「へいばく」なんて言葉は聞いたことないし…

430:日本@名無史さん
05/11/21 20:00:33
「開府」だね。

431:山野野衾 ◆a/lHrXCS16
05/11/21 22:23:53
>>429
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
漢字ドリル(ry


432:日本@名無史さん
05/11/21 22:31:25
>>431
ありがとうございます!
おかげで助かりました!

433:日本@名無史さん
05/11/22 04:26:54
>>427にも答えてやれよ

434:日本@名無史さん
05/11/22 12:04:10
権門体制論てもう使えないの?

435:日本@名無史さん
05/11/22 12:40:03
古いなw

436:歴史ラブ②
05/11/22 13:35:43
今週末に学校で、北鎌倉に行くんですけど、どこか
良い所ってありますか?


437:山野野衾 ◆a/lHrXCS16
05/11/22 13:54:54
>>436
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
auのEZナビ(ry

438:日本@名無史さん
05/11/22 13:56:05
>>437
ありがとうございます!
vodafoneから乗り換えることにします!

439:日本@名無史さん
05/11/22 14:58:01
円覚寺と建長寺はいい

440:日本@名無史さん
05/11/22 23:50:28
>>429
開幕の文字だけで、幕府が開かれたことを意味する。
倒幕は聞くけど、閉幕は聞いたことないし、変な感じがする。
閉じるというのがなんか奇妙に感じる。
終幕(聞いたことないけど、ありそうな予感)の方がかっこいいぜ。

441:日本@名無史さん
05/11/23 03:06:47
開府だろ

442:日本@名無史さん
05/11/23 10:57:15
開府だね。開幕は日本語としては不適当。
「かいまく」になっちゃう。

443:日本@名無史さん
05/11/23 10:58:36
URLリンク(kei11.k-server.org)

444:日本@名無史さん
05/11/24 11:27:28
石合戦を中止したが、
飢饉となり、石合戦を認めた北条時宗

445:日本@名無史さん
05/11/24 16:02:52
飛礫だな

446:日本@名無史さん
05/11/25 11:29:45
網野か?

447:日本@名無史さん
05/11/25 14:16:49
桓武平氏の嫡流って熊谷直実?と言ってみたりする。

448:日本@名無史さん
05/11/26 03:37:44
でしょ。貞盛ー維将ー維時ー直方の直系だから。
次が北条か。その次が城か。海道とか。

449:日本@名無史さん
05/11/28 17:10:17
行基式日本地図

450:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
05/11/28 18:11:22
>>446
日本思想大系の月報28号に、「飛礫覚書」がありますね。
他にもどこかで出ていた気がしますが。
『年中行事絵巻』以外に描いた例はあったでしょうか。

>449
独鈷形の日本国について、一言。

451:日本@名無史さん
05/11/29 11:16:42
朝鮮半島にも飛礫はあったとか

452:日本@名無史さん
05/11/29 16:50:44
さすが山野様
博識です

453:日本@名無史さん
05/11/29 19:12:12
飛礫だけに、博識をを披瀝したってか。

454:日本@名無史さん
05/11/29 21:15:40
山田くぅ~ん!座布団一枚!


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