05/11/07 21:24:04
いやいや、>371 は
頼朝は一代で覆される貴族的権力よりも
関東武士を基盤とした新権力の獲得を目指した
対して後白河法皇は名を与えて実を与えぬ目的で
右大将、権大納言を与えたが、頼朝は関東武士を統括しするのに
ふさわしい征夷大将軍の地位にこだわったため返上した
という従来の説は頼朝視点であり、当時の朝廷側では別の意図もあったのでは
と聞きたいわけだ、
官位はあくまで実よりも名にあたる部分であり、それほど裏の意味は無いんじゃないかな
鎌倉時代の貴族研究は今ひとつなので今後に期待かな