05/10/06 11:56:17
>>41
江戸時代に作られた「仮名手本忠臣蔵」は、当時の事件を実名で使うことが
出来ない為、「吉良上野介」は「高武蔵守師直」、「浅野内匠頭」は「塩冶
判官高貞」に変更され、南北朝期の事件として歌舞伎・浄瑠璃として上演さ
れていた。【当然家紋も「丸に違鷹羽(浅野氏の紋)」ではなく、塩冶高貞の
紋(丸に隅立四目結)として、上演されていた】。よって、【「忠臣蔵の影響で
庶民が鷹羽紋を使うようになった」との説は誤りである】。忠臣蔵が実名で
上演されるようになったのは、現代になってからである。
また史実では塩冶高貞の紋は「七宝に花角」であるが、高師直の家紋も偶然同紋
の「七宝に花角」であったため、芝居的にまぎらわしいので、塩冶高貞は佐々木
氏の出である為「四目結」の紋とされたのである。【よって>>41 の説の誤りは
明白である】
また史実で「丸に違鷹羽」の紋を使った家は「阿部氏」「浅野氏」「高木氏」等
であるが交差の仕方や、線の本数、図柄等に違いがあり全く同一ではない。