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「東亜共同体」論から「大東亜共栄圏」論へ―満鉄調査部事件を手掛りに―
小林英夫 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授
URLリンク(www.waseda-coe-cas.jp)
また、花房森の手記には、「天皇制」についての興味深い記述がある。花房は「日本に於け
る社会主義革命に対する私の展望として勤労大衆の中に根強く存在する『天皇帰一』の
民族感情、民族信仰を社会主義革命実現のための『武器、手段』として利用することによって
成立した日本社会主義社会に於いては、『労農』政権が確立し、その下一切の生産手段の
国有社会化を基礎とする計画的な社会主義生産が運営される」として、天皇制は「武器」と
しての利用価値があり、「全世界に共産主義社会が実現し、既に『武器』として利用する必要
が現実になくなった場合は、制度として「天皇制」は自然廃止さるべき性質のものであります」
と述べている。
たとえば、これまで、企画院事件、ゾルゲ事件、満鉄調査部事件などは、それぞれ別々の
事件として解釈されてきた。しかし、一見バラバラに見えるそれらも、じつは尾崎秀実によって
結ばれている。 とくに注目すべきは、尾崎秀実の「東亜共同体論」である。たとえば、いくつか
の論文の中で尾崎は、日本が日中戦争を通じて欧米からアジアを解放すると唱えることの
独善性を指摘している。また、日本の自己改造を前提にしたうえでアジアと共存していくことを
唱えている。そうした尾崎の主張は、従来は、マルクス主義的と解されてきたものである。
しかし、それだけではなく、民族主義をふまえたアジア連携思想と読むこともできる。 尾崎は、
満鉄調査部や企画院だけでなく、昭和研究会を通じて近衛文麿とつながっていた。一方で、
ゾルゲともつながりをもっていた。また、中西功をつうじて中国共産党にもつながっていた。
民族主義を内包したアジア主義、あるいはインターコミュニティ的な発想をもった尾崎が、
そうした巨大なネットワークをもっていたという事実は注目に値する。