05/07/30 00:13:29
『世紀末から見た大東亜戦争』(現代アジア研究会編/プレジデント社、一九九一)
第五章 大東亜戦争とコミンテルン 京都大学名誉教授 勝田吉太郎
尾崎がひそかに抱いていた構想と工作の方向は、彼の獄中手記を読めば明瞭となる。
「私がしきりに心に描いていたところは、次のごときものでありました。第一に、日本は独伊と
提携するであらうこと。第二に、日本は結局英米と相戦ふに至るであらうこと。第三に、最後に
我々はソ連の力を借り、先ず支那の社会主義国家への転換を図り、これとの関連に於て
日本自体の社会主義国家への転換を図ることでありました」
さらに別のところで、
「日本は南方への進撃に於ては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るでありませうが、その
後の持久戦により消耗がやがて致命的なものとなって現はれて来るであらうと想像したので
あります」
と述べている。つまり南方への侵略政策によって英米と戦わせ、日本を消耗戦に導くというの
である。
さらに、こんな一節もみえる。
「英米帝国主義との敵対関係の中で日本がかかる転換を遂げる為には、特にソ連の援助を
必要とするでありませうが、更に中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、
資本主義機構を脱した日本と、ソ連の三者が緊密な提携を遂げることが理想的な形と思はれ
ます」
つまり社会主義体制となった中国と日本とソ連、この三者の力によって世界革命を図ろうと
いうのである。さらにまた、こんな一節もある。