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明治二十年、柳原愛子が田布施に入ったとき、「地家作蔵」の位牌を持ち去った、との説がある。これが事実とすればそれは何を意味するのか。
更新 平成17年10月30日00時08分
平成十七年(二〇〇五年)十月二十九日(土)
(第一千四百七十七回)
明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」の父親は、
南朝系と伝えられる大室家の血統ではなくて、
苗字もない海賊某の息子、のちに「『地家』家」の養子と成った作蔵。
であった、と言う説については、当「時事寸評」(17.10.21)に紹介した。
そして、或る説によれば、
明治二十年、大正天皇の生母、柳原愛子の一行が田布施に入ったとき、
「地家作蔵の位牌」を持ち去った、
とのことである。
これが、事実であるとすれば、これは、
地家作蔵が、大室(地家)寅之祐=明治天皇の実の父親である、ことを承知
して居た人々による行動である、ことを証明するのではないか。
つまり、そのことは、
明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」は、大室家の血統ではなくて、
二代遡るとどこの誰かも分からなくなる、「作蔵」と言う人物の息子で
ある、と言う。
この事実を、伊藤博文その他の長州藩忍者軍団も承知して居たのかどうか。
それは分からない。
更に、薩摩藩の西郷、大久保は、知って居たかどうか。
更にまた、三條、岩倉などの、孝明天皇弑逆犯の一味が知って居たのかどうか。
こうしたことも分からない。