04/06/21 23:37
足利義満は当初日本国王の臣であるという理由で皇帝との使節の謁見を拒否
していましたが、『海東諸国紀』や『老松堂日本行録』では、将軍=国王と天皇
は分けられていますね。どこまで理解していたのやら。
戦国時代に来日した西洋人の残した記録でも、この違いについて言及して「通常
我々が皇帝と呼んでいるものは皇帝ではなく・・・」などと記して説明を試みた
のは『日本王国記』ぐらいでしょう。天皇をローマ教皇に擬えています。
(フロイスも書いていたかもしれませんが・・・どうだったかな。)