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『されど、わが「満州」』 文藝春秋編 (文藝春秋) 1984・3・1
[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載
3、逃亡(1) ― 草生す屍
「陵辱」 広島県尾道市 平本直行(新聞販売業・57歳)
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いて
いたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりなが
ら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ば
れていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ
恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血が
いっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性は
モンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から
血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死ん
でいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたり
に見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中に
のみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
・・・(中略)・・・1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに
敗戦のみじめさを知った。銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍
以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
・・・(中略)・・・また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるん
です。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い
出す。・・・(後略)