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ジャスパー・ベッカー『餓鬼-ハングリーゴースト』中央公論新社、1999、p295-304
から引用させていただくと、
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二千年前、混乱のさなかに中国に漢王朝が誕生した。記録によれば、当時、王朝の民の
約半数が餓死した。「このため高祖劉邦は、紀元前二○五年に、必要ならば子供を売っ
たり食べたりしてもよいという布告を出した。それから二千年を経た安徽省では、まだ、
この布告が実行されていた。農民は、せめて自分の子供を食ぺることだけは避けようと、
近隣の子供と交換して飢えをしのいだ。安徽省の人々は、この方法を、二千年よりさら
に昔の吉い中国語の言い方で「易子而食」(子を易えて食う)と呼んだ。この言葉が二千
五百年も昔に生まれたということほど、中国文化がいかに長いあいだ伝承されているか
を示すことはない。
紀元前五九四年五月、楚の軍隊は、宋の首都を包囲した。その結果、包囲された
人々は飢餓に苦しみ、哀れにも「子供たちを交換して食べ、その骨を砕いて燃料に
した」という。