02/12/21 23:54
前スレ後半にあったレニングラードの食人について
1941年6月22日、ナチスドイツはソ連に侵攻し、8月にはレニングラードが
包囲された。ドイツ軍の空爆や地上よりの砲撃に苛まれ、寒さと飢えに
苦しめられつつ900日の間市民は侵入者を拒み、ついにソ連軍の巻き返しで
包囲は破られた。しかしこの抵抗には広島原爆の二重倍もの犠牲が払われた。
1941年当時レニングラード市の人口は250万あまり。包囲が解かれた
1943末には人口は60万に減っていた。少なく見積もっても、80万もの
市民が餓死したことになる。詩人のルクニツキーの証言では、1942から
1943にかけては毎日六千から一万の市民が餓死凍死していったという。
死体は袋小路、空き地、地下室を埋め尽くした。死体回収のトラックは
ガソリンの欠乏で動かない。そこで人力で引きずって共同墓地に運ぶ。
前線から戻った工兵がダイナマイトで凍った地面を砕き、埋葬用の塹壕に似た
穴を掘る。