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芝三田四国町に藩邸があった薩摩藩(鹿児島藩)の武士達は、
猪や犬を食すというお国の風習を江戸でも実践していたよう
です。この風習は中国や琉球などの文化の影響なのでしょう。
大田南畝の『一話一言』には「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」
という項があり、「薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑を
とり出し、其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、米をかしぎて
腹内へ入納、針金にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼く
なり(略)甚美味なりとぞ。是を方言にてはゑのころ飯といふよし。
高貴の人食するのみならず、薩摩候へも進む。但候の食に充るは
赤犬斗を用るといへり」と、その料理法までも紹介しています。
この薩摩の犬食いは江戸の人々の間では結構知られていたことの
ようで、
「品川と麹町とに入れあげる(「品川」は薩摩屋敷から近かった品川の遊里、
「麹町」は上記の獣肉屋をあらわす)」
「大部屋に赤犬などのあらがあり」
「酒盛にきゃんと言わせる御国柄」
「『赤犬が紛失した』と芝で言い」
「『赤犬は喰いなんなよ』と南女言い(「南女」は品川の遊女のこと)」
などといった川柳が残されています(「江戸のおしゃべり」)。