05/04/17 20:52:15
ほれ、
8つの旗だと。各氏族1つだろうな。
斐伊川上流で銅鐸も出たし金属精錬の氏族伝説だな。
八幡信仰の形成
日本の中の朝鮮文化(10)、金達寿著、講談社文庫、1993年
八幡神は「ハチマン」ではなく「ヤハタ」と読む。
ヤハタは「弥秦;いやはた」がなまったもので、渡来人秦氏が祭った鍛治、銅の神である、
というもの。秦氏といえば、豊前地域はその渡来拠点であったことが、
大宝二年(702)に編纂された正倉院文書の「豊前国戸籍」で明らかにされている。
それによると、豊前国の中心をなす仲津郡(現在の行橋市と京都郡)と上三毛郡(豊前市と築上郡)などで、
総人口(611)の九三%(568)が秦部、勝の姓をもつ秦氏系で占められている。
記載されてない企救、田川、宇佐などでも、おそらく同じ傾向だったと見てよい。
このことは、八幡神が秦族の信仰神だったと見られるに充分な根拠をもつ、
といってもよさそうだ。本項の最初に紹介した『宇佐宮託宣集』のなかでも、
「辛国の城に始めて八流の幡を天降して我は日本の神になった」という八幡神の託宣がある。
辛国とは、いうまでもなく古代の韓国(朝鮮)であり、
八流の幡(白旗四、赤旗四の意味といわれる)は八幡-ヤハタに結ぴつく。