05/07/05 17:45:58 jK03Wfkv
天皇・公家に力があり、関西が日本の中心だったのは、平安時代まで。
鎌倉時代以降は、徳川氏などの東日本の縄文系武士に実権を奪われ、
江戸時代末期の天皇・公家は下記の状態まで落ちぶれていた。
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>幕末の孝明天皇の食膳には京都の町民ですら飲まない、下級の酢の様な酒が出され、
>それを見た関白が余りの貧しさに驚いて自領から清酒を取り寄せて献上し、
>天皇が「酒とはこんなに上手い物だったのか」と感涙を流したと言う話まで有るくらいだから、その他は推して計る可し、と云う物である。
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>殆どの公家は幕府の支給する三十石三人扶持と言う下級武士並の俸給で一年を過ごさねば成らなかった。
>殆どの公家は各家に伝えられた書道、華道、歌道等の「お家芸」の家元となって生計を立てた。
>幕末の公家で策謀家として知られる岩倉具視等は家を博徒に貸し、町奉行所から庇護する代わりに寺銭を取った、という話は夙に有名である。
>しかし、これらの副収入にも増して最も公家を潤わせたのは、賄賂であった。
>尊王派・佐幕派を問わず朝廷に働きかける藩は多額の賄賂を支払い、その余りの露骨さに当時の人々は「公家は金に転ぶ」と噂した。
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