05/07/02 11:26:14 xmGlQxhg
>>284-285
弥生時代の関東の、アイヌ人と渡来系弥生人の共同集落、中里遺跡の発掘結果では、
アイヌ人95%:渡来系弥生人5%の比率だそうだ。
中里遺跡
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関東武士も鎌倉時代までは、北海道アイヌ人と同じ長頭だったから、
鎌倉時代以降の度重なる大名の国替えや、
明治時代以降の、他県への移住の自由化・交通機関の発達で、関東も弥生系が増えて、平均化していったのだろう。
(鎌倉時代から明治時代まで、島津氏が治め、1度も大名の国替えが行われなかった鹿児島は、かなり異質で、
鹿児島人は、日本人の平均からすると、かなり異質な存在となっている。
鹿児島人=南方から朝鮮半島経由で来た南方モンゴロイド=南方縄文人。
鹿児島人と南方モンゴロイドは共に短頭で一致する。)
アイヌ人も、渡来系弥生人も、弥生時代は土器をつくっていたレベルだから、どっちも変わらんよ。
アーリア人種でありながら、北海道アイヌ人が落ちぶれたのは、稲作不可能な不毛な地・乏しい交流のせいだろう。
鉄砲も伝来しなかったしな。
あと、渡来系弥生人と、朝廷をつくった朝鮮人は、全く別の人種だよ。
渡来系弥生人は中頭、
朝鮮人・関西人は短頭。
関西と西日本が一枚岩なら、西日本制圧の為、朝廷に征西大将軍という役職は置かないだろう。
征西大将軍
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