03/08/19 04:40
[8] ナチスに批判的で、連合軍による「解放」を待ち望んでいたルート・アンドレーアス=フリー
ドリヒでさえも、ベルリンでのソ連兵の暴行についてこう記している。「《やつらはわれわれの娘
を凌辱した。やつらはわれわれの妻に暴行を加えた》と男連中は怒っている。《一度ならず、
いや六度も、いや十度も二十度も》街では、他の話題はない。そして、他の思念もない。自殺
の気分があたりに漂っている。娘たちは屋根裏に隠され、石炭山を掘ってその中に隠され、
老婆のように変装させられている。ほとんど誰一人、寝るべき場所に寝ていない。《名誉を失っ
たのは、すべてを失ったことだ》とある錯乱した父親は言い、十二度凌辱された彼の娘の手に
綱を一本渡した。従順な娘はそのまま行って、最寄りの窓の鉄の十字仕切りに綱をかけ、首を
くくった。《凌辱されたら、死ぬしかないのよ》と、敗戦の二日前、女教師が女生徒ばかりの
クラスに言った。女生徒たちの半分以上がこの命令をそのまま実行し、最寄りの川に身を投じ
て辱めをそそいだ。名誉を失うのは、すべてを失うこと。服毒あるいは拳銃、綱あるいは刃物。
何百人という娘たちが自殺したのだった。」ルート・アンドレアス=フリードリヒ著、飯吉光夫訳
『舞台・ベルリン、あるドイツ日記 1945/48』、朝日イブニングニュース社、1986年、27頁。
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