03/08/18 23:12
>>511
ソースなら、前スレからたくさんあるだろ。
たとえば、
年表 : 中国帰国者問題の歴史と援護政策の展開
URLリンク(www.kikokusha-center.or.jp)
(注4)コロ島を出港する船の中には女性専用の相談室が設けられていたという⑮。
『引揚援護│の記録(続・続々)』(昭和25・30・38年)では、検疫所内に特殊婦人相談所が
あったことへの言及がある。「上陸地患者状況調」の傷病名欄の妊娠の名目で診察を受け
た者6,386名、内入院したもの2,157名。別の資料「引揚婦女子医療救護実施要領」に│
よると、6つの上陸港の最寄りの国立病院及び診療所に第1次婦女子病院が設けられ、
600床を越える受け入れ体制が整えられて「諸種の事情のため正規分娩不適切者には、
極力妊娠中絶を実施すること。」とされていた⑮。しかし、当時は堕胎罪が存在していた。
ベール脱ぐ引き上げ史
福岡の旧二日市保養所、看護婦が体験を証言
URLリンク(web.archive.org)
終戦直後、中国大陸から引き揚げ途中に旧ソ連軍兵士らから暴行を受け妊娠した女性の
堕胎処置が行われた福岡県筑紫野市武蔵の「旧二日市保養所」跡地で十二日、供養が
行われた。当時、看護婦として同保養所で働いた村石正子さん(71)が初めて参列し、
自らの体験を涙ながらに語り、隠れた引き揚げ史を証言した。
「博多引揚援護局史」などによると、旧二日市保養所は一九四六年三月に開設。患者総数
は三百八十人、閉鎖までの治療日数は延べ七千九百八十一日を数えた。堕胎は、当時
非合法だったこともあり、保養所の歴史はあまり語られず、引き揚げ史の中でも実態は詳しく
分かっていない。
>>513
悪いね、俺はなかった派の国士。