03/08/18 00:31
8月19日の夕方、西海岸の奥地、珍内町から北海道、本州方面に
疎開するために百数十名の婦女子が真岡に到着した。
真岡町は彼らのための一夜の宿として、真岡町第一小学校の教室を
解放した。20日朝、ソ連軍が上陸、砲撃戦が開始されると、珍内の
婦女子はどこにも行けなくなり、当分の間学校に泊ることになった。
21日の夜、数人あまりのソ連兵が教室に乱入し、女達を襲って暴行、
さらに放火騒ぎを起こした。隣の教室で仮眠していた女達は、乱射される
銃声、救いを求める悲痛な叫び声を耳にして、自分達も同じ目にあうこと
を予想し、ついに最後がきたものと切迫した気持ちになった。
道下匡子 「ダスビダーニャわが樺太」より