03/09/27 19:47
age
731:1
03/10/01 00:45
>730
>age
ageて頂いてありがとうございます。
さて、これからどうしたものでしょうか。
もう一度確認しておくと、
ここに書いてあることで「原則」についてどういうものかはそれなりに分かると思います。
原則の趣旨が分かれば、後は本人次第で「原則」という世界を個人的に構築していくことは可能だと思います。
つまり私が書いたものは、「原則」から派生したものの全てではなく、
そういうもの(原則)を提案しただけです(今のところ、私はすべてに通じると考えています)。
「原則」を知れば、後は個人が世の中から原則的な要素を探り出して進めるものと思います。
「原則的な世界観」や「原則像(物の仕組み)」を己の内に構築してしまえば、
後はどんなジャンルに対しても、その原則的な仕組みと比較しながら(利用して)進めることができるのです。
くどいようですが、単純な話、
全てに共通する原則的要素・世界観を確立させることができれば(原則があるとした場合)、
未知な物(それも原則的要素から成っている)にもその確立させたものを利用することができるということです。
ところで、世の中にはまだ無数の問題が残っているはずです。
しかし世の中が原則的に動き出せば、自動的に解決できる問題であるはずです。
また、一人一人の行動範囲にある問題は、一人分しかないと思います。
逆に言えば、一人でできることはあまりないとも言えるということです。
原則が広まっていけば、後は寝ているだけで世の中は良くなっていくのです。
「果報は寝て待て」でしたっけ。w
732:1
03/10/01 00:45
それで広めることについてなのですが、どうしたものでしょう。
とりあえずネットで検索すれば引っかかることは確認できました。
人伝えに伝えることも確認できたので、
「原則」についての情報の最低限のものは、ひとまずクリアはできていると思います。
ここらで私が個人的にできることは大体終わったのではないかと思います(後でまとめようとは思いますが)。
2ちゃんに強制的に広めることは、今のところは中断することにしました。
一人で勝手にやっていくのは得策ではないと思ったからです。
そのうち「原則」に飽き始めた人の多くがこのスレに来るようになれば、
「そろそろ広める時期じゃなかろうか?」と、自然とそういう雰囲気になるのではないかとも思います。
世の中には「原則」が分からん人間が多すぎて、じれったくなってくるからです。w
「原則」が使えるかどうかで、それだけ実利的な差ができてしまうということです。
それに加え、「原則」が分かっている人物を正しく理解するためには、「原則」を知ることが不可欠なのです。
究極的にそれぞれが本当の幸福を得るためには、やはり世の中が原則的に動き出す必要があるのです。
そしてまた、そのための原動力の源は、ここにある可能性があるのです。
また、2ちゃんに広まれば、それなりに世の中の標準に一歩近づくのではないかと思います。
願わくば1年以内に。
もしかすれば数ヶ月後にもそうなるかもしれませんが、
その日が来ることを私個人としては待ち望みにしています。
また、例え身近な人にでさえも、様々な理由から「原則」を伝えることができないことも十分にあり得ます。
その場合は、世の中に「原則」が知れ渡らない限りは身近な人にも伝えることはできないのです。
こんな悲しいことがあっても良いのでしょうか。
私は「原則」を広めざるを得ない状況でもあるのです。
これだけ遠回りをしなければ伝えられないとは、正に原則的な筋道であると嘆いています。w
しかしあと数年後には!と、思っています。
733:1
03/10/01 00:46
ところで他の道としてはですが、
やはりどちらにしても飛ばすことができないのは、書籍化することではないかと思います。
「原則」を完全に記すことができれば、必然的に売れていくのではないかとも思います。
ゆくゆくは世界に向けて出版することになり、出版社は儲かりそうですね。
少なくとも書籍化できなければ、世の中の常識として確立したとは言えません。
遅かれ早かれ、出版社にとっては義務であるというのが原則的でしょうか。
もっとも「原則」そのものには著作権がないので、私と関係なく出版してもらっても構いません。
「原則」が世の中に出回る日を、私個人としましては心待ちにしています。
青臭い言い方をすれば、少年時代のあの頃に戻ったような気分でしょうか!!w
もしもこれらが本当だとするならば、コイツは実はものすごい革命なんじゃ!?、と。
これまた個人的な話ですが、
たまたまとある宗教の人達と出会ったことがあるのですが、
とても暖かい人達で、なかなか感動してしまったことを覚えています。
もしかすると、宗教とは関係なくそのような世界に近づいていくのではないかとも期待しています。
今の世の中は、忙しくてピリピリしている人が多そうな気もします。
もっと余裕のある生活が過ごせればいいのではないかと思いますが、
直接そのようなことはなかなか言えないですよね。。
734:1
03/10/01 00:46
ところで、これまでに書き込んできたことで、
ここに現れている「1」という人物は如何なる様に映っているのだろうか?
自分としては、あまり客観的にみたいとは思わない。
本当のところは分からないが、原則的な人物として振る舞っていたものは多い。
それは、今でもここに書いている以上は仕方のないことなのだ。
しかしここに書き込んでいるということを踏まえると、それなりに本当の自分なのかもしれない。
ただ言いたかったことは、普段の自分とはかけ離れているということである。
しかしサンプルとして、
「1」という架空の人物像があることによって、「原則」の理解は進むだろう。
735:1
03/10/01 00:58
ところで本当の個人的に、これらのことをどう思っているのかと言えば、
ある意味、自分でも「原則」というものが訳分からんものであるような気はする。
いや、少なくともそれに夢中になっていた時期があったのは確かである。確信もしていた。
今では、それがどうしたということにはあまり関心がなくなってしまったのだ。
今は特に何もしなくても満足なのだが(仕事をしなければ暮らせないが)、
やはり原則という「伝家の宝刀」が使えると有利である。それに私はまだ若い。
個人的な野望に向けて動いているところでもある。
しかし、これと言った欲望のためにするわけではないのだ。
今の世の中、すでに物質的には十分満足なのだと私は思う。
私自身は、普段「原則」とは無縁とも言える生活をしている。
ここでの活動は、今となっては普段の私とは切り離して考えている。
広まった後にも、私が広めたことはほとんど言わないであろう。
少なくとも今の状態で知られても、変人扱いされてしまうだけである。
しかしどこかでこうも思っている。
仮にも「それ(原則)」が本当だった場合、世の中のスタンダードになったときには、
世の中からお呼びがかかり、私の生きているうちにノーベル賞なんかを頂ければ、それもまた面白い人生かと思う。
「原則」が標準になった世界であれば、表に出てありのままの自分を出してみたい気もする。
その様な日が訪れない限りは、私はどこかにすっきりしないものを抱えたままなのかもしれない。
さすがにこれらを理解しきれる人間は滅多にいないだろう。
私自身が筋を通そうとすると、そのようになる。
「原則」は曖昧なまま終わる物なのだろうか?
それとも、ハッキリと決着がつくものなのであろうか?
また、人類は共通認識を持つことは可能なのだろうか?
認識できる点からすると、決着のつくものであると思われるわけだが、
そうだとすると、この様な考えに到るのである
(実際にはそれほど深刻には考えていなく、空想も混じっているが)。
736:1
03/10/01 01:12
直にこのスレも倉庫に入ってしまうだろう。
名残としてこの板に続編としてスレを立てておきたいと思う。
そのスレからは、私はあまりカキコすることなく、
これ関係の話題を語る場になれば良いかと思う。
実際にはどうなるかは分からないが。
737:241
03/10/02 14:22
とても興味深いページを発見したので貼っておきます
URLリンク(world.nethall.com.br)
単純明快矛盾の無い科学との事
738:考える名無しさん
03/10/04 14:16
原則は正しい而して私は正しい。だと。幸福の科学だね。
739:1
03/10/05 22:11
>737
>単純明快矛盾の無い科学との事
なるほど、面白い情報ありがとうございました。
(独り言ですが、
こういうものが世の中には多いから、「原則」が怪しまれるのだろう。
しかし怪しむだけの人は「原則」の意味が分かっていないだけなのだろう。)
他にも面白そうなものや、役に立ちそうなものがあれば紹介してください。
通りすがりの人も、何かありましたらお願いします。w
740:1
03/10/05 22:12
せっかく書いていたので、カキコしてみます。
しかしながら、ここから先の話は作り話的な要素も含まれているかもしれません。
実を言えば、「原則」以上に単純なものはないとも言える。
「物事全てが原則という一点から派生する」というのが、原則的な考え方である。
すなわち「原則があれば~」というのは、ある意味創作したものになるということでもある。
しかしそれらを知ることによって、原則的な発想をより知ることはできるかもしれない。
つまりは「原則」を知ったのであれば、各自が独自に考えるべきなのである。
また、「原則」は全ての真実に繋がっている。人によっては過酷な部分もあるのだ。
そういう発言であった場合には、作り話というつもりでいれば良いかと思う。
また、これらの発言にケチを付けたい人もいるだろう。
彼らには、「原則」そのものを知っているのかどうか?と問いたい。
全ては「原則」によってのみに、通じることが可能なのである。
「原則」が分かっていない人間には、このスレの発言は宇宙人の発言にも思えることであろう。
「原則」を分かっている人間にとっては、笑ってしまう話である。
もっともどんな意見であろうが、意見をしてもらえることはありがたいことでもある。
(つまらない話であるのは私も承知しているところではある。少しでも何かを残しておこうという思いもある。)
では、作り話では意味がないのでは?と思う人もいるだろうか。
しかし、意味がないわけではない。
「原則」というルールを基に作られた発言であれば、容易に原則的に読み取ることが可能である。
共に共通の世界を感じているという事実が重要なのである。
すでに「原則」というものが全ての橋渡しをすることが分かっているのなら、その作り話は不要でもある。
741:1
03/10/05 22:12
ところでしつこいようだが、私の思っていることを一つ。
「原則」というものは、とてつもなく深いものであり、非常に汎用性の高いものであると言える。
逆に言えば、それだけ自然界には類似した要素が多いということである。
恐ろしいまでに意外だが、原則的に納得できる現象なども実際に多い。
あくまで予想でしかないのだが、私が知っている「原則」の効用は6~8割方なのではないかとも思う。
しかしながら、信じられないくらいに多くの人間が「原則」を知らないのだ。
この世の中の現象は、それ自体が途方もない芸術なのだと言えるだろう。
あなたは世の中のどれだけを知っているのだろうか?
そしてそれは、本当に知っているのだろうか?
実のところ、「原則」のみを知った時点では、
世の中のことは全く分かっていないと言っても過言ではないと私は思う。
私自身は「原則」が分かった時点で、何でも分かっていると思っていたのだが、今から考えれば甘かった。
「原則」の影響力の大きさを知る由もなく、世の中を知っていたわけでもなかった。
今ではこれ以上求めても、それ以上格段には知るまでに到らないところまでは到達したのではと
(パレートの法則的に言うなら、80%の効率的な部分を得ることはできた)。
しかし分かったことは、自分はあまりにも世の中を分かっていないということである。
分かったと思っていることは、原則的に言う世の中の基本部分と、
原則の一般的な性質ということになるのだろう。
742:1
03/10/05 22:13
とにかく言えることは、求めていけば行くほど「原則」はそれに答えてくれるということだ。
もしも何かのジャンルで「原則」を求めて突き進むのであれば、時間はかかるが必然的に第一人者になれるだろう。
もっとも、自分が賢い人間であると自認している必要はある(加えて言えば、賢くなろうと思えば誰もがなれる)。
そうでなければ世の中の罠(常識)にハマってしまう。
賢い人間であれば、如何なる状況であろうがそれを打破するための策を練るのである。
自分以外のものにうまくいかない原因を押しつけることは決してない。
何故なら、思い込みではなく心底自分は何でもできると考えているからなのだ。
うまくいかない原因を押しつけた時点で負けを認めたようなものなのである。
できないことはあり得ない。それが駄目でも次の策を練り直すのである。
また、そのような人は自分で全てをやるくらいの精神を持ちつつ、
他人や自分以外のものを最大効率で用いる精神も併せ持っている。
全ては一つの目的(ビジョンであり、それ自体が構造を持つこともある)のために資源を向かわせてしまうのだ。
しかし、得られる方針があまりにも常識とはかけ離れていることもある。
そしてまた言えることは、それによって簡単に名声やGoldが手に入るとは限らない。
もしくは、常識的な基準で短期的に見た場合には、不利にしかならない場合もあるかもしれない。
得られるものが、自己満足に過ぎないことも考えられるのだ。
しかし、それによって成果が表立って現れた場合には、それなりの利益を得ることが可能だろう。
全てはその人間の判断によって決められるべきことなのである。
743:1
03/10/05 22:13
また、なんども言うが本当に賢い人間でなければリスクを負うことはできない。
「賢い人間」とは、自分で賢い人間であると自認している人物のことである。
ただ「原則」が分かっているだけの場合は、もう一度考え直す必要がある。
そうでなければ痛い思いをすることになる可能性は高くなる。
失敗を周りのせいにする可能性のある場合は、大人しくしておくのが無難である。
賢い人間であれば、失敗する可能性とそのリスクとを秤にかけることができるのだ。
あらゆるものを同時に秤にかけることが可能である。バランス感覚にも優れていなければならない。
その秤は単純だが、階層構造を持つこともある。
究極的に言えば、如何なる場合に置いても無数にある選択肢を秤にかけ、
連続的に最適な手段を選び続けられる自信がなくてはならない。
また、勘違いしてもらわないために一つだけ追加しておく。
仮に囲碁などで神の一手が常に指せるのか?と言われたら、今の私には到底無理である。
しかし言えることは、「神の一手が指せる状態」に近づくための最適な道を探り進んで行けるということだ。
相当の時間がかかることだろう。
話はそれるが、人間には神の一手を指すことはできないという可能性もある。
少なくとも神の一手が指せるのであれば、例えば、今の囲碁のルールは変わっているはずである。
神の一手が指せる人間同士の対決では、対局する前からその勝敗はすでに決まっているわけなのだ。
「神の一手」と「次の最適な一手」との違いは分かっただろうか。
我々がするべき事は、最適な一手を選び続けることなのである。
その一手である行動とは、実際的にはあらゆる行動に万化する。
「原則」を知らない人間には、その一貫性を見抜くことは難しいことでもある。
744:1
03/10/05 22:14
>738
なるほど。
私の言う「原則」は分かっていないようですね。
言うならば、「原則」は究極の科学でしょうか。
この世の中にある全ての科学・事実は「原則」に基づいている。
加えて「原則」は実学でもある。
「原則」は、真に「幸福の科学」であるとも言えるでしょう。
(「幸福の科学」という言葉は、世の中には虚勢が多いのであまり良い言葉としては通らないと思いますが。)
私は「そういうものがあると見なせる」と、考えているだけである。
それが本当なのか間違いなのかは分かってはいない。
少なくとも言えることは、現時点で「原則」というものを考えている人間は
この世の中にはほとんどいないということである(パーセンテージは低い)。
多くの人間は、そのようなことは微塵も考えていないのだろう。
まさか自分の住んでいる世界にそれが反映されていようとは夢にも思わないのだ。
だからといって、みなが「原則を考えるべきである」とは私は思っていない。
考えたいと思う人間だけが考えればいいのである。
しかし誰かがそれを気づかせてあげることがあっても良いと思う。
745:1
03/10/05 22:15
>738
原則を用いるならこうなるだろう。
「正しい」とかなんだという考え方は、あまり原則的ではない。
己が「正しい」と思い込んでいても、結果が伴わなければ意味がない。
己が「正しい」と思い込んでいても、己にとって日常に不快な事実が多くあるようでは意味がないのだ。
少なくとも私はそう考えている。
「原則」が正しかろうが、間違っていようがどうでも良いのだ。
「正しいのかどうか」というのは、本来どうでも良い(原則的)。
全てがうまく行けば、それで全て良し。誰もが幸福になれればそれで全てが良いのだ。
しかしそれは決して甘いことではない。
原則的な基準で見て、良くなければならないのだ。
妥協は許されない(妥協が原則的に必要な時もあるが)。
しかし、原則が分かっていればそれが一番楽でもある。
苦労は必ず報われるのである。
しかも「苦労」を苦労とは思わなくなる。
全ての行動が、目的に近づくことになることを分かっているからなのだ。
本当に役に立つ考え方を求めて行こうと考えるのが原則的でもある。
批判ばかりしているようでは原則からは遠いのだ。
意識は評論家ではなく、実行者(プレイヤー)なのである(もちろん評論も重要である)。
実行する者こそが真の実力を備えていなければならない。
「本当の実力」という言葉を聞いて感情的に否定的な態度になったのであれば、
その人は本当の実力を知らないのである。どこかで妬みを持っているのだ。
口で「あーだこーだ」言っていても何も始まらない。
行動しなければ世界は変わらないのである。
746:1
03/10/05 22:17
何故に多くの人間が苛立ち、つまらない日々を過ごしている(そういう人もいる)のかと言えば、
自分の行いが、思った通りに世界に反映されないからである。
やってもうまくいかない。成果がなかなか上がらない。・・・etc
また、この世界は自分の思ったとおりの世界ではないからなのである。
理解できないものが数多く存在する。なんであれはこうじゃないのか!(怒)と。
こうだろうとただ思い込んでいるだけで、本当にそういう世界であると知っているわけではないのだ。
結果として、正しいと思い込んでいた認識が過っていた為に、知らずに不快になっていたのである。
ましてや、自分の世界を他人に押しつける人間まで存在する始末である。
私もさんざん苦労させられてはいた。今は「原則」によって吹っ切れてもいるが。
また、「原則」を受け付けない最大の原因は「妬み」にあるのだろう。
「原則が使えれば、すべてがうまくいく。」
人生経験のない人・どうしようもなく困っている人、そういう人には飛びつきたくなるような話でも、
中には、感情的にそういうものがあって欲しくないと思っている人が多いのも確かなのだ。
また逆に言えば、力がなくとも「原則」に頼ることで、己以上の自信を勝手に得る人もいることだろう。
やっていることが原則に則したことであれば、それも悪くはないだろう。
原則的に困る事態と言えば、
自分が正しいと思い込み、それを周りにも推し進めている人である。
その通りにやらなければ、その人によって作られたペナルティを課されてしまう場合である。
その人は、自分を正しいと自分に思い込ませることによって、自分自身を救っているのである。
原則的に見れば、被害者であるとも言える(それ故「原則」を直接伝えることはできないのである)。
私の言う「原則」はその限りではない。
少なくとも「原則」を無視したところで、私があなたをどうすることもできない。
原則に従う必要は全くないのだ。あなたは自由なのである。
ただ原則的に言えば、全ての行動に対する結果は、知らずのうちに原則によって作られているのである。
それが「原則」なのだ。
747:1
03/10/05 22:17
また別の話になるが、
原則的な世界に移行するためには、多少の犠牲を払う必要はあるだろう。
しかし、今の世界では至る所で無駄な労力が使われている。
それに比べたら大したことはない。
また、その犠牲というのは原則的に必要なものでもある。
行動するためにはエネルギーが必要になるのと同じ事である。
当たり前とも言えるが、
原則的でないものを原則的に持って行くには、多少の摩擦は生じてしまうのである。
このスレを読んで不快に思う人も少なくないはずである。
そういうところにも犠牲が現れているのである。
私が手っ取り早く世の中に「原則」を広めようとしないのも、
徐々にそういう環境を作っていかなければ、それだけ多くの摩擦が生じてしまうからなのだ。
仮にも多くの人が「原則」を知るようになれば、
私一人が叫んでいる状況とは違う環境になることは確かだと思われる。
全く同じ「原則」を広める場合にも、信用度が変わってくるのである。
つまり、今の世の中はまだ完全に(人類が)原則的であるわけではないことの一つの証拠でもある。
・・・
748:1
03/10/06 02:56
サイズが512KBオーバーになりそうだったので新スレ立てました。
まさかここまで来るとは思いませんでしたが。よろしくです。
人生最大の発見★2
スレリンク(philo板)
749:738
03/10/06 18:08
語り口がとある教団のとある教祖に似ていたんで、煽ってみた。んで、
妬みが多いのは、優秀なまま楽したい人が多いからだろうね。
才能のせいにして伝えなきゃよい。こういう無意識者多いよ。
安楽のために成長を牛耳る支配といったところかな。
誰かが成長しだすとどぎまぎするタイプ。自分の犬に
成長をかませたりしてる。
現自身が最高であるために他人を苦労させる太鼓腹だね。
なるべく詰まらんことを気にさせて忙しくさせときゃいいんだ。(一部女性)
正しさに関しては自分とはねじれの位置にあるということにしてるよ。
この全文。仮定ということで御願いね。
750:考える名無しさん
03/10/06 21:41
>>749
正しさってのは何かの物事を判断する誰かの主観にすぎないからねぇ。。。
ねじれの位置ってのがどういう位置なんだろう?よくわからん。