03/02/09 20:47
いいな いいな 意味不明なこと言える才能 いいな
3:くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A
03/02/09 20:53
俺は失敗作だった!
4:考える名無しさん
03/02/10 18:59
因果?
5:考える名無しさん
03/02/10 23:31
「例外」は?
6:考える名無しさん
03/02/10 23:35
>1
残念だな、おれの方が先に発見してたぜ。
7:竹脇ムーガ
03/02/11 00:00
私は原則的に原則には反対である(トリスタン・ツァラ)
思い出したのでカキコ
8:考える名無しさん
03/02/11 00:02
>>1
安っぽく悟るな
9:考える名無しさん
03/02/11 00:03
>>7
それ、イイね。
10:考える名無しさん
03/02/11 00:04
別に1が発見したわけじゃないだろ。普通の哲学用語だし。
11:1
03/02/11 14:36
>4
「原則」があるから「因果」ができる。
ふと考えただけの回答です。
>5
「例外」は見つかっていない。
私も反例を探していたのだが見つからないのだ。
>6
それもいいだろう。
発見は世の中の人に認知されてこそ価値がある。ということも多い。
そうなるまでに時間のかかった例も多いだろうが。
>7
なるほど。
ちなみに、私の中では完全に「原則」があると信じているわけではない。
今のところ、「原則」があると仮定するとどういう考え方になるのか?
というように考えていたのだが、今のところはすべてにおいて辻褄があっているところである。
いつの間にか、そういう考えが自然と身に付いている感もある。
しかし、主観的な判断とは区別がつき、
反例が見つかればすぐに気がつくはずである。
また、そういう目で物事を見ていると学ぶことも数多く出てくる。
私自身では、これ以上無理に探す必要もなくなったと考えたので、今ここに来ている。
実は、実生活にその考えは大いに役に立つと思われる。
今現在、ある程度のところまで考えがまとまってきたので(本当のところは分からないが)、
とりあえずここに書き込んでみるか。と思った次第である。
12:考える名無しさん
03/02/11 14:36
後々、それなりに考えている理由など書いてみようと思っている。
「原則」について認識している人の意見なども。
そもそも、それは私一人で考えたあげたものではない。
少なくとも、「原則」をある種のテクニックとして利用している人も多い。
人は様々な人の考えに接し、いろんなものに触れて考え、学びながら間違ったら修正もする。
それを繰り返しながら人は成長していくものである。
私の場合、(今のところ)最後にたどり着いたものが「原則」であったと言うことである。
そして、それを超える考え方が存在するとは、なかなか考えられないのである。という結論に来つつある。
まずは「原則」とは何か?
が先であると思うが、それを伝えることは難しい。
そもそも1に書いた通りでもある。
とりあえずは「自然の原理」ということにしておく。
もしも、人生とは『迷路とは知らされずに、迷路に放り込まされた人の生き様』と例えるなら、
「原則」を探そうとして生きることは、ゴールを探しながら進んでいくことであるとも言えるだろう。
迷路の中で、ゴールを見つけようとせず、お店屋さんをして生きるんだ!という人がいれば、
それもまた、その人なりの一つの人生ではある。
ちなみにこの場合、「原則」とは迷路の世界のルールである。
13:1
03/02/11 14:37
私が言いたいことは、この現実社会には「原則」に則った考え方がある(?)。ということである。
このことは、他のものの考えを否定することではない。
私たちには、私たちなりの考え方はしっかりとあるのだ。
「原則」が分かれば、「原則」的な考え方を使うかどうかの選択をすることができる。
しかし、考え方が違えば行動も変わる。
となれば自ずと結果も変わってくる。
結果は常に「原則」によって支配されているのだ。
人間はそれに気がついていないだけである。
ちなみに、『未来は変えることができる』とよく言ったりする。
これは、その人の考え方を変えれば結果が変わってくるということであって、
「原則」から見れば、それは当然ということになる。
本来人間は自由意志を持つことができるというのが、「原則」的な発想である。
曲がった考えでは行き着く先も、その考えの範囲内にしかたどりつけない。
視野が狭ければ、見えていない場所に行くことは難しいのである。
ちなみに「原則」は、過去・未来、誰にとっても常に同じで一貫しているものである。
そもそも、「人間も自然の一部である」というのが「原則」的な発想である。
14:1
03/02/11 14:38
一応、1のように挑発的に書いたのは、
ここにいる人たちへの挑戦状という意味でもあります。
また、それについて話せる人がいれば議論してみたいと思っている。
今のところは、すべての人には「原則」は分からないのではないかと考えている。
それぞれの人なりに「原則」を解釈するかもしれない。
「原則」というのはある種の考え方ゆえ、
ある部分、その人独自のわがまま的な考えを捨てなければ手に入れられないこともある。
それと、自然を理解するということなので、それなりの理解がほしい。
しかし、学ぶことはできる。
もし本当に「原則」が分かった人であれば、
何日も悩み続けたクイズの答えを聞いた時の何百倍の衝撃を受けようか。
「原則」というのは一つの真実である。
私としては、なんとなく「原則」らしいものがありそうだと思ってくれれば、
今はそれで十分であると思っている(すぐにはそうもならないかもしれないが)。
ひとまず、ここまでに書いたのは「原則」そのものについてである。
実際の現象など、またあとで根拠を持ってきてみたい。
最後に、哲学板にスレを立てたのは、
ここの趣旨が、一番あってそうだということも含め、
人間的にも良さそうだと考えたからです。
他に考えた場所は、経営板か、科学系の板ですが。。
ちなみに、哲学的なことを質問してもらえれば、
答えられる範囲で、「原則」の観点から答えてみたいと思います。
長々とへたれな文章すいませぬ。12=1でした。
15:考える名無しさん
03/02/11 14:40
原則ってなんですか?
もののきまりってえか基準とか法則とかそういうい意味ですか?
16:15
03/02/11 14:44
おっと、いきなり凄いですね。
レス読みましたよ。
僕には難しいんでもいっかい読んでみます。
17:考える名無しさん
03/02/11 14:45
定説 って流行ったよネ。
18:15
03/02/11 14:52
もっかい読みましたが、共感できる部分がほとんど無いので、
僕は原則を理解していないようです。というか正直あるとは思えないです。
僕は一寸先は闇だと思ってます。
そのなかにおいて、せいいっぱい自分の信念を貫いていこうと思って生きてます。
19:考える名無しさん
03/02/11 14:53
>ちなみに、哲学的なことを質問してもらえれば、
>答えられる範囲で、「原則」の観点から答えてみたいと思います。
一つ韓国です。間違いました、挑戦です。
記号論理の同一性の成立条件について、「原則」的にはどう説明をつけますか?
例えば >>1 に書き込まれた「原則」と >>14 に書き込まれた「原則」
が同じく「原則」という語として読まれるのはどうしてなのか、ということについて。
20:キングアナル ◆AnaL8xPitI
03/02/11 15:12
どうして哲学板では持論を「今までにない発見」と吹聴する人が目立つのだろう。
21:考える名無しさん
03/02/11 15:50
原則よりも原理の方が原理的だよ
22:考える名無しさん
03/02/11 15:54
イスラム原理主義のおかげで、原理主義って言葉はかなり一般に浸透してるNE。
23:考える名無しさん
03/02/11 16:33
前から思ってたが、哲学板って頭が平均異常の奴多いよな。
24:考える名無しさん
03/02/11 16:33
平均以上だった。
25:考える名無しさん
03/02/11 18:11
>>24
ああ、ねらったんじゃないのか
26:考える名無しさん
03/02/12 05:40
原則は存在するけどどんなのかは知らないよ
27:1
03/02/17 03:23
>15
正直でかっこいい方ですね。
後になってわかるかもしれませんが、今はそれでいいと思います。
>19
とりあえず「原則」的な意見としては、他の条件などが分からないのでなんともいえません。(^^;
記号論理の同一性の成立条件という意味も良く知りませんし。
そのままの意味だとしたら、
「原則」という同じ語を使っているので同じでいいのではないかということになりそうですが。。
他に日本語で読まれるような読みはないと思いますし。
大した回答ができなくてすいません。
28:1
03/02/17 03:24
もう一度「原則」について考え直すことにしたい。
「原則」とはあらゆるものの根本原理である。
自然の摂理といった方がわかりやすいだろうか。
この世の中はビッグバンから始まり、地球上では今この環境に至る。
人類は原始的な生活から始まり、農耕社会に進み、産業革命が起き、そして情報革命が起きた。
その間文明や科学・スポーツ、そのほか様々なジャンルが生まれ発展してきた。
そして人類は巨大な組織をも作るようになったのである。
(もしも「原則」が存在するなら、これからは脳内革命が起きるだろう。)
統括してしまえば、ひとくくりに話せてしまえる出来事でも、
そこにはとても言い尽くせないほどの出来事が凝縮されている。
「ビッグ‐バン【big bang】(広辞苑より)
宇宙のはじめに起ったと考えられる大爆発。またそれによる宇宙開闢論。
大爆発による高温・高密度の状態から膨張して今日の宇宙ができたとする。
膨張宇宙、宇宙黒体放射、元素の存在比などが証拠とされる。ガモフの提唱。」
29:1
03/02/17 03:24
長い歴史の中で「うまくいっている組織」「正しい判断」「成功した人」、これらは数多く存在しているが、
その裏には「成り立たなくなった組織」「誤った決断」「敗北した人」も数多くある。
これらを一貫して分けるものはなんであろうか。
また、そんなものが存在するのであろうか。
実は、古今東西あらゆるすべてのジャンル・出来事において、
それらを一貫して矛盾なく説明できる観点があり、それが「原則」によるものである。
「原則」からの観点でなければ、矛盾なくすべてを説明することは不可能である。
どこかしら一部でも「原則」に反した(曲がった)考え方を用いると、
必ずどこかで行き詰まるのである(筋が通らなくなる)。
そのとき人間は異常なまでの不快感を覚えるが、「原則」が分かればその不快感から解放されるのである。
そもそも自然の摂理というべき「原則」が存在するとすれば、そのことはある意味当たり前ともいえる。
そして私の言いたいことは、自然の摂理という「原則」が存在するということだ。
ここで一つ付け加えておこう。
実は「原則」そのものが存在しているか、あるかどうかは議論しても良いところである。
しかし自然の摂理は明らかに存在している。
常にその摂理を利用することができるのであるが、
考え方として『「原則」としてはどうなのか?』という思考の形態がしっくりくるので、
その摂理に則った思考を、「原則」に則った思考と呼んでいるのである。
「原則」があるというのはそういうことなのである。
30:1
03/02/17 03:24
しかし、勘違いをしてはいけない。
すべてのものが、「はい」または「いいえ」のどちらかで判断できるわけではなく、
「どっちつかず(説明がつかない)」という曖昧であるが、
そのような判断が真実であることも多いのが現実である
(そのことについて、さらに深い意味は別にあるのだが)。
また、「原則」に則っているものが、
「原則」に則っていないものに負けることも珍しくないのだ(このことは「原則」から説明がつく)。
しかしこれらは「原則」が役に立たないという理由にはならない。
人間にとって「原則」は単なる指針にしか過ぎないのであるが、
逆に言えば、常に指針にすることができるありがたいものなのである。
そして何かしらの時、前人未踏の領域に踏み込むのであれば「原則」は強力な武器になるはずである。
それは、『複雑な人間関係のある組織作り』、
『わけがわからないもの・複雑怪奇なもの』に取り組む時にも「原則」は大変役に立つ。
つまる所、どんな時・どんな場所・どんな対象にも人間にとって役立つものが「原則」なのである。
世の中で、意識を持って動くことができるのは人間だけである。
「原則」を利用するかどうかを決める権利を持っているのも人間だけなのである。
31:1
03/02/17 03:25
万有引力の法則は誰でも知っていると思う。
その法則を利用するから、弾道計算が可能になり、狙った地点にミサイルを当てることができた。
また、その法則を利用するから、宇宙に行くために必要なエネルギーが分かりロケットの設計ができた。
他にも多くの事例で法則は役に立っている。
しかし、自然の摂理である「原則」が存在するという主張にはお目にかかることは滅多にない。
重力の法則だけでなく、あらゆるものにも自然の摂理があると考えても
まんざらおかしくもないのではないか。
そして、「原則」があれば利用することができる。
読み飛ばしてもらって良いが、一つ付け加えてみる。
様々な分野、例えば○○という分野があるとする。
すると○○には、「○○の原則」が存在することになる。
すると、このような「○○の原則」や「××の原則」が分野ごとにあるので、
『「原則」はいくつも存在する。』という考えになりやすいが、それは間違いである。
「原則」はただ一つであり、すべての根本原理の「原則」が存在するから、
そこに因果関係が生まれ、あるジャンルが生まれると、
「○○の原則」が誕生するという見方が「原則」的である。
そして、どの「原則」も似たような振る舞いを示す。
それは、一つの「原則」から派生したものだからである。
異なる分野の中で、なにか同じ要素を見つけることがあったり、
何でもうまくやってのける人がいたり、『一芸は多芸に通じる』といったりするが、
それは、このような裏舞台から現れる現象である。
何でもこなせる人は、何気なく無意識のうちに、
理に叶ったやり方(「原則」に近いやり方)で物事をこなしていたのである。
「原則」が分かれば、意図的に理に叶ったやり方(「原則」に則ったやり方)で物事がこなせるようになる。
32:1
03/02/17 03:25
しかし、なぜ「原則」に納得がいかない人が多いのかといえば、
おそらく人間は、人間の特性についての理解が大分欠如しているのが通常であるからだろう。
常に他者から、自分には見えていないものを学び取ろうとする心構えが欲しいと思う次第である。
また、それができるためには、そういうものがあることを知らなくてはならない。
しかし、自然に対する理解も十分とは言えない。
もしも、もう少し自然に対する理解があれば、「原則」があることへの反発は少なくなるのではないだろうか。
少なくとも自然現象は、人間の特性に比べたらわかりやすい。
明らかに「原則」が存在しているように思えやすいのだ。
人間は、自然の産物の中でもっとも高度な生き物なのである
(少なくとも、今のところ地球人が認識できる範囲内で)。
33:1
03/02/17 03:25
ある人が「原則」はないと言っても、その人が「原則」はないと言っているだけに過ぎない。
もしも誰かが「原則」が存在しないことの根拠を持っているなら、そこからまた学ぶべきものがあるだろう。
しかし、「木を見て森を見ず」のような根拠ではなんとも言えない場合もある。
そして、おそらく探って行けば、木にも様々な理由があることが伺えるであろう。
リンゴが落ちることが当たり前であるとは思ってはいけない。
なぜリンゴが落ちたのかという理由があるのである。
思い込みは「なぜ」を欠如させる。
真実はあると思おうが、ないと思おうが、探していこうとしなければ答えは見つからないのである。
そしてその答えは誰かが分かっていようが、分かっていまいが、すでに決まっているのではないだろうか。
もしかしたら、「はい」または「いいえ」のどちらでもない結論になる場合もあるかもしれない。
しかし私が思うに、「ある」可能性は高いのだ。
いや、少なくとも「ある」と仮定すると、都合の良い場合が非常に多く存在するのである。
ここにもし、「原則」はないと言う人で、その人独自の世界観がすでに完成し、
どうやってもその考えを変えることのできない人がいたとしたら、
その人は、「原則」のない世界に生きているということになる。
しかしそのことは、「原則」には反していないだろう。
例えて言えば、他人を平気で裏切ることのできる人は、
人を信じることは許されない世界に住んでいる場合が多いと思われる。
人を信じる人を見たときには、それこそが信じられないのである。
しかし現実的には、人を選べば人を信じることができる。
それと同じ事である。
34:1
03/02/17 03:25
そしてこれは予想であるが、「原則」という考え方はこれから広まっていくのではないかと思う。
仮に100年が経てば、今生きている人の多くがいなくなっているだろう。
つまり、これから生まれてくる人が生きている時代ということになる。
小さいときからまわりの環境が、「原則」の世界に生きている人の作る環境であれば、
その子供は「原則」が自然と身に付いている可能性も高いだろう。
そしてもし、本当に「原則」が存在するならば、
その場合こそが本当に「原則」通りに、「原則」が人類に共有されるようになる。
地球上に住む全人類が同じ世界観を共有できるとすれば、
それは真実を通じてのみにあり得るのである。
そしてこれが「原則(principle)」という考え方なのである。
もし「原則」が分かった人であれば、
他人の考えさえ、「原則」に従っているか、反しているかがわかるであろう。
そして、困っている人にはアドバイスをしてあげられるかもしれない。
そういう状況の時は「原則」からみたアドバイスをしてあげてほしい。
そのときは「原則」を口にする必要はない。
そうしていくうちに、「原則」的な環境が作られていくのではないだろうか。
それに加え、「原則」が分かれば、分かった人からも広まっていく可能性もあるだろう。
35:1
03/02/17 03:26
いくつか本を挙げてみたいと思います。
・7つの習慣―成功には原則があった!
URLリンク(www.amazon.co.jp)
何かの分野で原則らしきものについて書かれている本や意見などはいろいろあるのですが、
上のものは生活において書き記した本で、
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、参考までに挙げておきます。
・映像の原則―ビギナーからプロまでのコンテ主義
URLリンク(www.amazon.co.jp)
こんな本もあります。これはを読めば、「原則」とはこういうものかと分かるかもしれません。
・人生を変える80対20の法則
URLリンク(www.amazon.co.jp)
これは「原則」の観点からではありませんが、
世間一般の人が気付きにくい真実をとりあげているように思います。
私自身は「原則」の観点からの解釈に直して理解してみました。
最後に「名将たちの戦争学」という本より、
スイス人のアントワーヌ・アンリ・ジョミニの著書『Summary of the Art of War,1965』から一言。
「優れた指導者は原則にのっとって行動し、百戦に勝利する。
原則や術の効用をあざ笑う者は失敗するだろう。」
36:考える名無しさん
03/02/17 03:29
>>1
こんなところにこんなスレを立てるのも、なにか原則に由来する意味があるの?
37:1
03/02/17 03:35
ところで、この掲示板にこういうことを書くのは少し趣旨が違うようなので、
もしかしたらどこかにホームページを作るかもしれません。
私は2年くらい前に「原則」をひらめき、
それから新鮮な気持ちで常に副業のように「原則」をさらに探求し、実践してみたりしました。
今になってはすでに当たり前のように身に付き、
「原則」の探索は、これ以上の成果は少なそうなので、
ここらでせっかくなので、まとめてスッキリさせたいと考えていました(実は私自身は原則には飽きました)。
また、「原則」について利用できるように体系的にまとめてみたいと思っていたのですが、
一人でそれをすることは難しいと思ったので、
何らかの形で掲示板が利用できないかとも思っていました。
とりあえず、ホームページを作ったらここで宣伝させてもらうかもしれません。
何か質問や意見でもあったら、ここかメールにでもと思います。
philo_sophy@hotmail.com
38:1
03/02/17 03:35
最後にネットに書き込んだ理由でありますが、
それは、「原則」そのものについては身近な人と話すことができないからです。
理解力不足なのも加えて、それはその人の人生をも変えてしまう可能性があるからです。
しかも「原則」があるなどといったら変人扱いにされてしまうかもしれません。
しかし、私には「原則」が存在しているように思える。私には「原則」の意味が分かります。
そしてそれは人の役に立つものであるし、誰もが学び、習得できるものだと思っている。
もしもそれが真実であるなら、いつの日にか必ず日の目があたるときが来るだろうと考えている。
そう思って、ネットで心の叫びを書き込みたいと思ったのである。
「世の中には真実がつまっているのだ。それらは誰がなんと言おうが絶対的なものである。
そして世の中には絶対的な考え方が存在し、それに反している考え方も存在しているのだ。
しかし、だからと言って世の中の人が原則に則ろうがそうでなかろうが私には関係がない。
それは、自然界は「原則」通りにものが進む故に、私には手の施しようがないのだ。
しかし私は思っている。世の中はゆっくりだが、確実に良くなっていくのだ。
今は劇的な転換期であり、激しく世の中の動向が変わる。いらないものはふるいにかけられている。
様々な分野はさらに細分化され、新しいものに触れる機会が格段に多くなっている。
ある意味先が不透明な分、今が一番恐怖の時代かもしれない。
しかし、人々が原則に気が付き、一人一人が力を合わせて様々な謎を解き明かし、
世の中の動きのすみずみまでを一本の筋で通し、
澄み切ったように見通しの良い環境に作り変えることができたなら、
人々は心から安心し、心から満足して暮らせるようになるであろう。
世の中の組織構造の理想とはそのようなものである。
そしてその日も、確実にそう遠くない将来到来するのではないだろうか。
しかし、それは私たち一人一人の手にかかっているのである。
一人一人はできる範囲のことをやれればいいのである。」
さあどうなるであろうか、私は「原則」をまとめられたら自分の仕事に取りかかりたい。
39:考える名無しさん
03/02/17 03:37
>>35に挙がってる本の唱える原則なんて、人間というローカルな存在の、ローカルな時代の、ローカルな文化にしか通用しないと思うんだが。
それに「普遍的な原則」としては数が多過ぎるし。
40:1
03/02/17 03:40
>36
ちょうど連続カキコで制限されていたところでした。
41:考える名無しさん
03/02/17 03:42
>39
とりあえずそのことは、31のカキコの凹んだ部分に理由を書いてみた。
42:1
03/02/17 03:43
41=1 でした。
43:考える名無しさん
03/02/17 03:45
その派生させる大元の原則の代表的なものを挙げてみてくれ。
解釈の余地が広過ぎてようわからん。
44:1
03/02/17 03:53
>43
たぶんそれは感じ取ることしかできないんじゃないかな。
そもそもよくは分かってなから断定はしていない。
だからその大元の原則があった。
と言ってみてるわけです。
よかったら、とりあえず全部読んでみてほしい。
今日はもう寝ます。
45:考える名無しさん
03/02/19 16:01
>>44
まだ寝てるんかいのう。
46:1
03/02/19 22:47
>45
はは、さすがにずっと寝ているわけではないですよ。
47:十二使鳥 メジロ
03/02/23 20:47
(パタパタパタ)
>>1 自然の原則は少なくても2千年前から解っていることだよ。
皆知らないけど。
スレリンク(philo板)
(パタパタパタ)
48:考える名無しさん
03/02/26 14:38
認識できる原則なら逆らうことができるし、認識できない原則は問題にもならない。
49:考える名無しさん
03/03/01 07:24
逆らうのが虚しくなるほどの原則には逆らいたくない・・
50:1
03/03/10 03:09
ここにスレを立てて一ヶ月が経ちましたが、
原則をまとめ上げるのは厳しい作業なので、一括してまとめることはせず、
とりあえずボロを出しながらでも、
垂れ流しのような感じでここにカキコして行きたいと思います。
後になって、整理しながらスッキリとまとめることはできるでしょう。
ここまでいろいろ書いてみましたが、
趣旨としては、原則があるということの主張と、
「原則」という、ある意味辞書的な意味を述べたに過ぎません。
例えが好きなので例えて言えば、
美術作品の説明や評論というのはいくらでもあると思いますが、
作品そのものは伝えることはできません。
このことを百聞は一見にしかずというのでしょうか。
こんなゲームがあるとします。
Aさん、Bさんがいるとして、
Aさんにある絵(記号か模様かも分からない)を見せます。Bさんはその絵を見ることができません。
Aさんは言葉のみでBさんに、そのAさんが見ている絵を描いてもらうゲームです。
どうあがいてもBさんは原型の絵を書き上げることはできないのです。
優れた美術作品を言葉のみで伝えることができれば、それもまた面白いとは思いますが。(^^;
(数学的なものに置き換えらるものであれば伝えることは可能かもしれません。
または、デジタル表現に直せば伝えられるかもしれません。)
原則についてもそれと同じです。
今のところは辞書的な意味を述べたに過ぎないのです。
51:1
03/03/10 03:09
くどいようですが、もう一つ例を考えます。が、その前に
世の中には「コツ」や「ノウハウ」と言われるようなものも多く存在します。
「言語を操る脳の神経回路」なんかもそのようなものです。
外国語が話せないのは、その外国語用の回路がないからです。
車を運転できない人は、その運転用の回路が脳に作られていないからです。
また逆に言えば、職人芸などを持つ人は、それ用の回路を持っているということになります。
これは大なり小なり様々なところで当てはめることが可能だと思います。
そもそもそれらは脳の働き(運動神経とも連動します)なのですから。
「回路」というのを、そういう能力が科学的に説明できる為の、元となるものとしてみます。
そして、おそらくそれらは実在していると思われます。
多少ではありますが実際に調べてみることも可能です。
ちなみに、意図的に回路をうまく使いこなす方法も存在していると思います。
(回路について話せばキリがないので、今はあまりしないことにします。
回路についてはとりあえず納得はしてもらえるのではないでしょうか??
とりあえず思うことは、回路は材料があって、うまく調理されれば作られると考えられます。
しかし、すべての人がすべての種類の回路を作ることはできないと思います。
ちなみに回路は基本的に不可逆変化(基本的な脳の機能とも一致)で、
常に変化させることが可能です(原則に向かいながら変化させて行くのが理想なのですが)。
そして、その回路の種類は実に多様です。
常識の範囲内のものであれば、大抵の回路を作ることは可能で、
回路の概念がつかめれば、それまで考えていたものより
多くのものの回路を作ることが可能だと思うようになるとも思います。
当然、意図的に材料を増やすことは可能ですし、調理法を増やして行くことも可能です。
材料とは何か?調理法とは何か?という話も必要だと思いますが。)
52:1
03/03/10 03:10
コツやノウハウを言葉で伝えることは難しいというより、実は不可能なのです。
それは、特殊な回路の存在によって成り立つものだからなのです。
言葉でうまく伝わったとすれば、相手はうまくその言葉を
実際の現象に置き換えることができた(回路が形成された)ということです。
例えば、小学生で逆上がりのできる生徒に、そのコツは何か?と尋ねます。
大半の人は即座には答えられないのではないのでしょうか。
答えられたとしても、その答えを聞くことによって、
逆上がりができなかった生徒が、突然できるようになることはさらに稀なことだと思います。
つまり世の中には、そのようなことは珍しくなく存在しているわけです。
何かの専門家は、その専用の回路を作っていることも珍しくなく、
そのために、一般の人には理解できないものとなるのです。
そして『原則が分かる』というのも、一種の回路があるわけです。
53:1
03/03/10 03:10
実は、十人十色といいましょうか、万人万色それぞれの考え方があるのは、
それぞれの人の回路が違うからなのです。
そして、それぞれの回路は巨大なものです。
しかしこの場合、センサのタイプも違うと考えられます。
同じ刺激を受けても、それぞれ人によって影響は異なります。
・・・とりあえずここらでその話はやめておきます。
このように考えると、分かりやすいだろうと思ったまでのことです。
そして、人は理解する範囲を広げる(回路を変化させる)ことができることを付け加えておきます。
ついでに、思考回路を切り替えることも可能です。
相手の立場になって考えることも、思考を切り替えることと言えると思います。
ただし、それは相手が自分の理解の範囲内に入っている場合に限ることもあります。
回路の性質も多様なので、その辺の理解もしたいところです。
54:1
03/03/10 03:11
思ったことが一つありますが、
『自分はあの人とは考えが違う』という発言を聞いたある人は多いと思います。
その人は、考えが違う人のことを生理的に受け付けることが難しいのです。
認めてあげることができないのです(という場合もあります)。
しかし実際には、それぞれの人の考え方は違うので、
考えが違う人がいたところで、それは当たり前ということになります。
原則的な意見としては、その考えを軽蔑することはあり得ても、
考えの存在自体を否定することはできないのです。
しかしながら実際には存在しているので、
その存在を否定することができないのは、ある意味当たり前なのでは?とも思いますが。(^^;
実際のところとしては、
個人の持っている世界観が、正反対の世界観を持つ人間を認めないのでしょう。
そして、個々の世界観に閉じこもっている人は、真実の世界を観ることはできません。
もちろん、真実を知る必要性は全くもってありませんが。念のため。
今のこれを読んでいる人がいれば、それなりに何かを求めていると思うものがあるのではないかと思います。
強制するものでもなんでもないので、そこら辺はお願いします。
ちなみに、『私の世界観は真実である』と思いこんでいる人も、
真実でない世界にいることもあると思います。
もしも、その人に意見を言っても認められないのであれば、
その意見を理解したうえで間違っているというのであれば話は別ですが、
そうでなければ思い込みの可能性はあるかもしれません。
そして、原則を超えるものは存在しないというのが私の考えです。
多少は微妙なところもあるのですが、
意味もいろいろととれるかもしれませんが、後に説明できたらと思います。
55:1
03/03/10 03:13
私は自分なりに、原則に従って真実を探って来たと思っています。
私自身では、もう一般的な原則について探す必要はなくなりました。
実は、個人的には組織のあり方を探っているついでに原則を発見したのです。
私自身は、組織のあり方は、常に原則にその判断を求めることが理想であると考えています。
世の中の動きは激しいので、何か一貫したものに頼ることは多大な安堵感にもなるのです。
原則を知らずにその理想を求めていった結果、原則にたどり着いたということです。
今から考えれば、原則を利用するために、原則を探してきたとも言えると思います。
そしてそのようなものがあったとは、驚き、感服した限りです。
組織を運営するには、それなりの頭脳が必要であると思います。
組織全体が活性化していることが望ましいことは言うまでもありませんが、
トップの頭脳こそが、もっとも重要な資産なのです(これは原則ではありませんが)。
私自身は様々なものを通して常に頭が良くなっていくことを感じていました。
さらに上を目指そうとしていたのですが、
どうも原則を超えることはないという今の考えに至ったのです。
その後、組織についてだけでなく、様々な分野の原則についても探っていました。
何かの分野の一流の人の話を聞くことは非常に為になると同時に、多くの共通点があるのです。
もちろんそれは、裏に隠れた原則の結果現れるものなのです。
しかし、原則の存在に気がついている人は極めて稀であるのが現実です。
ネット上にもほとんどそういうサイトはありませんでした(海外のサイトは知りませんが)。
56:1
03/03/10 03:13
そして私自身は、おおざっぱではありますが、
大型書店にあるすべての本の背表紙はだいたい見て回りました。
様々な思考法や、成功法則関係のもの、人生論や経営論など見てきましたが、
どれも原則には敵わないものばかりでした。
また、原則を述べているものもしばしばあります。
怪しそうな思考法や成功をうたっているものも原則には敵いません。
それなりの説明がつくのです。
なので、『まんざらウソと言うわけでもない』というのが結論でした。
ちなみに、私は怪しい宗教のようなものは好きではありません。
怪しいものでもその仕組みを知ることは嫌いではありませんが。
しかし、怪しいというのも失礼でしたね。すいません。(^^;
57:1
03/03/10 03:15
このように書いていると、「あなたこそ自分の世界に入っているのではないのか?」と、
非難を受けるかもしれませんが、それは結構なことです。
そうではないことの証明はできません。
また、自分の世界が真実であったとしても、
自分から見た世界にすぎないことは確かなことです。
実際の所としては、考えていることすべてが本当に疑いのない真実であるかどうかは
難しいところではありますが、大きな流れとしては正しい可能性は高いと思います。
また、間違いをすることは当然のごとく、日常茶飯事であるのも事実です。
そして分かり次第修正します。
ちなみに付け足しとしては、世の中には大きな共通した流れがあって、
その上に個別の存在があるようにも思います。
私は今現在「原則」が存在すると考えていて、そういう思考が存在すると考えている。
そして「原則」の、ある一般的な形である基本が見えてきたので、
それらをまとめられれば、それを参考にできる人もいる可能性もあると思っている。
それはある意味学問のようなものになると思う。
物理をやったことのない人は、物理という学問があるんだなと思うだけである。
原則についても同じであり、それらを学んで初めて原則的な思考が身に付くのである。
それは、人間本来の自然体である思考の仕方であると思われます。
58:1
03/03/10 03:16
そしてそれが真実であるなら、どこまでも広がっていくと思うが、
それが偽であった場合にはどこかで否定されることになるだろう。
私自身では、真であることに疑いはないのである。
誰かが偽であることを証明してくれるまでは、そう思い続けるかもしれない。
なんと恥ずかしいことだろう。
しかし、それらをまとめることはやはり困難である。
そして、どんな形になるかも分からない。
本当は数人でまとめ上げて行きたいものであるのだが。
それでもなんとか私が感じている真実の世界を伝えられたらと思っている。
もちろんそれは真実の世界のほんの一部である。基本的な考え方を示したい。
全体像は、やはり世界の人々の協力なしには作り上げられないのである。
しかしそれらも、地球からみた真実の世界にすぎないのではあるのだが。
動き出さなければ何も始まらないのは事実であるが、
本当の発見とは、世界をくまなく旅することではなく、
身近にありながら、今まで気がつかなかった自分なりの事実を解明して行くことではないのだろうか。
59:1
03/03/10 03:18
原則原則とバカバカしいかもしれませんが、もう少し続けてみたいと思います。
原則が役に立つのは一部の人だけかもしれませんし、好奇心旺盛な人だけかもしれませんし、
世の中の役に立ちたいと思っている人くらいかもしれなく、
そもそもありえない話かもしれないのですし、
私の思い上がりかもしれませんのですが。。(^^;
しかし、世の中に出回っている本を読んでも最近刺激がなくなってきたので、
そろそろ原則を世の中に広めるのもいいのではないかとも思ったのです。
確かにここ数年で出回っている本の中身も変わってきています。
そしてその移り変わりは非常に激しいものです。流通している書籍の量も多大です。
私自身追いつきたくもありませんし、追いついても行けません。
しかし、世の中はまだ原則にたどり着くには時間がかかりそうだと思いました。
もしかしたら、どこかですでにまとめられているかもしれないのですが。
しかしながら最近の情報社会の動きはとても激しいものがあります。
ここで原則を論じていれば、意外に早く世の中に出回る可能性もあると考えたのです。
もしも原則が一部の人の知るものとなれば、
とたんに原則を論じた書籍が世の中に出回るものと考えています
、、本当のところは分かりませんけれども。
60:1
03/03/10 03:19
情報社会の時代では、原則があると良いことも多々あると思います。
過去のどの時代よりも的確な判断や想像力の豊かな人材が
求められる世の中になる可能性は高いと思います。
新しいことを学ぶ必要性も多くなります。
そのとき、今まで自分が経験したことのないものにも原則があるとすれば、
それは心強いものであるし、
原則の性質を理解していれば有利にことを進めることができると思います。
また、原則がなければ、それはわけのわからない混沌とした世界であることと思います。
そのような世界であれば、確かに新しいものにチャレンジすることは億劫になりそうですけれども。。
たまにカキコするときにageさせてもらえたらと思います。
質問や反論がありましたら遠慮なくお願いします。
61:山崎渉
03/03/13 12:45
(^^)
62:1
03/03/19 20:51
ところで原則についてですが、
これらのどの考え一つ一つをとっても強制するものではありません。
私は、誰の中にも原則は存在するものと考えているので、
最終的には各個人が持っている原則から、
自ら自由に判断できるようになるといいのではないかと思っています。
原則を気にしないのであれば、それも一つの選択であると思います。
このようなスレを読む必要もありません(果たして読んでくれている人はいるんでしょうかね(^^;)。
ただ、どの人にとっても同じ原則であるので(価値観は異なる)、
私は『とりあえずこう考えている』という意見を書いています。
そもそも原則がなければ、これらの話もなかったことになるのかもしれないのですが。
(これらの態度は終始一貫したものです。)
私の言う「原則」が分かった人であるなら、これらの話を聞く必要もないと思います。
何かプラスになりそうだと思うのであれば、
役に立つと思えるものだけを抽出するというつもりでいれば良いと思います。
そして、>1 の趣旨が本当に分かっているのなら、「原則」が分かっているとも言えるでしょう。
それに「原則」はもっとも深いものゆえ、
存在するものすべてが(正しいかどうかは別にして)原則の結果現れる真実でもあり、
それらをすべて表現することは不可能です。
「原則」を記すにも様々な表現方法が可能でもありますし、それほど広い範囲までは記すことはできません。
なので、基本の流れを示すところで終わってしまうことになるのではと思います。
(後に原則を分かった人の誰かが、さらに様々なものを掘り下げてくれるかもしれませんが)。
63:1
03/03/19 20:51
私たちが直接五感を使って知ることのできるものは、それらのものの表面的な部分に過ぎないのです。
人間は次第にものの深みを肌で感じとることができるようになるのです。
そして、その一番の奥底に眠っているものが「原則」であるということになります。
ある意味、この世の中の物すべてが原則でもあるのです(存在しているということ)。
私は、『こう考えると、すべてのものを辻褄が合うようなとらえ方が可能である』という、
「原則」という観点からの基本的なものの見方を伝えられたらと思っています。
(ベクトルというのをご存じでしょうか?
3つの独立したベクトルがあれば、すべての空間の位置を示すことができます。
ベクトル表記によって物(3次元の物体)を表現することができますが、
その3つの独立したベクトルの取り方によって、同じ物でも無数の表現が可能です。
現実の世界もこれに似たような考え方ができます。
考え方というのは様々にありますし、何らかのジャンルからの見方というのも考えられます。
そして、何かの現象(事実)があったとすれば、
一人一人の見方は違うものです。いろんな切り口によっても、見方は様々であるのが通常です。
原則的には、あるがまま、そのままのすべてを受け入れようとする見方です。
つまり、人にはそれぞれの見方があるのが普通です(3つのベクトルのようなもの)。
しかし、原則という見方(色の三原色のような、ただ一組のあるベクトルの選び方)でなければ、
どうしても説明できない現象が現れるのです(日常茶飯事かもしれません)。
実は、人の意見を原則からの解釈に置き換えることが可能です。
イメージとしては、その人が感じていたイメージの元になっているベクトルを変換するような感覚です
(このような感覚は、正しいベクトルを選んだ人だけの特権ではありませんが)。
そして、正しいベクトルを選んだ場合だけが、すべてを説明できるようになるのです。)
64:1
03/03/19 20:52
『考え方は変わる』という考え方の持ち主もいます。
そのような人は、基本になる考え方(基本となるベクトル)が変わることもある、
ということを知っているのだと思います。
そして、そのような基本になる考え方というのを哲学というのだと思います。
ついでに、分野が変われば人の考え方も変わったりするので、
人の考え方というのは時と場合によっても様々に変わるものだと思います。
「原則」という哲学は、どこの分野に行っても全くもって共通です。変わることはありません。
人生に加えて、様々な分野にもやはり原則はあるのです。
実は、ある特定の分野の中にも「視野」という概念を考えることもできたりします。
そして、様々な位置づけや階層構造のように見立てて考えることもできるかもしれません。
物事は全体像をつかもうとすることが非常に大事なことだと思います。
大抵のものは、いくつかの独立したものに分かれたりもするのが一般的な特徴でしょうか。
また、そういうものが繰り返しになったりもするので、どこの位置づけかを知ることも重要だと思います。
そして、ただ考え方というレベルでだけでなく、
脳の使い方という意味でもそれぞれ多様であったりもします。
・・・余談でしたが。
65:1
03/03/19 20:53
原則が分かれば、個人的な謎のすべては謎ではなくなるはずです。
何故なら、どうやって考えて行くとそこに近づくことができそうかが分かるからです。
また、自分とはあまりにもかけ離れているものであれば、
今の自分にとって、その謎を考える意味がないことも分かるからです。
また、『どうやっても分からないこと』は分からないものだと言うことが分かるからです。
しかし、私にとっては最大の謎が残っているような気がします。
それは原則という考えが分かっている人にとっても共通の謎でもあると思います。
それはまた後に書きたいと思います。
そして原則的には「幸福」というものもそれなりに分かってくるのではないでしょうか。
これもまた後で書きたいと思います。
幸福がどんなものかが分かればそれに向かうこともできるのではないかと思います。
実は、個人が幸福になることは、原則的に他人に悪影響を与えることがないのです。
どちらかというと、まわりには良い影響を与えるのではないかとも思います。
おもしろくないかもしれませんが、とりあえず続く・・・
66:考える名無しさん
03/03/19 21:04
まったくその通りだとおもいますよ
67:考える名無しさん
03/03/19 22:55
原則があるかないかの二択である方に賭けてるだけ?
つうか既出三昧ですか?
68:考える名無しさん
03/03/20 14:51
原則?
人間は自分の気持ちを満足させるために生きている。それだけだよ。
いろいろなことを考慮して環境を作り上げややこしい状態にはしたけど、結局は自分の気持ち
しかわからない。五感で感じる主体は自分なんだから自分以外の世界のことは自分のとらえ方ひとつ
でどのようにも解釈可能。自分を満足させるテクニックを磨けば、客観的に嫌なことでも喜びに
変えることは可能。生きることは全て意識的に行われていて、自分なりのプログラムを組んで遂行
している。「自然に」などということはなく全て意図的であり「自動的に」プログラムが遂行できる
よう鍛錬しただけだ。そのテクニックの優劣がストレスの大小をきめる。
幸せになりたければそのようにプログラムをして遂行できるように鍛錬すればよい。
69:考える名無しさん
03/03/20 15:35
なんだかあたりまえ過ぎて賛同も反論もしようがない気
70:考える名無しさん
03/03/20 15:59
>69
仕方ない。真実だからね。いろんなことを難しく考えていきたければそうすればいいし、
すべて自分の選択。何で気持ちを満足させるかは人それぞれ。すべては自分が決めている。
その事実を無視して理論を創造して楽しむのも自由。したいことをする他ない。
他人(環境)のためにしていると思い込んでいてもそれはすべて自己満足のため。
本当にそれに気がついてる?
71:69
03/03/20 21:24
>>70
紛らわしくて申し訳ない。69は1さんへのレス。
もちろん「すべては自分が決めている」と決めるのも自由だと思います。
俺自身は「満足するために生きる」のはレンジが狭すぎて満足しませんけど。
72:1
03/03/20 23:31
>67
既出ではありませんが、違います。
>68
それがあなたの哲学なんですね。立派なものだと思います。
幸せに向かって自分なりに努力している人というのは少ないと思います。
とりあえず原則については考えられないということですね。
ただ、まだ人生は長いと思いますので、しばらくたった後にでも本当の幸せや満足ってなんだろう?
と、考え直すのも良いのではないかと思います。
余計なお世話だったかもしれませんが。。
>69
あなたは私が感じている「原則」を感じていないのだと思います。
73:1
03/03/20 23:50
>66
どうもありがとうございます。
原則が分かっているのかどうか心配になってきましたが。。
まあ、この後どう展開するかでわかりませんけどね。(^^;
74:68
03/03/22 10:27
>65
75:68
03/03/22 10:48
あ、すみません。何も書かずに終わってしまいました。
65 にある、「悪影響」とか「良い影響」の区別はどのような意味合いで使っているのでしょうか?
あなたが善悪の基準として考えているの?
他人のことはその人にしかわからないし、ましてや自分の行為が相手に与える影響などわかりようもないと思いますが。
ある事象があったとして、それのとらえ方は千差万別で、良くとるのも悪くとるのもひとつのテクニックでしかないよ。
全世界で最も重要なのは自分の気持ち。相手の気持ちはわからない。どんなに相手がうれしそうでもそれは自分にそう見えるだけかも
しれない。相手と分かり合えないけどわかりあいたいから接触する。そこにはさまざまなテクニックが行使されているけど、稚拙なために
「うまく」いかないのが一般的。
そのテクニックに長ければ自分が「幸福」で他人に「良い影響」を与えることは可能。でもそれが「良い」
かどうかはわかりませんが。
>72
あと、「本当の幸せ」とはなんと考えます?「満足」も。自分の気持ちを積極的に満たす努力をしないで得られるもの
だと考えているなら、まあ棚ボタみたいなね、なかなか得られないとは思います。
自分を見つめて何で満足するか知ればわりと容易だと考えます。それが「本当」だと知っているのは自分だけだから
自分自身とよく向き合わないと「本当」の幸せや満足は得られないでしょうけど。
76:考える名無しさん
03/03/22 11:06
満足か・・・
欲望はほっとくとどんどん増幅するものだから、
ポイントは欲望をできるだけ小さくしておくことだね。
少欲知足。仏教のおしえだよ。
77:68
03/03/22 15:23
>76
欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。
本質的な欲望を意識的に満足させることで不必要な欲望など持たなくなることを試してみたらどうだろう。
実践しなければ得られない。本質的な喜びがすぐ目の前にあることに気付いていないのかな?
78:1
03/03/22 20:08
>68
>65 にある、「悪影響」とか「良い影響」の区別はどのような意味合いで使っているのでしょうか?
>あなたが善悪の基準として考えているの?
いや、私の勝手な基準で考えたものではありません。
原則というのは考え方ではありません。
あくまで原則的な「悪影響」、「良い影響」という意味です。
誰もが分かっている基本的なことだと思います。
殺人犯は「悪影響」をもたらし、良い教育というのは「良い影響」を与えます。
ただの一例ですが、このような当たり前のことです。
優秀な人というのは自尊心が強い人には不快になるかもしれませんが、
そういうことは原則的な「悪影響」とは言わないということです。
つまり、原則的な「悪影響」が、ある人にとっては心地よいものになることもありますし、
原則的な「良い影響」が、ある人にとっては不快なものになることもあるのです。
79:1
03/03/22 20:08
>68
>あと、「本当の幸せ」とはなんと考えます?「満足」も。自分の気持ちを積極的に満たす努力をしないで得られるもの
>だと考えているなら、まあ棚ボタみたいなね、なかなか得られないとは思います。
>自分を見つめて何で満足するか知ればわりと容易だと考えます。それが「本当」だと知っているのは自分だけだから
>自分自身とよく向き合わないと「本当」の幸せや満足は得られないでしょうけど。
なるほど、良く分かっていらっしゃる。そういうことだと思います。
原則的な「幸福」は後で書いてみたいと思いますが、
基本的な脳の仕組みというのは誰もがだいたい同じではないかと思います。
「幸せ」と「満足」というのは区別する必要がないのかも分かりませんが、
本当の幸せとは、原則に則した幸せを追求しなければ得られないものだと思います。
どう追求すれば良いのかは、それぞれの人にしか分からない、それぞれの人のすべきことだと思います。
それは原則が分からなければ何も始まらないかもしれませんが。。
ちなみに、大抵の人はそこそこの「幸せ」が得られれば良いと考えていると思います。
それも良いとは思いますが、実際のところは「幸せ」か、否かの二択ではなく、
どのくらい「幸せ」なのかということが考えられると思います。
ちなみに、68さんは原則の影響を受けていることが客観的に分かりますよ。
80:1
03/03/22 20:09
とりあえず思ったことですが、原則自体は考え方でも哲学でもなんでもありません。
ただ、この世の中にはそういう仕組みがあった!という、それだけの話です。
昔、りんごが落ちたことについて何故だろうと考えていたニュートンが、
まわりの人からはおかしく見られていたことと同じような感じの話です。
今まで、人間は身勝手で、筋を通すことは難しいというのが世の中の常識ではありましたが、
それは、ただ人間自身も自然の一部であることに気がつかなかっただけだったのだと思います。
実は原則が分かったところで、原則が分かっていない人の前には無力です。
それどころか、彼らの哲学(彼らの原則)に反していると、逆に反感をもたれてしまうのが普通です。
意図的に、人ともっとも上手にやっていく方法があるとすれば、
それは、彼らの哲学の上になりたつ価値観の高い人を装い続けることに尽きます。
すべては相手ありきという考え方。
人に限らず、対象を理解し、その上でどういう行動を取るのかを考えるのが、原則の基本です。
なぜそうするのかといえば、物事をもっとも良くコントロールしたいからです。
うまくコントロールするためには、対象を知ることがもっとも大事なことなのです。
原則を哲学に持っている人には、そのまま接すれば良いということになります。
テクニックを駆使しようとすれば、逆に自分が愚かだと思われてしまうことでしょう。
そして当然のことですが、人の誰もが哲学が定まっているというわけではありません。
そこら辺のマニュアル本にあるのはテクニックレベルなものも多いです。
ただ、『今までのやり方とは違う』と売りにしていた、
原則的なやり方で人に接するという本もいくつかありました。
それらの本の著者は、原則については知る由もありませんでしたが。
ただ、その原則が分からない人が、テクニックを借りて行うのだと思います。
81:1
03/03/22 20:09
実は、原則があるというのは、この情報時代だからこそ納得のいく代物でもあるのです。
なぜなら、昔の時代では分からないことが多すぎたので、物事は神が起こしたことにもされてきたのです。
地球は回っていると唱えたガリレオは殺されそうになってしまったのです。
それが今では「遺伝子」という言葉を知らない方が非常識になってしまったのですから。
・・・まあ、今でもビッグバンはどうして起こったのかは分かりませんし、
当たり前のように存在している雪の結晶や、雲の様々な形、川の入り乱れている様子などでさえ、
科学的にはどうして作られるのかも解明できていないように、分からないことも多いですが、
それでも原則があると仮定した上で、原則に反した例は見つからず、
あらゆるものに因果関係がありそうなので、原則があることにも納得がいくようになったのです。
そして人間自身はあまりにも世の中のことが分かっていない生き物なのです。
しかしながら、勝手な解釈ばかりしているのが現状なんだと思います。
原則というものが分かれば、何かに固執する必要は全くなくなるのです。
すべてのものから解放されるという、そのような感覚になると思います。
82:1
03/03/22 20:09
ネットで検索してもありますが、
宮本武蔵の『五輪書』の空の巻で、彼の人生観を述べているのですが、
彼は真理に生きていたことがよく分かります。
彼は武道の道だけでなく、他の物事も良く観察し理解することが大事であると説かれていました。
五輪書とは、その時代の武道の原則でもあると思いました。
過去の時代にも、真実の世界に生きていた人というのは多かったと思います。
むしろ、この情報社会なゆえに勘違いをし出した人も多いのだろうと思います。
それは、ただ単純な原則というものを分かっていないからだと思います。
世の中にはあらゆる物に因果関係が存在しているという法則があったのです。
ただ、人間はそれに気がついていないだけなのではないかと思います。
このことは、ダーウィンの進化論と同じくらいのインパクトであると考えています。
今のところの人間の多くは、科学で分かっていることや、世の中の常識になっているものくらいしか、
なかなか信じようとはしないことが多いのではないかとも思います。
世の中の常識は間違っていることもあるし、常識というのは時代や場所によっても変わっていきます。
そして、この激しく変わる時代だからこそ、原則という哲学が求められるのだと思います。
83:1
03/03/22 20:10
原則の分からない人は、自分の思い込みを捨てて、
何も知らないんだという所から始めなければならないのかもしれません。
そのまま進んで行けば、自分の知識がつながり始めるのではないかと思います。
少なくとも、今まで考えていたその考え方の上に原則を知ることはできません。
そして、原則が分かればそれまでのことも、すべて納得がいくようになるのかもしれません。
そして、実は原則があるということを言っただけではあまり画期的だとは思われないかもしれません。
何故なら、原則というのは認識すれば認識するほど、その強力な概念を思い知らされるからです。
そして、自分の知識や理解力は増えていきます。
そのことは、この世の中が原則に従って動いているのだから、ある意味当たり前でもあります。
しかし、原則を意識しなければ学びの効果は薄いのです。
記憶力もそうですが、それらの因果関係がはっきりしているから良く頭に残るのです。
将棋の棋士が何局もの対局を覚えているのも同じ事です。
これらのことも、どこの分野に行っても同じです。
物事は基本が一番大事でもあります
(しかし、このことさえ本当に分かっている人は少ないような気もします)。
そして今現在では、人間の思考の仕方や、基本となる事実でさえも認識されていないことも多いです。
ほとんどのことが無意識のうちになされているのです。
本当の頭の良さというものを、世間の人がこれだと確証を持っていることは稀であると思います。
これらのことも原則が分かれば自ずと答えは見えてくるのではないでしょうか。
続く・・・
84:考える名無しさん
03/03/22 20:40
>>77
>欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。
いや、欲望を抑えるのではなく、小さくしておくのだ。
小さくしておくためには、「自分」に拘らない事が重要。
>>75のように「自分・・自分・・」と自分に拘ってしまえば
欲望は自然に増幅してしまう。
それは、すべての欲望の根源が「我欲」にあるからだ。
自我に執着している状態で「『本当の』幸せ」を
得ることはできない。
85:考える糞名無しさん
03/03/22 21:38
>>1
ということは、絶対的な原則があるということですか?(そのように見えたので)
原則というのは非常に大き過ぎると思います、
だから、原則を求めていけばいくほど拡大されていって
理解できない(絶対がない)と思います、むしろ理解できないから
原則なのかもしれませんが。
86:68
03/03/23 09:14
>84
断定がいいね。自我に執着している状態で本当の幸せを得ることはできない。
なるほど。もしかすると、自我に執着しないで、自我を客観視するテクニックを身につけていないのかな?
自我にとらわれるのも楽しいけどね。客観視できると幸せだよ。
87:考える名無しさん
03/03/23 09:30
幸せが好きな人が多いんですね。
88:考える名無しさん
03/03/23 10:11
>>86
「客観視された」自我は本当の自己ではない。
本当の自己は「客観視している」自己であり、それは
絶対の主体であり、客観とはなり得ない自己だ。
そのような自己を「実存」というのだ。
89:68
03/03/24 10:08
>87
幸せはお嫌い?
>88
知りませなんだ。なるほど。で、そのように定義することでどのような利点があるのですか?
68がいいたいのは定義ではなく、悩みから開放された状態としての幸福の実現の方法なんだけどね。
自己を見つめていくと自分が何を求めているのかがわかってくる。これは68の主観で一般的では
ないのかもしれないんだけど、人間の根本的な悩みは自己満足できないことだとおもう。
成長の過程で他(環境)から価値観を教わるため、他と自己の価値観の葛藤で悩むと思いますが。
その悩みを解消する方法が素直な自己分析で可能だという話です。あくまでも「素直」ね。
90:Sophia
03/03/24 10:42
89 幸せは大好きです。もしかしたら一番好きです。
91:68
03/03/24 11:51
では、幸せになる努力をしてください。応援します。
92:考える名無しさん
03/03/24 12:43
1が何を言いたいのかさっぱり解らないんですが?
文章を読む限りでは「原則」を「神の意志」と書き換えても何ら
差支えが無いように思われます。むしろ、そのほうがより理解しやすい
ように感じられます。
93:68
03/03/25 09:25
ほんとよくわかりません。1にはもう一度わかりやすく説明してもらいたいと思います。
ちなみに「原則的な悪影響」とは如何なるものなのでしょう。
当方馬鹿なのでわかりやすくお願いします。
94:考える名無しさん
03/03/25 10:54
原則とは例外への逃げ道
95:68
03/03/27 12:02
終了ね?
96:1
03/03/27 22:30
>85
>ということは、絶対的な原則があるということですか?(そのように見えたので)
その通りです。
まあ、原則があるというよりは「自然の摂理が存在している」という方が正しいのですけどね。
因果関係があるので、「あれをした方が良い」というようなこともあり、
何かの基準ができるような感覚になるので、原則があると言っているのです。
絶対的な原則というのは私も考えたことはありませんが、
存在しているものは、絶対的に存在しているということです。
そして数学には矛盾がないように、現実社会にも矛盾はないと思われます。
私は原則に反している例を探していたのですが、自分一人では見つけられそうにもないので、
他の人にも反例を探してもらいたいという考えもありました。
97:1
03/03/27 22:30
>85
>原則というのは非常に大き過ぎると思います、
>だから、原則を求めていけばいくほど拡大されていって
>理解できない(絶対がない)と思います、むしろ理解できないから
>原則なのかもしれませんが。
なるほど。
とりあえず原則が分かった人にとって、そういう心配はいらないので大丈夫です。
そのことは、一人の人間の手に負えなくなるということなのでしょうか。
原則というのは、集約されて単純な事実に収まるので、
様々な現象をそのまま覚えて行くより、見通しも良く、理解しやすいものと思います。
ただ、普通の思考よりも脳味噌をふんだんに使うものと考えられます。
とはいっても、それが本来の使い方であるのだと思いますが。
また、あらゆることにも原則があるので、確かにそれらまですべて理解することはできませんが、
何も一人の人がすべてを理解する必要はないのです。
今も様々な分野で様々な研究などもなされていますが、
ありの大群がえさに群がっているような感じでしょうか。
なので、原則というのはどこまでも拡大されていく一方になるのかもしれませんね。
98:1
03/03/27 22:31
ここでもう一度「原則」そのものについて整理してみます。
「原則」があると言っても、その解釈はいろいろ可能ですし、
「原則」も様々なものを指すこともありそうですし。
やはり初めに考えられるのは、『自然の摂理がある』ということに、本当に気が付くことである。
それに気がついた人は、『自然の摂理に気がつくこと』がどういうことなのか分かるはずです。
その状態である人間が『「原則」が分かっている』とすると分かりやすいかもしれませんね。
その状態になって初めて、本当の原則の哲学を身につけることができると。
最大の発見であるというのは、このことであると思います。
また、その状態ではなくとも、とある「原則」は認識することはできると思います。
そして『自然の摂理』も、とりあえずあることは納得することができると思います。
しかしそのような人は、まだ何か抜けきらない何かがある状態であると思います。
その人は >1 の趣旨がやはり分からず、「原則」もすっきり納得がいかないのかもしれません。
まだ脳にある情報量が足りないのか、それとも他の観点から考えることができてないのであるか、、。
様々な勉強をしたつもりになっていても、
勝手な解釈をしていては本当の情報は得られないかもしれません。
勉強で得られる情報量は少ないかもしれませんが。
99:1
03/03/27 22:31
そして、何かの大元をつかめる感触があるものもあり、
そういうものを「原則」と呼びたくなることは多いです。
それとまた、個々の派生した単純な事実も「原則」と呼ぶときもあると思います。
そして、存在しているという意味では、あらゆるものも「原則」と呼べるかもしれません。
訳が分からないかもしれませんが、とりあえずそういうことにしておきます。
そして、人生の教訓というべきか、様々な重要な「原則」の事実があるかもしれなく、
その人はどのくらい「原則」が分かっているか?ということも考えられそうだと思います。
とりあえず私は、適当なまでの「原則」の事実を書いてみたいと思っています。
「原則」が分かれば、枠組みなく自由に様々なことが考えられると思いますので、
「原則」が分かった人であるなら、
あとは自分なりに考えていくことが当然ながらに求められると思います。
考え方や頭の使い方も、それぞれ無数にあると思いますが、がんばってください。(^^;)
もちろんそれらを知る必要はなく、そういうことがあることを知っておいた方が良いということです。
大抵の人はなかなか思考の切り替えができないことが多いです。
新しい考え方を学んだところで、
それまでの考え方の上に、新しい考え方を用いるというやり方が多いと思われます。
しかし、それは本質ではありませんし、限界もあると思います。
まあ、深く考えることはないと思います。余談でしたが。。
後になって、原則に関する様々な意見が出てきて、それらが整理されれば良いだろうとは思いますが、、。
何か提案や要望があれば遠慮なくお願いします。
まだ原則があると決まったわけではないかもしれませんが。
100:1
03/03/27 22:31
>92
>1が何を言いたいのかさっぱり解らないんですが?
>文章を読む限りでは「原則」を「神の意志」と書き換えても何ら
>差支えが無いように思われます。むしろ、そのほうがより理解しやすい
>ように感じられます。
このスレ全体を読んでみて、さっぱりだったのでしょうか。
「神の意志」は人間には感じることはできませんが、
「原則」というのは様々な局面で感じることのできるものだと思います。
>93
>ほんとよくわかりません。1にはもう一度わかりやすく説明してもらいたいと思います。
>ちなみに「原則的な悪影響」とは如何なるものなのでしょう。
>当方馬鹿なのでわかりやすくお願いします。
>78 は読みましたでしょうか?
幼い言い方ですが、「良いこと」と「悪いこと」の区別はつきますでしょうか。
「原則的な悪影響」とは「悪いこと」ということです。
スレ全体を読んでも分からないのであれば、
まだ「原則」は分からないのかもしれないですね。
世の中には後になって分かることということも多いと思いますし。
とりあえず原則については、まだ書き続ける予定なので、
それらを読んでから考えるのも遅くはないと思います。
101:1
03/03/27 22:32
ところで原則の話に少し戻りたいと思いますが、
原則が分かった人は、自分の知っていることと、知らないことがはっきり分かるようになると思います。
また、そこからイメージの沸きやすいものと、沸きにくいものとあるのではないかと思います。
そして、様々な自分の知らない情報をかき集めていくと、
様々なイメージが沸いてくるようなことが起きるのではないでしょうか。
さらに情報をかき集めていくとどうなるかは、予想はできても、
そのときの感覚は今現在にはつかめない不思議な感覚であると思います(不思議でなくても良いですが)。
ちなみに「情報」というのは、あらゆる刺激のことで、受けると脳にその情報が蓄積されて行きます。
物事を無視しようとするなら、その「情報」は得られないものとなります。
原則が分かっていない人は、知らずにうちに様々なものを無視してしまうのが普通です。
一例ですが、視野が狭いときに世界を知りたいとき、世界旅行に行くか、情報雑誌を読んだりすれば
様々な「情報」が得られて視野が広がると思います。
また一例として、ゴルフの初心者がスイングの練習を始めるとします。
初めはなかなかうまく行かないものだと思いますが、
一つ一つのスイングが脳にとっては「情報」になるのです。
「情報」が増えていくと、そのうちコツがつかめてくるのです。
そしてこれらの情報量がとても大事であるのが普通です。
そしてまた、情報量が増えていくと、そこから何かの法則が見えてくるように、
スッキリ整理ができるようになることもあると思います。
また、言うまでもないかもしれませんが、
今の時代、情報は無尽蔵に溢れかえっている時代です(役に立たない情報も多いかもしれません)。
これからは、それらの情報をうまく引き出すことも大事な能力だと思います。
目的が違えば、その情報のありかも様々に変わったりもします。
そして、その情報も様々な場所に転がっているかもしれません。
102:1
03/03/27 22:32
ところで、「言葉」というものがどういうものなのか本当に分かっているでしょうか?
コミュニケーションの正しい方法というのをご存じでしょうか。
人間は確かに言葉を使って考えることもできますが、
本当は言葉を使って考える必要など全くないのです。
もちろん言葉を利用して考えることは普通にあり得ます。
実は「言葉」というのは伝達手段であり、記号に過ぎないのです。
「りんご」という記号には、あの食べ物の意味は全くありません。
外国の人には分かるはずもありません。
言葉のイメージが人によって違うというのはご存じでしょうか。
何故日本人が日本語を使えるのかというと、
今までさんざん日常生活の中で使ってきたから身に付いているだけなのです。
なので、その人が過去に使われてきたその言葉の趣旨で、
その人が無意識にその言葉のイメージを持っているものと思われます。
辞書などで統一しようという動きも大事ではあると思いますが、
それはただの便宜的なものでしかありません。
なので、子供は言葉をあまり使いこなせませんし、難しい言葉は大人でも知らないのです。
そして、いくら頑張ったところで「言葉」は単なる記号で伝達手段にすぎないことは変わりません。
また、その言葉の解釈・イメージは各個人で微妙に違うのが普通です(もちろん同じこともある)。
ちなみに、伝達手段は「言葉」だけではありません。
103:1
03/03/27 22:33
そこで、「概念」というものを考えると都合が良いと思います。
それこそが、「言葉」という記号が表している内容のことです。
おそらく今までは「言葉」と「概念」がごっちゃになっていて、
それらを併せて言葉と呼んでいたのだと思います。
その違いは、言われてみれば分かるのではないか??とは思います。
「言葉」と「概念」がごっちゃになっているので、
大抵の人は言葉を使わないと思考ができないものと思いこんでいるのだと思います。
これらのことが分かれば、誰もが言葉を使わずに思考することができるのではないかとも思います。
言葉を使うのは、何かを伝達するときのみでいいのです。
もちろん言葉を利用して考えることも良いことです。
そして、過去の偉大な人物は言葉で思考をしていないことも多いです。
もちろんそれは時代によって変わることはありませんし、
当然芸術家などは言葉で作品を作り上げることなどしていません。
とりあえず「言葉」と「概念」の違いがはっきり区別できるようになると良いと思いますが。
分かりますでしょうか??
これからは「言葉」を覚えるのではなく、「概念」を学んでいくことが大事であると思います。
そして「言葉」で考えるのではなく、「イメージ」で考えることも大事であると思います。
専門用語などは、その「概念」をつかむことが非常に大事です。
言葉だけを知っていても使い物にはなりません。
イメージで考えることは「考える」という言葉には違和感があり、
「空想する」といった言葉の方がふさわしいかもしれませんが。
104:1
03/03/27 22:33
一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、
「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。
どう「おいしい」のか?という話です。
また、単語というレベルのみでなく、何かの状態を表す文章なども同じ事が言えます。
あらゆるものはイメージなのです。そしてそれが本質的です。
言葉というのはたんなる記号に過ぎないのですから。
ちなみに、イメージにも鮮明なものから、あやふやなものまで様々です。
ただ、イメージでは直接伝えられないので、「言葉」という記号に変換しているにすぎないのです。
他の表現方法も無数にあるかもしれませんが。
やはり言葉は伝達手段に過ぎません。
これらのことは日本語だけでなく、あらゆる言語にも当然のごとく当てはまります。
過去の時代は情報も少なかったので、ある意味当たり前だと思いますが、
もしかしたら、過去の人たちは今の人に比べてイメージ能力が相当低かったかもしれませんね。
さらにもっと過去になれば、深く考える人はほとんどいなかったのではないかと思います。
また、考えていることも今とは全く違い、視野もかなり狭かったのではないかと思います。
言葉というものも時が経つと進化したりもするのです。
基本的には人間がさらに様々な表現をしたいときに、言葉を変化させるのではないかと思います。
意図的にではない場合が多かったかもしれませんが。
そして、劇的ではないかもしれませんが、
言葉というものも生き物の様に様々に変わっていくものだと思います。
105:1
03/03/27 22:33
これらのことが分かれば、本当のコミュニケーションとはどういうものかは分かると思います。
コミュニケーションとは、ある人が「何か」を相手に伝えたいからするのです。
そしてその「何か」というのは、実はイメージなのです。
そのイメージを伝えるために、相手に分かるように言葉に変換して伝えるのです。
つまり相手の言葉も、ただ言葉を勝手にこちらで解釈をするのではなく、
相手が何をイメージした結果の言葉なのかを考えなくてはならない(イメージする)のが原則です。
結局言葉は、伝達手段にすぎないということです。
このことが分かることは大事なことです。
つまるところ、ある人の頭の中にあるイメージを、
違う人にそのイメージを伝えようとすることが「コミュニケーション」です。
簡単なものであれば、何も考えずに行うことができますが、複雑なものを伝えるときは、
これらの基本が分かっていないと伝達することさえ一苦労になるのです。
まずは、何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、
それを言語化して伝えるようにすれば良いのです。
場合によっては、身振り手振り、メモなどを使いながらということも考えられます。
最近コミュニケーションができない人が多いと言われたりもしますが、
すべては原則が分かってないから、ということも一理あるのではないかと思います。
「言葉」と「概念」の違いは分かったでしょうか。
106:1
03/03/27 22:34
ここで一つ、ものを考え、作り出していくときの例を出してみたいと思います。
次の文は、「ハリー・ポッター裏話(静山社)」からの引用ですが、
私はJ.K.ローリングさんの話は、他のところでも拝見しています。
これらのことは何も小説の話に限らず、
何かの戦略を立てるような時や、他の様々なものにも同じような感覚が当てはまります。
『どのようにして物語を創り出していったのですか?』という章からの引用1
「どうしてハリーがそこにいるのか、どうして両親が亡くなったのかを解き明かしていくやり方です。
私が創り上げていたのに、まるで調査でもしているような感じでした。あの列車の旅が終わった時に
は七巻シリーズになることはもうわかっていました。まだ一冊も出版していない人間にしては、あま
りにも傲慢な感じがするでしょうけれど、私にはそういうふうにしか考えられなかったのです。七つ
の物語をひとつひとつ組み立てて、シリーズを構成するのに五年間かかりました。いつ、何が起こり、
誰が登場するかわかっていましたから、書きながら、まるで古き友と再会するような感じがするので
す。」
ハリー・ポッターはマンチェスターからロンドンに戻る列車の中で生まれたとのことです。
ハリー・ポッターが突然頭の中に現れたことからすべてが始まったとのことです。
そして、その列車から降りるときにはすでに大まかな考えは練られていたということです。
あとは調べ物をしながら、そのアイディアをさらに煮詰めていったのではないかと思います。
107:1
03/03/27 22:36
『どのようにして物語を創り出していったのですか?』という章からの引用2
「登場人物について、必ずと言っていいほど完璧な履歴が出来上がっているのです。そんな詳しいこと
まで全部物語に入れてしまったら、各巻がまるでブリタニカ百科事典ほどの大きさになってしまいま
すね。書いている時私が気をつけなければならないのは、読者は私ほど細かいことまで知らないのだ、
ということを忘れないようにすることです。シリウス・ブラックがよい例です。ブラックの子供時代
については、完全にストーリーが出来上がっています。読者はその全部を知る必要はないのですが、
私は知っていなければなりません。物語の中で登場人物を動かしているのは私なのですから、読者よ
りもずっと詳しく知っておく必要があるのです。」
彼女の中では、おそらく頭の中にハリー・ポッターのストーリーが、完全にイメージとして
出来上がっているのではないでしょうか。
後は小説なので、うまい具合に言語化させて行くことによって
本が完成するということなのだと思います。
まずは頭の中でイメージを作るということが、何をするときにも重要なのです。
108:1
03/03/27 22:37
もう一つ、『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』p375 より引用
この本の内容(「BOOK」データベースより)
時代を超え際立った存在であり続ける企業18社を選び出し、設立以来現在に至る歴史全体を
徹底的に調査、ライバル企業と比較検討し、永続の源泉を「基本理念」にあると解き明かす。
「ここできわめて重要な点がある。基本理念は、「つくりあげる」ことも「設定する」ことも
できないのだ。基本理念は見つけ出すしかない。内側を見つめることによって、見つけ出す
のである。基本理念は本物でなければならない。理念を模造することはできない。あるべき
理念を理屈でつくりあげることはできない。基本的価値観と目的は心の奥底で信じているも
のでなければならず、そうでなければ、基本理念にはならない。」
いきなり違うジャンルの話を持ってこられても困るかもしれないと思いますが、
「どうしてハリーがそこにいるのか、どうして両親が亡くなったのかを解き明かしていくやり方です。
私が創り上げていたのに、まるで調査でもしているような感じでした。」(先ほどの引用部分)
ハリー・ポッターのこの部分と、基本理念を探し出すときの共通点が見つからないだろうか。
どちらも勝手に何かを作るのではなく、何かに従って生み出されたという感じを受けると思います。
そして、これらのような原則に従うという感覚を持つことも、
物事をなすときには不可欠かもしれません。
そもそも真実を追ってより良いものを目指せば、自然とそうなる可能性は高いとは思います。
109:1
03/03/27 22:39
適当に頭に浮かんだものを闇雲に実行に移すのではなく、
今は想像すらできない、より良い状態なものを目指して、
情報の収集や考えを練るなどして、さらに頭の中のイメージを発展させて行こうとすることも重要です。
と、ここら辺でだいたい基本的なことは一通り書いたかもしれません。
そして、本質的には人間が情報を握っているという事実
(本や新聞の内容も人間の頭から出されたものと考えられる)、
あらゆる人工物は、初めは人間の頭の中で生み出されるという事実も、
ある意味納得できるのではないでしょうか??
続く
110:考える名無しさん
03/03/28 03:15
1さんが親切に丁寧に説明してくれているのは分かる。たとえ話などは分かりやすいよ。
でも、一貫して論件先取を犯していて(前提と結論がループしていて)、説明の体を成していない。
それだとさ、「原則ってそんな矛盾にも気付かせてくれないのか」みたいな印象を与えかねないだろうな。
111:68
03/03/28 09:48
いまださっぱり原則がわかりません。というか質問に応えて欲しいなー。
「原則的な悪影響」。
っていうか、ある事象のとらえ方は個々それぞれで、本質的な(言い換えれば原則的?)
あったとしても、それすらたくさんある中のひとつのとらえ方と見ることもできる。
そこまで原則にこだわるのはなぜ?しかもうまく伝えられないのはなぜ?
人が生きるうえで最も重要なのは幸福感だとおれは悟りました。別に不幸が悪いとも思わないし
幸せにならなければとも考えていません。積極的に「生きる」ために「いいなあ」という
感覚があると生きやすいと考えます。別にしにたければfuruoyaみたいに自害すればいい。
生きているのだから生きていることを楽しんだ方が生きやすい。そう考えます。
原則を知るとどんな利点がありますか、生きていく上で。
112:92
03/03/28 13:54
文章は理解できるのですが、「原則」が何なのかさっぱり解りません。
>>105
まずは、何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、
それを言語化して伝えるようにすれば良いのです。
場合によっては、身振り手振り、メモなどを使いながらということも考えられます。
ココに書いてある通り「何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、
それを言語化して伝えるように」して下さい。
113: ◆uTjBJd7ub2
03/03/28 14:07
ちん毛はちんぽからじゃなくてちんぽの根元の周辺から生えてるんだよね
114:素人意見だが
03/03/28 14:45
ところで原子というのも中性子やら核やらわかってきたわかえだが、
もっともっと細かい部分が見えるようになったらもっと細かく世界が広がっていたりしないのだろうか?
果てしない宇宙を見渡すように、このミクロ世界もまだすべて見えていないのではないか?
それに、それがどういう働きをするのか、どう作用して操作するのか。
原則というものがすべてに通じるものならば、どこか一つに於いて完璧に研究が進めば
そこからすべての答えに繋がると考えると、それはすべて数値化できるのではないか?
だけど、その原則自体発見してもきっと原則自体は変えられない。
人自体の意思は、やはりその人が決定するのだろう。
不可能が可能になり、ワープなんてできるようになったら世界の国々は別々の星へ移り住むのだろうか?
利権を取り合う戦争なんてやってないで、宇宙ステーション開発でもしてたほうがいいのに。
ってぜんぜん話がそれる始末。
115:1
03/04/03 20:50
>111
>いまださっぱり原則がわかりません。というか質問に応えて欲しいなー。
>「原則的な悪影響」。
>78 と >100 を見てみてください、どうでしょうか。
>っていうか、ある事象のとらえ方は個々それぞれで、本質的な(言い換えれば原則的?)
>あったとしても、それすらたくさんある中のひとつのとらえ方と見ることもできる。
確かに原則が分かっている人の意見でも、他の人から見れば相対的なものです。
しかしその人にとっては絶対的な基準になるものです。
ちなみにそのことは原則の有効性のほんの一部です。
>そこまで原則にこだわるのはなぜ?しかもうまく伝えられないのはなぜ?
私にとっては、原則があるので無視することができないのです。
無視することも可能ですが。
伝えられないのは、原則というのは伝えられるものではないからです。
自ら原則を探し出すしかないと思います。
それは今すぐに分かるものではないかもしれません。
ちなみにスレ全体を読んでいないのであったら、読んでみてください。
>原則を知るとどんな利点がありますか、生きていく上で。
とりあえず原則を知れば、人生観は変わると思います。
原則を知った後の人であれば、原則を知らずに生きることを選択できたとしても、
それを選択することは、まずあり得ないことだろうと思います。
また原則を知れば、より良く生きて行けるのではないかと思います。
・・・まだ原則があると決まっているわけではありませんが。
116:1
03/04/03 20:51
>112
>文章は理解できるのですが、「原則」が何なのかさっぱり解りません。
原則的にいえば、「言葉」から「イメージ」への変換ができなかったということですね。
言い忘れていましたが、相手が全く知らないものは言葉で伝えることはできないのです。
それは、相手が言葉からその概念に変換する元になる情報を脳に持っていないからです。
全く自分の専門外のことを話している人の会話を聞くと、
日本語なのに意味不明に聞こえてしまうのも同じ理由です。
「原則」についてはもう一度、次のところから読んでみてください。
117:1
03/04/03 20:52
ところで「原則」についてですが、
原則自体は便宜的にそう名付けているだけではないかと思います。
やはり「原則」というのは自然の摂理というのと通じるものがあります。
その摂理をより理解していくと様々なことが分かってくるのです。
その結果、「原則」というように名付けられるものがあることを納得できるのだと思います。
思ったことですが、ほとんどの人はものの表面、
または、ある程度の深さでしか物事をとらえていないことが多いと思われます。
おそらく本当のことであると思いますが、
世の中には様々な「もの」や「こと」が存在していますが、
五感で直接知ることのできる情報は、それらの「もの」の1%未満(便宜的な表現)だろうと思います。
ものにもよりますが、これは全く大げさなことではありません。
どちらかというと、控えめすぎだったのですが。
人間というのは、それらのものの深さを理解することができるようになるのです。
また、自分はどのくらい理解しているのかということを、それなりに理解することもできるのです。
まずは、『自分が直接見聞きしているものは、それらのものの表面でしかない』
ということを認識しなくてはなりません。
このこと自体が分からなければ何も始まらないのかもしれません。
そして、何か一つのものを掘り下げて行けば、他のことにも通じることが分かってくると思います。
118:1
03/04/03 20:53
「もの」というのは、時間によって移り変わって行きますし、
その奥深さというものも大変なものだと思います。
それは「ダンボール」一つにしても当てはめることが可能だと思います。
実はダンボールにも開発の歴史がありますし、材料なども様々に吟味されたりもするのです。
何に使われたものであるか?どうしてこのデザインなのか?
どこでどうやって生産されているのか?どのくらいの耐久力があるのか?・・・・・・
などと考えていけばキリがないような気もします。
そして、それぞれの問いの一つ一つも、さらに細かく様々な分類がなされると思います。
もしかしたら、その分類されたものも、さらにまた細かく分類されていくかもしれません。
しかし、普通は捨ててあるダンボールを気にかける人などめったにいないことでしょう。
このことは、身の回りにある大抵のものでも同じであると思います。
ものの深みを実感することが、「原則」を知る近道なのかもしれません。
それが身にしみて分からないようでは、「原則」からは遠いのかもしれません。
119:1
03/04/03 20:53
この世の中には直接知ることのできないものは限りなく多いのです
(その種類はいろいろあるかもしれません)。
それらは感じ取ることしかできません(そうできないものもあるかもしれません)。
また、それらを徐々に深くまで感じ取れるようになる能力が人間には備わっているのです。
それは、一朝一夕にできものではありません。
世の中にあるものは、明らかに変化していないものは除いて、
一般的に『時の流れによって変化する』という認識の方が自然であると思います。
その時間のスケールはとてつもなく短いものから、途方もなく長いものまで様々です。
ただ、どんなものでもある一瞬(ものによってその時間の間隔は変わる)をとらえれば、
当たり前ですが変化(どのくらいの変化を基準とすることにもよる)しているようには見えません。
「時間的な感覚」と「(多角的な物の見方を含んだ)奥深さの感覚」を、
あらゆる物事に当てはめてみようとすることが、
原則にまた一歩近づくことになるのではないかと思います。
それほど大げさなものではないとしても、
「時間的な感覚」と「(多角的な物の見方を含んだ)奥深さの感覚」という意味が、
それなりに納得できるところまで行くのも良いかもしれません。
少なくとも、『そんなことはあり得ない』と考えているようでは、
原則を知ることなど到底不可能なことだと思います。
繰り返しになりますが、人間が普段直接知ることのできるものは、
それらのものの表面に現れていることくらいでしかないのです。
それも、時間経過のあるものの一瞬かもしれないのです。
120:1
03/04/03 20:53
>114
せっかくなので、私の認識している範囲で回答してみます。
>ところで原子というのも中性子やら核やらわかってきたわかえだが、
>もっともっと細かい部分が見えるようになったらもっと細かく世界が広がっていたりしないのだろうか?
>
>果てしない宇宙を見渡すように、このミクロ世界もまだすべて見えていないのではないか?
>それに、それがどういう働きをするのか、どう作用して操作するのか。
そのとおりであると思います。
今はさらに詳しく分かってきているところだと思いますが、
もしもそれらの専門書でも読んでみれば、その疑問は確信に変わり、新たな謎が生まれるかもしれません。
そしてその謎も専門家はすでに解き明かしているかもしれません。
するとさらに新たな謎が研究者の前に現れてきます。
このように研究者は常に謎と解明とを繰り返しながら、追いかけっこをしているのです。
121:1
03/04/03 20:53
>114
>原則というものがすべてに通じるものならば、どこか一つに於いて完璧に研究が進めば
>そこからすべての答えに繋がると考えると、それはすべて数値化できるのではないか?
私なりの答えですが、私はある一つについて完璧に答えを明かしたところ原則にたどり着いたのです。
そして私なりにですが、原則はすべての答えに通じることが分かりました(今のところ反例がない)。
数値化というのはコンピュータで問題を完全に解かせるということなのでしょうか。
とりあえずコンピュータで答えを求めることは、
とてつもなく優秀なコンピュータであっても不可能かもしれません。
コンピュータの手助けを得ると良い場合もあるかもしれませんが、その必要は基本的にありません。
何故不可能かといえば、コンピュータは離散的な量しか扱えないからという理由もあります。
では、連続量を扱えたらどうなるのか?
それでもおそらくダメです。何故なら完全なデータが手に入らないと思われるからです。
例えば、宇宙から普通に降り注ぐニュートリノとやらも様々なものに影響するかもしれないからです。
それにミクロの世界に行くと、物事を観測すること自体が物事に影響を与えてしまうので、
やはり完全なデータを手にすることはできないような気もします。
ちなみに、そういう「不確定性原理」なるものがあるらしいのですが、
私は、そのことは原則には反していないだろうと考えています。
とりあえず、原子以下のレベルから人間をシミュレートできても意思は持たないような気もします。
ただ、意味合い的に、どんな分野でも答えを求める方程式というのは存在します。
それらの方程式を見つけつつ、解きつつ進むことが人間にはできるのです。
人間は感覚的にもっとも優れたコンピュータとも言えるかもしれません。
122:1
03/04/03 20:54
>114
>だけど、その原則自体発見してもきっと原則自体は変えられない。
>人自体の意思は、やはりその人が決定するのだろう。
原則の意味は分かっているのですね。その通りだと思います。
私の意見としては、人の意思は
原則が分かっているなら、その人の原則に基づいて決定するべきだろうと思います。
>不可能が可能になり、ワープなんてできるようになったら世界の国々は別々の星へ移り住むのだろうか?
なるほど、今の私の意見としては、おそらくワープでは人などが移動することは難しいような気もします。
情報くらいであればワープできるかもしれませんが。
>利権を取り合う戦争なんてやってないで、宇宙ステーション開発でもしてたほうがいいのに。
そうですよね、まったく。
123:1
03/04/03 20:54
ちなみに、もう一つ大事なことがあります。
それは、見聞きした物事の様々な局面に自分を当てはめて考えようとすることです。
自分だったらどうするのか?と、考えることも大事です。
実は『なぜ原則を分かっていた方が良いのか?』
という問いがあったとすれば、その本質とも思われる答えの一つとして、
『物事をもっとも良くコントロールしたいから』ということが考えられると思います。
(そう思わなければ原則を知る必要はないかもしれません。)
では、『なぜ物事をもっとも良くコントロールしたいのか?』という問いがあるとすれば、
個人にとってみれば、それが『幸福につながる』からであり、
世の中全体でみれば、それが『世の中で生きている人々の生存と幸福につながる』からである。
もちろんこれは一つの答えである。
原則的には、うまくコントロールできることは「幸福」への手段にすぎないのかもしれません。
実際のところ、原則はその人なりに使えば良いものであると思われる。
原則というのは判断の基になるものである。
その基からどう判断するのかは、全く個人の自由なのである。
ただ、物事をもっとも良くコントロールすることができるということを
知っておくことも損ではないと思います。
大したことではないかもしれませんが、このことは後で書いてみたいと思います。
124:1
03/04/03 20:58
本質的には、人間は物事に影響されるべき生き物なのではなく、
あらゆる物事に影響していくべき生き物であると思われます。
人間自身の、本当にあるべき都合の良さ(大小問わずどんな観点からでも)の為には、
それがどんな対象であろうと、どんな困難であろうと、
それらをコントロールして行こうとすることは、極めて重大な任務であると考えられます。
そして人間の本質的な欲望の一つに、物事をコントロールすることがあるのではないかと思います。
物事をコントロールできた美しい結果に、それを行ってきた人間は感動するのです。
その物事のジャンル、大小、見た目には関係ないのです。
それは、一つの山を登り切ったあとの充実感のようなものだと思います。
多くのものは山登りに例えたり、ピラミッドを構築するような表現に例えたりもされるものです。
ちなみに物事の大小は、直線的なものではなく、ピラミッドの大小のように考えると良いと思います。
小さなことであれば、どういう映画が面白いのか?どういう商品が売れるのか?
どうすればもっと物事の効率を上げられるのか?どうやったら良い点が取れるのか?
など、様々なことがあると思いますが、これらのことにも、やはり原則が支配しているのです。
少なくとも私は原則が関与していない事実を見聞きしたことがありません。
そして大きなことであれば、技術的には人間は地球も難なく破壊することが可能ですし、
未知なる生物を誕生させることも容易ですし、原子レベルで物事を操作することも可能です。
宇宙に人間が行けることは、もはや常識です。
125:1
03/04/03 20:58
今はエネルギー問題などで、地球も危なくなっているのかもしれませんし、
様々な問題は今も溢れかえっているものと思いますが、
それらも誰かがコントロールして行かなくてはならないのです。
もしもこのまま何も考えずにいたら、近い将来地球は滅んでしまうかもしれません。
温暖化によって住むところも限りが出てくることも考えられますし、
食糧難になってしまうかもしれません。もしかしたら今から生まれてくる世代の人間は、
その地球規模の問題に直面するかもしれないのです。
人間は技術力を高めて来ました。しかし、その人間が成長していないのであれば、
中途半端な技術は、逆に人間の首を絞めてしまうことになるのです。
遠い将来ですが、いつかは地球も滅びてしまうのです。
技術がなければ人類もろとも滅びてしまうことでしょう。
もう後戻りをすることはできないのです。
せめて最高の努力くらいはできないものだろうかと思います。
126:1
03/04/03 20:58
しかしながら、原則が分からなければ物事を正しくコントロールし続けていくことはできないのです
(本当のことをいえば、ひとまず世の中を動かしているトップにいる人が原則を分かればいいのです)。
これが私の嘆きでもあります。
尊敬を集めていた投資家であるウォーレン・バフェットという人は言ったそうである。
「市場は常に間違える。しかし、市場は常に正しい。」と。
あえて説明はしないが、これはダーウィンの進化論をまさに人間に当てはめたものであると考えられます。
つまり、一つ一つの動きはでたらめであったとしても、
結局最後に残ったものは理に叶ったものである、ということである。
しかし人間は、常に原則を頼りに理に叶った最良の道を探し出すことができる。
惰性的にではなく、意図的に物事をすすめることができれば、その効率の良さは計り知れない。
このことは個人一人にとっても、組織にとっても当てはめることができる。
人類の欲望の果てしなさは誰もが分かっている通りであると思います。
それらの何十億分の1はそれぞれの人に託されているのかもしれません。
本当は戦争をしている暇などないのです。
しかし原則が分かっていないのであれば、それも仕方のないことなのかもしれません。。
続く
127:超真剣です!!!マジで聞いてください!!!
03/04/04 13:51
はんとの話です!!!!
女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人)
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた!
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊(生霊)となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして(失禁して)死んだ。(殺された)i78i78i78i
専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した。(命令した。)らしい。(死体にの脳は溶けていたらしい)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた
死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。
「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
(俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!)
l;ok;l(私の心の底からの叫びでした。)
nん、ん、n
128:考えるサル
03/04/05 00:43
全体を読んで来ましたが、「原則」というもので何を言いたいのかが、
いまいちよく分かりません。
いろいろ言いたいこと、聞きたいことがあるのですが、
とりあえず、今聞きたいことだけお聞きします。
>原則というのは考え方ではありません。(>>78)
とありますが、
>「原則」というのはある種の考え方ゆえ、(>>14)
とおしゃっていることと矛盾しないのですか。
>一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、
>「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。
>どう「おいしい」のか?という話です。(>>104)
どう「おいしい」のか?というのは、概念ではなく、観念ではありませんか。
>「言葉」と「概念」がごっちゃになっているので、
>大抵の人は言葉を使わないと思考ができないものと思いこんでいるのだと思います。
>これらのことが分かれば、誰もが言葉を使わずに思考することができるのではないかとも思います。(>>103)
「言葉」と「概念」は切り離して考えることのできないものではないですか。
「犬という言葉」と「犬という言葉が表す内容」はカードの表と裏のようなものです。
何かをイメージする(つまり「空想する」)ことについて考えてみます。
例えば、「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということをイメージ(空想)します。
イメージの中で、道の真ん中に座っているのが「犬」であるというのはなぜ分かるのですか。
そもそも、「道」が「道」であること、「真ん中」が「真ん中」であるということ、
「座っている」ということが「座っている」ということとなぜ分かるのですか。
それは、それぞれの言葉が、まさにその事を表しているからです。
そうでないと、逆に「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということを、
イメージできません
129:1
03/04/05 23:49
>128
>全体を読んで来ましたが、「原則」というもので何を言いたいのかが、
>いまいちよく分かりません。
私の言いたいことは >1 の通りです。
結局のところは「原則」というものが存在している、ということがいいたいのです。
>>原則というのは考え方ではありません。(>>78)
>とありますが、
>>「原則」というのはある種の考え方ゆえ、(>>14)
>とおしゃっていることと矛盾しないのですか。
「原則」というのは、そういうものがまずあるのです。
つまり原則というのは考え方ではありません。
また、原則があるとした場合の考え方というのを考えることができます。
なので、そういう考え方を「ある種の考え方」と言ったのです。
便宜的にそう言っただけで、あまり深い意味はありません。
>>一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、
>>「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。
>>どう「おいしい」のか?という話です。(>>104)
>
>どう「おいしい」のか?というのは、概念ではなく、観念ではありませんか。
とりあえず私にとってはあまり意味のない問題なので、そこら辺は適当です。申し訳ない。
ただ、「言葉」と「イメージ」の違いを言いたかったのです。
「イメージ」についても、様々な種類があるのかもしれませんね。
130:1
03/04/05 23:50
>128
>何かをイメージする(つまり「空想する」)ことについて考えてみます。
>例えば、「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということをイメージ(空想)します。 ←
>イメージの中で、道の真ん中に座っているのが「犬」であるというのはなぜ分かるのですか。
>そもそも、「道」が「道」であること、「真ん中」が「真ん中」であるということ、
>「座っている」ということが「座っている」ということとなぜ分かるのですか。
>それは、それぞれの言葉が、まさにその事を表しているからです。
>そうでないと、逆に「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということを、
>イメージできません
上のことだけでは、思考の順序などが詳しく分からないのでなんともいえないのですが
(あやふやな箇所がいくつかあるので)。
つまり、本当のところは、イメージしたところで認識が完了しているのです。言語化はしません。
上の場合ですと、そのイメージのなかの犬を「犬」と言語化させて初めて認識が完了する。
そう読み取ることができます(「←」のところでイメージにはできているのですから)。
そうであったとしたら、言語化させて初めて人間がものを認識できるということなのですか?
そうすると、ボールが飛んできてもすぐによけることは難しいのではないですか。
「ボールが飛んできた現象が起こる」→「言語に変換」→「よける」
なんだか避けられない気もします。
それに、言語化させなければ認識できないとすると、
アニメや映画を鑑賞するときはわざわざ言語化するのでしょうか。
それですと、一本の映画を見るときは、本一冊くらいの分量を言語化していることになりますが、
実際のところはそんなことはしていないと思います。わざわざ言語化しなくても、いろいろと認識しているのです。
また、「ドラえもん」が青いのは誰もが知っていると思いますが、
わざわざ「ドラえもんは青い」と言語化させたことのある人は、めったにいないのではないでしょうか。
また逆に言えば、どうして今「ドラえもんが青い」ことが分かったのかといえば、
ひそかにイメージしたからではないのでしょうか。
131:92
03/04/06 02:57
相変わらずさっぱり理解できません・・・???
>・・・まあ、今でもビッグバンはどうして起こったのかは分かりませんし、
当たり前のように存在している雪の結晶や、雲の様々な形、川の入り乱れている様子などでさえ、
科学的にはどうして作られるのかも解明できていないように、分からないことも多いですが、
それでも原則があると仮定した上で、原則に反した例は見つからず、
あらゆるものに因果関係がありそうなので、原則があることにも納得がいくようになったのです。
科学では解明できていない、「原則に則した」「具体的な例」を挙げて頂けると
少しは理解できるような気がするのですが、お願いできませんか?
4~5個挙げて頂ければ、共通点から「原則」が少しは見えてくるか・・・と・・・。
132:考える名無しさん
03/04/07 00:28
今全部読んだ。
文が分かりやすくてイイね。俺も原則というか自然の摂理ってのは在ると思う。
ただ>>1のように身に付ける事は本当に可能なのか?って思った。途方も無い感じがするよ。
これは>>1に言わせれば回路が無いと言う状態なのかな。
133:考えるサル
03/04/07 00:41
イメージ云々については、また後で発言させていただきます。
とりあえず、再び読み返していて、ふと思ったので、
先にそれを書かせていただきます。
1さんの言う、「原則」って言うのは、
「結果」のことですか?
そう考えると、何かわかったような気分になるのです。
「たぶんそれは感じ取ることしかできないんじゃないかな。」(>>44)
とありますが、それは、「マトリックス」という映画で、主人公のネオが、
最後に覚醒するシーンがあるんですが、そのような感じということですか。
この映画を見ていなければ、非常に意味不明な発言となりますが、
いかかですか。
134:考える名無しさん
03/04/07 01:30
お前ここの1だろ
我々の認識は歪んでいる(仮定)
スレリンク(philo板)l50
135:もっこり宇宙論参上
03/04/07 01:37
>>127
チェックターゲット。これ、どこかにまとめるようなスレ立てて一括削除依頼しません?
136:考える名無しさん
03/04/08 02:57
(・∀・)1サンイナクナッチャッタノ??
137:1
03/04/08 02:58
⊂(゚ー゚*⊂⌒`つ≡≡≡ズサーーー
138:考える名無しさん
03/04/08 03:00
(・∀・)イター
139:1
03/04/08 03:02
|-`).。oO(バイバイ
140:考える名無しさん
03/04/08 03:09
(・∀・)ウキョ
141:考えるサル
03/04/08 12:57
>>130
>そのイメージのなかの犬を「犬」と言語化させて初めて認識が完了する。
言語化させるのではなく、もともと「犬」というイメージの中に、
「犬」という言葉やその概念が含まれているということです。
例えば、散歩している犬を見て、それを「犬」だと思うことができるのは、
それを「犬」という言葉で「猫」や「猿」と区別しているからです。
>また逆に言えば、どうして今「ドラえもんが青い」ことが分かったのかといえば、
>ひそかにイメージしたからではないのでしょうか。
そもそも「ドラえもん」を「ドラえもん」と分かるのはなぜか。
「ぼくドラえもんです。」のセリフを聞くなどして、
「ドラえもん」が「のび太」や「ドラミ」ではなく、
「ドラえもん」という言葉で区別された、
「『ドラえもん』だというもの」だと分かっているからです。
「青い」というのも同じです。
つまり、イメージするということは、
イメージされようとしている対象の「言葉」や「概念」をも含んで、
イメージしているということを言いたかったのです。
イメージを言語化するということではなく。
説明不足でした。
だから、私は、何かをイメージすることや何かについて思考することは、
言葉なしにはできないと思っています。
もしかすると、「原則」が分かれば、言葉なしの思考が可能になるのですか。