03/04/05 23:50
>128
>何かをイメージする(つまり「空想する」)ことについて考えてみます。
>例えば、「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということをイメージ(空想)します。 ←
>イメージの中で、道の真ん中に座っているのが「犬」であるというのはなぜ分かるのですか。
>そもそも、「道」が「道」であること、「真ん中」が「真ん中」であるということ、
>「座っている」ということが「座っている」ということとなぜ分かるのですか。
>それは、それぞれの言葉が、まさにその事を表しているからです。
>そうでないと、逆に「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということを、
>イメージできません
上のことだけでは、思考の順序などが詳しく分からないのでなんともいえないのですが
(あやふやな箇所がいくつかあるので)。
つまり、本当のところは、イメージしたところで認識が完了しているのです。言語化はしません。
上の場合ですと、そのイメージのなかの犬を「犬」と言語化させて初めて認識が完了する。
そう読み取ることができます(「←」のところでイメージにはできているのですから)。
そうであったとしたら、言語化させて初めて人間がものを認識できるということなのですか?
そうすると、ボールが飛んできてもすぐによけることは難しいのではないですか。
「ボールが飛んできた現象が起こる」→「言語に変換」→「よける」
なんだか避けられない気もします。
それに、言語化させなければ認識できないとすると、
アニメや映画を鑑賞するときはわざわざ言語化するのでしょうか。
それですと、一本の映画を見るときは、本一冊くらいの分量を言語化していることになりますが、
実際のところはそんなことはしていないと思います。わざわざ言語化しなくても、いろいろと認識しているのです。
また、「ドラえもん」が青いのは誰もが知っていると思いますが、
わざわざ「ドラえもんは青い」と言語化させたことのある人は、めったにいないのではないでしょうか。
また逆に言えば、どうして今「ドラえもんが青い」ことが分かったのかといえば、
ひそかにイメージしたからではないのでしょうか。