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コピペ揚げ
我々は憎悪と悪心とはエゴイズムによってもたらされるものであること、そのエゴイズムは認識が「個体化の原理」
に捕らわれていることに基づいているものであることを見てきたが、更にまた我々は正義の起源と本質とは、この
「個体化の原理」を突き破ってその奥を見届けることであることを知ったのである。そしてこれに次いで、更に
進んで行けば、愛並びに高潔心の起源と本質とは「個体化の原理」を看破することの程度が最高度にまで達した
場合であることも知った。ひとえに「個体化の原理」を看破することのみが、自分の個体と他人の個体との区別を無くし、
他人の個体に対する無私無欲な愛、高邁宏量な献身にまで至る心の持ち方の完全な善を可能にするものであり、
またこれらを説明するものである。
ところでしかし「個体化の原理」を見破ってその奥を見ること-あらゆる現象は多様でも意志はただひとつである
というこの直接的な認識-が高度な明瞭さで存在するならば、この認識はまた一歩進んだ影響をただちに意志の上に
及ぼすであろう。すなわち面前に掛かっていたマーヤーのヴェール「個体化の原理」が取り払われてしまったような
人は、もはや自分の一身と他の人格との間を利己的に区別することはなく、他の個体の苦しみに彼自身の苦しみと同様の
関心を持ち、かくてただ最高度に慈悲深いばかりでなしに、もし自分を犠牲にして他の幾人かが救われるものならば、
自分自身の生命を何時でもすすんで犠牲にする心構えさえある。その結果は自ずと、万物の内に自分を認識し、万物の内に
自分の最内奥の真実の自我を認識しているそのような人であれば、生きとし生けるもの皆すべての無限の苦悩をも我が物と
化すに違いあるまい。エゴイズムに捕らわれている者は、我が身一身の禍福の変転を眼中に置いているが、もはや今述べた
ような人はそういうものを眼中には置かず、「個体化の原理」を見破っている以上、ありとあらゆるものが彼には平等に
身近に感じられている。彼は全体を認識し、全体を把握している。
A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻第六十八節より