03/09/14 10:24
621 名前:日本@名無史さん 投稿日:2003/09/06(土) 21:40
豊臣秀吉の歴史上の評価はどうなっているのでしょうか?
630 名前:修士(文学) 投稿日:2003/09/06(土) 22:34
>>621
一般的には太閤検地が、中世と近世を分ける指標とみなされていますが久留島典子氏のように、
太閤検地をあまり高く評価しない人もいますからなかなか一筋縄では行きません。
635 名前:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw 投稿日:2003/09/06(土) 23:03
>>621
太閤検地の画期性は中世史と近世史では評価が大きく異なる。中世史では画期性を認めなかったり、
低く見る傾向が強い。
近世史では安良城理論を認め、画期性を強調する。惣無事令は中世史と近世史で評価を共有している。
644 名前:修士(文学) 投稿日:2003/09/07(日) 00:32
>惣無事令は中世史と近世史で評価を共有している。
藤木説には異論も出ていると思いますがいかがなものでしょう?
647 名前:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw 投稿日:2003/09/07(日) 00:54
>>644 もちろん一致している訳ではない。
共通の土俵で議論することが可能でしょ?
650 名前:修士(文学) 投稿日:2003/09/07(日) 01:20
>>647
惣無事令をめぐる永原慶二と藤木久志の議論を共通の土俵に立つというなら太閤検地をどう見るかという議論も、
共通の土俵に立っていると思いますが。
652 名前:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw 投稿日:2003/09/07(日) 01:40
>>650
太閤検地をめぐる断絶に比べたらはるかに差は小さい。繰り返すが、一致している訳ではない。
653 名前:修士(文学) 投稿日:2003/09/07(日) 01:58
>>652
一致しているわけではないことはわかってますので、繰り返していただく必要はありません。
なにゆえ差が小さいと判断されるのかその根拠をお示し下さい。
それから「同じ土俵」という言葉の使い方ですが差が小さければ同じ土俵で差が大きければ同じ土俵ではない、
ということにはならないと思います。議論が成り立てば同じ土俵の上だと思います。
まあともかくも学位をお持ちならばこのような曖昧な言い回しはせずに、的確に答えていただきたいものです。