03/09/22 02:37
た近代化のモデルであるとすれば,ドイツの発展
は未熟で跛行的である。そこでは封建的諸要素と
近代的諸要素とが雑居し,その社会は前にも進め
ず後にも退けない閉塞状況に陥っている。マルク
スとエンゲルスはこのドイツの現状を〈ドイツ的み
じめさ〉と呼んだ。それはドイツの資本主義の発達
の特殊性を意味するとともに,ドイツの未熟な市
民性をあらわし,近代社会としてのドイツの未完
成を指していた。それは同時に西ヨーロッパ的市
民社会の成熟度をはかる言葉であったともいえ
る。
西ヨーロッパの社会思想史においては,国家と
市民社会とはしばしば統一的にとらえられてきた
のだが,19世紀にはいって近代社会が問題にな
るにいたると,政治国家と市民社会という二つの
概念は分離する。市民社会のなかで個人は私人
としてもっぱら自分の私的利益を追求し,他人を
そのための手段とみなすから,ヘーゲルの言葉を
かりれば市民社会は〈欲求の体系〉である。他方
マルクスによれば,普遍者としての国家は,私的
所有や職業などによる市民的区別を形式的に廃
止するが,しかし事実上はこの区別を廃止するど
ころか,むしろ自身の存在要件としている。したが
って近代社会のなかで人間は二重生活を営んで
いる。政治国家の一員としては人間は共同的存
在であり,市民社会の成員としては分裂的私人で
つづく