03/09/20 22:37
>>260
自作自演ですか?
みっともないですよ。
ほんの少しだけ歴史の知識がある人だから
期待していたのに、
ちょっとがっかり。
265:修士(文学)
03/09/20 22:47
>>264
>>260のようなAAを張ることに、何らかの意味があるようには思いませんが。
266:日本@名無史さん
03/09/20 22:59
はいはい。
レスが早いね、
世間では四連休なのに、
一日中ネットとは、、、
本でも嫁ば~。
267:日本@名無史さん
03/09/20 23:05
>世間では四連休
???
268:日本@名無史さん
03/09/20 23:09
>>266
君の頭の中が四連休ということだね
269:日本@名無史さん
03/09/20 23:15
>>1 の頭は休みっぱなし
270:史学生
03/09/20 23:19
博士はお手はPCに向かって動いて居られます。
271:266
03/09/20 23:36
一人、誤解されてますね。
私は博士ではありませんよ。
272:日本@名無史さん
03/09/20 23:39
>>271
しかし4連休はキミの誤解では?
273:史学生
03/09/20 23:40
>>271
其れを言っちや~お仕舞いです。気持ちよくされて居れますのに。
274:日本@名無史さん
03/09/20 23:54
物凄いデムパ
275:日本@名無史さん
03/09/20 23:58
>>259~263
見厭きた(ry
>>264
かかってこいや!
>>265
コピペあらしの相手をした君もあらし!
>>266
さらっと(ry
>>267,268
月曜は例会があるので、四連休ではない。
>>269
う~ん、もうひとひねり。
>>270,273
文章を書き込むときに、エディタの使用をお奨めします。
文章を打ち込むことに特化されたソフトです。
>>271
君、誰?
>>272
しつこい、あらしはスルーが基本。
276:日本@名無史さん
03/09/21 00:10
WW2における日本軍の給与について教えてください。
応召した時点で国家公務員の扱いになったのでしょうか?
国家公務員が応召した場合、給与は元の職場と軍のどちらから払われたのですか。
また2等兵が全額仕送りしたとして家族を養える位もらえたのでしょうか?
277:日本@名無史さん
03/09/21 01:22
>>276
博士の収入についても教えてください。もちろん失業保険は除く。
278:日本@名無史さん
03/09/21 14:13
>>277
人間界を超越して霞を食って生きていらっしゃる博士に
収入だなんて下賎な言葉を使いなさんなよ。
君は頭のてっぺんから足の爪先まで世俗的なんだね。
279:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/21 15:13
>>276 しらん
よっしゃこい
280:日本@名無史さん
03/09/21 17:56
>>257
それは、全てあなたの思い込みです。
281:日本@名無史さん
03/09/21 18:37
>>63
それは、全てあなたの思い込みです。
282:日本@名無史さん
03/09/21 21:23
>>246
それは、全てあなたの思い込みです。
283:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/21 22:26
>>281 落ち着け
よっしゃこい
284:日本@名無史さん
03/09/21 22:50
削除依頼より>>閉鎖的な使用法を目的としている
そうかなぁ…
それ程じゃないと思うけど。。
それより重複ってのが合ってるんじゃないのかな?
285:日本@名無史さん
03/09/21 22:55
>>283
それは、全てあなたの思い込みです。
286:日本@名無史さん
03/09/21 23:08
法隆寺を直したのは藤原何か、またその時代な何時代のいつごろか
287:日本@名無史さん
03/09/21 23:10
>>284
>>60参照
288:日本@名無史さん
03/09/21 23:53
質問です。よく論文とかで「近代日本~」というものがありますが
「近代」の定義と「近代」とはいつからいつまでなのか教えてください。
289:日本@名無史さん
03/09/22 00:10
>>284
同意、>>251で博士自身が言ってるけどここはネタスレとして楽しむとこでしょう。
一回「スレッド立てる前に質問を」のスレに博士が乱入したときに
「自分のスレに帰ってください」って言ったら素直に退いたし
他のウザいコテハンに比べればだけど博士はまだマシ
290:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 00:29
>>284>>289 削除依頼を出した人は
150以上の板に出入りして削除依頼を出すのを趣味にしている人だからね。
日本史板の住人ではないんだよ(オチスレあり)
>>285 そのループネタいまいちだね。もう少しがんがれ
>>288 諸説あり。もう少し絞って質問した方がいいのでは?
よっしゃこい
291:日本@名無史さん
03/09/22 00:32
道化師のソネット・・・・・
292:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:02
>>288 あくまでも一例ね(やや古い議論になっている)
時代区分
人間の営為の総体が時間の中で変化して今日に
至った総過程を,幾つかの時代に分けてとらえる
ことをいい,ある時代をさらに細分することは,し
ばしば〈時期区分〉と呼ばれる。歴史を時代に区
分して理解することは,たんにそのほうが理解に
便利だからという理由に基づくものではなく,歴史
をどういうものと考え,その歴史の中で現代をど
のような位置にあるものと考えるかということ,す
なわち一定の時代区分を生み出す歴史観と価値
観とに根ざしている。宗教的行事や観念が紀年法
に現れる場合もあれば,主要生産用具の材料に
より石器時代,青銅器時代,鉄器時代などと時代
区分することもあり,文字の使用以前を野蛮時
代,文字の使用以降を文明時代と呼ぶこともあ
る。さらにある時代の顕著なできごとや支配階級
の名称や芸術の様式などによって,〈ルネサンス
時代〉とか〈啓蒙思想の時代〉とか〈武士時代〉とか
〈バロック時代〉などといった時代を設定する場合
もある。しかし時代区分の区分原理が全歴史に適
用されるのでなければ,時代区分としては恣意的
といわなければならない。
つづく
293:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:02
便宜的な時代区分として今日もっとも広く使われ
ているのは,古代・中世・現代(近代)という三時代
区分であるようにみえる。それは16世紀ヨーロッ
パのルネサンス運動の中で,この運動の指導者
たちが,これから出発すべき新しい時代を〈現
代〉,これに改新の手段を与える模範とすべきギ
リシア・ローマの古典古代文明を生んだ時代を
〈古代〉,その中間のキリスト教中心の時代を〈中
世〉ととらえたことに由来する。なおこの区分は,ド
イツの学者ケラリウス Christophus Cellarius
(1638‐1707)がその著作に用いてから一般化した
とされる。それは,古代と現代(近代)を重視する一
方,中世を過渡的で克服すべき時代とみるなど,
ヨーロッパ市民階級の台頭過程における彼らの自
己認識の表現として生み出されたものであった
が,世界史の時代区分だけでなく,各民族史にも
適用されうる便利なものであったため,その根底
にある価値観を離れて,文明化したすべての民族
の歴史の時代区分として使われるようになった。
しかしこの時代区分は,古代・中世・現代(近代)の
境界をどこにおくかについて意見の相違があり,
そしてこの相違は再び何をもって時代区分の原理
とするかに由来する。なお,この三時代区分を修
正して,中世と現代(近代)の間に〈近世〉を入れる
つづく
294:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:03
四時代区分も行われている。ただし各国史におけ
る時代区分はそれぞれ違う場合が多いので注意
を要する。
一方,マルクスは近代資本制の本質を明らかに
することによって人間による人間の搾取なき社会
の建設を革命の目標としたため,社会の全体的
構造の変革を可能にする方法概念として〈経済的
社会構成体〉(あるいはたんに〈社会構成〉)なる範
疇をつくりあげた。そして人類の歴史を社会の経
済構造を基礎とする社会構成の相次ぐ交替として
とらえ,原始共同体に後続する歴史時代の区分
原理を,当該社会の社会構成によって規定される
階級関係の質,搾取形態の質に求めた。マルクス
死後のマルクス主義者の間で,階級社会の時代
区分として,世界史の上に相次いで出現した奴隷
制社会,封建社会=農奴制社会,資本制社会=
自由な賃労働の社会を世界史上の古代・中世・現
代(近代)と等置する考え方が主流となり,このよう
な時代区分は原則としてすべて文化的民族の歴
史にもあてはまると考えられるに至った。しかしこ
の場合も,年代的にいつからいつまでをそれらの
時代とするかについてはさまざまな見解がある。
そればかりではなく,マルクスの《経済学批判》序
言に見える〈アジア的生産様式〉なる概念で表示
つづく
295:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:03
される社会構成が実際には何を意味したかにつ
いては長い論争史がある。すなわち奴隷制社会
のアジア的形態(古典古代の奴隷制社会よりも未
熟な形態)と解する見解や,〈古典古代的〉,〈封建
的〉,〈近代ブルジョア的〉生産諸様式と同列にあ
る別個の独立的生産様式と解する見解などがあ
り,いまだに意見の一致がみられない。さらにこ
れらの発展段階が原則としてすべての民族が通
過すべき諸段階であるとみる一系発展論と,巨視
的にみると不可逆の前進的諸段階ではあるが,
一定の条件のもと,とくに先進文明の影響下で
は,1段階または2段階をも飛び越えて発展するこ
とも可能であり,実際にそのような発展をとげた民
族が多い,とみる多系発展論との対立も現存す
る。今日の世界の学界の大勢は,後者の見解を
妥当とみなしつつあるようにみえる。
発展段階論は,マルクス主義のそれだけでな
く,ランプレヒトやコントの独自の文化発展段階論
の場合も,これまでの発展の中では現在をもっと
も発展した段階とみている点で共通しており,そ
のような発展によって失われたものや破壊された
つづく
296:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:04
ものもあることを無視している点で問題があると
いえる。時代区分としての発展段階論は,発展の
先端を基準としている点で,先進国論,先進地域
論という価値観を基礎にしているといえるが,世
界史の現実的な発展過程を冷静に観察すれば,
発展段階や文明様相を異にする諸民族・諸国家・
諸文明圏が現実的な関係をとり結んで歴史的世
界を形成しているのが実相であり,その中で発展
段階の移行も実現されてきたことがわかる。この
ような異質性の現実的出会いの場としての歴史的
世界を複数設定することによって,世界史の時代
区分はいっそう具体的な姿をとってくるにちがい
ないし,時代から時代への発展の必然性もいっそ
う明瞭にとらえられるはずである。民族史や国家
史の時代区分はこうした世界史の時代区分の中
に位置づけられてはじめて,その歴史的意義の理
解が深められることとなる。⇒歴史 太田 秀通
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
つづく
297:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:20
近代社会
一般に近代社会という場合,たんに一つの歴史的
時代区分をあらわすだけでなく,人はそこにさまざ
まな意味合いと価値観をこめる。まずそれは古い
封建的社会関係を克服した新しい社会であり,資
本主義の巨大な生産力によって担われている。多
くの場合,人は西ヨーロッパの歴史的発展のなか
にその典型と規準を見いだした。そのかぎりまた
近代社会は西ヨーロッパの市民社会と重なりあ
い,そこではなによりも個人がさまざまな社会的
束縛から解放され,自我に目覚めていくことにな
る。さらにこの近代社会は統一的な政治的国家と
対をなし,国民国家の形成と歩みを共にすると同
時に,立憲的民主主義をその政治的内容とする
のである(立憲主義,民主主義)。しかしとりわけ第
三世界をふくむ現代世界においては,この近代社
会の〈近代性〉がもつ〈負〉の役割もつよく意識され
はじめている。そのことを念頭においたうえでここ
ではまず,これまでもっとも有力な形で論じられて
きた近代社会観について述べることにしよう。
【資本制的発展との対応】
いまふれたように近代社会は封建的社会関係(封
建社会,封建国家,封建制度)の解体のなかから
つづく
298:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:21
生まれるから,そのかぎりで資本制的なブルジョ
ア社会と同じであり,産業資本をその担い手とす
るのである。マルクスは《経済学批判》序言の著
名な文章で次のように述べている。〈大づかみに
いって,アジア的,古代的,封建的,および近代ブ
ルジョア的生産様式を,経済的社会構成体が進
歩していく諸時期としてあげることができる。ブル
ジョア的生産諸関係は社会的生産過程の最後の
敵対的形態である。しかしブルジョア的社会の胎
内で発展しつつある生産諸力は,同時にこの敵対
の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。し
たがって,この社会構成体をもって人類社会の前
史は終わる〉。ここでは人類社会の歴史全体が継
起的展開のなかでとらえられ,ブルジョア社会は
その一つの発展段階であるが,しかしその社会は
また人間の歴史の矛盾が極限化し全面化した社
会であって,この社会が終わったところで歴史は
180度意味転換し,人間の〈真の歴史〉が始まると
いうのである。したがってマルクスの目からすれ
ば,ブルジョア社会すなわち近代社会のなかには
歴史の矛盾と敵対が全面的に表現されている。し
かし人類が真の歴史へと自己展開していくために
は,この〈前史〉は必然的に通過しなければならぬ
段階である。近代社会はその負をふくめて必然的
道筋である。この道筋は西ヨーロッパのなかで内
つづく
299:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:22
的必然性をもって展開する。しかし,それが〈世界
史〉に妥当する普遍性をもつかどうかは問題であ
る。現にロシアにおけるマルクスの同時代人たち
(たとえばチェルヌイシェフスキー)は,ブルジョア
社会を経験せず資本制社会をとびこえた発展の
かなたに,ロシアの未来をみたのである。
このようにブルジョア社会は,西ヨーロッパとアメ
リカのなかでいちじるしい発展をみるが,いずれ
にしてもその近代性が巨大な生産力によって裏打
ちされていたことはたしかである。そしてその発展
は西ヨーロッパのなかでもイギリスにおいてもっと
も典型的であったから,さしあたりイギリスを中心
に考察することが必要である。ここで発展が典型
的であるというのは,産業資本の基軸的担い手が
前期的資本のなかから出てきた中国や日本の場
合と異なって,西ヨーロッパ(とりわけイギリス)で
はそれが〈下から〉,つまり生産者としての農民層
から出てきたからである。イギリスでは農奴制は
14世紀には事実上なくなり,15世紀には封建的土
地所有は分解して,人口のかなりの部分は自分
たちの小さな自由保有地をもつ独立自営農民(と
りわけヨーマン)から成っていた。多くの場合ヨーマ
ン(農民上層)とジェントルマン(小地主層)は,毛織
物工業の展開のなかで織元を兼ね,これら半農
半工の中産的生産者層は新たな生産力の担い手
として〈民富 Volksreichtum〉を生み出し,やがて
つづく
300:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:28
この富に基づいて産業資本(マニュファクチュア)
の出発点を形成しはじめた。生産者が中世の自
然経済やギルドに対抗して近代的な資本家に上
昇していくためには,それに見合うだけの生産力
の裏づけをもたねばならず,貨幣形態をとった富
の蓄積を前提とするから,彼ら独立自営農民によ
る民富の形成が近代化の出発点であった。つまり
彼らこそイギリス近代社会を生み出す主体であっ
た(この考え方の代表は大塚久雄で,それは戦後
日本の近代化のコースを考える場合に大きな意
味をもった)。
しかし農民層が近代的生産力の担い手となるた
めには,自分たちの胎内から産業ブルジョアジー
とプロレタリアートの両層を生み出すことが必要で
ある。すなわち彼らの階層分化が必然的となる。
資本制的社会を創り出していくためには,労働者
を自分の労働条件の所有から分離する過程,す
なわち一方では社会の生活手段と生産手段を資
本に転化させ,他方で直接生産者を賃金労働者
(賃労働)に転化させる過程が必要である。つまり
生産者と生産手段を歴史的に分離する〈本源的
蓄積(原始的蓄積)〉の歩みが必要であった。15世
紀の最後の3分の1から16世紀前半にかけて遂行
されたこの過程が資本の前史であった。封建貴族
は羊毛マニュファクチュアに刺激されて,土地に
対して権利をもっていた農民をその土地から暴力
つづく
301:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:29
的に追い出し,さらに農民の共有地を横領して,
巨大なプロレタリアートをつくりだした。この過程を
土台にしながらイギリスでは,16世紀後半から18
世紀中ごろにかけて資本制的生産様式としての
マニュファクチュアが成立し,さらに17世紀には多
分に早熟的な市民革命が遂行される。しかしマル
クスによれば上述の強行的過程が進行するなか
で,1750年にはヨーマンはほとんど消滅してしま
う。農民から土地を取り上げる大がかりな収奪過
程は土地の〈クリーニング〉として進行し,農民は
階層分解してその大きな部分は近代的なプロレタ
リアートとなる。他面では,先に述べたように,半
農半工の中産的生産者層のなかから,産業革命
の過程を経て,工場主が,つまり産業資本家が生
まれるのである。
これが近代社会を生み出すための古典的な道
であるが,同じヨーロッパのなかでもフランスやド
イツ(とりわけプロイセン)の近代化コースはそれぞ
れに異なる。いずれの場合も前期的資本が問屋
制度の支配網をとおして小生産者を自己の支配
下におきつつ,生産過程を直接掌握する点でイギ
リスと異なる。フランスのアンシャン・レジームの
場合,前期的商人層から特権的マニュファクチュ
アがあらわれ,いわゆる〈大工業〉に展開するが,
その発展は絶対主義的封建勢力と結びつきなが
ら行われたものであり,古い封建的生産様式を保
つづく
302:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:37
存することが自己の存立の前提であった。しかし
そこからも独立自営農民の産業資本家への転化
の道が準備され,絶対王権に対する彼らの闘争
は1789年以降のブルジョア革命(フランス革命)を
とおして完成する。他方,プロイセンの近代化はイ
ギリスやフランスと比べて純粋な展開ではなく,16
世紀に成立したグーツヘルシャフトを歴史的前提
としていた。それは比較的自由な農民をふたたび
封建的束縛のなかにおき,その地代を賦役に転
化させ,彼らを〈再版農奴制〉のなかに再編したも
のであった。1808年以降ここでも農民解放が進む
が,しかし〈グーツヘル(領主)〉は自己の農業経営
を資本制化し,農民を半封建的な賃金労働者へ
転化させ,そのことによって近代化の道を歩む。こ
うしてプロイセンでは封建的地主経営が同時に近
代的な資本制生産であり,しばしば領主と資本家
が同一人格であるというユンカー経営が成立し
た。中産的生産者が資本家へ転化する道はここ
には準備されていない。
【西ヨーロッパ市民社会と近代】
以上述べたような観点に立てば,近代社会という
のは封建的中世のあとに継起する歴史の一発展
段階というだけでなく,しばしばそれは後進性を克
服するための一つの理念目標であり,西ヨーロッ
パ市民社会を範とする思想化されたモデルであ
る。その場合イギリスがもっとも古典的で完成され
つづく
303:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:37
た近代化のモデルであるとすれば,ドイツの発展
は未熟で跛行的である。そこでは封建的諸要素と
近代的諸要素とが雑居し,その社会は前にも進め
ず後にも退けない閉塞状況に陥っている。マルク
スとエンゲルスはこのドイツの現状を〈ドイツ的み
じめさ〉と呼んだ。それはドイツの資本主義の発達
の特殊性を意味するとともに,ドイツの未熟な市
民性をあらわし,近代社会としてのドイツの未完
成を指していた。それは同時に西ヨーロッパ的市
民社会の成熟度をはかる言葉であったともいえ
る。
西ヨーロッパの社会思想史においては,国家と
市民社会とはしばしば統一的にとらえられてきた
のだが,19世紀にはいって近代社会が問題にな
るにいたると,政治国家と市民社会という二つの
概念は分離する。市民社会のなかで個人は私人
としてもっぱら自分の私的利益を追求し,他人を
そのための手段とみなすから,ヘーゲルの言葉を
かりれば市民社会は〈欲求の体系〉である。他方
マルクスによれば,普遍者としての国家は,私的
所有や職業などによる市民的区別を形式的に廃
止するが,しかし事実上はこの区別を廃止するど
ころか,むしろ自身の存在要件としている。したが
って近代社会のなかで人間は二重生活を営んで
いる。政治国家の一員としては人間は共同的存
在であり,市民社会の成員としては分裂的私人で
つづく
304:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:38
ある。マルクスは人間のこの二つのあり方の統合
のなかに人間の解放をみるのである。すなわち現
実の個別的な人間が〈個別的人間のままでありな
がら類的存在となったときはじめて,つまり人間が
自分の“固有の力”を社会的な力として認識したと
きはじめて,人間的解放は完成されたことにな
る〉。マルクスは,個人の私的利益追求がそのま
ま共同体の利益となり,個人の才能や欲望をのば
すことが共同体の利益に反するどころか,むしろ
その実現につながるという展望のなかに,近代を
超克する道をみたのである。
個人と共同体を相関的にとらえるこの考え方
は,ひとりマルクスにとどまらず,西ヨーロッパ近
代社会観の特質の一つであった。たとえば17世紀
合理主義を代表するライプニッツがそうである。そ
の形而上学の世界では,原初的な霊魂単位であ
るモナドは,それぞれ固有の力をもつことで個性
的であり,その衝動,本能,意志は独立している
のに,またその運動はまったく自由であるのに,
宇宙全体の連続的系列のなかに調和的に位置づ
けられることになる。神の〈見えざる手〉に関する
アダム・スミスの考え方も同じである。この啓蒙期
の思想では,各人が利己心に基づいて自分の利
益または幸福を追求すれば,それがおのずから
社会の公益と一致すると考えられたのである。あ
るいは19世紀にはいってヘーゲルの〈理性の狡
つづく
305:本@名無史さん
03/09/22 02:40
ヒトラーは州何回ぐらいやっていましたか?
306:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:51
智(こうち)〉という発想も,考え方の骨格において
同じである。そこでは,実存的個物がたがいに矛
盾し,衝突して,身を滅ぼしていくことが,全体的
には普遍的理念を現実化する道につながる,と考
えられる。以上の考え方が示すように,個人が全
体によって押しつぶされ奴隷化されるのではなく,
むしろ個人があくまで個人としての自分をつらぬ
き,自分の個性や才能を自由に発揮することこそ
が,共同社会の利益につながるという発想は,西
ヨーロッパの伝統的市民社会観の根底を流れて
おり,それが近代社会の人間観を支えるのであ
る。
しかし機械技術が高度化した近代社会の現実に
おいては,個人の利害関心と共同体の目標は一
致していない。たとえばマルクスは資本制的(商品
生産)社会においては物と物の関係が人間を支配
し,そこから人間の普遍的疎外が生じ,目的と手
段が転倒すると考える。M. ウェーバーもまた,近
代資本主義においては目的に対する手段の合理
性が貫徹するが,やがて目的と手段は転倒し,合
理が非合理に転化すると考える。この合理性は政
治的には官僚制的専門化の形式をとる。そして官
僚制的支配は現代社会が抱えるもっとも深刻な問
題の一つとなる。だがウェーバーの考えによれ
ば,個人はその合理的強制のただなかにあるに
もかかわらず,というよりまさにそうした合理性の
つづく
307:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 02:51
支配のなかにあるからこそ,みずから責任を負う
自立した人間として内面的に自由をまっとうする
のである。こうした自由論も近代社会における人
間観の特質である。
こうして近代社会の特徴の一つは,個人が自分
の才能や意志や思想に忠実に生き,そのかぎり
近代的自我を確立するということである。歴史をさ
かのぼってみればみるほど,個人はなお自立せ
ず,自然的なあり方で,家族と一体化しており,ま
た共同体のなかに吸収されている。市民社会にな
ってはじめて,さまざまな社会的関係が外的で客
観的な必然性として個人に対立してくる。個人は
ここではじめて家や共同体の束縛や強制から離
れて,自分を自由な存在として自覚するようにな
る。カリスマは否定され,宗教は個人の自由な内
面の問題とされる(政教分離)。この近代社会の思
想潮流のなかでさまざまな解放思想が生まれる。
女性解放などもその一つである。
こうして近代社会は人間をまだ解放しはしない
けれども,個人的自我意識の確立をとおして解放
を準備するのであり,またそれ自体社会的な対立
や矛盾をますます激化させるにしても,巨大な生
産力の展開をとおしていつか矛盾を解消するとい
う展望を打ち出すことができる。市民(ブルジョア)
と国家公民(シトアイヤン)の対立のように,ここで
はなお個人の私的関心と類の普遍的利益とは一
つづく
308:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:00
致せず,むしろ人間の疎外が全面化するけれど
も,しかしこの近代市民社会をとおして人類の歴
史的展望がひらけるというのである。これは一つ
の近代史観である。
【アジア的社会と近代】
西ヨーロッパ的近代社会の観点からして,それと
対照的なモデルを構成するのがアジア的社会で
ある。ここで〈アジア的〉といわれる場合,地理的
に特定されたアジアを指しているのではなく,むし
ろそれはたんに非西欧を意味するモデル社会に
すぎない。西ヨーロッパ社会で〈オリエント的〉とか
〈スラブ的〉といわれる場合も同様である。そこで
は人間の生活がまだ自然と一体化していて,人間
が自然の束縛や制限から脱け出せないでおり,
個人は人格として独立し,自覚するにいたってお
らず,専制君主のもとで,またその官僚制のもと
で奴隷として過ごしているか,家父長制的共同体
のなかで没個性的に暮らすか,である。そこでは
手工業をふくむ再生産構造は自足的であるが,ま
ったく停滞的で発展がない,というのである。これ
に反して西ヨーロッパ的社会というのはこの〈普遍
的奴隷制〉と正反対の構造である。それは,個人
の人間的自覚をエネルギー源とした生産諸力の
進歩に裏打ちされて,市民社会の文化をとおし
て,また中産階級を担い手として生まれてくる。ロ
シアに中産階級はないというヘーゲルの法哲学
つづく
309:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:04
における評言も,意味するところは同じである。
近代的観点からみれば,このアジア的ないしオ
リエント的なモデル社会も閉塞的であり停滞的で
あるから,それは歴史をもたない社会である。そ
こでは人々は自由や理性には縁がなく,深海の底
に生きる魚のように無自覚のまま自然にとりこま
れている。意志をもつのは専制君主だけで,残余
の者はすべて不感症の奴隷として支配されてい
る。それに反して西ヨーロッパに範例をもつ近代
社会においては,その成員は人間的自覚に基づ
き,人間的類の実現をめざして創造的に労働す
る。個人があくまでも個人であることを失わず,し
かも個人であることによって同時に類的かつ共同
的なものを追求しようという社会構造をもつので
ある。すでに述べたように,この近代化コースは
ブルジョア的発展の道であり,資本制的な世界市
場の展開と軌を一にしている。そしてこの近代的
発展と歩みを共にすることができない民族は〈歴
史なき民族〉(エンゲルス)といわれるのである。
近代社会が西ヨーロッパ市民社会に古典的範
例を求めながら資本制的発展のうえに成立すると
すれば,それはまた,少なくとも歴史の過渡的歩
みのなかでは,統一的な国内市場や統合された
国民経済を背景にもつことになるだろうし,統一言
語や国民文学を創り出し,国民的基盤での軍隊を
つづく
310:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:06
生み,そして政治的には国民国家(民族国家とも
いう)を一つの枠組みとしてもつことになろう。エン
ゲルスは1884年に書かれた手稿のなかで,中世
初期における諸部族 Volk の混合のなかからしだ
いに新しい民族体 Nationalit∵t が発展してきたこ
と,また言語群の境界がひとたび画されるように
なると,民族体が近代化し,やがて民族 Nation
に発展することを指摘した。ここでは,部族―民族
体―近代的民族体―民族が近代社会に向かう歴
史的展開として図式的にとらえられた。ここで民族
は,文化的伝統,言語,慣習,風俗などで固有性
をもつものとしてだけでなく,資本制的近代社会に
対応する概念としてとらえられている。したがっ
て,またここに成立した〈民族〉はあくまでも近代
的存在として民族国家に対応するのである。だが
民族が近代的・資本制的発展と重なりあうなかで
はじめて成立するのだとすれば,多民族国家内に
共存する民族体はもはや民族ではありえず,自分
たちの近代社会をもちえない存在となる。多民族
国家のなかで,ある特定の民族が自己を民族とし
て主張し,その国家を自分たちの民族国家たらし
めようとすれば,そこでの他の諸民族はそれに従
属する以外になく,結局,非近代的な民族体にと
どまることになろう。ここでは民族体と民族は,エ
ンゲルスのいうような歴史的発展の関係ではな
く,国家権力を媒介にした支配と従属の関係であ
つづく
311:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:06
る。19世紀ヨーロッパ史が実例をもって示したよう
に,近代社会は,民族国家と重ねあわされるかぎ
り,ここでも多くの矛盾を内包したのである。
後進国ないし発展途上国においては,近代化は
避けてとおることのできない問題である。しかし,
近代社会の西ヨーロッパ的モデルをそれらの諸国
に外から機械的に適用しても,それら諸国に内在
する問題の解決にはなんら役立たない。その意味
で西ヨーロッパの発展は普遍的な規準ではない
のである。そればかりでなく,最近では人間社会
にとっての近代化の有効性についてさまざまな疑
義が提示されるようになった。そもそも資本制的
近代化の歩みは生産者の意識的活動によって自
然の制限を取り除き,同時に生産力を高めるはず
のものであったが,いまや生産力の上昇は自然
的資源のかぎりない収奪と破壊に向けられ,計り
知れぬほどのマイナス効果を生み出している。近
代社会を生むことが人間社会の前進につながると
いう素朴な楽天主義は消え,さまざまな意味での
近代の見直しが課題となっている。⇒近代化
∥近代主義 良知 力
【日本の近代社会】
[天皇の国] 日本は,ペリー艦隊の砲艦外交の
前に,いやおうなく資本主義世界の内にとりこま
れた。そのため嘉永癸丑(1853)の衝撃は,のちに
つづく
312:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:22
王政復古を生み出した原点として意識された。こ
こに〈徳川日本〉は,欧米の軍事・経済的圧力の下
に,幕藩的割拠体制にかわる新しい民族的結集
をはからねばならなかった。〈御一新〉をめざす諸
運動は,民族精神の結集による新国家の樹立に
より,圧倒的に優勢な欧米の力に対抗しようとし
たものにほかならない。そこでは,軍事・経済的に
劣るだけで,日本が外国と異なり民族的に優越し
ているという主張が唯一の精神的なよりどころと
意識された。こうした民族精神の確認は,諸外国
が易姓革命・王位簒奪という〈血にまみれた〉歴史
でいろどられているのに対し,日本のみが〈万世
一系の皇統〉をもつ〈皇国〉であるという国体神話
に求められ,日本的選民意識ともいうべきものを
形成した。いわば日本は,天皇を国土一体の惣天
子で万国の総帝とみなし,万国の祖国・君上国た
る〈皇国〉である世界の大帝国と位置づけられた。
この民族神話こそは,倒幕運動を支えた志士のよ
りどころであり,藩割拠的な意識を天皇を中心と
する民族精神に結集せしめたものにほかならな
い。
醍長討幕派を主勢力とする維新政府は,〈王政
復古〉〈万機親裁〉をかかげ,天皇が国家の根軸
であり,権力の主体であることを強く主張すること
で国家の基盤をかためようとした。そのため戊辰
つづく
313:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:23
戦争においては大坂行幸,東京行幸で天皇〈親
征〉の実を示し,国家形成期においては親政の実
現をめざした。親政は,西南戦争ごろまで天皇が
祭主的性格をおびて〈親臨〉するという統治形態
であったが,天皇が少年から青年へ成長するのを
ふまえ,〈有司専制〉批判に対処するうえからも政
治の場に深くかかわるべきだとする親裁論として
展開された。しかし親裁論は,侍補の廃止,明治
14年の政変(1881),皇室財産の設定建議等をう
け,伊藤博文らが主張する〈事ヲ統テ事ヲ執ラス〉
という〈親統論〉の前にしりぞけられた。ここに伊
藤ら国家指導者は,政府と一体である天皇を政治
の支柱とする国家構想を,国体神話で潤色するこ
とで大日本帝国憲法として発布した。かくて近代
日本の国家は,国体神話による〈神聖天皇〉を頭
首にいただきながらも,天皇を〈事ヲ統テ事ヲ執ラ
ス〉と権力を運用する機関とみなすことで機構とし
て成立せしめられた。
[文明の政府] 政府は,〈開国和親〉〈富国強
兵〉をかかげ,欧米列強の軍事・経済力に比肩し
うるだけの〈文明国〉たることを課題とした。このこ
とは,欧米近代国家の諸制度を積極的にとりこ
み,日本の文明化・近代化をはかることにほかな
らない。近代化は,政治・経済機構のみならず,軍
事・教育制度から,日常生活における文化様式に
つづく
314:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:23
いたるまで欧米的規範と制度の主体的導入によ
ってはかろうとした。その一端は,違式壷違(いしき
かいい)条例によって〈軒外ヘ木石炭薪等積置ク
者〉〈新規ニ板葺ノ家作スル者〉〈耀除ノ者蓋ナキ
糞桶ヲ用ヒ或ハ蓋ヲ疎漏ニシテ運搬スル者〉など
を取り締まったように,民衆の生活実態を無視し
た強権的な文明化として展開された。そのため民
俗的慣行は〈蛮風〉とみなされ,〈裸寒参り〉のみな
らず諸祭礼をはじめ,盆踊や田植行事から遍路,
門付芸等々にいたるまで,民衆のまつりと遊びが
規制された。天皇は,このような文明化政策の体
現者として,牛乳を飲み肉を食い洋服を着用する
〈啓蒙専制君主〉として広く喧伝され,〈開化の天
皇〉たる一面を強調した。かつ〈一君万民〉論に基
づき,天皇を国民の父母となし,日常的な生活の
場で慈父たる天皇が確認されるような制度的保障
をした。
1873年の〈年中祭日祝日等ノ休暇〉は,旧来の
五節句祝い(人日,上巳,端午,七夕,重陽)を否
定し,神武天皇の即位日たる紀元節(2月11日)と
天皇誕生日たる天長節(11月3日)を中心に古代以
来の宮廷儀礼の復活という体裁をとりつつ,まっ
たく新たに国家の祝祭日を決定したものにほかな
らない。それらは,王室の誕生が国家の創設であ
るヨーロッパ君主国の国家儀礼の様式に学んだも
つづく
315:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:44
のだけに,民衆の日常的な生活感覚と慣行になじ
まなかった。ちなみに国家祝祭日を理解しえたの
は,在日外国人とともに,〈文明の宗教〉としての
キリスト教を説く教会であった。それだけに民衆
は,祝祭日を世間の人の心にもない日を祝わせよ
うとする日とみなし,政府が〈赤丸を売る看板の如
き幟や提灯を出さする日〉かとも揶揄(やゆ)した。
そのため政府は91年の小学校祝日大祭日儀式規
程で小学校教育のなかに祝祭日儀式を位置づけ
て強要するとともに,教科書等で〈天長節〉等に関
する意義を説かねばならなかった。1900年の金港
堂版《国語読本》は,《天長節》と題し,家の床の
間に〈天皇陛下〉という軸をかけ,菊花をいけ,そ
の前で家の主人が一家をひきつれて礼拝してい
る図をかかげ,〈今日ハ,天長節トイッテ,今ノ天
子様ノ御生マレアソバシタ日デアルカラ,一家コゾ
ッテ,御祝ヲ申上ゲテ居ル〉と説明している。また
〈日本国〉なる課では,〈たふとき天皇ましまして,
民をみること子のごとし〉と〈天皇の国〉たることを
説き,天皇に帰一する国家意識の育成をはかろう
とした。こうした教育こそは,国家祝祭日を国旗を
出さねばならない日とみなして〈ハタ日〉と称し,日
常生活の折り目をなす固有なる祝祭日を〈ハレ
日〉とする感覚を生じた。このハタ日とハレ日とい
う二重感覚こそは,ヨーロッパ君主国にならうこと
つづく
316:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:45
で〈文明の国〉たらんとした政府の施策に対し,民
衆の日常生活を場とした秩序感覚を具体的に示
したものにほかならない。
[国家と民衆] 政府の文明化政策は,天皇の存
在や恩愛すら理解しない〈頑愚なる人民〉に対し,
仁愛を及ぼす啓蒙と意識されていた。権力の行使
は,〈一国は一家なり,政府は父母なり,人民は子
なり,警察は其保傅なり〉(川路利良《警察手眼》)
との言が述べるように,いまだ開化に浴さぬ〈幼
者〉に対する保育にほかならない。それだけに国
家は,民衆の〈撫育教導〉を天皇の名による権力
の貫徹としてはかり,頑愚未開な民衆を開化させ
るという使命観で支配した。このことは,学校教育
における〈天皇の国〉意識の涵養(かんよう)のみな
らず,組織的な集団行動の体得,地域言語として
の方言にかわる〈標準語〉という〈国語〉学習の強
化等々として展開された。学校体育と運動会や遠
足は集団行動の訓練場であった。また1900年の
義務教育4年制を銘記した改正小学校令による小
学校校則は,〈初ハ発音ヲ正シ,仮名ノ読ミ方,書
キ方,綴リ方ヲ知ラシメ〉と,〈標準語〉教育を第一
課題としていた。それは下士卒の国語力向上が
〈国軍〉としての軍隊の統一と質的向上に欠かせ
なかったことによる。こうした〈文明〉の名による集
権化こそは,藩割拠的な〈クニ〉意識を打破し,天
皇につらなる国家意識を確立するうえでの急務で
つづく
317:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:45
あった。しかし民衆の意識は,いかに〈頑愚未開〉
といわれようとも,五節句等を軸にした生活を守
り,方言的秩序において暮らしていた。しかし一方
では,維新当初に〈御触御布告はみなチンプン漢
語の四角張ったる文字となり〉と揶揄した民衆の
言語感覚をして,日露戦争後になると,〈漢語〉に
よる行政文書の用語が話しことばとして利用さ
れ,村長や学校教師らが一般に使用することでお
役所ことばを〈標準語〉とする言語感覚が育てられ
てきたという。
このことは,ハタ日たる国家祝祭日が〈天長節大
運動会〉というような村落行事として認知され,あ
らためて位置づけなおされる動きと共通する心意
に支えられていた。それは,日露戦争の勝利意識
をふまえ,ムラ意識による〈クニ〉にかわり,〈天皇
の国〉たる〈大帝国〉の国民という自覚を促すこと
で〈国家〉意識がはぐくまれたことともかかわって
いよう。こうした〈大帝国〉という観念は,〈一等国〉
意識を強調することで,生活習俗の改良をめざす
〈村落更生〉運動においてとくに強調された。しか
し民衆生活は,昭和恐慌下の〈農山漁村経済更生
運動〉においても,習俗改良があらためて強調さ
れたように,ムラの暮しとして根強く〈文明の政府〉
に対峙しつづけた。それだけに日本の近代社会
は〈文明の政府〉が展開する政治と民衆生活に根
つづく
318:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:56
ざした民俗的伝統が生み出す慣習的秩序との相
克に悩まされた。いわば〈天皇の国〉は,ヨーロッ
パの君主制に基づく〈文明の統治〉として政治を展
開しながらも,国家と民衆の亀裂を内包している
がために,国家的危機において常に〈国体神話〉
による天皇信仰を強調せねばならなかった。その
一端は,日露戦争後の国軍が物質的威力に勝る
精神力の優位を説き,やがて昭和初頭に軍隊の
大衆化に対して〈必勝の信念〉を支えるものとして
〈天皇信仰〉の発露を力説し,15年戦争下で〈天皇
親率〉の〈皇軍〉意識を強調しなくてはならなくなっ
た軍隊の姿にもうかがえよう。
このことは,〈事ヲ統テ事ヲ執ラス〉という天皇の
名による政治が行きづまったとき,国体神話によ
る天皇イデオロギーをあらわとするしか民族的結
集がはかれなかったことと共通する世界にほかな
らない。まさに日本の近代社会は,危機における
民族結集の場を国体神話が生み出す天皇信仰で
はかりつつ,〈文明の政府〉として西欧君主国にお
ける統治形態にならい制度機構を整備したのだっ
た。こうした国家の権力支配がもつ〈開明性〉は,
民衆の日常的な生活文化と鋭く対峙する存在で
あった。それだけに国家は,社会的危機にさい
し,民衆の慣習的秩序が生み出す世界に国体神
話を架橋することによって,民族的一体感を築こ
つづく
319:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/22 03:58
うとした。そのため国家は,昭和期の国体明徴問
題のような〈天皇信仰〉の宣揚による精神主義の
前に制度的機構的な支配の原則すら失うこともあ
った。このような二元的構造こそは,近代日本の
社会秩序を性格づけたものといえよう。⇒天皇
∥天皇制 大濱 徹也
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
つづく・・・が別の立場からの整理を貼る予定。
よっしゃこい
320:日本@名無史さん
03/09/22 07:41
URLリンク(www.discover.com)
URLリンク(www.discover.com)
世界の肌の色の濃淡分布図発見。
中国人は世界的に見てディープサウスを除いて緯度の割にはかなり色白のようだ。
朝鮮人は中国人とくらべ概して色白のようだ。この表では日本はよくわからんな。
大陸からの等高線の遷移から類推すると沖縄は黒くて東北はアジアのどこよりも色白ということか。
でもジャップもチンクもチョンもたいして変わらん。
321:伊達家中
03/09/22 09:01
みなさ~ん ここはネタスレですよ~~
322:日本@名無史さん
03/09/22 09:36
ネタスレだろうがなかろうがボクの博士に対する
尊敬の念は微動だにしないよ。
323:伊達家中
03/09/22 09:43
>>322
これからもがんばって下さい
324:日本@名無史さん
03/09/22 09:58
随分な嫌みを込めた言い草ですね。
325:伊達家中
03/09/22 10:19
ではこう言っておきましょう。
「伊達に始まり、伊達に終わる」
よっしゃこい
326:伊達家中
03/09/22 10:20
また、このような言い方も北半球ではアリです。
「一日一伊達」
よっしゃこい
327:伊達家中
03/09/22 10:23
さらに追い討ちをかけるとすれば、アメリカ語にて
「EASY COME, EASY DATE.」
よっしゃCOME
328:日本@名無史さん
03/09/22 10:37
諺や慣用句はあまり得意ではないとお見受けしましたが。
329:史学生
03/09/22 11:05
博士・・お早う御座います。
何時も、ご苦労様です。
早速・・・仁徳御陵に仁徳天皇は祀りられて居られますか?。
よっしや・・おねがいしますた。
330:日本@名無史さん
03/09/22 11:15
勝負の鉄則は常に自分のフィールドで戦うか否かが重要だと思うのですが
貴方の場合不得手な分野で冒険しすぎだとお察ししますので
博士との対決にはゆめゆめ上記の忠告をお忘れにならないように。
331:史学生
03/09/22 11:46
>>330
ご教示有り難う御座います。
なにぶん未だ何もよくわからず、好奇心だけ旺盛で我ながら困っております。
関西のご稜は殆ど回りましたが、最もらしく天皇のお名前が記されておりま
すが、何を根拠につけられたか、眉唾でいい加減な気がします、江戸時代の
命名と明治の時代の命名と有るはずですが?。失礼致しました・・・m(_ _)m
332:日本@名無史さん
03/09/22 12:07
>>330
なぜそこまで傲慢になれるんだ安藤
333:日本@名無史さん
03/09/22 12:07
ついでに333
334:日本@名無史さん
03/09/22 12:17
豚カードで一生終わるのも悪くないよ。気楽だから、ジョーカーさえ
引かなければ・・・・・・・
335:純粋にほめ言葉を1へ
03/09/22 17:34
なんや、よう解らへんけど
削除の方向にこのスレが
むこうとるさかい
コピペにからむスレ
ちゅうネタスレということで
生き残りを1は狙っとんのか?
1みたいに一日中
2chに居ついてられへんから
どこで削除の議論しとんのか
誰かリンク貼ってくれへんか~
ま、せやけど「時代区分」みたいな
西洋史の概念をこの板で視るとは・・・
1はネットより古本屋のオヤジのほうが
にあってまっせ!
336:日本@名無史さん
03/09/22 19:40
>>335
それは、全てあなたの思い込みです。
337:日本@名無史さん
03/09/22 23:12
みなさん、昨日のオフ会お疲れ様でしたっ!!ほんとに楽しかったよっ!
このスレ人少なそうだったけど、48人も集まるなんて、ビクーリっ。
みんな想像してたイメージと全然違ったねっw
博士が大きいのには本当に驚いたっ。197cmもあるなんて。
修士さんは、オールピンクのいでたちでアフロだったしw
伊達さんは、ご子息を6人も同伴されててw としクンはもう寝たかな?
みなさん日本史に造詣の深い方ばかりで、博士邸での炬燵を囲んでの談話は
ほんとに勉強になりました。それにしても六畳間によく全員入れましたねw
また機会があったらやりたいですね♪
p.s.博士の彼女さんかわいいですねっ。
338:日本@名無史さん
03/09/23 01:46
>>337
> p.s.博士の彼女さんかわいいですねっ。
それは、全てあなたの思い込みです。
339:日本@名無史さん
03/09/23 01:58
>338
それ以外は思い込みじゃないのかw
340:日本@名無史さん
03/09/23 07:45
安藤
341:伊達家中
03/09/23 09:00
>>337
私も8年ぶりに生身の人間と会話できて、本当によかったです。
342:伊達家中
03/09/23 09:09
>>337
それにしても博士の彼女がチリ人だったとは・・・
どこで知り合ったのですか、博士?
343:日本@名無史さん
03/09/23 09:15
>>331
どこまでも謙遜なさる貴方様に感じ入り
博士はきっと薀蓄を傾けてくれるでしょう。
しかし日本歴史学の権威である博士は
学会や講演会などで東奔西走の日々なれば
遅レスの場合は平に御容赦下さい。m ( _ _ ) m
344:安藤
03/09/23 09:46
____
/:::::::::::::::::::::::\
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::\
/::::/ ヽ:::::::::::::::::::::::::::::|
│::ノ ヽヽヽヽヽ ヽ |
(6 -=・=- -=・=-│ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│ | | | <>>340うるせー馬鹿!
| (・・) | \_______
\ ∈∋ /
\____/
/|/!ヽ/ |\
/>.| /。| ̄ \
/| \|//__ l⌒i
| | | |安藤| | |
345:日本@名無史さん
03/09/23 10:15
>>343
「借金取りに追われ東奔西走」だろ?
346:日本@名無史さん
03/09/23 10:49
>>343
それは、全てあなたの思い込みです。
347:日本@名無史さん
03/09/23 12:09
安藤は日本史板の癌
348:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/23 17:44
さらっと流し読み
よっしゃこい
349:日本@名無史さん
03/09/23 17:55
>348
ゆーとおもった。もっとひねろーよー
350:日本@名無史さん
03/09/23 18:17
で、誰の質問にも答えず。
だすのはデムパのみ。
かくてこのスレはアボーンw
351:日本@名無史さん
03/09/23 18:53
↑確かに電波だねw
352:日本@名無史さん
03/09/23 18:57
関係者のコメント
先の名古屋の事件をうけ、流行のガソリンを用いてみました。
しかしながら安全性を考え、今回は「のようなもの」を使用しました。
たびたび指摘されている「愛国と言われても、どの国を思っての事か」というご意見をふまえ、今回は具体的に「日本」の呼称を取り入れてみました。
しかしながら、万が一の事を考慮し、組織名に「風」を入れる事で名言を避けておりますのでご安心下さい。
また今回は、度重なるご意見を考慮し、朝日新聞を避け共同通信へ犯行声明を伝えてみました。
皆様の反響に耳を傾け、朝日新聞との共同作業体制を探って行きたいと考えております。
また、なぜ大分の事件なのに東京の共同通信へ電話なのか?といったご意見を早速頂いておりますが、これにつきましては現地に不慣れな工作員の手違がありました事を深くお詫びしますが、賠償はしません。
なぜいつも火を付けないのか?とのご指摘もありますが、我々としましては安全性を第一にと考えておりますので、将来においてもそのような行為は慎みたいと考えております。ご了承下さい。
353:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/23 19:07
はいはい
よっしゃこい
354:日本@名無史さん
03/09/23 19:08
よっしゃ電波こい
355:日本@名無史さん
03/09/23 19:11
このスレが重複スレではないということを証明してください
356:日本@名無史さん
03/09/23 19:18
質問に答えないから重複ではない。
357:修士(文学)
03/09/23 19:27
>>355
カルチャーセンターなどでは
初級コース・中級コース・上級コースとコース分けすることはよく行われます。
質問スレは初心者向けですが
このスレは煽りをも含む中・上級者向け質問スレという位置づけと認識していますが。
358:日本@名無史さん
03/09/23 19:38
>>355
修士(文学)の説明で納得しときなよ
何回も同じ質問してるみたいだけど
過去に博士と如何なる因縁があったんですか?
359:剣の舞
03/09/23 19:57
URLリンク(www5d.biglobe.ne.jp)
360:日本@名無史さん
03/09/23 20:44
>このスレは煽りをも含む中・上級者向け質問スレという位置づけと認識していますが。
スレ主が中・上級者だという根拠は何だろう?
電波度の話?
361:日本@名無史さん
03/09/23 20:52
>>360
強いてそう思いたいのだろう
362:日本@名無史さん
03/09/23 21:04
君たちのような電波を惹きつけるのも中・上級者の宿命だね
363:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/23 21:11
>>360-362 歴史に関わることを混ぜて煽らないと
結構盛り上がらないもんでしょ?
がんがれ
よっしゃこい
364:日本@名無史さん
03/09/23 21:23
タコ踊りだな
低脳君
365:日本@名無史さん
03/09/23 21:40
無数に散らばるスレッドの海
ここに、一つの糞スレが産声を上げた。
鯖の負担も顧みず、勢いと思いつきだけで立てた駄スレ。
雑談程度の内容で板を圧迫し、
良スレを駆逐した。
これは、日本一の糞スレを目指した、ある男の執念の物語である。
(ズズンズ、ズンズン、、、シャキーーーーン! プロジェクト・エェーーーークス)
主題歌 「痴情の星」川中島みゆき
♪風の中の、すぅばるぅ~~~・・・
チャララララ~~~
膳場「プロジェクトX朝鮮者たち、
今夜は 糞スレ生産に命をかけた>>1の物語です」
国井「膳場さん、これが何かわかりますか?日本一の“糞スレ”なんですねー
ちょっと煽ってみましょう」
国井「氏ね、逝ってよし!ボケ、チンカス!
いやーこれはひどいインターネットですねぇ(w」
膳場「さて、日本一の糞スレを目指した>>1。
物語は戦後間もない大阪から始まります」
366:日本@名無史さん
03/09/23 22:19
>365
よし。始めたな?責任もって話を続けろよ。
さて、君に最後まで読者を引き付ける話を創作する才能があるのかな?
まあ、あれだな。荒らしても結局、歴史的知識で揺さぶりをかけないと
奴を動揺されられないってこった。
修士とやりあったとき奴はちょっとマジモード突入してたぞw
もう普通の嵐はつまらん。見飽きた。映像として目に入るだけでなんの
効果も無い。
367:103の俺様 ◆duckVaOjdY
03/09/23 22:43
>>357
>中・上級者向け質問スレという位置づけと認識
おそらく中・上級者と自負されているのでしょうが
>>104
>国郡制の枠組みは近世になっても形式以上に結構意味を持っています。
>>112
>国奉行や国役といったものが存在しますし日光社参の国役人馬組合は、郡を単位に編成されています。
>したがって国郡制単なる地域表示ではなく支配の枠組みとしての意味を失ってはいません。
↑
>>103
>形式的には近世までの日本の国家体制の枠組みを規定する基
大宝令下の国郡制の枠組みのみに意義を主張されていますが、
その論を(拡大して)援用すれば、平成の日本の国家体制の枠組みも大宝令下の国郡制に基づく地域表示がおこなわれているので律令政治機構は現在も意味を持つと考えているんでしょうねw
大宝令以降の国数の変化や地名の変更を無視(?)していらっしゃるのですから・・・
念の為に確認したいのですが、大宝令以前に日本には地名が存在しないと考えているのですか?
>>109以降の基本的な疑問には全く答えようとしていませんね。
議論の前提を無視して、自家薬籠中の物とすることが中・上級者ですか?
同病相憐むという言葉はご存知?
軍板でコテハンの階級が上な程、電波が強いという法則は(ry
368:修士(文学)
03/09/23 22:52
>>367
この件については>>141で博士が答えているので
これで充分と判断したのですが。
369:修士(文学)
03/09/23 23:05
補足しておきますと
「国郡制の枠組み論」では
前代の単なる遺制であると考えられてきた国郡制が
幕藩制国家を構成する不可欠の要素、あるいはその成立にあたってきわめて重要な意義を持つという認識のもとに
統治権的支配が国郡を通じて実現されることを明らかにしています。
詳しくは下記論文をご覧下さい。
永原慶二・山口啓二「日本封建制と天皇」(『歴史評論』314、1976年)
三鬼清一郎「太閤検地と朝鮮出兵」(『岩波講座日本歴史』9、1975年)
高木昭作「幕藩初期の国奉行制について」(『歴史学研究』431、1976年)
同「幕藩初期の身分と国役」(『歴史学研究』76年度大会特集号、1976年)
370:修士(文学)
03/09/23 23:11
もうひとつ補足しておきます。
上記4論文のうち、基本となるのは高木氏の2つの論文だと思いますが
これらはいずれも『日本近世国家の研究』(岩波書店、1990年)に収録されています。
これなら公共図書館には入っているはずですから、ご覧になりやすいと思います。
371:日本@名無史さん
03/09/23 23:50
質問です。日本の首都における歴史的特産について教えてくださいヽ( ´ー`)ノ
372:103の俺様 ◆duckVaOjdY
03/09/24 00:49
>>368
徹頭徹尾、議論の前提は無視ですか?
ご自身は同じことを二度かくのは嫌だとおっしゃりながら、何度同じことを質問させる心算ですか?
>>94の公家側の律令政治機構は残ってるの?
というのが大本です。違いますか?
以下、へびあし(記憶モード)・・・
永原慶二・山口啓二「日本封建制と天皇」(『歴史評論』314、1976年)
この論文の中で永原氏自身が「戦国大名は事実の問題としてそれほど強く国郡制に依拠していたでしょうか」
と、疑問を呈していませんでしたか?
三鬼清一郎「太閤検地と朝鮮出兵」(『岩波講座日本歴史』9・近世1、1975年)
この論文の中で氏自身が封建領主制としての豊臣政権の問題点と国郡制的な統治原則について、
>>104を補強できるようなことが書かれていますか?
こちらは368の御専門ですからw是非とも頁数と共に御教授戴きたいですね。
もう寝ますzzz
373:修士(文学)
03/09/24 09:30
>>372
大宝律令の政治機構がそのままの形で残っているはずがないことくらいはご存じでしょう。
ただすべてが完全に形骸化したかというと
そうではないのだということをお示ししたまでのことです。
それから蛇足の部分ですが
「国郡制の枠組み論」を提起しているのは山口であって、永原がそれに疑問を呈するのは当然のことです。
三鬼論文では秀次の位置づけに関わって国郡制に触れていますのでついでに挙げておきましたが
博士の書き込みにあったように
「国郡制の枠組み論」を提起したのは山口と高木ですので、三鬼論文は参考程度にしておいて下さい。
重要なのは高木論文だと思いますので
これ以上議論を続けるなら、まずこれを読んでいただきたいと思います。
374:日本@名無史さん
03/09/24 16:27
いつもながら流石だね修士(文学)
博士の唯一無二の好敵手と評されるだけのことはあるね。
375:日本@名無史さん
03/09/24 17:03
安藤がいない方がまともな論争になる。
376:日本@名無史さん
03/09/24 17:30
>>375
君はある意味このスレの一言居士だね(w
377:日本@名無史さん
03/09/24 17:52
27分か、よく我慢したなw
378:日本@名無史さん
03/09/24 18:00
毎度どうも
低脳君
379:日本@名無史さん
03/09/24 18:05
>>377
22分か、もうちょと我慢してもよかったのにw
380:日本@名無史さん
03/09/24 18:08
>>379
今度は13分か・・・・・きりがねえなw
381:日本@名無史さん
03/09/24 18:30
どうでもいいが、なぜ安藤は出てこない?
382:日本@名無史さん
03/09/24 18:51
>>380
3分ですか・・・・・押さえが利かなくなってますねw
383:日本@名無史さん
03/09/24 19:04
いるなら出て来ればいいのに
低脳君
384:日本@名無史さん
03/09/24 20:49
age
385:日本@名無史さん
03/09/24 21:56
>>383
低脳君は踊る
されど博士は踊らず
386:日本@名無史さん
03/09/24 23:44
>383
毎回、本文からかなり改行して、右下のほうに低脳君って書いてるけど、
それってなんか、署名みたいだぞ。
そう読むと低脳君=自分と読めちゃうわけで。
まあ、どうでもいいんだが。
387:歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
03/09/25 00:13
何だ、みんな楽しそうだな
よっしゃこい
388:日本@名無史さん
03/09/25 00:23
>>387
おまえはもうイラネ
389:日本@名無史さん
03/09/25 00:49
だな
修士と103がいれば充分
390:日本@名無史さん
03/09/25 00:50
糸冬
391:停止しました。。。
停止
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ