与那国島の海底遺跡を考察するat ARCHEOLOGY
与那国島の海底遺跡を考察する - 暇つぶし2ch250:出土地不明
03/11/28 19:20 EAkH0qRs
ちょっとミーハーでスマンが、
今(11月28日現在)コンビニに並んでる『スプリガン』
復刻版(?)の中程のページに与那国遺跡の話題が載ってて
木村氏が写真入りで出てる。試しに読んでみてちょ。

251:元琉球大学生
03/11/28 21:20 ngdF9eFR
>>245
加藤先生かよ、懐かしいなあ。
おっかない先生だったなあ。生徒に対し平気で怒鳴りまくってたし。
大学の先生でそういう人珍しかったんでよく覚えているんだよねえ。
当時琉球大学には革マルの連中がいてさあ(今もいるのかな?)、
よく授業の前に「十分間ほど時間をください」なんて来て、アジってたんだよね。
ほかの先生はどうぞ、なんていってんのに、先生は「授業の邪魔だ、とっとと出ていけ」
なんて怒鳴りつけてたからねえ。
ご健在で何よりですなあ。

252:hammerhead
03/11/28 23:19 vnQqgaT1
ちょうど波の営力に話が来たので、もう少し核心に迫ってみよう。

「遺跡もどき」での節理に沿った剥離と脱落は、北西側(層理面傾斜
上手)よりも南東側(層理面傾斜下手)に多く発生している。

これは重力滑りによる影響が大きいのはもちろんだが、波の営力も
忘れてはいけない。南東側は当然海側であり、より波の影響を
受けやすい。

253:hammerhead
03/11/28 23:20 vnQqgaT1
それでは同じ南東側でも地層の走向方向(南西-北東)で差は
みられるか?見ての通り、最もブロック状の脱落が激しいのが
南西側だ。北東側は比較的おとなしい地形になっている。

これは「第1海丘」の海側に第2海丘、第3海丘という障壁があり、
北東部は波の営力を受けにくいから。そして南西部を見てみると、
その部分は最も海側に突き出た地点(最南端)に当たり、
またその前面に障壁はない。外洋からの波を直接かぶる場所に
あることがわかる。この部分の崩落が最も激しい理由はこれだろう。

こういった考察もせずに、形状の類似性だけから「船着き場だった」
だの「グスク」だの論じても全く無意味だ。

まあ木村氏はこれも充分わかったうえで、デマカセを語ってるんだと
思うが。

254:出土地不明
03/11/29 23:24 mlM2EImP
右翼大学教授によるお粗末な歴史の捏造

255:出土地不明
03/11/30 21:01 i/aKzivT
お前ら左翼氏ね!民族の誇りにケチをつけるな

256:出土地不明
03/11/30 21:04 FBD/DBS9
hammerheadさん、254・255のような輩は完全無視して、検証の続きをよろしくお願いします。

257:hammerhead
03/11/30 22:51 A3eXcrPK
さて、これまで長々と

> (1b)階段状の地形が、地層傾斜方向の南側だけでなく周辺もとりまいている。
> とくに地形の逆傾斜の北側にあることは人工的である。しかもその一部は
> 石段になっている。

を中心に、メインテラス、アッパーテラスの「人工の証拠」と
やらが「節理系」ですべて説明できることを証明してきた
(クサビ穴は後述)。

> 「もはや遺跡ポイント=自然説の根拠は崩れてしまった」

が、いかに幼稚な主張であるかが理解してもらえたと思う。

残りは「亀石」と「水路」くらいかな?他に何か言及し忘れた
ものがあれば教えて下さい。

258:hammerhead
03/11/30 22:52 A3eXcrPK
「亀石」はあえて語る価値もないほど馬鹿馬鹿しい
「証拠」だが、一応通過だけしておこう。

> 亀が2匹、向き合ったような形に整形されたような
> 高まりが存在する。
(月刊地球 p.81)

こんな短文に「ような」が2つも入っている(w。
よほど自信がないとみえる。

通俗本では素人ウケするので大きく掲載しているが、
プロには通用しないことをよく知っているのだろう。
月刊地球2000や英文論文2001では扱いはきわめて小さい。

259:hammerhead
03/11/30 22:52 A3eXcrPK
まず、あれが「亀」に見える人、「人工」に見える人が
少ないと思う(w。

当然の話だが、これも節理系で作られた自然の造形だ。
見ればすぐわかるだろう。

一つ面白いのが、ここでは北東-南西・節理、西北西-
東南東・節理に加えて、どうも南北の節理もあり、
つごう3方向の節理が発達していること。

260:hammerhead
03/11/30 22:53 A3eXcrPK
南北の節理は「テラス」の発達している「遺跡もどき」
南西部ではほとんど見ないが、「遺跡派」の鳥瞰図に
よれば「遺跡もどき」北東部にはよく出てくる。

この方向の節理がどういうメカニズムで形成されたかは
今後検討の余地がある。

与那国島陸上では北東断層、北西断層(この2種の断層は
共役断層=ある応力場で形成される方向の異なる同時断層)
の他に、これよりも新しい時代の東西断層もある。
南北節理はこれと共役系をなす断裂なのかもしれない。
仮説だが。

261:hammerhead
03/11/30 22:54 A3eXcrPK
で、この3方向の節理がうまく組み合わさったものが
2つの「亀岩」だ。

節理の存在にはいっさい触れず、

> 手や首の先端は鋭角に切り出されており、とうてい
> 自然のイタズラでできたものとは思えない。
(木村政昭(2001)海底遺跡の謎 足元から知る島の
成り立ち (FRONT vol.13 no.5))

とはまた白々しい。節理による造形であることは
全部わかっているくせに。もう読者を馬鹿にしている
としか思えない。

前面から見ると見方によってはそれっぽいが、後ろを絶対
見せないのはたぶんグズグズになっているんでしょうね。

262:hammerhead
03/11/30 22:54 A3eXcrPK
サイアスでは

> 「亀というなら亀」と言う程度に納得しつつ

> 「台座」の上に横たわる巨大な「亀のモニュメント」の
> ように見える。ジョイントに沿った形状なのは他の
> ポイントと同様。

と皮肉られているのが笑えますね。

263:hammerhead
03/11/30 22:55 A3eXcrPK
アッパーテラスの「水路」は北東-南西方向。
近接した2列の平行な節理間が脱落したものであることが
はっきりわかる。

写真を見ると、水路は途中でとぎれ平坦面になって
いるのだが、その平坦部にも2列の節理の延長部が
ちゃんと見える。

「水路」延長部、平坦面での節理はマサダ2000 p.87と
p.89では必至に隠しているが、クォーク2002 p.30で
しっかり暴露されているのがおあいにく様(w。

これが仮に水路であっても、平坦面に入ってすぐ水はダダ洩れに
なってしまうんだが、いったいどういう意味の水路だ?。
それ以前に水はすべて節理沿いにしみこんじゃうんだけどなあ(w。
目止めした証拠は?

264:hammerhead
03/11/30 22:56 A3eXcrPK
水路中の階段状になっている部分は層理面が剥離したものだ。

水路というものはかなり計画性を持って作られる
ものである。なのに自然にある節理沿いにしか
見いだされないのは、「人工物」としては
あまりに行き当たりばったりだ。まあ「遺跡派」の
根拠はお定まりの「のように見える」だけだから
程度が低いのはわかっているんだが。

265:hammerhead
03/11/30 22:56 A3eXcrPK
これまで見た「人工の証拠」とやらはすべて既存の
節理に規制された造形(実際は単なる地形)である
ことがわかる。

これが仮に「人工」としても、この超古代人は

・節理に沿った岩盤をはがすだけ。
・節理のない場所には何も細工しない。
・そして壁面に人工らしい彫刻や絵や文字らしきものも
何も残さない。
・さらに、これだけ大量の岩石ブロックを切り出し、運搬は
するのに、「石積み建造物」を何も残さない。

そこに積極的な人間の意思や計画性を見いだすことは
全くできない。

266:hammerhead
03/11/30 22:57 A3eXcrPK
「遺跡派」はよくこれを「巨石建造物」と呼ぶが、
ストーンヘンジにしてもナンマドールにしても世界中の
巨石建造物はすべて「巨石を積んだもの」だ。
そこには人間の積極的な意思(目的は不明でも)や
重力に反した「仕事」の跡が明瞭に窺える。
「遺跡もどき」にはそれがいっさいないのだ。
もちろん「巨石建造物」と呼ぶのも誤り。

よく自然の岩盤を成形加工した遺跡として比較の対照
とされるペルーのケンコー遺跡にしても、明らかに人工と
わかるかなり細かい細工が見いだせる。そして
その周囲には「石積み建造物」もちゃんとある。
この「遺跡もどき」を同列に扱うなど勘違いも
甚だしい。

267:hammerhead
03/11/30 22:57 A3eXcrPK
これだけ「まるで自然そのもの」のように造形を行う
民族が存在しなかった、とはいいきれないが(w、
これでは「積極的に人工を示す証拠」がない限り
「人工説」を支持することはできないだろう。

このスタンスは何ら変わることはない。

268:hammerhead
03/11/30 22:58 A3eXcrPK
「遺跡派」は「石を積んだ証拠ならある。それはループ
道路の擁壁だ」と反論してくるだろう。

というわけで、次は「ループ道路」や「階段」といった
「遺跡もどき」下部の検討に移ろうか。

以下次回。

269:出土地不明
03/12/01 07:06 Z+bKe9Ja
>>266

瑣末なことだが、ストーンヘンジの現在の形はは20世紀の非科学的な復元に
よるものであることが分かっているので、こういった反例として提示するのは、
恰好の攻撃材料を提供することになるので避けた方が良い。

270:出土地不明
03/12/02 00:02 +VgufpPG
>>269
いつ「非科学的」であると結論が出たのですか?
復元以前のスケッチがいくつも残っていて、そのスケッチと比べて非科学的と
言える様な違いは見当たらないのですが。

271:hammerhead
03/12/02 00:14 C9Yqb4ZS
なるほど。そういえばニュースかなんかで
見たような気がしますね。

では
> 巨石建造物はすべて「巨石を積んだもの」だ。

巨石建造物はすべて「巨石を積んだり立てたりした
もの」だ。

にしておきます。

ストーンヘンジについてはここでやるより
別スレを作られた方がいいかと思います。

269さん、270さん、ありがとうございます。

272:出土地不明
03/12/02 00:18 7utFzFGu
ここの出番か
  【 キリスト教以前のヨーロッパ 】
スレリンク(archeology板)l50


273:出土地不明
03/12/03 03:53 iWF3kPhv
どうでもいいが、たった一人が息巻いてるだけで
議論が行われてるわけではないから、判断に欠けるな。
通りすがりの素人の感想だがw

274:出土地不明
03/12/03 06:21 dlm2garF
つまり、「私は判断力がありません」と言いたいのか?

275:出土地不明
03/12/04 00:47 TX/RCPas
あのヘタレの「遺跡派」が戻ってこないかな。
俺に知識があれば議論に参加できるのになぁ……

276:hammerhead
03/12/04 22:39 vtqWINMi
「遺跡もどき」下部の検討に入ります。

「遺跡派」が主張する「人工物である7つの証拠」のうちの
> (1)自然にはできない地形

そのうち
> (1c)メインテラスなどの階段状地形の下側に、それらが削られて落ちた石片が
> 堆積していない。
> (1d)遺跡ポイントを取り囲むように周縁道路(ループ道路)が形成されている。
> 岩盤が平坦面になっているところには打撃痕が多数見つかっている。
> (1e)排水溝のようなものが、上から下に通じている箇所がある。

あたりが「人工物の証拠」になりうるか?を検討しよう。

277:hammerhead
03/12/04 22:40 vtqWINMi
> (1c)メインテラスなどの階段状地形の下側に、それらが削られて落ちた石片が
> 堆積していない。

脱落した岩塊が大きなブロックになるとは限らないこと、
波の営力が「遺跡派」の主張ほど小さくはないこと
については、これまで説明してきた。

比較的大きなブロック状になりやすいのは上部の塊状砂岩層で、
下部の砂泥互層は節理が細かく入り小岩塊となりやすい。

現在のメインテラスあたりの壁面を見ても節理沿いに
薄く剥離が進行中であることもわかる(マサダ2000 p.73など)。

ブロックを切り出し運搬したというのなら、そのブロックを
どこか遠くへ運搬しないで近場に何か築いてもよさそうな
ものだが、「遺跡派」が主張する建造物とは原始的な「ループ道路
沿いの擁壁」(これもとても人工物とはいえない)のみだ。

278:hammerhead
03/12/04 22:40 vtqWINMi
> (1d)遺跡ポイントを取り囲むように周縁道路(ループ道路)が形成されている。
> 岩盤が平坦面になっているところには打撃痕が多数見つかっている。

この「ループ道路」は「遺跡派」には、人工物である重要な証拠に
見えるらしく、英文論文2001でも大きく取り上げている。

まずこの「ループ道路」がどういう代物なのか見てみよう。

「ループ道路」とやらが発達しているのは「遺跡もどき」=「第1海丘」
の麓、南西側のごく一部。丘を取り囲むように幅約5mの平坦部が
続いている。

「遺跡派」はこの道路の構造について詳しく論ずることはしない。
「道路上に石がないのは人工的」を繰り返すばかりだ。道路の床面が
何でできていて、どうやって造築されたかにはいっさい触れない。
ヘタに手を出すと自然物であることがすぐばれるから。

この「ループ道路」面は「遺跡もどき」を作る岩盤=地層の一部で、
決して石板を敷いて「造築」したものではない。

279:hammerhead
03/12/04 22:41 vtqWINMi
つまりこの地層面上の岩盤が崩壊して、この面が露出し回廊状に
なっているのだ。この面上で崩壊がストップした理由は
よくわからないが、おそらくこの面の直下に堅い地層が
あるためだろう。

この辺は調査の余地があるが、自説に不利な証拠が出てくる
可能性が高い調査だから、「遺跡派」はあえてやらないだろう。

崩壊の主な原因となっているのはもちろん節理。
「第1海丘」の南東面沿いに北東-南西方向の節理が何本も入り
「ループ道路」上の岩盤が徐々に剥離・崩壊していったものだ。
5本ある「階段」はその崩壊途中の姿だ。

この「ループ道路」から北東側へ向かうと、その「階段」へ行く。
角を曲がって北側へ向かうと上り坂になっている。つまり南西端が
一番低い=壁面の崩壊が一番進んでいる。これはテラス上同様、
この部分が最も波の営力を受けやすい(南側=海側に障壁がない)
からだろう。

280:hammerhead
03/12/04 22:42 vtqWINMi
仮に「ループ道路」が人工だとするとどうやって造築したのか?
それは「第1海丘」南東部の壁面を上から下まで剥がすなり
削るなりして、「ループ道路」面を露出させなければならない。

なぜそんな大仕事が必要なのかさっぱりわからない。
「ループ道路」が必要なら、現在「擁壁」になっている部分を
整地し、石畳でも敷けば済む話だ。

281:hammerhead
03/12/04 22:42 vtqWINMi
それに壁面を削った跡があるのか?

この部分は写真が極端に少なく、考察も難しいのだが、
その数少ない写真を見ると「第1海丘」壁面は地層の
シマシマがよく発達している。節理沿いに剥離した後に
自然の風化・浸食を受けたものだ。地層ごとにその堅さが
異なるため地層ごとに凹凸になっていることがわかる。

削ったのであれば、地層に沿って横に削るなどという面倒な
ことはしない。縦に削って行くはずだ。そのような人工的な
削り跡はいっさい認められない。

「遺跡派」は「削り跡はその後の浸食で消えた」と
いう言い訳を用意しているのかもしれないが、
それならばその辺の考察もきちんと説明すべきだろう。
だが、へたに言及するとボロが出るのを知っているから、
核心には決して踏み込まないのだ。

282:hammerhead
03/12/04 22:43 vtqWINMi
「ループ道路」上に岩塊・石片が見あたらない理由は何か?
それはまず「ループ道路」面も10度傾斜していること、
南東下手側(現在「擁壁」になっている部分)が凹地に
なっている影響が大きい。

壁面が崩壊した直後はおそらく「ループ道路」上にも
岩塊が山盛りになっていたことだろう。
それは「遺跡もどき」が陸上にあった時期か海面下に
沈んだ時期かはわからない。

その後現在に至るまで、大きな台風や地震による津波が
何度訪れたかわからない。その海側から襲う大波は
陸側にあたる「第1海丘」南東壁に当たり反射し、
山盛りになった岩塊を下手の凹地に落ち着かせたのだろう。
これが「擁壁」の正体、と推測する。

細かい岩塊は、平坦な「ループ道路」面上では定着できず、
長い間潮流(「遺跡もどき」付近は潮流が非常に速い)
に洗われることで押し流されたのだろう。

283:hammerhead
03/12/04 22:44 vtqWINMi
「遺跡派」は、「ループ道路」の「第1海丘」壁側に
「排水溝」があると主張する。

この「排水溝」は確認できる写真がなく、検証が難しい
のだが、深さ20cm程度というところを見ると、おおかた
「ループ道路」壁側の地層面が1枚、節理に沿って剥離
しただけだろう(テラス上の水路と同じ)。

末端部の排水口にしても「遺跡派」の見取り図
(第三文明社2000 p.54、英文論文2001にある)
を見る限り(写真はない)、計画性のある構造ではなく
自然に崩壊している箇所と見るのが自然だろう。

写真を出さないのは、あまり自信がないのだろうな(w。

以下、次回。

284:いわん
03/12/04 22:46 DZDGrf2m
URLリンク(tv3.2ch.net)
URLリンク(bubble.2ch.net)
URLリンク(school.2ch.net)
URLリンク(money.2ch.net)

285:hammerhead
03/12/04 23:01 vtqWINMi
> 273
> 議論が行われてるわけではないから、判断に欠けるな。

議論を拒否しているわけではありませんし、むしろ
議論して内容を向上できればと思っていますから
反論・質問はいつでもどうぞ。

スレの進行具合だけから判断しないで、中身を
読んでほしいのですが「長くて読む気しない」
といわれればその通り。

簡潔には「積極的に人工物である証拠は何一つない」
で終わりなんですが、どうもそれでは納得しない人が
多いようです。

「遺跡派」が「~に似ている」を大量にばらまくことで
支持者を増やす作戦をとっているので、それを一つ一つ
検証していくという冗長な展開になっているわけです。
ご了承下さい。

286:hammerhead
03/12/06 00:01 c/l3mcjv
次に「階段」を見よう。

「遺跡派」によれば5列あることになっているが、
いずれも「第1海丘」南東壁沿いに並んでいる。

「階段」の写真も少なく、マサダ2000のp.62-63に
そのうち「ループ道路」から「テラス」上に続いている
No.3の写真があるだけ。

一目見ればわかるが、鳥瞰図ではきっちり角張っている
ように描かれている段だが、そんなに明瞭なものではない。
段になっているのは地層面である。

「遺跡もどき」下~中部15mほどは砂岩と泥岩の互層から
成り、剥離が進むと段々になりやすい地層であることがわかる。

287:hammerhead
03/12/06 00:01 c/l3mcjv
> このような規則的な侵食はやはり自然では考えにくい
(第三文明社1997 p.97)

層理面の発達した砂泥互層であることや節理について
知っていて何も触れずに「自然では考えにくい」と
この言いぐさ。あまりの悪質さに呆れはてる。

5列ある「階段」はすべて南西側に向かって下りになっており、
言い換えれば「南西側ほど地層面の剥離が激しい」ということだ。

これは上部でも南西側が最もブロック状の脱落が多い事と
同じ現象。それはもちろん南西側が波の営力を最も受けやすいから。

逆側に下る「階段」が一つでもあれば「人工?」と疑えたかも
しれないが残念でしたねえ(w。

288:hammerhead
03/12/06 00:02 c/l3mcjv
整理しておくと、

・「第1海丘」に卓越する北東-南西節理が南東壁沿いに走る。
・節理沿いに壁面の剥離が進む。
・節理に沿った剥離は、層理面に沿って上部から順に剥離して
いくことで進む。南から襲う波の営力により、それは南西側から
進行する。
・外側の剥離・崩壊が進むと次(内側)の節理沿いの
剥離/層理面の剥離が始まる。
・この繰り返しで5列の「階段」状構造ができた。

というわけ。

内側2列の「階段」が下まで達していないのは
節理沿いの剥離・層理面の剥離がまだ初期段階だからに
すぎない。

289:hammerhead
03/12/06 00:03 c/l3mcjv
> 設計を知らない敵が階段を駆け下れば落下してお陀仏・・・
> という、作戦意図で造られたものか。
(第三文明社2000)

といった幼稚な想像には苦笑するしかないが、
そんな想像力を発揮できるなら、本職の地質現象の
洞察にもっと使ってほしいんだがなあ(w。
読者を騙そうとわざとやっているのだから無理な相談か。

290:hammerhead
03/12/06 00:03 c/l3mcjv
> ときどき1~2m、ときにはそれ以上の高さの段がある。
> ・・・石やハシゴを置けば登ることができる。
(第三文明社1997)

も笑うしかない。ここは均質な単層が厚さ1m以上
あって、この区間は段になりにくいからにすぎない。
ここにもきちんと段が切ってあるなら「人工」の有力な
証拠になったかもしれないが、「階段」が計画的なものでは
ないことがこれで即座にわかってしまう。

「階段No.3」以外を写真で見せないのは、グズグズでとても
「階段」に見えないことがばれてしまうからだろうな。

以下、次回

291:出土地不明
03/12/06 14:34 sJRbcxwZ
誰か目次つくってくれないかなぁ。
オレももう少し時間があいたら作りたいが、今は無理。

292:出土地不明
03/12/06 18:33 SNNW6Kti
目次? hammerhead氏の文章の?

293:出土地不明
03/12/06 19:34 pTt63iNb
地学の知識がないから、撞木鮫氏の考察がどこまで妥当なのかは判断できないが、
これだけ詳細な遺跡説批判は初めて見た。
このスレの中だけで終らせるのはもったいない気がするなあ。

294:291
03/12/06 20:49 sPdbBQKM
>>292
そうそう。今のところスパゲッティ状にしか読めないけど
目次があれば構造的に読めて、理解が進むように思う。
誰かやってくれないかな。

295:hammerhead
03/12/06 23:32 e607ovzH
目次というかINDEXは最後に作ろうとは
思っていましたが、すでにどこに何があるか
わかんなくなってますね。

暇なときに作ってみますが、すぐにできるとも
限らないので、誰か使い勝手のいいヤツを
作ってくれてもかまいません。

296:hammerhead
03/12/06 23:33 e607ovzH
「ループ道路」と「階段」に補足。

「遺跡派」が意図的に触れないので気づかない人も多いと思うが、
「ループ道路」面も地層面であってもちろん南東側に10度
傾いている。

「ループ道路」上にあった地層を全部剥がすという大仕事をやった
わりには、傾いた道路が完成品ってどういうこと?

せっかく苦労したなら、最後の最後に地層と斜行した面を
切り出して水平な道路にしたらいいじゃないか。手間は変わらん。
この超古代人、よっぽど傾斜面が好きらしいなあ(w。

297:hammerhead
03/12/06 23:34 e607ovzH
「階段」については、「遺跡派」が出してくる垂直:水平=1:2
スケールの鳥瞰図を見ると「階段かあ」と納得してしまうかも
しれないが、垂直:水平=1:1スケールの鳥瞰図(サイアス1999年
10月号)も見てほしい。かなり緩い傾斜であることがわかる。

せっかく階段を切るなら、もっと短かい水平距離で充分人間の歩幅に
フィットしたものが作れるはずだ。ここでも計画性のないことが
よくわかる。

今日はこんだけ。

298:出土地不明
03/12/07 02:33 FoWOF1wy
>>hammerhead様
いつもいつもご苦労様です。ちなみにあなたさまは何者ですか?


299:hammerhead
03/12/07 23:54 qCKO0wQR
前にも書いたが、私は考古学業界人でも地学業界人でも
ないので、この件に関しては何者でもありません。一介の
市民というだけ。

木村氏のように、いかにウソ、歪曲、隠蔽を連発しようが
地質学教授という肩書きだけで商売できる人とは違いますから、
私の場合は内容を読んで是非を判断してもらうしかないです。

ただ、内容じゃなく肩書きだけで判断する人には
どうやっても通じませんから、影響力はほとんどないでしょう。
その点「遺跡派」の方々は安心して下さい(w。

300:hammerhead
03/12/07 23:55 qCKO0wQR
次は「擁壁」か。これも何とも馬鹿馬鹿しい「証拠」だが、
まずはお得意の「ウソ」を指摘しておこうか。

「ループ道路」から「擁壁」にかけての断面図があちこちに
出ているから見てほしい。

月刊地球2000 p.106、英文論文2001 p.59、マサダ2000 p.61、
第三文明社2000 p.65、実業之日本社2002 p.59

301:hammerhead
03/12/07 23:57 qCKO0wQR
まず不思議なのは垂直:水平スケールが1:4になっていること。
排水溝を大きく見せたいのか、擁壁下の凹地を目立たなくする
ためか、ループ道路の傾斜を小さく見せたいのか知らないが、
意味のあるスケール設定とは思えない。

まず深さ20cmの排水溝がなんと深さ5mに表示。これで読者に
しっかりした排水溝があると印象づけ。騙される人多し。


302:hammerhead
03/12/07 23:57 qCKO0wQR
「擁壁」の角度は30~40度とのことだが、ところが上記断面図では
その角度が70度に誇張してある。

逆だろ!垂直:水平=1:4なら30~40度は8~12度に
表示されるはず。どうも図学もわからないセンセイらしい。
学生のレポートだった当然「不可」を出すくせに(ry。

8~12度じゃとても壁に見えないのがわかっていて、
どうしても「壁」と思いこませるための歪曲だ。
No Scaleの図面ならまだ許容できるかもしれないが、
わざわざスケールを入れてこの歪曲。当然意図的なもの。

303:hammerhead
03/12/07 23:58 qCKO0wQR
同図面に「30~40度傾斜」と但し書きのあるものもあるが、
「だったらちゃんと図で示せ」と言いたくなる。

おそらくあちこちで指摘を受けたのだろう。英文論文2001では
プロにすぐ指摘されることを恐れてか、この但し書きもない。
ウソツキだよなあ。

もちろん「ウソツキ」と呼ばれることを回避するため、
別の図面にこっそり「40度」と入れてある。悪質だ。

304:hammerhead
03/12/07 23:59 qCKO0wQR
このセンセイ、傾斜に関してはいつも手の込んだ誤魔化し方を
するので要注意。

既存の研究でもそういった誤魔化しが多数あるはずだ。
関係者(特に木村氏の手口を知らずに共著者になって
しまった人)は再検討した方がいいよ。

305:hammerhead
03/12/08 00:00 RUM+BxyW
この「擁壁」は「ループ道路」の南東側、「ループ道路」よりも
一段低くなった凹地に岩塊が堆積しているもの。

その岩塊は「ループ道路」上にあった岩盤が崩壊したものが
中心だろう。海丘下部を作っている砂泥互層部(細かい岩塊に
なりやすい)が崩壊したものが「擁壁」下側にある小岩塊に、
海丘上部を作る塊状砂岩層がブロック状になって崩壊したものが
上に乗っている大岩塊だろう。写真で見ると、大岩塊は
角張ったブロック状や板状になっているのがわかる。

306:hammerhead
03/12/08 00:00 RUM+BxyW
前述のように、これらの岩塊は一度「ループ道路」に山盛りと
なったが、後に大きな台風や地震による津波が「第1海丘」の
壁に反射しこれらの岩塊を下手側の凹地に押しやったものと推測する。

もちろんこれは仮説だが、「遺跡派」の「人工としか思えない」
が地学的な知識と経験の不足から来る幼稚な考察ということは
理解できるだろう(まあ騙そうとウソをついているのだろうが)。

307:hammerhead
03/12/08 00:01 RUM+BxyW
「擁壁」の写真もきわめて少ないが、その角度(傾斜)が30~40度
だし、写真を見てもとても「壁」と呼べる代物ではない。

またその積み方もきわめて雑だ。大岩塊がない部分も多い。
計画性があるような積み方ではないのだ。

> 一辺が2~3mかあるいはそれ以上の変形四辺形やそれらの
> コーナーをとった五~六角形に整形された巨石が、たがいに
> 組み合わせたようにきれいにほぼ一列に並んでいる。
(月刊地球 p.105)

「たがいに組み合わせた」ように見えるのは、1枚の板状岩塊が
定着後に割れたものと考えるのが妥当だろう。こんな雑な
石積みなのに、部分的に几帳面なのは変と感じないのは
それこそ異常だ。

308:hammerhead
03/12/08 00:01 RUM+BxyW
それに傾斜30~40度で、岩塊を複雑に組み合わせる
利点は何もない。なんとかインカ遺跡の壁面に似たものと
思わせるための「遺跡派」の小細工レトリックにすぎない。

柱状節理の断面を見て「隙間なく積まれた石垣」と誤認してしまう
素人と同レベルの地質学者、それも教授って・・・日本の
地質学のレベルってすごいんですね(w。

309:hammerhead
03/12/08 00:04 Nuy7JDF0
そして、これが核心なのだが、この「擁壁」は何の役割を
果たしているのか?さっぱりわからない。

建造物で石垣を築く理由はいくつか考えられる。
(1)石垣自体を建造物の骨格とする(古墳など)
(2)石垣を土台としてその上に建造物を作る
(3)土盛りを保護する外郭とする
(4)風や波などから建造物や活動域を防御する
(5)敵の侵入を防御する
(6)落差がある箇所に築き人・物の落下を防止する
など。

310:hammerhead
03/12/08 00:04 Nuy7JDF0
しかし「擁壁」はこのどれにも当てはまらない。

「擁壁」は「第1海丘」と「第2海丘」の間にあり、
「第2海丘」の麓に沿って堆積している。いったい何を
守る壁なのか?さっぱりわからない。

岩盤である「第2海丘」の麓を補強する意味など
あるわけがないし、波浪からの保護ならば
前面に「第2海丘」があり全く意味をなさない。
つまり建造物として何の役割も果たしていないのだ。

「遺跡派」の主張は「人が片づけたとしか思えない」という
幼稚な所見だけ。それ以上踏み込んだ議論には入らない。
すぐにボロが出てしまうからだ。自分の専門である
地学的な論考を避けてばかりで、恥ずかしいセンセイだね。

311:hammerhead
03/12/08 00:05 Nuy7JDF0
それから「遺跡派」は、この擁壁の岩塊の表面に「打撃痕」が
あると主張するが、上部のものと同じで、それがどんな
ものか提示しない。よほど自信がないのだろう。

以下、次回

312:出土地不明
03/12/08 00:24 bVCAcip5
素人感想だけど、木村ってセンセイは改めて凄いと思う。。
在りもしない遺跡を掘り出すくらい凄い・・・

313:hammerhead
03/12/08 00:39 P3zoRR8e
これは学会筋だけではなくて日本社会全体に
いえることですが、内容よりもプレゼンテーションと
マーケティング偏重の風潮に原因があると
思っています。

学会筋でも「プレゼンはうまいけど、発表するほどの
内容じゃないだろ」という声はよく聞きますね。

木村氏のプレゼン(というか都合のいい話だけを
見せる)はうまいですよ。さすが「噴火予知」で
マスコミをころがしている人だけはある。

真実よりも商売ネタばかり追うマスコミの
責任(というより無責任)もありますが、
この辺はずっと後で論じる予定。

314:hammerhead
03/12/08 00:44 P3zoRR8e
学会筋というのは木村氏が創価学会員で
あることを揶揄したものではありませんから、
一応念のため。

315:いわん
03/12/08 20:41 5A/MhX7X
生命保険は明治生命のLAで。かいじん21めんそう。

316:出土地不明
03/12/08 20:48 Svnefmbz
URLリンク(japan.pinkserver.com)

317:298
03/12/08 21:54 //s/R9Mj
>>299
>前にも書いたが、
 それは失礼しました。

>私は考古学業界人でも地学業界人でも
>ないので、この件に関しては何者でもありません。一介の
>市民というだけ。
 またまたご謙遜を。「一介の市民」の文にしてはなかなかの内容。
 小生、感服いたしております。
 まあ、ここであなた様の正体をあまり詮索するのも野暮というもの。
 引き続きご高説を賜りたいと願うしだいです。

318:出土地不明
03/12/09 10:12 e6Uolu/O
あまりの誉め言葉は得にならない。
周囲の空気を悪くするし、それによって本人の気分を害することもある。

319:hammerhead
03/12/09 22:05 Jq4wO7Pv
> またまたご謙遜を。

いや本当ですってば(w。

ま、こんなことでゴチャゴチャもめても
しかたないので先に進みましょう。

320:hammerhead
03/12/09 22:06 Jq4wO7Pv
「遺跡もどき」下部の物件は、あとは「アーチ門」と「二枚岩」か。

「アーチ門」(マサダ2000 p.51)は、近接した2列の節理間が
脱落した隙間に上部から落下した岩塊ががっちりはまり込んだもの。
この岩塊は整形された形跡は皆無。人工のアーチならそれらしく
整形くらいしろよ、超古代人。

> 三個の巨石をハメ込んで天井をこしらえてある
(マサダ2000 p.49)

とあるが、3個の内1個が上述の落下岩塊。残り2個(アーチ両側)は
岩塊ではなく「岩盤」だ。積んであるように見えるのは地層の境界面に
すぎない。わかっているくせにこんなウソで読者を騙そうとする。

321:hammerhead
03/12/09 22:06 Jq4wO7Pv
「アーチ門」の穴付近のアップしか写真を見せないのは、この境界面が
ずっと左右に続いている(つまり岩盤の一部である)ことを知られたく
ないから。悪質な小細工だ。

木村政昭(2003) 与那国海底遺跡の調査研究(前編) -水中
ロボットを導入して- (Techno Marine no.872 2003/3)

ではボロを出していて、図5-A(写真)を見るとアーチ両側の
岩が岩盤であることは一目瞭然だ。悪知恵もせいぜいこんな
低レベル。

322:hammerhead
03/12/09 22:07 Jq4wO7Pv
「アーチ門」を抜けてもそこには登り口も何もない行き止まりの
広場だ。「遺跡派」が推定している登り口=「階段」へ行くには
そこから「ループ道路」を一旦下り南東部へ出なくてはならない。
門をくぐり上に出てから下ってぐるりと回ってやっと登り口、
などという不合理な道があるものか。

それに南西側からのアプローチでは「ループ道路」~「階段」への
障壁など何もない。「アーチ門」をくぐる必要性は何もないのだ。

323:hammerhead
03/12/09 22:07 Jq4wO7Pv
「アーチ門」の先の広場は、広場といっても平坦ではない。
「遺跡もどき」上部同様、北東-南西・節理が何列も走り、
節理沿いに侵食が進んでかなりの起伏ができている
(クォーク2002 p.27)。

もちろん10度の傾斜もあり、込み入った目的に使えるような
場所でもない。岩盤を削って平らにした形跡もない。

324:hammerhead
03/12/09 22:08 Jq4wO7Pv
その広場の奥に「二枚岩」がある。この「二枚岩」がどういう
向きでどういう位置にあるのか既存の資料ではよくわからなかった
のだが、前述のTechno Marine 2003 図5-Bでようやくわかった。

この図を見ると「二枚岩」は3カ所にある。いつも写真に
出てくるのは「二枚岩1」。これは「遺跡もどき」南西部
「メインテラス」直下にある。「二枚岩1」に隣接して
「メインテラス」上(北東)の溝に「二枚岩1-2」
「二枚岩1-3」が並んでいる。

「二枚岩2」は「二枚岩1」の南西、「アーチ門」の外側。
「遺跡もどき」北西の凹地にもう一つ「二枚岩3」もある。

その形は「二枚岩1」が変形五角形だという。他は記述がない。
マサダ2000などでは「長方形の板」に見えるような写真しか
出さないので騙されやすいから注意。

325:hammerhead
03/12/09 22:09 Jq4wO7Pv
図5-Bを見て気づくのは「二枚岩」がすべて北東-南西を
向いていること。特に「二枚岩1」「二枚岩1-2」
「二枚岩1-3」は一列に並んでおり、後二者は北東-
南西方向にのびる「メインテラス」上の溝にはまっている
(ように見える)。

すべて北東-南西節理(「遺跡もどき」全体に卓越する節理)で
できたものであることがわかる。

平行した2本の節理に沿って剥離が発生。その間が風化し板状
ブロックに割れた。ブロック内にはさらに1本小規模
節理が発達し、こちらは剥離が不十分。これが二枚岩だ。

326:hammerhead
03/12/09 22:09 Jq4wO7Pv
「二枚岩1-2」「二枚岩1-3」は両側の岩盤が残っている
ため、あたかも二枚岩を溝にはめたように見えるらしい
(写真なし)。

その南西側にある「二枚岩1」は両側岩盤が崩壊して直下の
「広場」はずれに落下。岩壁と岩塊の間にはまり込んだ。
落下後は挟んでいた岩盤の支えがなくなった(はまり込んだ
隙間はゆるい)ので、剥離が不十分であった節理沿いに剥離し
「二枚岩」となったわけ。

またかとお思いでしょうが、「遺跡派」は節理については
いっさい触れず、

> 落ちた勢いで2つに割れることは考えられない。
(実業之日本社2002 p.80)

だって。ここまで白々しいというか馬鹿丸出しというか
呆れるのももう飽きた。

327:hammerhead
03/12/09 22:10 Jq4wO7Pv
そして
> Bのように上から転がり落ちてきたとしても、
> 出っ張り(黒い部分)があるため、Aのように入らない。
・・・・
> 以上、結論的には、この二枚石は人がはめ込んだとしか思えない。
(実業之日本社2002 p.80、p.81)

と苦笑ものの考察。少し補足しておくと、これは要するに、
「二枚岩1」がはまり込んでいる岩壁の真上に出っ張りがあり、
まっすぐ落下したのでは途中で引っ掛かるのでピッチリ
はまるはずはない、よって人工だ、と言っているらしい。

328:hammerhead
03/12/09 22:11 Jq4wO7Pv
この状況を把握できる写真がないのだが、落下して
隙間にはまり込み、その後波か潮流で、あるいは下敷きに
なっていた岩が動いたか割れたかして、二枚岩が隙間の中で
回転して出っ張りの下側にはまり込んだのだろう。

何の不思議もない。これのどこが「人がはめ込んだと
しか思えない」のか?こんなセリフはもう少しまともな
証拠を見つけてから吐いてほしい。幼稚すぎる。

> コンピュータグラフィックで実験してもご覧の通り
(実業之日本社2002 p.80)

なんていう子供だましに「さすが教授、高度な科学技術を
使っている」とコロリと騙される人もいるんだろうなあ。

329:hammerhead
03/12/09 22:11 Jq4wO7Pv
「二枚岩1」以外については写真や記述がない。

「二枚岩1-2」「二枚岩1-3」は「二枚岩1」の
続き。同一節理群でできたものだが、両側の岩盤がまだ
崩壊していないので、あたかもはめ込んだように見える
だけ。もともと一つの岩盤だ。

「二枚岩2」は「アーチ門」の外側にあり、前述の
二枚岩と同じ向きで、なおかつ同一直線上にある。
やはり同一節理群でできたものと推測できる。

「二枚岩3」はこれからは離れており、「遺跡もどき」と
新川鼻の間、北東-南西にのびる凹地に挟まっている。
もちろん向きは北東-南西で、もちろん節理沿いの剥離で
できたもの。

こんなものを「人工の証拠」として出してくること自体
赤面ものだが、「遺跡派」のセンセイはいやに得意げだ。
苦笑するしかない。

330:hammerhead
03/12/09 22:12 Jq4wO7Pv
第一、仮に人工物としても「二枚岩」は用途があまりにも
意味不明だ。

「奇妙な形の自然石を崇拝の対象にしたのかもしれない」
くらいにしておけばいいものを、どうしても「人工物」に
したいらしく、

> この巨大二枚石は、沖縄の"石敢當"や"ヒンプン"のような
> 魔除けだろうか。
(実業之日本社2002 p.80)

と貧困な想像力を発揮。時代が全然別でも委細構わず、
手近なものしか思いつかないらしい。

331:hammerhead
03/12/09 22:12 Jq4wO7Pv
ところで、木村氏はこの「二枚岩」を「トーテム」と
呼んでいるようだが、「どのような文化を持った人々」か
全く考察もせず(何も証拠がないのだから当たり前だけど)
「トーテム」と決めつけるこの軽薄さはなんだ?

「亀岩」を「トーテム」というならまだましだが、
「二枚岩」が「トーテム」?何それ?

というより、いったい「トーテム」の意味を
わかっているのかと・・・。歴史や民俗学を
大陸書房や徳間書店のバカ本で学ぼうとしても
ダメだよ。

まあ、自著の『海底宮殿』(実業之日本社)を琉大の
教科書に指定して学生に売りつけているくらいだから、
バカ本とまともな本の区別もつかないんだろう。

以下、次回

332:317
03/12/09 22:45 u/idJ8Ct
>>318
気分を害したようですな。失礼しました。

この件に関してはあまりまともな話を聞いたり読んだりしたことがないので、
つい、いや、もうやめましょう。また怒られそうですし・・・


333:出土地不明
03/12/10 05:45 ECGBE867
学長、ここ見たらぶっ飛ぶだろーなー。しかも節理に沿って・・・

334:出土地不明
03/12/10 09:05 0jrN/mYG
石器やオーパーツの一つでも出てくれば大分変るだろうけど
むりだろうな。

335:出土地不明
03/12/10 09:11 ECGBE867
>334出てきても自然現象は自然現象かと・・・・存じます。


336:出土地不明
03/12/10 13:19 BjPSudD/
たとえば鍾乳洞から石斧がでても、鍾乳洞は鍾乳洞、ってことかいな。

337:出土地不明
03/12/10 18:38 ECGBE867
まさしくその通りだと思います。人間が作ったものでは無いと言う事ではないでしょうか・・・

338:出土地不明
03/12/10 18:43 TeF341rY
デニケンなんて馬鹿信じちゃあいけません。何でも宇宙人にしてしまいます。
多分この海底遺跡は人工的に作られたものでは有りません。
恐らく数百年前の石切り場の跡ではないでしょうか。それと、玄武岩
などはあのような形になるのでは。

339:出土地不明
03/12/11 01:09 Ao1QBB37
>>338
石切場が人工でないとはこれいかに。

340:出土地不明
03/12/11 05:07 P7EQpz2V
>>338
つうか海の中から塩漬けの石切って何に使うのかと。

341:hammerhead
03/12/12 22:45 Q1lMFBr3
>338

石切場ですらないでしょう。

まず、石を切ったように見える「メインテラス」から
切り出した大ブロックをそこから断崖の下へ十数m
降ろすのは合理的ではありません。
もっとよい場所があるはず。

342:hammerhead
03/12/12 22:46 Q1lMFBr3
それから、ここはきちんとした直方体のブロックを
切り出しにくい地層でできています。

「遺跡派」のインチキで、階段状構造のカドが
上から見て直角だと思っている人がまだ多いようですが、
実際は違います。「遺跡派」の捏造です。

|_ ではなく \_ です。角度は50~60度。

詳しくは >>213-217 を参照して下さい。

343:hammerhead
03/12/12 22:46 Q1lMFBr3
まず10度傾斜した層理面と垂直な節理。これだけでも
歪んだブロックになりますが、さらに北東-南西節理と
西北西-東南東節理に従って切り出すと、上から見て
平行四辺形になります。そのままではあまり使い道の
ある形状ではないでしょう。

仮に節理を無視して無理矢理直方体のブロックを
切り出したとしても、いずれ節理の方向に(斜めに)
割れてしまう場合が多いでしょう。

344:hammerhead
03/12/12 22:47 Q1lMFBr3
それに石切場だとしたら、もっと「クサビ跡」が
たくさん残っているはず。今のところ「遺跡派」が
「遺跡もどき」で「クサビ跡」(なのか?という検証は
後ほど)を見つけているのは「アッパーテラス」の
1カ所だけ。

いつも写真で出てくる「一列に並んだクサビ跡」(なのか?
という検証は後ほど)は「遺跡もどき」とは別の場所。
これはもうすぐ詳しく検証します。

さらに、あの場所は数百年前にはすでに海面下。
そのころに人の手が加わった可能性はますますありません。

「遺跡もどき」が「石積み建造物」ではなく「岩盤」
であること、岩盤が第三紀の砂岩・泥岩の地層であることに
ついては >>137-139 を参照して下さい。

345:hammerhead
03/12/12 22:47 Q1lMFBr3
> 334
石器については、すでに十個近く出土したと主張していますが、
議論の対象となりそうなのは2個だけ。あとは箸にも棒にも
かからない代物。

その2個も出土状況やそもそも石器なのか?など問題が多い物件です。
この辺も後ほどやりますが、とりあえず >>167-168 を参照して下さい。

346:hammerhead
03/12/12 22:48 Q1lMFBr3
「遺跡もどき」下部の検証の最後は「アーチ門前の敷石」
(実業之日本社2002 p.63-64)。

面倒なので詳しい記述は避けるが、明らかに層理面に沿って
剥離して板状になった岩塊。これらは「遺跡もどき」下部の
砂泥互層が起源で、節理が細かく入って比較的小さいブロックに
なりやすく、また層理面に沿って剥げやすい。ただそれだけだ。

なにが

> 供給源が見当たらない
> 平坦面を持つ石が多い。敷石として選んだとしか思えない。

だ。地学的に考えることを最初から放棄して「人工としか
思えない」の連発で読者を騙しているだけ。

347:hammerhead
03/12/12 22:48 Q1lMFBr3
以上でだいたい「遺跡もどき」の形状が、自然現象
(特に節理系)で説明がつくことを説明し終えた。

「遺跡派」が唱える「人工物である7つの証拠」
> (1)自然にはできない地形
> (2)人間が加工した痕跡が見つかった
> (3)生活遺物の発見
> (4)文字らしきものが見つかった
> (5)同様な遺跡を陸上でも発見
> (6)巨石モニュメントがみつかった
> (7)沖縄本島で巨石文明の痕跡を発見

のうち(1)の検証でした。ずいぶん長かったが、これが
核心なので仕方ない。

348:hammerhead
03/12/12 22:49 Q1lMFBr3
それに「遺跡派」が「ウソで塗り固めた『~のような』を
大量にバラまく」作戦なので、1個1個地学的に解明し
またセコい小細工を暴くのにどうしても手間がかかる。

でもまあ「遺跡派」の

> もはや遺跡ポイント=自然説の根拠はくずれてしまった。

が、いかにインチキか理解してもらえたと思うし、これで
「あれ遺跡に決まってるよ。人工にしか見えないし。
自然物ならちゃんと説明してよ」と言われたときに説明しやすい
でしょう。

「クサビ跡?」や「刻印?」は(2)(4)の検証でやります。

349:hammerhead
03/12/12 22:49 Q1lMFBr3
「遺跡もどき」の形状=地形は、そのほとんどが節理系で
説明できることがわかるが、裏を返せば節理系の存在さえ
知らぬフリをしてしまえば、「人工としか思えない」という
方向へのミスリードは容易になる。これが「遺跡派」の作戦。

「与那国」「海底遺跡」「節理」で検索してみるとおもしろいよ。
木村氏周辺のページは一つも引っかかってこない(w。

「遺跡派」が「節理」という言葉をいかに忌み嫌っているか
よくわかる。

350:あああああ
03/12/13 09:51 BaA1laLF
このスレがあるだけでも、この板が作られた意義はあったよな。
っていうか、このスレが終わったらあんまり意義無しかも。

351:えんらく ( ´ⅴ`)ノ 電話屋&中日ファン
03/12/13 11:58 0zMEppG/
大丈夫れす

この世には捏造&妄想&無知による間違いがあふれてまつ
そういうものがある限り、ここが意義がなくなるなんてことはないと思うでつ

ということでhammerhead さん応援sage
素人なんで読むだけの人に戻りまつ

352:出土地不明
03/12/13 15:57 1vtD39ma
hammerheadさんすげえっす。
でもsage進行にした方がいいんじゃないかと。
考古学板はあまり人が来ないけど、荒らしとか広告がいつ来るかわからないので。


353:hammerhead
03/12/14 18:40 9mMyIY4l
> 350-352
皆さんご愛読ありがとうございます。
今後も主に1個1個の検証が続いて退屈かも
しれませんが、爆弾もまだ何発か用意して
いますのでお楽しみに。

> sage進行にした方がいいんじゃないかと

わかりますた。


354:hammerhead
03/12/14 18:41 9mMyIY4l
(2)~(7)の検証に移る前に「遺跡もどき」周辺の
「人工の証拠」も片づけておこう。

まず「南神殿(第2海丘)のトーテム(円柱)」
(クォーク2002 p.39 p.41参照)。

円柱というより角の取れた四角柱。いうまでもなく
節理によってできた地形。角が丸いのは、この地層が
侵食・風化を受けやすい砂泥互層だから(「第1海丘」
下部と同じ層準で、シマシマ模様が発達)。

ここでも「トーテム」の意味をわかっていないと思われる。

なお、こういった形状の地形で層理面沿いに剥離していった
ものが先ほどの「敷石」と考えればよい。

355:hammerhead
03/12/14 18:42 9mMyIY4l
次に「南神殿(第2海丘)の亀石」(クォーク2002 p.37
p.39参照)。

これは「遺跡もどき(第1海丘)」の2つの亀石より
それっぽく見えるね(w。頭もあるし。これも
「トーテム」同様、節理でできたもの。やはり砂泥互層で
できているので層理面に沿って剥げやすい。節理沿いの剥離と
層理面の剥離の関係でうまいこと「亀の頭」ができています。
全体に角が丸いのも侵食・風化を受けやすい地層だから。

うまいことできているが「亀の頭」は残念ながら
体の中心線よりずいぶん片側にずれている。相変わらず
ガサツな超古代人だ(w。

それに仮に人工だとしても、3つある亀石の形がバラバラ
なのは理解できない。文化的な匂いは皆無ですな。

356:hammerhead
03/12/14 18:43 9mMyIY4l
次に「太陽石」(マサダ2000 p.88 p.92-93、第三文明社
2000 p.102-103、クォーク2002 p.45参照)。

これは「遺跡もどき」から南東へ約100m地点。台状の
岩盤上に径2mほどの大きな丸っこい石が鎮座している
というもの。

素人さん(「遺跡派」のセンセイもだが)は「どうして
こんな大石がちょこんと乗っかったのだろう?波によって
下から運ばれたものとは考えられない。人の手によるものに
違いない」と思ってしまうが、これは「どこかから運ばれて
来たもの」ではない。

この大石はもともとこの台の上にあったもの。つまり
台の上にあった地層が侵食・風化を受けて剥離・崩壊
していく際に硬い部分が残ったものだ。

もともと地層の一部であったことは下面と上面が平坦な
ことでわかる。

357:hammerhead
03/12/14 18:44 9mMyIY4l
こういった硬い部分は「ノジュール」といって、砂岩・泥岩では
ごく普通に見られる。ノジュールの中心にはたいてい石灰質の
骨格を持つ化石(貝殻など)が入っている。地下に埋まっている
間にこの化石から石灰分が周辺に染み出し砂粒間に結晶として
沈殿しカチカチに固結させる。また、地層中の水から石灰分が、
すでにできている結晶を核としてさらに沈殿が進むので、
ノジュールは地中でどんどん成長していく。

こうしてできたノジュールは周囲よりも硬く固結しているため
侵食・風化に強い。よってまわりが無くなってしまっても
ノジュールの部分だけ残り、こういった不思議な地形が
できあがるのだ。

もともとあった地層の一部であることは、岩盤と大石の間に
薄い地層が挟まっていることでもわかる。

358:hammerhead
03/12/14 18:45 9mMyIY4l
波や地震でこの大石が動くことがなかったのは偶然ではない。

大石はただ乗っかているだけではない。おそらく大石=ノジュール
から石灰分が下の地層にも染み出し、大石から薄い地層、そして
下の岩盤までしっかり癒着しているのだろう。ただ乗っかった石とは
比べものにならない安定性を示す。

「太陽石」に刻まれているという「方位」については写真では
方角が確認できないので詳しいコメントはできないが、台上に
見られる「刻印」と同じで、「節理の出来始め」をウニなどの
生物が掘り始めたものと推測する。

359:hammerhead
03/12/14 18:46 9mMyIY4l
これと似たような例としてはミャンマーのゴールデン・ロックが
ある。これは花崗岩で、堆積岩のノジュールとはちょっと違うが、
硬い部分が侵食・風化され残ったものであるのは同じ。崖際に
危なっかしく大岩が鎮座しており、不思議な風景になっている。

堆積岩石学、地質構造学、岩石風化学に関してはいずれも
素人同然の木村氏であればこれも「巨石遺跡だ」と言うかもね。

こういった面白い地形は花崗岩地帯に多くみられるから
屋久島などに行ってみるといいよ。

360:hammerhead
03/12/14 18:47 9mMyIY4l
最後に「スタジアム」(マサダ2000 p.114-124 クォーク2002
p.32-33)。

平坦部の外周は円形ではなく四角形に近い。そしてその辺は
北東-南西方向と北西-南東方向であることがわかる。
一部に同じ方向の節理が発達しているのもわかる。

いうまでもなく「遺跡もどき」と同じく、節理系にコントロール
された地形であることがわかる。

階段状構造は地層面沿いの剥離によるもの。この部分は
みてわかるように砂泥互層の地層。節理面の剥離を
きっかけに節理近くから地層面の剥離がどんどん進んだ
状態だ。

361:hammerhead
03/12/14 18:48 9mMyIY4l
広い平坦部の面で崩壊が止まっている理由は明らかではないが、
「ループ道路」と同じで、この面の直下が硬い地層になっている
からであろう、と推測する。

しかしまあ、階段状構造が地層であることを当然知っていながら
読者にはいっさい知らせずに「人工」と思わせようという
なんとも浅はかな猿知恵。

これで「周辺の『遺跡』」も全部見たかな?

「人面岩」、「立神岩」、「サンニヌ台」などは別に
検証する。

以下、次回。

362:hammerhead
03/12/15 23:52 5gks48OO
なかなか(2)の検証に入らなくて申し訳ないが、
「遺跡もどき」の立体模型について新たにわかった
ことをお知らせしておこう。

私は立体模型を直接見たことがない。既存の資料では
不鮮明な写真しかなく、「平坦面の傾斜がどう表示
されているか?」がわからなかった。が、
URLリンク(www.kitombo.com)
に、立体模型の側面からの写真があった。

363:hammerhead
03/12/15 23:53 5gks48OO
どう見ても「平坦面の傾斜は水平」に表示されている。
傾斜10度には見えないだろう。

また、この模型は垂直:水平=2:1になっているようで、
この場合傾斜10度は19度に表示されるはず。ますます
水平表示などありえない。

この模型は「遺跡派」の「捏造体質」の象徴だ。
これを使って金を集めているのだろうし、
この事実を知ったら怒り出す人や組織は多いだろう。

まあ、気づいている人がほとんどいないというのは、木村氏の
手口の悪質さを物語っているのだが、科学者としては完全に
失格だ。

364:hammerhead
03/12/15 23:53 5gks48OO
立体模型や鳥瞰図には、この他にも不審な箇所が多数ある。
「遺跡派」の発表資料では「遺跡もどき」の全体を把握
できる写真がなく、この「ウソ」がばれないよう巧妙に
仕組まれている。

唯一、

クォーク編集部・編(2002) 『海に沈んだ超古代文明』 (講談社)

に遠景の写真があり「遺跡派のウソ」が確認できるように
なっている。さすがの木村氏も他人の編集にはあまり口出し
できなかったようだ(w。だが、これが命取りになるだろう。

365:hammerhead
03/12/15 23:54 5gks48OO
「遺跡もどき」の全体を把握できる(といってもウソだらけだが)
図面には次のような資料がある。発表時系列順に示すと、

(1)平面図 1997年
・「遺跡もどき」南西部(全体の約半分)の地形をスケッチしたもの。
・実測したものではない。
・北東-南西節理と西北西-東南東節理が「直交」しているように表示
(実際は50~60度)。以後、この「捏造」を一貫して踏襲している。
・また、節理の方向(すでに不正確だが)をわからなくするため、
北を上にしていない。

366:hammerhead
03/12/15 23:55 5gks48OO
(2)鳥瞰図<旧> 垂直:水平=2:1 1997年
・(1)をもとに立体的に描いたもの。
・スケッチがもとになっており、こちらも実測したものではない。
・南東からの俯瞰になっており、平坦面の傾斜はあるんだか、
ないんだか、わからないように巧妙に描かれている。
・節理系の交差角はやはり直交。捏造継続。
・最も流布している図面であり、この図をベースとして、
「遺跡派に都合のいい場所だけを写した写真」をもとに
「人工としか思えない」と言う素人が多い。完全に「遺跡派」の
術中にはまっている。

367:hammerhead
03/12/15 23:56 5gks48OO
(3)鳥瞰図<旧> 垂直:水平=1:1 1999年
・サイアス1999年10月号に掲載されたもの。
・(2)をベースに垂直:水平=1:1に戻してある。
これでだいぶ印象が違う。誰が見ても「ピラミッド」など
には見えない。
・ただし節理系の交差角などは「遺跡派」のものを踏襲せざるを
えなかったようだ。

368:hammerhead
03/12/15 23:57 5gks48OO
(4)立体模型 垂直:水平=2:1 2000年以前?
・(2)をベースに立体化したもの。実測したものではない。
・出版物での初出は2000年だが、完成は1997~2000年の間
だろう。
・垂直:水平比、節理系の交差角をそのまま(直交)踏襲。
・さらに平坦面を水平に捏造。問題だらけの模型。
・よく「精密な模型」という人がいるが、完全に騙されている。
実測したものではないし、ウソまみれ。しかし気づかない人ばかり。

369:hammerhead
03/12/15 23:57 5gks48OO
(5)水深図 2000年
・シーバットという音波探査装置を使って作製した「遺跡もどき」
周辺の水深図。
・なかなかよくできていておもしろい資料だが、前述の平面図や
鳥瞰図とどう対応するのか、一般読者は皆目わからないだろう。
前述の図面はそれほどウソが多いのだ。

370:hammerhead
03/12/15 23:58 5gks48OO
(6)航空写真 2000年
・国土地理院(94YONAGUNI C3-11)から「遺跡もどき」周辺を
抜粋したもの。
・(5)と重ねると若干歪みがあるが、ほぼ一致した絵が
得られる。
・これをベースに「遺跡もどき」の平面図を作ってみると
「遺跡派」の大ウソがよくわかる。まだ途中だが、これが
世に出たら、あれを「遺跡」と呼ぶ人はまずいなくなるだろう。

371:hammerhead
03/12/15 23:59 5gks48OO
(7)鳥瞰図<新> 垂直:水平=2:1 2000年
・(5)を参考にして(2)を改訂したもの。
・平坦面の傾斜はやはり、あるんだか、ないんだか、わからない
よう巧妙に描いてある。
・「遺跡もどき」北東部の地形を追加してある。この部分は
水深図に比較的忠実なため、よくできている。節理の方向も
実際とほぼ一致。
・ところが、核心部である南西部については(2)をそのまま
使っているので矛盾だらけ。特に西北西-東南東節理でできた
階段状構造のラインは、南西部と北東部で全く違う方向に
描かれている(実際は平行)。
・水深図と対応させるのが難しい。(2)(7)では
かなり広く描かれているメインテラス周辺だが、水深図と
対応させると、階段状構造が見られるのは南西端のごくごく
狭い範囲(面積にして「遺跡もどき」全体の約15分の1)で
あることがわかる。これのどこが「ピラミッド」なのだ?
・海面上に露出している北西部については非常に狭く描かれている。
これは「メインテラス」付近を過大に見せるための歪曲。

372:hammerhead
03/12/16 00:00 bFfHfI5g
・せっかくの水深図が鳥瞰図南西部(「遺跡もどき」の核心部)には
全く反映されていない。これをやると「大ウソ」がばれてしまうからだ。
ここが思い直す分岐点であったが、木村氏は「ウソをつき通す」と
腹をくくったようだ。このとき木村氏は科学者の資格を完全に失った。

ただしこの間「藤村旧石器捏造」の発覚や「和田家偽書事件」の
決着などがあったため、学術界や地方自治体は慎重な態度をとる
ようになっており、汚染は事情をよく知らない一般人、トンデモ
さん、無責任なマスコミまでで止まっている。木村氏の思惑通り
には進んでいないのは幸いだ。

(8)航空写真Q 2002年
・クォーク編2002に掲載されたもの。
・(6)よりも鮮明だが、斜めからの俯瞰なので水深図と
対応させることはできない。

373:hammerhead
03/12/16 00:06 KDA84P29
各図面の発表媒体を示しておこう。各自、ご自分で確認されたし。

(1)平面図
・第三文明社1997 p.85
・月刊地球2000/2 p.80(広域)
・第三文明社2000 p.50-51、p.106-107(広域)
・実業之日本社2002 p.43(広域)

(2)鳥瞰図<旧> 垂直:水平=2:1
・第三文明社1997 口絵4、p.84-85
・月刊地球2000/2 p.79、p.95、p.103
・第三文明社2000 表紙見返し、p.16-17、p.43
・FRONT 2001/2 p.9
・英文論文2001 p.52
・実業之日本社2002 口絵図5

374:hammerhead
03/12/16 00:07 KDA84P29
(3)鳥瞰図<旧> 垂直:水平=1:1
・サイアス1999/10 p.70

(4)立体模型
・LAMER 2000/5-6 p.30
・実業之日本社2002 p.39
URLリンク(www.kitombo.com)

(5)水深図
・マサダ2000 p.6-7
・地質と調査 2001/3 p.45
・英文論文2001 p.51

375:hammerhead
03/12/16 00:08 KDA84P29
(6)航空写真
・マサダ2000 p.4-5
・地質と調査 2001/3 p.44
・クォーク2002 p.38

(7)鳥瞰図<新> 垂直:水平=2:1
・マサダ2000 p.28
・地質と調査 2001/3 p.45
・英文論文2001 p.51
・クォーク2002 p.38-39
・Techno Marine 2003/3 p.209

(8)航空写真Q
・クォーク2002 p.20-21

376:hammerhead
03/12/16 00:08 KDA84P29
さあ、立体模型を見る機会があったら、木村センセイに
こう質問してみよう。

「垂直:水平スケールが2:1なのは歪曲じゃないんですか?」

「平坦面が10度でも19度でもなく、水平になっているのは
ウソじゃないんですか?」

「階段状構造のエッジが直交しているのはウソでしょう?
本当は50~60度でしょう?(と、クォーク2002を突きつける)」

「メインテラス周辺はこんなに広いですか?歪曲がひどすぎません?」

「水深図と全然対応しないんですけど、どことどこが対応するのか
教えてもらえません?」

「このエッジは全部節理でしょう?節理系について黙っているのは
なぜなんですか?節理系について知られるのがそんなにまずいこと
なんですか?」

などなど。チャンスがあったら是非ここで結果を報告してくれ。

377:hammerhead
03/12/16 00:09 KDA84P29
なお、ここでも似たような話が暴露されています。

URLリンク(jbbs.shitaraba.com)

> その偽造について指摘された木村さんは、反論せずに
> そのまま学会から抜け出して逃げました。

これじゃ学術界ではもはや誰も相手にしない。
自分でインチキくさいシンポジウムを開くしかないわけだ。

378:hammerhead
03/12/17 23:52 EdyRTokA
> (2)人間が加工した痕跡が見つかった

これは主に「クサビ跡」のこと。

「遺跡派」が出してくる「クサビ跡」は4カ所。

(a)アッパーテラス上の1カ所
(b)立神岩「石碑ポイント」の1カ所
(c)陸上サンニヌ台、1カ所
(d)比川海岸の転石、2カ所(以上?)

「遺跡もどき」では1カ所だけだが、4カ所をごちゃ混ぜに
論じ、あたかも「遺跡もどき」のものが確実に「クサビ跡」で
あるかのように印象づける作戦をとっている。

379:hammerhead
03/12/17 23:53 EdyRTokA
(a)アッパーテラス上の1カ所
(月刊地球2000 p.104、マサダ2000 p.37、第三文明社2000
p.69、実業之日本社2002 p.54-56)

これは階段状構造のエッジに沿って「ジョウゴ状の凹み」が
20~30cm間隔で並んでいるというもの。

本当に「クサビ跡」ならば「人工」の決定的な証拠になるはず。
大々的に報告してもよさそうなものだが、写真はビデオ映像から
落とした不鮮明なものが2枚だけ。また記述も簡単なもので済ませ、
あっさり「石碑ポイント」や「サンニヌ台」に話題を移していく。

これまで見た手口から考えると、これもかなりクサイ。
何か小細工がある(例えば、クサビ跡のように見えるのは
ごくごく一部、とかね)とみた方がいいだろう。

380:hammerhead
03/12/17 23:53 EdyRTokA
後述する「石碑ポイント」同様、節理沿いにもろくなった
直線上にウニが穴を掘ったもの、あるいは水面近くの波の影響で
石が当たって欠けた部分(実際かなり摩滅している)、と
推測するが、写真や記述が充分ではなく、結論が出せない。

本当に決定的な「クサビ跡」ならば、もっとしっかりした
検証をお願いしたい>「遺跡派」。

まず、位置が「遺跡もどき」のどこか正確に図示すること。
「クサビ跡」の箇所については正確な見取り図が必要。
その間隔や形状について、正確な写真、記述、図解が必要。

初出以来3年を経過してもきちんと示すことができないのは
「何か小細工している」と疑われても仕方ないだろう。

「遺跡ポイント」自体で「発見」されている「クサビ跡」は
実はこれだけ。他の場所にクサビ跡がないのはなぜ?
「遺跡派」はその理由には触れない。節理沿いに自然に
割れたものばかりだから、ないのは当たり前だがね。

381:hammerhead
03/12/17 23:54 EdyRTokA
(b)立神岩「石碑ポイント」の1カ所
(月刊地球2000 p.95 p.105、マサダ2000 p.11 p.132-134、
第三文明社2000 p.68-73、)

「遺跡もどき」とは別の場所にあるこちらを(a)よりも
大きく取り上げているのは異常だ。

「石碑ポイント」は「遺跡もどき」から1km東北東にある
立神岩の南、水深15m。長辺が10mほどの直方体の岩。
その表面、長辺のエッジと平行に20cm間隔で直線上に並んだ
70個ほどの穴があいているという代物。

382:hammerhead
03/12/17 23:55 EdyRTokA
岩の長辺エッジは節理に沿った剥離。穴の列はこれと平行で、
もちろん節理と関係した現象。

月刊地球2000 p.105 図4Bを見ると、穴の線上には亀裂が
確認できる。間違いなく節理の割れはじめ。

月刊地球2000p.105では

> 亀裂に沿ってほぼ等間隔に長方形の穴が・・・

と亀裂(節理)の存在を認めているにもかかわらず、
通俗書では全く触れない。写真も意図的に亀裂の
見えるものをはずしている。

おなじみの「素人だけは騙してやろう」という小細工だ。

383:hammerhead
03/12/17 23:56 EdyRTokA
亀裂が入り始めるとその表面は風化や侵食を受けやすく
もろくなる。岩を削る生物はその部分を好んで穴を掘る。
こうしてできたのがこの「クサビ跡」だ。

その生物は主にウニ。ウニは体の下にクチバシ状の口が
ついており、これで岩を削って表面についた藻を食べる。
1匹のウニが短期間でどんどん掘り進むわけではなく、
長い時間をかけて穴が大きく、また深くなっていくのだ。

第三文明社2000 p.73に、石膏で型どりした穴の形状の
図版がある。

上から見ると「カドの取れた長方形~楕円形」、断面は
「浅いU字型」の凹み。底は丸っこく、クサビ跡なら必ず
あるはずの「V字型」の凹みはいっさいない。どう見ても
クサビ跡ではない。

384:hammerhead
03/12/17 23:56 EdyRTokA
ところが「遺跡派」はこう言う。
> ウニなどの生物があけた穴であれば、身を隠すため、
> 巾着のように内部の壁が入口よりも広くなっているのが
> 普通だ・・・
(実業之日本社2002 p.54)

海洋生物についての知識のなさを露呈している(w。
ウニが穴を掘る(岩盤をかじる)のは食物採取が目的で、
身を隠す穴になるのはその副次的な現象にすぎない。

それに「内部が入口より広くなった穴」が瞬時にできるものと
思いこんでいるらしいが、穴のでき始めはなんでも「浅いU字型」
に決まっているではないか。読者を馬鹿にするな。

385:hammerhead
03/12/17 23:57 EdyRTokA
この程度の貧弱な知識と洞察力で、

> ウニなどの生物があけたものでないことも明らかになった。
(第三文明社2000 p.68)

とは失笑もの。周辺にいる海洋生物研究者からのアドバイスも
無視しているのだろう。

通俗書の写真では、ご丁寧に穴のウニを全部どかして
写真を撮っているが、先日の「ふしぎ発見」では、
穴にすっぽり収まっているウニがたくさん写っていた(w。
すぐばれる小細工はやめろって・・・。

386:hammerhead
03/12/17 23:58 EdyRTokA
> とにかく与那国島の海底・陸上の石造遺構群に認められる
> 多くのクサビ穴らしき痕跡こそ、人工説を決定づける
> 最有力の証拠といえる。これらの鑑定は、沖縄県石材事業
> 協同組合理事の眞座孝太郎氏にお願いした。
(第三文明社2000 p.73)

とあるが、プロがこの「石碑ポイント」の穴の形状を見て
クサビ跡と断定するとは思えない。

387:hammerhead
03/12/17 23:58 EdyRTokA
一方、
> 以上のような痕跡(引用者注:「遺跡もどき」アッパーテラスの
> もの)は、海底遺構の上部が陸上に現れているサンニヌ台では
> より顕著に現れている。それらがクサビ使用の跡(ヤ跡)で
> あることは、我が国の現代の名工である石工の座真(引用者注:
> 「眞座」の誤記)孝太郎氏により鑑定された。
(月刊地球2000 p.104-105)

とあり、ここではその後に「石碑ポイント」の話に移る。
そこには眞座氏の鑑定結果はない。

おそらく眞座氏は陸上の痕跡を「クサビ跡」と認定は
したが(筆者も同意)、「石碑ポイント」の痕跡を
「クサビ跡」と認定はしていないのだろう
(あるいは見せられてもいない)。

協力者の発言をすり替えるもので、許される行為ではない。

388:hammerhead
03/12/17 23:59 EdyRTokA
20cm間隔で等間隔に穴が開いているのは何故か?

・穴の部分には別方向の節理(できはじめ)が走っている。
・ウニが自分の縄張りを確保するため一定間隔を置いた。
・節理に沿った亀裂のできはじめが一方から進行していき、
新たににもろくなった箇所へ順にウニが穴を掘っていったから。

などの仮説が考えられるが、既存資料では十分検討できないので、
今後の課題として残しておこう。

この「石碑ポイント」最大の問題点は、「遺跡もどき」とは全く
別の場所にあり、「遺跡もどき」の検証には全然役にたたない、
ということ。騙されないように。

389:hammerhead
03/12/18 00:00 Wdv6o9Ud
(c)陸上サンニヌ台、1カ所
(d)比川海岸の転石、2カ所(以上?)

「遺跡もどき」では「人工の証拠」が全く見つからないので、
「遺跡派」は最近「あっちにもこっちにも『~みたいな』が
ある」をばらまく作戦に出ている。

サンニヌ台がその代表。これについては
> (5)同様な遺跡を陸上でも発見
の検証で詳しくやるとして、「クサビ跡」に焦点を絞る。

陸上のもののいくつかは確実に「クサビ跡」と認められる
が、どれもごく近年のもの。「遺跡もどき」の検証には
役に立たない。

最大の問題点は何よりも「『遺跡もどき』アッパーテラスに
みられるものが本当に『クサビ跡』か?」の検証が全く
不十分」。これに尽きる。

この検証をないがしろにして「あっちにもある、こっちにもある」
をいくらばらまいても無駄。素人を騙そうとしているだけだ。

390:hammerhead
03/12/18 00:00 Wdv6o9Ud
サンニヌ台に見られるもの(マサダ2000 p.139、第三文明社2000
p.72、英文論文2001 p.55、実業之日本社2002 p.55)は眞座氏が
鑑定しているとおり「クサビ跡」というか「ノミ跡」だろう。
ただしその断裂面は非常にフレッシュで、ごく最近のものと推測できる。

その工法は、
木のクサビを層理面沿いに挿入し、木のクサビに水を含ませ膨張
させる。層理面に沿って岩盤がめくれあがったところで、その近くの
節理に沿ってノミを入れていく(この部分がジョウゴ形に欠損して
跡に残る)とブロック状に剥がれる、という仕組みらしい。
(G.ハンコック(2002)『神々の世界(下)』(小学館)p.530参照)

これだと、まず節理面よりも先に層理面の剥離が見られないと無理
だろうし、またノミ跡が20cmおきに必要な気もしないのだが、
ま、この辺は眞座氏の説明を尊重しておこう。

「遺跡派」は節理のエッジに残る痕跡の類似性をもとに、
「サンニヌ台のクサビ(ノミ)跡」=「遺跡ポイント・
アッパーテラスのクサビ跡?」としたいようなのだが、
肝心の「遺跡ポイント」の方が検証不十分なのだから話に
ならない。

391:hammerhead
03/12/18 00:01 Wdv6o9Ud
比川海岸の転石にみられるもの(マサダ2000 p.137、第三文明社
2000 p.71)は、

> これはクサビを使うためにあけた穴との証言者が現れた。
(月刊地球2000 p.105)

というように、近年の「クサビ穴」に間違いないだろう。

「遺跡派」は、「比川のクサビ穴」=「石碑ポイントの穴列」と
したいようなのだが、よく見ると比川海岸のものは穴の底が
ちゃんと「V字型」になっているのに対し、「石碑ポイント」の
ものは底が丸い。イコールにはならない。

また、サンニヌ台タイプと比川タイプでは工法が異なる。工法の違いも
論議せず、確実なものも怪しいものも、対象現場もよその場所も、
全部一緒くたに見せて「人工」と印象づけるのが「遺跡派」の作戦だ。

当然「遺跡もどき」の「クサビ跡」がいちばん怪しいから、
こういう作戦をとっているのだろう。

392:hammerhead
03/12/18 00:02 Wdv6o9Ud
結局「クサビ跡」の議論における最大の問題点は、繰り返すが、
肝心の「遺跡ポイント・アッパーテラスのクサビ跡?」に関して
検証が不十分なこと、これに尽きる。

何か小細工しているであろう事は容易に想像つくが、批判を覆す
だけの充分な証拠を見せてほしい。

筆者も、「遺跡派」が提示してくるしょーもない証拠の中では、
この「アッパーテラスのクサビ跡」が唯一人工の可能性を残すものと
考えているので、誠実にやってほしい。

以下、次回。

393:出土地不明
03/12/18 13:37 TLvPjBwG
乙。

394:出土地不明
03/12/19 01:16 oajOzj7o
ここでなんか言ってる人が。
スレリンク(archeology板:28番),29,31

395:出土地不明
03/12/19 02:26 5bSQkPVL
ここで反論する人が居なかったり、遺跡肯定の立場のホームページに
アクティブでなくなってる所が多いのは、やっぱりhammerheadさんの
見解が正しいことを裏付けてるのかな?

396:出土地不明
03/12/19 11:22 wt1eB641
>>395
それとは独立じゃないかな。
飽きただけのような気が。
大半は、その時の勢いでつくってそれ以上の追求はせず、ってパターンだろうから。

397:出土地不明
03/12/19 14:54 N6l15hYY
この遺跡関連の書籍が、右翼(もしくは反共団体)や、それに繋がる宗教団体
の情宣に使われてたのは有名?

398:397
03/12/19 14:56 N6l15hYY
遺跡っていうのは誤った書き方でした。
正しくは遺跡と主張されていた奇石群ですね。

399:徽宋
03/12/19 19:27 4MURff+o
引き上げて朕の宮城に移設するのじゃ!!

400:hammerhead
03/12/19 23:26 gCcW/51C
> 394
沖縄周辺海域で「発見」されている「海底遺跡?」に
関しては、与那国島のものよりもずっと単純な地質現象
ばかり。これは後で総ざらいします。

この辺をアオっているのは、南山宏氏と琉球朝日放送の
ようですが、専門家によるちゃんとした見解は意図的に
隠蔽しているんでしょうな。

こんなものは地学関係者ならすぐに判別できなきゃモグリ。
これらをみな遺跡として肯定する地質学者(木村氏のこと
ですが)というのも想像を絶する存在だ。

401:hammerhead
03/12/19 23:27 gCcW/51C
> 395
ネタ切れでしょう。木村氏周辺は「遺跡もどき」をいくら
探しても「人工の証拠」が見つからないのは百も承知だし、
それにあんまり詳しく報告するとボロが出るのも充分
認識しています。

だから最近は「あっちににもこっちにも『~のような』が
ある」をばらまいてケムに巻く作戦を展開しているわけです。

素人さんのHPを見ても、木村説をなぞっているだけで、
見るべきものは何一つありませんね。

402:hammerhead
03/12/19 23:28 gCcW/51C
> (3)生活遺物の発見
の検証に行きましょう。

これは
(a)石器
(b)十字跡のある石板
(c)牛石
(d)L字型の石
といったところか。

大きな問題点は、石器を除きその用途がさっぱり分からない点。
また、回収状況がすべて不明瞭な点も問題だ。

これらの遺物は「遺跡もどき」とは別の場所からの
回収だったり、「遺跡もどき」近辺からでも異地性の
可能性が十分あり、過大評価は禁物だ。

403:hammerhead
03/12/19 23:29 gCcW/51C
(a)石器
(月刊地球2000 p.110、マサダ2000 p.140 p.145-147、
第三文明社2000 p.85-91、英文論文2001 p.62-64、
実業之日本社2002 p.3 p.150-152)

ようやく考古学板らしい話になるかな?

「遺跡派」が石器として提示するのは8個。このうち
検討の対象となるのは2個。あとはただの石ころだ。

公式サンプル名が設定されていないので、マサダ2000
p.145を基準とし「石器A」「石器B」と呼ぶ。

URLリンク(www.bihou.com)
も同じサンプル名なので参照されたし。

404:hammerhead
03/12/19 23:30 gCcW/51C
「石器A」が発見順は先。

> There is another sample recovered from a place
> southern foot of Iseki Point, at depth of 15m
> in 1997.
(英文論文2001 p.62)

> まさに遺跡ポイント南側の水深15mの海底から
> われわれは石片サンプルを回収した。
(第三文明社2000 p.88)

まず正確な発見日時が不明。正確な回収位置についても
記述や図示はない。さらに出土状況は、海底に転がって
いたのか、砂に埋没していたのか、石の下にあったのか、
岩陰にあったのか、皆目わからない。

当然、発見時の写真もない。出土状況が全くわからないのだ。

405:hammerhead
03/12/19 23:31 gCcW/51C
これでは「出土」の事実があったのか?と疑われても
仕方ない。水中という悪条件に加え、考古学の素人に
よる調査ということを考慮しても、話にならない。

誰かが調査方法についてしっかりレクチャーしてやらないと
ダメでしょう。

月刊地球2000では、1999年発見の「石器B」には触れて
いるのに、先に発見されている「石器A」への言及が
ないのも不審だ。

ただ、表面に石灰藻(石灰質の骨格を作る藻)らしき白い
付着物があり、海面下に一定期間(最低数年)あったこと
だけは間違いないようだ。

406:hammerhead
03/12/19 23:31 gCcW/51C
もはや無視しても構わないのだが、一応「遺跡派」の言い分を
認めて先へ進むと・・・

「石器A」の材質は
> This is composed of dark, fine-grained sandstone
> of the Yaeyama Group, resembling the one off
> Sanninu-dai.
(英文論文2001 p.62)

八重山層群の細粒砂岩(「遺跡もどき」を作っている地層と
同じ)だそうな。石器の素材としてはかなり粗悪。もちろん
「遺跡もどき」などの岩盤加工に使える材質ではない。用途は
ごく限られる。

407:hammerhead
03/12/19 23:32 gCcW/51C
この石器に関しては写真が1枚しかなく、実測図もない。
その記述も

> 与那国島の陸上から出土する磨製石器とは異なる打製石器
> である。
(実業之日本社2002 p.151)

だけ。扱いに困るサンプルだ。

10cm×5cmの長方形~台形、打製の石斧のようには見える。
かなり薄手らしく、石鏃という推定もある。

細粒砂岩層が層理面に沿って剥離した石板を整形したものか?
ただ、写真からも記述からも、加工痕に関する情報は得られない。

見たところ摩滅がほとんどなく、未使用または作りかけという
見解もある。ただ、(「遺跡派」によれば)数千年間海底に
あったわりに摩滅がみられないのは疑問。また生物による石灰質
付着物がきわめて少ないのも疑問だ(「遺跡もどき」の壁面と
比べてみよ)。

いずれにせよ出土状況がわからないと、これらの疑問も解決
できない。

408:hammerhead
03/12/19 23:33 gCcW/51C
この石器は、陸上トゥグル浜遺跡出土の磨製石器(材質は
緑色片岩-与那国島には産出しない、原岩産地は石垣島か
台湾か?)とは異質で、トゥグル浜遺跡とは全く関係ない
だろう。

トゥグル浜遺跡とその石器については手頃な資料がなく、

沖縄県教育庁文化課・編(1985)『沖縄県文化財調査報告書
第66集 与那国島トゥグル浜遺跡 -与那国空港整備工事に
伴う緊急発掘調査報告書』(沖縄県教育委員会)

を見てもらうしかない。

なお、トゥグル浜遺跡出土の石器のうち、石斧・石製ドリルの
材質はすべて緑色片岩。砂岩製石器もあるが、敲打器、石皿のみ。

409:hammerhead
03/12/19 23:34 gCcW/51C
話を戻して、石器Aについて正式なレポートはないが、
安里嗣淳・沖縄県埋蔵文化センター所長、小田静夫・東京都
教育庁文化課主任学芸員、黄士強・台湾大人類学科教授、
劉益昌・台湾中央研究院語言研究所教授などが石器と鑑定して
いるという。
(第三文明社2000 p.88-90、英文論文2001 p.62、
実業之日本社2002 p.151)

専門家の意見は尊重したいが、その鑑定結果は私信のみ、
それも木村氏の著作に現れるだけなのは気になる。何よりも
「遺跡派」=「発見者」による詳細な記述がなければ、
一般読者には判断がつきかねる。

410:hammerhead
03/12/19 23:35 gCcW/51C
出土状況と石器記載のきちんとした情報が求められる。
それまでは「石器かどうか」も含め、評価は保留せざるを
得ないだろう。

不思議なのは、安里氏が

> 「もしも石器などが見つかれば、新たな議論には踏み込める
> 可能性がある」
(サイアス1999年10月号)

と述べ、(木村氏の著作によれば)安里氏自身も石器と鑑定
しているにもかかわらず、2000年の遺跡説批判論文、
2002年の批判記事(琉球新報)ではこの石器について全く
触れていないこと。

どちらサイドかわからないが、どこかに錯誤ないしは
ゴマカシがありそう。ここは安里氏の発言が求められる
ところだ。

411:hammerhead
03/12/19 23:36 58Ny7WO4
「石器B」は

> 立神岩東方の水深18~20mの砂底から1999年6月29日に
> 和泉用八郎により採取されたものである。
(月刊地球2000 p.110)

和泉用八郎氏は、よしまる荘・与那国ダイビングサービスの
ダンナ(新嵩喜八郎氏とは別人ですよ)で、海底遺跡調査団に
参加もしている。

出土地点については
> サンニヌ台北東1km、
(第三文明社2000 p.85、実業之日本社2002 p.150)
ともあり、こちらがより正確なのだろう。だが、相変わらず
正確な回収位置についての記述や図示はない。

412:hammerhead
03/12/19 23:37 58Ny7WO4
出土状況は、

> 発見場所の砂地は10m四方ほどの広さで、周辺には急な崖や
> トンネルなどの複雑な地形がある。
(第三文明社2000 p.88)

だそうだ。砂地に転がっていたのか、埋没していたのか
はっきりしない。発見時の写真もない。

またしても扱いに困る石器だが、我慢して先へ進むと・・・

「石器B」の素材は

> It was made by chopping away parts of sandstone of
> the Yonaguni Group
(英文論文2001 p.62)

と、またも八重山層群砂岩(「遺跡もどき」と同じ)。
色は灰白色でかなり粗粒。表面には植物の葉の化石が断面を
見せている。やはり石器の素材としてはかなり粗悪。
岩盤加工は無理だ。

413:hammerhead
03/12/19 23:38 58Ny7WO4
葉化石の部分は化石の面に沿って剥離しやすく、強度に
問題がある。わざわざ葉化石の入った壊れやすい岩塊を
選んで石器にするとはとても思えないが・・・。

写真は正面からと側面から各1枚。簡単な実測図は
第三文明社2000 p.87にある。

16cm×9cm×3.5cm、外形は中央がややくびれた八角形。
側面図では、一方が厚く片方へ向けてやや薄くなり、
裏面は湾曲している。

外形からすると打製石斧には見えるが、明瞭な加工痕は
確認できない。「加工痕は海底で波にもまれるうちに
摩滅して消えた」とみることもできるが、表面はガサガサ
した自然の剥離面のようにも見え、擬石器の疑いもある。

414:hammerhead
03/12/19 23:39 58Ny7WO4
海底に長期間あったわりに生物付着物が全くなく
フレッシュな面を見せているのは、海底で波にもまれて
表面が摩滅したことを示しているのかもしれない。

こちらも正式なレポートはないが、加藤晋平・國學院大学
文学部教授は「人工の可能性は20~30%」と鑑定。妥当な
判断だろう。

他には、富樫雅彦・新宿区教育委員会新宿歴史博物館
管理係主任、片山一道・京都大学霊長類研究所教授、
岡村道雄・文化庁記念物課主任文化財調査官が「石器」と
鑑定しているというが、どうか?

また、この鑑定結果もやはり私信のみ、それも木村氏の著作に
現れるだけなのも気になるところ。

415:hammerhead
03/12/19 23:40 58Ny7WO4
この2個の石器の問題点をまとめると、

・出土位置、出土状況に不明な点が多い。
・加工痕に関する検討など石器の記載が不十分。
擬石器の疑いもある。
・どちらも打製「石器?」。与那国陸上トゥグル浜遺跡
出土の磨製石器(新石器時代)とは無関係。
・材質はどちらも八重山層群砂岩。トゥグル浜遺跡出土の
緑色片岩製石器とは異質。岩盤加工には向かない。用途は
ごく限られる。
・専門家の鑑定結果(私信)が木村氏の著作にしか現れない。
・「遺跡もどき」との関係は全く不明。むしろ現状では
切り離して考えるべき。

といったところ。現状では無視してOKってことですな。

以下、次回。

416:hammerhead
03/12/19 23:43 58Ny7WO4
1本忘れてた。

その他の「石器」はお話にならない。

円礫の凹部に擦痕のように見えるのは、人為的なものではない。

岩塊が割れたときには、しばしば凹面ができる。その岩塊が
摩滅していく過程で、その凹面部が摩滅しないで残っただけだ。
こんなものを「石器」として提示すること自体恥ずかしい。

「玩具?」とか言っているものは、層理面の剥離と節理で
できたものだろう。そりゃ「面白い形だあ」とか言って
子どもがオモチャにした可能性がゼロとは言えないが、
こんなものを「石器」と呼ぶ人は誰もいない。

今度こそ、以下次回。

417:徽宋
03/12/19 23:55 B38lJPCv
うむ、無粋な漢じゃのぅ

418:hammerhead
03/12/20 00:18 jqDI1oX5
じゃ無粋ついでに

徽宋 ×
徽宗 ○


419:宋皇
03/12/20 01:24 1vxk6Nc+
ネタにマジレスする悪い子は
天に替わってオシオキよ!!

420:出土地不明
03/12/20 02:57 CKzaahN2
南山宏とか第三文明とか実業之日本社とか日本青年社とか…
肯定する記事を並べてソースを明記するだけで反論記事、批判記事になりますね。

先は長いですが、続き楽しみにしてますよ。

421: 
03/12/20 13:18 UozF4oMl
>>419
まあ、マッタリといきましょう。

422:hammerhead
03/12/21 21:09 2R6w6A7I
> 420
「クサビ跡」で峠は越えました。
あとはカスしか残っていませんから、
もうすぐ終わりです。
これからは、あまりおもしろくないかも。

423:hammerhead
03/12/21 21:10 2R6w6A7I
(b)十字跡のある石板

これも何とも怪しげな遺物。「遺跡派」はこれをずいぶん
重要視しているようだが、一般の反応は「あっそ」と
いった程度。

まず発見状況が不審。

> 第1海丘南側のループ道路の終端、下から上に登る
> 階段状地形の足元にある巨石の下の奥の方から採取された。
> 1998年12月29日、調査団の赤星陽太郎・新嵩喜八郎に
> より採取された。
(月刊地球2000 p.106)

あたかも昔からある岩の下から回収したかのように記述
してあるが、実際は

> また線刻石板は、1994年の台風時に崩れたと見られる
> 径6mほどの大石の下から他の石板と一緒に出ている。
(月刊地球2000 p.108)

と、読者が気づかないよう別の場所にこっそり記述がある。
いつもの小細工。

424:hammerhead
03/12/21 21:11 2R6w6A7I
「台風で崩れた壁から発見」(武功夜話)、「天井を突き
破って落下した長持から発見」(和田家偽書)などとよく
似ているね。

では、大石が崩れる前、この石板はどこにあったというのか?
「遺跡派」の考察はない。たぶん、「遺跡もどき」の内部に
隠されていたもの、と読者が勝手に想像してくれることを
期待しているのだろう。

だが、これまで見たように、加工跡が全くないこの岩盤に
遺物を格納するような場所はない。自然の亀裂にはさまっていた
ものが岩盤の崩壊で大石と共に落下した、と考えることも
できるが、この辺はもう少し詳しい考察が「遺跡派」から
提示されるべきだろう。

むしろ1994~1998年の間にどこかから移動してきた異地性の
遺物、という可能性を強く示唆している。「遺跡もどき」と
安易に関係づけるのは危険だ。

425:hammerhead
03/12/21 21:11 2R6w6A7I
2つの穴。これは「遺跡派」も「穿孔貝による穴」である可能性が
高いと認めている。穴縁辺の摩滅痕(縄を結んだ?)と言っている
のは、拡大写真を見ると、摩滅痕というより「層理面が剥離した跡」
だろう。この石板の素材は黒色泥岩。層理面に沿って剥げやすいから、
何の不思議もない。

「十字跡」と「L字跡」。これは人工とみてよさそうだ。ただ、
その目的・意味は全く不明。「文字?」と見るには、あまりにも
単純すぎる。

確かに魔除けの「+」印というものは存在するが、この石板の
用途が何か特定できなければ、文字として扱うのは早計だろう。

「遺跡派」も言っているように、十字跡にも石灰藻が付着しており、
発見直前につけられた刻印、という可能性はない。しかし、その
付着度は周辺部に比べて少なく、刻印形成後数年とみてもおかしく
はない。

426:hammerhead
03/12/21 21:12 2R6w6A7I
刻印はかなりシャープなもので、石器によるものではない。
金属器による刻印とみていいだろう(沖縄には青銅器時代が
ないので、鉄器とみていい)。それに付着している「赤土」とは
「鉄サビ」じゃないのか?確認が必要。

鉄器による刻印とすれば、琉球に鉄器が普及するのは9~10世紀
以降であり、先史時代のものである可能性はない。

それに石板全体に付着している石灰藻はかなりまばらで、とても
数千年間海底にあったものではない。それは「遺跡もどき」の
壁などと比較してみるといいだろう。

筆者の見解としては、誰かが(おそらく近年に)十字印をつけた
石板がなんらかの理由(人為的か自然にかはわからない)で、
1994~1998年の間に落石の下に移動してきたものと推測する。
もちろん仮説だが、「数千年前に超古代人が遺跡内に隠した遺物」
説よりは妥当だろう。

427:hammerhead
03/12/21 21:13 2R6w6A7I
(c)牛石

これも失笑ものの遺物(?)。こんなものを人工の証拠
として提示すること自体、子供じみている。英文論文にも
堂々と載せているのだから全く恥ずかしい。まずあれが牛に
見える人が少ないだろう(w。

これは、いつだかわからない時期に、比川沖で発見されたもの
だという。もちろん「遺跡もどき」とは何の関係もない。

まず扁平な円礫部分はおそらく「太陽石」と同じくノジュール
だったのだろう。ノジュールから石灰分が下(あるいは上)の
薄い地層に染み込んで癒着。海底で摩耗する間もくっついたまま
残った。薄い地層の部分が直線的な外形をしているのは、おそらく
節理だろう。ノジュールは硬いので節理が入らなかった。
ただそれだけ。

428:hammerhead
03/12/21 21:14 2R6w6A7I
それに、仮に「超古代人の遺物」であったにしても、
数千年間海底でもまれて原形を保っているわけもない。
全く非科学的な話だ。

琉球列島にウシが導入されたのは10~13世紀。
仮に人工だったとしても、「遺跡派」が主張する
「遺跡もどき」の年代(紀元前数千年)とは無関係な
遺物になる。

ブタだとしても(w、琉球列島にブタが導入されたのは14世紀
以降だ。数万年前から野生でいる「イノシシ」とでもしておけば
いいのに・・・。

河原で流木や石をひろってきて何かにみたてる趣味はあるが、
それは木村センセイの老後の趣味だけにして、考古学の世界に
持ち込まないでくれ。

429:hammerhead
03/12/21 21:14 2R6w6A7I
(d)L字型の石

これも意味不明な「遺物」。こんな石は人工じゃなくても
いくらでもある。

前述の石工・眞座氏はこの石のエッジに見られる擦痕を
クサビ跡と鑑定しているという。そうなのかもしれない。

もしそれがクサビ跡だとしても、牛石と同じで数千年間海底で
もまれたわりにはその擦痕はいやにフレッシュだ。まあごく
最近つけられたものだろう。

それにしても「~のような」の大量生産の努力には恐れ入るが、
あまりに幼稚なものばかりで呆れてしまう。それでも、これに
引っかかる人が結構多いのにはもっと驚きだが。

以下、次回。

430:出土地不明
03/12/22 02:09 DRw7gplZ
ダイビングショップオーナーと右翼の「調査団」ですか。
生臭いですね。

431:hammerhead
03/12/23 22:00 r607GfFr
> (4)文字らしきものが見つかった

この件に関しては次のような誤解がまことしやかに通っている。
曰く 「遺跡ポイントの海底で与那国島の古代文字カイダ文字を
記した石板が見つかっている」 と。

これは、いくつかの話題がごちゃ混ぜに論じられた結果生まれた
誤解だ。元になっている話は、

(a)前述の「十字跡」の残る石板
(b)「遺跡もどき」近辺で見つかっている文字のように
見える溝
(c)八重山地方(与那国含む)で近代まで使われていた
記標文字「カイダ・ディ(カイダ文字)」
(d)沖縄本島中部で見つかっている線刻石板
(15世紀頃のもの)

与那国島関連は(a)(b)だけ。(c)(d)は何の
関係もない。いろんな話を玉石混淆に見せて、意図的に
読者に誤解を与える「遺跡派」の作戦。騙されないように。

432:hammerhead
03/12/23 22:01 r607GfFr
(a)の「十字跡」をあれだけで「文字」と呼ぶのは、
現状では早計だ。また「十字」は、カイダ文字に限らず
いろんな文字、あるいは文字でも何でもないラクガキなど
どこにでもある。

(b)「遺跡もどき」近辺で見つかっている文字
のように見える溝(そうは見えないけどね)

「遺跡派」が提示するのは6カ所。いずれウニなどが掘った溝
(一部は節理が関係している)などで、誰が見ても文字には
見えない。さすが川崎真治や吉田信啓(岩の割れ目や溝を見て
文字を読みとってしまう不思議な目をも持った人たち)を
参考にしているだけはある。この非科学的なアプローチは
学者のそれではない。もはや「あっち側の人」といって
いいだろう。

433:hammerhead
03/12/23 22:02 r607GfFr
(b1)「太陽石」の足元に掘られた目盛り様の溝(マサダ2000
p.88 p.92-93、実業之日本社2002 p.7)
(b2)「石碑ポイント」に掘られた目盛り様の溝(マサダ2000
p.134)
(b3)西崎沖海底10mの岩盤に見られる「へ」の字形の溝
(マサダ2000 p.149、第三文明社2000 p.82-83)
(b4)「遺跡もどき」アーチ門付近に掘られた「V」字形の溝
(マサダ2000 p.149、第三文明社2000 p.82-84)
(b5)西崎海底の溝(マサダ2000 p.151)
(b6)「遺跡もどき」西方に掘られた「馬」のように見える溝
(クォーク2002 p.42 p.65 p.78)

434:hammerhead
03/12/23 22:03 r607GfFr
(b1)(b2)は節理に沿ってもろくなった部分にウニが
穴を掘ったもの。(b1)は「石碑ポイント」のウニ穴列と
平行なことでもわかる。

(b4)(b5)(b6)もウニが掘った穴が連続した溝。
この(b5)(b6)は表面よりも奥が広くなっているのが
特徴で、典型的なウニ穴だ。

「遺跡派」も言っているではないか。

> ウニなどの生物があけた穴であれば、身を隠すため、
> 巾着のように内部の壁が入口よりも広くなっているのが
> 普通だ・・・
(実業之日本社2002 p.54)

その通り。自己矛盾。どこが人工の刻印なんだ?

(b4)はどうも硬いノジュールを避けてウニが穴を掘っている
ようで、それで「V」字形に見えるというわけ。

435:hammerhead
03/12/23 22:04 r607GfFr
(b6)の直線状の溝も節理と関係しているようだ。
「馬」の先にも「馬」の胴体と平行な溝がいくつも
走っているではないか。節理系に関係した溝である証拠。

それにこの「馬」、馬にも鹿にも全然見えないぞ(w。
特に頭の部分は形にもなっていない。
例によって、超古代人のやることはとっても杜撰。

「遺跡派」はこれを「馬」を記した「カイダ文字」と
するが、与那国島に馬が導入されたのは近世。とすれば
先史時代の遺物であるはずはない。

それは「遺跡派」もわかっていて、「鹿?」という推測も
している。琉球列島には鹿は確かに数万年前からいたが、
与那国島で「鹿の骨」は今のところ発見されていない。
また「カイダ文字」に「鹿」の標記はない(牛、羊はあるが、
いずれも琉球への導入は近世)。

前述の「牛石」でもそうだが、「遺跡派」はこういった
年代論からは逃げまくっている。年代について黙っていれば、
読者は勝手に「超古代」と思ってくれるだろうという作戦。
ひっかからないように。

436:hammerhead
03/12/23 22:05 r607GfFr
(b3)の刻印?は、その形状がいやにシャープで、
ウニの掘り穴ではなさそうだ。おそらく化石が溶解して
脱落した跡だろう。その形状からすると結構厚手の貝殻の
ようだ。化石は石灰質で、特に陸上では淡水をかぶると
地下にあっても溶解しやすい。

それに、これほどシャープな「刻印?」を石器で掘るのは
不可能。

これらの「刻印?」最大の特徴は、いずれも海底でしか
見つからないこと。陸上にないのはなぜ?それは
この「刻印?」が海底でしかできないものだからだ。

それに「超古代人」が記した刻印が、数千年間海底で摩滅も
せずに残っているという主張も実に馬鹿げている。

437:hammerhead
03/12/23 22:05 r607GfFr
(c)八重山地方(与那国含む)で近代まで使われていた
記標文字「カイダ・ディ(カイダ文字)」

これは「遺跡もどき」とは全く関係ないものだが、
あまり知られていないので、「遺跡派」に「古代象形文字」
として悪用されやすい。きちんと説明しておこう。

438:hammerhead
03/12/23 22:06 r607GfFr
まずカイダ文字に関する報告資料

<1>B.H.Chamberlain(1895)The Luchu Islands And Their
Inhabitants(The Geographical Journal, April/May/June 1895,
London)
<2>C.S.Leavenworth(1905)The Loochoo Islands(Shanghai、
『琉球所属問題関係資料 第5巻』本邦書籍 1980で読める)
<3>矢袋喜一(1915)『琉球古来の数学と結縄及記標文字』
(青年教育普及会、沖縄書籍販売1982版もある)
<4>稲垣國三郎(1934)『詩の國 夢の國 琉球小話』(盛運堂)
<5>河村只雄(1939)『南方文化の探求』(創元社、講談社学術文庫
1999版もある)
<6>池間栄三(1959)『与那国の歴史』(自費、与那国で現在も
入手可)
<7>長浜章(1977)結縄及び記標文字(数学史研究 no.73-1977/4-6)
<8>饒平名健爾(1985)沖縄の算法-結縄と記標文字(数理科学
no.264-1985/6)
<9>ラブ・オーシュリ、上原正稔(1987)『青い目が見た大琉球』
(ニライ社)
<10>宮城政八郎(1993)『与那国物語』(ニライ社)
<11>田中紀子(1998)沖縄の古代結縄文字考(4)(歴史民俗学
no.11-1998/7)

439:hammerhead
03/12/23 22:07 r607GfFr
最も古い報告は1895年。それ以前には報告がなく、発祥の年代は
不明だが、

> 1477年の朝鮮漂流民の記録には、文字を解せない、又は、
> 文字はない、と記してあるのから推して、バラ・ザンのみが
> 上古の遺態であって、カイダ・ディは中山の支配下に置かれて
> 後に、貢納物や取引のために案出したものと思われる。
(池間1959)

バラ・ザン(藁算)とは結縄数字(南米のキープと類似したもの)。

これに従えば与那国カイダ文字の出現は16世紀以降。
古代文字などではない。人頭税の導入をきっかけに、沖縄本島や
宮古島で使われていた記標文字「スーチューマ(数珠[石馬]/
蘇州[石馬])」をヒントに創作されたものであろう。
与那国では19世紀末まで用いられていた。

440:hammerhead
03/12/23 22:08 r607GfFr
スーチューマやカイダ文字は、文字を知らない人々(特に婦女子)
が備忘、取引、収穫の記録などの目的で用いたもので、文字の
内容も利用方法も事務的なものに限られる。

例えば数字(ほとんど漢数字に同じ)、穀物(枡に加筆して区別)、
野菜、家畜、縄、船など。これらと屋号(ヤーバン/ダヌハン)を
組み合わせて送り状などを作る。

カイダの「カイ」とは「穎(かい・えい)」と推測され、穀物の数量を
記録することを主目的として創作された文字といわれている。また
仮屋字(カイヤ・ディ)が訛ったものという説もある(仮屋=石垣島の
奉行所)。

441:hammerhead
03/12/23 22:08 r607GfFr
宗教、歴史、伝説、政治的な内容を記録できるほど複雑な文字体系
ではない。ましてや「超古代文字」であるはずもない。

野菜や家畜などは「絵」そのもので、これらは象形文字といって
いいだろう。しかし「原始的に見えるもの」が「原始時代から続く
もの」とは限らない。子どもが描く原始的な絵が、古代から続く
伝統ではないのと同じこと。

与那国以外では、八重山で用いられた記標文字も「カイダ文字」と
呼ばれる。こちらはさらに事務的な内容で、金銭、穀物の数量
などを屋号と共に板に記した。特に納税目的で用いられたもの。
かなり抽象的な記号であり、古代象形文字などではあり得ない。

宮古島、沖縄本島の「スーチューマ」もこれと同じで、文字の
内容は金銭、穀物の数量などだ。これらを「フェー板」と呼ばれる
木簡に記し、送り状や帳簿としていた。やはり事務を目的とした
文字だ。

この辺の研究はあまり進んでいないが、古代文字ではない
のは間違いない。ましてや「遺跡もどき」とは何の関係もない。
「遺跡派」のトバシに騙されないように。

以下、次回。

442:hammerhead
03/12/25 00:54 HjkYGReQ
(d)沖縄本島中部で見つかっている線刻石板
(14・15世紀以降のもの)

これも「遺跡もどき」とは時空的に何の関係もないが、
こちらも「謎の古代文字」として「遺跡派」に悪用され
やすいので、事実関係を述べておこう。

実はこの石板に関する研究はほとんど行われていない。

今だ謎の石板とされている。まともな研究がないまま、
今では木村氏をはじめとするトンデモさんばかりが注目し
取り上げるという情けない現状。琉球史研究者や
文字研究者はもう少し頑張ってほしい。

443:hammerhead
03/12/25 00:55 HjkYGReQ
<1>新田重清(1976)沖縄中頭郡発見の『線刻された石板片』に
ついて-沖縄県立博物館所蔵品を中心として-(南島史学会・編
『南島 その歴史と文化』国書刊行会)
<2>新田重清(1983)線刻石板(『沖縄大百科事典(中)』沖縄
タイムス社)
<3>木村政昭(1987)沖縄の線刻画 -ニライカナイ王国の崩壊?-
(沖縄文化 vol.24 no.1-1987年11月号)
<4>當間嗣一(1997)沖縄のロゼッタストーン(南山宏・編著
『海底のオーパーツ』二見書房)
<5>山形欣哉(1997)船か舟か、それとも・・・・・・(南山宏・編著
『海底のオーパーツ』二見書房)
<6>木村政昭(2000)『沖縄海底遺跡の謎 世界最古の巨石文明か?』
(第三文明社)
<7>木村政昭(2002)『海底宮殿 沈んだ琉球古陸と"失われたムー大陸"』
(実業之日本社)

<1><2>はまともな論考。
<4><5>は、収録本はトンデモ本だが、レポート自体はまとも。
木村氏の諸レポートも、後半の「解読」と称する「妄想」は
とても読めた代物ではないが、事実関係をおさえるだけならば、
まあ使える。

444:hammerhead
03/12/25 00:56 HjkYGReQ
まずきっちり訂正しておきたいのは、この線刻石板を
「沖縄のロゼッタ・ストーン」と呼ぶのはとんでもない
間違い。いったい誰が言いだしたのか知らないが、
ロゼッタ・ストーンがどういうものか全く理解していない。

ロゼッタ・ストーンは同一石碑にヒエログリフ、デモティック、
ギリシャ文字が併記されていたため、エジプト象形文字の
解読の重要な手がかりとなった、というのがその存在意義。

では、沖縄の線刻石板を見ると、そこに刻まれているのは
未解読の絵文字?のみ。他の文字が併記されているわけでは
ない。解読の手がかりは今のところない(木村氏の解読は
単なる妄想)。単に「未解読文字が記された石板」なら
世界中くさるほどある。

445:hammerhead
03/12/25 00:57 HjkYGReQ
線刻石板は1933年以来13点発見されている。発見地点は
沖縄中部西海岸(宜野湾、北谷、嘉手納、読谷)に集中
している。石板が発見されているのは、墓のそば、御嶽
(ウタキ、民間信仰の聖域)、グスク内の拝所、洞窟拝所など
からで、まず宗教的な遺物(奉納物?)とみて間違いない。

彫具は鉄器と推定されることや出土層から、14・15世紀
以降の遺物というのが有力見解(新田1976)。現状では
とても「古代文字」とはいえまい。「原始的に見える
もの」=「原始時代のもの」ではない。

ましてや時空的に遠く離れた与那国島の「海底遺跡」とは
何の関係もない。

446:hammerhead
03/12/25 00:57 HjkYGReQ
この中で、熊本県立博物館所蔵の石板(嘉手納町・野国総監の
墓付近で発見)だけは異質で、芽を出した芋?、鎌、鍬など
農業色が強い。豊作祈願・感謝を示す奉納物なのかもしれない。

他の石板には船や祠らしきものが主題として大きく描いてある。
「人」形をした祠?の屋根はインドネシア・トラジャ族の住宅
にも似ており、南方色を感じさせる。

14~16世紀に盛んであった交易と関係した奉納物であろう。
航海の安全祈願・無事帰還の感謝などを示す奉納物なのかも
しれない。


447:hammerhead
03/12/25 00:58 HjkYGReQ
数字らしきものが多く刻まれているが、これは前述の
「スーチューマ」や「カイダ文字」と一致するものが多い。
やはり人数あるいは物・金の数量(奉納物?)を表すものと
見たい。あるいは「屋号」も含んでいるかもしれない。

「++++++++」や「TTTTTT」といった刻印も多いが、これは
藁算(結縄数字)と見ることも可能。船に刻まれているのは
乗組員の数か?周囲に刻まれているのは御嶽の氏子構成員を
隣り組ごとに表しているのかもしれない。まあ、これも仮説だが、
今まで藁算の可能性を指摘した人はいないようなので、一応
提示しておく。

448:hammerhead
03/12/25 00:58 HjkYGReQ
時間の無駄だが、一応木村氏の「解読」にも触れておくと、
序盤の船や鳥についての考察は先人の解釈を参考にしているので
まあいい線いっているが、川崎真治を参考にしてシュメール
のエン・キ神が出てくるあたりから怪しげになり、
チャーチワード創作の「ナーカル文字」を参考にして
解読しはじめると、以降はもはやゴミ箱行きとなる。

それで出てきた結論が「神の怒りに触れて大変動が起き、
琉球が沈没した」というのだから話にならない。これは
解読でもなんでもなく、単なる自分の願望だろう。

449:hammerhead
03/12/25 00:59 HjkYGReQ
「記標文字(スーチューマ/カイダ文字)」の他に、
この線刻石板の解読のヒントになりそうなものが
もう一つある。

それはトキ/三世相<さんじんそう>/ムヌシリ<物知り>
(男性の卜占者/易者)が易断のテキストにしていた
「トキ双紙」に記されている「双紙文字」。

これも「スーチューマ/カイダ文字」と似て、抽象的な
記号が一部文字がわりに用いられている。

450:hammerhead
03/12/25 01:00 HjkYGReQ
「トキ双紙」は代々トキの家に伝えられてきたもの。
トキは専従者ではないし、学問のないものも多いので、
文字が読めなくとも易断の内容を判読できるように
「双紙文字」を使って内容を図示している。トキはただ
テキストに従って日の吉凶、夫婦の相性などを占うだけで、
ユタのようにシャーマン的な力は持っていない。

幸いにも「遺跡派」から「古代文字」としてまだ悪用されては
いないが、「双紙文字」は『遺老説伝』(1360年頃)や
『琉球神道記』(1608年)によれば「天人が伝えた文字」
とされる。こっちのほうが「超古代文字」としてでっちあげ
やすいぞ(w。

451:hammerhead
03/12/25 01:00 HjkYGReQ
トキ双紙は中国の易学書や平安中期の『金烏玉兎集』
(阿部晴明の著書)と一致する内容で、成立年代が
それ以降であるのは確実(三山時代か?)。
「超古代文書」などではないし、もちろん歴史・伝説
といった内容もない。

「双紙文字」の創作も「トキ双紙」成立以降である
可能性が高いが、よくわかっていない。『遺老説伝』
(1360年頃)のころにはすでにあったことは確実。
しかしそれがどれほど逆上るものかはいっさい不明。

その文字は「十干十二支」「五行」を表す記号が主だが、
数字、男・女・子、神、吉凶を表す記号(生花=富裕、
火鉢=貧乏、鋸=不和など)もある。


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