04/08/15 22:33 VFNW+ahQ
靖国神社は、たとえば、「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて日本もおしまいだよ」
と吐き捨てるように言って亡くなった関行男海軍大尉を祀った。
関大尉は神風特別攻撃隊「敷島隊」の指揮官、爆装ゼロ戦で米空母カリニン・ベイに体当りを試み、
太平洋戦史上はじめて命中に成功した名パイロットだが、フィリピンの基地を飛び立つ前日
現地にいた同盟通信社(共同通信社の前身)の小野田記者に彼はそう洩らした。
「やらせてくれるなら、体当りしなくても、五百キロの爆弾を敵の空母に命中させて帰ってきてみせるのだが。
……ぼくは明日、天皇陛下のためとか、大日本帝国のために征くのではない
最愛のKA(ケイエイ・妻を意味する海軍隠語)のために往くよ」
強いられた死を前に、関大尉と同じ思いを抱く若い人たちが大勢いたことは、
『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)や『世紀の遣書』(講談社)といった書物を読めば
だれにも判然とするはず。ちなみに敷島隊の成功を知った戦争指導者層は
ほかの部隊や陸軍航空隊にもこの安易でむごい攻撃法を押しつけ
ついに彼らは、若い人たちに生きながらにして爆弾になれ(桜花)、魚雷になれ(回天)と命令する。
こうして特攻戦死者の数は四千四百を越えたが、その命中率は、わずかの16.5%だった。