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全電源喪失の記憶 証言 福島第1原発
第4章 ② 爆発と衝撃「がれきの雨」
3月14日午前、福島第1原発2号機のタービン建屋内に復旧班の松本光弘(47)ら電気設備担当者がいた。
2日前の1号機原子炉建屋の爆発で、電源車と2号機低圧系配電盤を結ぶ電源ケーブルが傷つき、電源復旧作業が振り出しに戻ったため修復に来ていたのだ。
また現場に出て大丈夫なのかー。
松本は現場に出る前の免震重要棟内でのやりとりを思い出していた。
2,3号機の爆発を心配する松本らに、第1復旧班長の稲垣武之(47)は「悪いなりに状態は安定している。当面、大丈夫だと思う」と言っていた。
稲垣の説明を受けて、復旧班の池田公男(50)が松本たちに言った。
「頼む。行ってくれ」
松本が振り返る。
「1号機の爆発を見ただけに、本音を言えば行きたくない。だけど電源復旧作業って、できる人間が限られているんでね」
松本は建屋内で配電盤の絶縁抵抗を確認し終わり、免震棟に戻ろうと、同僚らと建屋のすぐ脇に止めた業務者に向かった。
車まであと10㍍…。
ズドォォォォォォン
重く大きな爆発音と、ものすごい衝撃に体が突き上げられた。
午前11時1分、3号機の原子炉建屋が爆発した。
1号機の爆発をは比較にならないほどの衝撃だった。
周囲は粉じんで何も見えない。
乗ろうとしていた車まで行くと、飛んできたコンクリートの塊で運転席の辺りが完全につぶれていた。
「ぞっとしました。もし乗り込んでいたら確実に死んでいたな、と」
この時、2号機タービン建屋と原子炉建屋をつなぐ通称「松の廊下」と呼ばれる1階の廊下では、
日立GEニュークリア・エナジー福島第1原発所長の河合秀郎(56)と日立プラントテクノロジーの富岡郁三(51)ら4人が、
懐中電灯の明かりを頼りにケーブルの接続作業をしていた。
真っ暗な建屋内に大きな爆発音が響いたのは、まさにケーブル端末を接続しようとしたその時だった。
「1号機が爆発して、もしかすると2号機、3号機でもその可能性があると思って作業をしていたんです。爆発音は、それはもう大きかったですよ」
と富岡は言う。
爆発音に続いて、天井の方から「ドカン」「ドカン」と衝撃音が何度も響いた。
いったい何の音だろうかー。
後で分かったことだが、3号機の爆発で飛び散った建屋の壁や天井が、コンクリート片となってタービン建屋内に降り注いでいたのだ。
ケーブル敷設は2度にわたる建屋の爆発でまた頓挫した。
河合は「敷いたケーブルはやられちゃったし、放射線量も高い。もうこれ以上、続けるのは無理だと思いました」と振り返った。