12/01/11 15:29:21.15 wyAjjN+D
桐山さんは単刀直入に「霊障のホトケ」に触れていませんが、
年季の入った小狡さはなんと上手に隠され主張している。 と前述しました。
阿含経にある異陰は次の生を意味していると批判側は、正しく解釈していました。
しかし桐山さんは常のごとく阿含経を正しく説明したように見せかけて、
次の文章では桐山説のオバケを上手に刷り込んでいますので比較してみます。
阿含経講義中巻422頁1行~3行目
「つまり、ここでの本来のお釈迦さまの説法では、慢(我執)を断ち切って
いないので、死んでこの陰(五種=人間を構成する要素)が無くなっても、
また新たな陰が慢とともに(慢によって)再び現われて、人間として生まれ
変わって輪廻を続ける、ということなのです。」
これは普通の解釈なのですが、それからの続きが桐山節を炸裂させます。