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420はメンバーがお粗末で決着したが、あの運動体を脱落派に取られたのは残念だった。寮自に限っても、低所得者層出身学生の日常的要求と取り組みつつ、三里塚、狭山と、政治決起も実現していた。
余談だが、当時の神大の授業料は日本一安かった。毎年、値上げ阻止闘争に勝利していたからだ。本当に解放派はとんでもない党派だった。
420も、ああなってしまったが、クラス入りなど綿密に行っていた。
むしろ全自が大衆運動をさぼったといえる。これは、当時の指導部が、俺にボソボソもらしたので、本音だろう。政治闘争が忙しく、日常的要求など力が入らないということか?
もちろん寮自の側にも、政治を負荷に受け止める傾向があった。党派に利用されているという感覚。しかし、自分たち自身、解放派の革命的学生運動の一環として寮自をやっているはずなのだ。
この矛盾はどこから来るのだろうか?
学生運動経験のある全ての諸君❗
どうか諸君がはじめて学生戦線に参加してきた時のことを、今頭に浮かべていただきたい!!今、その問題を述べようとしているのだ。
しかしまた、それは決して個人の問題のみではない。学生戦線の歴史的過程の問題である。