24/04/07 21:59:19.49 6KlfkhOp.net
当時は準タイトル戦扱いでしたが決勝は三番勝負だった王座戦
中原は1967年度から1977年度の11年間で10回、三番勝負を制しています
ですからこの王座10回をタイトルとしてプラスすることは割と妥当に思われます
実際に三番勝負の防衛戦を勝ち続けたからです
女流の倉敷藤花戦のようなものですか
同じように考えると、その中原から大山が王座を奪い
翌年は防衛して1980-1981年度は大山王座でした
ですから57-58歳の大山がこの時期に2タイトル追加します
中原時代の年不足2タイトルのうち1タイトルは王座戦を準用するのが良さそうです
残り1つ、1975年度から始まった棋王戦が
1960年代から1974年度まで存在したら、それを誰が取ったか
中原か大山か米長か加藤か
1970年代前半の数タイトルを割り振る必要があります