12/01/08 14:27:16.48 du6rqzKc
理想的な自分を認めて欲しいというシナリオ
誇大な点(つまり、事実やよくある因果関係に対して、水増しがなされる)
等身大の自分→理想の自分
自分のみの意見→他人にも同じように
期待(かなえられるとは限らない)→完璧主義的な期待(必ずかなえなくてはいけない)
↓
いろいろな要素のために、シナリオどおりにならない 期待≠実際の展開
あえて言う人が少ないだけでやれている人も少なくないとか、
意見の押しつけの部分に反発する人もいるとか、
賛同してくれている相手の反応が薄いために真意を読み取れないということまで、本当にいろいろ
↓
すべて他人が至らないせいにする 誇大型
すべて自分が至らないせいにする 潜在型
こういうことなのかなと思った
自己愛は、すべての事実に対して、いちいち評価的な解釈をつける癖がある気がする
それがないと落ち着かない感じ?
期待どおりにならないのは、ごく当然のことなんだけど、
つまり、脳みそ内=外界にならないのは、
脳みそ内も外界もどちらも、別の原理で動いていて、すごく「気まぐれ」だからなんだけど、
でも、脳内と外界が同期されていないという事実に気づくと、自己愛はバーストする
脳内≠外界であることが、ひどく醜悪なことであるという解釈をつけるように、
親などから刻み込まれているからなんだろうなと想像してる
脳内≠外界であること自体が、直接、自己愛の苦しみになってんのかな