19/11/26 08:31:23 6SJEjnC+0.net
確かにシュミレートすると猪木獲得は現実味はないんだけど、
71年末には日本プロレスと国際プロレスの2団体時代だったのが
10ヵ月で日本、国際、新日本、全日本の4団体となり、
観客動員、テレビ視聴率ともに低下したプロレス冬の時代。
1枚のチケットで済んだ日プロファンが3枚必要になったこの時期に
猪木は無理でもTBSに特別予算を依頼して、AWAとの提携路線による豪華外国人選手を
招聘して強力なカード編成を組み、一気に他3団体と勝負していたら
分裂でファンの信頼を失墜させた日本プロレス3派の隙をついて浮上できたかと
思うんだけどな。
あくまで個人的には、72年の日プロ分裂時が最初で最後のチャンスだったと思う。
吉原の金のかけどころの経営者判断は正しかったのか、見誤ったのか…?