24/03/25 17:13:45.93 CX8WjyE10.net
信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々が「関東防空大演習を嗤う」と題する社説を掲載したのは、終戦の12年前1933(昭和8)年8月11日のことだった
2日前に東京を中心に陸軍によって行われた関東地区の大規模な防空演習について、そもそもそんな事態になった時点で日本は敗戦を意味する、と書いている
「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」
帝都(東京)の上空に敵機が来襲して総動員で迎撃したところで、すべてを撃墜できるわけでもなく
そこから投下された爆弾は、木造家屋の多い東京を焼土と化し、関東大震災と同様の惨状を招く。
それよりも敵機の襲来を日本沿岸に迎え撃って、領土の上空に出現させるべきではない。
国民を巻き込んだ防空訓練こそ本末転倒で意味がない、と嗤って批判してみせた。
正鵠を得ていた。だがこの論説に当時の軍部は反発。
地元の在郷軍人会によって同紙の不買運動が引き起こされると、桐生は同社を追われ、真珠湾攻撃の3カ月前の41年9月に他界している。
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