【民団】<韓国人元BC級戦犯たち>名誉回復訴え60年余…日本政府は生あるうちに補償を[8/16]at NEWS4PLUS
【民団】<韓国人元BC級戦犯たち>名誉回復訴え60年余…日本政府は生あるうちに補償を[8/16] - 暇つぶし2ch1:ねこ名無し ★@\(^o^)/
17/08/16 12:15:44.41 CAP_USER.net
何のために、誰のために。これは第2次大戦中、南方のジャワ、マレー、タイなどで旧日本軍の連合国捕虜監視要員を務めたために解放後、捕虜虐待の罪に問われた韓国人元BC級戦犯129人共通の思いだったろう。
14人が死刑に、115人が有期・無期刑に処せられた。犠牲者はこれにとどまらない。戦犯に問われた衝撃や孤立無援のなか、精神を痛み、首つりや線路内に飛び込んだ例も。韓国国内の留守家族も親日派と指弾され、自死に追い込まれている。
生き残った同胞は韓国・朝鮮人BC級戦犯者・「同進会」(李鶴来会長、92)を結成し、60年以上も名誉回復を訴えている。
同進会の結成は1955年4月のこと。巣鴨刑務所(東京・豊島区)での刑期満了後も異国で孤立無援のなか、釈放拒否や自殺者が相次いだことから、釈放になった者どうし結束し、力強く生きていくことを誓い合った。
当面の目標は釈放後の生活安定だった。釈放後の受け入れ態勢の確保、処遇改善、刑死者の遺骨送還、謝罪と国家補償を求める要請運動に奔走した。当時の鳩山一郎首相を皮切りに石橋湛山、岸信介ら歴代首相の私邸前での座り込みも敢行した。
運動の結果、「とりあえずの措置」として仮設住宅や公営住宅への入居、生業資金(5万円)の貸し付け、さらにはわずかながら見舞金の給付を受けた。これだけが日本政府の見せたささやかな誠意だった。李会長は「これらの措置がもっと早く講じられていれば釈放拒否も自殺者も出なかっただろう」と悔やむ。
しかし、65年韓日会談が妥結すると、日本政府はその姿勢を豹変させた。「完全かつ最終的に、一括解決済み」として同進会の要請に一切耳を傾けようとしなくなったのだ。これに対して李会長は、「日韓会談では議論として扱われなかった。完全かつ最終的にという言葉は私たちには適用できないはず」と反論している。
著書に『キムはなぜ裁かれたのか‐朝鮮人BC級戦犯の軌跡』(朝日新聞出版)がある恵泉女学園大学名誉教授で「同進会を応援する会」代表を務める内海愛子さんは、
「日本政府が当面の措置を講じたことは事実だが、それは当事者の闘いや支援者たちの運動があって実現したものだ。政府は独立後、戦犯たちはすでに日本国籍がないと、援護措置から排除していった」と話す。
状況が進展しないなか、一時期は刑死者の遺骨送還運動に専念。82年暮れには刑死者と自殺者の遺骨を韓国の遺族に送還することができた。末送還で東京・目黒区の祐天寺に安置されている4体の遺骨は北韓出身だ。
83年以降も日本政府を相手取り名誉回復を訴えてきた。らちがあかず91年11月、条理に基づく謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。法廷で、戦犯に問われた因果関係や日本政府の不当処置を訴えた。
8年余りの裁判闘争は、歴史的な事実関係は認定しながらも、戦争ならば国民がその命を犠牲にして当然という「戦争犠牲者受任論」と「日本人戦犯との格差は立法裁量の問題」という理由で棄却となった。唯一の救いは高裁・最高裁が立法措置が講じられていない現状に理解を示し、国会に早期の立法措置を促したことだった。
「犠牲を強いられた者として一言の謝罪もなし、補償もしようとしないのは理不尽、とうてい容認できない」。原告たちは再び国会での立法を求める運動に立ち向かっていった。
内海名誉教授は「李さんたちはお金が目的ではない。一言、首相の口から謝罪の言葉が聞きたかったのだと思う。それは『ぼろ雑巾』のように使い捨てられた者の尊厳をかけた闘いでもあった。補償は謝罪の象徴として求めているので、極端なことを言えば1円でもよかった」と指摘する。
韓国政府からは06年に「BC級戦犯問題は強制動員の被害者である」との認定が下された。国内では「親日派問題も理解に苦しむのに、朝鮮人戦犯問題となると、それは同情や理解の範囲を超える『確信犯』としてのイメージが社会的に強く刻まれている」(李泳采恵泉女学園大学教員)だけに画期的だったといえる。
URLリンク(www.mindan.org)
>>2以降に続く)


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