13/05/28 01:38:32.39
■ 「皇太子への憂鬱」から抜粋 7 (皇太子時代の明仁親王のこと)
オーストラリア・ニュージーランド旅行をした皇太子(明仁)夫妻に同行した記者が、
憂鬱なる土産話をしてくれた。
皇太子(明仁)に関する記事はウェリントンでは大きく報道されたものの、概して現地の新聞報道は小さかった。
なにしろ、この前皇室外交の老舗、英国の エジンバラ公 が来たとき、ロールスロイスで市内見物を
している途中で急に、「 ちょっととめてくれ。あの市電に乗りたい 」 といい、市電に飛びのって
市民と笑い合ったそうだ。
これはあきらかに演出であろうが、そういう演出をする知恵と勇気に、新聞は大きく報道をした。
その前例があるだけに、日本国皇太子(明仁)はいかにも書きようがない。
ある日オーストラリアの記者が皇太子(明仁)をさし、「 彼に趣味はないのかね 」
日本人記者が 「 いやテニスと乗馬は結構やるよ 」 と答えたら
「 おう、わが国は乗馬の国だ。テニスはデビスカップのチャンピオンがいる。うちのチャンピオンとやろうじゃないか 」
記者たちは皇太子(明仁)にその事を進言し 「 やれやれ 」 とけしかけた。
やれば一面トップ記事になる。
もちろん負けることは分かっているが、「 汗を流してやった 」 若さと意気を感じるだろう。
記者たちは 「 今日は・・・明日は… 」 と期待していたが、皇太子(明仁)は
「 遊びに来たのではない 」 と答えた。
皇太子(明仁)のこういう律義さと頑固さはときにはマイナスである。
皇太子(明仁)が 「 存在そのものが公人 」 であることの特権を受けるならば、反面の
“ ノブレス・オブリジ ” も果たさねばならぬだろう。