中世~近世の地中海世界at WHIS
中世~近世の地中海世界 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
10/12/31 20:18:34 0
>カタルーニャ地中海帝国

アラゴン王国のことか

3:世界@名無史さん
10/12/31 20:24:08 0
カタルーニャ・アラゴン連合王国

4:世界@名無史さん
10/12/31 20:27:19 0
地中海の島

東部: キプロス、ロードス島、クレタ
中部: シチリア、マルタ、サルデーニャ、コルシカ
西部: バレアレス諸島

5:世界@名無史さん
10/12/31 20:32:08 0
ヤルムークの戦い~ユスティニアヌス2世までのビザンツ帝国は
ほとんど海上帝国だな

ヘラクレイオス朝自体が海軍で帝位を奪ったっていうのもあるんだろうが
海軍の力が無ければ、後のマケドニア朝の復興もあり得なかったかもしれん

6:世界@名無史さん
10/12/31 20:41:08 0
パレスティナ、シリア、メソポタミア、エジプトが陥落した後も、ビザンツ海軍が
制海権を保持していたので、シリア総督ムアーウィヤは海上からの攻撃や掠奪に
対抗しようとして、648年、イエメン系、オマーン系、シリア系のアラブ人や
コプト派キリスト教徒のエジプト人(おおむねギリシア人)の船員や船大工の
助けを借りて、海軍を建設した。提督や艦長、海兵はアラブ人だったが、船員や
漕ぎ手はシリア系のアラブ人やギリシア人だった。


7:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/31 20:50:02 0
ビザンツ帝国は基本的に海軍が強いね。国力が、
衰えてる時代でも、沿岸部だけは保持してるし。

8:世界@名無史さん
10/12/31 21:09:24 0
ニケフォロス2世は、961年にはクレタ島を奪回し、それによって東地中海は
再びビザンツの海となった。
翌年には、シリアのアレッポを占領する。キプロス島は、イスラームとの
共同統治となっていたが、965年にビザンツの単独領となる。969年には、
遂にハムダーン朝の首都アンティオキアを落とす。

一度落ち目になってもまた盛り返すのがビザンツ史の面白いところ。

9:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/31 21:42:59 0
>>8
実際、ビザンツ帝国は何度か浮き沈みを繰り返してるね。
やはりマケドニア朝時代はビザンツ帝国の全盛期と言えるね。

10:世界@名無史さん
11/01/01 00:14:55 0
ヘラクレイオス1世がペルシャ戦役に勝利を収めたのも海軍の力が大きい
たしかにビザンツは海軍が強い

ビザンツ帝国の生命線は海軍という目線で行くと
アレクシオス1世の政策は致命的ではあったんだよなー

コムネノス朝は一時的な復興を遂げているから
無能どころか優秀ではあるんだけど

11:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/01 00:24:22 0
>>10
アレクシオス1世自身はそれなりに優秀な皇帝なんだけど、
十字軍やヴェネツィアなど、手放しで誉められない政策が、
あったのも事実なんだよなぁ。まぁ、普通に名君だと思うけど。

12:世界@名無史さん
11/01/01 10:38:15 0
ヴァネツィアは、ビザンツの勢力下にあった東地中海で比較的安定した
商業活動を展開することができたが、コルシカ、サルデーニャ、バレアレス諸島の
イスラーム背う力との対決の中で商業圏を拡大したジェノヴァ、ピサ、
バルセロナなどの商人は、まさに「海の狼」だった。

ボッカッチョの『デカメロン』の中にも、破産の瀬戸際に立ち至った商人が、
海賊として損害を取り戻そうとする話が出てくる。


13:12
11/01/01 10:39:21 0
×イスラーム背う力→イスラーム勢力

14:世界@名無史さん
11/01/01 21:21:24 O
>>11
アレクシオスや次代のヨハネスは優秀だが
その次のマヌエルはどうかな
セルビアのネマーニャを屈服させたのは評価できるけど
そもそも皇位継承がかなり怪しいし
日和見的政策で同盟友好国の神聖ローマ、ヴェネツィアを裏切り恨みを食い
第4回十字軍の遠因をつくった

15:世界@名無史さん
11/01/02 09:21:18 0
ユスティニアヌスのローマ帝国再興はまだ国力のある時代だからよかったんだろうな。
マヌエルの時代だと、もはやイタリア諸都市との関係を完全に絶つのは無理になっていたし、
ローマ帝国の栄光の再現よりも、「東方の大国」としての地位を維持するほうが
よかっただろう。

ただ、プライドばかり高くて実体がともなっていない、あるいは短期間で滅亡した
国家が歴史上多いのに対し、ビザンツは一千年間も長生きしたのがスゴイ。


16:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/02 18:13:44 0
>>14
マヌエル1世は確かにせっかく再興してたビザンツ帝国を、
再び衰退させてしまったという面はあるね。第4回十字軍の、
遠因まで作ってるし。失敗したユスティニアヌス1世って感じだ。

17:世界@名無史さん
11/01/02 18:26:30 0
ヴェネツィアというと香料貿易、東方貿易を連想する人が多いけれども、初期の
貧しかった時代のヴェネツィアは、塩や魚をイタリアの内陸部に持っていって
売っていたわけで。

ヴェネツィアが本格的に地中海交易に進出してくるのは9世紀以降。
アレクサンドリアから聖マルコの以外を持って帰ったりしていたころ。

まさかこの国が第4回十字軍でビザンツ帝国を滅ぼすとは誰も予想していなかっただろうw


18:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/02 20:04:48 0
>>17
ヴェネツィアの繁栄の一因はビザンツ帝国にもあるんだよね。
ビザンツ帝国はヴェネツィアに対して優遇政策を行なってたし、
また、彼らが繁栄するきっかけの1つにもなった十字軍だって、
ビザンツ帝国が招いたものだし。そうしたヴェネツィアの勢力拡大の、
結果が第4回十字軍だと思うと皮肉と言うべきか自業自得と言うべきか。

19:世界@名無史さん
11/01/03 12:10:54 0
十字軍の時代にも、キリスト教徒(主としてイタリア商人)とムスリムの交易が
完全になくなることはなかったなあ。

アイユーブ朝時代には、イタリア商人は自由にエジプト国内を旅行できた。
マムルーク朝の前半バフリ時代には、デルタ地帯にしか住むことを許されなかった。
第七回十字軍ではフランス王ルイ9世がカイロを攻撃しようとしたので、イタリア商人たちは
アレクサンドリアから追放された。しかし、ヴェネツィア人は1254年にスルタンと
協定を結んで、貿易を再開している。
そして、1345年には、教皇の許可のもとに、有利な通商協定を結び、紅海からの
香料を買い付けて、ヨーロッパで独占販売するようになり、非常な利益を上げた。


20:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/03 12:22:49 0
>>19
むしろイタリアの諸国は十字軍をきっかけにより活発に、
地中海交易に乗り出したから、ムスリムとキリスト教徒との、
交易も逆に活発になってるんじゃいかな。マムルーク朝や、
ヴェネツィアなんかを見てると、余計にそのように思えてくる。

21:世界@名無史さん
11/01/03 16:20:39 0
イタリア商人たちは、造船・造兵のための物資、たとえば木材、銅、
ピッチなどを、イェルサレム王国経由で堂々とエジプト売り込んでいたね。
これらの物資はエジプトでは産出されなかったから。

22:世界@名無史さん
11/01/03 17:34:59 0
十字軍国家って女王とか女性君主が多いような気がするんだけど何でだろ

23:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/03 18:07:47 0
>>21
当時エジプトを支配してたマムルーク朝は紅海やレヴァントを、
経由する交易によって利益を上げてた訳だしね。この時代の、
地中海交易は基本的には右肩上がりだったんじゃないかな。

24:世界@名無史さん
11/01/04 10:54:05 0
>>22
シビーユの場合、ギー・ド・リュジニャンとの共同統治という形だったけどね。
イサベル1世も、夫のエメリーが女王の配偶者として、エルサレム王も兼ねた。
臨戦態勢にある国家だから、男性の後ろ盾がない状態では厳しそう。

>>23
12世紀ごろになると、ヨーロッパの毛織物がレヴァントや西アフリカに輸出
されるようになったね。

25:世界@名無史さん
11/01/07 22:31:49 0
近世の地中海世界って後進地域に堕ちた頃だよな。

でも、中世のイタリア中心とした地中海世界ってあまりにもスポットライトが当たりすぎて
お立ち台ギャルみたいな卑しさがあるから、近世の方が落ち着いてていいな。


26:世界@名無史さん
11/01/08 00:42:45 0
>>24
そういう地域であえて女王の王権を保証するってのは何故なんだろうな
女に剣が振れるか、と下克上起こっても不思議じゃないのに

27:世界@名無史さん
11/01/09 12:15:33 0
エルサレム王という称号が魅力的過ぎるからじゃね?
無理やりにでも血統原理導入しないと奪い合いになるから、とか

28:世界@名無史さん
11/01/09 15:35:46 0
>>25
文化面だとバロックの全盛期だよね。


29:世界@名無史さん
11/01/09 16:13:20 0
十字軍国家って、どうしても満洲国とイメージがかぶっちゃうんだよな。

異民族に対する知識も配慮も欠けた田舎者たちが強引に軍事力で国を作ったものの、
しょせんは長続きせず、悲惨な結果に終わった。

30:世界@名無史さん
11/01/10 23:35:37 0
第一回で出来た四国はまだ空気読んでただろ
周辺国の住人や先住者と通婚したりしてたし
リチャード獅子心王とかは最高に空気読まない男だったが

31:世界@名無史さん
11/01/15 14:57:11 0
新参者と中東生まれで意識の違いでギスギスしてたらしいな
ボードワン2世とその娘の確執とか
サラディンの抹殺リストに載っちゃったあのお方とか

十字軍国家の分岐点になったのは、アモーリー1世のエジプト征服失敗だろうなー
あれに成功していたらどうなっていたのか分からない

32:世界@名無史さん
11/01/23 16:09:50 0
アモーリー1世の時代、ファーティマ朝はダルガムとシャウエルという二つの派閥が
交互に相手を首都や国土から追放し合って、弱い陣営は本来ファーティマ朝の
敵であるはずのダマスカスのスルタンや、イェルサレム王を味方に引き入れようとした。

この時期のイスラーム側の分裂っぷりは目も当てられんな。
まあ、現在の中東もアメリカやイスラエルを敵視しながら一致団結できないんだけど。


33:世界@名無史さん
11/01/23 21:58:35 0
フリードリヒ1世って沐浴中に溺死したマヌケなイメージ何だが
軍事面ではわりと成果出してたんでしょ?

34:世界@名無史さん
11/01/24 09:34:34 0
>>33
1190年、イコニウムの戦いでアイユーブ朝軍を打ち破った。

35:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/24 16:59:32 0
>>33
フリードリヒ1世は暗殺されたという説もあるからね。信憑性がどれくらい、
あるかは知らないけど。もしそうだとしたら、軍事的優秀さがその原因かな?

36:世界@名無史さん
11/01/24 18:07:48 P
宴会中に床が抜け、水槽へ落ちて溺死したのは誰だっけ?

37:世界@名無史さん
11/01/24 18:08:46 0
年くって過酷な長期遠征
どうせ沐浴中に心臓発作か脳卒中で死んだんじゃね

38:世界@名無史さん
11/01/24 20:14:22 0
>>31
>十字軍国家の分岐点になったのは、アモーリー1世のエジプト征服失敗だろうなー
>あれに成功していたらどうなっていたのか分からない

サラディンが十字軍との戦いを続行できたのは、エジプト・シリアの政治的な
統一に加えて、エジプトの富を十分に活用することができたからだそうで。
エジプト経済の基礎は農業にあったが、とくに砂糖は、他のイスラーム諸国や
ヨーロッパ向けの重要な輸出商品だった。


39:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/24 20:19:14 0
>>38
サラディンがエジプト・シリアの領有に成功したのは結構偶然的な、
要素も強いからなぁ。都合よくシールクーフやヌールッディーンが、
そのタイミングで死んでなかったらどうなってたか分からないからね。

40:世界@名無史さん
11/01/26 20:47:30 0
第四回十字軍だけどさ、ビザンツ帝国をいったん滅亡させてしまったけど、
ビザンツは西欧にとってイスラーム勢力に対する防壁の役割を果たしていたのにな。

ビザンツの亡命皇子アレクシオスが訪ねてきて、帝位獲得の助力を願い出たりしなければ・・・


41:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/26 21:35:00 0
>>40
>ビザンツは西欧にとってイスラーム勢力に対する防壁の役割を果たしていたのにな。
なるほど、そう考えると第4回十字軍は長期的な視野で見るとビザンツ帝国の弱体化を、
促進させた事により、イスラーム勢力(≒オスマン帝国)のヨーロッパ進出を招いたと言えるのか。
そう考えると西欧勢力は自分たちで自分の首を絞めたと言えなくもないのかな?

42: ◆axCVsGomao
11/01/26 21:40:09 0
>>41
それは常識でしょ
ヴェネチアが悪いんだけどね

43:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/26 21:45:33 0
>>42
まぁ、結果的にヴェネツィアはオスマン帝国の台頭と共に衰退したしね。
まぁ、第4回十字軍はビザンツ帝国の自爆っていう感じもするけどね。

44: ◆axCVsGomao
11/01/26 21:47:59 0
ヴェネチアがオスマン帝国の台頭と主に衰退?
オスマン帝国は関係ない

45:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/26 21:57:36 0
>>44
いやいやいや、時期的には大体そこら辺だよ。ヴェネツィアの衰退は確かに、
ヴェネツィアの自滅も多少はあるけどオスマン帝国との争いも関係してるよ。
地中海(特にエーゲ海)の島々を次々とオスマン帝国に奪われてたしね。

46:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/26 22:10:00 0
あぁ、でも衰退は言い過ぎたかも知れないなぁ。15世紀から16世紀前半くらいじゃ、
ヴェネツィアもまだまだ大国ではあったから。ただオスマン帝国の台頭がヴェネツィアの、
脅威となったのは確かだよ。そういう意味では自分で自分の首を絞めたと言えなくもない。

47:世界@名無史さん
11/01/27 08:55:41 0
西欧人にしてみれば、中央ユーラシアからアナトリアにやってきた遊牧民が、
あれだけの大帝国を築くとは予測できなかっただろうな。

おまけに、オスマン朝は一度ティムール朝にコテンパンにやられて、消滅寸前の
状況に追い込まれたことがあるし。

48:世界@名無史さん
11/01/27 13:41:18 0
それ以前に西欧には実力を持った国家が全く存在してなかったからな

49:世界@名無史さん
11/01/28 12:40:26 0
十字軍の原因って、単なる宗教的熱狂だけではないよね。
社会的安定、農業技術の発達などの要因もあり、当時のヨーロッパは人口爆発が起こり、
都市化も進んでいた。
都市化は人間の移動をもたらす。
それまで人々は生まれた土地で死ぬのが普通だったのに、移動・移住が特別の
ことではなくなった。
長子による一子相続が普通だったため、部屋住みの騎士たちは職を探していた。
しかもそれまでキリスト教世界の防衛に必要不可欠だった兵力は、ヴァイキングや
マジャール人のキリスト教改宗で必要性が薄れた。
セルジューク朝に販路を阻まれた商人たちもまた新しいビジネス・チャンスを
東方に求めていた。
こうした宗教的・非宗教的雰囲気を一つにまとめ上げたのが教皇ウルバヌス2世。



50:世界@名無史さん
11/01/28 13:13:18 0
>>48
アッバース崩壊後のイスラムも微妙なのばっかだろ


51:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 16:31:23 0
>>49
まぁ、宗教的熱狂とは関係なしに十字軍に参加したのも結構いるしね。ヴェネツィアなどの、
イタリアの諸都市は十字軍のことを、ビジネスチャンスみたいに思ってた感じもするからね。

>>50
セルジューク朝やマムルーク朝はそれなりに大国だったと思うけど、
確かにそれ以外は微妙だね。西欧に比べたら先進的だったろうけど。

52:世界@名無史さん
11/01/28 18:24:50 P
>>50
アッバース朝と比べると微妙なだけで
西欧諸国と比較すればビザンツ、セルジューク朝、マムルーク帝国と
ついでにシチリア王国も先進的で強大だけどな


53:世界@名無史さん
11/01/28 19:19:11 0
お前いつもの西欧アンチだろ
シチリア王国とビザンツ王国が巨大ってw
少なくとも十字軍時代には中東は人口減少でヨーロッパより人口が少ないがな
セルジュークは領域は巨大でも人口はフランス一国にも劣る
まぁそういうとまとまりがどうこうケチつけてくるんだろうが、マムルークはともかくセルジュークは全然まとまりがない





54:世界@名無史さん
11/01/28 19:24:48 P
セルジュークでまとまりが無いなら
フランスはそもそも国の程を為してない
というか実際西欧諸国が統一された国家になるのは数世紀先の出来事

何の史料も残せない地域の推計人口が多くても
実際に学問や産業、交易、文化の面で優っていたのはイスラム国家やビザンツの王朝

55:世界@名無史さん
11/01/28 19:26:26 0
戦績に関しても
北アフリカ・イベリアで無双状態だったムワッヒド朝は12万の大軍でイベリア小国連合にナバス・トロサでほぼ壊滅
サラディンは一度もリチャードに勝てず、2代目のアル・アーディンは第5回十字軍にディムヤート陥落でショック死
セルジューク朝はイコニウムでフリードリヒ1世に負け、イスラム諸国に大国があったことは認めるが西欧勢に実力なしとはどういうことだ
オツガイ氏は比較的客観的だからいいがお前はいつも偏ってんな

56:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 19:26:41 0
>>53
人口はどうだか知らないけど、学問や文化や技術などは西欧より、
イスラーム圏やビザンツ帝国のほうが先進的だったと思うけど。
西欧アンチのつもりはないけど、当時の西欧が後進地域だったのは事実だよ。

57:世界@名無史さん
11/01/28 19:28:39 0
ぷっw
11世紀以降は史料ありすぎ状態なんだが
田舎の日記や裁判記録も残ってるわ
それとセルジュークは西欧と同じでかなり封建的な国家だ
ほとんどバラバラ状態だよ

58:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 19:29:07 0
>>55
まぁ、西欧に実力がないというのは言いすぎだね。十字軍の時代の西欧は、
発展しかけてる時期だしね。まぁ、第2回や第5回では普通に負けてるけど。

59:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 19:30:56 0
>>57
あの時代のイスラーム圏は各都市の文化レベルは高いけどその分まとまりに、
欠けてたからね。先進的だったけど都市国家が分裂してたイタリアみたいなものだ。

60:世界@名無史さん
11/01/28 19:35:07 0
(アンダルスのウマイヤ朝とファーティマ朝が思い出して欲しそうにしている)

61:世界@名無史さん
11/01/28 20:02:39 0
>>60
アンダルスのウマイヤ朝とファーティマ朝は、文化レベルは高いけど、
セルジューク朝、マムルーク朝、オスマン朝のような“尚武の民”という
イメージはないよね。

スレ違いだが、なぜ日本では「フランス=戦争に弱い国」というイメージが
持たれているんだろうか。
中世~ナポレオン戦争時代のフランスは軍事強国だと思うんだが。
十字軍もフランス、フランドル系の勢力が中心だし。

62:世界@名無史さん
11/01/28 20:06:07 0
アイユーブ・マムルークは国土の半分近くが国家所有でイクターが少なかったとか
だからセルジュークに比べればずっと中央集権的
西欧でもイギリスはヒエラルキー体制がほぼ完璧に機能しててかなり中央集権的だった
>>61
ファーティマ朝は建国期はかなり尚武だと思うけど
フランスは第二次大戦のイメージが強いんだろうね
イギリスは中世の時フランスの4分の一以下の人口だったけど軍事力はかなりのもの
王権が強くてまとまりがよかったんだと思われる


63:世界@名無史さん
11/01/28 20:32:03 0
>>55
戦績に関しても、じゃなく、戦績に関しては、が正しいけどね
ビザンツは初期のイスラム教団に対して常に劣勢で、ブルガールやスラブ人にも度々侵略を受けたし
中国の南北朝時代も軍事面では一貫して北朝が押していたが
どちらが学問や技術や行政組織や文化面で優れていたかと言えば、ビザンツや南朝の側

64:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 20:32:41 0
>>61
確かに後ウマイヤ朝(というかアンダルス)は文化人エリートの国ってイメージだなぁ。
その後のムラービト朝やムワッヒド朝と比べると余計にそのイメージが際立ってしまう。
ファーティマ朝は>>62と同じで初期の頃はシーア派の軍事国家というイメージだけど。

65:世界@名無史さん
11/01/28 20:56:30 0
イギリスとシチリア王国はどちらもノルマン征服王朝だから
体制的にも共通してるものがあるとマルク・ブロックの封建社会に書いてあったな
従来の地主を軒並み排除して王権が強い体制を築けた

66:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 21:01:46 0
>>65
その論法だと、キエフ・ルーシも体制的に似てるんだろうか?
一応、ノルマン人による征服という点では共通してると思うけど。

67:世界@名無史さん
11/01/28 21:12:45 0
その後がっつりモンゴル領の時代が続いたから似てないでしょ

68:世界@名無史さん
11/01/28 21:16:12 0
>>66はキエフ・ルーシと言ってるからモンゴル侵攻前だが

69:世界@名無史さん
11/01/28 21:17:57 0
キエフ・ルーシはスウェーデンだし伝説の領域だからね
シチリアとイギリスはどちらもノルマンディー公国出身者に征服された

70:世界@名無史さん
11/01/28 21:22:58 0
>>65
ノルマン・シチリア王国でキリスト教徒とイスラム教徒が共存できたのも、
国王がその強大な力で、イスラム教徒を保護していたからなんだよな。



71:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/28 21:41:42 0
>>69
まぁ、確かにキエフ・ルーシはシチリアやイングランドとは違って、
伝説的要素が強いからなぁ。そういう意味では少し違うかもね。

>>70
シチリアは当時のヨーロッパでは珍しくかなり多民族で国際的な国だったからね。
フリードリヒ2世(神聖ローマ皇帝のほう)があんな性格なのもシチリア育ちだからだし。

72:世界@名無史さん
11/01/29 11:26:26 0
十字軍統治下のエルサレム王国は、当初、住民不足に悩んでいた。
ムスリムとユダヤ人は殺されたり追放されたりして姿を消していたし、彼らを
エルサレムに戻すことは十字軍の精神そのものに反する。
多くの騎士たちが征服直後に帰国したため、町は空き家だらけになり、兵力は
数百にまで減少してしまった。
イタリア諸都市の商人たちを勧誘しようとしたが、彼らは交易に便利な海岸地方にとどまった。
1120年に三代目国王のボードワン2世が経済の自由化政策を打ち出し、ムスリム、
ユダヤ人などの交易も許可した結果、人口は持ち直し、1160年には三万人になったという。


73:世界@名無史さん
11/01/30 11:02:58 0
>>62
ファーティマ朝は、もともと北アフリカのイフリーキヤで興ったんだよな。
文化レベルが高くなったのは、カイロに移った後かな?

74:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/30 12:01:42 0
>>73
ファーティマ朝はエジプト征服後から文化的になったね。
イブン・ハルドゥーンが述べた通りだ。アル=アズハル大学を作ったりしてるし。

75:世界@名無史さん
11/01/30 12:47:11 0
塩野七生『十字軍物語1』(新潮社)を読んでみた。

皇帝も王も参戦していなかった第一次十字軍の主人公たちは、ヨーロッパ各地に
領土をもつ諸侯たちであった。彼らは、ときに、いやしばしば、利己的で
仲間割れをくり返したが、最終目標の前には常に団結した。この点が、
利己的で仲間割れすることでは同じだった、イスラム側の領主たちとの
ちがいであった。そして、それこそが、第一次十字軍が成功した主因なのである。

だそうでつ。


76:世界@名無史さん
11/01/30 13:48:16 0
シチリア島とかサルデーニャ島って固有の王家がなかったのに、
なんで「王国」扱いだったんだろう?

ナポリとペアだったシチリアはまだしも、サルデーニャなんて、
独立王国の実態なんてなかったような。

77:世界@名無史さん
11/01/30 15:53:51 0
>>76
サルデーニャ島を事実上支配ししていた連中(giudiceと呼ばれた)の中には、
神聖ローマ皇帝から「サルデーニャ王」の称号をもらったものがいたから。

URLリンク(messages.yahoo.co.jp)
サルディニアのエレオノーラ・ダルボレア

78:世界@名無史さん
11/01/30 21:15:19 O
1241年夏にオーストリアのノイシュタット城に帝国・シチリア連合軍率い後詰めして
モンゴル軍を撃退したフリードリヒ2世の庶子エンツォがサルディニア王の称号もらってるね
実質支配してたかどうかは疑わしい

フリードリヒ2世の他の息子
コンラートはエルサレム王
フリードリヒはアンティオキア候
だが、どちらも実質支配はしていない

79:世界@名無史さん
11/01/30 22:08:04 0
URLリンク(www.japanconsulting.it)
サルデーニャ島の歴史 - ジュディカート時代

ここを読むと、当時はピサとジェノヴァの支配下にあったようだな。

80:世界@名無史さん
11/01/30 22:42:58 0
>>75
専用スレか趣味板でやれ

81:世界@名無史さん
11/01/30 23:23:48 0
>>26
戦争上等で男の戦死が常にありえるから女王蜂が必要なんじゃないの?

82:世界@名無史さん
11/01/31 00:40:00 O
しかし
最盛期のスレイマン大帝時代のオスマンの大軍からよくちっぽけなマルタを守りきったもんだ

83:世界@名無史さん
11/01/31 02:03:43 0
ちっぽけと言ったって、強化されたスペイン王国の最前線なんだから

84:世界@名無史さん
11/01/31 19:15:12 0
あの時代のスペインは、やっぱキリスト教世界を守らねばという使命感に
燃えていたのか?


85:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/31 19:31:20 0
>>84
そりゃ、そういう使命感は当然あったでしょ。レコンキスタ後のスペインは、
それなりに宗教的熱意高かったと思うし。異端審問やアメリカ征服など。
まぁ、宗教的熱意だけが理由って訳ではないだろうけどさ。

86:世界@名無史さん
11/01/31 19:38:37 0
>>84
カトリック世界な、異端は異教徒と同じく敵

87:世界@名無史さん
11/01/31 20:36:25 0
でも1536年以降、フランスはオスマン帝国と同盟を結んでいて、オスマン艦隊は
トゥーロンに停泊していた。

カトリック世界といっても決して一枚岩ではなかった罠。

88:世界@名無史さん
11/01/31 21:01:15 O
フランスもチェリニョーラ、ガリリャーノ、パヴィアとスペインに対し惨敗続き

オスマンもウィーンが征服限界点だと露呈してしまったし

89:世界@名無史さん
11/01/31 22:11:01 0
スペインは反乱を起こしたドイツのプロテスタント諸侯を何度も鎮圧してるからな
最後はごっそりぶち殺して決着つけたけど

90:世界@名無史さん
11/02/01 01:52:53 O
ドイツの対新教徒の場合はスペインというより皇帝という立場だ
対ネーデルラント新教徒となるとスペインの立場だからややっこしい

91:世界@名無史さん
11/02/01 02:19:38 0
ブルゴーニュは新教徒というより野心家が反乱起こす名目に宗教掲げただけだろ

92:世界@名無史さん
11/02/01 02:39:36 0
反乱起こしたいだけなら別に宗教掲げる必要なんかないけどな


93:世界@名無史さん
11/02/01 03:14:47 0
鎮圧されてもいいならそうかもな

94:世界@名無史さん
11/02/01 03:22:26 0
ていうかこいつ独立革命の経過知ってんのか?
はじめっから独立望んでたわけじゃないし、結果的にそうなっただけなんだが
なんか刺激的なこと言って俺かっこいいと思ってんのかね


95:世界@名無史さん
11/02/01 03:31:52 0
そっちこそ経緯知らないだろ
低地諸国の領主連中が分離独立を画策してたのを結果的にとか意味が解らない

96:世界@名無史さん
11/02/01 03:33:17 0
分離独立を画策する前から宗教改革は進んでいたんだが


97:世界@名無史さん
11/02/01 03:34:51 0
それに初期の頃は自治権の拡大と宗教の自由を求めただけだろ
鎮圧されないために宗教を掲げるってもの変な論理だわ


98:世界@名無史さん
11/02/01 10:17:05 0
そもそもネーデルラントでカルヴァン派民衆と連動して反乱の指揮をとったのは、
既得権を守るためにフェリペ2世の目指す中央集権化に抵抗した大貴族層であって、
彼らのプロテスタント支持も、往々にして民衆の支持を得るための便法にすぎなかった。

本来はまったく異なる基盤と利害を持つ大貴族とカルヴァン派民衆を反スペインの
共同戦線に駆り立てたのは、反乱鎮圧のためにフェリペ2世が派遣したアルバ公が、
無理矢理導入を図った「10分の1税」だった。

99:世界@名無史さん
11/02/01 10:22:02 0
そういう傾向があったのはわかってるが何の反論にもなってないな
貴族層でもカール5世の時代に改宗して迫害されてるのも既にいたし
91の文意だと反乱起こしてからプロテスタントになったみたいに読めるぞ


100:世界@名無史さん
11/02/01 10:26:54 0
さらにいうとネーデルラントの場合、民衆は民衆でもブルジョワがカルバン派を支持したのも大きいな
当時としては異常にブルジョワ比率が高い地域だったしね

101:世界@名無史さん
11/02/01 19:15:19 0
>>99
まともな読解力があれば読まないと思うけど
ふつうは封建領主が反乱の便宜に異端を掲げた、という意味に理解してくれるかと

102:世界@名無史さん
11/02/01 21:32:04 O
スペインは16世紀後半に王室国庫が債務超過で破綻したから
ネーデルラントやミラノのスペイン支配下地域に重税を課した
しかも傭兵への賃金未払いで
ネーデルラントに駐留していたスペイン軍はアントヴェルペンを軍税方式で掠奪破壊した
アントヴェルペンは没落し
そこを中継取引所として繁栄していた南ドイツの商業都市も煽りを受けて没落

重商主義的政策を望むネーデルラントの商業貴族がそれを見て
前時代の封建的な王室利益優先政策を取るスペインに反発するのは目に見えている
宗教が絡まなくともいずれ引き起こるのが必至の対立

103:世界@名無史さん
11/02/01 22:05:39 0
宗教も大きいよ
異端審問所立ててゴリゴリに迫害したから
ネーデルラントの人間の神経を逆撫でした
つまり原因は一つじゃない
反乱なんてのは一つの要因じゃそんなに大きくならないしね

104:世界@名無史さん
11/02/01 22:07:50 0
重税重税いうけどスペインやイタリアと同程度の税負担だからね
カール5世の即位早々蜂起したスペインと違って
前任のマリアが統治してたときは特に反乱起きてないし

105:世界@名無史さん
11/02/01 22:15:34 0
>>103
フランダース低地諸国やドイツではスペインやイタリアと違って異端審問所をほとんど設けてないよ
宗教会議も常に玉虫色、スペインに反乱起こしながら同じカトリックのフランス王に服属する条件で援軍要請してるし

106:世界@名無史さん
11/02/01 22:44:47 0
だからフランダースはもともとカトリックだし独立してないだろ
それに信教の自由を要求してるんだから、別に宗教的に対立関係のないフランスと手を結ぶことに何か問題でも?
カール5世は1520年代から異端審問体制を敷いて、1545年にはネーデルラント全州に異端審問官を設置して新教徒を迫害してる
けどカール5世は地元出身だから郷土愛があったし、地元の反発を考慮にいれてまだ緩かったけど
フェリペはそんなのないから迫害しまくって反発買ってるんだな
それとネーデルラント諸州は中世から大幅な自治権が許されていたがハプスブルク家が専制的な政治を行ったのでその面の反発も大きかった



107:世界@名無史さん
11/02/01 23:07:48 0
中世に大幅な自治権があったのは全西欧の大半の地方が該当するだろ
絶対王政の整備を指向して低地諸国の封建領主が反乱に至ったのはその通りだけど
あとフランスとは宗教的に対立してる、低地諸国はプロテスタント派でフランスはカトリック派

108:世界@名無史さん
11/02/01 23:24:33 0
中世でも封建領主の権力が強い地域じゃ自治権なんてないよ
特にハプスブルク家やルクセンブルク家などの大きな領邦の支配地じゃね
自治権があるのは帝国都市
でネーデルラントは人口密度が高く都市が多くて帝国都市同様かなりの自治権をもってた

フランスはスペインと違ってプロテスタントのスウェーデンやオスマントルコと同盟結んでる
基本外交は宗教で動かない


109:世界@名無史さん
11/02/01 23:57:13 0
封建領主の権力が強いイコール王権が及ばず自治権が維持されてるってことでしょ

フランスじゃなく低地諸国が宗教で動いてない
プロテスタント派を表向き掲げた割にカトリック派のフランスへ跪拝してるのだから

110:世界@名無史さん
11/02/01 23:59:01 O
結局スペインの退潮は軍事的にではなく毛織物など輸出産業の競争で
フランドルを含むネーデルラント、イングランドに敗れたため

後にイングランドが吹聴するスペインのアルマダが壊滅したといわれる何回かの海戦は神話で
実際に戦闘で失われたスペイン艦は3隻のみであとの損害は悪天候によるものだった
実際すぐにスペインは艦隊を再建してアイルランドに反乱軍を上陸させたりしてるし
その後のカリブではイングランドはスペインに連戦連敗してドレイクは罷免された

話それたなゴメン

111:世界@名無史さん
11/02/02 00:03:20 0
封建諸侯の支配地域は自治権とは言わんぞ普通
日本の大名の支配地域を自治権と言わないのと同じ
とにかくオランダ独立戦争を宗教と切り離して考えるのは不可能だね
学者によってはどの程度宗教が関わったか差はあるけど
全く切り離して考える人はいないよ

112:世界@名無史さん
11/02/02 00:12:09 0
そもそも自治権は封建諸侯から権利を奪うことによって発生したものだからな
>>フランスじゃなく低地諸国が宗教で動いてない
>>プロテスタント派を表向き掲げた割にカトリック派のフランスへ跪拝してるのだから
ユトレヒト同盟は宗教の自由を掲げたわけだから別にカトリックを否定してるわけじゃない
論理が破綻してるね、それにユトレヒト同盟は実質新教諸州連合だから
30年戦争でもプロテスタント諸侯はフランスと政治的な駆け引きで同盟結んでも宗教で動いてないとは言えないでしょ
ウォラーステインみたいな経済史系の人は宗教的動機を軽く見る傾向あるけど、それでも全く宗教的要素を否定することはないな


113:世界@名無史さん
11/02/02 01:03:57 0
>>111
普通は封建領主の領主権は自治権に含まれるぞ
大名傘下の分郡領主は自治権を保持してる
何も山科、石山や雑賀、根来のような集団合議制の自治都市に限らないし
強力な封建領主がいない地域での武装した惣村だけにも限らない

全く切り離す、とは誰一人、そんな事は書いてないけど
スペインからの離反と宗教問題のどちらが主かに関しては、意見は学者によるよ

114:世界@名無史さん
11/02/02 01:08:18 0
ユトレヒト同盟は宗教の自由を掲げたわけじゃなく
スペインからの分離独立を達成する為に、宗派が異なるカトリック派のフランスと組む必要が有り
必要上宗教の自由を掲げなければフランスの援助と連合は成立させようがなかった
そもそもの前提がおかしいね

115:世界@名無史さん
11/02/02 09:55:39 0
>>113
わかったけどこの場合は封建領主からの都市の自治権だし
他の地域と比較しても自治的な傾向が強いのはどの学者も否定してないが
>>スペインからの離反と宗教問題のどちらが主かに関しては、意見は学者によるよ
だからそっちは宗教問題全く切り離しでるだろ、そんなのどの学者もやってない
そっちが宗教面否定するから宗教問題を大きく取り上げるけど、俺は別に宗教問題だけを最重視してるわけじゃないよ
スペインからの独立の政治経済面に関してはそちらが言ってるから何も付け加えてないだけなんだけどね






116:世界@名無史さん
11/02/02 09:58:53 0
>>114
>>ユトレヒト同盟は宗教の自由を掲げたわけじゃなく
>>必要上宗教の自由を掲げなければ
だから論理が破綻してるってw
フランスは外交に関しては宗派なんてどうでもいいからオランダがどの宗派掲げてもOKなの
ていうか俺のいうこと完全否定しようとムキになりすぎ、俺の言うことに100%の間違いはないし
そっちのスペインからの脱却の要素も間違いは言ってないんだから
どっちか100%白黒じゃないだろ


117:世界@名無史さん
11/02/02 22:09:48 O
結局、フランスはスペイン、ハプスブルクを叩ければいいわけで
そのためにはオスマンとも新教徒とも結ぶ

はたしてスペインが弱体化しヴェストファリアで帝国が形骸化し
スペインの扇動で引き起きたフロンドの乱を苦戦しながら鎮圧に成功すると
あっさりネーデルラントを切って南部諸州併合という領土的野心からネーデルラントを侵略する

118:世界@名無史さん
11/02/03 00:00:12 0
北の田舎の話はもういいぜ

119:世界@名無史さん
11/02/03 00:06:55 0
全然田舎じゃないけどな
スレ違いではあるが

120:世界@名無史さん
11/02/03 00:47:50 0
田舎だろー札幌とか新潟とか松本みたいなもんじゃね

121:世界@名無史さん
11/02/03 00:49:41 0
はぁ?
スペインのネーデルラントの収益は新大陸からの収益の3倍あったんだが

122:世界@名無史さん
11/02/03 00:51:53 0
16世紀にもなると経済面はネーデルラントの方がイタリア諸都市国家より上の可能性あるな
少なくともネーデルラントの方が断然勢いがあるね

123:世界@名無史さん
11/02/03 00:55:41 0
>>121
低地諸国が独立する直前のインディアスからの収益って
ほぼ王室収入1年分、少ない時でも半年分なんだけど、意味不明過ぎる

124:世界@名無史さん
11/02/03 00:58:12 0
西部欧州の中では経済的に豊かだったけどね、17世紀以前はまだ田舎

125:世界@名無史さん
11/02/03 00:59:42 0
そう言われたところで
史料にそう載ってるからな

126:世界@名無史さん
11/02/03 01:19:27 0
近代世界システム論にのってたはずだが調べるの面倒くさいのでこれ
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
>>スペイン国王カルロス1世は、スペインのほかにも、ネーデルランド、ナポリ、シチリア、オーストリア、フラツシュコンテを支配していました。
>>カルロス1世が即位したころの収入は、ネーデルランドからの収入が2/3を占めていました。
他にネーデルラントの富を指し示すものは
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
>>ネーデルラントの商人たちはスペインとの戦争をしながらも、したたかに海外貿易を繰り広げていました。
>>当時、海外貿易に利用できる大型帆船がヨーロッパ全体で2万、
>>そのうちネーデルラントの船が1万6千だった、という数字もあるくらいです
いやいやとんだ田舎だなw



127:世界@名無史さん
11/02/03 01:29:16 0
ただこうもあるな
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
>>カルロス1世が即位した当時は、ネーデルランドからの収入が、3/4を占め、
>>スペイン、イタリア、オーストリアからの収入を圧倒していました
>>しかし、フェリペ2世が即位するころには、ネーデルランドの収入は、1/5程度になってしまっていました
>>それは、新大陸からの大量の物資や、スペインでの経済発展によりました
時代によっても差はあるみたいねソースは知らんけど
URLリンク(kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp)
>>フェリペ2世が父から継承したネーデルラントはもともとヨーロッパでもっとも裕福な土地といわれた旧ブルゴーニュ公国の一部であり、
>>中世以来、毛織物工業によって栄えた。原料を加工する技術に優れていたほか、ポルトガルから輸入した東洋産品を搬入して全ヨーロッパに売りさばく中継基地だった。
>>したがって、ここからの税収はフェリペ2世にとっては大切な収入源であった。
中世の頃から北イタリアとネーデルラントが欧州経済のかなめだったしね

128:世界@名無史さん
11/02/03 01:51:37 0
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
>>ポルトガルはアントウェルペンに、1501年にはじめて香辛料を送り込み、1508年にはカーザ・
>>ダ・インディア(インド商務館)の代理店を設けて、ヨーロッパ向けの香辛料を一手に扱うように
>>なる。それに応じて、イタリアや南ドイツ、フランスなどの商人たちは、香辛料の仕入先をヴェネ
>>ツィアからアントウェルペンに切り換える。1530年からは、ヴェネツィアに持ち込まれた香辛料
>>さえも、アントウェルペンに送られてくるようになる
これ読むと香辛料貿易の中核はアントワープだったんだな
>>1531年アントウェルペンに世界最初の商品取引所が設立される
>>イギリス、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツ、そしてイタリアが争って、商館や駐在員を配置するようになる
>>カール5世ばかりでなく、イギリスのエリザベス女王(在位1558-1603)など王侯も、アントウェルペンで資金を調達
>>船舶の売買や用船、海上保険といった取引が盛んに行われ、ヨーロッパ最大の商業・金融の中心地となる
この時期のアントワープはイタリア諸都市を凌駕していたみたいだ
>>アントウェルペンの交易は、外国人なかでもイタリアやドイツ人の商人によって掌握されていたが、
>>アントウェルペン出身の商人層も育ち、彼らはスペインやポルトガルとの関係を深めていき、
>>イベリア半島やそれを介してアメリカとの交易や精糖業にも参入するようになる。しかし、
>>プロテスタントを信じるオランダ商人が次第に優勢となり、カソリックを堅持するスペインに敵対するようになる。
低地諸国の発展が地中世界を没落させる一因にもなってるみたいだな


129:世界@名無史さん
11/02/03 02:09:23 0
>>125
そう言われたところで史料にそう載ってるからな
どちらも300万ドゥカドほど
ヤフー知恵遅れ袋ソースとか程度が知れるw

130:世界@名無史さん
11/02/03 02:11:31 0
>>126
たまには本読んで勉強しなよ、ブログや知恵袋やwikiばかり見てないで

131:世界@名無史さん
11/02/03 02:13:58 0
ああ、無知な馬鹿が勘違いした原因が解った
>>126の「カルロス1世が即位したころの収入」の意味を理解出来なかったのか
恥ずかしいからもう書き込むなよw

132:世界@名無史さん
11/02/03 02:18:10 0
だから元ソースはウォーラステインだって、まぁウォーラステインも引用してるけど
この人らもソース元はたぶん同じだろう
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
スペインの貴金属の流入
1503-10  1.2
1531-40  5.6
1581-91  53.2
1601-10  55.8
1631-40  33.4
1651-60  10.6
1670-79  11.7
つまりあんたの言ってることも正しい16世紀後半は貴金属の産出が増えて王室収入のかなりになる
とはいえネーデルラントが田舎というのも間違い



133:世界@名無史さん
11/02/03 02:24:32 0
>>131
ネーデルラントを田舎とか言ってるバカだろお前もw
それに史料元が手元にないんだからちょっとぐらい記憶違いするわ
どっちにしろカール即位時は一応新大陸も支配してたわけで
ネーデルラントの収入が新大陸を上回っていたといのも間違いじゃないね
俺は別に時期限定してねーし

134:世界@名無史さん
11/02/03 02:31:36 0
>>131
あー残念ながら書き込みまくるんで
黙っとけや


135:世界@名無史さん
11/02/03 02:46:37 0
>>131
おい なんか返答しろや
ケンカ売っといてそのままかい


136:世界@名無史さん
11/02/03 02:47:51 0
>>133
いや間違い、カルロス5世の治世初期に低地諸国から上がる収入が大きかったのは
スペインが反乱祭りだったから、それが収まった以降はカスティージャ、フランドル、低地諸国、イタリアの中で
豊かではあっても、低地諸国だけで1/3の税収があったなんてことは無いし
そもそもインディアスからの収入は王室財政の中で別枠で
1530年代でも30万ドゥカド~40万ドゥカドだから、低地諸国の方が多いにしても3倍はいかない

まあ、低地諸国を田舎と言ったのはおふざけだけどもw
都会だったオスマンや明の都市に比べるとまだ田舎

137:世界@名無史さん
11/02/03 02:49:50 0
そうやって普通に書けばいいんだよ
いちいち煽るなボケ

138:世界@名無史さん
11/02/03 07:14:37 P
>>137
チンピラは十字軍詰め所にお帰りください

139:世界@名無史さん
11/02/03 11:46:42 0
ほんと腰抜けだなw

140:世界@名無史さん
11/02/06 22:07:29 0
さらしあげ

141:世界@名無史さん
11/02/13 16:37:50 0
伊 チュニジアからの難民急増
URLリンク(www.nhk.or.jp)

中世には海賊、現代では難民かあ・・・
地図を見ると、チュニジアとランペドゥーサ島のあまりの近さに唖然とするわ。
中世ではランペドゥーサ島はビザンツ領だったけど。


142:世界@名無史さん
11/02/14 01:36:10 0
>>133
>>低地諸国の方が多いにしても
こんな仮定してる時点で間違いかどうかわかってないってことなのに
間違いと断定
論理が崩壊してるな

143:世界@名無史さん
11/02/14 01:36:54 0
訂正
>>136

144:世界@名無史さん
11/02/14 11:01:12 0
財政困難に陥ったフェリペ2世の支払停止(1557年)によってフッガー家をはじめとする
南ドイツの金融業者が大きな痛手を負って衰退していったのに対して、ジェノヴァ人が
その穴を埋める形で進出した。
大帝国を維持するだけでなく、ネーデルラントの反乱やイギリスの攻勢に
対処しなければならないフェリペ2世は、慢性的な財政困難の中にあったので、
資金の前貸しを行うジェノヴァ商人に対して大幅な銀の輸出特権を与えた。


145:世界@名無史さん
11/02/14 11:50:54 0
>>136
>>カルロス5世の治世初期に低地諸国から上がる収入が大きかったのは
>>スペインが反乱祭りだったから
この時点で認めてるも当然なのに間違いと断定
論理のダブルミス発見

146:世界@名無史さん
11/02/14 16:27:49 P
それは同然だろ!って突っ込めばいいのか?

147:世界@名無史さん
11/02/28 17:29:59.63 0
北アフリカって、エジプトを除いて、西ローマ帝国滅亡後は世界史の脇役になってしまったように思える。
古代のような穀倉地帯ではなくなったし、カルタゴやレプティス・マグナのような
都市も衰退。

148:世界@名無史さん
11/02/28 18:54:36.18 O
確かにイスラム支配時代は人口減少したし、これといった産業がなくなったな

149:世界@名無史さん
11/02/28 19:43:14.40 0
アル・アンダルスの繁栄に比べると、マグリブはいまいちぱっとしないな。
いくつかの王朝が興亡したけれど、アッバース朝や後ウマイヤ朝、
エジプトのファーティマ朝、アイユーブ朝、オスマン朝ほどの華やかさはないし。


150:世界@名無史さん
11/02/28 20:18:37.88 O
海賊がいるじゃまいか。
アメリカ海兵隊に負けるまでかなりなもんだったんじゃないの?
脇役っちゃ脇役だけど

151:世界@名無史さん
11/02/28 21:38:23.57 0
カリブのほうがなー

152:世界@名無史さん
11/03/07 01:51:56.07 0
ここまでシャルル・ダンジューなし

153:世界@名無史さん
11/03/10 10:28:16.62 0
実はシチリア島は、中世前期まではローマ時代と同様、穀物の供給基地だった。
中世後半期に入ると、それまでの経済的地位を失って辺境化していく。

フリードリヒ2世の時代にムスリムに対する圧力が強まり、イスラーム的な
文化要素も後退した。そして9世紀のイスラーム支配以来取り入れられてきた
オリエント的な農業技術・灌漑技術が徐々に放棄されていく。

というわけで、シャルル・ダンジューが支配していた時代には、盛期に比べると
かなり貧しくなっていたんじゃなかろうか。


154:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/03/10 10:42:10.38 0
>>153
フリードリヒ2世の時代の、シチリアってムスリムに対する圧力が強かったの?
彼ってイスラム贔屓なイメージがあるから少し意外なんだけど。シチリアでの、
経験が彼の合理主義的な思想に影響してたらしいし、彼の時代のシチリアが、
貧しかったというのはイメージしにくいなぁ。それでも盛時よりは劣ってたのかな。

155:世界@名無史さん
11/03/10 15:52:07.36 0

18 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 20:35:56 0
>>14
グリエルモ2世の死後、各地でキリスト教徒VSムスリムの暴動が頻発した。
多くのムスリムは北アフリカに亡命するか、シチリアの山岳地帯で抵抗を
続けた。
フリードリヒ2世がシラクサの自治体制からジェノヴァ商人を排除すると、
彼らはムスリムを煽って対抗しようとした。フリードリヒ2世が山岳地帯に
いたムスリムを大勢殺したのはこのため。
その後降伏したムスリムをアプリアやカラブリアに移し、土地を与えている。

156:世界@名無史さん
11/03/10 16:55:21.78 O
シチリアはムスリム支配後に衰えた印象だな
ビザンツ時代はまだよかった

157:世界@名無史さん
11/03/10 19:53:27.47 0
フリートヒリ2世の頃って随分好き勝手やってた時代じゃん
神聖ドイツ王国と違って教皇ガン無視してるし

158:世界@名無史さん
11/03/10 20:23:06.15 0
>>156
ビザンツ時代のシチリアは、イタリア本土で続く戦乱を避けて、元老院議員貴族の
一族が避難してきたので、西方で古代的生活様式が維持できるほぼ唯一の
地域になっていたとか。

159:世界@名無史さん
11/03/10 20:31:48.38 0
両シチリア王国も西側としてはかなり異質な官僚制が整備された絶対王政国家だしな

160:世界@名無史さん
11/03/11 00:11:19.11 0
なんとなくだがマフィアや海賊が統治したほうが地中海沿岸はまともな生活ができそうな印象。

161:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/03/11 07:12:33.38 0
>>155
なるほど、フリードリヒ2世はムスリムに対する抑圧もそれなりにやってたのか。
降伏したムスリムに対して土地を与える程度の寛容さはあったみたいだけど。

>>156
中世にイスラームに支配された西欧地域というとシチリアとイベリアがあるけど、
イベリア(≒アンダルス)に比べるとシチリアは地味な感じがするね。イベリアは、
イスラーム圏においてもそれなりに中心地域だったけどシチリアは周縁部という、
感じがするからなぁ。イスラーム史だと、シチリアはあまり目立つ存在じゃないし。
それでも先進的なイスラーム文化の影響を受けてたから、当時の西欧の中じゃ、
まだ文化的に進んでるほうだったんだろうけど。ビザンツ時代が良かったのかな。

>>160
つまり、近世のバルバリア海賊たちが活躍してた北アフリカが良いということか。

162:世界@名無史さん
11/03/11 14:00:39.24 0
>>160
「地中海沿岸=都市国家向き」というイメージがあるけどな。

古代だけでなく、イタリア・ルネサンスの牽引役も、フィレンツェ、
シエナ、ヴェネツィアといった都市国家だし。

163:世界@名無史さん
11/03/12 14:10:26.79 0
アグラブ朝自体海賊国家でそれを追い払ったオードヴィル家ももともとは海賊
これだけ入れ替われば衰退もするだろうな

164:世界@名無史さん
11/03/13 08:46:59.18 0
南イタリアのプーリア地方もノルマン、ホーエンシュタウフェン朝時代に繁栄したが、
アンジュー家は、アドリア海側にあった利得をすべてティレニア海側、すなわち
ナポリに移しただけではなく、アラゴンとの戦争によってプーリアの農業を
衰退させてしまう。
また小麦やオイル、羊毛の流通はフィレンツェ人、ジェノヴァ人、ヴェネツィア人に
専売化されることになった。
アラゴン家の支配により、状況は更に悪化する。
多くの村が封建領主に売られ、東方との貿易中継地は度重なるトルコ人の襲撃によって
見放され、沿岸部のほとんどは莫大な借金を背負いながらヴェネツィア人の手に
おちることになる。
16世紀からのスペイン総督の支配により状況はまだ悪化していく。プーリアは
対トルコ戦争における砦と化し、悪政によって商業も農業も壊滅的状況に犯されていく。

165:世界@名無史さん
11/03/13 16:21:21.75 0
中世晩期以降は単に潜在的な可耕面積や降水量、肥瘠の差が出ただけでしょ

166:世界@名無史さん
11/03/14 01:59:51.77 0
>162
>163
農耕地の少ない反面、天然の良港と比較的荒れにくい水面、漁業資源に恵まれている。
中小の都市国家が割拠するほうが結果として効率がいいのだろう。


167:世界@名無史さん
11/03/17 17:35:29.67 0
そういやイタリアやシリア、北アフリカなんかは人口の割に都市が多いね
西欧は人口の割に都市がほとんど無かったのと逆で

168:世界@名無史さん
11/03/17 18:08:37.49 0
イタリアと北アフリカじゃケースが全然違う

169:世界@名無史さん
11/03/17 18:12:17.54 0
北アフリカはほんと人が住める場所に人口が集中するから都市国家的だが
イタリアは他の西欧諸国と同様、そこまで都市に人口が集中してるわけではない
もちろん他の西欧諸国よりは都市化が進んでるけど
もっとも中世西欧の最大都市はイタリアの都市じゃなくパリだけどね

170:世界@名無史さん
11/03/17 19:39:08.22 0
西欧の都市として最大規模なのは、5万人を超えてたと推定されてる
ベネチア、ミラノ、フィレンツェ、パリ、ゲント、ケルン辺りだけど、イタリアは流石に割合文明的だし
人口だけで測るならパリは最大じゃない可能性が高いよ

西欧各国の農業技術が非常にお粗末でなかなか都市化しなかったというのはその通りだと思うが

171:世界@名無史さん
11/03/18 00:01:08.21 0
お粗末って農業革命で人口が激増したこと知らんの?
人口だけで言うならフランスが圧倒的だよ
ペスト直前期は2000万程度だからイタリアの2倍強
それと農業技術の進展と都市化は関係ないし
フランスは目だった都市少ないけどパリだけは巨大都市で14世紀の時点で20万以上
ドイツは大都市は少ないけど中堅の帝国都市の数は滅茶多い
それとイタリアが比較的先進的だったのは確かだけど
全ての分野でトップだったわけじゃないよ
中世の哲学思想科学もイタリアよりパリが中心だった、鉱山・鉄鋼業はドイツが一番先進的だったね

172:世界@名無史さん
11/03/18 00:18:25.24 0
教科書のレベルの知識だとイタリアがなんでも先進的だと勘違いするんだよね
イタリアは会計、法学、医学、工芸など実学的なことには強かったけど
より形而上的な哲学、科学面ではイタリア人はあまりたいした業績がない
中世の頃の有名な科学者・哲学者は大概フランス・イギリス・ドイツ出身で
イタリア人ではルネサンスの頃に唯一ガリレオがでたぐらいだな

173:世界@名無史さん
11/03/18 00:40:55.59 0
>>171
パリの人口推計は15世紀の時点で最大限10万人な
農業革命といっても漸く先進諸国の足下に追い付いた程度

ドイツの都市って中国の郷村と全く同じくらいの規模だからな
戦国七雄が各国毎に百城二百城持ってたのよりも更にその下の規模

哲学も思想も科学とは呼ばない

174:世界@名無史さん
11/03/18 00:42:44.88 0
>>172
中世の非地中海西欧世界に科学者は一人もいない
西欧カトリックの範囲ではイタリアがなんでも先進的だった、それは確定的な事実

175:世界@名無史さん
11/03/18 00:45:07.21 0
あれっ?ロジャー・ベーコンは?
ガリレオの先駆といわれるビュリダンやオレーム、ザクセンのアルベルトゥスは?
逆に中世の有名なイタリア人科学者を教えてもらいたいくらいだわ
教科書レベル君

176:世界@名無史さん
11/03/18 00:51:26.67 0
哲学者も有名どころはエックハルト、トマス・アキナス、アンセルムス、アルベルトゥス・マグヌス
アベラール、オッカムのウィリアム、クザーヌス、イタリア人はいないね
ルネサンス期でも科学ではコペルニクスはドイツ系ポーランド人だし、
ケプラーもドイツ人だな


177:世界@名無史さん
11/03/18 00:54:05.90 0
あとパリは人口推計に差があるけどヨーロッパ最大級の都市だったことに変わりはない
推計に差があるのはイタリア諸都市も同じだがね

178:世界@名無史さん
11/03/18 01:31:00.98 0
>>175
ベーコンもビュリダンもオレームもその他も科学者じゃない事くらい理解しろよ
技術屋もしくは思想家、科学者とは到底いえない、まして哲学者なんぞは思想家ですらない

科学者と呼べる人物が輩出されるのは近世に入ってから

179:世界@名無史さん
11/03/18 01:33:40.56 0
>>177
最大級と最大じゃあ全く話が違う、ミラノ、ベネチアの方がより多い推計されてる事が多い

180:世界@名無史さん
11/03/18 01:37:02.25 0
>>177
そして中世には、フランスもパリを除とく目立った都市はほとんど存在してない
先進的とされるフランドルでも極僅か、農業技術が進歩したといっても元が稚拙過ぎた

181:世界@名無史さん
11/03/18 09:52:31.96 0
>>178
それいったらそれ以前の科学者も同じだな
つーかそんな珍説初めて聞いた
ていうかさいくら2chで珍説を強弁したところで真実にはならんよ

182:世界@名無史さん
11/03/18 09:58:12.97 0
>>ミラノ、ベネチアの方がより多い推計されてる事が多い
じゃ全てのソースあげてくれよ
ネット見る限り14世紀の時点でパリは8-20万と推計されてるが
ミラノは6-10万、ベネチアは10万程度、パリの方が大きめに推計されてるぞ

183:世界@名無史さん
11/03/18 10:01:50.96 0
>>180
何を基準に先進的といってるのが知らんが
農業技術の改良で人口が1億近くまで増えて
14世紀には中国、インドにに並ぶ人口の多い地域なってる

184:世界@名無史さん
11/03/18 10:27:03.06 0
農業技術の進歩と都市の多さとは直接関係ないね
農業技術が進歩すれば農村人口が増える、フランスは現在先進国なのに農村人口が多い
逆に中国やインドといった後進地域の方が巨大な都市がたくさんあるよな
なんか都市が巨大で多けりゃいいって感じだけどそう単純でもないだろ




185:世界@名無史さん
11/03/18 10:56:02.95 0
大体中世以前の都市って都市住民のかなりが農民
都市内あるいは周辺に畑があったり、都市内で家畜飼ってるからな
今でも後進国でみられる光景
封建制など分権的な地域だと人口が分散して大都市は生まれにくいな
日本も中世の10万都市は京都とわずかの期間の鎌倉だけだし

186:世界@名無史さん
11/03/18 12:22:44.24 0
なんにしろ科学史読んでないの丸わかりなのに断言してるところがイタいw

187:世界@名無史さん
11/03/18 14:34:26.61 0
>>ベーコンもビュリダンもオレームもその他も科学者じゃない事くらい理解しろよ
>>技術屋もしくは思想家、科学者とは到底いえない、
凄まじいこと言ってるなこのバカ
技術屋らしいことなんて何もやってねーのに
>>まして哲学者なんぞは思想家ですらない
日本語として意味わかんねーよ
全くわかってねーこと何で断言するよ
本読め本を


188:世界@名無史さん
11/03/18 18:47:32.53 P
>>181
それ以前の割と科学的なモノを科学認定するなら
そのほとんど全部が中国人とエジプト人、ギリシャ人のものになるよ

189:世界@名無史さん
11/03/18 18:49:09.77 P
>>182
新書ヨーロッパ史 中世篇、地中海世界史2~3あたり、パリは5万を越えて10万に届かない
ネットソースじゃなく書籍でもいいよね?

190:世界@名無史さん
11/03/18 18:51:15.38 P
>>183
4000~5000万から最大限でも6000万、1億を主張する電波は見た事ないなw
あれだけ可耕地と水源に恵まれてるにもかかわらず

191:世界@名無史さん
11/03/18 18:57:37.55 P
>>184-185
中印は人口と土地が約10倍、フランスは大都市や都市が多いよ
日本と違い中世の西欧に10万都市は1つも存在しない
封建制どうこうはそこまで大きく関係ない

192:世界@名無史さん
11/03/18 21:40:11.05 0
>>184
中世までは中国のほうが先進地帯だろ
4大発明も中国だしな
それに農業は近世でも中国が上なんじゃないかな

193:世界@名無史さん
11/03/19 13:37:05.66 0
>>188
それを科学と認定するなら当然、ビュリダンやオレームも科学なんだが
頭いかれんてんの?この人らはギリシャやアラビア科学をよ高い次元にもってってるんだけど
>>190
6つのソースみてもペスト直前で「7000万~9000万だな
>>191
お前もイタリア都市が10万越えてるって言ってるだろ
ネットソースでもGeorge Modelski著『World Cities: ?3000 to 2000
Tertius Chandler著『Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census』。
Paul Bairoch, Jean Batou, Pierre Chevre著『''La Population des Villes Europeennes, 800?1850: Banque de donnees et analyse sommaire des resultats
ちゃんとソースついてるから
>>192
トラクターができるまで文明圏農業技術の差なんて大した事ないだろ
実際中国も西洋も14世紀では人口は大して変わらん


194:世界@名無史さん
11/03/19 13:41:43.64 0
あと人口の話しはいいから
科学は無知だから逃げたか
ちなみに物理や幾何学は中国じゃ全く発展しなかったから
西洋じゃ14世紀の時点でビュリダンによって古典力学の基礎的な部分が形成されるけど

195:世界@名無史さん
11/03/19 13:52:15.08 0
念のために書いておくけど
ラッセル1948        1340年 7350万
ファン・バート1954     1300年 7300万
Clark (1967)          1340年 8450万 
McEvedy & Jones (1978)  1300年 7900万
Biraben (1980)        1340年  9000万   

196:世界@名無史さん
11/03/19 17:35:44.33 0
>>193
それを科学と認定するなら当然、無数の中国人とエジプト人、ギリシャ人が科学者認定されるんだが
と、こっちが言ったんだが 頭いかれんてんの?

念のために書いておくけど、ようやく記録を作り出した16世紀前半ですら
国外領を除く全スペインと全ポルトガル領2700万、フランス2600万、ドイツがそれ以下、イタリアは解らんが1900万?
coleccion de documentos ineditos para la historia de espana
14世紀初頭~16世紀末で日本の人口は600~800万→1500~1700万でほぼ倍増
そんな学問でない高等遊学時代の憶測出されても困るよ

大違い、ローマ時代のエジプトとガリアじゃ収量が10倍以上違う
どちらも灌漑しないガリアとペルシャ地域でも3~5倍違う

197:世界@名無史さん
11/03/19 18:14:12.77 0
>>194
しかし同様に中世後期の西欧を除けば、古代、中世の欧州でも物理学は発展しなかった
中国の物理学は発展しなかったが、古代ギリシャや
ローマ、ビザンツとの比較でならどの時代で見ても同等か進んでいた

幾何学は未発展どころか、西欧で近代幾何学が発達する以前は常に最も先進的

198:世界@名無史さん
11/03/19 19:37:27.49 0
あーあ中国原理主義者に絡まれてるよ
幾何学は中国には存在しなかったし
現代につながる意味での古典力学を元にした物理学は中世以前にはどの世界にも存在してない
あと中世以前は一人当たりGDPは大して変わらんから生産高と人口はほぼ比例してる


199:世界@名無史さん
11/03/19 19:42:15.35 0
だから10倍の収穫量があれば当然人口も10倍のはずだが
現実はペルシャはヨーロッパと比較して人口希薄地域
ちなみに一人当たりGDPのマディソンのをデータを出すと
トンデモだと騒いでたやつだろうけど
そんなこと言ってたのはお前だけだし完璧論破終了
また中国の交易の収入がどうこうと関係ないこと言い出してこの話題も終わりかな


200:世界@名無史さん
11/03/19 19:43:27.60 0
幾何学はふつうに中国にも存在していたよ、というより代数学には劣るけど先進地域

中世以前も一人当たりGDPは大きく変動してるから生産高と人口は比例してないよ
愚かで無知な歴史を知らない人間がゲロったネタデータを信じたがるマヌケがよくいるけど

201:世界@名無史さん
11/03/19 19:47:53.96 0
お前もまだ元気だな
オスマンスレでもわけのわからんこと言ってたけど

202:世界@名無史さん
11/03/19 19:49:26.01 0
>>199
単位面積当たりの可耕地の広さが大違い、エジプトで農業可能なのはほぼ全てナイル峡谷沿いのみ
ローマの税収は西と東で倍以上差があった、はい完全論破(イグナイトロゴス)

203:世界@名無史さん
11/03/19 19:50:11.53 0
その時はそっちの方が人口多かっただけ

204:世界@名無史さん
11/03/19 19:50:38.25 0
>>201
無知な愚か者に必要なのはイタチの最後っ屁じゃなく読書だと思うよ

205:世界@名無史さん
11/03/19 19:51:53.21 0
>>203
推計人口では同程度、税収は2倍3倍それ以上の差

206:世界@名無史さん
11/03/19 20:28:42.30 0
税収だけじゃ一人当たりの収穫量の差はわからんよ
例えば生活最低限の消費量を1とすると
1.5を生産すると税は0,5、1.1を生産とすると税は0,1
収穫量以上に税収に差がでる
そもそも税金をどうやってとってるかもわかんないし
一人あたりの収穫量もわからないんじゃどうしようもないね


207:世界@名無史さん
11/03/19 20:36:13.34 0
収穫量の差が文献から解ってて、税収の違いも判ってるんだけど

208:世界@名無史さん
11/03/19 20:48:36.73 0
じゃ出してくれよ
とくに収穫量
それを人口で割ってくれ

209:世界@名無史さん
11/03/19 23:41:55.29 0
>>208
中世西欧の収量が1ha当たり平均100kg蒔いて300kg
大半が乾燥地で痩せてる中世イラン天水農業地域の小麦の収量が
1ha当たり平均25kg蒔いて700kg、灌漑地域が平均125kg蒔いて2000kg

人口が概ね同程度の東方属州と西側の税収が正確には5倍だっけ?

210:世界@名無史さん
11/04/17 08:58:38.26 0
>>160
マグリブはモロッコを除いていったんはオスマン朝に征服された後、デイあるいは
ベイとよばれる軍人たちの権力抗争と支配者の交代が繰り返されたが、
統治体制は徐々に整備され、在地化していった。
デイやベイのような在地の実力者は、現代の先進国の人間の感覚ではマフィアのようなものかな。


211:世界@名無史さん
11/05/14 02:20:48.24 0
ごめん流れ読まずに質問するけど、
高校の時、ビザンツのバシレイオス2世って戦争しながら貯金したって聞いて
戦争しながら貯金とかすごい興味あったんだけど
ブルガリア人殺すだけじゃお金貯まらないでしょ、普通に考えて

具体的にどんなだったか本探せばあるんだろうけど…
参考文献含め、誰か知ってる方ご教授ください、お願いします

212:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/05/14 05:18:54.73 0
>>211
バシレイオス2世の時代のビザンツ帝国は皇帝権力の最盛期でもあって、
地方の貴族や大土地所有者の力をそいで小農民の保護に努めたからね。
その結果中央集権化が進んで皇帝のもとへ来る税収が増えたの一因かな。
それと確かにバシレイオス2世は戦争は多くしたけど、ビザンツの特徴である、
やたら豪華な儀式を控えて倹約したのも大きいね。それに、戦争で領土も、
増えてるんだからその分税収も増えるだろうし。バシレイオス2世に関しては、
ビザンツ関連の本だったら基本的に載ってるよ。井上浩一氏辺りが良いかな。

213:世界@名無史さん
11/05/14 07:45:40.09 0
URLリンク(www.ekoporn.com)

214:世界@名無史さん
11/05/21 09:57:30.38 0
>>211
上に加えて、
農民が税金を払えない場合、大土地所有者に払わせた
大貴族や大商人から財産を巻き上げたのも大きい
この時代の兵士は基本テマ兵なので、わりと安上がりにすんだのも一因(テマ兵の生活基盤は貴族などに保障させた)

215:世界@名無史さん
11/06/28 22:53:59.75 0
>>209
ソースくれ
それとそれなのに一人当たりGDPがほとんど変わらんのはどういうこと

216:世界@名無史さん
11/06/28 23:00:55.54 0
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
これみるとローマ帝国の東西GDPはほとんど変わらん


217:世界@名無史さん
11/06/28 23:18:42.04 0
そもそもイランの一粒あたりの収穫高が高かいのが本当だったとしても
耕地面積が狭いいから収穫量の総量は結果的に低かったはず
イランは日本やドイツの面積の5倍あるのに人口は古代から近世まで500万程度だからな
ちなみにヨーロッパでも英仏海峡の湿地では10倍以上の収穫率もあったというから数字は意図的に選べば数字は操作しやすい


218:世界@名無史さん
11/06/28 23:33:59.89 0
日照が少なくて土地が痩せてて収穫率が低いヨーロッパと
逆に土地は肥えてて日照もあるが乾燥が激しく耕地面積の狭い西アジア
乾燥で土地が痩せてると勘違いしてるがメソポタミアからしてイランの土地が痩せてることはないね
問題なのは灌漑農耕を乾燥地域でやると地中の水分が蒸発して塩害になる
乾燥地域で天水農耕でやれる地域は限られるし、結局だめじゃんって話し

219:世界@名無史さん
11/06/29 09:17:44.52 0
>>123
スペインの王室収入量の話しだと
結局カール5世がネーデルラント諸都市に課税権を譲ったのも
王室収入量でネーデルラントの割合が減ったことに関連してる
新大陸の銀はほとんどアントワープを経由してヨーロッパ中に拡散した
王室収入量だけでネーデルラントの力ははかれない


220:世界@名無史さん
11/06/29 09:33:28.81 0
そもそもオランダの独立直前じゃ
騒乱状態でまともに税金なんてほとんど入らないじゃないか
しかも有力な商工業者はのきなみアムステルダムに移動して
南部はもう衰退期にある

221:世界@名無史さん
11/06/29 15:53:10.55 0
>>216
本国から税金取れないからイタリアのGDPが高くてもほとんど意味なし

222:世界@名無史さん
11/06/29 17:41:39.36 0
GDPの話しだろ

223:世界@名無史さん
11/06/29 17:50:47.73 0
東の税金は西の5倍という話に対して>>215がGDPは同じのはずと言っただけ

224:世界@名無史さん
11/06/29 18:02:40.77 0
いや最初っからGDPの話しだけど
一人当たりのGDPは近世以前は大して変わらないという主張に対して
東西の税金の格差が5倍で返してきた
そもそも税収でGDPはわからんから意味ないけど



225:世界@名無史さん
11/06/29 18:11:47.72 0
>>224
なるほど
しかし近世以前大して変わらないことはさすがにない
帝政ローマ時代の西ヨーロッパとカロリング朝初期の西ヨーロッパの経済力は
明らかに違う

226:世界@名無史さん
11/06/29 18:23:01.59 0
実は古代も農業が圧倒的で俺らが思うほど圧倒的差がないんだよね
もちろん国家同士の経済力ならローマが圧倒的だけど
それはローマの方が行政機構がしっかりしてて税金をちゃんととれてたってこと
一人当たりの生産高になるとあまり変わらない
ローマ帝国で東西で税収に大きな格差が生じたのは東は歴史的に古く行政機構がしっかりしていたのに対し
西部は部族社会が優勢だからあまり税金が取れなかったんじゃないかな

227:世界@名無史さん
11/06/29 18:35:09.55 0
農業の生産力はそれほど変わらないが、流通面で大きな違いがあった
その影響が経済力に出てくる

228:世界@名無史さん
11/06/29 19:13:25.55 0
>>215-216
ああそれ、馬鹿な経済学者が史料に当たらず想いつきで書いてる妄想グラフだから

229:世界@名無史さん
11/06/29 19:14:47.72 0
ただ流通のほとんどがエジプトやアフリカからくる農産物だからね
まぁイタリアは一方的に搾取していたわけだからそれがなくなって
GDPが半減してるけど、それ以外の地域はデータみる限りあまり変わらない
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
ローマの経済は属州からの搾取にあるから全体のパイは変わらないけど
支配地域に富が集中する感じ
後西ヨーロッパに関して言うとローマ時代はイタリア以外は土田舎だし



230:世界@名無史さん
11/06/29 19:17:36.71 0
>>226
ローマの行政機構はざるざる、地元の有力者におっ被せて問答無用で強奪
公平さもバランスも何一つ考慮せず取れる所から取れるだけ取っただけ

231:世界@名無史さん
11/06/29 19:20:59.76 0
>>218
西欧の土地は痩せてない、収穫率が低いのは農業技術がお粗末だった故
イランは当時河川の流域を除くとほぼ大半が天水農業地域
イラクで農業が行われてたのは灌漑可能な河川の流域、はいやり直し

232:世界@名無史さん
11/06/29 19:25:21.46 0
天水農業ってことはつまり原始的だったってことだね

233:世界@名無史さん
11/06/29 19:26:38.22 0
>>227
農業生産力も大いに進展してる
両漢の時代と両宋の時代だと面積当りの収穫量はほぼ2倍違う
もちろん面積も増えてるけどね
農業以外の鉱業や養蚕業、窯業はより進歩の幅が大きい

234:世界@名無史さん
11/06/29 19:27:52.37 0
農業生産力にあわせて人口も倍増したけどな

235:世界@名無史さん
11/06/29 19:29:22.69 0
>>233
それは中国の話
地中海世界、特にヨーロッパでは農業の生産効率は近世なるまで
それほど向上されてなかった

236:世界@名無史さん
11/06/29 19:32:54.53 0
>>232
同じ天水農業でも西欧とギリシャ・イランじゃ生産力が倍以上違うけどな

237:世界@名無史さん
11/06/29 19:34:10.74 0
>>234
面積当りの収穫量がほぼ2倍、つまり人口の半分がニートでもない限り
どういうことか解るよな

238:世界@名無史さん
11/06/29 19:36:04.12 0
>>235
東地中海の生産効率は向上してた
現に東側は自由農民が生き残れたんだし

239:世界@名無史さん
11/06/29 19:45:59.77 0
その割に人口500万が限界
一人当たりGDPもほとんど変化なしか


240:世界@名無史さん
11/06/29 19:50:39.08 0
>>239
面積当りの収穫量が2倍、どういうことか解るよな?
それとも解説して欲しい?

241:世界@名無史さん
11/06/29 19:51:49.40 0
生産高が2倍になるんだろ
それで?

242:世界@名無史さん
11/06/29 19:53:14.58 0
ちなみに宋の発展も地域差があった
一律2倍ってわけにもいかんだろうし

243:世界@名無史さん
11/06/29 20:04:11.48 0
>>242
宋の格差が激し過ぎる
一農家の収穫が一つの郡より多かったりする

244:世界@名無史さん
11/06/29 20:16:33.11 0
>>241
人に教わる態度じゃないよね
>>242
平均して2倍、水稲地域なら平均して3倍弱、両浙なら平均して4倍
>>243
農家じゃなく大地主な、郡の方は山岳地域で鉱業や漆器生産してた地域

245:世界@名無史さん
11/06/29 20:17:08.87 0
ウソくせ

246:世界@名無史さん
11/06/29 20:38:44.03 0
結局人口の増大と耕地面積の拡大、収穫率がリンクしてるわけだから
農業主体じゃ一人当たりGDPはあまり変わらん、GDPは変わるけどね

247:世界@名無史さん
11/06/29 21:02:32.22 0
>>246
リンクしてないんだよね、総耕地面積1.4倍×平均生産力3倍=4.2倍、人口は2倍
しかも、陶磁器や漆器や様々な商品作物が日常的に売買されて娯楽も増えてる

248:世界@名無史さん
11/06/29 21:05:27.71 0
だからそれは中国の話
地中海世界に戻してくれ

249:世界@名無史さん
11/06/29 21:07:11.53 0
それじゃ人口の半分は非農業者にならないとおかしいが
現実はそうならなかったが
無駄に農業の生産高上げても穀物価格が下落するだけでGDPはあまり変化はしない
だいたい生産高2倍じゃなかったのかよ
だいたいどこの数値だよ

250:世界@名無史さん
11/06/29 21:08:26.04 0
人口が2倍で生産高が4倍だったら農作物が腐るわ

251:世界@名無史さん
11/06/29 21:09:32.44 0
東ローマ領になった地域で
自由農民が没落しなかったのは暮らしが楽だったからじゃね
何も生活出来るのに農奴になる奴はいないだろうし

252:世界@名無史さん
11/06/29 21:16:03.10 0
>>249
野菜や果物の専業農家が広まって
油や砂糖や茶を貧民も摂取するようになった時代なんだけど

漢と宋で石の度量衡違うのうっかりしてたんだよw

253:世界@名無史さん
11/06/29 21:17:52.41 0
生産高2.8倍と人口2倍なら理解できるが
4倍ないわ人間の栄養摂取量が2倍になるってどんだけだよ

254:世界@名無史さん
11/06/29 21:33:14.56 0
>>253
そら油や糖や茶や果物を主食と同じ分量食う奴はいないからな
あと雑穀や草は魚や家畜の飼料にも使われた

255:世界@名無史さん
11/06/29 22:13:18.35 0
江戸時代は一人当たりカロリー摂取量が弥生時代より低いんだよね

256:世界@名無史さん
11/07/07 13:27:45.78 0
主食以外の食料が増えるなら主食の生産量が減るだけだけどな
現に弥生時代と現代じゃ一人当たりのコメの消費量が3倍違う、現代人は平均一日約一合しか食べない
結局国内で農産物を消費する場合
生産高が増えても穀物価格が下落するから一人当たりGDPはほとんど変化しない
江戸時代でも豊作だと幕府が困ってたぐらいだから
一人当たりの農産物が2倍に増えたら、余剰分を海外に売らないと一人当たりのGDPは上がらんよ
で当時一億人分の食料を引き取ってくれるのはインドくらいしかない、つまり現実的に無理


257:世界@名無史さん
11/07/07 14:13:33.42 0
まぁそれ以前に一人当たり2倍はないか
食べない分を無駄に作るアホはいない

258:世界@名無史さん
11/07/07 20:44:18.65 0
>>256
野菜、砂糖、油、畜肉、魚介類、果物、塩、茶は米よりも面積当りの収入が高い
綿織物、絹織物、陶磁器、漆器、金属器、農具、燃料は無料でない
そもそも米の価格が下がってない
はい、完全論破。

259:世界@名無史さん
11/07/08 01:57:39.13 0
>>野菜、砂糖、油、畜肉、魚介類、果物、塩、茶は米よりも面積当りの収入が高い
しかし面積あたり米よりとれる量が少ないから確実に米より儲かるとは言えんな、
まぁ砂糖は確実に儲かるだろうけど、他は高級品以外庶民が手に入るものばかりだし
全体を平均して米作農家より所得2倍も3倍も上がるとは思えないんだが
それにまだまだ穀物が主流な時代、例えば3割の米作以外の農家の所得が平均1.5倍だとしても全体として1.15倍か
>>綿織物、絹織物、陶磁器、漆器、金属器、農具、燃料は無料でない
当時は人口の8.9割が農民、しかも機械化が進んでない手工業だから製品の生産力に限界があり影響力は限定される
>>そもそも米の価格が下がってない
米の価格は収穫量によって変動する、価格を固定しても不満が出るから市場価格に即して改変されて常に一定ってことはない

260:世界@名無史さん
11/07/08 02:04:04.17 0
機械工業化以前である経済圏全体の一人当たりGDPを大幅に上げるには
植民地でも作って他地域から収奪しないと無理、
域内経済だけでどんなに頑張ってもせいぜい5割まし程度だな、しかもうまくいって数百年かかるし
まぁ経済圏内部の格差は結構あったと思うけど、中世は域内交易つまり域内の財貨の移動は盛んだったし
新興国見ればわかるよね機械工業化すると短期間でGDPが飛躍的に伸びる
逆にいうと機械工業化しないとGDPはほとんど動かないってことだよ、動いても長期の緩慢な動き
そしてその間に格差が生じる

261:世界@名無史さん
11/07/08 03:21:35.44 0
>>259-260
面積当りの収入が高い。日本語が理解出来ないバカは小学校に再入学しましょうw

将に庶民が手にする必需品や日常品が大量生産された点に意味がある
要するに、一人当たりGDPが大幅に上がったということ

米や穀類の生産性の倍々増によって米作農家の収入は倍増し
それよりも利潤の上がる商品作物の専業農家も生まれた

米作農家の生産性が4倍、つまり農家の所得が平均4倍だとして全体じゃ4.5倍
実際は客戸が居るから3倍強としても、アホの妄想からはかけ離れた高い数字

鉄の生産量は技術革新により年産15万tほどで、100倍近い激増
銅も同じく50倍以上に激増、陶磁器や絹織物も広く庶民に普及した時期

現実は妄想狂の願望とは大きく異なってたんだよね

人口の多数をなんとか生きてるだけの農奴隷が占める土人国と
様々な工芸品や嗜好品を日常的に消費していた国じゃGDPは大違い

262:世界@名無史さん
11/07/08 08:51:48.61 0
激増といっても古代から激増したって程度だろ
鉄の今の日本の生産量は年1億トン、中国は5億トン、中世の3000倍だな
中世で古代から生産量が激増したといっても現在みたいにGDPに劇的に影響を与えるほどでもない
あてはめると古代の工業生産量を1として中世に100、現代が3万とかそんなレベル
一人当たりだと1:50:15000だな
現に今の日本のGDPの割合で農業・漁業あわせても1%以下 、農業大国のアメリカでも1%以下だし
結局機械工業化がGDPに与える影響のほとんどってこと
上の数値を鉄だけでなく中世の工業生産力全体の指標とすれば現代でいうと0,3%ぐらいだね


263:世界@名無史さん
11/07/08 09:07:04.62 0
出自のよくわからんデータで生産力4倍とか言ってるけど
農業人口が圧倒的多数でどこにその4倍の食料を入れる胃袋があるのかって話し
4億人分の食料作ってることになるぜ
今現在でも中国の農業人口は60%なぐらいだしな、どこに捨てんだよ
中世じゃ大量の作物を海外に売ることも不可能だし、実際にやってないけど
基本経済圏同士の貿易は持ち運びに便利で高価な少量の奢侈品貿易が主流だし
だいたい4倍も増えたら食料が余って余って穀物価格が落ちるから所得は4倍にはならん


264:世界@名無史さん
11/07/08 09:08:36.71 0
あといちいちageるのやめろ

265:世界@名無史さん
11/07/08 11:56:13.94 0
昔のレス読む限り米限定で言ってるみたいだから
雑穀や麦の栽培が減ってその分米が増えたと考えられるなら納得もできるか
一人当たりの食料消費量はそんなに劇的には変わらん だから1%なんだし
あと一人当たりは鉄の生産量は1:50:1500だな 訂正


266:世界@名無史さん
11/07/08 12:22:31.06 0
50×300=15000だから間違ってなかった
うーんマヌケだな 連投してるとむなしくなるんでこの辺で

267:世界@名無史さん
11/07/08 14:13:11.85 P
>>262
スレタイにある中世、つまり唐の時代からの増加分が50~100倍、古代からなら数百~1000倍を超えるよ
日本は近世江戸時代の鉄鋼生産量が数千㌧、いまは一億㌧で2万倍、一人当たりGDPは数百倍
>>262理論によると、近世北宋の一人当たりGDPは5~10倍に上昇している事になる。まあ妥当な数字かな

>>263
出自の解らない資料?トンでも学者じゃないんだから、ちゃんと史料から取ってるよw
生産力4倍、生産性が3倍弱、耕地面積が1.4倍、人口2倍
古代の庶民は砂糖も油も茶も果実も魚介類も常食はしてない
生産性が3倍弱だから理想的には2倍の人口は、4割弱の主食生産農戸で足りる
実際、養蚕や各種商品作物の栽培は近世のこの時代に広く専業化し始めた

>>264 ageてるのはオマエ
>>265
米だけなら6倍、全てを平均して4倍強、都合よく改竄捏造するなよ低脳
一人当たりの食料消費額は劇的に変わる、>>265に代表される貧民と富裕層じゃ何倍何十倍も差が出るだろう

268:世界@名無史さん
11/07/08 15:45:52.45 0
もうどうでもいいよ
結論でたし

269:世界@名無史さん
11/07/08 16:10:04.25 0
>>近世北宋の一人当たりGDPは5~10倍
ならねーよ、0.3%つまり全体の工業生産高が食料の3割ってことになる
つまりGDPは30%ましだ
富裕層がいようと全体を平均すれば大して変わらん
富裕層の分を貧民が足引っ張ってるんだよ

270:世界@名無史さん
11/07/08 16:22:23.60 0
そもそも4億の人口を支えられるのに
なんで貧民が存在すんの、遊んで暮らせるわ、クウェート状態
食料品も腐って腐ってしょうがないね

271:世界@名無史さん
11/07/08 18:03:21.38 P
>>269
意味が解らないな、計算式書いてみ
ゴマカシでそれっぽい事言ってるだけだから、書けないけどw

生産性3倍つまりGDPは300%、商品作物は更に増
国家財政も100億銭から1億3000万貫に増大、そゆこと
>>270
中世の地中海世界と違って奴隷も農奴もいないんだよね
最底辺でも貧民として死なずに暮らせたから

272:世界@名無史さん
11/07/08 18:10:19.42 0
訂正すると
工業生産高の割合が27%だから300で割って現代でいうと0.1%の規模
第一次産品は1・5%だから現代人の食料消費量が2.3割増しと考えて1%程度とすれば
まぁ一割増し程度だな、中国でやるともっと下がるけど
どちらにしても一人当たりの食料消費の変化があまりないから
他の産業が拡大すると第一次産品の割合が大幅に下落したが
とはいえ中世においても第一産品が8・9割占めた
あと租税はほとんど関係ないんで、租税収入は国家の消費量の指標にはなら


273:世界@名無史さん
11/07/08 18:13:41.24 0
お前の言うとおりだったら
食料の生産性3倍で貧民が存在し、食料は腐りまくり
2億人分の食料が毎年あまり100年で200億人分
なのになぜか非農業人口が少ないという変わった国家だな


274:世界@名無史さん
11/07/08 18:44:54.85 0
>>272
苦しくなると応答を止め、否定されたことを壊れたスピーカーの様に繰り返す
人としてダメダメ過ぎるな

訂正すると、農民のGDPは最低限3倍~業種によって10倍程度に成長
製鉄や精銅という主幹産業は数百から1000倍以上に成長
その他に建設、工芸、窯業や紡績などの様々な手工業が専業化
国家財政の規模も10倍以上に増大した

>>273
冬はコークスで暖を取り陶磁器で毎日茶を飲み塩や醤油を使った
野菜その他の副食まで食ってる貧民と
パンだけ食って死ぬ寸前の農奴じゃ生活費の格差は歴然

275:世界@名無史さん
11/07/08 18:45:26.74 0
つかお前WIKI参考にしてるだろ
WIKI見る限りお前の言うような数値にはならんよ


276:世界@名無史さん
11/07/08 18:49:17.19 0
なんかWIKIとかいろいろ見て誇大妄想して
勝手に付け足して数値が勝手に拡大してる感じだな


277:世界@名無史さん
11/07/08 18:54:38.96 0
一日の必要量3・6合、副食の兵士の支給額に主食の5分の一
お前の言うほど贅沢してたとは思えんし、副食の量も少ないな
これで一人当たり3倍なんだろ、ありえんわ


278:世界@名無史さん
11/07/08 21:19:51.98 0
>>275-276
参考にしたのは宋代経済史の上下巻な
おまえみたいなwikip&webソースオンリーのアホと一緒にされても困るw

279:世界@名無史さん
11/07/08 21:53:24.40 0
>>277
北宋後期の米代が1斗50~80文
雑兵の月給のうち糧が7.5斗、支給された1日毎の副食銭が120文
主食:副食の支給割合は1:5

280:世界@名無史さん
11/07/08 22:03:50.96 0
あ、記録間違えた
雑兵の月給のうち糧が2石、支給された1日毎の副食銭が120文
主食:副食の支給割合は1:3.6~1:2.25

281:世界@名無史さん
11/07/08 22:50:02.28 0
支給割合が1:5か納得した

282:世界@名無史さん
11/07/08 22:52:01.47 0
普通すぎて泣ける
これのどこが3倍

283:世界@名無史さん
11/07/08 22:53:49.03 0
3倍なら一日10合にトライ

284:世界@名無史さん
11/07/08 23:02:43.76 0
>>282
雑兵ですら平均して主食の3倍の額を副食に掛けてるとなると
3倍所じゃないよな。農戸の割合も米麦専業農家の比率も下がってるし

285:世界@名無史さん
11/07/08 23:07:01.29 0
どのくらい下がったんだ?


286:世界@名無史さん
11/07/08 23:17:41.56 0
WIKI改ざんされてるな
後で戻しておくか

287:世界@名無史さん
11/07/08 23:27:32.88 0
前のソースと数値が違いすぎるだろ
どう説明すんの

288:世界@名無史さん
11/07/09 00:29:12.04 0
宋代経済史って中国の本かよ
なんだかな
研究者によって数値が違いすぎるわ



289:世界@名無史さん
11/07/09 00:29:19.59 0
>>287
前の数字は無ソースで書いたんだろうね
もしくは単位を間違えたか、日本のそれと勘違いしたか

宋会要-食貨42の11 1026年米1斗、荊湖70文・江淮100文。40の23 1138年浙西、300文弱。40の49 1170年300文
長編-巻267 1075年米1斗、蘇州50文。巻70 1008年全土70文、荊湖西部~四川30文。巻451 1089年両浙、80文

前の数字は無茶苦茶に高い

290:世界@名無史さん
11/07/11 11:49:16.09 0
地中海世界なのに延々と宋王朝のことを書いてどうする?

291:世界@名無史さん
11/07/11 17:42:35.98 P
だよね。
これはトンでも論文書いたアンガスが悪いは
日本史の鈴木
世界史の杉山・塩野
経済史のアンガス←New!

292:世界@名無史さん
11/07/13 11:16:25.32 0
一人当たりGDPが中国で3倍になると1350ドル
購買力平価で1000ドルを越えたのは1990年代、名目で2003年
URLリンク(engine.cqvip.com)
唐宋経済力比較研究
この論文によると耕地は少なくとも20%増、課税可能耕地は5%増、収入量は46%増加だってさ
まぁいくらアンガスクソといっても今後も参考にし続けられる
アンガスは史料の数値だけ出してもマクロ経済指標にもとづいて数量計算しないと意味ないってよ
まぁ俺みたいに会計やってる人間に言わせると当たり前だけど



293:世界@名無史さん
11/07/13 11:21:20.46 0
あとアンガスは中国経済史の本出してるから読んでみたら
批判するにしても相手を知らないとな
中国経済的長期表現(公元960-2030年) [平装]
中国の尼見る限りお前の持ってる本より売れてる

294:世界@名無史さん
11/07/13 21:43:44.48 0
>>292
この論文によると
政府の把握してる耕地は唐の最盛期から5%増、耕地はおそらく50%近く増
政府に納められた穀物量が46%増(唐は全量官収の屯田込み)
銭収入は600%弱の増、面積当りの収穫量は状況によるから解らない
菜園の収入は一般田地の10倍、木綿、果実、桑、材木、花、その他の生産量も激増したよ
茶や各種金属貴金属の生産量は10倍以上、手工業の発展は計り知れない。とあるね
アンガスの希望的妄想とは大きく乖離した数字だ

あと、史料の数値を使用しないと学問にはならないよ
「ぼくの考えたマクロ経済指標」に無理矢理当て嵌める為に無茶な細工するのは
現実を受け容れられない子供や売名したいだけの商売人がやること

295:世界@名無史さん
11/07/13 21:45:27.40 0
>>293
小説家の書いたトンでも本をわざわざ買って読む馬鹿はいない、時間と金の無駄
実際、購入者の半分近くがカス扱い、レビューでも酷評にばかり票が入ってる

296:世界@名無史さん
11/07/17 16:30:43.92 0
地中海世界のスレで延々と中国の話を垂れ流すキチガイが去れ

297:世界@名無史さん
11/07/17 17:55:04.10 0
大元を辿るとこれまた歴史に疎い電波経済学者が原因なんだな
ローマの東西の社会の違いを無視してるのに加えて
各国の人口も現代の状況をそのままトレースする手抜きっぷり。

これで学者扱いして貰えて金まで手に入るなら良い商売だわ

298:世界@名無史さん
11/08/09 08:35:51.03 0
地中海世界って地中海性気候なんですか?

299:世界@名無史さん
11/08/14 10:38:28.24 0
はい。

はい、じゃないが。


300:世界@名無史さん
11/08/19 05:43:34.76 0
オースマントルコがなかったら今の地中海世界はなかった

301:世界@名無史さん
11/08/20 11:52:18.86 0
オースマン・サンコンがいなかったら今の地中海世界はなかった

302:世界@名無史さん
11/08/22 10:47:22.63 0
>>300-301
何でオーって伸ばすんだよ

303:世界@名無史さん
11/08/28 18:07:52.58 0
このスレ何で伸びなくなったの?
最初の頃は勢いあったのに。

304:世界@名無史さん
11/09/15 05:27:14.54 0
明日から放送大学で「地中海世界の歴史」集中講義放送はじまるよ

305:世界@名無史さん
11/10/23 08:53:32.84 0
自然環境の歴史
スレリンク(whis板)l50


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