10/10/09 12:29:07
>>525
いえいえ、小官も曲学阿世の徒でありますからして。w
ただしちょっとだけ。
日露戦争の時の秋山主任参謀は、その死後に神格的とも言えるような持ち上げられ方をされました。
まるであのときの海軍は、すべて秋山中佐の頭脳で動いていたかのように。
しかし現実は違うのです。
たしかに秋山参謀は海軍史に残る名アイディアマンでありましたが、秋山参謀の考案になるとされた
作戦、編成、戦法の中で、参謀長島村速雄、のち加藤友三郎などによるものも多く、日本海海戦の
いわゆる「丁字戦法」もオリジナルは秋山考案ではない。
また、東郷司令官が、現場での状況を考えると無理であると判断してはねた作戦案も結構あるのです。
これらがみな秋山参謀の功績であるとされたのは、彼への弔辞の中で島村大将(当時)が、日本海
海戦の作戦はみなこの頭脳からわき出たものだ、といって自分たちの功績を誇らなかったため。
謙虚すぎる語り部がいると歴史が歪んでしまう好例ですな。w
むろんそれらを差し引いても、秋山真之が際だって優れた戦術家であり戦略家であったことは事実ですが。
陸サンの場合、中央の司令部から参謀が勝手に乗り込んでいって現地の指揮を執り、失敗すると現地の
せいにして帰ってくるなんて事がおきてしまったのは、ホントに情けない限りです。