10/11/11 03:22:37 whAV4Eci0
戦国時代、釜無川と御勅使川の洪水に悩まされた武田信玄は大規模な治水事業を慣行する。
釜無川の流れを高岩に誘導し、御勅使川の流れも高岩に当てるようにした。
そして高岩の下流を堤防で補強するという壮大なものだった。
この大事業は武田家の財政を支えた黒川金山を枯渇させるほどのものだった。
その後財政難と長篠の戦いによって衰亡した武田家は信玄の息子勝頼の代で滅亡した。
しかし「信玄堤」は築造してから現在に至るまで約450年、甲斐・山梨の人々の命と生活を守り続けている。
大堤防で自家を滅ぼした武田信玄と、スーパー堤防を仕分けした政治家。
果たしてどちらが後世に評価される政治家となるのでしょうかね。